インドネシア 投資環境トピックス 3/4月
企業は最新科学産業基地へ視点
4/30 マイクロソフト、AI・クラウドの4年間に17億ドル、来イしたCEO発表
4/3 NVIDIA、インドサットとソロ・テクノパークで AI センター開発へ、投資 2 億ドル。
4/17 アップル、来イした CEO 、イで工場建設検討か
4/17 マスターカードも CEO 来イ、国有企業相と会談、デジタル決済の強化に協力か
基幹重工業も並行し
3/4 シェル・インドネシア、ブカシでグリース工場(年産能力 1,200 万リットル)着工。
3/4 チャンドラ、苛性ソーダ工場建設へ、投資 10 億ドル、ニッケル川下産業などへ供給。
3/6 エネルギー・メガ・プルサダ、リアウで新ガス田発見、推定埋蔵量 1,260 億立方ft。
3/7 チャンドラ・アスリ、プラスチック廃棄物アスファルト道路 50km 超が完工。
3/7 マキシス(台湾)、イのタイヤ工場拡張へ、日産能力 3 万本→4 万本。
3/8 NETA オート、5 月にブカシの地場企業の工場で国内組立開始へ、
EV化は既定方針通り
4/30 BYDモーター、スバンに工場計画、年産能力15万台、2026年1月の稼働目指す。
4/30 ブルーバード、2024年Q3めどにBYD『e6 Gen2』導入へ。
4/25 ブミ・ミネラル(カラ)、フェロニッケル製錬所年産能力3.6万トン、年内稼
4/1 ハルム・エネルギー、ハルマヘラで、2026 年にニッケルコバルト水酸化物生産開始
3/28 ビン・ファスト、イで EV『Vfe34』発売、航続 318 ㎞、3.15 億ルピア~。
3/26 BMW インドネシア、EV セダン『i5』発表、航続 582km、独からの完成車輸入。
3/7 ベンツ・ブランドのバス・トラック組立工場 2025 年 2 月の稼働目指す
次は再生可能エネに本腰視線
4/25 東京ガス、家畜メタンガス再生可能天然ガスの製造
4/25 マハラクサ・ビル・エネルギ、木質バイオマス燃料工場を稼働する計画
3/14 PLN、ヌサペダ島で太陽光発電所とバッテリー・エネルギー貯蔵施設建設へ。
3/5 ユナイテッド・トラクターズも、スマトラの地熱発電所事業へ8,069 万ドル。
国民に示しが付くか 法の凋落懸念
4/22 大統領選の異議申し立て憲法裁の判決、再投票は不要。アニス側敗北を認めた。
4/5 大統領選異議申し立て審理:憲法裁が4 大臣を召喚、社会支援や地方訪問について
4/28 スリウィジャヤ航空、オーナーがスズ取引めぐる汚職疑惑で容疑者に断定され
4/27 インドファルマ、4月の給与は半分支給、1~3月給与は未払いのまま。
4/23 2023年には320万人がオンライン賭博、オンライン賭博撲滅作業部を設置へ。
3/18 インドネシア輸出金融庁(LPEI)の 4 社に対する不良債権 は詐欺の疑いあり
3/5 経済成長率 高率8%目指すと次期大統領当選確実視してプラボウォ候補。
4/28 最大イスラムNUイベントに次期正副大統領が出席、NUの支持に躍起。
中國一帯化の環境へ
4/19 高速鉄道のスラバヤへの延伸、王毅外相との会談で。第 4 回イ中ハイレベル会議
4/19 アリペイ、イ進出へ、許認可申請中と CEO。
4/18 来イ王毅外相が、中央情勢などプラボウォ次期大統領とも会談した、防衛協力など。
4/2 広汽埃安新能源汽車、イでの EV 販売でインドモービル傘下企業と提携。
4/1 まず訪中のプラボウォ次期大統領が習近平中国国家主席と会談、関係強化など。
3/29 習近平中国国家主席が次期大統領プラボウォを北京に招待 3/31~4/2。
3/28 北京汽車、イ進出計画を発表、5 月に 4WD 車と SUV 投入へ。
3/25 アネカ・タンバン、寧徳時代新能源科技とニッケル製錬所 2 ヵ所建設へ。
3/12 賽輪集団、ドゥマックでタイヤ工場建設へ、ラジアルタイヤ 360 万本
3/7 ファーウエイ、開発したスマート 5G ウエアハウス発表、5G 通じたロボット活用。
Nobar Timnas U-23インドネシア敗戦にクチェワ
いいところまで行ったのに 韓国戦に燃え尽きたか 一人ニュースを見る。
Nobar (Nonton bareng )tersebut untuk memberikan dukungan kepada Timnas Indonesia
一緒に観戦(nobar)してインドネシア代表チームを応援しよう。
Warga menyaksikan pertandingan Timnas U-23 Indonesia melawan Guinea melalui layar tancap di Gedung Filateli Pos Bloc, Jakarta,
インドネシアのU-23代表対ギニア戦を、ジャカルタのPos Bloc Philatelic Buildingで張ったスクリーン越しに観戦する住民、
Timnas U-23 Indonesia gagal meraih tiket terakhir ke Olimpiade Paris 2024,usai kalah dari Guinea dengan skor 0-1.
U-23インドネシア代表はギニアに0-1で敗れ、2024年パリ五輪への切符を掴むことができなかった。
Tampak terlihat raut wajah suporter kecewa dengan hasil kekalahan tersebut
敗戦に落胆したサポーターの表情が見て取れます
2024年5月9日
幾つかインドネシア語を学習がてら、快挙を記録しておこう。
切手展示のなかった切手博物館はこんな使い方もできるのだ。Kafe併設も、
もう昔の話だ。
ベンタラ・ブダヤは Bapak Jakob Oetama のお陰
私には早くから知っているのに行く機会が少なかったような場所は少なくない。それも芸術文化関連イベントをやる施設だということは私の文化度に依ることになるがそれがベンタラ・ブダヤである。
その昔外国人座談会に招かれJakarta Post新聞社に行った時その事務所(印刷所)の正面に立つジャワ風建物の存在を知り、その時は中に入ることが出来ないままであるから30年にもなる。ニスカラの世界: ジャカルタ新旧あれこれ (cocolog-nifty.com)
ベンタラ・ブダヤ・ジャカルタ(Bentara Budaya )は、博物館とアートギャラリーで構成されて平日は午前8時から午後5時まで開館しており、特別展が開催されているときは常にオープンである。
ベンタラ・ブダヤ・ジャカルタは、Kompas Gramediaの創設者であるヤコブ・オエタマにより1986年に開館した。それより前にジョグジャカルタにオープンさせ、その後
スラカルタ(バライ・スジャトモコ)、バリ島に続いている。
ジャカルタの建物のデザインは、ジャワのクドゥスの伝統的な家屋から有名な建築家ロモ・マングンウィジャヤが設計したチーク材の家である。
特徴としてアファンディ,Sのスジョジョノ、ヘンドラ・グナワン、バソエキ・アブドゥッラー, Kussudiardjo、Trubus Sudarsono、Rudolf Bonnet、H Widayat、Otto Jayaなど
約573点に及ぶ絵画コレクションとバリの古典絵画の大規模なコレクション、それに
元、唐、宋、明、清の王朝の625点の古代中国陶磁器インドネシア原産の陶磁器やその他インドネシア各地の彫刻、アンティーク家具類、ワヤン・ゴレック、その他の芸術作品の展示が豊富である。
ジャカルタのグリーン・ビルの面々
先日(202404-29)のブログの“グリーンビルのPERURI 88は今”で出した2件は過去にもブログしたが、これにはgreenに触れられていない
過去のブログ;
BCA TowerとGrand Indonesiaを繋ぐ - ジャカルタ新旧あれこれ
EnergyからEquityへ、そしてEternity - 今さら 日イのはてな
一時流行ったグリーンビル認証の話は聞かなくなったがこの報道のグリーンビルの10件は下記の通りであり
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Menara BCA Jakarta
一見したところ、建物のファサードにどれも緑を見せていないが屋上など緑の工夫がある。しかし、このMenara BCA Jakartaは、最も権威のあるカテゴリーであるグリーンシップEBプラチナ証明書を獲得している。このクラスでは殆ど困難な電力を35%削減しているそうだ。
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Sequis Center
Sequis Centerは、スディルマンにあるオフィスで確か1970年代の建物である。
電力使用量を最大28.12%節約できることまた水使用量を28.26%の節約するということでゴールドグリーンシップを取得している。
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Kementerian Pekerjaan Umum
公共事業省のビルで電力削減39%でGreenship Level Platinumを得たが環境が良いところだ。国家警察本部の裏でこの間ブログしたRaden Patah通りである。
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Sampoerna Strategic Square
ファサドはクラシックヨーロッパ風を装う廃棄物管理、資源リサイクル、大気質の改善が含まれる。また、この建物は水の使用量を42%削減することができた
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Pacific Place
パシフィックプレイスは、2011年のASEANエネルギーアワード、2014年にGBCIからグリーンシップEBプラチナ証明書を取得した。リサイクル、再調整、交換、スケジュール短縮など、多くの環境プログラムを実施し、毎月最大25%の運用コストを節約することができる。
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Gedung Teraskita
Cawangに建つアパートでWaskita(Dafam)が149室のHotel Vasaka Hotel が入居している。テラスキタは、年間運用コストを最大50%削減できることでIFC国際金融公社からグリーンビルディング証明書を取得した。
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Gedung Mina Bahari IV Kementerian Kelautan dan Perikanan
1980年代に建てられた海洋水産省が所有するミナバハリIVビルである。当時ムルデカちムールは民間ビルは皆無の所トミースハルトが建てたものである。今は海洋水産省でゴールドグリーンシップ証明書を保有している。
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L’oreal Indonesia
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Wisma Subiyanto
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Alamanda Tower
水と電気の利用を効率的に行うと言うことで運用コストを最大34%削減するが、これは年間40億ルピア相当である。
他の資料から拾うと
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AIA Central
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Alamanda Tower
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Gama Tower
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Generali Tower
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GKM (Green Kosmo Mansion) Tower
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HDI Hive
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Jakarta Box Tower
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Menara BTPN
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The Noble House
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Plaza BP Jamsostek
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Sopo Del Tower A
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Sopo Del Tower B
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South Quarter Tower A
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Sudirman 78
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The Energy
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The Manhattan Square
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Trinity Tower
グリーンビル認証はグリーンビルディング評議会インドネシア(GBCI)によって。或る基準によってプラチナムやゴールドなどのランクで以て認証される。ジャカルタだけで過去100件ほども有ると読んだ。日本でも確かアメリカ基準のLEED認定で140件の報道を何年か前に読んだことがある。
基準の一つは通常の建物と比較して30〜80%の光熱費給水などの運営費の削減である。
二酸化炭素排出量の約40%は建物から発生しているという重要さから、シンガポール政府は、すべての不動産開発業者にグリーンビルディングの建設を義務付けているが日米なども民間の機関が基準をさだめ認定を行っている。一口で言うと 地球環境に配慮した建物のことで別名「サステナブルビルディング」とも呼ばれてる。省エネルギーや二酸化炭素排出量の削減、水を含む資源の効率的な活用と循環、生態系の保全、ウェルビーイング、レジリエンス、社会的公平や包摂などに配慮して設計されている認証である。
メディアのとり上げも少なく恐縮ながらブログにした。
ドゥマーク・スルタン王国とジパング領主
今年1月25日に “ジャカルタの緑深い街の文化”で 偶々Raden Patah通りについて触れた
先日(4月29日)も“グリーンビルのPERURI 88は今” で公共事業省の本省のビル(住所:Jl.Raden Patah)を検索したが、それが長く課題としていたCountry House Jepangの謂れで昨日のJepangを突き詰めることが出来た、神のお助けがあったことでさらにDemak王国の歴史を深堀してゆくことにする。
スルタン国のドゥマク(Sultanate of Demak:1475年 -1554年)を建国したRaden PatahはAlam Akibar Al Fattahとも言い、本当はマジャパヒットのブラウイージャヤ V(クルタウイジャヤ)の王子であり、母親は中国人の血を引く人、或いはチャンパ(ベトナム・カンボジア)出身とも言われる。母方の血統からイスラムの9聖人であるワリソンゴに建国を助けられたため、Raden Patahも熱心なイスラム信奉者となり、バンテンおよびチルボン王国の勢力拡大を助け、ジャワ海北岸一帯にイスラム教を普及させた。彼自身がワリソンゴといわれることがある。
これより前、14世紀の初め、明のYan Lu帝はマジャパヒットのブラウイジャヤ王へ一人の王女を両国の友情の証として送った。この王女は美人でチャーミングであったため直ぐ王の心を捉え彼女の欲望は何でもかなえさせ、それがマジャパヒット王宮の闘争劇の始まりである。と言うのはブラウイジャヤ王にはチャンパ出身の后がおり、最後には美人でチャーミングな王女をマジャパヒットから追放しなければならなくなり、パレンバンの領主(Adipati)Sedamarに下された。この地でRaden Patahは生まれるのであるが、下付された母親には既にPatah をはらんでいたとも思われる。
1419年父親違いの弟と共に勉学の為Tubanに送られ、ここでムスリムの導師のSunan Ngampelの元でイスラムを学ぶことになる。
こうしてイスラムを学び精神的支柱を得たPatahはマジャパヒットの地でドゥマクを建国(1478年)を成功させる。その後も養子がファタヒラーのバンテンおよびチルボン王国の勢力拡大を助け、ジャワへのイスラム教を普及に貢献した。ラーデンパタには二人の子供と二人の養子がいたが彼は1518年(1504年とも)亡くなる。その後スルタン国は
1518年 - 1521年;アディパティ・ウヌス
1521年 - 1546年:スルタン・トゥルンゴノ:1527ファタヒラージャヤカルタ勝利
1546年 - 1549年スナン・プラワタを経てJepangの公守
1549年 - 1554年:アルヤ・パナンサンArya Penangsangと続くのである。
1546年にトゥルンガナが亡くなった後、後継者争いとなり一旦スナン・プラワタ が王位に就いたが、1547年に彼のいとこであるジパンの摂政(ブパティ)であるアリヤ・ペナンサンによって殺された。その後、アリヤ・ペナンサンはドゥマク王国の後継者トレンガナの子孫を主張するハディウィジャヤ(またはジャカ・ティンキール)を殺そうとしましたが失敗した。(逆に倒されたとも)。ハディウィジャヤは、1568年パジャン王国(1568–1586 )を設立したのである。後にマタラム王国の拠点となった。
このあたり以下の論述もある。
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アリヤ・ペナンサンは、中部ジャワのジパン・パノラン公国に居住する領主である。
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彼の父、ラデン・キキンは、スルタン・トレンガナの後継者としてデマク王国の王位をめぐる戦争で、スナン・プラワタの手によって亡くなった。
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アリヤ・ペナンサンは、父の死に対する復讐として、スナン・プラワタからデマクの王位を奪った。
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アリヤ・ペナンサンはスルタン・プラワタを暗殺するために殺し屋を送り込んだ。
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彼は家宝であるケリス・キ・ブロンゴット・サタン・コーバーを暗殺者に貸した。
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しかし、この計画は成功せず、デマクの王位はスルタン・ハディウィジャヤの危険にさらされた。
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Sunan Kudusはアリヤ・ペナンサンを擁護し、スルタン・ハディウィジャヤを殺害する計画を練った。
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両者を和解させるという名目で、スナン・クドゥスはスルタン・ハディウィジャヤに不運のタトゥーを入れた席を提供した。
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しかし、その席は代わりにアリヤ・ペナンサンが占め、暗殺計画は逆転、失敗に終わった。
或いは:
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バタビアの初代統治者であるアディパティ・ジャヤカルタは、港と都市の周辺を含む領地を持っていた。
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また、パンゲランアリヤジパンとして知られているArya Penangsangは、南ジャカルタのジャランスディルマンからパルメラのエリアを所有していた。
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どちらの人物も領土を拡大したいという野心を持っており、激しい戦いの末、ジャヤカルタ公爵は殺害され、アリヤ・ペナンサンは殺害の首謀者として告発された。
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確固たる証拠はないが、この告発はアリヤ・ペナンサンの生涯を終えるまで悩まされた。
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アリヤ・ペナンサンは、大胆不敵でありながら物議を醸す戦士としてVOCの貴族や役人の間に不信と疑念を呼び起こした。
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アリヤ・ペナンサンさん自身もVOC軍との戦いで戦死した。
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彼の悲劇的な死は、ジャカルタの歴史上の人物の一人としての彼の支配と存在の終焉を告げました。