水の領域

瑞木理央(みずき・りお)の短歌と詩

【連作短歌】 旅立ち

 

生き終えた樹木が朽ちてゆくようにわたしの湖(うみ)も乾きはじめる

 

なつかしい匂いの部屋に包まれて時計の音に別れを告げて

 

にんげんのかたちを解いて生命のはじまりの夜を迎えにいこう

 

ひび割れた記憶の束はぜんぶぜんぶベッドの上に置いて、わたしは

 

ひかる窓ひかる天井ひかる扉(ドア)ひらいてひかる道がうまれる

 

澄みきった青い空へとつづく道 眩しくてそう、なにも見えない

 

なにもかもひかってるからもうわたし光らなくてもだいじょうぶだね

 

やすらかに眠れわたしが呼吸する機能を終えたあとの世界よ

 

 

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【短歌】月に寄せて

 

目を閉じて息を澄ましてこの夜と一つになってゆく闇の肌

 

メランコリアの月はお菓子を食べ過ぎてほろんほろんと降る粉砂糖

 

魔女の肌色の今夜の月だからケチャップまみれにするオムライス

 

銀の屑しゅらしゅら砕け降る夜の銀の欠片でみずうみを買う

 

木枯らしが月の鏡を磨くからぼくら仄かに光っているね

 

棄てられたピアノが(りるら)唄いだす月のひかりが流れ着く岸

 

太陽の光を月は吸いこんで吐きだす息がメロディになる

 

素裸でふるえる月のたましいは両性具有(アンドロギュノス) とおい瘢痕

 

青空にぽつんと白い月が待つわたしのためのわたしの時間

 

クレセント・ムーン誰もが待ち望むひかりの日々をぼくは貰った

 

月はいつか割れてしまうね。ぼくたちが夢を詰め込みすぎたばかりに

 

地上にはあともう少し居るつもり月がわたしを追い越してゆく

 

月の模様のタッチパネルにゆびを置き分岐していく藍の宇宙へ

 

月に向かっておおきく伸びをする 死者の最期の声を届けるように

 

 

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【連作短歌】蟹のいる生活

 

青痣が消えない点滴針の痕 終末前夜をどこまでも行く

 

血のにじむ絆創膏を剥がすとき無音の白い空間が来る

 

肝臓に棲む黒蟹の消息をきくたびに潮騒がうまれる

 

遺伝子の捩(よじ)れた蟹にぴったりと寄り添うような波をください

 

両肺に水玉模様の火を宿し浅瀬で泳ぐように息して

 

黒蝶ひらり万緑をゆく病む肺のようにひろがる翅ひややかに

 

天上の糧はこの世で食べたいね雪の香りのアイスクリーム

 

生きるとは別のいのちを奪うこと呼ばれた順に旅立つキウイ

 

わたしより前(さき)に薬を試されて逝った実験動物(ラット)のその生の意味

 

いずれわたしも呼ばれるときが来るでしょう待合室はしんとあかるい

 

わたしのゲノムを知るAIが死ののちも私を生きてくれるならいい

 

おつかれ。世界中から来る毒を受けとめつづけてくれた肝臓

 

 

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【連作短歌】青葉のコード

 

紫陽花の珠がほどけてきらきらの蕊が地球を芯から照らす

 

鶯がまた口ずさむ六月のアリアに森の声が重なる

 

龍の庭にプラスチックの遺物あり ヒトは何処でもピクニックする

 

QRコードが埋め込まれた青葉たまに雀も読み込んでゆく

 

ウイルスの生きのびかたを称えつつ新たなランナーとすれちがう

 

世界がずっとくだりだったらいいのにね 坂道を降りきって夕風

 

青梅雨の死が近づいてくるようなやさしい音に触れつつ、前へ

 

 

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【短歌】この世へと

 題詠〈雛〉
この世へと生(あ)れ来る前の雛の棲む卵の中のちいさな宇宙

 

転生を繰りかえすたび草臥れてゆくたましいを滌(すす)いで翠雨

 

こころの生ぶ毛をそっとなぞって火のようなあなたの深みに触れる 言葉で

 

 

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【連作短歌】踏まれた薔薇

 

殺意閃くさくらばな殺す側にわたしはきっとなれないでしょう

     *

 

心臓が裂かれる音をきいていた箱庭の薔薇踏みしだかれて

 

花には花の痛みがあってこの夜も誰かが水の包帯を巻く

 

花の文字、薔薇の言葉を解さないヒトらの靴の裏で花片は

 

どの薔薇も怯えたように目を伏せて内なる空を吸い込んでいる

 

怒りには土を かなしみには海を 溶けない痛みには月の瞳(め)を

 

知りすぎたたましいはもうぼろぼろで焼けたベンチに凭れて祈る

 

薔薇を踏むヒトのこころは歌えない踏まれた痛みしかうたえない

 

ときいろの風の合図でよみがえる夜の薔薇園ひそやかに咲け

 

歌ひとつ忘れるたびに空ひとつ解き放たれて羽根がはしゃぐよ

 

太陽と水さえあればそれでいい ひかりを食べてぼくらは戦ぐ

 

     *

 

いまはもう響いてこないメロディの残像として窓のあわ雪

 

 

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