お風呂の鏡と美容室の鏡は自分が5割増可愛く見える

このブログを始めたきっかけとして、とかいうつまらない書き出しで始まるこのブログに、若干の思いを馳せているいるにきびである。擬人法ではない。

 

 

ニキビがコンプレックスだから、という安直な考えで決めた名前と、あやふやな日本語で、果たしてこの文章を読んでくださる人はいるのだろうか、いてもよっぽどの物好きじゃなかろうか(失礼)と心配になってきた。所詮、ただのJKである。だがブログを始めようと思った理由は、太宰の語を借りるとすれば”恥の多い生涯”においての己の恥と人生を書き綴り、教訓(笑)をお伝えすることで勇気を持ってもらおうという自己犠牲の最たるものである。

 

 

というのも、先日、ツイッタラーの私は、あるブログに巡り会ってしまった。死後何年かたっているとはいえ、安易に名前を出してしまっても良いのか悩むが、何年か前にマンションからの自殺をした’’メンヘラ神”様のブログである。

決して深く病んでいるわけでもないし、言っても少しメンヘラが入っているくらいだが、自殺、のことについて、少し考えさせられるところがありツイッターを辿っていたところ、メンヘラ神という人がいることを知った。

 

 

みなさま、よき倫理を!のツイートのみが残されていたそのアカウントのリンクから少しドキドキしながらサイトに飛ぶと、そこには惹かれるような題のブログが沢山並んでおり、一つ一つクリックして覗いてみた。衝撃を受けた。面白いのである。メンヘラだから、メンヘラ神だから、てっきり萌え袖自撮りやリスカ写真と共に『つらいお』『リスカしたお』とかばかり綴られているものだと思っていた自分が間違いだった。その考えが覆されたそのブログに、部屋で1人笑い転げ、時に少し泣いてしまった。これがホントの情緒不安定である。

 

そして同時に、淋しくなってしまった。こんなに素晴らしいものを遺した彼女は、もう逝ってしまったのか、と。自ら死ぬ選択をする、というのは別に責められることではない。その人自身の選択であり、他人は口出しするものでは無いと思っているからだ。

 

だが、彼女の書く文章は、心にストン、と落ちてきた。おとんに勧められるような自己啓発本とか、そういうのよりも。同じメンヘラだから共鳴してしまったとこもあるとは思うが、私が書いたらお葬式レベル(不謹慎だが)に暗くなってしまう文章をこんなにも明るくかけてしまう彼女はすごい。LEDかよ。と同時に彼女は自分の恥をも面白く書き表せてしまう天才である。

 

絶望した時に発狂から救ってくれるのは、友人でもカウンセラーでもなく、プライドである。 - 続!愛をください!

 

亡くなる前、彼女のブログはあまり読まれていなかった、とどこかのブロガーは書いていた。死後評価されるなんて、ゴッホかなとか思わないこともないが、少なからず、私の心には響き、彼女は素晴らしいものを遺した。リスペクトすぎて彼女の言い回しを真似ちゃったりしてみる。傍から見ればわりと新興宗教である。

 

誰か一人に対してでも、そんな人になれれば。とそんなことを急に思いたった私は、このブログをはじめることにしたのだ。