状況が裂いた部屋

旅行と読書と生活

大学生活を振り返る:⑤ 春が散るとき

 

物事の終わり、もしくは終わりの予感に対して感傷的になること。当時、明確に定義できていなかったが自分にはその性癖があった。割と最近になって「感傷マゾ」という言葉を知った。たぶんこれだろう。

大学4年になると、ぬるま湯に浸かった大学生活の終わりが段々と見えてきて、なんとなく気分が沈んだ。4年の春頃からすでに「来年桜を見る頃にはもう学生じゃないのか…」などと考え、夏に内定が出た頃には「2ヶ月もの夏休みを味わえるのも、人生で最後かもしれない…」などとダウナーな気分になっていた。

秋になると、寂しさに拍車がかかった。3年の春は教育実習、3年の秋から4年夏までは就職試験の勉強で割と忙しくしていたので、感傷に浸る暇もなかった。それが内定を機に、時間を持て余す完全に暇な学生になってしまった。しかしこの暇には期限がある。卒業をすれば否応なしに社会に放り出される(自分で選んだのだが)。執行猶予のような期間。ゼミに出たり、卒論を書く以外の時間は、延々とゲームをしたり漫画を読んで過ごした。

大学生活でやり残したことを考えたとき、大学3年の秋に就活を理由に脱退してしまったバンドのことが浮かんだ。そのバンドは自分が離れてから演奏の上手いラインナップで固定されていたので、別でバンドを組むか…とも考えたが、あと半年もすれば社会人になるタイミングで、新しいことを始める気力はなかった。思えばここで始めることは全然遅くなかった(結局就職した直後にバンドを始める)のだが、今更感があり一歩が踏み出せなかった。卒業旅行でニュージーランドに行く予定を立てたので、その資金を貯めるため短期バイトを繰り返した。そして映画をたくさん観たり、小説を読んでみたりした。夜になると適当に深夜徘徊を繰り返す日々だった。

 

f:id:ngcmw93:20240416224620j:imageそして3月。ついに卒業の時期になり、学生たちがだんだんと学生街を去っていく。最後だから、と送別会の名目で集まって飲み会をする。もう会うことはないかもしれない同期たち。いつものように馬鹿話をして、じゃあね、とみんな去って行った。

ひとり、またひとりと友人が街を離れていくのはとても寂しかった。前の週まではあんなに賑やかだったのに、ある日学生街がしんと静かに感じた日があった。皆次の人生を送る街に引っ越したのだ。このがらんどうのアパート街も、4月になればまた新しい大学生たちで溢れる。その繰り返しなのだった。なんとも言えない空虚さと寂しさでいっぱいになった。

この「大学を卒業して、社会人生活が始まるまでの人生最後の春休み」のエモーショナルさが忘れられない自分は、このシチュエーションで小説を書きたい、と構想を温め続けてきた。この時期を舞台とした作品は映画『アメリカン・グラフィティ』、小説『フランチェスコの暗号』くらいしか思いつかない。どちらも青春のタイムリミットを目前にした若者たちの、輝かしくもどこか切ない、とてもキラキラした作品だ。こういう物語を書きたい。たぶん自分の拙い想像力だけではこんな話は書けないので、実際に体験した大学4年の2月から3月、あの青春の瀬戸際で過ごした日々を思い返して、いいところだけを抽出し、なんとか作品に落とし込むしかない。たぶんそれができるのは、薄れていく思い出をまだ覚えている今しかない。そんなことを思って、大学生活を振り返った。

Cody・Lee(李) - 春(MusicVideo) - YouTube

 

大学生活を振り返る:④九州ひとり旅

 

またひとり旅行の話。大学4年の8月半ばに内定が出てようやく就活が終わった自分は、旅に出ようと思い立ち福岡空港行きの航空券を取った。どうしても行きたい場所があった訳ではなく、当時関西より西に行ったことがなかったため、西日本で行きたい街である長崎、福岡、広島のうち前2つをまとめて行ってしまおう、と考えたからだ。

当時、従兄弟が福岡に住んでいたため一泊くらい泊めてもらえるかも、という魂胆もあった。しかし連絡したところ「いま彼女と同棲してるから無理」と断られた。仕方なく旅先ではビジネスホテルやネットカフェに泊まって移動することに。

9月末、福岡空港に降り立ち旅程がスタート。

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f:id:ngcmw93:20240408221905j:image最初は太宰府天満宮九州国立博物館へ。展示はあまり覚えてないが、建物の外観が独特な形で美しかったのと、天満宮側から長いエスカレーターで接続しているのが素晴らしかった。その後みなとみらいの動く歩道や香港のエスカレーターを経験して気付くが、自分は長いエスカレーターが好きなようだ。空港とかもテンションが上がってしまう。

その日は福岡で一泊、翌日高速バスで長崎へ。

長崎の街は美しかった。海と山に囲まれて、少ない平地に市街地が広がり、路面電車が走っている。路面電車が何とも言えず良い。写真を撮りまくった。


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長崎には2泊した。原爆の資料館、平和公園、二十六聖人殉教跡、グラバー園眼鏡橋、出島など。長崎港から観光船にも乗った。世界遺産となった産業革命遺産も少し見えた気がする。グラバー園ではドラマ『赤い糸』のロケ地だったのでテンションが上がる。中学生だった頃夢中で見ていた思い出深いドラマだ。


f:id:ngcmw93:20240408221353j:image確か長崎滞在中、中日ドラゴンズ山本昌が現役引退を発表してスポーツ新聞はその話題で持ちきりだった。50歳まで現役、しかも一番負荷のかかる先発投手でずっと第一線で投げた最強の選手。自分は読売ジャイアンツのファンなので、2000年代半ばの中日が一番強かった頃によく投げていた山本を「身体がデカい好投手」として覚えていた。自分は就職が決まったが、50歳になる頃まで色々頑張れているだろうか…。山本のスクリューみたいな絶対的な特技は持って無いんだが…なんてことを考えた気がする。


長崎から福岡に戻る高速バスが、この旅最大のハイライトになった。

夕方、長崎市のバスターミナルから乗り、大村PAを通り過ぎたあたり。つまり左手、西側に大村湾が見えたとき、そのあまりの美しさに驚いた。

ちょうど夕日が沈むタイミングで、海の水面に日が反射して、眩しい光を放っていた。陸に囲まれた湾なので湖のように湖面は静かで、周囲の山に囲まれてその水面だけ輝く様は、神々しいほどに綺麗だった。不意打ちで飛び込んできた感動的な光景に、写真を撮ることも忘れて見入ってしまう。やがてバスは佐賀方面へ進み、景色が遠ざかってからも目に焼き付いて忘れられなかった。ずっと余韻に浸れるほどの感動。これだから旅はやめられない。


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f:id:ngcmw93:20240408221050j:imageそれから下関へ行き、自転車で海峡トンネルを渡ったりした。博多の屋台で隣に座った台湾人の男たちと飲んだりした。4泊5日の九州滞在、良い旅行だったと思う。

大学生活を振り返る:③深夜徘徊

 

学生時代は家賃2万4千円という破格の安さのアパートに住んでいた。築45年の酷いボロ家だが大学までの立地は良く、2階の自室は日当たりも良い。洗濯機が共同なこと、よくブレーカーが落ちること以外は特段問題なく快適に暮らしていた。

大学1年の頃は自宅生の友達が講義終わりに寄って遊びに来たり、たくさんの飲み会に参加するなどしてあまり暇をしなかった。他にも自動車教習所に通ったり、外国人留学生のチューターをやったりと割と忙しくしていた。2年になるとみんなバイトを始めたり、彼女ができて友達よりそっちを優先することになり、夜自然と集まって何かする、といった習慣がなくなった。つまり暇になってしまった。こうして夜の時間を持て余すようになった頃、適当な夜の散歩に出ることが多くなった。

夜23時過ぎ、ネットでニコニコ動画を見るのに飽きた頃に行動を開始する。イヤホンをして、100円玉をポケットに入れて外に出る。ルートは特に決めずに無軌道に歩く。アルバム1枚分くらいの小一時間の徘徊。なるべく通ったことのない道を歩きたくて、アパートの隙間とか、民家の裏庭みたいな私道を通ってみたりした。途中、100円で買える自販機を見つけたら炭酸を買う。もしくはセーブオンに寄って39円アイスを買っても良い。大学周辺にはセーブオンがやたら多く、正門、中門、西門、北門それぞれに1店舗ずつあった。今はもうない。セーブオン自体がローソンに買収されてしまった。ビスケット生地のアイスサンドが好きだった。

夜道を歩くと、意外と人がいることに気づく。終電で駅に着き家へ帰る学生、サラリーマン、犬の散歩をする主婦。みんな何を考えて生きてんのかな、とか想像していた。気楽な学生である自分は、特に何も考えず生きていた。明日のバイト面倒だな、とか、次のスタジオまでにあのバンドの曲耳コピしないと、とか、実に小さな心配事しかなかった。大した悩みが無いのが幸せなことであること、あと2,3年後にはそんな余裕は失って、忙しなく生きることになることにもなんとなく気づいていた。

この頃はまだブログを書き始めていなかったので、他にどんなことを考えていたのかわからない。書かないと忘れてしまう。おそらく今の(30歳の)自分からしたらどうでもいいことばかりに興味が向いていたのだろうが、それでも19歳当時の自分からしたらそれは切実な問題だったと思う。世間知らずで、狭い世界に生きていた分、目の前の物事に真剣だった。人間関係とか、恋愛とか、音楽をやることとか。そのことを思い出せなくなるのは悲しい。

ラジオも聴かず、煙草を吸う訳でもなく、ただ音楽を聴きながら夜の学生街をほっつき歩いていた19歳の春。そんなこともあった。

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大学生活を振り返る:②新宿か上野か新潟


大学2年の頃に付き合っていた人は、埼玉に住んでいた。中学の同級生で、彼女は一年浪人したので当時大学1年だった。5月頃から会うようになり、9月頃に付き合い始め、クリスマスイブに別れた。

自分は貧乏な学生だったため、頻繁に会いに行くことはできず、高速バスで月に一回東京へ行き一日会って帰る、ということを繰り返した。会うのは決まって新宿か上野。もしくは新潟。彼女も新潟の出身なので、帰省のタイミングで自分のいる新潟で会うこともあった。

上野は国立博物館上野の森美術館の展示を見て、公園を散策してから食事をするなど何となく行く理由がわかる。しかし何故か地理的に一番楽と思われる池袋ではなく、新宿でよく会っていたのかは今となっては思い出せない。池袋行きの高速バスもあるのに。当時東京の地理に疎かった自分と、上京(といってもギリギリ埼玉)したばかりの彼女のまあ新宿ならなんかあるし暇しないんじゃない?という雑な考えによるものだったと思う。彼女は新潟に帰ってきた際にはこちらのアパートに来るくせに、埼玉の部屋に泊まることを許してくれなかったので、東京で会う時は朝から丸一日一緒に過ごして夜には解散し、自分は夜行バスで帰る流れがお決まりだった。


ある時、彼女の提案で表参道に行くことになり、美術展を観た。何を見たのかは覚えていない。その後喫茶店に入ってしばらく喋ったあと、スパイラルに行った。面白い構造の建物で、中心が吹き抜けになっており、壁沿いにある螺旋状のスロープで上へと登っていく造りになっていた。面白いな、と思いながらぐるぐるとスロープを登っていくのだけれど、4階か5階のあたりで歩いても歩いても同じ景色が続く。常にぼんやりしている自分は3周目くらいでようやく気づき、なんかループしてない?と確認すると、彼女は「してる。さっきから同じ階をぐるぐる回ってる」と言って笑った。

別の日、上野で会った回に浅草へ移動することになり、電車に乗ることになったが何を思ったのか自分は降りる駅を間違え、そのまま改札を出てしまった。駅を出てからようやく間違いに気づき、隣の彼女に謝ると「気づいてたけど面白いから黙って着いてきた」と言う。文面にすると他人を泳がせて観察する悪い人間っぽいがそんな意図もなく、彼女はただ起こることをそのまま受け入れておきたい、という謎の気質があり、何に対しても「なるがままになってみればいい」という考えの不思議な人だった。


別れてから一度だけ成人式で顔を見たか話はしなかった。そこから何年も経ち、お互い社会人になったある日の深夜、急に着信があった。久しぶりにスマホにその名前が表示された瞬間、ああ、結婚するんだなと直感した。インスタだけお互いをフォローしているが、自分も彼女も特に投稿しないので特に近況はわからない。もしかしたら、ストーリーは上げているけれど「親しい人」に自分が入っていないから見れないだけなのかもしれない。ここまで書いて、自分も「親しい人」リストに彼女を入れていない事実に気づいた。もう特に親しくない、大学時代の最初の方で、新宿や上野で時々会った人。

 

大学生活を振り返る:①春の京都ひとり旅

 

なぜ今さら、というタイミングだが、大学生だった頃のエピソードを思い返しながら書く。書かないと忘れるし、書くことで思い出すこともある。

基本暗くて地味な貧乏学生であったが、時々輝かしい思い出もある。楽しい学生生活だった。

 

 

 

 

大学1年の頃は個別指導の塾でアルバイトをしていた。その塾が3月頭に潰れてしまい、大学2年に上がる春休みがまるっと暇になった。そこで旅に出てやろうと思い立ち、新潟発京都行きの夜行バスに乗り込んだ。

朝6時前、京都駅前に到着。ひどく寒かったことを覚えている。京都は盆地で、夏は暑く冬は死ぬほど寒い、という事実を知らない馬鹿な学生だった自分は、薄手の上着しか持っていなかった。ガタガタ震えながら牛丼を食べた気がする。だんだんと明るくなり、朝靄の街に浮かんで見える京都タワーが綺麗だった。雰囲気に浸りたくてくるりの『アンテナ』を聴いた。


そこから伏見稲荷へ行き、無限に続くような鳥居の石段を上がって参拝するなどした。静かな朝の伏見稲荷は幻想的だった。霧が深く、目の前の鳥居しか見えないのに、ある一瞬霧が晴れて神社の全貌が見えた時の美しさ。他にも何箇所か観光した気がするがあまり覚えていない。


夕方、同志社大学に通う友達が泊めてくれると言うので、最寄り駅で待ち合わせてアパートに向かう。確か丹波橋駅のあたりだった。高校時代の話をしながら酒を飲み、寝袋を借りて寝た。1泊のつもりだったのに、翌日も泊まっていけと言われたので甘えさせてもらうことに。昼間は八坂神社とか三十三間堂とか京都大学をほっつき歩き、夜にまた丹波橋に戻る。バイトから戻った友人に断ってシャワーを浴び、半裸で出るとそこには女の子がいた。えっ、と混乱していると友達は急に彼女が来ちゃったんだ…と申し訳なさそうに言ってきた。お邪魔だし出ようか、と言うと大丈夫だから泊まっていけと言われ、何やかんやあって泊まることに。3人でスーパーに夕飯を買いに行ったり、路上でアイスを食べたりした。寝る時はベッドにカップル、自分は床の寝袋と気まずい感じだったがすぐ寝た。


翌日は神戸まで行き、ポートアイランド周辺を歩いた後大阪でもう一泊した。高速バスで帰還。バス泊を入れて3泊5日の強行スケジュールだったがなかなかに満足いく旅行だった。

大学受験の時にひとりで泊まりがけの移動は経験していたが、旅行だけを目的とした純粋な一人旅はこれが最初だったと思う。夜行バスを予約する時のワクワク感や、初めての街で目的地が見つからずドキドキするあの気持ちはもう忘れてしまったが、この頃は確実に感じていた。旅に関する全てが新鮮だった。そして、行こうと思えば割とどこへでも行けるもんだな、と気付けた。これを境に旅の楽しさに気づき、残りの大学生活ではバイトで金を貯め、2,3泊の適当な旅行を繰り返すようになる。

 

『ドキュメント72時間』私的傑作選

 

NHKの『ドキュメント72時間』にはまり、最近毎日2本ずつ見ている。本当に面白い。AmazonプライムNHKオンデマンドに加入して、2ヶ月ほどかけて50本以上観た。アマプラで視聴可能な回は250本ほどあるので全制覇はまだ遠いが、特に面白かった回の個人的ランキング。

 

1位 ep.141「阿蘇・ライダーたちの夏 10年に一度の撮影会」

2位 ep.77「ゲストハウス 1泊3千円のオアシス」

3位 ep.10「オン・ザ・ロード 国道16号の"幸福論"」

4位 ep.54「香港 チョンキンマンションへようこそ」

5位 ep.32「長崎 お盆はド派手に花火屋で」

 

 

●ep.141「阿蘇・ライダーたちの夏 10年に一度の撮影会」

10年に一度、熊本の阿蘇にあるドライブインに、全国からバイク乗りが集まるイベントを取材した回。なんてすごいイベントなんだろうか。実はこの回を観たいがために、NHKオンデマンドに登録した。

ひとりの人間の人生の中で10年間は大きい。前回一人でやってきた青年が、今回は結婚して子供が産まれ、3人で写真に収まっていたりする。

30年前から参加しているおじさんは、ずっと同じバイク、毎回同じジャケットで参加している。1979年の第一回から皆勤賞で参加しているというおじいちゃんもいた。

10年前の前回にたった一回だけこの場で会った、列の前後に並んで知り合った二人の男性が、10年ぶりに再会している感動的なシーンもあった。このシチュエーションがあまりに良くて、書いている小説に少し使えないかな、と考えている。あまりにドラマチックだ。取材スタッフからの「どんな10年でした?」という問いに、参加者はみんな「あっという間でしたね」という。バイクで繋がっている人たちが、毎回同じ場所に集まって人生の中のほんの一瞬交わる。そんな場があることが羨ましい。

一番印象的だったのが、一昨年、大動脈解離で死にかけた46歳の方が言った「写真集ができれば、この時ここにいたって証拠になる。このときまだ生きてたって。そんな感じで参加してます」という台詞だ。

駐車場の出口から帰路に着くライダーたちを、スタッフたちは全力で手を振り送り出す。この取材は2019年のもので、次回は2029年とのこと。これからの10年で、みんなそれぞれの人生を生きて、また一瞬だけ集まって、そんなことを考えるとなんだか切なくなる。大きな人間のサイクルとか、生きることとか、そんなことに思いを馳せてしまい、敬虔な気持ちになった。何故か昔の『彼女が死んじゃった。』というドラマのことを思い出した。人の一生は短く、その中でも人と人が出会い、楽しい時間を共有する時間は本当に短いけれど、ある時にはそれが永遠になる。

 

 

●ep.32「長崎 お盆はド派手に花火屋で」

この風習は知らなかった。長崎では、家族が亡くなると初盆に爆竹と花火を大量に用意して、お墓や街中で鳴らしまくって派手に送り出すらしい。なんて楽しい葬式だろうか。長崎の花火屋に8月13日から16日まで密着する回。みんな数万円の爆竹を書い、箱ごと点火してとんでもない破裂音をさせている。40万円分の爆竹を買うイケオジが万札を見せながら「破裂して、消えてなくなるお金です」と言っていた。

番組後半、「佐田家」という巨大な看板を掲げた精霊船を取材していると、主がさだまさしの弟であることが判明する。母が90歳で亡くなり、その初盆らしい。その人が言った「長崎人は、亡くなった時とお盆で二回お別れできるんでね、幸せですよね」と語っていたのが良かった。

8月15日の午後5時から、長崎のそこらじゅうで爆竹が鳴りがじめる。精霊船が街を練り歩き、この1年で亡くなった人を送る。老人の写真を掲げた船が多いが、中には若い人もいる。とても小さな、犬の写真がついた船もあった。

この街の人間は自分が長崎人であることに強い誇りを持っているらしい。番組中「長崎人だから」「長崎の男と結婚したら最後はこうなる」「東京の人にはわからないだろう」と言った台詞を何度も聞く。

人が死んで、いなくなるということについて考えさせられた。あとこの回は仲里依紗のナレーションなのだが、自然ですごく良かった。アニメ版『時をかける少女』の女子高生役の声が好きだったけど、ナレーションの役割の声もとても良かった。柔らかくて、真面目なトーンでも朗らかな感じがする。

 

 

何故ドキュメンタリー鑑賞にハマったのか。1月頃に『ドキュメント』というタイトルで掌編小説を書いた。いかれた小説家に密着取材する男の話なんだけれど、ストーリーを思いついたものの熱心にドキュメンタリーを観たことがないため描写出来なかった。唯一ちゃんと観たことがあるのが『プロフェッショナル』の庵野秀明の回、というひどい状態だったため、これを機にちゃんと観るか…とオンデマンドに加入した。観て正解だったと思う。『ドキュメント72時間』は人ではなく場所にフォーカスするので、登場するのは一般の人々だ。伝記が出たり、wikipediaのページが作られたりすることはない、普通の人々の話。それがなんとも心地良かった。

2022年に自分が読んだ本の中のベスト、髙村薫の『レディ・ジョーカー』が面白く、読んでる最中に絶対元ネタがあるんだろうな、と感じた(グリコ・森永事件だった)。他にも『果てしなき渇き』を読んだときも「きっとあの事件から着想してるな」とか気づくことがあり、事実を下敷きにしたノンフィクションの説得力について考えていた。ゴールデンカムイとか、キングダムとか、大河ドラマなんか全部そうだけれど、史実にある程度沿っていて、それぞれの歴史上の出来事で「あったかもしれない」事件を描くことの面白さや説得力に惹かれる。創作みたいなドラマチックな現実はそこらじゅうにある。ドキュメンタリーを観まくることで、そういったネタを蓄積したい。

あと、単純に世の中には本当に様々な人間がいて、全ての人間が事情を抱えて生きている、ことを知れたのは、どんな物語であっても「もしかしたら起こり得るかもしれない」と自信を持って書き切ることに繋がる。どんな物語も嘘とは言い切れない。事情は複雑なのだ。

1本あたり30分の尺で、1回ごとの撮影スタッフも少数のようなので、制作陣も割と自由に作っている感じが良い。Twitter上で有名な「レンタルなんもしない人」の回とかあるけれど、きっと職員が「あの人に密着したい」って思いついたアイデアが通っただけな気がする。そういう個人の関心から、一人の人生の3日間の出来事が記録されるのだから面白い。NHKのドキュメンタリーは本当に質が高い。取材対象も撮り方も、流石だよなと毎回思う。『ファミリーヒストリー』も本当に面白い。ドキュメンタリーよりバラエティーに落とし込んでいるが『ねほりん ぱほりん』も気に入ってからよく観る。あとは「新 プロジェクトX」がとても楽しみだ。

 

晴天の価値

f:id:ngcmw93:20240218115733j:image2月中旬に出張で千葉へ行った。5日間の滞在中はずっと快晴で、気温は20℃に迫る春のような暖かさだった。仕事は朝から晩まで現場を走り回る過酷なもので、身体的にも精神的にも追い込まれた。毎朝、京葉線から見える美しい景色を眺めて正気を保っていた。太平洋へ燦々と日が注ぐ様子や、電車と並行して走る高速道路、倉庫や工場ばかりの街並みはとても眩しく見える。どういう訳か整然とした区画の街を見ると癒される。団地や港の倉庫が立ち並ぶ京葉線沿いの風景はなんとも言えず良いものだった。

 

30年近く新潟に住んでいるため、冬は常に天気が悪いことに慣れてしまっている。晴天の空をみることなんて稀だし、だから雲ひとつない突き抜けた快晴の日は本当に気分が良い。仕事も捗るし一日中機嫌良く過ごせる。

時々関東に出張に出るたびに快晴で、毎度その気分を味わえる。以前小豆島へ旅行に行った時も海と空が感動するほど青かった。長野の松本市とかも行くたびに晴天率が高い。毎日この天気の中で暮らせたらどれほど良いだろう。というか、ずっと新潟で暮らしているせいで、無自覚のうちに天気でどれだけ損しているのだろう。


自分は他の県に転勤する機会はまず無いし、このまま仕事を続ける限り冬の長いこの街で暮らすのだと思う。今更転職する気もないし、この街が嫌いな訳ではないので。ただ定年を迎えたタイミングとかで、別の街に移住することは考えてもいいかもしれない。太平洋側の田舎とか、瀬戸内海の島とかで、猫でも構いながらのんびり老後を過ごしたい。


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