ねるこの脳内小宇宙

鬱病シングルマザーの徒然

仕切り直し

娘が言うこと聞かなくて(服を着ない)

息子が「妹の言うとおりにしてあげればいいじゃん?」

といい、イライラMAXにひとり陥り、

とりあえず頭抱えて呆とした。

息子がみかねたのか私の肩に手を乗せた。

それで抱きしめた。

どうしていいのかわからない。

ひとまず ごめん と 伝える。

息子は大丈夫一緒に行こうと。

とりあえずなんでもいいから娘に暖かい服を着せて

ちょっとだけ距離を保つ。

ありがとう、でもちょっとむりだから。隣の部屋で仕切り直し。

なにがいいかって

やっぱり人でしょう。

お店にしても病院にしても、「このひとだとなんかきもちがすくわれる」

そんな人がいる。

なんてことない一言、なんてことない仕草、そういう数字に換算

されないなんてことない「なにか」のおかげで心が休まることがあります。

あの人にも、この人にも、今日もどうもありがとう。

まだまだ夜は続く

雨上がりの夜、外から虫の声がします。

悪くない夜です。

死にたくもなりません。病状は安定していると思われます。

 

「死にたい」わたしの場合、鬱病になったはじめの頃、毎日四六時中考えていたことです。

「具体的に、どういう方法で、どうすれば他人に迷惑をかけずに死ねるか?」

そんなことを「今晩の夕食なににしようかしら?」ぐらいの感じで考えてました。

しかしその頃、やっとトイレに自分で行けるぐらいで、遠出はおろか高い場所にロープをかけるとか家以外の場所に行くとか、まあなあんにもできなかったので幸いいま生かされていただいております。

「具体的に、どういう方法で、どうすれば他人に迷惑をかけずに死ねるか?」

そんなこと、いまの日本でどだい無理な話なんです。生きるの同様死ぬのも金かかるし、わたしこどもいるし。ママの遺体なんてできうるならまだ見せたくない。死ねなかったのは、こどもがいたから思いとどまれたという部分も大きい。

祖母の介護をした経験も大きいです。人って生かされててそれって有難くも苦難の道でもあり、でも生きるしかないんだなあ、と。

人一人の存在って、自分が思う以上にまわりにとっては大きい。

祖母が認知症になり、わたしのこともわからなくなり、昨年老衰でなくなった今も祖母のことを考えることがあります。思い出すとかいうのではなく、「あ、おばあちゃんも連れてこなくちゃ」みたいな。おばあちゃん子だったので。もし、祖母が認知症にならずにいきなりなくなっていたら、もっと悲しみは深くひきずっていたかもしれません。でも、認知症になり、祖母がそれまでの祖母でなくなり、しんどい介護生活があったから、気持ちの整理もつけやすかったです。ありがとうおばあちゃん。

でもできるなら、祖母のようにはなりたくない。

迷惑かけずに静かにひっそりと死にたい。

あ、はじめに死にたくもないってかいたのに結局これかよ。

夜中に死について書くなんてだめですね。

わらえなーい。

 

それから

「具体的に、どういう方法で、どうすれば他人に迷惑をかけずに・・・」

それが生きるも死ぬもどちらにしろ無理なので、わたしは「消えたい」と思うようになりました。四六時中思っていて、いまもたまに思います。

こういう話をすると、「わたしもよくある〜」なんて同意を健康な方からいただくのですが、憂鬱や鬱状態鬱病のそれとはまったく異なります(とわたしは感じる)

鬱病=脳の病気なんだなってつくづくおもいます。

わかってもらえないけど。

 

あ、新聞屋さんが来た。

おつかれさまです。

はてなブログはじめちゃった

35歳シングルマザーの鬱病日記。

なにがどうしてこうなったのか、ここまできてしまったのか

まあ、それはそのうち書くとして、

眠れない。というか、起きてしまった。

世の大人たちが眠るには早すぎる時間(8時とか9時とか)に

こどもと一緒に眠ってしまうせいか、

薬を飲み忘れたせいか、

お酒を早くに飲んでいたせいか、

なにがわるいのか、全部がわるいのか、わからない。

とにかく、起きてしまいこうしてはてなブログまで登録してしまった。

なにをしているんだか。