たいてい全部ただの日。

雨の日もとか風の日もとかいちいち言わないブログ。

ヴァイオレット・エヴァーガーデンと京アニ放火事件

京アニ作品『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、幼い頃から戦場で殺戮の限りを尽くし、心のない殺人機械と呼ばれた少女兵ヴァイオレットが両腕を失う重傷を負って軍を離れた後、「自動手記人形」と称される代筆屋として第2の人生を紡いでいく物語。
その序盤、仕事を始めたばかりのヴァイオレットの雇い主であり、兵士としての彼女を知るクラウディア・ホッジンズが印象的な言葉を投げかける。 
 
君は自分がしてきたことで、どんどん身体に火がついて燃え上がっていることをまだ知らない。
(中略)
いつか、俺の言ったことがわかる時がくる。そして初めて、自分がたくさん火傷していることに気づくんだ。
 

 

ホッジンズが言っていることの意味がわからず当惑するばかりのヴァイオレットだったが、代筆の仕事を通じて出会った人々のさまざまな愛の形に触れ、自分自身の心にも人間らしい感情を積み重ねていく。 
そしてある夜、ふとホッジンズの言葉を思い出したヴァイオレットが、その言葉の意味と戦場で自らが重ねてきた罪の重さを初めて実感し、文字通りのたうち回って苦しむ―というシーンがある。
 
断片的なニュースゆえ、容疑者の心に何が起こっているのかを即断するのは禁物だが、上記のエピソードに何か重なるものを感じた人は少なくないだろう。
(兵士と放火犯を一緒にするなと怒られるかもしれないが)
 
犠牲者遺族の立場からすれば、彼が手厚い治療を施されて生きていること自体が許せないと感じても当然だろう。また『ヴァイオレット』の作品自体も、劇場版の公開延期など事件によって大きく傷つけられた。そこはいちファンとして、強い怒りを感じるところだ。
 
それでも、罪に対する本当の罰とは、罪人が自分の為したことのすべてに向き合い、その重さを認めたときにこそ与えられるものなのだと、これは当事者でない人間だからこそ言わなくてはならないと思う。
 
ともあれ、それぞれの個人的な思いはあったろうに、それを抑えてやるべき仕事をやり遂げた医療関係者のみなさんには、敬意を払わずにはいられない。
 
事件の解明はまだその入り口にすら立っていないが、その前進のためにも、容疑者がその救われた命を有効に使うことを心から願う。
 
 
   

真っ当に生きる。ダメですか?

ここ数日いろんなことを考えてたらふと思い出して、思わず書き起こしてしまった。

MOROHA『三文銭』ミュージックビデオより。

 

youtu.be

俺さあ、思うんだよね

ぶっ飛んでるやつなんか何にもすごくないと思うんだよね

イカれてるやつなんか、何にもすごくないと思うんだよね

シド・ヴィシャスも、カート・コバーンも、人生半ばで死んだヘタレじゃねーか

俺たちは、真っ当は真っ当なりに、

職場の上司も殴れずに、

バイトのブッチもできずに、

今日の昼飯代を考えて、

目の前の人を好きだって言って、

告白するときは足震えて、

自分に可能性があんのか、できんのかどうか迷いながら、迷いながら、迷いながら、

迷った結果踏み出す一歩が、

俺はロックンロールだと、

俺はヒップホップだと、パンクロックだと思うんだよね

違うかい?群馬フェス!

そうやって出来上がったフェスだと思うんだよね俺は!違うかい?

ぶっ飛んでなくていいぜ

イカれてなんかなくたっていいぜ

普通でいいんだ、真っ当は真っ当なりに

お前を全うしろよ!

俺は、俺を全うするよ

また必ず会いましょう

ありがとうございました!

 

 

大学へ行こう

国公立大前期日程目前の2月22日、5月号の取材で東北大学にお邪魔した。

先方に我儘を言って取材をこの日にさせてもらったのには、一つ理由があった。

小誌2月号で取材させていただいた同大学友会応援団のみなさんが毎年入試の直前に行っている「受験生応援」のイベントが、次の日に予定されていたのだった。

取材の翌朝、快晴ながら冷たい風が吹く仙台駅前へ。

羽織袴に高下駄履きの団員たちと、華やかなチアリーダーのみなさんが、道行く人々に熱いエールを贈っていた。

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エールを受け取るのは、東北大の受験生だけではない。たまたま通りかかった他大学の受験生、また小さな子どもから、勝利を目指すスポーツ選手、仕事に励む中年サラリーマンまで、その場にいるあらゆる人々の「がんばり」を応援するのが彼らの流儀。

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熱のこもった演舞と、それを笑顔で取り囲む人々の様子を見ていたら、不意に涙が零れそうになってしまった。“無償の愛”に似たような、なにかとても美しいものを感じたせいだろうか。

 

大学を訪ねては、そこにいる人々に話を聞く仕事をするようになって3年。ここが若者にとってどれくらいステキな場所かを伝え切るにはまだまだ力不足だけれど、『螢雪時代』や「パスナビ」の記事を通じて、一人でも多くの人が「大学に行きたい」と思えるようになったらいいなと思う。そのために今年もできるだけたくさんのキャンパスに足を運びたい。

 

いち編集者の決意表明はさておき、ともかく明日だ。

国公立大学を目指す受験生みんながその実力を出し切り、笑顔の春を迎えることができますように。

 

怒りのやり場

大学入試シーズンも終盤。 今年は入学定員管理厳格化などの影響もあり、特に私大文系を目指す受験生にとっては昨年よりもさらに厳しい状況が続いている。

 

SNSを覗いてみると、そこには狭き門から弾かれた受験生と思しきアカウントの絶望と怒りの声が飛び交っている。怒りは定員管理厳格化を各大学に求めている文科省にも向かい、中には国への報復を仄めかすツイートさえ見かける有様だ。

今年は国や大学だけでなく、私たちが世に送り出している情報媒体がやり玉に挙がることも多い。

パスナビに騙された

パスナビには嘘しか書いてない

パスナビは二度と信用しない 

すごい剣幕である。 「パスナビ」は小社が運営している大学情報サイトで、お陰様で大学受験界ではトップレベルと言っていいアクセスを持っている。螢雪時代の編集長としては、パスナビばかりが話題に上るのは正直複雑な心境ではあるのだが(笑)、いまの時代、特に「入試データ」と呼ばれるコンテンツの使い勝手については、ネットメディアに軍配が上がる部分があることは認めざるをえまい。

とはいえ、パスナビに掲載されているデータは、もとは螢雪時代螢雪時代臨時増刊に掲載しているデータを転用したもの。ここまで言われては、何がしかのコメントをしないわけにはいかない。

 

SNSでやり玉に挙がっているのは、おもに各大学(入試)の合格最低点や偏差値、センター試験得点率の合否ボーダーラインなど。今年、先に書いたような要因で特に上位・中堅私立大の合格最低点が上がり、螢雪時代やパスナビに掲載されている数値とは大きな差が出てしまったという事象が、「騙された」「嘘」と言われていることの内容だ。

いまさら言うまでもないことだが、パスナビにいま掲載されている合格最低点や難易度は、昨年(2018年)に実施された入試の結果を反映した数値だ。大学からのアンケート回答や大手予備校からご提供いただいたデータをもとにこれらを構成し、公開している。この数字が、今年の難易変動によっていささか参考にしづらいデータとなってしまったのは、編集部の人間としても残念に思う。

しかし、このことを「騙す」とか「嘘」といった言葉で表現するのは、事実に反している。

 

熱望した志望校の合格を掴めなかった受験生の心中は、察するに余りある。この結果を誰かのせいにしたい気持ちも、痛いほどわかる。私たちをサンドバッグにすることであなたの心に溜まった黒いものが少しでも晴れるなら、いくらでも叩いてもらってかまわない。ただ、独りの部屋で小誌の表紙に「嘘つき」と大書するのと、同じことをネットに書き込むのでは、行為の内容がまるで違う。事実に反する内容をネットを通じて世界に発信することは、いずれあなた自身を傷つけることにつながる。冒頭でも触れた「報復」のような内容は言うに及ばず。あなたの尊厳と未来を守るためにも、どうか自重してほしい。

 

「努力は人を裏切らない」という。ただ、それは努力が必ずあなたの望んだとおりの結果として返ってくるというだけの意味ではない。何かを努力し続けたことそれ自体、あるいは努力を通じて高みに達した魂が、意外な形であなたの人生に恵みを与えてくれるということ。それが、「努力は人を裏切らない」という言葉のもう一つの、大事な意味だと思う。

 

あともう少し。受験生のみなさんが心を落ち着けて、納得のいく春を迎えられることを、心の底から祈っている。

螢雪時代6月号

今日、螢雪時代6月号の見本ができた。

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正直に、かつ声を大にして言いたい。この6月号は内容にかなり自信アリなのだ。

いや、もちろん毎号自信を持ってお届けしているのだけれど、今号は特にということ。

 

2020年度の大学入試改革を前にして、センター試験でも各大学の個別試験でも、“モノを考えさせる” ことに軸足を置いた出題がますます増えている。その「考える力」、そして考える材料としての知識を頭に刻み込む力=「記憶力」の二つをどう鍛えるかが今号のテーマだ。

脳科学に基づく記憶と思考のメカニズム解説、勉強法や記憶術についての先輩たちの体験記、脳をグッドコンディションに保つためのアドバイスなど、いずれも勉強法に悩む読者のみなさんにとって大きなヒントになることと思う。

個人的にイチオシなのが、「数学の鉄人」池田洋介先生による「数学“ひらめき力”の鍛え方。自他共に認める筋金入りの文系人間である私だが、この記事のゲラを読ませてもらったときの「目からウロコ」感といったらなかった。小誌連載「鉄人講師のセンター試験傾向と対策ナビ」でもユニークでわかりやすい解説が好評の池田先生だが、さすがというほかない。数学に苦手意識をもっている受験生諸君、ぜひご一読いただきたい。

 

また、今回はすばらしいゲストにもご登場いただいた。巻頭を飾るのは、清水章弘先生と元サッカー日本代表宮本恒靖さんの対談。サッカー界でも屈指の勉強家として知られる宮本さんの言葉に奮い立たされる人もきっと多いはず。

後半の特集「学部を知る、学びを知る」では、生命保険会社の経営者から大学学長へと転身した出口治明さんにお話を伺った。「大学とは何をするところか」を思い返すきっかけになれば幸い。

 

…と、自信のポイントを挙げればキリがないのだけれど、夏に向かって悩みながらがんばる受験生のみなさんに、強く強くオススメしたい螢雪時代6月号なのだ。

 

発売は5月14日(月)。予約はこちら↓から!

www.obunsha.co.jp

腰が痛い

今年に入ってから立て続けにぎっくり腰を発症していたのだが、その超特大のやつに先週月曜日から苦しめられている。

レントゲンを撮ってみたところ椎骨の一部に変形や狭窄が見られるものの、ヘルニアまでには至っていない様子。

なので痛み止めと貼り薬を断続的に投入し、胴体をコルセットでしっかり押さえて耐え忍ぶしかないのだ。

厳しかったゴールデンウィーク進行を乗り越えてようやく6月号の校了を迎えるのが明日月曜日。その週末には自分へのご褒美(フェス)が待っているはずなのだが、行けるのか!?俺!?

 

それにしても、やはり身体の芯というものはこうして患ってみるとその大切さが身にしみて感じるものだ。腰が痛ければ気の利いたセリフの一つも書けやしない。

身体のあちこちにガタが来るのも歳のせいと言ってしまえばそれっきりだが、抗えるものには抗えねば。

ということで、快癒後の減量と筋トレをベッドの上で誓う週末の夕方であった。皆様もどうかご自愛を。

悔いのない人生なんてない

春は出会いと別れの季節だと人は言う。街では新しい出会いを喜び、旅立つ人の前途を祝う宴があちこちで繰り広げられている。出会いにせよ別れにせよ、人の未来に接することは楽しく嬉しいものだが、今生の別れには、できれば接したくないと思う。

 

高校の同級生が亡くなった。彼と最後に会ったのは、一昨年の同窓会兼忘年会の席。高校生の頃から明るくてクレバーだった彼は、大手広告代理店から独立し、プランナーとして業界で大活躍していた。そんな彼の、飾らず驕らず、それでいて自信に満ちた言葉が、今も耳に残っている。その年が明けて早々に病が見つかり、約1年にわたる闘病の末、彼は旅立ったそうだ。

 

彼の葬儀には、それはもう大勢の人々が集まっていた。式場に飾られた仕事仲間からのメッセージや弔辞は、彼がいかに全力で人生を生きていたかを語っていた。それだけに、今この歳で、幼い子を残して去ることは、仕事盛り半ばでの死そのこと以上に、彼にとってどんなに悔しいことであったろうかと思う。それでも、彼が家族に対しても、その他周りの人々に対しても、そして世の中に対しても、多くの素敵なものを遺したことは、本当に誇ってほしい。

 

前にもどこかで書いたけれど、私の父は53歳で亡くなった。自分の年齢がその没年まで10年を切ったとき、自分の残りの人生はあと10年を切ったつもりで生きていこう、日々後悔しないように生きていこうと誓ったものだけれど、彼ほど全力で生きた人生でも悔しさは残る。

某少年漫画に出てきた強敵みたいに、「一片の悔いなし!!」と言い切れる人生は、なかなか難しいのだ。願わくば少しでも後悔のタネが無くなるように、家族や周囲に少しでも良いものを遺せるように生きられたらいいなと改めて思う。肉体は滅んでも、人格を言葉や画像に変えて永遠に遺せるのが人間の特権だから。

 

彼の魂と彼の家族の幸せが、これからも生き続けることを祈って。