TIMEXキャンパー

昨年末に、10年以上使っていたタイメックス・キャンパーが逝ってしまった。

実はコレは自分にとって2代目。最初は確か二十歳の時だから17年前に買った、当時は手巻き式のキャンパーだった。

以来この時計が気に入って使い続けこのたび3代目を購入した。
タイメックスでは「オリジナルキャンパー」という、あの手巻き時代のフォルムを復活したタイプも販売しているのだが、
これが裏蓋まで忠実再現しており電池交換が素人では難しそう。
よって電池交換が容易な(コイツの電池は100均で買える!)現行タイプにした。

壊れてしまった先代と比べると文字盤の周囲など、若干デザインが更新されているのが判る。

缶チューハイ決定版

ここ数か月アルコール摂取量が増え、体型的にも『ライザップ前』なフォルムになってしまい、でもアルコール摂取量は減らせられないなあという意志の弱さ。ではせめてビール類を控えて缶チューハイにシフトする昨今。
ベストオブ缶チューハイはこれです。

果汁含有量の多さをウリにする商品では「KIRIN本搾り」シリーズが有名だが、実はこれが決定版。
JINROのグレープフルーツチューハイ。「KIRIN本搾り」のグレープフルーツが果汁28%アルコール6%に対しこのJINROは果汁40%アルコール7%というクオリティーでこの果汁感はまさに居酒屋の生グレープフルーツチューハイ。
細かい話をすると市販の缶チューハイの大半は実は焼酎ベースではなくウォッカベース。これは結構悪酔いしてしまう。ちゃんと焼酎ベースなのは「宝チューハイ」シリーズとこのJINROくらいか?家呑み用安酒探究は奥が深いしこれからも続くわなー。

雑記


【その1】大森のダイシン百貨店がついに閉店することになった。5月8日に完全閉店、ドンキホーテが後を引き継ぎ「MEGAドンキ」としてリニューアルするそうだ。
子供の頃買い物によく行ってた思い出深いダイシン(行っていたのは今は無き久が原店だが)がついに完全消滅してしまうとなると見納めをせねばなるまいと、連休中の空いた時間に行ってきた。店内は売りつくしセール状態で1Fの生鮮食品売場以外はガランとしており、食べ納めをしたかった4Fのファミリー食堂はすでに4月末で終了。残念。


【その2】TSUTAYAの発掘良品に「エル・スール」が出ており思わず借りてしまった。昔まだ実家暮らしだった20代前半の頃、VHSに録画して何度も見返したフェイバリットムービーの1本だった。
あれから約20年経って、主人公と同じ年頃の娘を持つ父親となった今、どんな感想をこの映画に抱くのか思いめぐらせながら鑑賞した。

以上、連休中の雑記でした。

(私的)80年代フラッシュバック

今年はのっけから芸能界ではいろんなニュースがあったが、それらの中でデヴィッド・ボウイ逝去と清原逮捕という件が、私的80年代フラッシュバックを呼び起こしていた。
まずは、デヴィッド・ボウイ。といっても彼への関心は殆ど無い。のだが、自分的には「戦場のメリークリスマス」の記憶が強烈で、昔このブログで「戦メリ」は取り上げている為、内容の重複を避けつつ記述する。
「戦メリ」との出会いは、劇場公開の1983年。正確に記すとロードショーで観たのではなく、公開半年後位の1983年秋ごろだったと記憶している。当時自分は小学6年生、
思春期前夜で、まだギリで親と週末外出する事が嫌でなかった頃、両親と銀座の名画座でこの「戦メリ」を観たのが最初の「戦メリ」体験だった。まあ小6だったから映画鑑賞にしても批評家的態度や映画青年的パッションも全然無く、純粋に映像の美しさと音楽のマッチングに只々感動し、80年代中期の中学生時代、レンタルビデオなる文化が急発達した時代に「戦メリ」を何度も借りて場面やセリフを丸暗記する位まで見まくった事、多分人生で最も繰り返し見ている映画が「戦場のメリークリスマス」だった。
去年末にBSで「戦メリ」が放映されていたのを録画して正月休みに観て、デヴィッド・ボウイが亡くなって追悼でまた「戦メリ」やっていたのを録画してまた観た結果、脳内で初めてこの映画を観た当時の、小6時代の心象風景が鮮明に蘇った。当時の銀座の風景や、これもかつてこのブログで取り上げた「松田聖子全盛時代」も、自分的には83年。カーラジオから流れていた「ガラスの林檎」「SWEET MEMORIES」「瞳はダイヤモンド」と当時よく親に連れられて行っていた銀座や二子玉川の夜景とがシンクロした、子供心に感じ取った「東京のアーバン感」。今にして思えばバブル期に向かう前夜の東京の雰囲気があったのであろう。余談だけど松田聖子が「銀座」「二子玉川」としたら、同時代の聖子と並ぶトップアイドル中森明菜は、「少女A」「禁句」辺りはなんか「新宿っぽい」なあと、当時から思っていた。
次。清原逮捕のニュースはもちろん僕の世代には途方もなく大ニュースなんだが、TVでいろんな過去映像が流される中、西武時代の清原とか出てくると、これまた「あの頃」を思い出さずにはいられない。清原が高卒で西武ライオンズに入団したのが1986年。この頃、虚弱体質かつ運動神経ゼロでスポーツ全般無関心だった自分が唯一プロ野球だけはそれなりに熱心に見ていたのは、ファミコンの対戦型野球ゲーム「ファミリースタジアム」を通してプロ野球に興味を持ったからだった。そして清原が加入した80年代後半の西武ライオンズは、史上最強だったのではなかろうか。打者では秋山、清原、デストラーデの『AKD砲』に加えて長打も足もある石毛、打撃職人的な平野、辻とか、名捕手伊東に至るまで全く弱点が無い。投手陣も凄くて、ストレート150Km級の渡辺久信工藤公康郭泰源に加えてベテラン技巧派の東尾修、マニアックなアンダースロー松沼(兄)など、こちらも全く隙が無い。「キラ星の如きスター選手感」がこの時代の西武ライオンズでしたね。
80年代後半のプロ野球選手の中でも、渡辺久信や工藤や日本ハムの西崎が、「超イケメン」的にもてはやされ、DCブランドのスーツを着こなしたりして、当時の西武(セゾングループ)が「PARCO」「LOFT」等、東急の本拠地渋谷に攻勢を掛けていたイケイケなバブル期のイメージと融合し、「なんか西武ってカッコイイ」というところまで行き着いたあの時代。友達が渋谷丸井のDCブランドセールに行くの付き合った、高校生当時の渋谷も懐かしい。

仕事の愛用品

仕事で使っている電卓。多分30年以上昔のレトロ電卓です。
カシオJ−30というタイプで、調べたら発売当時¥10000近くしたらしい。  

この電卓は、十数年前に会社を辞めた先輩から譲り受けた物で、電源は単3電池2本使用、しかもこれが1ヶ月程度しか保たないという大食らいなのが難点。

だが、この欠点を補うのは、『蛍光管表示』の見やすい画面で、これに慣れるとちょっと液晶の電卓は使い難いです。それからボタンのサイズ感とキーストロークも申し分無し!ミスタッチは殆どない。いまどき電卓は¥100ショップでも買えるけど侮るなかれ、「自分だけの1台」を探すのも粋ですね。

WW2戦車ヲタ限定の映画「フューリー」

数年前に近所のTSUTAYAに入会したっきり全然利用していなかったのだがケータイ機種更新に伴いTポイントカードを新しくしたのを機に再入会した。
で、まず借りたのが「インターステラ―」。生まれて初めて劇場で観た映画が「未知との遭遇」、初めて劇場で観たアニメ映画が「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」だもんで、こういうハード過ぎないエンタメ宇宙SFは好きですね。
そして次に借りたのが「フューリー」です。映画のジャンルでは『戦争アクション物』も大好物ゆえではあるが、この「フューリー」は映画史上初の偉業を成し遂げているのです。
それはタイガー戦車の『実車』が登場!しかも動いているという偉業!
この辺の話はWW2ミリタリー好きでないとわかりづらいのだが、例えば「プライベートライアン」みたく過去どれほどリアルな考証を施した戦争映画でもタイガー戦車に関しては旧ソ連のT34を改造したりして誤魔化すしかなかったのだ。敗戦国ドイツの戦車はほとんど現存していないのだから仕方がない。
さて、以降「タイガー」をヲタっぽく「ティーガー」と表記しますが、この映画「フューリー」は、イギリスのボービントン戦車博物館に唯一可動状態で保管されているティーガーI型を借り出して撮影しているのです。ただ劇中では「ティーガーVSシャーマン」の戦闘シークエンスはさほど重要ではなくて、とりあえずマニアを満足させとけみたいな数分間でした。
では「フューリー」の見所は何か?簡単に言えば「小林源文の作品テイストを完全実写化」したという点ですかね。もちろんデヴィッド・エアー監督は小林源文先生を知らないと思いますが、この映画は奇しくもハードかつグロテスクな戦車の戦闘を描写し続けた小林源文の作品群を忠実に再現しているのです。ただ小林源文独軍側を主人公にした作品が大半なので、米軍のシャーマン戦車を主役にしている「フューリー」とは視点が違うが、「フューリー」は「プライベートライアン」級に独軍の軍装、兵装はリアルに再現しているのでベリーグッドです。
話を「ティーガー戦車」に戻すと、本作で使用されているボービントンの実車は、北アフリカ戦線で捕獲された初期型で、「フューリー」の舞台となっている大戦末期1945年4月だと、独軍重戦車大隊に於いては「ティーガーII型」つまり「キングタイガー」にほぼ更新されている為、ティーガーIの初期型、しかも単色塗装というのは考えにくいシチュエーションではある。無理にこじつけて考えるならば、大戦末期ドイツでは戦車訓練学校で教習車両として使われていたティーガーI初期型を引っ張り出して実戦配備した記録もあるので、まあこれはそういう事なのかなと自己納得しました。

「フューリー」に登場する初期型ティーガーIに敬意を表し、昔集めた海洋堂ワールドタンクミュージアムのコレクションから。

ともあれ「フューリー」はタイトルにある通りWW2戦車ヲタにとっては昇天モノの映画なのだが、ストーリー的にこじんまりとした話にならざるを得ない為、内容の濃厚さに反比例してカタルシスというかケレン味に欠ける印象ではあった。乗員にとって戦車は正に「我が家」であり、その狭い車内空間に生活している感じは、70年以上昔の「サハラ戦車隊」を連想した。(この映画、ハンフリー・ボガートが戦車長役!で主演)あと、大戦末期でドイツ国内の奥深くまで戦場になっている感じは「レマゲン鉄橋」を思い起こすし、様々な過去の戦争映画のエッセンスが詰まっているように感じたが、やはり監督のデヴィッド・エアーという人のドライな男性的感覚が「小林源文的」な感覚と一致しているのでしょうかね。デヴィッド・エアー監督作では以前GYAOで「エンド・オブ・ウォッチ」という警察モノを観てこれも良かったです。

今でも現役(その2)

2006年に我が家に初めてPC(シャープ・メビウス)が来て、設置&各種設定を終えてまず最初におこなったのはiTunesをダウンロードして、所有する音楽CDをガンガン取り込んだ事。盆休み中で体力に余裕があった為、頑張って徹夜作業をしたのが懐かしい。
しかしiTunesがあってもこの時はまだiPodを持っていなかったので専らPC上で曲を再生したりポッドキャストを聴いたり、やはり不便であった。
この年の12月にビンゴ大会か何かで1万円分の商品券をゲットするという幸運があり、さっそく¥9800のiPodshuffleを購入。これで通勤時の音楽ライフが格段に快適になった。2006年はすでにiPodやiPodnanoもかなり普及していたんだけど、自分は当時ポータブルCDプレーヤーかMDウォークマンを使っていたから、アルバム1枚分聴いたらディスクを交換しなきゃならないし、CDの場合、当時自分はPCで焼いた『自分ベスト』的なヤツじゃなく、オリジナルアルバムをそのまま持ち歩いており、駅のホームでスティービー・ワンダーの2枚組「キー・オブ・ライフ」を落っことして、ケースがボロボロに割れてしまったという苦い経験もあった。
iPodファミリーの入門機で機能も容量も少ない「shuffle」だが、200曲以上入るのは、10代の頃にメタルやハイポジのカセットテープでせっせと「マイベスト」を作っていた世代の自分としては革命的な出来事だった。

で、今でも現役のiPodshuffle、第二世代で容量は1GB。これを買った時に容量ギリギリの220曲を厳選した「シャッフル用」というプレイリストを作って毎日通勤時に聴いていた。
ただその後音楽よりもポッドキャストにハマるようになり、コイツの出番が少なくなったが、我が初iPod製品ということで非常に愛着がある。時々初恋の人を思い出すような気持ちで物入れの中から取り出し、8年半使ってバネの弱まったクリップを服に着けて一緒に外出している。