2回目のトラペジウムを観た。
ぶっちゃけこの映画は観るまでの足取りが非常に重い。本当に重い。
と言うか、何も知らなかった1回目はとにかくとして、全てを知った上で観るには中々に胃が重たくなる作品だと感じてるんだけど、それでも満足行く気持ちになるから「観ない」という選択肢が存在しない辺りが良い作品だなぁとなる。
この映画は各人の個性や内面に抱える思想を独白などに頼らず、仕草や表情といった細かな動作で本当に素晴らしいし、自身の中にある半ばぐずぐずに擦り潰されてペースト状になっていた「何かを追い求める」情熱を叩き起こす撃鉄としてはこれ以上無かったと言うしかない。
とは言え、やはりこの手の過ぎ去った青春の日々を思い起こさせる作品は観賞後の清涼感と満足感がある反面観るまでは非常に辛い。
しかしながら、そんな苦しくも、ワクワクとした気持ちが同居した屈折する心を持つ私はどうしても最低後一回は観なければいけなかった。
何故なら「トラペジウム(原作小説)」を読んだからである。
○
様々な評判を聞きながら観に行ったとは言え、私の目に映ったは東ゆうは等身大に自信過剰で、迂闊で、自身の未来を掴む為にもがいて足掻いていた少女だったし、その姿に惹かれたからこそ原作小説にまで手を伸ばす事決めたと言っても過言ではなかったと思う。
とは言え、同時に、
"原作を題材にした映画は基本的には原作に忠実な内容を出してくる"
と言う思いもあり、この原作小説「トラペジウム」はあくまでも映画の副読本......東ゆうや大河くるみ、華鳥蘭子、亀井美嘉たちの内面を知る一助になるなら.....という心意気で購入。ついでに四畳半神話大系も買った。
しかし蓋を開けてみれば、前半の出会いや集まり始めてからの描写はかなり違和感無く進む様に改善されていたし、東ゆうが全てを破壊尽くしてからの展開はほぼほぼアニメオリジナルの要素が多くとても驚いた。和解パートと8年後を描くエピローグが非常に短い事に横転した。
アニメは2時間という尺の中で、より説得力が増す描写がふんだんに多く盛る事で最後まで飽きず、どころか「ここをああいう展開に変えた脚本の方すげぇな.....」とアレンジ力の高さに舌を巻く事に。
とは言え。物語として観やすくなった分、東ゆうが本来持ち合わせていた配慮の気持ちや等身大に傷つき悩む部分まで見せれない(だからこそサイコパス云々の感想が跋扈していた面はあるんだろうね)のは非常にもどかしい部分。
しかし美嘉はとにかく、蘭子とくるみの内面描写がほぼ無いのは東ゆう目線からの物語だからとは言え「もうちょい.....欲しいです!!」と言う気持ちを抱く。
真司と東ゆうの掛け合いや描写は作中通してずっと心地良く、仲が良いとも違う....言うなれば"同士"なのだなと直感出来る雰囲気があったのが堪らなく好きだった。
そんな真司が8年後の東ゆうに言った"告白"は、この物語の総括に相応しく、「どうして西南北が東ゆうと言う夢追い人に行先が違っても着いてきたか」を確信出来る部分だと思う。
とは言え、どう内容を取っても「これは、脈アリだろ.....」となるので、アイドルを卒業し、女優活動に勤しみ始めた辺りで付き合い始めて、ゴールイン....みたいな展開はやはり見たくなる..........
◯
そんなこんなで、2時間かけて新宿バルト9に赴き、2回目の鑑賞。
2回目ともなれば心の余裕が生まれる。
くるみが東ゆうの自己紹介を聞いた時の微妙な表情は、この時点でちょっと違和感を感じていたのではないか。とか、真司が東ゆうをガン見していたのは彼女が輝いて見えていたから。だったり、美嘉が電車内やライブが終わった楽屋内で誰かに連絡していたり...と、様々な面に目が行く様になったのは周回で観る意味を感じる。
アイドル活動時の描写もかなり追加描写が多くなっていることで、東西南北(仮)がどの様な活動をしていたのか。その上で何故瓦解したのかを如実に描けたのは映像媒体だからこその力も大きいかなぁという印象。
その後にある古賀さんが東ゆうに感謝を伝えるシーンは、もちろん原作の進路相談も良かったけど、こっちの方が自然だしより身近で活動を支えてくれた人が「楽しかった」と言ってくれたからこそ、東ゆうの擦れた胸により刺さる形になっているなと。
特に小説では最後にポン。と置かれる形だった「方位自身」がここまで意味を持つモノに変わっていたのはお見事としか言えない。
小説版「方位自身」は東ゆうのテーマソング、もといソロ曲の印象を受けるが、映画版「方位自身」は東西南北の全体曲。果たせなかったあの時の曲をいつかの未来、当時を振り返りながら歌っている。そんな情景が思い浮かぶ様な雰囲気の違いを感じる。
もちろん、曲の歌詞自体も一部を除いてほぼ置き換わっているので尚更だけど。
◯
しかしこの映画、何度観ても相変わらず大河くるみの挙動が一々可愛い。
見た目や"にぱー"っとした笑顔がド直球で可愛いのは勿論、細々とした動作や表情はもう愛おしいとしか言えない。
8年前の髪型も好きだが、短くしすっきりとした印象を持たせながらも小柄かつどこか草臥れたような雰囲気を携える姿はもう無敵だとしか言えないだろう。
どこまでも可愛い。
萌えの塊、すぎないか.....?
ただ精神が壊れ絶叫するシーンは切実さを感じるアニメも良かったが、原作の冷静なまま壊れちゃった雰囲気の方が好きだったかもしれない....という結論に至った。しかし、媒体ごとの良さがあるので甲乙付け難いと思う気持ちもある。両方好きで良いだろう。
◯
閑話休題。
個人的に、この作品で好きなのは東西南北(仮)の解散後という挫折から立ち直る展開辺りなのだけど、それ以上に好きなのが8年後の描写がある事。
8年前の未熟な時期が過ぎ去り、皆がそれぞれの形で自立し、それぞれの道に進んでいる事を知れるのは嬉しいし、同時にそれくらい互いの関係が続いているというのが何よりも嬉しい。
しかし真司が8年振りに連絡を寄越した、という事実は中々胸が熱いというか、律儀な男だと思う。本当に鑑だよ貴方。
小説だと結構話してるけど、映画版だと全然話さないままなのは「東ゆうの物語」として考えたら納得。とはいえやっぱあの小説のやり取りは見たかった....な!の気持ち
蘭子は本当に世界を飛び回っているけど、小説の描写的に東ゆうのライブがある時には戻ってきてる?みたい。サチちゃんと一緒に観に行ってるのが良いですね
作中通して、どれだけ時間が経っても変わらないあの毅然とした雰囲気は安心感あるし、凄く好きだったなぁって
美嘉もちゃんと自分なりの幸せを手に入れてたと言うか、「大河くるみになりたい」と思っていたくらい様々なコンプレックスを持っていた子が、あそこまで晴々とした表情で日々を過ごせているってのは本当に素敵な事だろう
くるみは割愛として、やはり東ゆうがちゃんとアイドルになり、国民的アイドルグループのリーダーにまで登り上がった。と言う事実はやはり込み上げるものがある。
あの挫折の日々を経て、ちゃんと夢を掴んだ。という結果を見せてくれるのは凄く心強いし、現実だとどうしても手に入れられないものはある。だからこそ、東ゆうはちゃんと挫けず手に入れられたよと示してくれるのが何より救いだったと思う。
特に8年前のどこか気張った表情から、自然な笑顔を浮かべれる様になってるのが、色々と垢抜けたんだなって、そう思える
とは言え、やはり東ゆうが言う通り「夢を叶えることの喜びは、叶えた人にしか分からない」ので、8年後の東ゆうの気持ちを全部は理解できないけど。それでも、その言葉に共感まではできるくらいにはなりたいな
◯
小説と映画の最大の違いは、背中を押す人物が「その時々に出会った人」か「駆けずり回って繋いだ縁がある人達」かの違いだろう。
もちろん、尺的な事情もあるだろうけど、連載形式の原作と比べて、1時間半も話を連続させて見せる形のアニメ映画としては見知った人たちが背中を押してくれる形にした事でより心を掴まれる。
特に原作以上に出番が盛られ、前を向くきっかけを作った東ゆうのお母さんの話や、途中からフェードアウトする伊丹さん辺りがそうだろう。古賀さんだってそう。
確かに色々な人を巻き込み、時には傷付け、挫折したあの日々で得た事は、失敗以上の価値があったんだと思う。
「何のしがらみもなく好きな事をして、たわいのない話で笑いあって、楽しかったなー。」
原作小説にある一文だけど、これがとても強く、印象に残っている。
大人になることは様々な事ができる様になる事でもあり、昔の様に後先考えず突っ走ったり、無謀だ!なんて思う事が中々出来なくなっていく。今も、そう感じている。
だからこそ、あんなにも無茶苦茶をやり切った彼女たちの日々は「青春」と呼ぶに相応しいと感じるし、そう感じるからこそ、もう戻る事は出来ない。戻る事は無いんだな。と、切ない気持ちになる。
星に焦がれ、掴まえようとがむしゃらに走った一瞬とその姿はどこまでも美しく、故にこそ、胸を焼く様な輝きを魅せてくれたのだなと。
◯
昨日、ついに公開四週目の特典が発表された。
正直3回目はどうしようか悩んでいたのだが、その特典を見て、もう一度観に行こうと、そう決意するのでした。