カピカピのもんじゃ焼は焼けるように熱い

さすがに手袋が必要か。

明日朝は氷点下まで気温が下がるらしい。かじかむ手は耐えられずにポケットに潜り込んだ。乾いた風が正面から吹き付けてくる。体を小さくまるめて駅から家まで歩く。しかし足取りは重い。

今まで通りだと時間が解決をしていた。長くても2週間もすれば、これまでの日常が戻ってくる。しかし、今回がそうであるとは限らない。1ヶ月かかるかもしれないし、1年、いや一生このままかもしれない。

本屋によって時間を潰してから帰ろうかと思ったが、そんなことは意味がない。やめた。

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「ただいまー」 反応はない。 リビングのドアを開けると、暖房で暖まったぬるっとした空気が吹き込んできた。テーブルの上にはホームプレート、妻がお好み焼きを作っている。

私はそそくさとスーツを脱ぎ、ワイシャツも下着も脱いでお風呂場に入った。シャワーを出す。数秒冷たい水が流れたあとに、43℃に調整されたお湯が出てきた。

凍えた手にシャワーをかけると、じわっと指先に血が流れ込んでくるのを感じた。シャワーは淡々と43℃のお湯を流し続けている。

頭を泡だて、顔をスクラブでこする。今日は体は洗わない。体を洗うのは2から3日に1回だ。体にこびりついた汚れは、簡単には落とせないことを私は知っている。それに、汚れには防衛機能もあるのだ。

シャワーが終わると体を拭き、上下スウェットになった。夜はパンツは履かない。これは自分のポリシーでもある。

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「はい、食べろ!」 保湿剤を体に塗りたくってたところ、後ろから妻の声がした。 「食べろっ!」 言葉は乱暴だが、怒気は含まれていないように感じる。私はもうちょっと念入りに保湿剤を塗りたかったが、「はいはーい」と答えた。

お皿にはお好み焼き、鉄板にはもんじゃがひろがっている。

「お好みソースとマヨネーズ」 妻の顔は冷静だ。昨日のように真っ赤に火照ってはいない。言葉も熱は無く無味乾燥だ。

私は冷蔵庫から黒い容器と白い容器を持ってくる。 「違う、それウスターソース。お好みソース持ってきて」 「あ、そっちね」

お好み焼きは「お好み」と付いていながら自分の好みには焼けなかった。全て妻の裁量だ。しかし妻の好みは自分の好みでもある。あるいはお好みの人と食べる、という意味なのかもしれない。

「どういたしまして」 妻は言う。 「ありがとうございます」 私は言う。

「美味しいでしょ?」 妻が聞く。 「美味しい」 私が答える。

「優しいでしょ?」 「優しいね」

「かわいいでしょ?」 「かわいいね」

「ありがたいでしょ?」 「ありがたいね」

「結婚して良かったでしょ?」 「結婚して良かったね」

「つまんないでしょ」 「楽しいね」

「面倒くさいでしょ」 「きれいだよ」

「うるさいなって思ってるでしょ」 「幸せだよ」

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もんじゃは鉄板の上でグツグツと水分を飛ばしている。

ホットプレートで作るお好み焼きは美味しい。もんじゃ焼きも美味しい。コンロでフライパンで作るのと違うのは、一定の温度が保たれるからだ。常に200℃に保たれている。

グツグツグツグツ。不思議なことに、もんじゃ焼は焼いても焼いてもカピカピにはならない。ジューっと鉄板に焼き付けると乾いたようになるが、口の中に入れるとジュワッと旨味のある汁気が溢れてくる。

「このもんじゃ美味いね」

具が決まっていない我が家のもんじゃは、味にバラツキがでる。今日のもんじゃはキャベツとたらこ。味付けはよく分からないが、とてもいい味付けだ。私は素直に美味いと伝えた。

「そう?」妻は言う。

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「コーヒー淹れてもいいよ」 私が食後の皿洗いを終えると、妻はそう言った。すでにやかんはシュポポポポと湯気を立てている。

私はコーヒーポットに少量のお湯を入れた。そしてマグカップ半分までミルクを注ぎ、電子レンジに入れてスイッチを押した。コーヒーポットの内側が湯気で真っ白になると、そのお湯を捨て、フィルターを上にのせた。コーヒー豆の缶からスプーン2杯をフィルターにかけ、上からゆっくりとお湯を注いだ。電子レンジを止めてマグカップを取り出し、コーヒーを入れる。

ソファーで編み物をしている妻にマグカップを渡した。

「あったかいでしょ」 妻は「そうだね」と答えた。

最近妻はフロアコーティングについて検討しているらしい。そこで、こんなサイトを作ったそうだ。

フロアコーティングに失敗しないための、業者の選び方や注意点など - はじめてのフロアコーティング

何を考えているかよく分からないが、とりあえず尊敬はしている。尊敬は。

う●こ、あるいは人間のクズ

仕事から帰ってきた。部屋の電気が付いていない、真っ暗だ。子供たちが寝ているのは良いとして、妻はどうしたんだろう。最近疲れているようだったし、先に寝たのかもしれない。

そーっとリビングに入ると、やはり真っ暗だった。キッチンのライトだけ付ける。晩ごはんは食べたようだが、私の分は用意されていなかった。「レンジで温めて食べてね」、そんな置き手紙もない。

特に食べることへの欲求はない。キッチンの電気を消し、部屋の隅にある間接照明の電気を付けた。私の影が魔物のように天井に広がる。

部屋着に着替え、11インチのノートPCを開いた。ブログの更新でもしようか。

書くべき内容は決まっている。先日調査したスニーカーの商品比較だ。データは揃っているから、あとは書くだけ。開始3分でタイピングのスピードが上がってきた。脳内の言葉がそのままスクリーンにうつる。ちょっとした高揚感だ。

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「食べたい?」 ハッとして顔を上げると、妻がキッチンに立っている。妻の顔はこちらには向いていない。晩ごはんの準備をしているらしい。

まさか「私をたべたい??」と聞いているわけてばないだろう。しかし何を食べるのかは定かではない。私は最も無難な言葉で答えた。 「食べたい」

それから妻は淡々と料理を作り、お皿に盛る。1ミリもムダな動きをしないように意識しているように見える。晩ごはんは肉巻き人参・高野豆腐・里芋の煮物だ。

「怒ってるの?」 私は聞いてみた。妻は答える。 「怒ってるって気付かなかったの?」 ・・・答えになってない。

「聞かないと分かんないの?マジでう●こだね。う●こ以下だね」 「え?う●こに並ぶ可能性あり?」 「ない」 「じゃあ"以下"じゃなくて"未満"だね」

ごはんが美味しい。豚バラ肉に包まれた人参を一口頬張ると、口の中で肉の旨味と人参の甘みがいっぱいになった。思わず口元が緩む。

「マジでそういうところ嫌い。人間のクズだね」 「おぅ、人間に認定して頂きありがとうございます」

高野豆腐の出汁吸収率は本当に尊敬に値する。もはや豆腐とは言い難い。スポンジだ。高野スポンジ。

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私は晩ごはんを食べ終わるとお弁当の箱とともに食器を洗った。最近お弁当の内側がざらついているのを感じる。ハイターかメラミンスポンジで洗ったほうがいいのかもしれない。こびり付いた汚れはだんだんと落ちにくくなる。

妻は食事を作ったあとは録画した朝ドラを見ている。私はお皿を洗い終えると、キッチンの電気を消して寝室へ向かった。

ゴハンは作らなくていいよ、と言ったら妻は不機嫌になる

最近は22時まで仕事をしている。その後に1時間半かけて帰るのだら、さすがに疲れるし慢性的な睡眠不足だ。家に着くのは日が変わるちょっと前。寝る以外に何かをする気持ちにはなれない。

とはいえお腹は空くのだ。

「先に寝てていいからね」と言う

妻が24時まで起きていることは稀である。21時には眠くなり、22時までには寝たい、そんな妻だ。私が帰るまで起こしているわけにはいかない。だから朝8:30の時点でこんなLINEを送った。

「今日は遅くなるから先に寝てていいからね」

私は1つミスを犯した。

「先に寝てていい」と送っておきながら、10時からの会議があまりにも退屈で居眠りしてしまったのだ。

「先に寝てて」と言いながら、自分のほうが早く寝るというミステイク。恨むべきは退屈な会議だが、そんなことは妻とは関係がない。退屈な私と一緒に暮らす妻は13時〜18時までの昼寝までは起きているのだから、退屈さは理由にならない。

妻が不機嫌になるのは当然だと思う。

「ゴハンは食べてくるから作らなくていいよん」と言う

家に着くのは23時半過ぎ。ここから晩御飯を食べても寝るまでに消化は出来ない。洗い物も増えるし寝る時間は削られていく。

そもそも私ごときにゴハンを作るなんて負担以外の何ものでも無い(愛情は除く)。だから夕方の休憩時に叙々苑で焼肉を食べることにして、「ゴハンは食べてくるから作らなくていいよん」と送った。かわいいオニギリの絵文字付きである。

私は1つミスを犯した。

焼肉のつもりなのにオニギリの絵文字を送ってしまったことだ。しかたなく私はコンビニへ行き昆布入りのオニギリを買う。焼きたらこと迷ったが、焼肉をやめて焼きたらこにするのは申し訳ない気持ちになった。あと、コンビニに焼きたらこのオニギリが無かったことも大きい。

「ゴハンを作らなくてよい」と言うのは「私はあなたにとって必要のない人間だ」と捉えてしまう可能性がある。妻は家政婦では無いが、必要とされていないと感じるのは寂しいことだと思う。言葉には慎重にならないといけない。

あと、昆布のオニギリは綺麗な三角の形と海苔の照り具合、パリパリッと海苔が食欲をそそり、絶妙な塩加減と口にくれるとホロホロと溢れるご飯が素晴らしかった。こんなオニギリを独り占めして、妻は食べられないのだ。

妻が不機嫌になるのは当然だと思う。

結果、妻は不機嫌になる

そんなこんなで妻は不機嫌になってふて寝した。もし私の粗相がなければ妻はゴキゲンでいびきをかいていただろう。

家に着いた。

弁当箱も洗う気にならないが、洗わなければ翌日のお弁当が作れないから気持ちを奮い立てて、洗う。洗う。流す。水気を拭き取る。さっさと寝たいのだが。

しかし、妻は晩御飯を作ってくれている。私がコンビニのオニギリ一個でゴハンを済ませることは折り込み済みなのだ。ラップをかけたお皿に一人前のおかず。マカロニサラダ、ミニトマト、鳥の照り焼き。炊飯器には炊きたてのご飯。

私はありがたくいただいた。鳥の照り焼き、美味い。

妻は不要品、と言ったら怒られた

読んだ本はすぐにブックオフに売りに行く人もいるが、私はしばらく手元に置いておきたいタイプである。

それは「読み返したいときに持っていた方がよい」という実利的なことよりも、「読んだ本が私の血となり肉となる」という物理的な意味の方が大きい。多分レバーやステーキを食べるより血となり肉となっていると思う。医学的には知らんが。

読み終わった本が不要かどうかは考えればわかる。だいたい不要だ。確かに鍋敷きが無い時に本があると便利だか、それは読み終えてない本でも代替可能だ。こち亀全巻を鍋敷き代わりにしてみよう。きっとジェンガのようなワクワクとスリルが味わえるはずだ。

「私は不要?」とあえて聞かれた

別に普段その存在が不要かどうかなんて意識していない。すでにそこにあるものの存在意義を考えるのは、やたら哲学的なことを考えたくなったときくらいだ。「果たして肘裏のシワが必要か」って考えたことある??

で、妻に「あなたにとって私は必要ないの?」と聞かれたから「必要ないね、不要」と答えた。

妻「必要ないってどういうこと?」 私「無くても困らないということ」 妻「あなたには必要なものは無いの?」 私「ある。トイレに紙が無いと困る。トイレの紙は必要」 妻「私はトイレットペーパー以下ってことね」 私「そだね」

これを読んで私はとてもヒドイ人間である、と思った方は誤りである。全くもって私はヒドイ人間では無い。私は人間未満なのだ。この後妻にも「う◯こ」と言われたから間違いない。

妻「ペーパーの無い国もあるけど」 私「どこ?」 妻「インド。あ、夜ごはんは天ぷらです」 私「なるほど。インドは住んだことがないからね。ごはんありがとう。」

「必要ないね、不要」は余計だった

「私は必要?」に対して「必要ないね、不要」、この答えは間違っていた。あまりにも残念すぎる答えだ。口からでまかせ、目は口ほどにものを言う、論より証拠、口は災いの元だ。

「必要ないね、不要」は、いわば同じことの繰り返しである。「必要ない」と「不要」はどちらも同じだから二重表現だった。頭痛が痛い、光速の速さ、校則の規則、梗塞の脳みそと同じだ。

それに気付いた私は「必要ないね、不要を取り消す」とメッセージを送った。しかし私のテレパシーは届かなかったらしい。妻は全くメッセージに気付く様子が無い。感度が悪いのかもしれない。

しょうがないのでLINEで送ることにした。

「必要ないね、不要」は取り消します。正しくな「不用品」でした。

もちろん、妻が不機嫌になりゴハンが少し豪勢になったのは言うまでもない。妻は私を肥満にして復讐しようとしているのだ。