ちょっとそこまで

趣味の呟き

南征北战 NZBZ【6415】

何年か更新が開いてしまったが、日本に帰国してちょっと無職して再就職して、今度は北京で仕事をすることになった。

前回上海にいた時、必死で中華CDを買い集めていたがコロナでそんな趣味も中断してしまった。

が、今はまた大陸にいる。しかも北京にはこのご時世でも「CDショップ」が現存していた。

ということで最近にわかに中華CDを漁っているので、気になった音楽をメモしていくことにした。

 

▪️南征北战 NZBZ【6415】

ショートムービーで何気なく見た「低調組合」という男女ボーカルユニットがカバーしていた「我的天空」という曲が印象的だったので、原曲を探したらこの「南征北战NZBZ」というグループに行き着いた。

男性3人からなるグループで、みんな中国人だがそれぞれ異なる少数民族で外見もそれぞれ異なる。

しかしぱっと見黒人の尼成くんはプロフ紹介に「特徴:黒い」とか先手打って書いているので、見た目の話はまあどうでもいいんです。

 

【6415】というアルバムを買って聴いてみた。

自分の少ない日本の音楽シーンの知識で言うと、オレンジレンジ湘南乃風GReeeeNのようなラップの入ったポップス。

「萨瓦迪卡」(サワディカー)、「我的天空」(この空)、「骄傲的少年」(うぬぼれ少年)あたりが映画などとタイアップしたヒット曲。

youtu.be

youtu.be

youtu.be

 

フツーにかっこいいし、エモいし、耳に残るメロディでいいじゃない。

自分は昭和の人間なのでオレンジレンジくらいが世代で、GReeeeNはちょっと若いが、こういうポップスって分かりやすく楽しめてなんだかんだ好き。

人間疲れてポストロックとかインストとかメッセージ性のない無機質な音楽が心地良くなるけど、脳が生きてる時はこういうメッセージしかないエモに溢れた音楽も胸に響く。

 

在无尽的黑夜 所有都快要毁灭 果てしない夜闇に全てが消えていく

至少我还有梦 也为您而感动 少なくともまだ夢がある、君に心を動かされている

原来黎明的起点 就在我的心里面 夜明けのスタート地点はこの胸の中にある

只要我还有梦 就会看到彩虹 夢さえあればきっと虹が見える

在我的天空 この空に

(我的天空)

 

超捻じ曲がった偏見だが、こういう辛さや悲しみから立ち上がる系の極めて爽やかなR&B入ってる曲は、日本でも中国でも少なからずワイスピの「See you again」にイメージのオリジンがある気がする。

そんで世界観としてはワイスピだけでなくONE PIECENARUTOとか努力友情勝利の日本の漫画も影響してる気がする。

中国の人ワイスピ大好きだし、かなりの人がONE PIECEとかジャンプ漫画大好きだし。

(※NZBZがワイスピやワンピ好きかは不明だし、普通に根拠ないただの感想です)

人間生きてるだけで必ず何かを失うものだけど、その供養と、立ち止まらず歩き続ける決意を同時にするぞという、あの「夜明け」の世界観って何故か突き詰めるとワイスピなんよな。

 

それはさておき中国の人もこの曲を夕暮れの車やバスの中で聴いて自分を励ましてると思う。

明日も頑張ろうって。

 

余談だが「低調組合」はエミネムリスペクトの高速ラップ男と、ソウルフルなボーカル女のユニットだった。

もうすでに解散していてもうこのペアでの音楽は聴けない。

CD出してないからネットに残った音源の配信を聞くだけなので寂しい。

好きなアーティストはやっぱり、オフラインでCD擦り切れるまでリピートしたい。

youtu.be

二人ともすげーかっこいいんよね。

このマッシュアップ版カバーが大好きです。

【中国東西旅行】6日目 楽山

この日は早朝に成都を出発し、高速鉄道で1時間半で着く楽山に大仏を観に行きます。

翌日は峨眉山という山寺に登る予定なので、準備運動も兼ねてハイキングです。

 

 

 

楽山大仏

楽山市は成都から高鉄で1時間半ほどのところにある街です。

前日興奮してよく眠れなかったもののハイテンションのまま朝支度して7時過ぎの電車に乗ります。

翌日峨眉山を登る予定なので、この日はエネルギーを蓄えるためカーボローディングに努めます。

朝6時からマクドナルドのエッグマックマフィンセットを食べ、ついでに売店で餡パンなども買い込んでおきます。

 

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駅からバスに乗り楽山大仏に到着。

観光客で賑わう中、私だけがすげーデカいリュックを背負って、かつ単体で見学しようとしています。

中国の人は基本ひとりで旅行はしないようです。

 

拝観券を買って中に入り、しばらく歩くとこいつ↓が見えてきます。

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これ、大仏の螺髪ですが、なんか見覚えがあると思いハッとしました。

そうだ、「旅かえる」の中国版で出てくる!

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(中国版旅かえる)

ちなみに上海を出発して以来「旅かえる」は一切触っていなかったのでアプリから「ご主人様…もう僕はいらないの?」と嘆きの通知が来ており、そもそも主人が旅の最中だからな…と心苦しく思っていたところでした。

そうかそうか、かえるはここで休んでたんだな、っていうかこの螺髪も結構デカいからカエルも相当デカいんだな。

 

で、この螺髪の持ち主の大仏様がこちらです。

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デカい!!ただそれだけでテンションが上がります。

楽山大仏は高さ約70メートルあり、世界遺産にも指定されている世界最大の磨崖仏です。

でかすぎて上からでは肩までしか視界に収まりませんが、2枚目の写真で階段を降りる人の行列が見えるように、下に流れる河から全体を見上げることもできます。(混雑で時間かかるのでパス)

 

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大仏の下には大河が流れてまして、治水を願って唐代に大仏が建立されました。

完成が貞元19(809)年ということで、なかなか古い。

それにしてものほほんとした顔で、ちょっと可愛らしさもあります。

治水というか「もう河流れてしまえばええやん」的な大らかさを感じます。

多分修復の過程で当初の顔ではないとは思われますが、世界最大の磨崖仏がこういう平和な顔をしててよかったです。

 

▼乌尤寺から「漁村」で昼ごはん

 大仏から更に小一時間小山を登ると、「乌尤寺」というお寺に辿り着きます。

このお寺も楽山大仏の拝観券で見られますが、ここまで来る人はそう多くないようで静かな場所になっています。

ここも唐代建立のお寺らしいですが、基本中国大陸は日本のように古建築や仏像がそのままの形で残っていることは極めて稀なので、せめてお寺っぽい静かな雰囲気が残ってるだけでもありがたいもんです。

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鉢植えが生活感あって良い


境内もそこまで人もいない様子。時々お坊さんとすれ違います。

お参りを済ませたら、ぐるっと建物を一回りしていきます。

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きれいな魚板

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信心深いお婆ちゃんがお坊さんに直接お布施を手渡していたり、地元の人が掃除にきていたり、賑やかな大仏付近とは違った趣です。

小休止もできたので、道すがらにあった「漁村」まで戻って昼ごはんを食べに行きます。

 

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漁村は河沿いで漁業を営む人々が暮らしています。

と言っても、場所的には楽山大仏の観光エリアの中にすっぽり収まっているので、観光客向けのレストランやお土産物屋が立ち並んでます。

でも田舎の雰囲気を残していてなかなか画になります。

 

腹が減ったという顔をしていると客引きのおばちゃんが声をかけてくれ、メニューを見せてもらいます。

漁村というだけあって魚を食べたいのは山々なんですが、量的に一人で食べきれるか心配なので無難な豆腐料理とコメを頼みます。

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コメの出し方が100点

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この辺の名物が食べたいんだけど、と尋ねてオススメされた「西坝豆腐(シーバー豆腐)」。

楽山大仏の河下にある「西坝」という地域が古くから豆腐作りで有名らしく、そこから豆腐を持ってきてるんだとおばちゃんは言っていました。

で、このふるふるの絹豆腐とトマト、キクラゲ、豚肉を一緒に炒めた一品なんですが、あっさり中華出汁とトマトの程よい酸味がマッチして美味しい。

やはり大皿で出てきて食べ切れるか心配でしたが無問題、桶で出されたコメと共に綺麗にいただきました。

 

 

郭沫若を訪ねて

ところで、「郭沫若(かく・まつじゃく)」という人物をご存知でしょうか。

1892年の楽山生まれで、日本に留学し九大医学部を卒業したエリートです。

簡単に紹介すると、学生の頃から詩歌に優れて郁達夫らと文芸活動をし、その後は戯曲などを発表する一方中国共産党の幹部として毛沢東に何かと重宝がられた作家兼政治家です。

郭沫若共産党の中で文学や絵画などの分野で主導的立場にあり、文革期は進んで自己批判したので、まあ賛否両論の人です。

中国の近代史を勉強したことがある方なら名前くらいは聞いたことがあるかもしれません。

 

で、楽山大仏を調べていたら郭沫若が楽山出身だったことを偶然知りました。

私も学生の頃中国の近代美術史を勉強した時に知っていたので、懐かしくなりました。

本当は生家も見学できるんですが、楽山大仏からバスで1時間くらいかかるらしいので行くのは断念。

代わりと言ってはなんですが、この楽山大仏の敷地内にも「郭沫若記念館」なるものがあり、下山ついでに立ち寄りました。

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逆光ですが、この方が郭沫若さん。

 

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留学中は千葉県市川市にお住まいだったそうです。(左)
右は帰国して国民政府に入った後の、周恩来ら政治家との交流やら映画スタジオでの記念写真などです。

千葉の家を見るとぐっと親近感が湧くと同時に、軍隊の前で挨拶する姿などを見るとやはり政治家だったんだなと思わされます。

 

まあ内容は大したことないというか、彼の歴史がかいつまんで並べてあるだけでした。

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晩年の郭沫若先生

記念館出口付近に、晩年の年輪を刻んだ郭沫若の写真がかけてありました。

 

かつて勉強していた時は、散々革命文学や芸術を先導しておきながら文革期に批判される側になるとさっさと自己批判して難を逃れる日和見ぶりに、そこは崇高な芸術家というか政治家だな〜とあまり良くない目で見ていました。

とはいえ、この時代の「批判」とは単に口頭で攻撃されるというものではなく、作品を処分されたり暴力の対象になったり最悪処刑されたりと、生死に関わるレベルのものです。

彼もまた、懸命に時代を生き抜いた一人だったのだと思い直しました。

 

 

▼「Because you're so nice」

iPhoneの万歩計を見ると約10km、18000歩、階段だと約1300段ほど登り降りしてたようです。

15kgあるリュックを担いでなので、まあまあ頑張りました。

見るものも見たところで、明日の目的地である峨眉山のホテルに向かいます。

 

途中カフェでコーヒーブレイクしたのち、駅の待合室で絵日記をつけていました。

こういう隙間時間には、その日の行動予定、買ったものや食べたもの、使った金額や簡単なイラストを添えた絵日記を書いて時間を潰します。

するとその辺を走り回っていた10歳くらいの男の子が突然「ぅおおおおおおぉ」と話しかけ?てきました。

どうやらこの絵日記に興味を持ってくれたようで、一緒にページをめくりながらこれまで行った場所やこれから行く場所についておしゃべりしました。

男の子は「うわ〜〜〜ここもここもここも行くの!?めっちゃお前遊ぶやん!!」と終始興奮しっぱなしで、とても可愛い。

そうだぞ、大人が本気出したら子供以上にめちゃめちゃ遊ぶんだぞ。

 

地球の歩き方』付録の地図も挟んでいたので、一緒に見ていると、男の子が「この漢字(簡体字じゃなくて)ちょっと変!」と気がついたので、「日本の漢字だよ」と教えてあげると、「ママ〜〜〜〜!!」と近くに座っていたお母さんの所に駆け寄っていきます。

あ、外国人との遭遇でびっくりしたか?と思って様子を伺うと、男の子は「ママ!あの人日本人!!ママ日本語分かる!?」と大興奮しており、お母さんも「え、なに?Kawaiiしか知らないけど…」と呆気にとられています。

私と息子を交互に見返す若いお母さんと目が合い、大声で日本人暴露されてちょっと恥ずかしかったですが軽く会釈しました。

男の子はお母さんの手を引っ張って私のところまで連行してきます。

当方女なのであまり不審がられることはないですが、日本語が分からないお母さんは英語が話せるようで、旅行で来ていることなど簡単に自己紹介しておきました。

母君も大体了解したようで、またノートと地図を広げて三人で少し雑談した後、男の子たちは先に電車に乗るためお別れしました。

 

と、思ったらすぐに男の子が引き返してきて、その後をお母さんがダッシュで追いかけてきます。

「ねえ、息子と一緒に写真とってもいい?」とお母さんが中国語で話しかけてきました。

理解するまでに少し間が空いてしまい、お母さんは英語で伝え直してきました。

その時、「Because you're so nice(あなたとっても素敵だから)」と言われ、何かグサッと刺さりました。

キメ顔の息子くんと一緒に写真に写り、今度こそ本当にお別れだったので、日本から持ってきた飴をあげました。

大阪のおばちゃんみたいだな〜と思いつつ、旅の途中で絵を見せて現地民に気に入られるってややナオト・インティライミくさいな、とひとりでニヤニヤしていると電車の時間に。

 

結局、このお母さんのお褒めの言葉がきっかけで、それまでアイコンみたいな小さな絵の日記はこの日以降完全なイラスト旅行記になります。 

 

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峨眉山駅からホテルまでは、距離が近すぎるので正規のタクシーに断られ白タクに乗りました。

数元ボラれたものの、運転手のオヤジが「一人で峨眉山登るの?すごいな。よし、峨眉山の詳しい地図をあげるから気をつけて行ってきなよ」と登山地図をくれました。

基本見た目が完全中国人かつ、現地民からすると「どこかの地方から出てきた普通語に不慣れな中国語話者」らしいので、日本から来たと言うと大抵好意的に接してくれます。

それでもまあ足元見てボラれますが、完全なる外国人と思われるよりずっと扱いがよくなり、こういう「友好の証」みたいなものもくれたりします。

 

楽山登りの疲れもあり、スカッと寝ました。

【中国東西旅行】5日目 成都

本日は「小酒館」での夜遊びがメインなので、日中は暇つぶしにパンダを見学したり街をぶらぶらしたりします。

 

 

 

成都大熊猫繁育研究基地

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四川省と言えばパンダの生息地で有名、ということでパンダの保護繁殖をしている「成都大熊猫繁育研究基地」に遊びに来ました。

とは言ってもパンダ自体上野動物園でも上海動物園でも普通に見られるので、大してありがたみを感じません。

来てみると夏休みの家族連れで結構混雑しており、入場券買う前からなんとなく早めに帰りたくなってきました。

 

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実際は大混雑で、人の熱気でガラスが曇っています。

目の前のお姉さんが子供にテレビ電話している映像の方が実際よりもパンダが良く見えるという謎現象が起きていました。

人混みに萎え萎えしながらもこれはちゃんとパンダの写真を撮らないことには帰れないという気になり、頑張ってちゃんと見学することに。

 

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基本パンダは起きている時のほとんどの時間を食事に費やすそうで、この怠惰な生活ぶりが憎たらしくも羨ましくとても可愛い…。

寝返りをうつだけで見学者から「おおおお」と歓声とシャッター音が聞こえてきます。

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足を投げ出して寝るパンダ…。

昔実家で飼っていた犬もだんだん犬である事を忘れて腹を向けて寝ていましたが、このパンダももうパンダに似て非なる生き物である可能性が高いです。

完全にお昼寝する子供や…超可愛い…。

最初は人混みに嫌気がさしていたのがコロッとパンダの虜になり、この動物の恐ろしさを思い知ります。

 

他の動物園と違ってここは赤ちゃんパンダが見ることもでき、いざ長蛇の列に並びます。

保育室のガラス越しに見るのですが、警備員のおじさんが「渋滞するから動画は撮らないで写真だけにして」と交通整理をしています。

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まだ保育器に入った、生まれたばかりの小さな赤ちゃん…。

上野動物園のシャンシャンが生まれた時、たくさんの人が見学希望した理由が今なら分かります。

これは無条件に可愛い。

焦って撮ったら後ピンになってしまいましたが、あのでかい態度で寝てる成パンダも最初はこんなに小さくて愛しい姿で生まれてきたのだと感動です。

 

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引き続き警備員の監視を受けながら生後数ヶ月の子パンダが待っています。

いいぞ!こんなチビなのに太々しさが出てきているぞ!、と心の中でエールを送りながら写真を撮ったら、あとは一瞬で人混みに流されました。

それにしてもこのおしり、ふんわりまんまるで可愛いこと可愛いこと。

 

なんだかんだパンダに癒されてしまい、また人混みで気分が萎える前に街歩きに出ます。

 

▼これが本当の「玉林路」と「小酒館」

パンダエキスが消えないうちに趙雷の《成都》に出てくる道「玉林路」に着きました。

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標識は「玉林西路」とありますが、実際は「玉林路」という通りはなく、「玉林西路」「玉林東路」など方向が入った玉林路しかありません。

「小酒館」があるのはこの玉林西路沿いですが、「小酒館」も実際は3店舗あるので、正確な聖地の場所は決められないのが本当です。笑

でも「玉林」の名前のついた通りにある「小酒館」はこの玉林西路沿いの1店舗だけなので、そこが最も人の訪れる聖地になっているようです。

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玉林西路は商店街のようにカフェやバー、雑貨店などが立ち並び、ぶらぶらするのにちょうどいい通りです。

早速趙雷のポスター(右端)が貼ってある店を見つけ、聖地っぽくなってきました。

 

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歩道で店の小道具を掃除する飲食店のおばちゃんたち。

中国のうららかな午後(通常運転)という感じです。

 

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これが聖地「小酒館」です。

英語に訳すとLittle Barですが、店名の固有名詞で「小酒館」ですので「小さなバー」とは訳さないでください。笑

まだ昼すぎで開店してませんが、私の他にもいそいそ写真を撮っている若者が何人かいました。

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門の前に「小酒館について」という注意書きがあります。

あなたが今いる「小酒館・玉林西路店」は1997年に開業し、当初は現代アートの作家たちが集う場所でした。その後成都におけるインディーズロックバンドのライブハウスになり、これまで多くの芸術家やミュージシャンのご愛顧を受けてきました。

2007年から諸事情でライブ演奏ができなくなったのでライブは「小酒館・芳沁店」で行うことになり、趙雷のMVもそこで撮影しています。

(中略)今は彼の曲《成都》によって「小酒館」は陰ながら幸運に恵まれ、地下から光の集まる場所へ出てくることになりました。光栄であると同時にプレッシャーも倍増です。毎日数えきれないほどの人が「ここがあの曲に出てくる店?趙雷とどんな関係があるの?」と尋ねてきます。確かに、彼は有名になる以前ここでバイトをして芳沁店でライブをしていました。「小酒館」はこの玉林西路店だけではないし、「玉林路」も地図上には存在しませんが、「小酒館」は成都の音楽の名刺がわりなのです。だから地図で「玉林路の端(玉林路的尽头)」を探さなくていいですからね、あれはただ歌詞として必要な一種の表現なだけなので…。

ググれカス、というオーラを糖衣で包んだ注意書きです。

ネットで調べたところ、ここはもう開店前から行列ができる人気ぶりだそうで、人混みが苦手な私はパス決定です。

 

 

表の写真が撮れて満足したところでまた玉林西路周辺をうろつきます。

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折角なので四川名物のスイーツ「冰粉」を食べます。

梅シロップにトコロテンのようなゼリーと、レーズン、ピーナッツ、小豆、クコの実を乗せたものです。

これ、甘酸っぱい梅シロップとレーズンにピーナッツの香ばしさが絶妙にマッチしてめちゃくちゃ美味しいです。

あっさりしてますが食べ応えもあり、夏場に最高のおやつです。

甘いものが苦手な方でも多分大丈夫なさっぱりスイーツなので、四川に行く方はぜひお試しあれ。

 

その後はカフェに入ったり、自家製ドイツビールなのに18元(約300円)から飲める立ち飲みビールバーを発見して思わず注文したら1升(1.8L)サイズが出てきて戦慄したもののビール党員として気合で飲み干したり、アルコール分解のために激辛麺を食べたりして、しっかりゼロ次会をこなしてしまい、気がつけば夜になっていました。

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それ麦茶入れる容器やん…笑

 

▼もう一つの「小酒館」

さて、ようやく開店時間になったので玉林西路店ではない「小酒館・芳沁店」を訪ねます。

ググれるカスなので、芳沁店が玉林西路店から歩いて15分くらい、飲むだけでもOK、玉林西路店に比べたらかなり空いているという口コミ情報をゲットしています。

しかもこの日は月曜日。週初め夜7時からバーに行く奴は中国といえども少ないでしょう。

 

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店内は奥に舞台があり、客席には一人か二人お客さんがいるだけでした。

私はカウンターの椅子に座って、ここがMVに出てきた場所か…とちょっと感動しつつ、「小酒館ビール」というのがあったので注文しました。

 

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変なテンションになりグラスに注ぐ前の写真しか撮っていなかった

隣の席に店員のお兄さんが座っており、「このビール濃いけどいい?」と聞いてきます。

そしたらなんとIPAビールで、ちゃんと濃いめの味がするやつです。

すでに1升ビール飲んでるけどなお美味しい。

聖地であることを忘れ普通にビールを楽しんでしまいました。

 

店員のお兄さんがやや不思議そうな目で私を見てくるので、「私も趙雷のファンで、ここに一度来てみたかったんです。日本から来ました」と伝えると、接客ついでに雑談に付き合ってくれました。

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店内の壁には様々なアーティストの写真やコンサートのポスターが貼ってあります。

お兄さんはそれぞれ指差しながら、「彼は窦唯,王菲フェイ・ウォン)の元旦那」「この人は王三溥、四川出身のミュージシャンで…」と、このライブハウスゆかりのミュージシャンたちを教えてくれます。

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一枚の写真で、お兄さんは「これ、右から2番目が崔健だよ」と教えてくれました。

崔健は中国ロックの第一人者であり、日本でもコンサートを開いたことがある超大御所です。

私が大学で中国語を勉強し始めた時、興味の幅が広がればとCDを買って結構聴いていました。

思わず「知ってる!学生の頃よく聴いてました」と言うと、「実は2日前、成都で趙雷のコンサートがあって、その帰りに崔健と趙雷がここ来て飲んでたんだよ」とお兄さん。

 

え?まじで?、と一気に酒が抜けました。

そんなにたくさん中国の音楽を聴いてるわけでもない、数少ないレパートリーの中のお気に入りの二人がここでつい2日前に酒を飲み交わしてた、という嘘みたいな事実。

 

「ちょうど君と僕が座ってる、このカウンター席に二人は座ってたんだ」

「あ、崔健は山崎飲んでたな。一瓶持って帰っていったよ」

 

とっさに同じ椅子座っていいのかな…と思いましたが、全然知らなかったけどビッグネームの二人が友人だということ、崔健の近況が趙雷のコンサートに関わっていること、でその二人がいた場所でなんか店員のお兄さん(しかもイケメン)とお喋りしてること……

本当は一杯飲んだら帰るくらいのつもりでいたのに、こんな出来過ぎな聖地巡礼でいいのだろうかと感動してしまいました。

 

他にもMVに映っている場所やら色々解説してもらい、結局お兄さんは記念にビールを一本奢ってくれ、「もう要らないから」とその2日前のコンサートのポスターを持たせてくれました。

あまりの好待遇に込み上げるものがありました。

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ホテルに戻り、寝ようとしても嬉しさで心がギュッとして全然眠れませんでした。

北京出身の趙雷にとって成都は第二の故郷と思えるくらい大好きな場所だそうです。

なぜ彼が成都を好きになったのかずっと素朴な疑問でしたが、少し分かった気がします。

きっと「小酒館」や、そこに来たオーディエンス、成都の人々が彼を受け入れたからでしょう。

簡単な理由ですが、彼はここで様々な幸せに恵まれたんだと思います。

 


趙雷 -《無法長大》- 成都 MV (高圓圓出演)

分别总是在九月 回忆是思念的愁 別れはいつも9月 思い出は懐かしさの悲しみ
深秋嫩绿的垂柳 亲吻着我额头 晩秋の萌葱色の柳が 僕の額に口づける
在那座阴雨的小城里 我从未忘记你 長雨の降るこの街で 君を忘れたことはない
成都 带不走的 只有你 成都 連れていけないのは君だけなんだ

 

歌詞の中の「成都」や「你(あなた)」は、彼がここで出会った人々を含めた成都という街そのものを表し、この歌はその成都に贈られたものです。

「連れていけない」という一文に、この街がどんなに離れ難いか言い表されている気がします。

 

成都に来れて、また少し中国を近く感じられました。

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【中国東西旅行】4日目 武漢ー成都

この日は長江を散歩したら、成都まで9時間の長い長い鉄道旅です。

次の目的地の成都について、思い出話もがっつり。

 

 

 

▼長江ぶらぶら

昨晩ゆっくりしたおかげで朝早く目覚めたので、長江のほとりをのんびり散歩します。

この日はあいにく曇りというか小雨でしたが、暑くもなくちょうどいい天気です。

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武漢は1858年の天津条約で開港し、日本を含む5ヶ国の租界が置かれました。

長江沿いの通りには、当時の西洋建築が今でも残っていて、上海の外灘と同じ様なクラシックな街並みが見られます。

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これが長江の眺めです。

どんよりしていますが、静かで穏やかな時間が流れております。

この河でかつてはお祭り騒ぎで水泳大会してたのか、と疑わしいくらい落ち着いた場所です。

川沿いの遊歩道を歩くと、朝の体操をするお年寄りグループや、泳ごうとして上半身裸のお兄さんたち、出勤していくお姉さんなど、色んな人とすれ違っていきます。

 

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なんとなく昨日の毛沢東を亀に真似させてみたら結構可愛かったです。

 

朝っぱらから河のほとりで頑張って亀を撮影している三十路がいても、ここは中国だから誰も気にしないんです。
照れ隠しにブログで自虐する方が痛いのか…。

 

▼いざ成都

 散歩の帰り道に朝ご飯を買って帰ります。

今日は昨日道端で売っているのを見て気になっていた、揚げパン「面窝」。

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揚げパンというか、形は真ん中に穴が空いてる揚げドーナッツですな。

このキツネ色の縁がカリカリっとしていて、でも中はモチモチで食感が超美味しいのです。

ちょっとだけ甘みのある生地にゴマの香ばしさが合わさって、揚げパンながら意外とぺろっといけてしまいます。

しかもこれ1個1元(17円)。

安くてもこの大きさの揚げパン2個は食べられませんが、手軽に栄養(※カロリー)摂取できる優れた朝食です。笑

 

食べ終わったら成都に向かうべく漢口駅に行きます。

 

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電車は10時過ぎ出発ですが、そこから9時間乗り続けるので食料を買っておきます。

駅構内に色々お店はあるのですが、どうしても昨日食べた「豆皮」をもう一度食べたくなり昼ごはん用に買い求めました。

(晩ごはんはサブウェイのサンドイッチにしておきました)

車内で味わって食べましたが、やっぱり美味しい…今でも思い出すと食べたくなります。

 

列車の中では車窓の風景を眺めていましたが、重慶を過ぎたあたりからちょっと飽きてしまい、スマホでゲームしたりしてました。

 

▼「趙雷」について

成都を目的地に入れた最大の理由は、私が約2年間、日課のごとく聴き続けている「趙雷」というミュージシャンの歌に《成都》という曲があるからです。

そう、単なるファンの聖地巡礼。笑

 

趙雷を知ったのは2016年の12月30日でした。

その当時はまだ入社3年目の会社員で、入社以来初めて年末年始に長期休暇が取れた嬉しさから帰省ではなく海外旅行してやろうと思い立ちました。

ちょうど友人が重慶で仕事をしていたので遊びにいかせてもらい、道すがら上海にも立ち寄る中国旅行をすることに。

大学、大学院と中国の美術や歴史を専攻していたこともあり、久しぶりに大陸の汚い空気でも吸うかとワクワクしていました。

 

年の瀬に上海に着き街をブラブラしてみましたが、さすが発展の目覚ましい中国。

私が学生の頃に見た北京や上海は5年や10年も前で、街は汚くてやかましくて、女性はみんなすっぴんで、いい値段のおしゃれな店は少ないけど小銭でお腹いっぱいになるような国という印象でした。

それがゴミの落ちていない街をセンス良く服を着こなすメイクバッチリの美少女が歩き、日本と変わらない値段で服やラーメンが売っていて、でも所構わずタンを吐き捨てるオヤジどもは同じ……という光景に、「民度のやや低い東京」にいるような感覚になってしまいました。

外国に来た感じもせず、大学院時代の友人に「中国が全然楽しくない」とLINEすると「外灘とか散歩したら」と返事があったので、素直にその辺をうろついてみました。

 

外灘手前の歩行者天国を通りかかると、ストリートミュージシャンのお兄さんがギター一本で歌っていました。

彼の周りは人だかりができ、ファンと思しき若者たちが肩を組んで一緒に熱唱しています。

その熱気に「ああ、なんか中国っぽい」と、一気に胸が熱くなりました。

その様子を動画に撮り、帰国してから聞き取れた歌詞を頼りに検索したところ、お兄さんが歌っていたのは「趙雷」というアーティストの歌だと分かりました。

 

すぐに輸入代行サイトで趙雷のCDを取り寄せ、YouTubeでMVを漁り、毎日毎日飽きもせず繰り返し聴き込みました。

学生の頃に中国語の基礎文法なら習得しましたが、歌詞の細かなニュアンスや情景、心情までは全く分かりません。

数年ぶりに中日辞典を買ってみたり、学生時代の参考書を引っ張り出したりしものの、やればやるほど歌詞がはてなの空に浮いていきます。

 

そんな中、唯一自分なりに翻訳を重ね、おおよその意味を掴めたのが《画》という曲です。


【HD】趙雷 - 畫 [新歌][歌詞字幕][完整高清音質] Zhao Lei - Drawings

为寂寞的夜空画上一个月亮  寂しい夜空に 月を描こう
把我画在那月亮的下面歌唱  その月の下に 歌う僕を描こう
为冷清的房子画上一扇大窗  空っぽの家に 大きな窓を描こう
再画上一张床  寝床も一つ
画一个姑娘陪着我  僕に寄り添う女の子も一人
再画个花边的被窝  花柄で縁取った掛け布団も
画上灶炉与柴火  かまどと薪も描き込もう
我们一起生来一起活  二人はともに育ち、生きてきたかのように
画一群鸟儿围着我  僕の周りを飛ぶ鳥たちを描こう
再画上绿林和青坡  青々とした林と坂道を
画上宁静与祥和  静かで穏やかな
雨点儿在稻田上飘落  水田にしとしと降り注ぐ雨を描こう
画上有你能用手触到的彩虹  絵の中では その手で触れられる虹がある
画中由我决定不灭的星空  ずっと輝き続けると 僕が決めた星空がある
画上弯曲无际平坦的小路  曲がりくねった どこまでも続く平らな道を
尽头的人家梦已入  眠りに就いたはずれの家を
画上母亲安详的姿势  物静かに寛ぐ母さんを
还有橡皮能擦去的争执  それから 消しゴムで消せる争いを
画上四季都不愁的粮食  四季に苦しまないだけの食べ物を
悠闲地人从没心事  心配事などないのんびりとした人々を 描こう
我没有擦去争吵的橡皮  僕には 言い争いを消せる消しゴムがない
只有一支画着孤独的笔  孤独をなぞる一本のペンがあるだけ
那夜空的月也不再亮  あの夜空の月ももう輝かない
只有个忧郁的孩子在唱  物憂げな顔で歌う子供がいるばかり
为寂寞的夜空画上一个月亮  寂しい夜空に 月を描こう

 

曲名の「画」は中国語で動詞なら「描く」、名詞なら「絵」という二つの使い方があります。

この曲は、その日を生きるのに精一杯の多忙な暮らしを消してくれる「消しゴム」があれば、慎ましい理想も思い描けるのに、という今にも人生の重みに潰されそうな「僕」の叫びに聞こえます。

 

素人なのできっと正確な訳ではないですが、この曲の意味が分かった時、「中国にもこんな孤独な人がいるんだ」と呆気にとられました。

どの国にだってそんな人は必ずいますが、衝撃だったんです。

 

その当時、私は全く地縁のない小さな町に一人で赴任しており、友人と呼べる人もなく、遠い実家や旧友のいる都会まで出られるほどの休みもなく、障害物競走のように日々仕事をしていました。

仕事が終わるとTSUTAYAで借りまくった映画を見たり、休みが来たらバイクや車で小旅行に行ってみたり、それなりに充実していたつもりでした。

でもなんとか趣味を充実させても、もはやゴールがどこにあるのかすら分からないまま毎日あくせく仕事をし、バイクも車も乗れるのにこの町と仕事先以外に行く場所はなく、友人にラインで愚痴っても自分の横にはずっと誰もいない。

忙しくて孤独な生活に疲れたと認めてしまったら、絶対に惨めになると既に気づいていました。

なのにこの曲は14億人の人混みの中ですら、こんなにも寂しさに耐えている人がいると伝えてきます。

結局何度も聴くうちに、自分はただ強がっているだけなんだと素直になれました。

 

趙雷は1986年生まれ、北京市出身です。

2011年にファーストアルバムを出し、2014年頃から本格的に認知され始め、近年は大きな舞台でコンサートを重ね、今は立派な有名アーティストの一人です。

《画》は彼のファーストアルバムが世に出る前の無名だった時代、貧しい生活に耐え曲作りのプレッシャーに追い詰められる中、幻想のように浮かんだ情景をもとに生まれた曲だそうです。

 

私もいつか今を切り抜けたら、彼が見た世界を旅してみたい、同じ言葉で理解してみたいと思うようになり、仕事がひと段落したのを機に留学することにしました。

もちろん他の理由もありますが、中国語を勉強したいというモチベーションは間違いなく彼の音楽から貰い続けています。

 

成都に降り立つ

成都》もまた、趙雷の代表曲の一つです。


趙雷 -《無法長大》- 成都 MV (高圓圓出演)

和我在成都的街头走一走  一緒に成都の街を歩こう
直到所有的灯都熄灭了也不停留  街の灯りが全て消えても 止まらないで
你会挽着我的衣袖 我会把手揣进裤兜  君は僕の袖を引っ張って 僕は手をズボンのポケットに突っ込んで
走到玉林路的尽头 坐在小酒馆的门口  玉林路の終わりまで歩いて 小酒館の入り口の前で座ろう 

 

成都は言わずと知れた四川省省都

「玉林路」も「小酒館」も成都に実在する通りとお店で、このMVの中で趙雷がギターを弾いているライブハウスがまさに「小酒館(Little Bar)」です。

ノスタルジーに溢れた曲ですが、YouTubeなど動画サイトのコメ欄に成都出身の方々がホロっとくる望郷コメントを数多く残しているので、日本人の私は多くを語り得ません。

 

高速鉄道はいくつもの駅を見送り、午後7時過ぎにようやく成都東駅に到着しました。

 

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 駅を降りた瞬間から、あちこちの店から《成都》が聞こえてきて思わずにっこりしました。

みんな大好きなんだね。笑

成都伊勢丹もあり上海に負けないくらいの大都会です。

浮き足立ってホテルにチェックインしたらすぐに横のコンビニでビールを買い、部屋に戻ってiPhoneで《成都》を流しながら一杯やりました。

 

会社員時代のささやかな夢を叶えたわけですが、ここに来るまで大変だったのかな、と思い返しました。

大変、というほどのことではなかったように思えました。

仕事を辞めると会社に伝え、上海で中国語を学び始め、予約した切符を発券して列車に乗り、中国語のアプリで予約したホテルに泊まり……、大きな努力というより小さな初体験を積み重ねてきただけです。

ああ、簡単なことだったんだ、と安心しました。

成都は憧れの場所ですが、桃源郷でも僻地でもなんでもないただの大都市です。

出張で来る日本人も沢山います。来るくらい、なんてことはないのです。

 

でも、自分の意志で定めた目的地を目指すことは、距離に関係なくいつだって冒険の旅なのです。

私は元来小心者で、子供の頃はもし切符を買い間違えたら警察に逮捕されるのではと、怖くて一人で電車にも乗れませんでした。

外へ飛び出せない、苦境に立ち向かわない、勇気のない自分を変えたいとずっと思い続けています。

だからこそ、この道のりが簡単だと思えたことが幸せでした。

それは多分、もっと遠くまで歩いていけるという自信です。

 

全部、趙雷の歌と彼のファン、家族や友人や元同僚たちが、臆病者が勇気を出せるよう背中を押し続けてくれたおかげなんだと思いました。

夜が明けたら、玉林路や小酒館に遊びに行きます。

 

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【中国東西旅行】3日目 武漢

本日は武漢共産党ゆかりの地を巡る「紅色ツアー」、辛亥革命博物館、小吃を食べ歩くの三本立てです。

 

 

▼「热干面」で腹ごしらえ

腹が減っては戦はできぬ、ということで朝ご飯を食べます。

武漢は朝ご飯を大事にする=がっつり食べる土地らしく、名物の「热干面(熱干麺)」をいただきます。

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道すがらにある小さい食堂で食べることにしました。

歩道に広げてある椅子に座って食べると現地民になった感覚がして楽しいです。

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熱々の茹であげ面に、ゴマと醤油を合わせたタレをかけ、漬物やインゲンなどの野菜を賽の目切りにした薬味をまぜまぜして食べます。 

食べ応えのある太麺にこってりしたタレと、ザクザクシャキシャキした薬味たちが絡み合って非常に美味い…。

しかもこれで4元(約70円)という驚き価格。武漢、いいところですね。

 

よくこういうガッツリ飯に中国語で「营养丰富(栄養豊富)」と書いてあるのですが、これは各種栄養成分が沢山入ってます、という意味ではなく多分「高カロリーエネルギー食」という意味なんだろうな、と食いながら理解しました。

 

 

▼紅色ツアー 毛沢東の長江遊泳で身悶える

腹ごなしの散歩も兼ねつつ、「中央農民運動講習所」跡地を目指します。

 

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第一次国共合作の時期に、国民党と共産党が共同で農民運動の幹部を養成していた講習所です。

講習所は1927年に開校、毛沢東の指導のもと全国から集まった生徒がここでマルクス主義など革命理論を学び軍事訓練などしていたそうです。

卒業した学生たちはまた各地の農村へと赴き、革命のリーダーとして活躍するという農民運動の起点となった学校です。

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こういう大教室で毛沢東が講義してたんですねー。

 

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学生はこの講習所でともに寝起きしてたので、もちろん食堂もあります。

毛沢東も学生と一緒に並んで飯食ってたらしいですよ。

偉大なる領袖は気取らない方ですね。

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展示室に中国画のプロパガンダが飾ってありました。(結構でかくて迫力ある)

描かれた年代は判別つきませんが、「この講習所が董必武の協力の元毛沢東によって1926年(開校の準備期間)に開かれた。二人は戦友だ」という意味合いの絵です。

1926年当時の毛沢東は30代半ばなので若々しく描かれております。

 

大学院時代にこの手のプロパガンダポスターを腐るほど見てたのですが、ほぼ全て図録などを通してなので現物や現物サイズの複製品を見ると結構テンションがあがります。

この絵を描いた画家が誰なのか知りたいですが、残念ながら落款が判読できず…あぁ…。

 

とりあえず一通り見終えたら、すぐ近くにある毛沢東旧居に行きます。

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観光客もまばらで地元のおっさんたちが散歩したりおしゃべりしたりしています。

毛沢東旧居」と言っても、講習所開校とかで武漢に逗留していた時に使っていた家くらいの意味です。

割と全国にこの手の「旧居」があり、本当に生まれ住んだ家として旧居は湖南省韶山にあります。いつか行きたい。

 

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まあ古民家の風情があっていいですなあ。

と思いつつ適当に見て回ったら資料館に足を向けます。

で、ちょっとうっかりしていたのですが、凄い展示物を見つけてしまいました。

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すっかり忘れていましたが、毛沢東の健康アピールである長江遊泳の舞台は武漢!!

毛沢東の長江遊泳は文革期のプロパガンダポスターの代表的な題材のひとつで、この写真がガンガン複製されポスター化され、彼の健康で力強いリーダー像を強調していました。

安倍首相も未だに腹痛ネタでイジられるのを見るに、やはり健康問題は政治家にとって重要なんですな。

で、凄いのはこの写真ではなく、毛沢東がいつ長江のどの辺でどのくらいの時間をかけて泳いだか、という詳細な記録パネルです。

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わざわざ遊泳ルートが電光ラインになってるwww

左下の詳細な表を読んでいると、長江遊泳って武漢にとってかなりの一大イベントだったことがしみじみと分かります。

大学院ではプロパガンダポスターの研究という謎の方向に熱中していた私にとって、こういう一次資料に近いものは割と貴重です。

当時は完全にモラトリアムとして院に行っていましたが、あの頃に中国留学してればもうちょっとマシな研究ができたのではと胸が痛くなります。

まあ金もなかったんで無理だったんですが…。

しかしこれ、毛沢東の泳ぎを当時誰かが詳細に監視して記録し、それが現代でこんなパネルになるという涙ぐましい仕事ぶりで胸が熱くなります。

 

せっかくなので、プロパガンダオタクこと私の秘蔵っ子たちを見て行ってください。

 

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かの写真をモチーフにした典型的なプロパガンダポスター

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色とりどりの風船に囲まれた毛主席が可愛いパレードの絵

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(女子供も)泳いで体を鍛えようキャンペーン

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今見ると「毛主席とキッズのコラ画像」感がすごい



いやぁ…やはりこの歪みなき世界観、ぶっ飛んでていいですね。

ただ近所の川を泳ぐにしても、長江周辺にお住まいの方にとっては革命に繋がる意義深い鍛錬だったのかと思うとたまりません。

日常を非日常に変えてくれる装置として、やっぱり60〜70年代のプロパガンダポスターの力強さは迫力あっていいですね。 

 

しかし、80年代生まれでこの時代の熱狂は知る由もない私は、院生当時この手のポスターを見ても「盛りすぎやろ」と全て誇張表現と看做していたのですが、パレードの様子などは実際に近いんだろうと思います。

文革当時のパレード写真はちょくちょく見る機会がありましたが、ここにきてようやく飲み込めた感じがしました。

ちょっと青春時代を思い出しました。

 

 

なんか元気になったので旧居のお向かいにある「共産党第5次全国代表大会跡地」にも立ち寄っておきます。

全国代表大会はいわゆる「党大会」で、直近の党大会は2017年の第19回です。ここは5回目開催(1927年)の跡地ということになります。

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共産党発足に当たる第1次全代大会(上海)はなんとなくありがたみがありますが、ここは第5次かあ…。

第一次国共合作が決裂する直前の党大会なので、オワタ感と焦りがないまぜになっていたのだろうか…と想いを馳せてみますがこういうところの展示は概して「革命に失敗した苦痛を教訓とし、新たな革命の道を示すのであった」とか熱っぽく前向きに軌道修正するのであんまり面白くないのです。

ということでさっさと見たら、私が世界史の教科書の中で一番イケメンだと思う孫文先生に会いに辛亥革命博物館に向かいます。

 

辛亥革命博物館

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謎に落ち窪んだ構造になっている博物館に着きました。

なぜ辛亥革命記念館が武漢にあるのかというと、その発端となった「武昌起義」が起こったのが武漢だからです。

1911年10月10日、革命軍が清朝に叛旗を翻して武昌(今の武漢)を占領して中華民国をたてた事件が「武昌起義」です。

翌年孫文が臨時大統領に就任して正式に中華民国が発足します。

最近知ったんですが、大陸の国慶節は中華人民共和国が成立した1949年10月1日にちなんでですが、台湾の国慶節は10月10日でこの武昌起義が由来なんですね。

 

ところで中国はこうした歴史資料館系のほとんどが無料で開放しているのがありがたい。

散歩感覚で立ち寄れます。

辛亥革命ならまだ興味を引きそうですが某講習所とか有料だとマジで物好きな人くらいしか来なくてニッチな箱モノは一瞬で潰れる気がします。 

 

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北京議定書の調印を迫る列強各国(左)と李鴻章ら清国…の場面再現マネキン

入って早々、義和団の乱後列強各国に議定書のサインを迫られる李鴻章が出迎えてくれます。

全員「ここから清朝滅亡が始まるのだ…」と言わんばかりの面持ちです。
列強組には日本の小村寿太郎(写真左の前列右から2番目の五分刈りチョビ髭)もいます。

高校生の頃日本史の授業で小村寿太郎が出てきた際、ちょうど美術の授業でコラージュの課題が出ていたがためにうちのクラスでは「コムラージュ」というあだ名がつけられていました。

おかげで名前だけはよく覚えてましたが、そうかあなたはここに関係していたんですね…。

 

それはそうと、展示は下関条約(馬関条約)や孫文が日本で反清朝の政党「中国同盟会」を結成した場面などがマネキンや立体展示などで再現されていて結構楽しく見れます。

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当時の革命を呼びかけるチラシも、こういうアーティスティックな展示の仕方があるのか〜と感心します。

 

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中和門は武漢を囲う城壁の中の門のひとつですが、反清朝の革命軍がここを撃破して武昌を占領しました。

ちゃんと兵士のマネキンも置いてあり、なかなか雰囲気もあってみんなマネキンと自撮りなり記念撮影なりしていきます。

子供も超はしゃいでる。

 

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で、いろいろあって中華民国成立です。

真ん中スポットライトを浴びているのが孫文先生。

記憶の中の孫文の方がカッコよかった気がしますが、無事建国を見届けたらやや疲れました。

 

辛亥革命の頃、1900年代初頭は孫文含め日本に留学した中国人がたくさんいました。

日本から孫文を支持した宮崎滔天梅屋庄吉なども紹介されているので、日本史好きな人は結構楽しめるかも。

 


武漢の小吃

気がつけば3時前になっていたので昼飯とおやつ?を兼ねて小吃を食べに行くことに。

「戸部巷」という小吃を食べ歩きできる通りに向かいます。

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なかなか賑やかな通りで、家族づれからカップル、友人連れでごった返してました。

 

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これは「豆皮」という武漢名物。

パリパリの皮で肉などの具が入ったおこわを挟み、鉄板で焼いたナイスな一品です。

もちもちのおこわとゴロゴロした肉で満足感がすごい、腹にたまる、最高。

粽が好きなら絶対に好きだと思います。

これもハイカロリー間違いなしの完全栄養食です。

 

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これはジャガイモの鉄板焼きです。(見たまんま)中国語だと「炕土豆」。

全国どこでもある小吃ですが、元々は武漢周辺の郷土料理だそうです。

小さいジャガイモを鉄板の上で紅油で揚げ焼きにして、唐辛子をまぶして食べる絶対に外さない味です。

ホクホクで美味しい、そして腹にたまる。笑

一人旅だとこういう時量が食べられないので残念です。

 

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 これは全国どこでもある牛乳寒天です。中国語だと「红豆双皮奶」。

あっさりした牛乳寒天に小豆が乗っていて、がっつりこってり飯の後にちょうどいいデザートです。

ちなみにこれ買う時、「常温と冷えてるのどっちがいい?」と聞かれ、冷えてる一択の私は常温の選択肢を残す中国の食文化に未だに戸惑いを覚えます。

ビールも基本は常温か冷たいのか選ばされます。

学校の先生に聞いたら「生理中の女性とか体を冷やすと良くないからそういう時は常温」と言っていました。

そういうところ健康志向なんだな…。

 

 

 

お腹も一杯になり、適当に缶ビールを買ってホテルに戻るとまたデリヘル嬢のチラシがお出迎えしてくれました。

平時は運動不足なのに一転して毎日10キロ近く歩き軽く筋肉痛なので、ゴロゴロしながらのんびり寝ました。

 

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【中国東西旅行】2日目 南京ー武漢

 

この日は昼まで南京を観光した後、武漢に向かいます。

 

 

▼中華門

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大虐殺記念館以外に、これといって目的地もなかったので、記念館で読んだ日本軍が中華門を突破して南京を攻略したとの記述を参考に中華門を歩いてみることにしました。

「中華門の戦い」では日本軍が南京にとって最後の砦である中華門で、城壁のトンネルに中国兵を閉じ込めて攻略し、そこから大虐殺が始まったとされてます。

朝8時半開門と同時に入り、そのトンネルを見るなどして「ここで生き埋めになったのかぁ」などとしんみりした空気を感じます。


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トンネルの天井にはカルシウムか何かが鋭利な氷柱になって無数に垂れ下がっており、ちょっと怖くなってそそくさと出ました。

城壁の上は歩けるようになっており、コの字型に連なっている城壁の中央部分から上に上がり、東側の終端を目指して散歩することにしました。

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幸い朝一だったからか、最初の1キロほど一眼レフを持ったおじさんが一人いただけで、あとは時折清掃員とすれ違う以外誰とも遭遇せず、約2キロの道のりが独り占め状態でした。

天気も良く、時折目下の道路を見下ろすと出勤する人や車の往来で活気付いており、それを静かな城壁の上からぼんやり眺めているととても贅沢な気がしてきました。

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さっきまで悲しい歴史を見まくってどんな気持ちで南京を楽しめばいいのか戸惑ってましたが、あんなに人で溢れかえっていた記念館と打って変わってここは人っ子一人いない様子に、少し真面目に捉えすぎるのもいかんなと思い始めました。

どんなに重たい歴史があっても、今を生きる人とはそんなものです。

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贅沢、とは、14億人が住む国でたった一人という孤独を感じられる面白さと気持ち良さです。

この城壁を降りたらまた喧騒の街が待っていて、そうでなくてもあと数時間もしたらこの城壁にもたくさんの観光客が登ってくるのかもしれません。

孤独と言っても私は通りすがりの旅行客だし、何かに疲れて一人になれる居場所を求めてるわけでもありません。

でもこういう引き算で自分の存在感を確かめられる瞬間もまた貴重で、旅の醍醐味だとも思います。

名前も何もない、感覚だけの自分になれるというのは、日常そんなにないことだしなぁ。

 

▼昼ごはん「鸭血粉丝汤」

城壁を降りて、夫子廟周辺をうろうろします。

折角だしお昼は南京名物の「鸭血粉丝汤」に挑戦することにしました。

「鸭血」はアヒル(カモじゃない)の血を固めたプリンとコンニャクの中間みたいなプルプルした食材(写真の茶色い長方形のやつ)、「粉丝汤」は春雨スープです。

基本的に好き嫌いも禁忌もアレルギーも無し、出されたものはほぼなんでも食べられる私ですが、中国に来て以来どうにもこの「鸭血」は気持ち悪そうで食わず嫌いをしてました。

レバーは好物なので嫌いなはずはないんですが、これもいいチャンスだと思って注文。

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感想は、素直に美味い、です。笑

あっさりした春雨スープが美味しいし、鸭血も臭みもなく食感も良くて美味しいです。

ただ私の心理的な問題で、食べ慣れるにはもう少し時間がかかりそうだなと…。

 

▼美齢宮

武漢行きの電車まで時間があるので、バスに乗って蒋介石の官邸で妻・宋美齢の名前をとった「美齢宮」に行くことに。

南京は地下鉄もありますが、上海よりもよっぽどバス交通が発達した都市です。

本数も路線も多く便利です。

夫子廟からバスに乗り込んで美齢宮に向かうんですが、車内で誰かがワイルドスピードでお馴染みの「see you again」を流しています。


Wiz Khalifa - See You Again ft. Charlie Puth [Official Video] Furious 7 Soundtrack

基本中国の公共交通の車内はみんな思い思いに動画や音楽の音を垂れ流してるのがデフォルトなんで不思議な光景でもないんですが、乗客が次々降りていってもこの曲が流れ続けてます。

ワイスピファンとしては「エモいやん…」と歓迎してたんですが、バス降りるときにグラサンかけた運転手のおっさんのスマホからこの曲が流れてたことを知り、しばらく一人で笑いました。

自分の職場を快適にするその工夫、愛すべきです。

中国のこういう自由なところ本当に大好きです。

 

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で、バス停からしばらく散策道を歩くと美齢宮に着きます。

美齢宮でのお目当ては宋美齢専用車だったビュイック

車見るの好きなので、こういうクラシックカーを眺めるのも大好きです。

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地球の歩き方では1946年型とありますが現地の解説板によると1930年代だそうで。

直立8気筒のハイパワーエンジンでこの巨体を動かしてたそうです。

かっこいい〜、とガキどもとおっさんと紛れて写真を撮りまくります。
 

とりあえずビュイック見たしさっさと帰るか、と思っていたのですが、館内の展示で宋美齢水墨画の大家•張大千に師事していたことを知りました。

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張大千と宋美齢の合作。へぇ〜

張大千は近代美術史で、宋美齢は近代(政治)史での頻出単語みたいな偉人ですが、こういうところで繋がるんだな〜と、ちょっと面白くなりました。

 

吉林省の大美女@南京南駅

美齢宮から地下鉄を乗り継いで南京南駅に行き、武漢行きの電車を待ちます。

電車は4時前発、小腹も空いたし三時のおやつになんか食べようと駅構内のパン屋さんでややボリュームのあるサンドイッチを購入。

あいにく椅子が埋まっていたので適当な場所に腰を降ろしてサンドイッチを食べていると、ものすごい勢いで「椅子がない!疲れた!だいたい女の一人旅なんて超疲れるのよ!!」と独り言?電話?を言うお姉さんが横に座ってきました。

やや驚いたものの、こういう人もチャイナスタンダードなので気にせず食べ続けていたら、お姉さんが「はあ!?ねえそんなデカいパン売ってた!?どこで買ったの!?」と食い気味に聞いてきます。

圧倒されながらも「あの後ろのパン屋です…」と返すと、「やだ売ってんだ。私東北出身だからさ、南方はなんでも小さくって嫌なのよ」とお姉さん。

その手には揚州のお気に入りのパン屋で買ったという一斤のデニッシュパンがありました。

その一斤を毟って「食べる?美味しいわよ」とすすめるお姉さん…。

 

中華料理の定説ですが、北京など北方は一皿の量が2、3人分あるかってくらいこんもり出てくるのに対し、上海など南方は同じ値段でも一皿1人前が可愛く盛り付けてある、というのがあります。

ほんでお互い「北方は豪快だけど田舎臭い」「南方は小綺麗だけどケチ臭い」とディスり合う、日本の関東vs関西みたいなローカルバトルがあるのです。

 

で、このお姉様は北京より更に北の吉林省長春のご出身で南方の小さいパンに我慢がならなかった様子。

昔揚州で仕事をしてた時に南京などで不動産を購入しており、時々遊びに来ているそうです。

「南京もだいぶ地価が上がったわね、まだ売らないけどあの時もう一軒買っとけばよかったわ」「もう10歳超えた子供がいるけど、子連れで旅行なんて面倒すぎてムリよ。だから旅行はいつも一人だわ」(旅行できない、とはならないのが素晴らしい)などなどビジネスウーマンの力強いお言葉は聞いてて面白い。

最終的に「あんた普通語下手ね、どこから来たの?」と聞かれ「日本です」と答えると、「嘘、てっきりどっか中国の田舎から出てきた子かと思った〜」と言ってもらいました。

自分の中国語で人民に間違われたのは初めてだったので嬉しかったです。

「北京だったら月収3万元(約50万円)なんて普通にいるから、中国で働けば?」とおすすめされ、謎に記念撮影され、お姉さんは一本先の電車で旅立って行きました。

私レベルでは月1万元稼げるかなあ…と思うところですが、しかし何もかもが豪快で破天荒なお姉さん。

私のことを「日本的小美女(日本のかわい子ちゃん)」と呼んでくれたあなたは「北方的直爽的大美女(北方の率直な美人さん)」です。

美しくて、しっかりした楽しいお姉さんでした。

 

武漢到着、ビジホのピンクチラシ

武漢までの直通列車を押さえられなかったので合肥で乗り換え、7時過ぎに武漢に到着。

途中の車窓が、とても綺麗な田舎の風景でした。

田んぼを突っ切る線路や山の中の村を見ていると以前住んでいた新潟を思い出し、懐かしい気持ちになりました。

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素直に美しい田舎の風景です。こういうの眺められるの、鉄道旅のいいところですね。

 

 

地下鉄に乗ってビジホにチェックインすると、初めてお目にかかる中国のピンクチラシがお出迎えしてくれました。

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「今夜は私がいるから寂しくないよ…」

風呂に入ってるとドアの外でゴソゴソ物音を立てながらこのチラシを突っ込んでくるのがまた怪しくてよいです。

 

17歳でも堂々と風俗できるのか?育成条例とかないの?

と色々疑問もありますが、面白いので全部もらって帰ってきました。

当方女なのでお世話になるとしたらレズ風俗か男娼かですが、果たしてそういうメニューはあるんでしょうか。

中国語レベルが上がったら聞いてみたいものです。

 

▼今日の一曲


你離開了南京 從此沒有人和我說話

再见南京。

 

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【中国東西旅行】1日目 南京

 

▼いざ出発

旅の初日、朝ごはんは日本から持ち帰ったアウトドア用カップ麺(中身のみのやつ)。

これ賞味期限が4ヶ月前に切れていてやや心配したものの、死ぬわけじゃないし大丈夫やろと普通に美味しく食べました。

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自撮りしないので旅のお供の亀が添景物になってくれます。


その後地下鉄に乗って上海虹橋駅まで行き、予め発券していた乗車券で高速鉄道に乗り込みます。

1時間半ほどで南京南駅に到着し、 まずはホテルにチェックインして荷物を置いて身軽になったらバスでお目当の「侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念馆(南京大虐殺記念館)」に向かいます。

 

▼侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念馆

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大学生の頃、南京旅行をしたことがあったのですがその時は総統府などに行ってしまい、ここには来られずじまいでした。

大学1年生の頃、基礎ゼミを担当していた教授の一人が「『南京大虐殺』は無かったんですよね〜。あれは捏造された歴史です」と唐突かつ明確に言い放ち、自身の研究を説明し始めたのをよく覚えています。

我が母校は左寄りだと聞いていただけに、結構びっくりしました。ついでに学問の基礎も知らない新入生だったので、「虐殺」という言葉の定義から当時の南京の人口と殺害された人数等々を淡々と話しながら持論を展開していく教授にただ圧倒されました。

実際、私はこの論争について深く勉強したことはありません。当時の教授の話とwikiで論争史を読み流した程度の知識しかないので、個人的な態度は曖昧です。

まあそんな強烈な思い出もあり、この記念館はいつか行かねばと思っていました。

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夏休みだからか、ものすごい長蛇の列。これに並んで中に入ります。

 

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エントランスには献花台と、その周りの壁一面に犠牲者の写真が飾ってあります。

中も人が多すぎてワイワイガヤガヤしており、「大声で喧嘩しないで」というプレートを持って歩くスタッフさんがいるなど、中国らしい風景そのままで悲壮感があまりない。

なんていうかそういうとこですよ、ホント。

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「南京陥落」の速報ゲラ(左)と「殺人レース」の記事

展示資料には日本の新聞社が当時発行していた記事や、兵士の手記などが多数あります。写真は「南京陥落」の特報ゲラ。右は「百人斬り論争」で有名な東京日日新聞の記事。
やはり夏休みなので親子連れもたくさん来てたんですが、親御さんが子供に「彼らはどちらがより多く殺せるか殺人レースをしてたんだ」と解説していきます。

中国語がちょっと分かる私は側で聞いていて、「中国語を勉強するってことは、こういう言葉も聞こえるようになることなんだな」となんともいたたまれない気持ちに。

私は素人なのでこの記事や展示のあり方に文句をつけようとか、日本軍が南京を侵略した歴史を疑問視するとかという気持ちは全くありません。

むしろ日本で習ったことと異なる内容や、被害者側からの語り口に興味があってここに来たんだと思うと、この身の置き場のない感覚は当然受け入れるべき反応だと思えました。

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南京大虐殺では多くの女性が強姦され慰安婦にされたこともよく知られてますが、コンドーム(写真右上)や性病予防の軟膏なども展示されてました。

この展示の近くに、強姦被害にあった生存者の女性のインタビュー映像が流れてまして、「日本兵が片言の中国語で話しかけてくる。『姑娘(グーニャン、娘さん),塞(サイ)する』と言って挿入してくる……」と話していました。

これを聞いた時、ふと水木しげる氏の「姑娘」を思い出しました。

日本兵の片言具合がリアルで、コンドームに書かれた「突撃一番」というなんかギャグみたいなパッケージにやるせなさと悲しさを覚えました。

 

他、日本兵の手記に「40、50代くらいの女性の遺体の股に竹が刺さっていた。けど私はしなかった」と書いてあるのを読むなど、南京大虐殺にまつわる諸々の論争は一度脇に置いて、ただ「申し訳なさ」と「いたたまれなさ」でいっぱいになります。

 

 

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殺害された人が埋葬された場所は、今は遺跡として館内でそのまま保存展示してあります。

2月にカンボジアのキリングフィールドを訪れた時も、こんな風に人骨が層になって堆積していたなと思い出しました。

いずれもまだ100年も経っていない間にできた歴史と遺跡なのかと考えると、戦争と人間の業の深さに思考停止してしまいます。

 

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特別展で、犠牲者遺族とその子孫たちの家族写真展がやっていました。

個人的にはこれが一番見るのが辛かったです。

展示の趣旨は鎮魂や癒しのため、と書いてあったけれど、ここに住む人たちの、その家族に起こった強烈な歴史が今も続いているんだと思うとたまらない気持ちになります。

虐殺があったかなかったか、本当に30万人殺害されたのかどうか、そういう論争ではなく、こういう一個人の経験として見たものが身内に語り継がれて家族の歴史になっていっている重み詰まった写真だなと思いました。

館内の芳名帳には「国恥を忘れない」など愛国な文言が溢れ、「絶対日本製品は買わない」とか、そういうコメントも書き記してあります。

献花コーナーで「騒ぐな」と注意されるのに終には愛国心を見せてくるのが、なんかよく分からない国民性だなと思うけど、でもこの個々人レベルでの悲しくて辛い経験を背負わせた国が日本だったんだなと思うと、プロパガンダ以前の、もっと深い所にある反日感情を思わずにはいられないわけです。

 

▼晩ご飯

微妙な気持ちで記念館を後にして、ホテル近くで晩ご飯を探します。

思えば昼ごはんを食べてなかったのでちょっとガッツリいくか、と思い自分でおかずを取っていくタイプのレストラン(快餐店の一種)に入店。

  

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奥左から、ゴーヤのおひたし、冬瓜と昆布のスープ、じゃがいもの細切り炒め、手前左が南京ダック、米です。

学生の頃南京に来たときは、トンカツの衣と肉の間にイチゴジャム詰められてる料理とか、レンコンの穴に餅米を詰めてイチゴジャムに浸してある料理とか、トラウマな料理をお見舞いされて正直南京料理に期待はしていませんでした。

そうでなくても上海含め南方料理は味付けが甘めで、美味しいものも沢山あるけど時々ハズレに出会います。

ゴーヤのおひたしも一応「これどんな味付け?甘い?」と聞いたら「甘いよ」と返され、やっぱりな…と思ったとたんもう一度あの日のまずい料理が食べたくなり注文。笑

結果ゴーヤなのに超甘くて大失敗でした。

 

しかしそういう時のための安牌がじゃがいもの細切り炒め(土豆丝)。

どこに行ってもあるし、ちょっと酸味の効いた味付けが決っして裏切らない安定の美味しいおかずです。

そして冬瓜のスープも昆布ダシがきいてて優しい味…沁みる…。

おかみさんに「ご当地料理ある?」と聞いたら、「今どきどこの料理もあるのが普通だから…」と苦笑いされましたが「あーこれはご当地っぽいかも」とおすすめいただいたのが「南京ダック」。

北京ダックはあの脂ノリノリでパリパリの皮をクレープと一緒に食べますが、南京ダックは甘辛醤油味のしっとりしたお肉と脂っこくない皮で超美味しい!北京ダックより好き!!

これはいいわ〜アタリだわ〜とガツガツ食べていたら、先程のおかみさんがやってきて「中国人じゃないよね?どこから来たの?」と話しかけてくれました。

「日本から一人旅で来ました」と言うと、「ふ〜ん、一人か。でも大人なんだしいいんじゃない?」と、可愛い笑顔で返してくれました。

 

 

食後に夫子廟のあたりで夜景を見つつ、流石にこの辺は誰かと来ないと特に楽しくないな〜と缶ビールを買って帰り寝ました。

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