試論

恥さらしによる自我拡散改善法を中心に

茶葉が黒い虫みたい

 人は起きる。ずっと寝てたらいいのにね。

 

https://note.com/toniitoniito/n/n7e1368e1fd66

 

 あらゆる動機に疑問をもち、名前をつけようとしている。急いていいことはないのだから自然と見つかるのを待つのがいい。しかしもう逃げられなくなってきた。ひとつも答えがないままここまで来てしまっている。怖くはないけれど、早すぎる。時間がない。

 汚いことを上塗りして美化するのは好かない。そのなかにあるきれいな部分を誰かがすくって読みとってくれるだろうから、わざわざ整地する必要はないのではないか。きれいな目をしている人がちゃんときれいな部分を読みとってくれるから、そう信じているから、ありのままにしている。甘えだろうか。隠れて生きようとしている私なのに不思議なことに心から感謝している。

 十年来書いてきたものは私ばかりを救う。ほかの誰かのためになることなんてなにもしていないからあたりまえだ。でも、たまに悔しい。

 どこかで、ツラちゃんのために書くんだといったような驕った気持ちがなかったろうかと回顧する。試論でわたしを知ってくれたツラちゃん。無償の愛を教えてくれたツラちゃん。

 きっとあった。愚かだよね。傲慢だったよね。ごめんね。いま改めているから、もうすこし待っていてね。改めているからさ。いま改めてるから。

 シンクにこぼれた茶葉をかたづける。歌をうたう。だれかと出かける予定をたてる。だれかの顔をおもいうかべる。はたらく。ツラちゃんのためなわけがないすべてのこと。それでも読んでくれていた、読んでくれているツラちゃん。

光の実在

 はたらきに行くまえのたべものをじぶんで調理するようにしていた。作るほうが必ずしも倹約になるとはかぎらないが、台所に立つのは一種精神安定のための儀式だった。

 ただ運気が下がってくると体も動かない。台所に立っているばあいではない。しかしいまのところ人間は食べなければ生きてゆけませんから、通勤のあいまにコンビニの加工食品を買うことにする。このごろはずっと節約の儀を続けていたので、久しぶりのことだった。

 パンの棚に向かうと、小さなこどもがふたり棚にはりついていて、パンをえらんでいた。私もパンを選びたいのだから、その間に入ってパンを悩んだ。きれいなお母さんが優しい声でどれにするのと言っている。ふたりはうーんと、まよっていた。ぼくはもっちりパニーニとかいうのにするね。

 店を出るときにも、別の家の子供がかっこいいお父さんと手を繋いでいるのと入れ違った。今日が土曜日であることと、べつにコンビニのパンが昼飯だろうと晴れた日は晴れているということに気づいて眩しかった。

 高架になった線路を北へくぐると川に当たる。川に沿ってしばらく自転車を漕ぐと、集合住宅に囲まれた小さな公園がある。

 ここに居ついている猫は律儀に人間と同じ入り口から入り、ゆったりとした足取りで近づいてきて、もっちりパニーニを食べる人間がいるベンチの近くでぺたっと倒れる。前にも一度、私の近くで寝そべって、おこぼれをもらおうとしてそこにいるくせにたまたまここにいるだけですからという顔をしていた猫だ。

 日差しで白く滲んだような遠くのすべり台。その手前にはほっそりした木が三本、なんだか嘘みたいに立っている。バネで空中に浮かんでいる犬みたいなのを巧みに乗り回す男の子。近くでお父さんがぼうっと見ている。ロデオいぬに飽きると三本林の向こうに飛び出して、蜃気楼のすべり台に一直線。お父さんはてくてくと追いかけて、やはり少し離れたところからただ見ている。

 もっと近くのベンチでは、ベビーカーを押して散歩しにやってきた男の人が座って休んでいる。顔を見ると、あなたのほうがまだ赤ちゃんみたいな顔をしているのかよ、きっと僕より若い男性だった。

 しばらく座って気持ちよさそうな顔をしていたとおもったらおもむろに立ち上がって、赤ちゃんをつれて私の視界を横断し始める。陽気が気持ちよくて、寝ているのか起きているのかわからない心地だった。ああ今寝たなと思って目を覚してみれば、その父子はまだ公園のまんなかにいる。

 急にかたわらの猫がにゃあと鳴いて体を起こし、今度はとことこ駆け足で、ベビーカーのすぐそばを通りぬけた。三本林のしたにいつのまにかジャージ姿のおじさんが立っていて、顔を見てあの人だとわかる賢い猫に手まねきしている。招かれた猫はおじさんによって餌付けされ、おじさんはその対価として猫を撫でまくる権利を得る。

 その横にもうひとりおじさんが出てくる。猫を撫でるおじさんとは関係のない全く別のおじさんだ。猫の格別のなつきように、スマートフォンで写真を撮りはじめる。おじさんに懐いた猫を、別のおじさんが撮影している。その場にいる全員は妙にそのひとたちのことが気になって目が離せなかった。

 私達は同じ光のなかにいた。

 ああ、そういうことだったのか、とおもった。なにがともなく、ただそういうことだったのかとおもった。

 平和というものを覆う膜のいかに破れやすいかを知ったあとの私たちは、ただ同じ公園ですごした数分のことをきっと忘れることができない。私はあの人たちひとりひとりと手をつなぎたかった。しかしそうしなくても確かに、私達は同じ光のなかにいて、しかも相互にそれを知覚していた。

 言い表しようのなく、そのうえ言葉にするよりも明らかに感じられるような密度の光というのがたまにある。わけもわからないまま受け入れるしかない。

 

 がしゃんと音がして作業の手を止める。ちょうど同じ通路に五、六歳の小さな女の子とその父親が立っていた。

 父親の怒声がこちらに向けられていることに気づいたので行ってみると、商品棚の細長い金属部品の片方が脱落してぶら下がり、床に接している。

 憤怒の声を聞きながら、部品を持ちあげたりした。ビスが抜けているのが見えた。

 女の子の頭に当たったのだという。突然のことで私は彼らの顔を見ずにただひとこと「すみませんでした」などとしか言えなかった。いたたまれなくなってすぐに売り場のチーフを呼びに走った。

 チーフは部品を見て「ビスが抜けているね」と言った。父娘はそれを横で見ていた。我々のだれも声をかけないのを見て、娘のほうが「痛くないからもう行こう」と呆れた様子で言い、ふたりは去っていった。

 もっと言葉をまともに使えたら。その後も外れてしまったネジを探し続けるチーフを眺めて立ち尽くした。もっと言葉をまともに使えたら。

 女の子のあたまを撫でて怪我がないか聞くお父さんの甘い声と、私に向ける殺しあうときのような声とが頭をめぐる。あの部品がもし数センチずれて落ち、顔や目に傷を作っていたとしたら。父親の激憤を初めて目の当たりにした子の怯えた表情。もし怪我をしているのに痛くないと嘘を言ってその場を収めようとしていたら。ただ立って見ている木偶の私。

 いいえ。立って見ているだけならまだしも、私は納得していなかった。なぜ私が難詰されねばならぬのか。そして逃げた。どこまでもどこまでも走って逃げた。本当は私があの子の痛みを知らなくてはいけなかったのに逃げた。ガムテープで止めるように言われてそうしているあいだの無力。

 翌日、店長に報告した。

「什器にガムテープ使っちゃだめだ」店長はそう言いながらばりばりと剥がした。「風化してきれいに剥がせないから。あとが残っちゃうんだ」

そんなことはわかっている。

「チーフに言われてそうしたんです」

「わかった。チーフにも言う。ただひとまず君も覚えてね」

天空から百枚の金属部品が垂直に落ちてきて店長を百一等分した。

 

 帰り、自転車に空気を入れようと決めた。あの川沿いに自転車屋がある。店先にある空気入れは100円を入れればいつでも使えるからそれを借りようと思った。

 100円玉がなかったので近くの自販機に寄ってウィルキンソンを買って両替する。さて、と100円玉投入したが、機械が始まらない。閉まったシャッターのまえでわたしは立ち尽くした。機械が始まらなかった。川は真っ黒く淀んでいる。

 

 座敷に体育座りをし、北海道のチーズケーキを一人で食う。催事で売れ残ったものを100円でもいいから買い取るように言われた、期限切れのチーズケーキ。ひとつは一口で食べられるように個包装されている。10個も入っている。こんなにあるならみんなで分ければよかったね。ひとつたべ、ウィルキンソンで流し込み、またひとつたべる。臀部にある皮疹が痒くて、掻く。10個も入っていて内心うれしいくせに、泣くそぶりをした。

 化け物か。深く反省したとおもう。明日になったら部屋を掃除しようとおもう。恥ずかしくないようにしようとおもう。ちゃんと言葉を使おうとおもう。

 あの光だけが、他者と自己との間の空間を満たすあの温かい物質だけが、信じるに値する確固たるものである。僕ですら、いつかこの欺瞞が罰されますようにと名前のないかみさまにただ祈るような気持ちで眠るのだから、神様を持たなかった原初の人間たちも案外孤独ではなかったのかもしれない。

 すこし安心し、ようやく眠れた。