うまくいかない話

※注意!私の鬱々とした気持ちを綴っています。嫌な気持ちになっても大丈夫な人だけ読んでください!!

「お父さんが嫌だ」と母親に相談すると、母親から「でもお父さんがいたから〇〇(私の名前)ちゃんは生まれてくることができたんだよ」と言われ、怒りと悲しみで絶望した。

ここ1年ほど、実家で暮らしている。実家から電車で2時間半ほどの場所に勤務先と自宅がある。しかし、仕事の関係で自宅から通う方が近い場所に勤務することになり、1年ほどだけ実家から通うこととなった。実家に住むのはこれを書いている時点であと数日だ。

その日は勤務先の上司との何気なく始まった会話に傷ついて帰ってきた。しっかりと話の内容は覚えていないが、トランスヘイトだったか、女性蔑視の話だったかだと思う。あまりにも嫌な気持ちになったが、上司と同じように、他人への優しさが欠けている人は他にもとてもたくさんいるよなと、「上司が特別悪いやつ」というわけではないよなと考え、どんどんと辛くなっていった。

生理前だったということもあり、気分がとても落ち込んでいた。どのくらい落ち込んでいたかというと、勤務先のトイレで自分の社員証を使い首を吊るのを実行してみるほどには落ち込んでいた。社員証を引っ掛けた金具が折れるかもしれないし、社員証もちぎれるかもしれないと、中途半端に死ねなさそうだなと思いやめた。後遺症がある状態で生きるのは今より辛いかもしれない。マジョリティでない人に対してあまりにも冷たい社会だ。きっとそうだろう。

残業で帰宅が遅くなっていたため、母親に用意してもらった夜ご飯を1人で食べていた。すると、すでに夕飯を食べ終わった父親がリビングに出てきて再びご飯を食べ始めた。

ただ食べるだけであればそこまで嫌なことはなかったのだが(少し嫌ではあった)、テレビをつけて食べ始めたのである。テレビでは人が人を馬鹿にしまくっていてかなり気分が悪くなった。父親は耳があまり良くないこともあり、音をとても大きくする。

涙が出てきた。

父親にテレビを消して欲しいと伝える気力もない。伝えたところで聞いてくれるかもわからない。そして、そのテレビでは、公共の電波を使って他人への憎悪を撒き散らしている。

何もかも嫌になり、ご飯も少ししか食べずシャワーを浴びながら泣き、就寝支度を整えて布団に入った。居候していることもあり、母と同じ部屋で寝起きしているが、その日は珍しく母は飲酒せずに私が寝る頃にもまだ起きていた。

私が泣いていたことに気づいた母は大丈夫かと声をかけてくれる。「何もかも嫌になっている」と母親に言うことはできず、直近で嫌だったことである「お父さんが嫌だ」を母親に伝えた。

すると、母親は「でもお父さんがいたから〇〇(私の名前)ちゃんは生まれてくることができたんだよ」と諭してくれた。

2人が出会わなければ、私を作らなければ、私を途中で死なせてくれていれば、ずっと嫌な思いをしながら生きていくという地獄を味わわずに済んだ。

私は「そうだね」としか言えず、そのまま寝た。

この世で生きていくのは辛すぎる。あまりにも人権が蔑ろにされている。生まれてきたくなかった。毎日毎日他人の幸せが奪われて、「幸せとは結婚して子どもを産むこと」と政府や社会から押し付けられて、賃金は安くて、貧しい人がさらに貧しい人を馬鹿にして。もう嫌だ。

今朝、人身事故で電車が遅延した。私も電車を遅延させようかしらという気持ちになった。