海の見えない街より愛をこめて

好きって絶望だよね

2024-06-03 札幌へ向かう飛行機に乗っている時間に書いていたメモ

機内モードにしなきゃいけなくてTwitterが使えないからメモに書いている

トマドさんがあげていたmixを聴いている

 


本当に帰りたくなくて飛行機の中で大泣きして涙が止まらなくなったせいで今本が読めなくてスマホが見れなくなった

旅行先から札幌帰るくらいで今まで帰りに泣いたことなんてなかった、宮古島に旅行に行って帰る時ですら泣かなかった

まだ行く時に見えた九十九里浜すら見えていないしまだ滑走路の上をゆっくり動いているだけなのに本当に帰るのがつらい、緑とアスファルトと飛行機しか窓から見えないし、成田でずっとさまよってたから成田のことうっすら嫌いになってきたりしたのにこの緑が見えなくなったらやっぱりもう関東じゃないし、これから成田空港の搭乗口に戻る術もない

次に地面に足をつけるときはよく知っている新千歳空港だと思うと苦しい

海がよく見えるから行きは右側の窓側、帰りの便は左の窓側を取った

 


これを書いているうちに離陸して緑だらけの土地と薄い雲を見ている、もう地面が遥か下の方にあるしここから落ちたとしたら確実に死んでしまう

海が見えているけど大きな水溜まりにしか見えないし、どんどん上昇していくので空と海の青色が一体化してきたし空と海の区別がつかなくなった

はるか遠くに見える細い雲が薄いオレンジ色で綺麗だった。

窓からは青空と夏の雲が見える、私は今年の夏をまた地元で過ごすのだと思う。

イヤホンから聴こえる音楽の向こうからアナウンスで札幌の観光情報が聞こえたけれど、札幌から東京に行く飛行機でも東京の人はもう知ってるよ、と思ったのだろうか

 


鼻水は止まらないものの、今ようやく泣き止んだ

空が綺麗に見えてよかった

次に行く時は絶対に移住か移住のための下見がいい。

知らない場所も、インターネットでは知っているけど会ったことなかった人々も全部自分にとっては緊張するものだから怖いけれど、全部が素敵で美しくて輝いて見えた。

泣きすぎたのと気圧で鼻が痛くなってきたし空を見ていても何かが変わるわけじゃないので本を読む方に戻ろうと思う。

 


すずちゃんからもらったスターイーターのカウルドロンバブル毒物店を読み終わった、窓から日差しが強く射し込んできて光が当たっているところだけが熱い。

 


ちょっとだけ離人を起こしたけど、どうせ座っているしかやることがないし不思議と焦ったり嫌な気持ちにはならなかった。

 


また涙が出てきたし、新千歳空港に着くまであと1時間以上あるらしい

札幌のことは嫌いじゃないけど、つくばや東京で会いたいけど会えなかった人や行きたかったけど行けなかった人、いたのに緊張しすぎて話しかけられなかったり後悔がたくさん残っている。

 


泣いたり本読んだりうとうとしていたら着陸体勢に入った

 


眠りに落ちた瞬間に着陸した 起こすな

 

写真は関東のどこかの上空

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日記 2024-05-20

昼間に起き、家を出たくない、何もしたくないと自室でぐだぐだしていたら寂しくなってしまい、Twitterではないどこかの誰かと少しだけ話がしたくなった。

人生で初めてニュー速VIPに書き込んでみた。2chのまとめ動画を見るのが好きなので存在や主な話題については存じ上げていた。

かといって私は知らない人に向けて語るような身の上話も自虐も持ち合わせていない。

語るような世論もインターネットの炎上についてもまるで興味がない。

不満を持ち合わせていてもそれを全く知らない人に共有するのはよくないことだと思っている。

ただただVIPに書き込んでみたい人であった。

私は数分悩み、ぬいぐるみを見せてもらうことにした。関西弁を使わないと初手暴言を吐かれると思い込んでいたので不慣れに関西弁で書き込んだ。

コテハンの横にIDがつくと思い込んでいたため自分の貼ったぬいぐるみが上手くスレ主のものとして反映されておらず少々傷つくことを言われたが、この人もぬいぐるみに興味を示してくれたんだなと思ったら少しだけVIPPERが可愛く思えてきた。

平日昼間にVIPに書き込んでいる人なんてろくな人がいないと思っている。

それでも自分のぬいぐるみを見せようとわざわざ写真を撮って見せてくれた3名の優しい住民に感謝した。

 

薬を飲んでも動くことができず夕方になってから適当に服を着てコンビニに行って煙草を吸った。

吸っている途中でタバコがなくなったので散歩がてら銀行まで歩いてお金を下ろして煙草を買った。安いものを吸っているおかげで少ない所持金でも買えたので安堵した。

煙草の本数の記録アプリに記録している本数が増えるにつれて、煙草を吸っていなければ今頃買えていたであろうもののことを考えて少しだけ落ち込む。

 

Twitterでは応援していた活動者にリプライを送っただけで半ギレをされて落ち込んでブロックしてしまったりしたし、面倒くさい性格をしている自分にもかなり落ち込んだ。

また薬を飲んでコード進行の勉強をしている。

全く分からないけど楽しい。

早く死にたいと思う日が数日続いているけれど、ふとした時に赤外線カメラを作りたいな、などの意欲が湧いてきている。

これから何かを作り続けられるならば生きている意味はたくさんあるかもしれないと思った。

篠澤広さんとみる光景

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学園アイドルマスターの篠澤広さんについての怪文書

篠澤広さん、左利きでAB型なの完全に珍しいわけでもないけど人の中では少し珍しい部類に入るの良い

光景を聴いたら感情が爆発してしまった、長谷川白紙さん本当にありがとう……。

 

私は昔から女の子のアイドルアニメの天才肌のキャラクター(久里須かなめ、星井美希など)が大好きである。

だいたいの天才肌にみえる少女たちが泥臭い努力をしていることも含めて本当に大好きであって……。

学園アイドルマスターはふーんと思ってうっすらTLで追っていた。篠澤広さんについてもほっっっそ!!!!!という感想しか抱いていなかった。

765ASは如月千早、ミリは北沢志保周防桃子という一癖も二癖もある面倒くさくて人間関係が上手に出来なさそうなアイドルたちのことがずっと好きだ。

学園アイドルマスターも月村手毬さんと有村麻央さんのことが気になっていて、篠澤広さんについては完全にノーマークだった。

しかし昨夜、長谷川白紙さん作曲の光景のMVが公開されて多いに狂った。

細い指先、繊細で折れてしまいそうな体躯、その身体でくるくると動く音楽にはありとあらゆる楽器が使われていて、篠澤広さんの外見の薄い色の雰囲気に反してすごく鮮やかだった。

 

篠澤広さんのプロフィールには天才少女と書かれている。

しかし趣味が「苦手分野に挑戦すること」であったし、アイドルを目指した理由が「いちばんわたしに向いてなさそうだから」だった。

プリティーリズム・オーロラドリームの久里須かなめも765プロ星井美希もキラキラしていて、見るからにアイドルに向いているというかポテンシャルありまくりの少女だった。

 

それとは対照的に篠澤広さんはすごく美しいのに体力がなくて歌もへろへろ、ダンスも苦手で、見るからにアイドルのように軽やかに動き回ることもたくさん歌うことにも向いていない。

アイドルが篠澤広さんについての苦手分野だった。

ライブシーンの動画でもお腹から声が出せない人の声の出方だなあ……と思うと同時に「きゅう……」と倒れていた篠澤広さんが笑顔でアイドルをできていることに泣きそうになった。

「アイドルになることは夢じゃない、趣味……かな?」で篠澤広さんがアイドルを苦痛ではなく趣味くらい楽しめていることがすごく嬉しいなと思った。

 

紹介PVで「何をやっても上手くいって、苦しいことなんかなんにもなくて、みんながわたしに期待した、みんながわたしを褒めてくれた」「すごくつまらなかった」と淡々と喋って、「だから逆をやろうと思った」と言っていることがすごく衝撃だった。

自分がだいたいなんでもできる人間だったとき、できないことがあったら私だったら悔しくてやめてしまうと思うのに、きちんと向き合えて努力できるのが篠澤広さんのいいところだと思う。

 

光景の歌詞の「見えてるずっと先で選んだときから」「選びとった熱が」「くずれて ふれて ふるえて 選ぶ わたしが」で篠澤広さんがアイドルであることを望んで選べたこと、「わたしのまつ毛の向こうのあなたたちを迎える」の後に「たのしみ」と聞こえること……

 

MVで篠澤広さんの周りにあるものが篠澤広さんが恐らくできることの多くの選択肢なのに、それを蹴ってまで苦手分野を望んで頑張れる篠澤広さんはすごく強くてかっこいいアイドルであり、女の子だと思う。

 

アルビノのように白くて繊細なのに音楽の中に様々な楽器の音があるのが本当に泣きそうになる。

長谷川白紙さん、篠澤広さんに素晴らしいうたを与えてくれてありがとう。

篠澤広さん、あなたの手を取って世界をみにいきたい。

現代のインターネットにおける死とメンタルヘルスの消費、そしていつも世界をみている美少女

※本記事は自傷行為・自殺を推奨するものではありません。該当する話題に便乗したいわけでもありません。ただただ一個人の考え・思想であることをご理解いただけると幸いです。メンタルヘルス自死についての話題を扱うので精神が不安定な方はブラウザバックしてください。不安や希死念慮を感じて苦しい人は周りの方や機関に相談してください。この記事に書かれていることでよくないこととしてあげているものを実行したりしないでください。

そして私は自殺について肯定的な考えも否定的な考えも持たないようにしているが、自死を推奨する意図も自死を選んだ方を否定する意図も持っていません。

どこかの誰かが心安らかに生きられることを願っているので。

 

これはサブカルチャー批評でもあるし私の思考メモでもあります。間違いもあります。

 

原題:現代(令和のインターネット)における死とメンタルヘルスの消費、Z世代の若者の文化、そしてあの頃の美少女ゲームヒロイン

言及していることが風呂敷状に広がってきてしまい、上手くタイトルにまとめようとしたところはてなブログに恐らくタイトルの文字数上限が存在せずこのままだとひどく長ったらしいタイトルをつけそうで怖かったのでこちらに書いたけど要らなかったかもしれない。

 

昨年度似たようなテーマで書いた記事「2010年代メンヘラカルチャーと現代」「NEEDY GIRL OVERDOSEとメンヘラのコンテンツ化」からもうすぐ1年が経過しそうなのと、最近また美少女ゲームに触れ始めたり色々な方とお話ししていくうちに考えたことが増えてきたので2024年もこの話をしていこうと思う。

2010年代メンヘラカルチャーと現代(2023-04-17) - 海の見えない街より愛をこめて

NEEDY GIRL OVERDOSEの問題点とメンヘラのコンテンツ化(2023-06-24) - 海の見えない街より愛をこめて

気になった方はこちらの記事を読んで頂けると少し嬉しいです。

 

こういうセンシティブな話題は恐らくはてな匿名ダイアリーなどに放流すべきだとは思っているのだけど、過去に2本ブログ内で記事を上げているのでここで今更日和ってもなあ……となったので今回もここで書かせて頂きます。浅葱ねるなです。

 

最近インターネットでかなりモヤモヤしたのは自死メンタルヘルスについての創作における他人への影響などです。身も蓋もないことを言ってしまえば、つまり自死を選んでしまった人間の消費。

(私が勝手にお友達だと思っている)ツヅキエイミさんは、7年前に亡くしてしまった友人の女の子を題材にずっと死や希死念慮、生きることへの苦しみを抱えた女の子の絵を描き続けている。

あまりにも死や題材の女の子への触れ方が露骨だったイラストもあり、部外者の私が心配になったり心を病んでしまったときもあった。

それくらい創作物は受け手に感動も与えるが心をえぐり取るような力を持っていることをみんなも私も自覚するべきだと思っている。

数日前に題材となっている女の子のお母さまから「仲良くしてくれてありがとう」とお手紙をもらったとツイートしていた。私も少しうれしかった。

亡くなってしまった人間にとって最も悲しいことはその人のことを忘れてしまうことだと思うから。

関係ない人間から心無い言葉を浴びせられたりしたことも多数あっただろうけど、私はツヅキエイミさんのイラストが大好きだしこれからも描き続けてほしい。

今度またご飯食べに行こうね。

 

そして今のTwitterを眺めていれば一度は目にしているであろう、星宮ポコさんの「100日後に輝く地雷系」の四コマ漫画。私も1日目からずっと毎日楽しみに拝読させていただいている。

1日目から読んでいない人にざっくりとあらすじを説明させていただくと、メンズ地下アイドル(メン地下)のファンのひなちゃんとみどりちゃんという女の子2人が各々の推しにめちゃくちゃにされていきそのうち人生までぐちゃぐちゃに……といった感じである。

 

私はSNSで見かけるようなバリバリの推し活といった推し活をしたことがないしメン地下に全く興味がない人間なので、実際のメン地下やメンズコンカフェキャストが裏でどういった感じになっているのかとかもTwitterのおすすめ欄に流れてきた事象以外何も知らない。

(補足:推しの女性アイドルの方や好きなVtuberの方はいるが、グッズはほしいときに買うとかそういった感じなのでガチで推している方には怒られてしまいそうなレベルでゆるい応援をしている、そして推しとは自分の手の届かない存在なので繋がりたい、仲良くしたいと思ったことはない)

推し活という言葉がなかった時代(私が中学生の頃など)は歌い手やアイドルを推すことはもっとライトなものだったと記憶している。

その頃にももちろん毎朝推しのTwitterアカウントをメンションして過剰すぎる程の愛をツイートする者や毎日DMを送るオタクなどヤバい人はたくさんいたし未成年淫行などはニコ生全盛期からずっと存在した。

推しに認知されたいという思いはどの年代のオタクも抱えてきたものだと思う。

推しにグッズを買いまくることで貢ぐ=偉い(そりゃ偉いとは思うが)、グッズ購入してない人は人権がないなどの思想や缶バッジやアクキーなどの同一グッズを大量に購入し綺麗に並べたり多少雑に扱っているところを動画に撮ってSNSに投稿するなどは昔はメジャーな思想ではなかったような気がする。

TikTokアンチだった時期が長かったこととTikTokを眺めていると精神的に摩耗することが多すぎて明確にいつから〜などは断定できない。

でも名前くらいしか知らない活動者やよく見ているVtuberなどのグッズの持っている数量自慢のような投稿、担降り(推すのをやめた)宣言と共にグッズをぐちゃぐちゃにしたり雑に扱う投稿が本当にずっとおすすめに表示され続ける。疲れる。いつから好きなものや人を応援することが札束で殴り合うような感じになってしまったんだろう。

「100日後に輝く地雷系」でも序盤で描かれているが、やっぱりチェキ券を買いまくった人がいちばん優遇されたり推しと繋がれたりする。

地下アイドル(恐らく地方拠点と踏んでいる)であれどのコンテンツであれ、お金を出している人間が偉いのは認める。でもそれを恐らくお小遣いをもらっているかちょっとバイトしているか……くらいの中高生がなぞっているのは少し辛いものがある。

グッズの数量=愛の大きさじゃない、自分が無理をせずに楽しく応援しているのが正しいあるべき推し活の姿なんじゃないかと思う。

追記:ラニーノーズのファンの人のnoteが話題になったことによって推し活文化のあり方とはみたいな話がインターネットで活発になっていますね。自他境界が曖昧な人間が推し活をするとどうなるかという具体例ではあるけれど、自分もいつそうなってしまうかわからなくて怖い。

 

そしてNEEDY GIRL OVERDOSEの問題点の記事でも言及した、作中でのOD(オーバードーズ)。

コマの横に*薬の過剰摂取はやめましょう*とありますが、それの抑止力はあまり存在しないと思う。それで過剰摂取を抑止できていればNEEDY GIRL OVERDOSEでの超てんちゃんを見てブロンやメジコンに手を出す人間なんていないと思う。

ODのきっかけはSNSで発信されるOD当事者の「トリップ」「非日常」「気持ちいい」「私も理解したい」だと思っている。

全部は「私も理解したい」に詰まっていると思う。

かわいい○○ちゃん(自撮り界隈のメンタルヘルス系の人間)がやっていることだから私もその感覚を理解したい、好きな人がやっているから私も理解したい、あとはトー横で流行っているから……みたいなのも多い気がする。

若者のODはこのままだともっと増えていくと思う。薬局やドラッグストアも咳止め薬を買おうとしたらめちゃくちゃしつこく聞いてくるようになった(ありがたいけど咳き込みすぎてつらいときだと喋るのつらいからつらい!)

どうしたら状況が改善するのかどうかもわからない、これは主にインターネットに住まう人々にとってのカルト宗教でも電波でもなんでもなく救いを求める縋りだと思うから。縋ることは誰にも止められないし止めちゃいけないと思ってるから縋っている人間を怒れない。

これを読んだ誰かが1人でもいいから自発的に回数を減らそうとがんばるとか然るべき機関に相談に行くとかそういうことをしてくれたらかなりうれしいなあ、と思う。

 

私も死やメンタルヘルスに関するブログを書くとき、かなりめちゃくちゃに気をつけている。

ブログを読んだフォロワーから「いちばん楽に死ねる自殺方法教えてください」とDMが来たことがある。私はカウンセラーでもメンヘラご意見番でもない。というかいちばん楽に死ねる方法を知っていたら私はもうとっくに死んでいるだろうし、知っていたとしても教えたら自殺教唆で捕まってしまう。

それ以来、そういう相談DMが来ないようにブログ上でも我関せずといった態度を取らなければいけなくなった。

 

そういうお前はどうなんだ、実在のメンヘラと呼ばれる人間を消費していないのかよ、と思うかもしれない。

私は自らの鍵アカウントで去年自死した女子高生2人のアカウントをフォローしているし、ろろちゃんもメンヘラ神もフォローしている。

精神の状態がかなり悪く自殺したい気持ちのときはTogetterまとめの故人のアカウント一覧と最後のツイートを眺めている。

もし自分が自死を選んだ場合、私のSNSは動かなくなる。それは他者から見たらどういう気持ちなんだろうか……という気持ちと、時間がもう二度と進むことがないアカウントって美しいし悲しいなという不謹慎エモ消費で見ている2つの気持ちがある。

このブログで故人の話を掘り返して書いている時点で私は十分に不謹慎でカスだと思う。

 

しかし私はただの不謹慎エモカスで終わろうとはせず、生前その人が何を考えていたかについて思いをめぐらせる。

昨年自殺してしまった2人の女子高生のアカウント。

最後のご飯として上がっているツイートの写真の奥にストゼロの缶が見える。

私はストゼロアンチすぎてストゼロを飲んでいる人間の周りの原因のような概念のことを文化的貧困と呼んでいるのだが、やはりこの子たちは地雷系などの文化にハマっていたのか、それともトー横とかのメンヘラ文化にハマってストゼロを飲んでいるのか気になってしまった。

地雷系のカワイイの象徴としてピンクのモンエナがトップを張っていた頃なんてかわいいもので、今は地雷系ぴえん女子といえばストゼロとかになってきていた気がする。

成人して3日の地雷系の友達がインスタのストーリーにストゼロをあげていたときはスミノフアイスでも飲んでおきなさい!と叱った。

ストゼロに友達を数人めちゃくちゃにされたりアル中になったフォロワーがめちゃくちゃいるので私は強烈にストゼロアンチです。飲んでみたら意外と飲める味をしているのが憎い。

まあ私の話なんかはどうでもよく、

女子高生が未成年飲酒をしていたことも一旦棚に上げておいて、

最後のご飯のツイートにストゼロが写っていることがすごく退廃的で辛かった。

ストゼロを飲んでいる友達にどうして他にも美味しい缶チューハイはたくさんあるのにどうしてわざわざストゼロを?と尋ねたところ、少量でいい感じに酔っぱらえるからという答えが多かった。

考えすぎかもしれないがやっぱり死というものが恐ろしいという気持ちで人生最後のご飯をストゼロと共に食していたのだろうか。

 

死という概念は誰にとっても平等に訪れるものであるし、恐怖の象徴である。

世界三大宗教やそれに類する大きめの宗教についても死がどのように扱われているかわからないので断定はできないが死は恐怖である。

新興宗教(もしくはカルト宗教)によっては死は救済とされているかもしれないがそれも結局恐怖によって作られたものだと思っている。

全ての宗教や哲学者の形而上学的な話には絶対に生と死の概念が付きまとってくると思う。

やはり死ぬことは全員恐ろしく、死後に苦しいこともまた嫌なのでみんな生きることと死ぬこと、そして死後の世界について考え始める。

本当に宗教分野への知識がなく申し訳ないのに例として仏教用語を用いらせていただくが、成仏ということばがある。

特に仏教徒ではない人間も成仏ということばを日常的というほどでもないが使っているし、少なくともみんな1度は死後の世界がどうなっているのかについて考えたことがあるとは思う。(母親の知り合いのお坊さんは死後の世界は存在しない、と断言していたらしいが……)

 

何もわからないから怖い。早く死にたいし死にたくないし全員等しく死んでしまうことが怖くて震えることも全部ある。

だからみんなアルコールに頼ったり薬を飲んで現実から逃げたいんだと思う。

でも現実は全ての人々に等しく戻ってくるし視界を嫌という程被ってくるし何も分からないことを見せてくる。

それでもインターネットで見える範囲では明るく生きようとしていたし破天荒なメンヘラ神が今でも大好きです。彼女のブログが大好きすぎるのでわたしは今でもはてなブログを使っています。

 

現代のメンヘラは超てんちゃんに影響を受けているというようなことを書いたけれど、昔は厨二病という形でかっこいいと思って自傷をする女の子とかはいても美少女キャラクターに惹かれて自傷行為に走る人はいなかったと思う。

過激な行為に走る美少女キャラクターはだいたい18禁の美少女ゲームのキャラクターだったからだと思う。

後は当時は恐らくエロゲをプレイするオタクはオタクの最下層だと言われていたと思うしエロゲが女子中高生にまで届く方が稀だったと思うから……。

私がもし女子中高生のときに『素晴らしき日々』とかに何かの間違いで触れてしまっていたらすごい危なかった。絶対に高島ざくろの下位互換みたいな電波ゆんゆん少女になってしまっていたと思う。

触れていなくても私の小学生のときの自認はボクっ娘魔法少女でした……。(誰しも自分が特別な存在だと認めたくて仕方がない時期ってあるよね!)

 

素晴らしき日々』関連の元ネタを色々調べていたら、ちゆ12歳さんの2007年の記事で戦士症候群についての記事があった。

『ムー』読者ページの“前世少女”年表 - ちゆ12歳

戦士症候群は80年代にオカルト雑誌『ムー』の文通相手募集欄にて発生したムーブメント。

「戦士として目覚めた」「前世の記憶を取り戻した」「前世で繋がっていた人を探しています」といった急に特殊能力に目覚めたり前世の記憶を取り戻した人と連絡を取ろうとする少女たちが続出した。

高島ざくろへのメールの石の塔の戦い……みたいなやつは完全に戦士症候群が元ネタだと思う。見つけられてうれしい。それはさておき。

思春期特有の微笑ましい思考だと思い過ごせていればよかったものの、1989年には徳島県で小中学生女子3名が解熱剤を大量に飲む""自殺ごっこ""をして救急搬送される事件が起きた。

紙に書かれた筋書きには「前世は美しいお姫様」「前世を覗くために1度死んで戻るつもりだった」と書かれていたらしい。

特定のアニメやゲームの影響ではないものの、数年ほど戦士症候群は続いていたそうなので恐ろしいなと思う。

インターネットではなく雑誌上の文通相手募集欄でこのようなことが起こってしまうのはSNSが発達しすぎた現代では考えられないことだと思う。

 

結局のところ、2023〜2024年のインターネットのアングラではなかった人に知識としてリストカットオーバードーズをもたらしてしまった一端としてあるものとしてNEEDY GIRL OVERDOSEがあることは間違いないけれど、遅かれ早かれトー横の人間などによってもたらされていたことは予測できる。

追記:私はにゃるらアンチではないしどちらかというと尊敬しています、私がこうして文章を書き始めるきっかけをくれたのはおそらく彼です。

 

現実の人間もアニメキャラも、生きることに苦しみを感じたり葛藤しながら生きているけれどアニメキャラは甦れても現実の人間は死んだら生き返れないし、死ぬのは怖いし世界はあんまり美しくない。

最近の若い人は(わたし含め)生きる意味を他人に委ねすぎだと思う、でも委ねないのもかなり難しい。死んでも美しくもなければ生きてても美しくなくて苦しい。

生きてても絶対にいいことがあるとは断言できないけど、それでも生きようね。

 

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生きてインターネットで会おうね!

「幸福に生きよ!」の意義は物語の奥にあるし物語に価値の優劣はないと思う

哲学的なものに興味を持っていたのはその前からだったけど、自分の「死は救済」といった後ろ向きな思考に終止符を打ってくれたのは、すば日々序章のざくろと2章の希実香だったし「幸福に生きよ!」という言葉からウィトゲンシュタインに興味を持たせてくれたすば日々に感謝している

 

最近Twitterでオタクが教養がどうとかそういった話になりがちだけど、私は序章のざくろルートに入った時に「銀河鉄道の夜だ!読んだことない!読んだ方がいいかも!」となって初めて銀河鉄道の夜を読んだし、臨死体験の話だということは友達から言われて知った

先にゲームのボーンになっている哲学や文学に触れていたとてその人が偉いわけではないし、その奥にある読み手や作り手の人それぞれの解釈によるメッセージ性という楽しみがあることを理解できない人は私よりはつまらない人生だなと思う

 

哲学サークルの自己紹介でウィトゲンシュタイン気になってて……って言って、何がきっかけなの?って話でゲームから……って恥ずかしくなりながら答えたけど冷や水を浴びせてくる人はいなかった

 

すば日々に冷や水を浴びせるような発言をしたのはフォロワーなんだけど、そういう作品のことを哲学的な視点でも楽しんでいる人だと思っていたので少し悲しかった

2024-03-12

お風呂に入れている頻度が減ってきたことと眠る時間が増えたことで寝転がったときに髪からパンケーキみたいな匂いがしたけれど汗なんだよな……と思った

 

SNSはどうせ現実で会わないし嫌な人はブロックしよう!みたいな言説があるけど、現実とインターネットがほぼ地続きみたいな感じなのでときどき苦しくなる

つかれた

日記(2024-02-22) 連れ出されるということ

しっとりとした鬱がきた。気分の波というのも躁と鬱にきっちり分かれるものではなく、グラデーションのようにゆらめいているものだと勝手に思っている。

無理をすることも自分を鼓舞することもできず、ただただちびちびとお酒を飲むだけになる。

ひたすら缶チューハイを開け続けTwitterで暴言や愚痴ツイートをするよりはマシだとは思う。

ドア代についてきたワンドリンクのビールの1瓶を数時間かけても飲みきれない。

落ち込んで隅でスマホを触っている後ろで流れているのはサイケデリックミュージック。

周りにいる人たちは私よりも年上なのにみんな元気だと思ってしまう。全員が全員健常なのではなく躁状態の人もいるのだと勝手に思うことにしている。

美味しいスパークリングワインを手渡されても乾杯の音頭に呼応する声すら出ず、自分だけが海の底から水面と地上の楽園を眺めている気持ちになった。

人魚姫のお話では声が出ないのは地上だったっけ、と思い出す。

フロアでもなくバーカウンターの隅で持参したiPadに絵を描き続けていたがそんな気力もなくなり、ずっとスマホに表示されるツイートをなぞりつづけていた。

友人にフロアに連れ出されたときに放っておいてほしかった旨を鍵アカウントでツイートしたあとに友人を傷つけてしまうことに気がついて反省。

精神的な体調によって元気がない人間にも配慮がほしいと配慮されたがる分際で思ってしまった。

元気がないことを落ち着いている、としてなんとかアプローチできないかと最近よく考える。

一悶着あってから話しかけづらくなっていたともだちのLINEのブロックを解除して話しかけてみた。なんとなく緩くではあったけど信頼関係をここから取り戻していけたらいいなと思った。

年上の同性から嫌なことを言われてヘラヘラ愛想笑いをする自分のことを情けなく思い他人だと思って俯瞰したけれど、反発をしないことが正解であることもあると思って堪えた。

他者にこれ以上挑発されないために通常の自分以上の馬鹿を演じることがどんなに苦しいことか。

それでもビールが美味しいことで乗り切った。

ツイートで言っていいこととよくないことの分別をつけようと思って何かを吐き出しても2分で消せるようになった。

我慢することが大人というならば、わたしはこれから先数年後数十年後どうなっていくのだろう。

 

先月一気に購入した暗殺教室が面白かった。

潮田渚さんのことが本当に好きだけれど茅野カエデさんがとても魅力的というか人間として素敵な女性すぎて勝てないと思った。

私は自己肯定感が低いし人間としても最悪な人間なので作中のキャラクターではなくてよかったなと思った。

それはさておいて、全てのモブキャラクターもモブにならない引き立ちがあって凄かった。

セカイの主人公は誰しもが自分になりえるのかもしれないと思った。

モブキャラでも輝きたい。

 

Twitterみんくるが流行っている。みんくるのことが異常に愛おしく思えてきた。私もみんくると暮らしたい。

 

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雪が降り積もり続ける土地に住む人間として、Kanonをプレイする。雪解けの春について考える。

水瀬名雪さんがメインヒロインよりもヒロインぽいと思う。

月宮あゆさんが大変な事態のときに異常に落ち着いていること、うきうきしているいつもの性格が作っている性格なのかもしれないと思う。

私はそういうキャラクターに弱い。うぐぅ

 

冬の街の話の数年後、20年以上前のゲームの中の遠い海のことを考える。知らない街の知らない学校の天文部に入りたい。空はよく澄んでいて、星がよく見える。階段を上がって屋上の扉を開ければ、そこには知らない女の子がいて、きっと微笑んでくれると思っている。

きっとね。

 

それはきっと遠い夢のお話とかだと思う。そろそろ現実に戻らなきゃね。