ボクの自慢は妹!

一部ではありますが、わたしの備忘録として元太くんと妹ちゃんのエピソードを残しておこうと思います。まあ、まちがいなく注目すべきポイントのひとつにボクの自慢の妹とは8歳離れという事実。では、徒然なるままに元太にいちゃんと妹ちゃん。これはノンフィクションですSTART!(ちなみに時系列ではない)

 

・「今度の休み、近くの公園で側転教えてね」って言われてるんで、お兄ちゃん、はりきっちゃってます(笑)

 

・去年は妹からチョコをもらったよ。まだ幼稚園の年長さんだったけど、一生懸命ラッピングしてくれたの。かわいい袋に入れてリボンとかでデコレーションされてて、もう図工の作品みたいな感じ!開けるのが心苦しかった(笑)毎年くれるんだけど、ラッピングしてくれたのは初めてで、成長を感じだな〜。今でも袋やリボンは大切にとってあるよ。

※大切にとってあるよ!ここ!蛍光ペンで線を引いて何度でも声に出したい一文である

 

・小2の妹とミュージカルごっこして遊んだよ。妹がお姫さまのキャラクターをやって、俺が王子さま。

 

・オレがわざと冷たくすると、すごい甘えてくるの。あと怒ったフリすると、本気でショボンとしちゃって「ゴメンゴメンゴメン!かわいいかわいい!」ってなだめてるよ(笑)

 

・妹が「元太、ゲームやろうよ!」ってじゃれてくるので、「しょうがないなぁ」と言いつついっしょにゲーム。妹はゲームに勝つとすごくうれしがるんだ。無邪気に喜ぶ妹がかわいくて、ボクはわざと負けてあげるの。犬も妹もついつい甘やかしちゃう毎日。

 

・ぬいぐるみを抱いている写真は、妹をだっこしてるつもりで撮ったよ。(ちなみにぬいぐるみは🐻ちゃん)

 

・女の子のわりにやんちゃだから、とにかく一緒にめいっぱい遊んであげてるよ。オススメの遊びは、ティッシュをいかに早く取り出せるか競う遊び(笑)取り出したあとは、ティッシュを雲に見立てて部屋いっぱいに広げると喜ぶんだ〜。(げんげんさん当時13歳である)(我が家ならティッシュ出して遊んだらどつき回されるだろう)

 

・一緒にテレビ見てるとき、妹の肩に頭乗っけたりしちゃう。お風呂上がりの髪の毛をドライヤーで乾かしてあげたり、ちゃんとお兄ちゃんっぽいこともしてあげてるよ。

 

・帰りは寄り道をしないで、まっすぐ家に帰って妹と遊ぶよ。僕はずっと妹がほしくて、小3くらいのときから毎年、七夕やクリスマスには「妹がほしいです」ってお願いしてたの。こどもは授かりもの、その通りです

 

・俺、この前、妹の服も選んであげたんだよ。

 

・早朝から妹と妹の友だちに「ゲンゲン、鬼ごっこしよう!」ってたたき起こされた(笑)ま、かわいいし、楽しかったからイイけど。

 

・(家族とテレビをいっしょに見る見ないの話)家に帰ると「げんげん一緒にみよ〜!」って言うけど「ヤダ。げんげんは後で見る」って(笑)妹にげんげんと呼ばれること、自分のことをげんげんと呼ぶあたりな

 

爆モテエスカレーターの話もそろそろぶっこんでおこうかと思ったけど、文字おこししているうちに胸の奥がぎゅんっと苦しくなってきたので今回はここらへんにしておきます。シーユーアゲイン、松田家よ永遠に………

 

一発決めたるG


お隣の部屋のことを気にすることなく、手を叩き、お腹を抱えながら、大笑いする木曜日深夜がすきでたまらなかった!まさか、こんなことなるなんてね。

地元の友人が、Jr.時代からキスマイが好きだったため「〇〇の好きなキスマイ」「玉ねぎ食べてた玉ちゃん」「卵の黄身と白身を逆にする北山くん」「口から光線出すひとたち」当時のわたしの認知はこんな感じで、毎週キスブサを見ていた視聴者のひとり。だったのに、自分のなかで何かの限界を感じたため(?)情報集めとしてTwitterを始めてみる → アレ、たのしい!だったわけ。有名なアカウントの方々を覗いていたら、たかしかわいい!宮っちかわいい!となり、なんとなくふたりのことが気になり、ふたりの間を暫くごろんごろん。コンサートでどっちの団扇買おうかなぁってなった時、お金なくて(貧乏学生)悩んだ末「二階堂くんの団扇下さい」ドキドキした!ワクワクした!嬉しかった!けど、あの時に「宮田くんの団扇下さい」この一言を言っていたら、同じことを思い、宮田担を名乗っていたのだろうなぁ。

割ときっかけは些細なもので、なんとなく気になるふたりから、コンサートが終わってからは明らかになった。これがきっかけで、わたしの生活がリスタートするわけだが、これまた厄介なことに、わたしのドライな性格が邪魔をする。雑誌やグッズの収集癖が皆無のため、面白いくらい情弱で知識もない(笑)けど、それなりにテレビのチェックは怠らず、雑誌もしっかり立ち読みさせていただいて。ラジオも聴いたり。毎日、勉強する日々。チョー楽しかった!

そこからというもの、某動画サイトのオススメ動画でぴょんぴょん飛ぶじゃないですか?まあ、色んな動画を見るのが日課になりつつあった。セクチャンも初回放送からずっと見ていたし、ガムシャラ・まいジャニ・少クラを見たりする時間も長かった。色んな偶然で、にかちゃんが聡ちゃんのことをとても可愛がっていたこと、セクチャンを見ていたことも重なり「自分へのご褒美!」と財布を握りしめ、無事セクセカDVDを発売日に購入。ちょうど、実家に帰省していたので大きなテレビ画面で鑑賞会をすぐさま開催。あっという間にやられちゃいました。そうです、さきっぽキックオーシャン!

「この手をつなごう」とても大好きな曲。
もしも 君につらいことが 訪れたなら、僕に今 なにができるか 教えてほしい 

…… 泣いてしまう

「愛は味方さ」Jr.が歌うから心にぐっと響く。
いろんな思い出 みんな眩しいけど 次の階段 すぐに 登らなきゃ。だけど、苦しい時だって 僕らは一緒にいたんだ。励ましあい ぶつかりあい 一度だけの青春 歩いてきたよ。

二番の歌詞はもっともっと大好き。
季節めぐるたび 窮屈になる靴 僕らはなぜ 大人になるのかな。たぶんまちがうことだって それで終わりではないんだ。くじけながら またはじめて 二度と来ない瞬間 歩いていくよ 

…… 泣いてしまう

やっとTwitterでのやりとりも様になってきてたし、団扇を持ってドキドキ!嬉しい!という気持ちを味わったから、今まで以上に加速すると思った。けど、毎日新鮮で刺激的で楽しい!な気持ちとは裏腹に、自分の中で何故かピンとこなくて。腑に落ちなくて。ドライな性格だということは、わたしとして生きていた、わたし自身が一番知っていて。もちろん「!!!」って、たかしアンテナが発動する日もあって、変動が激しい。スカイダイビングの放送回はお腹抱えて笑って、本気でちびりかけた(笑)かと思えば、感動して涙を流して。

結論、気持ちが大変。アカウントがあるのだからツイートはするけど、しなくちゃいけないみたいなナゾな義務感も出てきた気もする。TLに流れてくる自担やグループに向ける「好き」を見るたびに、果たして一ファンと名乗っていいのか恥ずかしくなって。けど、それが羨ましくて。遣る瀬無い気持ちになって。だから、ツイートすることで「好き」いう気持ちを自分自身に言い聞かせていたのかもしれない。ひどいやつ。

わたしのカラダはよく出来ているから、知らずに行動に移していました。収集癖のないわたしは、とても気になるJ松田元太くんが載っているアイドル誌が手元にありません。困った。けど、このご時世ほんとうに便利ですよね。チョチョイって検索したら、有難いことに、今までのふたりの活躍やテキストのまとめが出てきたり、画像がジャンジャカ出てくるんですもん!ビバ電波の世界!此処から元太くんがわたしの応援したい人のなかに加わり、いわゆる「掛け持ち」が始まる。ゆるゆると。

とは言ったものの、もう気持ちは決まっていて。自分の性格上、器用に同じだけの熱量をふたりに注ぐことはできないと思ったから。

そうなることは分かっていたけど、どうやら年明けまでずるずる「掛け持ち」とやらを続けていたらしい(過去のツイートを漁ってみた)あわてんぼうのサンタクロースな出来事・新年明けまして、さんきゅーじゃん!な出来事。いろいろな情報が目の前を飛び交う、この状況に正直、ヒイヒイしていた。わたしは物理的な距離の近さを求めていたわけではなく、毎週木曜日テレビの前で笑うあの時間がすきだ。そう気づいてからは、自然とこうなっていた。

いつからだろ 恋をしたのは 息苦しくて って感じ。自分のなかで、何かが起きた日のことを思い出してみた。

遡ること、わたしの誕生日。元太くんのことが気になるなんて誰にも言ってなかったのに。友人がどう知ったのか今でも不思議でたまらない。「誕生日おめでとう!」と渡られたのは、月刊テレビファン。帰りに買おうと思ってたやつを、まさか貰うとは思いもせず。すごい泣いた(笑)ビービー泣いた(笑)コレが記念すべき、自分の手元にきた初めての元太くんのテキストで、今でもとても大事な宝物。何度も読んでは閉じて、読んでは閉じてを繰り返して「この子がね、元太くんなんだよ」「まだ15歳で義務教育だから、給食食べてるんだよ!信じらんないでしょ!」「私服がチョーお洒落で大学生に間違えられちゃうんだよ!ホラ!」「ねぇねぇねぇ」ってテレファンを広げて、教室中を練り歩く(笑)思い返せば、迷惑にも程がある(笑)それぐらい嬉しくて嬉しくて嬉しくて。気になるJの松田元太くんから、応援したい松田元太くんに変わった瞬間。誕生日の奇跡である。

自分の気持ちに気づく、ずいぶん前から無意識のうちに元太くんのことばかりツイートするようになり、正式に「降りました」という報告はしていないけど、これが元太くんを応援しようと思った経緯。

「担降り」を宣言することもなくここまで来たのは「わたしは松田担だ」とあの瞬間、自然に思ったからだと思う。懐かしいなぁ。

芸能人が結婚会見とかでよく言うビビビッ!っていうやつはほんとうにあると思う。友人が体験したビビビッ!を聞いた時は嘘だと思っていたけど、元太くんに出会ったとき、ドリカムのうれしいたのしい大好きがクリーンヒットで脳内自動再生されたくらいだから(毎度おなじみのアレです、アレ)

応援するスタンスは人それぞれだから、当然のことながら、いろいろあるよ。難しい。こういう世界でのお付き合いに限ったことではなく、人付き合いが決して上手とは言えないわたしにとって、これまた難しい。

偶然が偶然を呼んで、その「たまたま」が積もり積もった今、自分は凄い世界へ足を踏み入れてしまったんだなぁって。にかちゃん!わたしにジャニーズを教えてくれてありがとう!

これから先、なにがいつ起こるか分かんないけど。この気持ちをいつまでも大切にしたくて、ブログを書いちゃいました。