AMEBICを再読したよ。
金原ひとみのAMEBICを再読しました、しかも1日で終わってしまったよ読みやすいもんねそうですよねすごおーくすごくねわたしわかるねすごおく読みやすいスラスラーて読めちゃうよそりゃまあ薄いし散文だしみたいなというわけであたしねあたし最近毎晩ねラム飲んでるのこれねすごおくいい香りしていい気持ち素敵ね素敵わかりますかそいえば鼻通りいいのお昼間ずうっと鼻つまってるのに。
そいうわけで、私が如何に熱中してバイトの休憩時間つまり1.5時間で読了したかお分かりいただけましたか。ちなみに、前日にアッシュベイビーも再読したからねこりゃあ完全に金原ひとみ文体っつーわけですよ分かんないんだろーけど。なんてったってわたしの手元には大好きなラムあるからね。もうこれね大好き超おいしい。なんてったってしかも私は今鼻通りよくってしかもあとバイト9回で終わりだからね。だからなんだっつーんだよなって。
わかる?(わかって、決して私は正常なの。)
(これが自尊心だよ、ダッサ。)
分裂。
私は、努力と堕落を分裂させればいいのではと思った。つまり、AMEBIC読了後だよ、バカ。
家におり、自己に篭り思考し閉じこもること。私にとっての"一番それらしい"生き方はつまり社会に置いて"堕落"と記号付けられるそうな。そして、機械的に動く時の私はどうやら"素敵"らしい。んなこたー知ってたんですけどね。
半年間"機械的"にしっかりこなしてきた罪滅ぼし的なアルバイトも、あと9回となった。
正直、悲しい。
そしてそれが終われば私は大学へ戻る。どう考えても、キツい。ばかなんじゃないのっつってねあたし分かってたんだけどどうしても戻りたかったんですよ分かるかなー分かんねーよなだって医者だって知ったかして母親の同意して馬鹿みたいだなーって思いながら私ヘラヘラ涙してたまともに臨床心理してましたかっつー話しでねお前発達症g
すぐに好きな作家の、物書きの文体の真似をするのはやめよーね。
何の話だっけ。そう、分裂。
私はそもそもきっと、分裂しているのだという前提で生きるべきなのだ。生きるならば。そう、全うに。
アアー全うになんか生きたくないよーだって私はだめなんだもん。
なんていう気持ちはどうやら本当飲み込むしかないらしい。なぜ?だって私はプライドが高いから。違う、意気地なしだから。
仕方ないんだ。きちんと生きる"努力"っぽさ、私だけ知っている駄目さ、それを両立させなくたっていいんだ。きっとそうやってみんなやっていっているんだ。
上手くやろう。
ただ、酷く,虚しい。
だって私は、いまの今の今さっき右隣でシャラシャラと崩れたガラスコップの中の氷に、意味さえ見出すべきではと考え怖くて涙してしまうようなクソしょうもない人間なのだから。
日記
あとひと月で岡山へ戻れる。
よく、分からない。
わたしは少しシッカリとしてしまった。
働くことは、好きだ。勉強をしたい。毎日笑顔でいたい。
他者に好かれたい。
なぜだか、それでいいのかしらと思ってしまう。
私という人格は、何を求めているのだろう、それが20年も生きて未だにぼやける。
反発と適応
好きだという気持ちと全てをばかばかしいと思う気持ち
守りたいと思ったもの、ぶち壊せと呼ぶ声
一番ばかばかしいのはそんなことしか考えられない自分だ。
私にはきっとハムスターひとつ生かせないんじゃないか、
愛されたくもない、だって白々しいから。
そんなことを考えていたって、わたしはどこまでいってもきっとまともなだけの人間だし、最終、人間に好かれたいんだ。
馬鹿らしい、そんで、きっとそれでいい、バーカ。
認めたくない。
ああ、大学だってさ。
何もわからない。
20歳になる前に
彼女がいつも言っていた事、私は20歳に"なれない"のだということ。
僕には少し意味が分からなくてだけれども平気さ、だってこの僕ももう21歳だよと返すより他無かった。
いつもなら、腑に落ちないわだけれども分からないものは仕方ないわねさあ昨日何か面白いことはあったかしらと、瞳をキョロキョロさせるはずなのに、彼女は教えてくれた。
私はね、20歳になれるわけないの。資格が無いの。人間として、はっきりと無いの。
ずっと幼い頃から生き辛かった。何があったでもない、ただ、何もかもが私に刺さるの、痛いのよ。それも、ずうっとなのよ。
それなのに、もう私19年と11か月も生き延びてしまった!(彼女は少し悲鳴をあげた。)ねえ、20歳になれない人間はどうなってしまうのかな。消されるの?私は無かったことになるのかな。それとも死んでしまうの?ねえ、どうなのかしら。
---私はね、消されるならそれでいい と 思う 、 本当よ。
「ぼくは嫌だよ」「あら、ありがとう嬉しいわ。」「それは良かった」
20歳になれなくて、わたしが間引かれたら、そうしたら私があなたにこんな話をし続けていたことだって、なかったことになるのね。それは、美しいかしら、だからその、言葉が、消えるというのは?
例えば、そうね、私の人格が、20歳に相応しいものととっかえられちゃうんじゃないかって思うときもあるのそうしたら、20歳からのわたしは、私じゃなくなってしまう。ある意味では、正しい私になっただけなのかもしれない、だけど。
その時私は、今のことを覚えていられるのかしら。そうやってまた俯いてしまうあなたへの愛しさは覚えていられるのかしら。知識なんかじゃなく、手触り、という意味で。
そうして彼女は言った。「あなたの言いたいことは分かるわ」
「だいじょうぶだよ」。
そういって19歳の彼女は自分の手のひらを眺め、ヒラヒラと回した。話題に飽きてしまったときの癖だ。
20歳になってすぐ、彼女は僕の前から去った。「飽きたの」。なるほど。
ぼくだけが、あの日の彼女を、覚えているのだろうか。
ぼくらの住む町は、それなりに狭い。
駅前へと続く商店街で3年振りに見かけた彼女は、手のひらをヒラヒラと舞わせながら、3センチのヒールでしっかりと歩いていたし、ぼくは今だって「なるほど」だなんて感じてしまったというのに。
暗くても夜は明ける
半年間、休学し、実家へ送還され、労働に身を置いた。
3月、晴れて出所だ。
昨年9月。刑に服し始めてから、いつだってずっと暗くても夜は明けると繰り返し繰り返し口遊み続けてきた。冬はいつか春になる、蕾は芽吹くと、そんな古典詩的なものを信じることになるだなんて思ってもみなかった。そういう人間だったので。
しかしどうだったか。
あっという間の半年だったと言うべきか。
冬にだって生き物は生き続けるのだし、花も咲くし、皆さんは生活を続けるし、私だって、笑顔でいることくらいはできるのだということです。
先日、就職でアルバイトを辞める先輩への、第4回卒業式(アルバイト先主催)があった。
そこで激なんということでしょう状態なのですが、私まで文集と送られる言葉を贈って頂いた。マジ。
マジ感涙、一人でさめざめと泣く私。素晴らしく情緒的、可愛い可愛いと褒められた、ええ!
とにかく、わたしは、体感ではものの数日前まで引きこもりでした。本当。
暗くても夜は明けると信じていた、それだけが救いだったのに、夜も深い内から、わたしは人に認めてもらい、笑顔をもらい、幸福を頂いてしまったのだ。もう人生って最高。
働き始めてから、2つだけ心掛けていたことがあってね。
ひとつ、愚痴を言わないこと。ふたつ、働きたくない行きたくないと言わないこと。
そうしてつい先日のように思えるのですが12月からは、毎日笑顔でいることを、みっつめの取り決めとした。
文集を貰ったと先述したが、その全てを、アルバイト仲間が、記述し、その上褒めてくれ、なんと尊敬しているとまで言ってくれたのです。
ただの誇張表現だと言いたいなら言えや、わたしは未だかつてここまで嬉しい文集なんてもらったことがないし、一生大切にする。ずっと誇りにする。
例えば、少し気を利かせた言葉が、他者の人生を救うということ。例えば、誰かへの尊重が好意へつながり、たったそれだけの親交が他者の記憶をキラキラさせるということ。それを、可愛い可愛いアルバイト仲間のガールズたちが教えてくれました。感謝。
こんな半年間、全て無駄で、早く私は刑期を終えなければとそれだけを頼みに、日々愚痴を言わず堪えニコニコしていた。
それが、すべてキラキラになったんです。すごいんです。
ニコニコするということは、最高ですね。
得たものとは?
正直何も得ませんでした。知力、体力、共に、何の成長もありません、ただ、それは客観的評価で。
ただ、ただね、わたしはいつもニコニコしていて良いんだとわかったことが嬉しい。
いつもニコニコしているだなんて、今までは思えなかった。それはただあやふやにヘラヘラしているだけだとしか思えなかったんです。病かよ。
眠たくなったので、どうせまとまらないひ、寝るわおやすみみなさま。明けるタイプの夜なので、さよならさよなら、
久々なので好きなことを書く
なんだってんだこれは、という感じだ。
まず、私は実家送還以来お菓子作りにはまっている。
暫く経って、先日、母親が「あなた、調理専門学校行きなさい。その方が向いている。」との宣告をなさった。混乱した。
そもそも、私が実家に送還なんていう"酷い"事態に耐え、忍び、正常を装い続けている原動力は”岡山に帰還するため”ただそれだけだったのだ。それなのに、なにを?
彼女の主張することは正論だ。
私にも分かる。
大学施設がそもそも私という人間に向いていないのだ。そして私は勉強が分からない。最大の論点としては、(それは彼女が向けてくる論点である。)わたしには作業が向いている、ということで。
ワアワア泣きましたね、それはもう。
混乱して、不安定で、やるせなくて。
金銭的にも困難とのこと。
はあん、という感想。
ただ、私はなにが何としても岡山へ戻りたいのだ。そして、大好きな部活動へ戻り、そのOGになりたいのだ。正直大学はクソどうでもいい。ただ、大好きな環境へ帰りたいのです。
この前、地元の心療内科へ片道1時間半かけて連れていかれた。期待していた。なぜなら、愛媛屈指の成人発達障害専門医っぽさをインターネット回線でヒラヒラさせておられたので。しかしクソであった。
医者、援交おじさん口調でしゃべるのをやめろ(伝われ)
なにが気に食わなかったって、まず、メンヘラ歴20年引きこもり1年の人間の思考を専ら社会性でねじ伏せようとするな。なーにが、あなたの話は矛盾している、環境が変われば引きこもりは治る、実家に帰れ、じゃボケクソっざけんな
私はそもそも母親の人の、社会適応圧力がイヤでいやで実家を出たんじゃ、なんであの医者は母親の話ばかりにうなずくのか。
あと母親、診察に同行するな。
これじゃあただのメンヘラの愚痴じゃないか。本当に私はゴミだ。ダメな人間だ。批判はしてはならない、あの人たちは私より幾分真面目に生きているのだ、賞賛に値する。すごいの、わかっている。
ただ本当にふざけないでほしい、何が「この子は大学で一人暮らしするまでふつうでした」じゃもうほんと涙しか出ませんね!
実家にいた時から鬱でしたし、それをあなたに隠すためにニコニコしていましたし、摂食一番拗らせて-10kg+10kgもしましたけど、なにも問題視してくれなかったね。私はあの時一番助けてほしかったよ。
引きこもった理由はすべて自分でわかっている、馬鹿らしいから言わないだけ。
母親が気に食わないこと、私が友達がいないといいながら岡山に帰りたがることらしい。精神科医、それを矛盾と言い切った。殺したい。
単純に考えればわかんだろうがクソ
私は岡山の人たちが大好きで、ただそれに準ずる自分じゃないから、友達と言ってはいけないという気持ちがあり、再び岡山に帰って、もっときちんとした私になりたい、あの素敵な人たちに並びたい、もっと親しくなりたいただそれだけ。あと、好きだと思った友達に酷く嫌われまくった過去があるので、人を好いてはいけないという深層がある(これは私がすべて悪かった)
もう疲れたおわりさよなら
大学を休学する話
明後日、大学進学を機に始めた一人暮らしの部屋を空ける。
大学を選ぶ際私が拘ったのは、一人暮らしが出来るところへの進学ただその一点のみでした。つまり、県外進学。実家から、どうしてもどうしても出たかったのです。そして、それだけがあの頃のたった一つの未来への希望でした。幸せだと思ったのです。上手くいくと。
本来ならば、10月から大学二年の後期を送るはずだった。
二年前、どうしても母親と上手く折を付けられなかった。距離を置いたおかげでかなり自分の中で考え方が変わったこともあって、今では上手くやっていけてるよ。
一人暮らしを始めて、いつしか私は引きこもりになった。
どちらが先か、今となってはどうでもいいのだけれど、鬱状態を抜け出せなくなった。気付いたら時間だけ過ぎていた。
今の状況は、その頃に願った環境でもあるのだけれど。
うまく整理の付かない気持ちもあって。
とにかく私は岡山で親しくしてくれた人たちのことが本当に好きで、そこを離れてしまうということが不安であり、寂しくて、悲しくて、仕方がないのです。
たった半年、たった半年だって毎日それだけ思いながら過ごしている、馬鹿だ。
だけれども、とにかく耐えがたく寂しいんだよな。
それだけ好きだといえる人たちがいること、その人たちがわたしの帰りを待っていると言ってくれること、だってそんなの、私幸せじゃないか。
それなのにって、
ああもう、半年なんて!
取り敢えず、ただ息をするだけでも時間は過ぎますので、辛くても耐えしのぎます。
煙が目に染みても、暗くても夜は明ける
靄をかけるよに
酷くひどく希死念慮に絡み取られておりまして、ここ数日は最早自分がどうあるべきかすら見失っている。こんなことになりたかったのかな。
何をしていても考えるのは早く死なねば、ああだけれども私には迎えるべき未来があるのだわ、そのループ。果てを持たぬ命題、入り口も出口も分からない、袋小路。
ピントをぶらす為に取れる手段なんて、ああ、だって正当にそれを行える人間であったならば私はそもそもこうはならなかったのではなかろうか!
何度も繰り返し、言い聞かせる。だって大丈夫でしょう、こうしている間にも春に近付いているんだよって、実家に来て何日だろうか、もうその言葉を何千回巻き戻しは再生し巻き戻したであろうか。わたしは救われるのだ、解っているんだ。
また、戻ってきたらアレをやろうコレをやろう、だから、とにかく死ぬなよって、また帰ったら会おうと言ってくれた人たちの言葉をただ鮮明に覚えている。それだけを頼みに生きているだけなのだ。
もうなんだって良い。ここから、早く、
半年間、そう、耐えればいい。たったの半年!
それが苦痛で苦痛で、紛らわすための鎮静剤のように、わたしは首を吊る方法を調べ上げる。一口一口、酒を飲む。コソコソと。
ああ!死にたくないのに!!
過去これほどまでに死にたくないと強く思ったことが果たしてあっただろうか、いや、あるわけがないのだ。
生きたいと願えば願うほど脳は痺れていく、キラキラした幾つかの言葉を取り出して眺めるたび死への渇望は深まってゆくのだ。
諦めれしまえれば、そう、全て片付く話。
全てを麻痺させるの、その訓練だと思えばいいのだ。
さあ、いつ首を括ろうか、春を迎えようか。
わたしはそれまでに、何かを為せるだろうか。