まじめにやるのはたいへんだ

お役所で働いてるADHDの人の日記。

毒について

私は空気が読めません。

 

空気を読もうとすると、必ずしも「だまる」ことしか選択肢が無くなってしまいます。

 

そうすると、日々の不満とか相手への反論とかができなくて、体に毒がたまってくる。

 

自分の中にたまった毒で、にっちもさっちもいかなかったのを感じます。

 

いま、当事者会に顔を出して、他愛もない話をするようになったのですが、

なぜだか、心は楽になった。

自分自身がどう思っているかがわかる程度の効果はあるでしょう

存外心で思っているだけではわからないのではないか

 

楽になったといっても、状況が好転したわけではない。

仕事でもうまくいっていない現状を突きつけられるだけなんですが、

 

毒を吐くことによって、とりあえず、前に進めるようになった気がします

物事一気に変えること

いや、今日の胡散臭い宗教の勧誘をうけたわけさ。

 

南無妙法蓮華経をとなえれば、あらゆる症状が治るんだとさ。

 

・・・

 

 

・・w

 

 

 

歯が浮いてきちゃうよねw

 

発達障害を持って生きてきて、

薬を飲んで

工夫をして

生きてきたけど、

 

ひとつわかったことは

 

特効薬はないってこと

特効薬を出されたとき、それは必ずしも不幸の始まりだ。

 

人生年を取れば、そのうちわかることもあるし、

唯一の考えを押し広めるやり口は、スターリンさんの考えと一緒だとおもうんだ。(この文章飛躍してるね)

 

でもね、人生しんどくて仕方がなかったとき

特効薬を求めてたのも事実。

もし「なになにさえすれば、うまくいく」なんていう、

悪魔のささやきを聞いたのならば、一度ためらってみよう。

 

この手の宗教は現実から目をそらすことはできても

逃げることはできないよ

現実は背後からはせまってくるから

学問の価値

思いつきをメモにする

 

学問の価値は目に見えないものを信じる力が身につくこと

簡単に言えば、勉強すればいい大学に入れて、いい就職先に出会える(かも)ってこと

 

単純に勉強をしていたほうが新しい何かに出会いやすいし、受け入れやすい気がする。

 

 

ぼくは、アルバイトの時給○○円というのが、見えないものを信じさせなくしている気がする。

アルバイトは自分の労働が○○円と価値がわかる。

でも、勉強はすぐには価値がわからない。

ぎりぎりで運が巡ってくる

思いつきをメモにする。

 

 

どん底は罪である。

って罪と罰に書いてあった

 

が、私はアスペなので、どん底に近い位置にいることは多かった。

いよいよどん底に落ちるかというときに、運命なようなものに何度も救われた気がする。

  

 

どん底をさけるには、「自分の意思」捨てないことだろう。大げさに信念を貫くことではなく、生理的に嫌なことをさけるだけである。(受験とかさけられないものはあるけどさ)

意思がなくなると心が腐る

 

もうひとつ。勝つために行動する。

司馬さんの「関ヶ原」では家康さんが「ばくちは勝つためにする」と言ってた。

話を聞く

思いつきをメモ代わりにとどめておきます。

後で見たら、妙案が浮かぶかもしれない

 

話を聞くのがとても苦手。

他人に対する関心が低いんだろうか。

 

だまって聞いている(ふりをしている)時は特に問題にはならないけれど、

やってみるうまく理解できていないことが多い。

 

もし面接試験で「やってみる」があったら、合格できないだろう。

 

人の話をすべて聞き漏らすまいとして、体に力が入っていることが多かったけど、

疲労が眠気となってやってくる。

だから、日ごろから力を抜いておこうと思う。

どうなるかわかんないけどさ。

 

人の話を思い出すとき、暗記ゲームのように意識の上ですべて暗記しているのではなかった。

暗記物のテストのように、闇から記憶が浮かんでくる感じといえばよいのだろうか。

人の話を記憶の闇のようなところにしまい、また拾ってくることができればいい。

連携と空気

思いついたことをメモ程度にとどめておきます

 

会議に出るとどっかの部署と連携って言葉をよく聞く

でも、自分自身でも何がほしくて、相手に何が与えられるかがよくわかってなく、

相手に期待ばかりしている例が多いような気がする。

 

自分が何がほしくて、相手に何を与えられて、ゴールはどこかが明確でないと難しい。

この辺を空気でどうにかしようとすると、人は楽なほうに行く。それぞれ違う部署では違う空気がながれているから、その時の空気で動いてしまう。そのため、お互いがすれ違う。

 

連携といっても、お互いが同じだけメリットがあるわけではない。

ウィンウィンといっても、得をするのは力関係が強い方である。

当事者のコミュ力は健常者と比べて「あまり」差がつかない

お役所の人なので公務員試験を通過しました。

 

あのマーク試験は当事者のほうが有利な気がします。

過去問を「一目で答えがわかる」状態にすれば筆記は通過できる。

テスト直前は過去問をぱらぱらめくっているだけの状態に近い。

4月5月は1日につき1科目150問さばくペースでできれば、合格できる。

さばく問題数の合計は150問×科目数

 

経済は最後までできなかったけど、暗記で片付く問題を確実に回収し、

刑法、労働法、学系科目で穴埋めができれば、高得点が期待できます。

 

最近、お役所ではどこも人物重視で合否を決めてます。

コミュ力については、多くの当事者さんは「苦手」と書いるが、

ぼくは「あまり」差がつかない、と思っている。

 

日常生活や仕事では、「空気を読む」「暗黙の了解」「指示への理解」が要求されるけど、面接では「空気を読む」があまり要求されないし、座って話しているだけだから、話の内容を正確に理解しているかは面接官にはわからない。

 

面接に必要なコミュ力に影響を与えるのは、どれだけ多くの知らない人と会話をしたかの場数に依存します。発達障害の当事者会など自分のターンが回ってくる会だと場数を稼ぎやすい。セミナーは話を聞いてるだけなので、あまり意味がない。聞いて満足するだけだし、第一発達障害なぼくにとっては上の空になるだけだ。

 

以前、面接対策について話をする機会があったけど、受験生の方々は、何を聞かれたかしか興味がないようだった。もちろん重要なんだけど、本人の真価が問われるのは予想を超えてきた瞬間にあると思います。予想外に対応するには、場数を踏むこと、いろんな人と会話をして、価値観を広げることが予想外を超える力なる。

 

でも日常生活のコミュニケーションには、いまだに難渋してます。「あまり」差がつかないけど、「まったく」差がつかないわけではないのがつらいところ