眼科にて
今すぐ眼球を取り外したいくらいに眼痛と充血が悪化していたので、眼科で検査してもらった。流行性角結膜炎らしい。それって小学生がプールで罹るやつじゃないの?当方、21歳大学生です。黒眼の部分にも傷がついていて充血や痛みが引いても濁りは残って見えづらくなる可能性があるそうで、言葉通り、弱り目に祟り目。感染力が強いから出来るだけ他人と接触しないように言われたけど、このご時世で、わたしだけ自粛するわけが結膜炎というのも妙に恥ずかしい。帰り際、諸事情あって手元に保険証がなかったので仕方なく全額自費負担で支払う。後日保険証を提出すれば差額が返還されるという話を、なぜか少し訝しく思いながら不安げに七千円と小銭を置く。国民健康保険制度の偉大さを知り、今後の人生、文句を言わずに納税することを誓った。
機械越し傷付いてますと言われ
急に愛おしくなる角膜
ときめき廃墟
オカルト的な好奇心なしで廃墟に行きたいと中学生くらいの頃から思っていて、絶対に誰も住んでなさそうな廃れた家屋とか空き地の隅に放置されて朽ちたバスにときめいてしまう。
廃墟にはずっと変わらずそのままの空気が滞留しているような気がする。廃墟になるほど長い年月そこにあって、幾度となく風や雨や暴風に晒されて空気は循環しているわけだけど、そこには遠い過去の空気が変わらずあって時間が止まっているような世界から切り離された感じが好き。空気じゃなくてオーラというのかな。包まれたい。かつてそこにあった生活感の「感」の部分を味わいたい。
タイムカプセルを開ける瞬間のような、誰かが最後にそこにいた時代をそのまま封しておいた場所に足を踏み入れる高揚感。わたしが廃墟に入ることで空間内に固定され続けてきた全てが崩れてしまうことへの背徳感。
錆びて動かなそうなドアを開けるところを想像するだけでドキドキしてくる。
そこで確かに機能していたモノが全ての有意性を失い、ただそこに存在するオブジェと変貌を遂げる。時間性、場所性、社会的役割を放棄して、意味の世界から解き放たれた存在になる。デュシャンに代表されるレディメイド作品と「意味の剥奪」という点で通じるものがあると思うけど、廃墟の場合は制作意図すらなくて、もはや自然に生み出されたアートだから本当に凄い。
廃墟とは当然、誰かによって建物という役割を与えられた創造物だった。そこで誰かが生きて、幸せを築き上げて時には苦しみに耐えて過ごしてきたと思う。しかし、何らかの事情によって人が立ち去り、長い時間の中で廃墟と化した。建物が取り壊されたわけではないけど、社会からの分離は破壊そのものだ。ここに存在し続けているのに、風化して朽ち果てて生命を終えたような姿に儚さまで感じてしまう。
人は誰しも死に向かって生きる。人だけでなく、あらゆるものに永遠はない。「永遠の愛」とかに憧れていても、一応永遠はないと思っている。あってほしいけど、ないっぽい。廃墟はその不変的な結末を表象しているようで、その佇まいに、どんなに大きい力でもっても抗うことのできない運命と儚さを意識させられる。
創造と破壊の象徴であり、栄華と零落、日常と異世界を取り込んだ廃墟、みんなも入りたくなった?
まあ、目の前にあっても入らないけど。怖いから。
究極の愛
健やかなるときもとか病めるときもとかどうでもいい
わたしが死んだらタージマハル2建ててくれる?
愛読代理人
わたしはちょっと読みたいなくらいなら図書館で借りるけど好きな作家さんの本は必ず新品で欲しいタイプでいつもそうしてるんだけどネットで探しても中古しかない本があって潔癖という訳でもないからまあ良いかと思って注文しました
届いた本は思っていたよりもずっと綺麗で帯も付いていてラッキーと思いながら読んでいたら途中でメッセージカードが挟まってることに気づいてしまって通りで新品そのものな訳だと心地よくない納得感を味わっています
この世界のどこかにいる誰かが誰かを思って選んだ本をわたしが代わりに愛します
少女漫画脳
いつかのわたしはアパートでひとり暮らしをしてふわふわした雰囲気が死ぬほど可愛いのにベランダで吸う煙草も似合うお隣さんに「作りすぎたんで良かったらもらってくれませんか?」と手作りパウンドケーキを渡して「なんか良い匂いするなと思ってました笑」とか言われます
今夜は『凪のお暇』を読みながらパウンドケーキを焼きました
余裕のある生活
オンライン授業のおかげで常に課題に追われているけど朝早くから家を出て帰ってきたら夜になってるを繰り返してたことを思うと部屋で生活を完結させられるなんて嬉しくて堪らない
もう戻れないよう
朝から散歩できて好きな音楽流して紅茶を淹れて静かな部屋で課題をして料理も掃除もできて映画を見たりギターの練習したり走りに行ったり部屋には花を飾って寝る前に本が読めてブログさえ始めてしまうこんな余裕がこの先の人生にある?