ライ麦畑でつかまえて 感想
ライ麦畑でつかまえての感想をスマホのメモ帳に書き留めてあったのですが、せっかくなので公開してみたいと思います。
自分用のメモなので読みづらいかもしれませんが、楽しんでいただければ幸いです。
ライ麦畑でつかまえて 感想
ホールデンは何か「本当のこと」や「大切なもの」を守ろうとしている男の子。
芝居が嫌いで、多くの人がそうだと信じて済ませているたくさんのことを信じられない。自分で真実だと思うものだけが真実で、他のものは全部嘘になるし、徹底的にどうでもよくなってしまう。
すごく純粋だけど、生きにくいだろうな。私は仲良くできないだろうなと思う。自分の大切なものしか大事にできないんだろうな。他人の大切なものは踏みにじってしまう。自分の大切なものや価値観がが傷つけられたら、手を挙げたり暴言を吐いたりする。
その上、周りの人達はその嘘の世界で生きているということをホールデンはよく理解していて、方便も上手に使う。心底嘘だと思って軽蔑しながら。
自分の理想を守りたいんだということを、ホールデンは自覚していない。それに、本当にそれらを守る力は持っていないし、そのための努力もしていない。ただ理想を追いかけるだけの子供だから。理想通りにならないと、駄々をこねる子供だから。
アントリーニ先生の言葉がとっても良かった。ホールデンの"理想"を"きわめて愚劣なもの"と言い切ったこと。
自分の価値観でしか生きられないのは私もそう。自分と重ねちゃったなぁ。自分の信じる真実で、相手を論破しようとしてしまったりするから。結局、私も私の望みを叶えられない。私も同じ穴の狢だ。
この小説が天気の子で出てくるの、なんか分かる。大切なもののためになりふり構ってない部分が掠ってる。
フィービーにお金を貰った時や、最後メリーゴーランドに乗るフィービーを見守っている時に泣いていたのは、フィービーだけが自分を必要としてくれたからかな。自分の帰る場所を見つけたからかな。自分の理想ばかり追い求めて根無し草で、孤独に堕ちていこうとしていたから。
結局最後に繋ぎ止めてくれたのは、アントリーニ先生みたいな否定しようのない正論ではなく、フィービーの愛だった。……こうまとめちゃうと、陳腐な感じがしちゃうけど。理由は無くても、最後まで相手を必要とし続けることは、愛だと思う。
私と「二十九歳」その3~視点の変化編~
マイペースに続けていきます。
前回の続きです。
今回は次の5曲の解釈をしていきますね。
⑦The Cut
この「Cut」は「切る」という意味です。私は、映画監督がシーンの終わりに叫ぶ「カーット!」のイメージが強いです。
そして私は、ここまでの6曲がそれぞれ映画のシーンのようになっていて、カットがかかって収録が終わる=現実世界に戻るような構造になっていると解釈しました。
とはいえ、細かい解釈は置いておくにしても、とにかくこの曲はカッコイイので!!!PVもカッコイイ!!!
そう、君の目で見つめな すべてを
そう、君の目で見いだしな すべてを
Let's cut! (cut!) Up! (Up!) Chop! Flip! Slice!
この世界の正体は僕らのeyes
この世界のすべては、人々の主観の集合体だという見方です。たしかに~~
上下で二つの映像が流れていますが、それぞれ視点が違うだけで同じスタジオの映像なんですよね。視点の違いで見える世界が違うっていう、歌にリンクしためちゃカッコエエ~~~~PVです。
⑧ERAい人
カットがかかって、この曲はシーンの外にいるオーディエンスの視点です。
The Cutにも出てきた「ERAい」というのは「ERA=時代」のもじりですね。
で、この曲はとっても短くてとってもウルサイ、ギャーギャーした曲になっています。
これはちょっと批判的な意味合いもあるんじゃないかと思っていて……当時のインタビュー記事でこいちゃんが「それなりのBPMで4つ打ち」の曲から脱却したいって言ってるんですよね。
今のギターロックシーンでは“それなりのBPMで四つ打ち”っていうスタイルが主流なんです。(中略)今ではフェスで騒ぐためのツールみたいになってきた。(中略)でも僕、もういいかなって思ってるとこがあって。お客さんが“それなりのBPMで四つ打ち”みたいな曲を求めてても、僕たちは自分の思うカッコいいギターロックを追求するべきだと思ったんですよ。
Base Ball Bear「二十九歳」インタビュー - 音楽ナタリー 特集・インタビュー
そして歌詞を見ると、同調圧力の権化みたいな曲になっている(笑)
ERAい”僕たち”は 同じ人になりたくて
ERAい”僕たち”は 同じ人を敵にして
ERAい”僕たち”は 同じ流れに乗りたくて
ERAい”僕たち”は ERAいと疑わなくて
で、この「僕たち」って誰なんでしょうね。
スマホを買ってほしい小さな子供が、友達の数人だけを挙げて「”みんな”持ってるもん!」って主張するような。
⑨方舟
カットがかかって、この曲は「ERAい人」とは反対側にいる人、恐らくこいちゃん自身の視点だと思います。
「ERAい人」とは対照的に、静かでゆったりとした短い曲です。
ここまでの曲を振り返りながら、一人で漂う様を描いています。
ゆらゆら漂う
波と波の隙間でひとり
舟を漕ぐ
行き交う数多の
豪華客船や
幽霊船や
泥船や
豪華客船はファンファーレがきこえる、幽霊船はGHOST TOWN、泥船はERAい人かなぁ……と思っています。どうだろう、微妙だな。
下の歌詞がとっても共感できて、好きです。
僕以外間違いか
僕が間違いか
気にしたり 気にしたり
くり返して
勘違い場違いすれ違いを
気にしたり 気にしたり
くり返して
⑩The End
方舟で漂って辿り着いた先がここだった、という解釈です。
この曲もここまでの曲を振り返っています。
幽霊の町や
戦った日々のことを
とはいえ、この曲も、そのまま聴いただけで良い曲ですよね。
終わりはそう、終わりじゃない
緞帳の奥は暗闇じゃない
エンドロールは走馬灯じゃない
物語に終わりなんてものはない
「めでたしめでたし」じゃない
僕の生活は終わらない
そして、ラスサビはもう少し以下のように続くのですが、この部分がこの後の曲をこいちゃん視点の曲であるとして定義づけているように思います。
終わりはそう、終わりじゃない
ラストシーンはスタートラインでしかない
「昔々の話」じゃない
僕の人生は つづくつづく
⑪スクランブル
この曲は「アンビバレントダンサー」みたいな感じですよね。
改めて両極端な世界観を定義づけて、自分の視点はその真ん中にあると定義づけている。
まじわる光と影
僕は真ん中を行って
かさなる光と影
その向こうにある普通を感じたい
「The End」と「スクランブル」で定義づけた上で、残りの5曲に続いていきます。
*その3まとめ
今回が一番ややこしいところだったと思うので、図を見て改めてご理解いただけたらと思っています・・・!
本当に、最後まで読んでいただいてありがとうございます。
次回で最終回です。こいちゃん視点のラスト5曲、語っていきますよ~~!!!
私と「二十九歳」 その2~さらっと曲編~
前回のつづきです。
今回は、前回書かなかった黒字の4曲についてさら~っと書いていきます。
今回の4曲は解釈しなくても「そのまま聴けばいい」感じだな~と思っています。
- ③ファンファーレがきこえる
- ④Ghost Town
- ⑤yellow
- ⑥そんなに好きじゃなかった
- *その2 まとめ
では、いきましょう。
③ファンファーレがきこえる
これは本当にそのまま聴いただけで、良い曲ですよね~。
現実化希望!!!!!!!!!!!!
「!」の数が合ってないと思いますが、この曲はこれに尽きます。
10曲目の「The End」と併せて、私はTOKOTOKOさんの「ハッピーエンドのイントロが聴こえる」を連想しています。
西沢さんはいいぞ。(BBBの記事なのにすみません)
④Ghost Town
私は、3曲目の「ファンファーレ」とこの曲が対になると思ったんですが、「二十九歳」のCDに付属している歌詞カードを見ると、「Ghost Town」と「yellow」が対になって歌詞が書かれているんですよね……。
ファンファーレが「現実化希望」なのに対して、「Ghost Town」は夢を現実化できなくて”幽霊”になってしまう、という対比になっています。
この曲で言う”幽霊”とは、「死んだように生きている人」のことだと解釈しています。
美容師を目指したあいつも
モデルになりたかったあの子も
医者を志した彼も
みんなみんな幽霊になった
最後の歌詞もいいですよね。怖くて。
ここじゃないどこかへ逃げ出そうぜ
僕がまだ僕でいるうちに
ここじゃないどこかってどこだい?
Run Run Run…
「Run」には、「走る」以外にも「逃げる」という意味があります。
「ここじゃないどこか」を考えるよりも、「ここ」がどこなのかを考えるとゾッとします。
⑤yellow
はじめて聴いた時は、かっこいいけど何だかよく分からない曲でした。
アイドルとフライデー(パパラッチ)の曲なのかな?と思っていました。僕が君を守る、みたいな感じで二人の関係が濃密そうに聞こえて、恋愛の曲かなぁ…と思っていました。
今は何となく、「君」と「僕」は一人の人間の中にある「光」と「影」のモチーフなのかなぁ…と思ったりしています。この仮定を基に解釈してみましょう。
「Yes or No?」の
『No』の方の
『ノ』を
言ったかそれか言ってないかの
その瞬間に夜が 君の色
夜が「君」の色になったということは、「光」が入って夜が明けたという情景に置き換えることが出来ます。
非常にElectricな月が照らす都市はyellow
その瞬間に僕は
君の色
「僕」が「君の色」になったということは、自分の中の「影」の部分に「光」を当てたということでしょうか。自分の中の「影」の部分を、音楽や言葉で表現して「光」に当てる…という感じです。
なんだか、"ye"llowって、”yes”の言いかけみたいですよね。
⑥そんなに好きじゃなかった
恋愛(というより「君」と「僕」)をモチーフにした曲という点で「yellow」と対になる曲だと思っています。
「yellow」が「一人の人格内の君と僕」と読み取れるくらい密接な関係だったのに対して、「そんなに好きじゃなかった」は密接……だと思ってたのに違った!ガーン!って感じの曲ですよね。笑
キャッチ―な良い曲なので、とりあえず聴いてください。
「yellow」が君と僕の重なりを描いた曲なら、「そんなに好きじゃなかった」は、君と僕のすれ違いを描いた曲です。
でも、「yellow」も光と影はどれだけ近づいても重なることは無いから、実はyellowもすれ違いの曲だという……。
やっぱり「そんなに好きじゃなかった」と「yellow」が対だとなぁ~~と思っちゃいますよ、こいちゃん。
*その2 まとめ
今回の4曲は「その1~構造編~」で解釈した構造に当てはめるような形で解釈することができました。
(「yellow」と「そんなに好きじゃなかった」は左右に配置しましたが、右と左は方向が違うというだけで、それ以上の意味はありません。)
次回は、「The Cut」「ERAい人」「方舟」の解釈をしていきます。
もしコメントがあったら、マシュマロの方へお気軽にどうぞ!
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私と「二十九歳」 その1~構造編~
こんばんは。
早速ですが、前回の記事の続きです。
Base Ball Bear「二十九歳」についてお話ししたいと思います。
2014年の今日がリリース日だったんですね!!勢いで書いてよかった。笑
- ⓪図解
- ➀何才
- ②アンビバレントダンサー
- *その1まとめ
まずは何でもいいので、一曲でもいいから聴いてくれぇ~~!!!
どの曲もまず音楽がとっても良いので!!!
ではでは・・・解釈していきますね。
⓪図解
私がこのアルバムを解釈すると、下図のようになります。
今回の記事は解釈をメインに、時折鑑賞も混ぜて私の視点から「二十九歳」というアルバムについて語り尽くせたらいいなぁ~!!と思っております。
・・・熱量スゴイよ。
では、いきましょう。
➀何才
年齢の意味もあるけど、「才能」や「才覚」の「才」でもあるんですよね。
アルバムタイトルは「歳」なのに、ここで「才」を使っているのには意味があると思います。そこで、「才」という字は、新漢語林によると以下に解字されます。
川のはんらんをせきとめるために建てられた良質の木の象形で、もともと備わっているもちまえの意味を表す。
だから、「何を持ってるの?(=どんな人なの?)」というタイトルなのかなと思います。
澱みからメロンソーダまで翔け抜けたい
というのは、「(世の中を)上から下まで全て見尽くしたい」という意味だと思います。
理屈でも魔法でもなく、自分の目で全て見尽くして歌にするぞ!という、こいちゃんからのメッセージ・宣言にあたる曲だと解釈しました。
②アンビバレントダンサー
ambivalentとは、ジーニアス英和辞典によると以下の意味だそうです。
どちらとも決めかねる,相反する(矛盾する)感情を同時に持つ,アンビバレントな,両面価値的な
そのまんまですが、「誰しも両面があるよね」という歌だと解釈しました。
嘘だけどTruth 本当だけどFalsehood
嫌いだけどMiss you 好きだけどHate you
大体すべてTruth 大体すべてFalsehood
そして「全てを見尽くす」と宣言したこいちゃんは「踊れ(=自分の身体を動かせ=行動しろ)」って言ってるんですよね。
ずっとアンビバレンス どちらとも言えるけど
明日が一体どこへ向かおうが
君のままで踊れ
私は、今でもついつい「0・100思考」をしてしまいます。良いか悪いか。完全か不完全か。物事の両面・外側しか見ることができなくて。
その原因は虐めを受けた過去にあり、「自分は嫌われる人間だ」と自分を「0」にカテゴライズするという思考法をしていました。「0」のような虐めの辛い経験と「100」のような音楽や友達との楽しい経験を経た私は、まさに「敵味方敵味方のミルフィーユ」状態でした。
でも、みんなその間で揺れ動いていて、それが普通なんですよね。本当は、私も揺れ動いているし…。ここ十年くらいで、やっとそのことが分かりかけて来ました。
初めからすんなり理解出来て、この曲を聴いて「当たり前じゃん。何がおもしろいの?」って言える人がいたら、とっても羨ましいです・・・・・・。笑
*その1まとめ
このアルバムは「何才」と「アンビバレントダンサー」の2曲が骨格のような役割を果たしています。「何才」が「上下」、「アンビバレントダンサー」が「右左」のような感じです。
ここの骨格にそれぞれの曲が配置されていて、さらにそれを「他者の視点(=ERAい人)」と「客観視(=The Cut・The End)」から見て歌っている。
そこにさらに「自分の視点(青色の5曲)」を歌いこんでいる。
・・・という構造かなと解釈しています。
このまとめを書いちゃってもう満足した感じもありますが、次回は骨格内の曲について書いていけたらいいな…。
構造編はしっかり書きましたが、この後はもう少しラフに短く書ける予定です。予定。
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私とBase Ball Bear
Base Ball Bearというバンドが好きです。
かつては4人バンドだったのですが、2016年にメンバーの湯浅くんが脱退し、現在は3人で活動しています。
私がBase Ball Bearを知ったのは高校3年生のころ。
小学生の頃からの幼馴染と、当時のクラスメイトの両方から勧められて、CDを貸してもらいました。「新呼吸」と「バンドBのベスト」でした。
初めて聞いた時は「ねっとりとした歌い方だなぁ~」と思って、あんまり好きになれませんでした。実は。笑
でも、当時は受験勉強真っ只中だったので、勉強のBGMによく聞いていました。
そして受験が終わった春、同級生に誘われて「Base Ball Tour 「光蘚」」に参加しました。チケット代を用意してくれただけでなく、ライブタオルまでプレゼントしてくれて。
「光蘚」という曲をテーマにしたライブで、独特の霧がかった風景が今でも脳裏にあります。
それからも、何となく「新呼吸」と「バンドBのベスト」をBGMのように聴いていたのですが、そんな折に「二十九歳」というアルバムが出されまして。
このアルバムがもう、聴けば聴くほどいいアルバムで!!
大学に入って、今まで知らなかったことをたくさん知って、悪く言えば頭でっかちになっていた私にもぴったりハマッたというか……。
このブログの「私」カテゴリーにも大いに影響を与えています。なんなら、「日々とおまじない」というタイトルも、小出さん……こいちゃんの影響を強く受けましたし。
今(2022.06)の私はというと、紆余曲折を経て、ようやく「C3」や「DIARY KEY」も聴くことが出来そうな感じです。昨日ポチッたので明日届く予定。
その「紆余曲折」の部分も踏まえながら、「二十九歳」・「C2」・「光源」・「ポラリス」「C3」「DIARY KEY」について、私の目線で書けたらなと思い、カテゴリー〈Base Ball Bear〉を創設しました。
拙い解釈で恐縮ですが、私の聴いたBase Ball Bearの楽曲を紹介していきたいと思っています。
まとめ
私は、小学生の頃にいじめられた経験から、いわゆる「スクールカースト」の一番下に自分を位置付けていました。
私は嫌われる人間なんだと思い込んでいました。自分のダメなところばかりに目が行って。
嫌われるから人と接しない方がいい。
誰とも触れ合えないから楽しくない。
楽しくないけど、教室には行かなきゃいけない。
そんな風に自分を最底辺に位置付けて、居場所のない教室では死んだような顔をしていました。いつも不安だった。
それでも、ブラスバンド部、オーケストラ部、吹奏楽部、吹奏楽サークルで続けてきた音楽は心底楽しかった。夢中になって取り組みました。中学の合唱コンクールも。「私は音楽が出来るから認めてもらえる」という息の仕方を覚えました。
そして、「怖くない、大丈夫」のおまじないを唱えながら、新たな居場所もつくることができた。
そして、音楽を通じて学んだことは、「ダメでもいい」ということで。
上手く吹けなくたって、いい。悔しいけど。
よくできた団長じゃなくても、いい。悔しいけど。
それでも必要としてくれる人だっていたから。
音楽を通じて出会った人たちと、たくさんの楽しい思い出を作って、たくさんの人から手紙をもらって、やっと自分を認められるようになりました。
「自分=ダメ・嫌われる・最低」のラベルが、やっと剥がれてくれたのです。
そのラベルが剥がれたら、世界を見る目が変わりました。大袈裟ではなく。
自分を最底辺に位置付けて、周りを敵・味方で区別をしないと生きていけないほど弱かった私が、がむしゃらにがんばるうちに、敵味方の区別をしなくても良くなったのです。
みんな良いところもあって悪いところもあるという、当り前のことに目を向けられるようになったのです。一人の人間を善悪でカテゴライズなど出来ないということに、気づいたのです。
今思えば私は、善悪・美醜・正誤などの様々な物差しを、「好き嫌い」で一緒くたにしていました。
善い人だから好かれる。悪い人は嫌われる。
美しい人だから好かれる。醜い人は嫌われる。
正しい人は好かれる。間違った人は嫌われる。
私は「嫌われる人間」だから、悪くて、醜くて、間違っている。
そんな滅茶苦茶な物差しの当て方をしていました。
人間誰しも間違いはある。
醜くても好かれる人はいくらでもいる。
いつでも善い人でなんかいられない。
私も、同じだ。
多様な物差しの当て方があることに気づいたのです。
そうやって、私は自己否定のループからどうにか抜け出すことができたのです。
最後に。
私はようやく自己否定のループから抜け出すことが出来ました。
いじめを受けはじめた5歳の頃からループにハマって、小中とさらに集団無視を受けて、大学生の22歳になってやっと抜け出せました。長い闘いでした。
いじめられさえしなければ、こんな闘いをしなくてよかったのかもしれない。
こんな経験をしたから辛い人のことも分かるかもしれないけれど、やっぱりループから抜け出しても辛いものは辛いのです。今もうっかりそのループに戻ってしまいそうな時がある。
だから、いじめなんて絶対に反対だし、あの頃私の事をいじめたという事実は消えないし、そのこと自体を許すつもりもありません。
だけど、いつまでも怨み呪い続けられるほど、私はエネルギッシュではありません。幸い、どうにか救われましたし。
なので、許しはしないけれど、もうその人たちのことを積極的に呪おうとは思いません。
私は、そんな呪いではなく、日々を健やかに生きる「お呪い」を覚えたので。
「怖くない、大丈夫」のお呪いは、もう唱えなくても大丈夫なほど、今の私のことを生かしてくれています。
だから、大丈夫。
「私」おわり。
ありがとう
5年ぶりの更新になってしまいました。
仕事に忙殺されて全く書くことが出来ませんでした。
「それでも書く」というサブタイトルにしといて本当によかった。続きを書きますね。
~~~~~~~~~~
がむしゃらに活動するうちに、サークル生活最後の定期演奏会がやってきました。
この定期演奏会で、3年生は引退することになります。
一生懸命準備して、一回だけ団長として団に喝を入れることもありました。
この「喝を入れる」だとか「叱る」ということは、相手への信頼が無いとできないことなのだと学びました。信頼関係が無いと、「これを言って嫌われたらどうしよう」という不安が募ってしまうから。
私は、この団の事をとても信頼していました。
夢のように楽しい定期演奏会でした。
私は、演奏会には魔法がかかると思っています。
ただサークルの練習室で合奏したり、ホールでリハーサルをするのとは違う、特別な魔法。ライトが当たって、全力でパフォーマンスをして、お客さんがいて、拍手が鳴り響くこの魔法は、なかなか得難い魔法です。
本当に、楽しくて楽しくて仕方ない、刹那の三時間でした。
定期演奏会が終わった後、団のみんなにお手紙を配りました。
私も、たくさんのお手紙をもらいました。
団長の仕事というのはあまりはっきりと決まっていなくて、「何かあった時に責任を取る」というものです。私は、自分ではあまり団のために働いた自覚はありませんでした。
ただ、この吹奏楽団の団員として、日々楽しくすごしただけで。もっと私の頭が回ったらできることはたくさんあったかもしれないけど、細やかな事しかできなかった。感謝されるようなことはしていないと思っていました。
それでも、たくさんの感謝の手紙を貰いました。身に余る光栄だと思いました。
その中で、副団長からもらった手紙に、こう書いてありました。
にには、「私がしっかりしなきゃ」とか「私なんかダメダメだ…」とか「もっとがんばらなきゃ…」って自分でも気づかない内に追い詰めてたりしたかもしれないけど、ににはとっても素敵な団長さんでした♡みんなのために頑張ってくれてありがとう。最後までやり遂げてくれてありがとう。団を好きでいてくれてありがとう。
私は、上に立つ人に必要なのはカリスマ性でも頭脳でもなくて、どれだけその団体が好きか、だと思うよ。ににが団のこと大好きでいてくれたから、みんなもににについてきてくれたんだと思うよ。
これを読んで、ボロボロ泣いてしまいました。
自分のこと、何にもできなかった団長だと思っていました。
でも、それでもいいと言葉を尽くしてくれた。一番近い役職の子が。
ダメでもいい。好きでいてくれたから。
私の出来なかった部分もそのまま受け止めながら、それでもいいよと言ってくれた。
本当に良い副団長に恵まれたなと思ったし、心が救われる思いでボロボロ泣きました。
定期演奏会が終わった翌々日の反省会。
演奏会の感想用紙には、たくさんの「素晴らしかった」というコメントが綴られていました。
その後、引退する3年生が一人ずつ「ありがとう」や「悔しかった」などのコメントを発表して、団長の私が最後の番でした。
その場を借りて私の事を話しました。私の「ありがとう」を伝えるために。
自分が嫌いだったこと。他人が怖かったこと。はじめは団に居場所をつくるためにたくさんの勇気が必要だったこと。みんなの音楽が救ってくれたこと。もう他人が怖くなくなったこと。みんなのお陰で、自分のことが好きになれそうなこと。
全部話しました。温かい拍手で応えてくれました。
大変ありがたい時間でした。