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地球環境を破壊してきた最大の原因:戦争、核実験、原発 。 世界は、放射能 の影響を無視し続けている!! 戦争反対!!
1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT 換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイ (TNT 換算で15 kt)の3万5千発以上に相当する。
アメリ カだけではない!!世界は核実験・原爆・原発 事故により放射能 で汚染され、地球は破壊された。多くの人が核被害で苦しみ、温暖化は進んでいる!!
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森の追及はないのか?
破壊!殺し合いは無意味だ!!領土問題も根気よく話し合いで解決しよう!!
戦争即停止!!
広島・長崎・ビキニ・福島と4度被ばくした日本はいつまで、危険な原発 をやるつもりなのだ!! 核兵器 廃絶!!脱原発 !!医学者も声を上げよ!! 日本は、毒ガスの処理にも手を焼いているというのに!いつ大地震 が起きるかわかりゃしない!!
3月20日 に飯田市 の飯田市 平和祈念館に寄りました。下の写真のパネルは市教委が昨年9月に新たに作成したパネル。もう少し、詳しいパネルがほしい!!なんで日本は医学者が中心となって細菌兵器の開発に突き進んだのか?
飯田平和祈念館展示
検討委員会のある方のご意見
・9月1日に新たに展示された731部隊 のパネルは一歩前進ではあるが、下に展示されている医療器具や本との関連が説明されていません。どうしても731部隊 の証言が必要です。
昭和天皇 が裁可したこの巨大施設で、細菌兵器の開発のため、人体実験が繰り返され、細菌兵器を製造し、中国各地で細菌戦が行われた!!(中国・平房)
改めて、昭和天皇 ・皇族・医学者の戦争責任を問う!!
市教委が展示したパネル
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・山田先生の講演を聞いた人の感想
昭和天皇 が化学戦・生物戦について認識していたことは、大本営 からの命令(大陸指)の発令や、731部隊 の関係者と接触 した三笠宮 からの報告で動かしがたいものだと思われます。ご指摘のように、敗戦から1947・48年の間にどのような隠蔽工作 が行われたのか、これはまだほとんど解明されておりませんので、しっかり取り組んでいこうと考えております。ご指摘、ありがとうございました。
会場には、100名を超える人々が参加して、山田さんの講演を聞き、又意見交換もしました。
三笠宮 は
回顧録 の中で、「多数の中国人捕虜を貨車やトラックに積んで
満州 の広野に連行し毒ガスの生体実験をしている映画」を見たのを憶えている、としている。彼は次の様にも述べている。
「その実験に参加したある高級軍医は、かつて
満州 事変を調査するために
国際連盟 から派遣されたリットン卿の一行に、
コレラ菌 を付けた果物を出したが成功しなかった」、と語っていました。
(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著
柏書房 p227)
1950年代後半から「紀元節 」(神武天皇即位紀元 (皇紀 )に基づき、三笠宮 自身の父系祖先と伝承される初代天皇 ・神武天皇 が即位したとされる西暦紀元前660年2月11日を「日本建国の日」とするもの)の復活への動きが具体的なものになってくると、考古学者及び歴史学者 としての立場から「神武天皇 の即位は神話であり史実ではない」として、「『神話』と『史実』は切り離して研究されるべき」と強く批判し、皇族の身分でありながらも積極的に「紀元節 復活反対」の論陣を張った。編著『日本のあけぼの』は、このときに刊行されたものである。
竹田宮 は、他にもっと直接的なつながりを、細菌兵器施設との間に持っていた。彼は関東軍 司令部によって設置された、731部隊 と100部隊の事業の監督をするための特別委員会の幕僚メンバーだった。彼の幕僚メンバーとしての最も重要な責務は、平房や他の支部 施設を訪問する許可を与えるかどうかを決定することであった。関東軍 に於ける医療行政官のチーフのように権力ある個人すら、平房(の施設)に立ち入る際には竹田宮 ・宮田(竹田宮 は宮田武中佐と名乗っていた)が発行した通行証を求める必要があった。関東軍 司令官もしくはその直属の部下が731部隊 を訪れる時は、竹田宮 自身が彼らの一行に混じって彼らをエス コートした。(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著 柏書房 p228)
「はだしのゲン」巡り揺れる広島 教材から削除、販売は急増―原爆忌
「香川の子どもと教科書ネット」通信
第68回会議報告(2024年3月10日・日)
千葉県麗澤大学 内にあるモラロジー 団体は、いかにも民主的、平和的思想の集団であるかのごとくごまかした文章を必死になって発信し続けているが、その行間に隠されている彼らの本音は、天皇 を、我々市民とはかけ離れた一段、格の上の神様に近い存在に奉っている。
この団体の道徳サロン、講座、講演会等には、八木秀次 、西岡力 、髙橋史朗、中山理、所 功、野口芳宏、櫻井よしこ 等、いわゆる右派思想を持つ人物の主張でうまっている。
さらに、廣池幹堂(もとたか)理事長は、2022年(令和4年)春の叙勲、「旭日中綬章 (きょくじつちゅうじゅしょう)」を受章している日本会議 代表委員でもある。
文科省 も、香川県 教育委員会 も、このような右翼団体 の活動を、「後援」し、「学校教育」「社会教育」の中に導入している事に、羞恥心、後ろめたさを微塵も 感じていない。これも昭和天皇 によって、戦後天皇 制が残されてしまったが故に広まってしまった弊害なのだと思う。この姿を放置するわけにはいかない。
「あれよあれよという間に周りが火の海に」14歳で死生観が一変した昭和20年3月10日の夜
『文藝春秋 が見た戦争と日本人』より 半藤 一利2022/08/12
『日本のいちばん長い日』、『聖断』などのノンフィクションを記してきた半藤一利 さん(1930~2021)の原点が、自らが体験した1945(昭和20)年の東京大空襲 であった。
東京大空襲 は、1945年3月10日の陸軍記念日 (日露戦争 時の奉天会戦 に勝利した日)、下町が狙われ、死者は10万人を超えた。『文藝春秋 が見た戦争と日本人』より抜粋して引用する。(初出:『くりま』2009年9月号「半藤少年がくぐり抜けた戦争と空襲」)
あれよあれよと周り中が火の海になって……
私は急いでいつも通りの学生服に着替えて、その夜はかなり冷え込んでいましたから、その上に綿入れを羽織りました。頭には防空頭巾を被り、さらにその上に鉄兜を被る。鉄兜といってもちゃちなものでしたがね。それでゴム長を履いて表に飛び出した。
外に出てみて驚きました。空襲警報が鳴ってそれほど間がなかったにもかかわらず、向島 の我が家から見て南の方角、つまり深川方面の空はすでに真っ赤に燃え上がっていたのです。後でわかるのですが、空襲警報が鳴る7分前に第一弾が投ぜられていたのです。しかも、その火の中を次から次へと低空飛行のB29が突っ切って行くのが見える。海の方に向かってどんどん突っ切って行くのもいれば、逆にこちらに向かって飛んで来るのもたくさんいる。そして焼夷弾 をバラバラと、次から次へと落とす。
らせ、日本側から「鬼畜ルメイ」「皆殺しのルメイ」と渾名された。
授与への批判
ルメイが東京大空襲 や原爆投下を行った部隊の指揮官だったことから授与に対して批判も大きく、現在でも「勲章は返還するべきである」と唱える者もいる。当時は日本社会党 ・原水爆 禁止団体・被爆 者などから国民感情 として納得できないという声が上がった。
日中戦争 の最中、中国の国民党政権の臨時首都となっていた重慶市 にたいして、日本軍は、無差別爆撃をくり返し、多くの人々を殺傷しました。(中国人民政治協商会議 四川省 重慶市 委員会文史資料研究会編『重慶 抗戦紀事』によると、爆撃は1938年2月~43年8月にかけて218 回、被害は死傷者2万6千人、焼失家屋1万7千戸。ほかに41年6月5日、
防空壕 で数千人から1万人以上が窒息死したといわれる惨劇がある)
ニュース
戦争をストップさせるには??岸田首相も中国へ働きかけねば!!
デブリ の処理もできない!!遺棄毒ガス弾の処理も遅れている!!
次期戦闘機開発反対!!
公害の深刻さを認識してください!!
恐怖・弾圧選挙に意味はない!!
原発 事故が起きたら何処に逃げるの?反原発 !!核の時代を終わらせよう!!
武器輸出反対!!
日米軍事同盟反対!!
日本は戦争の加害をきちんと伝えるべきだ!!
2024年2月20日 初版発行:アテネ 出版(3000円+税)
第533回 反核座り込み行動 核も戦争もない平和な21世紀に!!
この映画では、元731部隊 員(レントゲン班)の宮川正(東大教授)は協力している。
汚染水放出反対!!(海の生態系の破壊!!)
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日本 軍の上層部で活躍した皇族も全て戦犯免責にした。
又、極悪非道な、細菌戦や毒ガス戦、無差別爆撃に関わった、731部隊 、毒ガス部隊、登戸研究所 員等も戦犯免責にし、アメリ カにその情報を持ち帰り秘匿した。
そして、アメリ カの行った非人道的な原爆投下、無差別爆撃等は東京裁判 では、全く取り上げられなかった。免責の見返りに、一部の731部隊 関係者はアメリ カの核戦略 に全面的に協力し、被爆 の被害の矮小化を図った。 その流れが、ビキニ、福島、原発 政策へと続き、依然として原子力 村、安保村が日本の原発 ・軍事問題を牛耳っている。
唯一の最悪の地上戦を経験した沖縄は、昭和天皇 によって、見捨てられ、戦後、アメリ カの占領下となり、日本に復帰した現在も、米軍基地問題 で大きく揺れている。
また、日本は、戦時中、百万人を超す朝鮮人 を日本国内に強制的に連行し、苛酷な条件のもとに強制労働させたが、戦後は日本人ではないとして、戦後補償を受けられずに、非常に困難な生活を強いられた。
だが、軍事裁判では、日本軍兵士として、BC級戦犯 となり、厳しく裁かれた。
靖国神社 は、A級戦犯 であった、東条、広田、板垣、松井等を合祀し、あの戦争を賛美し、反省をしていない。
日本は戦後、軍人や軍属、その遺族らに総額60兆円超の年金や恩給をいまも支払い続けている。戦犯の遺族にも支払っているが戦後、外国籍になった日本軍兵士には支払っていないということには驚く!!
一方、天皇 が、宣戦布告した戦争で、国は戦争被害者に損害を国民は同じように堪え忍ぶべきだという受忍論を押し付け、空襲で家や財産、親や子どもを奪われた人たちへの補償は全くしていないし、公的資金 を投じた追悼施設さえない(東京大空襲 等)。
日本と中国では、戦後毒ガスによる被害者が多数出ているが、大久野島 で毒ガスの製造に関わった 被害者だけは、優遇されているがその他の被害者にはわずかの補償か、 全く補償がない。 アジアの国々に対して日本は、戦争責任を認めて、率直に謝罪することが出来ていない。 平和博物館では、展示が日本の空襲や戦時中の暮らし向きだけが展示され、加害の展示は殆どないのが現状だ。
過去の侵略の事実を無かったことにしようとする日本政府の姿勢に疑問を強く感じる。
戦争による、残虐事件の証拠隠滅が、戦時中、戦後すぐに行われ、その解明は、十分ではない。1つの絶対的な権力が形を変えて残ることは、その解明を妨げている。
情報公開をオープンにし、実態解明ができる社会にしないと真実がわからない。
最近の裁判所で起こっている証拠隠滅にも戦前の体質を垣間見る!!
(東条)「日本国の臣民が陛下の御意志に反してかれこれすることはありえぬことであります。いわんや日本の高官においておや。」
この発言に最も慌てたのが
アメリ カの首席検察官キーナンだった。
東条の言葉は、解釈次第では戦争開始の決定は
天皇 の意志によるものだった、ということになる。
731部隊 罪証陳列館見学に並ぶ長蛇の列(中国・ハルビン )
敵基地攻撃能力などいらない!!自衛隊 を災害救助隊にすべし!!
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1月19日、「花地蔵物語」の完成披露演奏会が、東京の武蔵小金井 の宮地楽器大ホールであった。会場は、満席で、大成功でした。
珠洲 原発 があったら大惨事であった!!原発 をなくそう!!
未知の断層はまだまだあるのではないか??
地球環境の破壊!!
戦争は、子々孫々に怨みを残す!!
戦争反対!!紛争は外交努力で解決を!!
ビキニ被災から70年!!
地球を破壊した戦争・核実験・原発 世界に拡がる放射能 汚染!!
反原発 !! 温暖化の一番の原因は2000回以上行われた核実験にあるのではないか?
1月:南スーダン 歴史的洪水で九州より広い土地が浸水
2月:チリ 10年続く「メガ干ばつ」により広がる火災
3月:南東アフリカ サイクロンが1,000人の命を奪う
5月:イタリア 1日半の間に降った6カ月相当の大雨
7月:カナダ 森林火災950万ヘクタールが焼失
8月:観測史上最高の海水温と1.5度を超える平均気温の上昇
10月、11月:続く高気温、史上最も暑かった年となる見込み (以上)
第五福竜丸 事件を知っていますか〔ハイスクール・タイムズ〕より
久保山さんの死から2ヶ月後の1954年11月に公開された映画「ゴジラ 」は、日本の怪獣映画の元祖として知られる作品です。
「ゴジラ 」は、水爆実験の衝撃により長い眠りから覚めて、ビキニ環礁 の海底から姿を現した太古の怪獣とされ、放射能 をまき散らしながら東京の街を破壊し尽くすその姿は、わずか9年前の東京大空襲 の記憶を人々に思い出させただけではなく、東京が水爆により壊滅するさまを想像させてあまりあるものでした。映画のなかでは、多くの人々がゴジラ の攻撃によって被災するさまが描かれており、広島・長崎そして第五福竜丸 の被災は、当時においては「次は自分かもしれない」と感じさせるほど身近な問題だったことがわかるでしょう。
映画「ゴジラ 」のラストシーンでは、「もし水爆実験が続けて行われるとしたら、ゴジラ の同類がまた世界のどこかに現れるだろう」という警告が発せられますが、水爆実験はその後も続けられ、実験場となった地域に大きな被害を残したのです。
※1954年のアメリ カの水爆実験による日本の被災船は、約1000隻に上る。アメリ カは、第五福竜丸 の船員には見舞金を支払ったが、他の船員には、全く補償をしていない。
ビキニ 隠された被害
原子力 村解体!!安保村解体!
アンケートから
12月18日(月)
5、今年原爆資料館 に入館しました。2度と無い様できるだけたくさんの方が見た方がよいと思いました。
(60代以上、市内、たまたま)
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12、PFAS杉井先生さすが医師です。難しい医学的言葉は避けて、分かりやすく、お話しいただけて理解を深めることが出来ました。ありがとうございます。是非、今日のパワポ を頂きたく思います。
集会のアンケートから
平頂山事件については、日本中国友好協会を通じて知りました。
学校では、アジアの近現代史 はなかなか教えられません。自分で興味を持って学んでいくしかない現状に歯がゆさを感じます。裁判の終了後も、こうしてこの歴史を人々に伝える活動をしてくださる人々に感謝します。
私の娘は今4歳です。方さんが事件に合われた年齢です。曲さんのお話に自分の娘の姿が重なりました。もう少したったら、娘も連れてこのような学習会に参加できたらと思います。
来日してくださった曲さんご夫妻に感謝します。いつかまた、どちらかの国で私の娘共々曲さんにお会いできたらと希望を持ちます。
会場への案内に立ってくださっていた実行委員会の方々に助けられました。
ありがとうございました。
(中国語)
我是通过日中友好 协会而知道了平顶山事件的。学校几乎不讲授亚洲的近现代史。要想了解这段历史,除了自己产生兴趣自发学习,别无他法。这样的现实让人十分无奈。我非常感谢你们在诉讼结束后仍继续以这样的方式让世人了解这段历史所做的努力。
我的女儿今年四岁,正好是方女士遭遇惨案时的年龄。曲先生的讲演使我在方女士的故事中看到了我女儿的影子。我希望今后能带我的女儿一起来参加类似的讲演会。
我也要感谢曲先生和夫人来到日本。希望有一天能和我的女儿一起在中国或日本再次见到他们。同时感谢会议组织委员会成员在会场外为与会者提供指路等帮助。
谢谢大家。
一昨年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊 のことが取り上げられた。
731部隊 で非人道的な人体実験があったことを述べている!!
(以下の動画、5分20秒過ぎ)
●ビキニ被ばく船員訴訟意見陳述
令和3年(行ウ)第594号
原告増本美保外11名 被告
意見陳述書
2023年(令和5年) 9月12日
被告は、原告らの主張する放射線 の晩発性影響が認められるには100mS vのしきい線量を超える被ばくをしたことが必要であるが、明石真言 氏を座長とする保険部の報告書によれば、lmSvにも達しないので放射線 影響とは認められないと主張します。
そこで、まず、放射線 晩発性影響の基準がどのように決められたかを述べます。
2 放射線 人体影響を初期放射線 のみとしたことによる影響
(2)内部被ばくの無視
もう一つは、初期放射線 だけですと外部からの均等な被ばくを想定することになります。そのため放射性物質 近傍の組織、細胞への被ばく、つまり内部被ばくモデルを無視・軽視してしまうことになります。これがICRP の内部被ばくモデルにつながります。
●ビキニ被ばく船員訴訟意見陳述(2023年9月12日東京地裁 )
被爆 地選出の首相が、なぜ放射能 の恐ろしさを語らない?? 再生可能エネルギー の積極的活用を!!
8月22日、日本政府は、東京電力 福島第一原発 敷地内に貯留されている「ALPS処理汚染水」の海洋放出を気象や海象条件などに支障がなければ、9月24日にも開始することを発表しました。 グリーンピース・ジャパン は、 2023年8月17日、汚染水の海洋放出に反対する署名36,334筆を経済産業省 に、原子力発電所 に反対する署名18,642筆を内閣府 に提出しました。 「放射能 汚染水を海洋放出しないで」署名を経済産業省 の担当者に提出しました。 日本政府および東京電力 は、漁業関係者や住民、太平洋地域や近隣諸国の懸念を押し切って、放射性物質 を含むALPS処理汚染水を海に放出する決断に踏み切りました。あらゆる問題を山積みにしたまま、数日のうちにも海洋放出が開始するかもしれないこの状況に、憤りを覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。 グリーンピース は8月17日、54,976筆の署名を、国際環境NGO FoE Japanなどが主催する政府・東電との討論会の場などで政府に提出しました。また8月18日には、市民団体「これ以上海を汚すな!市民会議」が、首相官邸 前にて行った汚染水の海洋放出に反対する要請行動に参加しました。
8月18日の「これ以上海を汚すな!市民会議」主催の抗議集会
放射性廃棄物 の海洋放出は、福島第一原発 の廃炉 計画の失敗を明らかにしています。いったん海に流された放射性物質 は決して回収できません。一方で、汚染水の発生を止める有効な手段はとられていないままです。放射性廃棄物 を意図的に放出し、海を汚染するという選択は、日本の数十年にわたる原発 政策が招いたものです。
署名提出、討論会でわかったこと
2015年、政府・東電は、「関係者の理解なしにいかなる処分も行わず、他核種除去設備で処理した水は発電所 敷地内のタンクに貯留します」と文書で約束しています。討論会で「この約束は守られるのか」と問われた際には、はっきりと「守る」と回答していました。それにもかかわらず、海洋放出を推し進めようとする政府の不誠実な姿勢は、到底受け入れられるものではありません。
また、討論会では、グリーンピース はじめ、多くの研究者らが提案してきた陸上に保管する代替案について、ほとんど議論されていなかったことが改めて浮き彫りとなりました。東電は「モルタル 固化処分案」については「ALPS小委員会においても検討が行われている」と回答しましたが、検討されたのは地下に埋設する別の方法についてであり、さらにそれも2行書いてあるだけで、会議資料にも議論の記録はありません。 処理費用と期間も大幅に膨れ上がっています。様々な処理方法が検討されていた2018年の時点で、海洋放出の費用は17〜34億円とされていましたが、現在の試算では1200億円となり、処理にかかる期間も52〜88ヶ月程度と書かれていましたが、現在は少なくとも30年以上と言われています。
海を汚染しない選択を求めます
欧米で運用されているより高精度な多核種除去設備で限界まで放射性物質 を取り除いた処理汚染水を、現行のタンクより堅牢な大型タンクに移し、さらに高度な除去技術を開発するのことが、現段階では最善の解決策であるとグリーンピース は考えます。
2023年の「戦争の加害展」の感想
168、根津公子さんのお話を聞きました。日本社会、教育の場が右傾化していること、戦争の加害が急速に忘れ去られていることに、一層強い危機感を覚えます。
私は在日朝鮮人 ですが、朝鮮人 自身でも忘れ去られつつあるこの問題に、当事者意識をもって立ち向かうことができるよう、もっともっと勉強していきたいと思いました。
戦争による加害は、過去の事でなく、今なお、私たち朝鮮人 を脅かしています。
そのことをもっとたくさんの日本人の友人に伝わってほしいです。この問題を解決するために、私たち自身がより一層の努力をしていきたいです。ありがとうございました。
(20代、川崎、友人、-)
こんな大事なパネルが展示されていないとは!!
日本が中国に棄ててきた毒ガス問題
中国に戦後日本軍が遺棄した毒ガス被害に苦しむ人がいる(日本政府は補償していない)が、日本にも毒ガス工場で働いた人、毒ガス工場解体時に被害にあった人がいるが、大久野島 の毒ガス工場で働いた人以外は補償が全くないか、十分でない(工場解体に関わった人々など)。
化学兵器禁止条約 が発効(1997年4月29日)されて10年過ぎても20年過ぎても(原則10年以内に廃棄)、中国に遺棄した日本軍の毒ガスは廃棄できないでいる。(廃棄完了は2027年の予定)分解できない砒素はドイツの地下に貯蔵?
なぜ、処理事業で、処分できない砒素がドイツへ行くの? その遺棄化学兵器 の処理が化学兵器禁止条約 が発効した1997年から26年経ってもまだ終了していない。本当に内閣府 の計画通り、今までに発見されている遺棄化学兵器 は、2027年までに処理が完了するのであろうか? 次回裁判期日 5月16日(木)11時~703号法廷
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被告は①3月末に開示決定変更通知を提示し、開示できる部分については開示する、②不開示理由については4月末に500ページ、5月末までに更に500ページ提出し、半年以内に全不開示理由を提出する旨陳述しました。これを受け、裁判長は原告に対し申立の変更手続きをするよう伝えました(元となる開示決定が無効になるため)。 原告の私としては不開示であったことの違法性について判決があってほしいところですが、裁判の進め方として、開示できる部分については開示させていくことや、新たな開示内容やその理由について追求したほうがよいという弁護団 の判断で、どういうものが出てくるのか様子を見ることになりました。 なかなか亀の歩みで地味な裁判ですが、少しずつ進展を見せています。皆さまの注目が頼りです。引き続き、ご関心をお寄せ頂けたら幸いです。 \ご支援よろしくお願いします/
プレ企画 映画「隠された爪痕」「払い下げられた朝鮮人 」の感想
5、関東大震災 の時に朝鮮人 が殺されたという話は知っていたが、これほど映像で詳細に観る機会はなかったので、改めて事実に驚き、今に続く朝鮮(韓国)の方々への偏見、差別の根深さに心が痛んだ。
やはり、事実を知り、過去に学び 現在、未来に生かすことが大事だと思った。このような機会を与えてくださった会の皆様にお礼を申し上げます。
監督のお話は、映画では描ききれなかった想いを少しでも知る機会となりました。新しい映画を制作されているとのこと。出来上がるのを楽しみ(こんな言葉はダメですね)にしています。ありがとうございました。(70代、不明、チラシ)
1995年8月15日
敗戦の日 から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズム を排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆 国としての体験を踏まえて、核兵器 の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮 を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。
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原爆投下や東京大空襲 ばかり取り上げて、 日本のテレビや教科書が重慶 爆撃を取り上げないのは問題だと思います。 (視聴者のコメント)
ニュース257号
1946年にピューリッツァー賞 を受賞したこの本により、アメリ カが隠蔽しようとした事実が慎重に、そして確実に、世に公表されました。
※本記事は「Esquire 」UK版のコンテンツディレクター、ウィル・ハーシーが寄稿した記事を抄訳したものです。
史上最も偉大なジャーナリズム、
ジョン・ハーシーという偉大な名があまり知られていない理由
そのためか、ハーシー氏自身の名はあまり知られていません。
日航 123便 の怪(1985年8月12日)
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伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より ●東京帝国大学 伝染病研究所『実験医学雑報』 ・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか? ・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲 国へ行ったのか? ・満洲 衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか?? ・東大伝研は731部隊 と連携を図っていなかったのか?? ・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか?? ・小島三郎の渡満では、満洲 衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか? ・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲 」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢 菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市 の爆発赤痢 は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか? ・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田 で爆発赤痢 事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。 ・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか?? ・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。 ・1938年6月1日の伝染病研究所で石井の厚意によって上映された映画には、731部隊 の生体解剖でも映っていたのでであろうか? 精神的緊張裡とは、何のことだろうか? ・実験医学雑報20巻 第7号(1936年) 本所職制改正 この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。 *特別研究室とは何だ??
・中込亘は、731部隊 で細菌に感染して死んだのだろうか?
雑報3号(23巻、1939年)
学術集談会
去る2月24日(木)午後1時より講堂に於いて学術集談会が催され、命題は次の様であった。
演題
2、腸窒扶斯ワクチン精製痘苗混合液の人体接種について (特に反応) 広瀬茂君、鈴木余四郎君
3、腸窒扶斯ワクチン精製痘苗混合液接種の免疫効果について (人体実験) 広瀬茂君、鈴木余四郎君
4、精製痘苗、腸窒扶斯ワクチンの混合免疫について 矢追秀武君
5、流行性脳炎 ウィリスのin vitro培養(その1) 川喜田愛郎君
(東部型及び西部型)病毒との比較研究 三田村篤志 郎君、北岡正見君、渡邊漸君
7、東京在住老齢者、マニラ在住者及び台湾産動物の血清の
日本流行性脳炎 病毒に対する殺病毒素について 三田村篤志 郎君、北岡正見君、渡邊漸君
好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇 主権の明治憲法 下の原則を適用するな!!
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
この政策の転換は 東京の参謀本部 がソ連 軍との衝突を恐れ軍の北部満州 への侵攻を抑えようとしていたときに行われた。11月5日、昭和天皇 は金谷参謀総長 に特別に委任命令権を与え、〔本来、天皇 に直隷する〕関東軍 の作戦と用兵に関する「細小事項」を金谷が決裁することを許可した。関東軍 が鉄道により北部満州 を移動する間の3週間、金谷は現地部隊の行動を監督するためさまざまな機会にこの特別な権限を5回、行使した〔「臨参委命」という形式での参謀総長 命令のこと〕。
●日本国憲法 9条 第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、 国際紛争 を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、 これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
IMAGINE9
解説
9条をつかって、 戦争のない世界をつくる。
08
ひとりひとりの安全を大事にする世界
また、地球上の人びとの生命と権利を守る責任は国際社会全体にあるのだ、 という考え方も広がりつつあります。たとえば、国のなかで紛争状態や人権侵害があるときに、その国の政府が「これは国の内部の問題だから外国は口出しするな」などということは、もはや許されないのです。国と国が戦争をしていないからといって、それは平和を意味しません。人びとの生命や権利が脅かされているかぎり、それは平和ではないのです。
※次期戦闘機の輸出が閣議決定 され、色々な武器を自民党 は輸出しようとしているし、武器の輸入も拡大している!!
『 鹿屋(かのや)航空基地 史料館』(鹿児島県鹿屋市)について
~ご理解していただきたいことを文章にしました~
2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)
願わくは、戦没者 たちが、自衛隊 の「閉じ」の中から解放され、新たな地にて平和な社会の実現を見守って下さいますように。(鹿屋市内に一定の世論ができて、このような文章を書いているのではなく、私・鶴ヶ岡個人がこだわってきた、「戦没者 」ということや「戦没者 の遺念」ということへの思いから、書きました。また、鹿屋市当局も、資料館を取り戻すことなど、夢にも思っていないことでしょうし、自衛隊 と利益関係でつながる出入り業者の数も多いですので、これまで(戦没者 の冒涜に)気づいた人がいたとしても、なかなか声に出すことは出来なかったのではないかと思うのです。それだけ根の深い問題になっていますが、そこに光を灯すべき価値は大いにあるのではないでしょうか。数や金の上にあぐらをかいて、人々を、自分に都合のいい価値観にしばりつけているような地域性の中にある自衛隊 の中でも「戦没者 たち」が、埋没させられ、利用されてきました。自衛隊 を包み込むそのような地域性があることもしっかりと見据えた上で、「自衛隊 が戦没者 たちを冒涜してきたということと、史料館は新たに平和祈念資料館として移転すべきこと」について、このような小さな声を、風に託すような思いで、届けたいです。)
黒井さんのメールより
授業の生徒感想文の一部を紹介いたします。
2024年2月16日、50分の授業を受け持ちました。
★感想文
9,私は何の不自由もなく生活していることにとても感謝しようと思いました。戦争はもう70年前に終わったものだと思ったけど、苦しみ、悲しみは今もずっと続いていてそれを聞いてとても悔しい、戦争を恨むような気持になりました。当時の戦争ではもちろん兵士の心と身体をを傷つけ、その家族も苦しかったと思います。ただ、今もその兵士の親せきなども苦しんでいる人がいたり、心が壊れてしまった精神が病んでしまった人がいることを良く知って、戦争は他人事ではないということを身に染みて感じることができました。
「戦争のない世界」
戦争が世界を席巻しています。
戦争を仕掛ける集団(国家)と対抗する集団がこの瞬間も殺し合いを続けています。
戦争は集団同士の殺し合いです。
私は戦争することを決めた集団の意思と集団に属する個人の意思の尊重を考えます。
そもそも戦争することはどういう過程を経て決まったのでしょうか。国会で、大統領権限で、集団の長の意思で、あるいは集団の総意でしょうか。集団の多数意見でしょうか。
戦争をしている兵士は全て志願兵でしょうか。殺し合いの場である戦場に派遣されることに強制されたりしていないのでしょうか。全て自由意志でしょうか。
(元・PTSDの復員日本兵 と暮らした家族が語り合う会)
立ち上げ6周年
★2018年1月17日の立ち上げ宣言・全文
父は戦争の事だけでなく他の事にも無口でした。 1948年生まれの私はそういう父を生来の父の姿と思ってきました。 しかしベトナム戦争 で米兵の3割前後が悲惨な戦争体験で精神を崩し、元の社会に復帰できないという。 同じような日中戦争 や太平洋戦争を体験した日本兵 も、つまりは私の父たちも精神を侵されたとして不思議ではない。 本当は父は正常な精神に戻りたいと必死に戦後社会を生きていたのではないだろうか。 私は快活だったかも知れない出征前の父は知らない。復員した後の無口な父しか知らない。 私は「本当の父」を知らないままに父を亡くしたのではないだろうか。 2~3年前からそんな思いで父を振り返るようになりました。 だとしたら、父も私も不幸だった。本当の自分を見せることも心の内を語ることもできずに苦しんだかもしれない父。 そんな風には生前一度も思ったことの無い息子。 その無口の父に反発し続けた私。父を通じて私も又戦争の傷を心に負ったのかもしれない。 私たちの世代にも呼びかけたい。 父親たちを見直そう。父親たちの精神世界を想像してみよう。 語り合おうではないか。 若い人たち 、我々の子供たち、孫たちにも戦争は兵士のみならずその家族をも。戦争が終わったその後も家族を通じて長い間影響を与え続けるのだと伝えたい。 この指にとまってほしい!
2018年1月17日 黒井秋夫。