ニコニコ通り

漫画、木版画、イラストなどなど、製作中。

2024年1月号

ニュー・エキサイト・オンナ・バンド、CHAIが解散したのは、今年3月のこと。

国内外で評価が高くて、バンドとして順調に見えたからこそ、ちょっとびっくりしたし、残念にも思ったけど、そういう良い時にスパッと辞められる、と言うのもある意味CHAIの強みというか、かっこよさなんだよな。

メンバーそれぞれのやりたい事をやるためにっていう理由もまた、CHAIらしい。

 

だからこそ、2023年の11月、ブリュッセルにて最初で最後のライブが観れたこと、本当によかったなぁ!

本当に本当に楽しかったし、ずっとハッピーな気持ちで踊らせてくれたCHAIへの感謝の気持ちで、胸がいっぱいになりました。

こういう経験、久しくしていなかったことも思い出した。

そんな素敵な思い出をもとに描いた4コマ漫画がこちらです。

好きな人、尊敬する人を目の前にすると、緊張して泣いちゃう42歳が私です。

昔からこういう状況には弱くて、すぐ泣きそうになるんだけど、何歳になっても変わんないなって思いました。

物販に来てくれたマナさんとユウキさん、優しかったな。

写真も一緒に撮ったけど、まじ涙顔で恥ずかしすぎるので、見せられません。

NEO KAWAIIって概念は、つまり「ありのままの自分を愛せ」ってことだと思ってて、コンプレックスも年齢も受け入れていくために必要なマインドだけど、だからと言って全部を晒せるわけではないし、自分を恥ずかしいとかみっともないと思う気持ちは消えない。

最近、自分の顔に老いを感じてて、これをそのまま愛せるのか疑問だけど、「そのまま」を愛さなくてもいいのか、とも思う。これに抗ってフェイスケアに力を入れてみたり、メイクやファッションで誤魔化したりってことも、ありのままの自分だし、そんな自分もいいじゃんってことだと思う。

コンプレックスを愛せってのは、コンプレックスなんて感じなくてもいいんだよっていうよりは、コンプレックスを感じてバタついてる自分も丸ごと含めて愛せってことなんじゃないでしょうか。そしたらいつか、自己肯定感がコンプレックスを追い越して、自由になれる=CHAIってことでいいですか?

 

なんだかんだで、ルッキズムを最高にポップに、クールに可愛くぶち壊してきたCHAIは偉業だよ。

ありがとう、CHAI!これからも応援しています!

 

 

2023年12月号

2023年に掲げた目標の一つは、「天ぷらを再開する」でした。

そして本当に滑り込みセーフの、クリスマス2週間前に、なんとか目標達成!

でも実はこれ、2023年に初めて掲げた目標ではなく、2021年からすでに目標としていたこと。

コロナ禍が落ち着いてからも、人手不足やらなんやらで延期に延期を重ねた悲願でもあり、今年こそ達成しないと、天ぷらやるやる詐欺としてスタッフの信用を失いそうだったので笑、もはや責務。

そんな天ぷら再開への軌跡を描いた4コマ漫画でした。

そして現在、天ぷら再開して早3ヶ月。

クオリティも徐々に安定してきていて、フォーメーションも固まりつつあり、わりと順調と言えるだろう。

なんならもっと天ぷらや天丼のオーダーが増え、大パニックになるかと思ったけど、今まで通りうどん単品しか頼まないお客さんが意外にも多い。そのおかげでオーダーごとにいつも揚げたての天ぷらを提供できるし、前に天ぷらやってた時みたく1時間くらい待たせる、なんてこともなくなった。ちょっと拍子抜けしたくらいだ。

日本だと、うどんに天ぷらってのは超定番だけど、ノビコの一番人気のメニューは坦々うどん。天ぷらを再開したところでその順位が変わることもなく、それだけノビコのうどんメニューがこの5年間でお客さんに浸透したんだなぁと。

それでも天ぷらを再開したかったのは、自分たちが作りたかったお店を作るため、仕事を楽しむため、というのが一番の理由だけど、天ぷらを再開することでもっと稼ぎたいというのも大事な理由。

もっと稼がないといけない理由は大きく2つあって。

2024年からレストランが支払う税金が7%から19%に戻る、というのが一つ。ここ数年はコロナ禍とインフレの影響で7%に下げてくれていたのに、急に倍以上って。この差はでかい。そしてもう一つは、最低時給がさらに上がったこと。2024年から12ユーロが12,4ユーロになって、今年中に13ユーロになる可能性大。嬉しいことではあるけど、もちろんお店としては準備をしておかないと。

そんなこんなで、うちも含め多くのレストランが値上げせざるを得なくなったけど、値上げだけするより、天ぷらを武器にもっとお客さんが増えたり、選択肢が増えてもっと楽しめた方が、お店もお客さんもお互いにとって良い。

このタイミングで天ぷらを再開したのは、ノビコ存続にとっても大事な転機だったのです。

さらに言えば、天ぷらを再開してからお店はもっと忙しくなり、スタッフへの負担は増え仕事もハードになった。忙しいのは嬉しいことだけど、人手を増やさないとスタッフが耐えられないかも、という心配もあって。なんなら私も仕事の疲れが蓄積しまくっていて、しんどい。つまり、私たちはもっとお金が必要なのだ。持続可能な働き方をするために。

 

たかが天ぷらを再開したくらいで大袈裟な。

と思われるかもだけど、裏では色んな狙いや計画や心配事があるってことを、周囲からは理解してもらえない事って多いと思う。

やってみないとわからない、内側の話。派手でもなくドラマチックでもない試行錯誤。

どんな小さな業種でもそういうことってありますよね。

それをオープンに話すのは野暮かもしれないし、聞きたいかどうかもわからないけど。

私自身はそういうの聞くのも好きだし、みんな色々悩んで考えてやってんだな〜って思うと、なんか愛おしさが増すんですよね。みんな、がんばってるな〜って。

 

そんな期待を背負った新人、ノビコの天丼と天ぷら盛り合わせがこちら!

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この子たちが、狙い通り私たちの救世主になるために、看板メニューの一つとして輝けるように、愛情もって育てていこうと思います!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年11月号

もしも、年金暮らしのおばあちゃんになるまで生きることが出来たら。

私のイメージの中のおばあちゃんは、色んな漬物を仕込んでいて、お昼ご飯にいつもお粥さんと数種の自家製の漬物を食べている。色んなスタイルの漬物や保存食を作るのが日常の楽しみで、その中でも長年続けているぬか漬けは、おばあちゃんの生活に欠かせない特別なお供。

なのでぬか漬けと共に生きることを、今のうちからトレーニングしておかねば!

私もいよいよ中年おばちゃんなんでね!

 

てことで、ドイツでもなんとかぬか漬け続けているのですよ。

ぬか漬けはお父さんがいつも漬けていて、昔から好きだったので、日本に居る時から自分でも挑戦していて。

実家で精米した時に出る糠が無限に使えたのが最高だったんだけど、ドイツでは日系スーパーでちょっと割高な糠を買うしかない。それが少し嫌だったのだけど、漬物ばあちゃんへの夢のためにはいた仕方ない。

懐かしいぬか漬けの味をドイツでも楽しめるなんて、また一つQOLが向上したぜ!と最初は喜んでおった。

しかし、理想のおばあちゃんになるためには、まだまだ修行が足りないようです。。。

 

ぬか漬けは育てるもの、とよく言いますが、どうやら育てる方向を間違ってしまったようで。大体何か問題があると、糠や塩を足したり、唐辛子を入れたり、何か軌道修正できる対策があるものだけど、腐敗ともなると救いようがないんですって。流石にここまで失敗したのは初めてでした。腐敗ってなかなかのパワーワード

 

そしてまた作り直した時は、数日ほったらかしでもいけるっしょという、ナメた考えを捨て、手塩にかけて育てていくんや。発酵と腐敗は紙一重や!と反省したものでしたが。

最近またサボり癖が出始めております。

昨日も混ぜるの忘れました。ハイ。

でも味は全然美味しいからまだ大丈夫、じゃあないんだよ!

春になって暖かくなってきたので、余計に気をつけないといけない。

このブログを書きながら、自分に言い聞かせてます。

 

漬物ばあちゃんへの修行はつづく、、、、

 

 

 

 

 

 

 

2023年10月号

私がドイツに移住したのは、2016年10月なので、10月はなんだか少し記念的な気持ちになる。2023年でもう丸7年かあ、と思ったときに気づいたこと。

 

最初の頃は、私もノビタによく突っ込んだものだった。

そんなにジャガイモ食えるかーい!って。

今や本当に米感覚。お皿の半分は山盛りのジャガイモが普通。おかずと一緒に混ぜて食べるのが美味しい。

ジャガイモ料理の種類も多くて、家で簡単に調理できるように、加工されたものがスーパーにもたくさん売られている。私が特に好きなのは、ニョッキというジャガイモと小麦粉を混ぜたパスタの一種と、クヌーデルというジャガイモとパンをミックスして捏ねたお団子。もちもちしてて、美味しいんですよ。今日のお昼も、茹でたクヌーデルに野菜のオイスターソース炒めをぶっかけて食べるという、オリジナル独中華でした。

とはいえ主食として食べている割合としては、米と麺の方が多いけど、ジャガイモのポテンシャルの高さは、ドイツでの生活で教えてもらったことの一つなのです。

 

因みに、上の漫画で紹介した、ケルンに遊びに来てくれた友達というのは、実は日本からではなく、本当は台湾からでした。このブログを読む人で知ってる人もいるかもしれない、その名もルーホン!

たった3日の滞在だったけど、一緒にご飯食べて、散歩して、語って、ビール飲んで、挙句の果てにはお店の仕込みまで手伝ってもろうて・・・!

本当に楽しかったし、来てくれて嬉しかったなぁ。ルーホンも「ノビコで働きたい〜!」って言ってたから、これはいつか、ひょっとすると、そんな日も来るのかも?

 

願掛けで彼女をモデルにした木版画を、貼り付けておきます!表情がもうたまらないのよ。かっこいいやつ!

 

 

2023年8月号

新年の挨拶もろくにしないまま、2024年に突入してしまいました。

のらりくらりのブログではありますが、今年もどうぞよろしゅう!

 

まずは去年の4コマ漫画をどんどんアップしていかないと始まらない。

なんだかずっっと宿題に追われてるような、消化試合が続いているような感じなんですが、ああ2023年はこんな感じだったな、と後で読み返すために、一応紹介させてください!

どんどん殺人的になってきているドイツの夏の暑さについて。

日本の暑さも年々ヤバイことになっているんだろうし、冷房使うの、全然いいんですよ!むしろ、死なないために使うべき。

でも私の記憶では、スーパーとか職場とか、冷房の効きすぎで寒いくらいだったし、外との温度差がヤバすぎて逆に身体がしんどいってこと、よくあったなぁと思います。

冷房使うなら、適温25度〜28度をちゃんと守って使って欲しいって何度思ったことか。どんなに外が暑くても、室内の温度が18度とかである必要はありませんよね。

 

ドイツに来てすぐの頃、冷房に慣れた私の身体は、冷房のないドイツの夏がめちゃくちゃしんどくて、身体がずっと火照って眠れない夜もあった。それもだんだん慣れてくると、暑さに耐えられる自分の身体を実感できて、なんだか嬉しかった。ポイントは水分補給をしっかりすることと、食べ物、飲み物で身体の内側から冷やすこと。ドイツの人が夏にやたらアイスを食べるのは、理にかなったことなんですね。

でもまあ、それでも耐えられたのは、ドイツの夏が基本空気はカラッとしていて、日陰に行けば涼しく、風に当たれば心地よく、かつ短いっていう特徴があったから。

 

最近は、というか去年は、特に湿気が高い日が続き、ノビコのキッチンで働く私たちを苦しめた。ただでさえうどんを茹で続けているキッチンは湿気高め。もちろん冷房もない。日差しの強い外よりもキッチンの方が暑く、室内温度が35度を越える日も多かった。湿度が高いだけでこんなにもしんどさが増すんだな、と実感したし、冷房なし生活に鍛えられた私の身体もついに限界を越えてしまった。視界がチカチカして目眩がするなんて、完全なる熱中症の症状が出てしまったので、こいつはあかん!と冷房設置も検討はしたけども・・・。

キッチンを閉め切るのはシステム上難しくて、じゃあ店内までも閉め切って営業をするとなると、相当な電気代もかかるし、夏は外の席もあるので、基本ドアも窓も開けっ放しにしたい。色々検討した結果、キッチンの換気扇をもっと強力なものに替えるという作戦で、今年の夏に挑むこととなったのでした。

 

どんどん暑くなるドイツの夏、最近は電車の中など冷房が効いてる場所も増えた。正直とてもありがたいのだけど、冷房が増えれば増えるほど、街中の外気温は上がっていく。地球温暖化ガスももっと放出されるだろう。しかし暑さで人がバタバタと倒れていくのを黙って見てるわけにはいかない。一度動き出した悪循環の歯車を止める方法は、果たしてあるのか。

外で遊んだりバーベキューをしたりする人でごった返す、夏の公園の風景が失われないことを願うばかりです。

 

 

 

 

 

 

平和を望み、必要とする人々のために

今、パレスチナイスラエルで起きていること。

そして、今までパレスチナイスラエルで起きてきたこと。

 

10月7日のイスラエルでのハマスによるテロが起きて以降、この問題について考えない日はなかった。

自分なりに歴史を調べたり、色んな立場から発せられる声に共感したり、困惑したり、それをノビタと話したりする中で、この問題の難しさをひしひしと感じています。

難しくない!と声を上げる人も多く見たけど、正直そうは思えない。

パレスチナイスラエルか、どちらのサイドに立つのかを明確にしないといけない圧力も感じるけど、正直それが正しいとは思えない。

 

ドイツでもたくさんのデモや集会が行われている。体感で言うと、親パレスチナのデモの方が多いように思う。テロで犠牲になったイスラエル市民を追悼するイベント等も見たけど、ガザ地区でのミサイル攻撃による多くの市民の犠牲、西岸地区でのイスラエルによる入植活動、差別、そして虐殺が取り沙汰される中で、イスラエルへの批判はここドイツでも盛り上がっている。一方でその動きを懸念する人たちもいるし、ドイツ政府は親パレスチナ運動が反ユダヤ主義につながる可能性があるとして、運動への取り締まりを日に日に強化してくる。そういう中で、ドイツに住むユダヤ人への差別も、逆にイスラム教徒への差別も増えていて、社会の中での分断が深まっているように感じる。

 

私はドイツに来るまで、イスラエルに対して漠然と悪いイメージしか持ってこなかった。圧倒的な武力で弱い者いじめをしている、強行的な姿勢で土地を奪いパレスチナを支配している、そんなイメージだ。それはある意味正しいかもしれないけど、そのイメージの中にイスラエル市民の生活やこの長きに渡る紛争への思いが抜け落ちていたことに気づいた。イスラエルに休暇に行く人、バンドツアーをした人、イスラエルのアクティヴィストと繋がり、トークイベントを開催したり、一緒にこの問題について考えようとする動きを身近な人から聞いた。あるいはイスラエル国内で巻き起こったネタニヤフ政権への反対デモをニュースで聞いたり、イスラエル内の学校でユダヤ人とパレスチナ人が一緒にお互いの文化を学ぶ取り組みを知ったり。そんな人々が居るのは当たり前と言えば当たり前なんだけど、ドイツにいることで以前よりもイスラエルについて知る機会が増えたし、ホロコーストイスラエル建国の繋がりについても、意識することになった。

その上で、ホロコーストという史上最悪の反ユダヤ主義の歴史を持つドイツだからこそ、イスラエルの存在を否定する事は出来ない、という理屈も理解できる。そしていまだに社会に残る反ユダヤ主義に敏感である事、そしてその差別と闘う姿勢は、悲惨な歴史を繰り返さないためにも大事なことだと思っている。

 

とはいえ、最近の親パレスチナ運動への政府の圧力はやり過ぎだと感じるし、ドイツ政府はイスラエルに対し、停戦への圧力をもっとかけるべきだという声もあるし、私もそう思う。

 

イスラエルの建国により、住んでいた場所を追われ故郷を失った多くの人たちが居て(逃げざるを得なかったのは、パレスチナ人だけでなく、周辺国に住んでいたアラブ系ユダヤ人もまた、迫害によりイスラエルへと移住したそうだ。)天井のない監獄とも言われるガザ地区で、自由な生活を奪われ空爆に晒されて生きる人々を思うと、その後の幾度にも渡る戦争で日常的な差別と暴力に苦しむ人々を思うと、イスラエルの建国そのものが間違っていたのでは?と感じても仕方ないのかもしれない。

 

でもそこから75年もの月日が流れて、イスラエルでは、ユダヤ人もアラブ人もパレスチナ人も色んな宗教、人種が共存している。パレスチナ人、アラブ人への差別もあるけど、その中でお互いを認め合い平和な社会を目指そうとする市民もいる。忘れてはならないのは、彼ら=イスラエルの政府、軍隊ではないということ。

ガザを実効支配するハマスに対してももちろん同じことが言えて、ガザの平和を望む市民=ハマスではないということ。

両サイドに過激な思想を持った人間がいて、武力で暴力でその思想を押し通そうとして、プロパガンダでそれを正当化し、それに巻き込まれる人々がいて、そこから生まれる悲しみと憎しみの連鎖がどこでもかしこでも起きている。

そのことを思うと、私は簡単に親パレスチナか親イスラエルかを選ぶ事は出来ない。

この問題を難しくないと言って、簡単にどちらか一方のみを批判する事は出来ない。

どちらかのサイドに立つ必要があるなら、平和を望む市民の側に立ちたいし、簡単に言う必要があるなら、お互いの辛い歴史を共有し、お互いの存在を認めあうしか平和への道はない、ということしか言えない。

その上で私が批判したいのは、人質の安全をも顧みぬほど強行的に無慈悲にガザを空爆し、西岸地区での入植活動をサポートするイスラエルのネタニヤフ政権であり、ガザで人間を盾にし病院や学校まで戦場とし、国際的な支援物資でさえも独占するハマスである。

 

そんなことをノビタと毎日のように話していて、世界の左翼シーンから聞こえてくる声とのギャップを感じ悩んでる中で、私たちと同じように感じている人々の声も聞こえてきた。

ケルンで行われたとあるデモは、この件で初めて私も参加したいと思えた動きだった。

 

そしてもう一つ、イスラエル国内から、とても大事な草の根運動が起きていることを知った。

前置きが長くなってしまったけど、その運動をどうにかみんなにも伝えたいな、と思ってこのブログを書こうと決心したんでした。

ドイツのTazと言うメディアに、彼らのインタビューが載っていたのでそれを紹介します。Tazはドイツの全国版日刊紙で、左派系の自主管理的な新聞を作ろうとするプロジェクトから生まれたメディア。タイトルは、

戦争について語るパレスチナ人とユダヤ人「平和は可能であり、必要である」

 

taz.de

Standing Togetherは、2016年にイスラエルで始まった草の根運動で、この戦争に対し、暴力ではなく交渉による平和的解決を望んでいて、イスラエル内での差別問題や環境問題にも取り組んでいる。

政党ではなく、草の根運動として始めたのは、まずは人々の視点を変える必要があったから。そのためには上からではなく、同じ目線に立って動く必要があったと。

 

今回の戦争が始まって以降、Standing Togetherに参加する人は2倍になったそうだ。特に若いパレスチナ人の参加が多いとのこと。

イスラエルでは今、ガザの人々の苦しみに言及するだけで、逮捕されたり職を失う人も出てくるくらい社会的圧力が強く、Standing Togetherは、法的なアドバイスを必要とする人々のためのホットラインを設置したり、ガザで犠牲となった人々を追悼できる場としての役割も担っている。もちろん彼らはハマスの残虐なテロは明確に批判するし、ユダヤ人もパレスチナ人も同様に、お互いの恐怖と痛みを共有する場を作ったり、イスラエル内での防空壕の清掃や設備を整える活動もしている。(イスラエルでもハマスからのミサイル攻撃が続いているため)

 

ハマスのテロは許されるべきではない、としつつも、ハマスを武力で殲滅させることは出来ないと彼らは言う。「ハマスはガザのみに存在するわけでも、ただのテロ組織でもなく、一つのアイデアで繋がってるため、イスラエル武力行使により流れる血で、彼らはさらに強くなるだけだ」と。

「私たちパレスチナ人、ユダヤ人は理解する必要がある。私たちの運命は互いに絡み合っていると。パレスチナの解放なくして、イスラエルの安全はない。イスラエルの安全なくしてパレスチナの解放はない。」

「この国に100万ものユダヤ人と100万ものパレスチナ人が住んでいて、誰が何を想像しようとも私たちはここに居続ける。ここが私たちの故郷であり、私たちはここに住む全員の安全と自由と独立のために闘っている。」

 

この言葉を読んで、涙が込み上げた。

国とか宗教とかではない。平和を望み、必要とする人々と、自由で安全な社会を作りたい。そういう運動こそ私が支持したいと思えるものだ。

 

さらにインタビューの中で印象的だったのが、この戦争に対する国際社会の反応について。

「発せられる言葉がどんどんラディカルになっていき、親パレスチナか親イスラエルかどちらかの側にみんな立とうとするが、それは私たちの目的の助けにはならない。私たちが見るのは、一つのサイドではなく、人々だ。」

「私たちが国際社会に期待するのは、イスラエル政府への停戦への圧力、そして、ここにいる人々の現実を理解してもらう事。私たちが、この戦争の中でこの問題の複雑さを認め、別のサイドの人々を見る事が出来るなら、他の人もそうする事が出来るのではと期待している。」

 

そして、ハマスのテロを抵抗運動として称賛するような動きに対しても、彼らは怒りを露にしている。

パレスチナ人としてもハマスのやった事は許されない。私たちの独立は、ガザに拉致された若者や少女の死体の上に築き上げるものではありません。」

ハマスが無実の人々を殺して、真剣にガザ解放や植民地解放を叫ぶことが、本当に私たちが支持する価値観なのでしょうか。私たちは確かにイスラエル史上もっとも右翼の政府を持っていますが、私たちは政府と同じではないし、何ヶ月もそれと闘ってきました。私はイスラエル軍による占領には反対ですが、私はイスラエル人でもあります。ハマスの前に立ち、私は植民地主義者ですどうぞ撃ってください、と言うべきですか?

事実は私たちはこの国で生活し、一緒に解決策を見つけないといけないということ。もしあなたがそれを支援することができず、大きな思想について全く非現実的な興味深いエッセイを書きたいだけならば、脇に下がってください。それは私たちを助けることにはなりません。」

 

インタビューの最後に。Standing togetherが望むこと、それは、

「西岸地区の人々の占領からの解放、そしてガザ地区がこれ以上軍事的封鎖されないこと。

そしてイスラエルパレスチナ人がユダヤ人と同じ権利を持つこと。

そのために皆さんがドイツで声をあげることは良いことだと思っていますが、私たちは同時に、イスラエルユダヤ人の安全も望んでいます。

もし声をあげるなら、私たち全員のために声をあげて欲しい。パレスチナ人もユダヤ人も自由で安全な生活を享受する権利があります。」

 

私は、当事者である彼らでも、こんなにも冷静に語ることが出来ていることに驚いた。イスラエルではガザへの報復を感情的に支持する人々がいてもおかしくないし、政府を批判しパレスチナの人々に寄り添おうとする彼らの活動への風当たりは相当強い。

西岸地区やガザの人々にとっても、彼らの平和的解決を望むスタンスはもはや理想論としてしか映らないのかもしれない。非人道的な状況におかれた人に、冷静になってもう一方の現実も見てください、だなんて酷なことは言えない。でも、ハマスではなくStanding Togetherのような活動が、どうかガザや西岸地区の人々にとっても、一つの希望として映って欲しい。

国際社会にとってもそうであって欲しい。この事で外側でも分断や対立を生む必要はどこにもない。

私のように外側にいる人間にできることは、物事を単純化することなく、公平さと人間性を保つことであり、何かを訴えたいのなら慎重に発信する必要があると思っている。

そうでなければ、過激で暴力的な思想をもつやつらのプロパガンダに利用されるだけだと思うから。

 

 

もしかしたら、私のこういった言葉も、誰かから見れば、反対側のプロパガンダでしかないと思われるかもしれない。

人は、聞きたい情報を聞き、見たいものを見る。それは私も同じだし、真実がなんなのか見極めるのは難しい。

知らない事、学ぶべき事がまだまだあるだろうし、ここから見える世界を常にどこかで疑うことも大事だと思ってる。

 

もしこのStanding Togetherのインタビュー全文に興味があれば、Google翻訳でも充分伝わるかと思います。

taz-de.translate.goog

彼らのWebサイト(英語版)はこちら。

www.standing-together.org

 

権力や差別と闘い、平和を願う人々の声が、これ以上すれ違うことがないように、世界中でもっと対話の機会が生まれることを願っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年6月号

話題のチャットGPTを使ってみたよ!の巻〜

 

最初このアプリについて聞いた時は、そんなものを使い始めたら人として終わる!自分で物事を考えなくなって脳が腐る!と疑心暗鬼になっていたのに。

ドイツ語学習の一環として聞いているラジオで、チャットGPTをいかに語学学習に利用できるか、というテーマで話しているのを聞いて、あっさりアカウントを作ってしまった。

こうやってどんどんテクノロジーに取り込まれていくんデスよ。

 

しかし試してみたら結構便利で、今日もチャットGPTと共にドイツ語学習。

どんな風に使うかというと、新しい単語を覚えたいとき、紙の辞書を引く代わりに、和独というサイトで単語を検索してとりあえず日本語訳を知る→別のドイツ語の辞書サイトでも検索して、ドイツ語での意味、文法、例文をチェック→例文の意味がよく理解できない時や他の例文もほしい時にチャットGPTに聞く、というような流れ。

果たして紙の辞書を引くよりもこれが早いのかどうかは疑問だけど、紙の辞書って全部の情報が一気に目に入ってきて、そんなに覚えられるかい!とすぐに面倒くさくなるし、全部日本語で理解しようとするから、ドイツ語を使う上ではあまり役に立たない気がする。それよりは、ドイツ語の単語をドイツ語の説明と共にイメージで理解する方が、話す上では役に立つような気がする。ドイツ語話す時に、いちいち頭の中で日本語に訳したりしないわけだし。

そんな中で、例文や単語の意味がいまいち理解しにくい時、気軽になんでも聞ける相手、それが私にとってのチャッティなんである。

もちろん正しい情報かどうかの保証はないし、チャッティの日本語訳はたまに不自然なので、鵜呑みにはしない。なんなら、これって意訳するとこうじゃない?なんて聞き返すと、確かにその通りです、ごめんなさい。なんて謝ってくれたり、どんな状況で使う言葉か、というような追加の情報をくれたりもする。

そのやりとりの流れがあるからか、最近はドイツ語の例文を入力するだけで、質問形式にしなくても、ちゃんと日本語訳を教えてくれるようになった。こいつぁ楽だ。

なるほどAIとは、こういう学習機能を持っているところが特別なんだろうな。

何か正確な情報が知りたい時には向かないけど、いろんな解釈や表現を見てみたいとき、インターネットの膨大な海の中から選択肢を提示してくれるという点では、時短にもなるし便利だと思う。

 

そして私は、一人の4コマ漫画家として、チャッティとの禁断の関係を築こうとしてしまった。

4コマ漫画の締切1日前、あまりにネタが浮かばないので、チャッティにネタを考えさせたのだ。

チャッティは、快く引き受け、AIをテーマとした4コマ漫画のネタを瞬時に作りだした!私はそのスピードに感動した!

 

しかし、全く面白くなかったので、今回はボツ。顔洗って出直してこい!

とは言いませんでしたが、チャッティが私のゴーストライターになる事はまだなさそうです。

正直面白くなくて若干安心した笑。やっぱり人間の個性は、簡単にAIに取って替れるものではないですね。

 

そういえば最近、ネトフリで「PLUTO」という浦沢直樹手塚治虫原作のアニメを観たんだけど、AIが発達しまくって、ロボットが感情を持ってお互いに愛しあったり憎しみあったりする世界の話で、完全にSFなんだけど、これがSFだと言っていられるのは、一体あとどれくらいなんでしょうね。

 

果てしなく思えるけど、意外と近い未来かもしれない。