新国立競技場のその後について
こちらの記事が最近になって伸びてきたので、続きをそのうち書きます。
一年以上たってるけど。
官側で作る有識者委員会や審査委員会なんて
官側がどちらかというと責任逃れのために作ってるのがほとんどなんですよね。
問題の根底は
「どんなものでも技術さえあれば作れる」と安易に考えていた関係者と
これほどの構造物であるにも関わらず構造の専門家を審査委員に入れなかった、事務局
の二つでしょうか。
簡単そうで難しい算数の問題はいちまる解法を使って解きましょうか。
Twitterで話題のこちらの問題。
maniaclove on Twitter: 小学4年生の息子の宿題。簡単そうで結構難しい..... http://t.co/p00NNcBrxU
xを使わずに解くには。
と頭を悩ませている人が多いですが
世の中の小学生には、x的なものをつかってこれを解くという
①解法 という必殺技があります。
こんなかんじ。
では解説していきます。
要はxではなくわからない長さを①(いちまる)とおいているんですね。
つまり小さい正方形の一辺をxとして3x+13=25としてるのと変わらないのです。
この①解法(いちまる解法)、いわゆる中学受験をする一部の層で用いられる解法でかなり汎用性の高い技です。
3xも③も表記をかえてるだけじゃないか!と思われるかもしれませんが、3xが3とxを掛けたものだと理解するのが小学生にはなかなか難しいものなのです。
新国立競技場の構造がどうして基本設計で変わったのか(その1)
新国立競技場、コンペ審査の“激論”が明らかに|日経BP社 ケンプラッツ
さて、新国立競技場のコンペ審査の情報が断片的ながらでてきました。
前の記事でいろいろと、コンペの問題点などを書いてみたのですが
新国立競技場の工事費が下がらない理由へのツッコミとかそのほかいろいろ。 - これをNとしよう
・・・あまり構造に触れた記事がなかったため自分が書いてみることにします。
今回は、新国立競技場の当初ザハ案が
どうして基本設計案のような構造になったのかの推測を
構造力学的なアプローチで説明していきます。同時にザハ案があんまり考えていないなぁというところにツッコミをいれていきます。
まず前記事でも述べた予備知識ですが
建築家には意匠屋さんと構造屋さんがいます。(正確には設備屋さんもいる)
そして、多くの建築では建物の構造は外に出てこないですし、外から見えません。
高層ビルの骨組である、鉄骨は外から見ても基本的に見えないですよね?
このため、有名な建築家は「見えるところを手掛ける」意匠屋さんが多いです。
一方で、ドームのような大規模建築では、屋根下に広い空間が必要なため、必然的にいかに柱を立てずに屋根をかけるか?考慮しないといけなくなります。つまり構造の制約が相対的に大きくなります。
有名な建築家(意匠屋さん)が「みため」でドームをデザイン
↓
コンペで 別の有名な建築家たち(意匠屋さん)が「みため」でチョイス。
(これくらいなら日本の技術力で作れる!)
↓
発注者「この見た目でおねがい。いろんな建築家ができるって言ってた」
↓
設計者(構造屋さんetc)「 」
これが今の状況です。
構造が成立しないって何?
ちょくちょくみかけるのですが、「お金をかければザハ案を忠実に再現できるのに」といった意見があります。残念ながら、構造が外から丸見えの新国立競技場ザハ案で、当初から「構造を雰囲気で決めてしまっている」と実際に不要な部材が余計に構造体の負担となったり、大きな力の処理が、コンペ時の「みため」のまま処理できないという事態に陥るのです。
構造が成立しないというのはやや専門的なので、かみくだいて説明します。わかりにくいと思った方は、絵と太字を飛ばし読みしてください。
建築にしろ土木の橋にしろ、構造の基本は単純梁です。一本棒をわたしました…それが単純梁。これにおおきな荷重が加わるとしましょう。全体に。どうなるでしょうか?簡単に想像がつきますね。真ん中から折れます。
専門的にいうと、等分布荷重によってスパンの中心に最大曲げモーメントが生じ、桁断面ではそれに耐えられず、破壊してしまうと言った感じです。(厳密にいうと怒られる文章)
簡単にいうと、
構造の基本は一本橋渡しの棒。で細すぎると折れるわな。真ん中から。
といった感じ。
「構造が成立しない」の基本的考え方です。
では、どうすれば棒は折れないでしょうか?
・材質を変える。
・太くする。
が簡単な答えでしょうか。
これで、そこそこ大きな荷重にも耐えられます。ただし、橋渡しの距離が長くなると限界が来ます。何が原因か。距離が長くなればなるほど、梁の自重が大きくなってくるためです。桁断面を大きくして、抵抗しようとすると自重増分によって曲げモーメントが増大し、最大効率をもってさらに曲げモーメントを大きくするという悪循環に陥るということです。
簡単にいうと
折れるから太くするのも限界あり。なぜなら、自分の重さに耐えられなくなるから。
ということ。
当初のザハ案って構造が成立してない?
構造が成立しないの意味が大体わかったところで、次。当初のザハ案です。あまりそういった視点での指摘がなかったのですが、以下のような理由でほぼ構造が成立しないのではないかと推測できます。
- アーチが扁平で、単純梁の性質を有する。
- Secondary trussがほぼ無駄な構造材である。どう解釈しても変。
- アーチによって生じる水平力を考慮していない
ひとつひとつ説明していきましょう。
1.アーチが扁平で、単純梁の性質を有する。
アーチ橋は、どうすれば棒は折れないか?の問いに対して、太くする、材質を変える以外の答え「構造システムで対処する」を実現した橋です。棒をアーチ型に曲げて両端を固定すると上から荷重が乗った時に、棒の断面に対してほぼ垂直に力が働くようになります。これを棒に対して圧縮力が働くといいます。直感的に考えてもわかると思いますが、断面に対して垂直方向に対しては部材はかなり強いです。少なくとも曲げようとする力よりも耐えそうですよね。
そしてこのアーチ橋ですが、しっかりとアーチの形をとっていないと、曲げようとする力がアーチ部材に働いてしまいます。
この図が桁 ~ アーチの連続的な変化を示したものですが大体、長さ:高さが5:1くらいがぎりぎりのラインです。それより扁平であると、圧縮力が卓越するのではなく曲げる力が卓越してしまいます。
ザハ案の当初案は、図面の情報が少なく不確定なのですが長さ350~400mくらい飛ばしていて高さが75m程度。5:1程度でアーチ効果が一応は期待できるものです。
ただし、圧縮力が卓越するアーチ橋と桁橋の中間くらいの性質だと思っておく方がよい形です。これだけならよかったのですが、次の2、3で構造的に全く考えられていないことがわかります。
2.Secondary trussがほぼ無駄な構造材である。どう解釈しても変。
これが決定的です。適当すぎます。
これのハの字の部材です。このハの字部材、もし下図のようなアーチを想定して、ハの字部材をいれているならザハ側が思っているような効果はありません。下の図のようなアーチは矢印部分(下面)に荷重が乗ることを想定し、それがハの字を伝わってアーチ部材全体に流れるという構造システムです。
これに対して、新国立競技場で荷重が支配的なのは上面(自重および膜をささえる)です。このsecondaryトラスとかいう謎ハの字部材がもし固定されているとすると、アーチ効果は失われるばかりか、このハの字部材の自重が「アーチ風」の単純梁にかかり、ザハの想定している「アーチ風」部材システムは崩壊します。
この部材は、ザハが想定しているように構造的に機能することはありません。そして、なんとか構造的な意味を与えるには、アーチの面外座屈や地震時の横揺れを抑えるために繋ぎ止めるという役割を与えるということになるのですが(この時点で、設計者の作った見た目を守るためだけに調整しているので本末転倒です)
案の定、基本設計案ではこのハの字部材、かなり位置を変えてサイドストラットという名前で
『キールアーチとスタンドを結ぶ部材。地震時や風荷重時にキールアーチに生じる力を受け止め、スタンドに力を流す。』
という役割の部材に変わっています。
うん…それしかないよね…という感じ。
ザハ案では「トラス」と言ってしまっているため、このような補剛部材としての役目は全く考えていないと思われるのですが、アーチの真ん中にそんなハの字部材つけても補剛の意味しかありません。
コンペ時に、この構造概念図を見てだれもツッコミを入れなかったのは、おそらくその場に意匠屋さんしかいなかったからでしょう。「なんとなくアーチっぽい」というだけで、この案は通ってしまったのです。
3.アーチによって生じる水平力を考慮していない
こちらに関してはすでに指摘している方がいらっしゃいました。
新国立競技場の基本設計が終わらない理由3|建築エコノミスト 森山のブログ
ザハ側がこの水平力を全然考慮していないのは見え見えですが、これに関しては実はいろいろ対処法があります。
基本設計案では、そこをちゃんと考えているのかな??
と不安だったので2つほどこの水平力の処理方法を書いてみます。上記の森山氏のブログの提案のように両端を基礎梁で結ぶことなく、水平力は「一応」処理できます。
続きはまた後日。
談合天国の記事について
統計が暴いた10年前の談合天国・日本 | SciencePortal
この記事を読んでの雑感をまとめてみます。
記事の趣旨は、
国土交通省の旧建設省部局が03~06年に全国で発注した工事すべての入札結果4万件のうち、再度入札になった2割弱について分析した。初回の入札で1位と2位の差が小さいほど逆転の可能性が高いはずなのに、初回1位の業者が再度入札でも、再び1位になる割合は97.5%にも上っていた。
というもの。
こちらの感想を述べる前にまず基礎知識をまとめてみます。
入札方式について
こちらの記事で話題に上がっているはいわゆる価格競争方式です。
工事に対して参加表明を行う業者がいて、そのうちもっとも安い金額を提示したものと契約するという方式。
ちなみに現在では、技術力と価格を総合的に評価する総合評価方式が主流です。
予定価格について
予定価格とは、ざっくりというと発注者側(記事の中では国交省建設部局)が
「この工事だとこれくらいの価格なら標準的な工法でできるよね?」
と見積もった金額です。つまりこの予定価格を超えた金額を提示する業者とは
「高すぎる。契約しない!」といえるわけです。
ではこの前提のもと、記事のケースについて考えてみましょう。
まずは談合があるとした場合、以下のケースが考えられると思います。
a)官製談合である
発注者が予定価格を業者に裏で漏らしている。
b)業者間のみの談合である
参加表明者同士が横でつながっており、入札価格をもらしている
これら事例がa)である可能性は低いです。
なぜなら入札時に参加者全員が予定価格より高い金額で金額を提示しているからです。
たとえば、予定価格が1000万円の工事で参加表明者全員がその価格を知っていた場合、あらかじめ談合により決められた業者Aが極端な値だと999万円で入札、そのほか業者は予定価格を超えた金額で入札すればよい話です。
「一発で入札して決まるなんて、客観的に見て怪しいから、わざと一度予定価格より高い金額で入札するんじゃないか?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。
しかしながら、初回に入札価格を超えた金額で入札することにはリスクがあります。
それは「よこどり」がありえるからです。
たとえば、前の例と同じく予定価格が1000万円として
業者A 1010万円
業者B 1020万円
業者C 1030万円
と金額提示したとします。
このとき、「談合に参加していない」業者Dが
業者D 950万円
と金額提示した時点で、この工事は業者Dとの契約になります。
これでは、せっかくの談合もパーですね。
こういった、「よこどり落札」の可能性がある限り、
わざわざ一度参加者全員が予定価格を超えた金額を提示することにメリットがありません。
ということで
a)官製談合である
というのは、可能性が低いです。
次に、
b)業者間のみの談合である
のケースについてはどうでしょうか。
こちらのケースにおいては、業者は発注者から情報を得られません。
このため、談合している業者たちは「よこどり落札」が起きないかひやひやものです。
「よこどり」の可能性も考え、ある程度低い価格で入札しないとリスクが大きいため、業者間のみの談合であるケースにおいては、どちらかといえば、全社予定価格内での入札となる可能性のほうが高いです。
ここまでで、談合があるケースについて考えてきましたが、
官製談合、業者間のみの談合どちらのケースにおいても
初回落札において、全員が予定価格超過である
ことが起こりにくいことがわかりました。記事の業者母集団は談合を行っている可能性が低い母集団といえます。
次に、談合がなかったケースについて考えてみましょう。
談合がない場合において
初回落札時に全員が予定価格超過であり、かつ記事のような状況(1位不動)が起こるというのはどのような状態なのでしょうか。
それは
予定価格が非常に低く設定されており、偶然赤字を出さずにできる業者が1社であった
というケースです。
地元のプラントとのつながりが強い業者が1社いてコンクリートを非常に安く仕入れられる(お得意様割引です。この可能性が高い)だとか、専売特許的な工法で工期が短縮可能だった
などなど、いろいろな場合が考えられます。
グラフで一例をかくとこんな感じ。
A社のみ赤字ラインが予定価格を下回っているこのケースだと
2回目入札において100パーセントA社が1位となります。
また、BとCにおいては赤字ラインが同価格帯のため、順位が入れ替わるのは、業者の利益の考え方にもよりますが半々ではないでしょうか。
発注者側が見積もる予定価格は結構あいまいな部分も多く、こういったようにかなり低く算出されてしまっている工事もあります。
元論文は、そこまででもないですが
記事『統計が暴いた10年前の談合天国』
はかなり、誇張して書いてたので
こういう見方もあるんじゃない?と思って書きました。
新国立競技場の工事費が下がらない理由へのツッコミとかそのほかいろいろ。
新国立競技場の工事費が下がらない理由|建築エコノミスト 森山のブログ
こちらの記事を読んで、
どちらかというと土木的目線で
ツッコミどころがあったのでいくつか書いてみたいと思います。
記事の趣旨である「ザハ案は構造の検討しっかりやってるの?実施設計とゼネコンにあとは任せるとか無責任なやり方はやめなさいよ」という意見には賛成です。
民間の建築ならまだしも、公共建築で予算が設定されてる中で、構造の検討をやらずに物理的に成り立たない構造を案として選んでも意味がありません。
また、他にしっかりと構造検討をしている案があるならば不公平という考え方もあります。
ちょっと前置き。
◆「あれだけ有識者が集まって構造の検討をしてないとは思えないけど?」
「あれだけ有識者が集まって構造の検討をしてないとは思えない」という意見もあるでしょうが、驚くことなかれ
コンペで選んだ案が実際には作れなかった!というのはよくある話です。
ザハ本人だと 1983年のピーク・レジャー・クラブ(The Peak Leisure Club)のコンペが有名。磯崎新が推薦した1位のザハ案は到底作成不可能だったといわれています。
より荷重条件がきびしくなる土木の橋のコンペにおいてはこれが顕著になってきます。
たとえば大阪の浮庭橋。この浮庭橋も
コンペが実施され最優秀案となったのはこちら
・・・。
え、その主塔(吊橋のケーブルを支える塔)その細さでいけるんですか?
と橋梁の技術者なら一目でツッコミを入れるところですが
案の定できたのはこちら。
講評では「軽やかな空中広場の上に展開されている斬新なアイデアで、橋という概念に対して挑戦的ともいえる提案が評価された」とされています。
実際に作ろうとすると主塔はケーブルを支えるため、ある程度の太さが必要ですね。(橋の上の庭に入れる土が雨天時水を含み荷重が増えることを想定し忘れていたのでしょうか…)
直接評価をすることは避けますが 軽やか??・・・。
コンペで見た目を選んで、その見た目が変わってしまうというのは本末転倒ではないでしょうか。
◆建築の業界における意匠と構造
なぜ、こんなことがおきるのか。
これは建築の業界が意匠と構造に分かれていること。
土木の橋梁業界は構造屋しかいないこと。などなど多くの要素が原因です。
建築家の中には、構造計算や構造検討をやらない人もいます。
「専門」があるというわけです。
「意匠」すなわち見た目の専門家と
「構造」すなわち物体が物理的に成り立つか?の専門家
多くの有名な建築家は意匠が専門です。
意匠が専門でありながらも、構造の合理性を追求する建築家もいないわけではないです。たとえば国立代々木競技場で有名な丹下健三。
こちらの構造設計は坪井善勝ですが
丹下健三と坪井善勝の設計検討時の会話は「どちらも構造の専門家に見えた」という逸話も残っているほどです。
余談はさておき、
コンペにおいて意匠の専門家だけ集まって案を決めてしまった。
というのが新国立競技場や浮庭橋のコンペにおける問題点です。
◆先の記事にたいするツッコミは?
前置きが長くなりましたが、新国立競技場の工事費が下がらない理由の内容に関して、いろいろ誤解を招きかねない部分があるのでツッコミを入れていきたいと思います。何度も言いますが趣旨に対して異論はありません。
実施設計部隊とゼネコンがあとは考えるからいいや~という態度はやめてほしいです。
新国立競技場は橋だ!
このザハ案による新国立競技場、これって建築っていうよりも実は土木。
土木的スケール。
その土木界の中でも花形工事の巨大な橋梁といってもいいでしょう。
半分賛成。
間に柱を立てず屋根を支えるという荷重条件は橋といってもいいかもしれません。土木的スケールという言い方もあながち間違っていないと思います。
ただ、当たり前ですが基づく法律が違います。
新国立競技場はあくまで建物であり、屋根の上を過積載のトラックが大量に乗るわけではありません。
橋(道路橋)ならば、「道路構造令」に基づいて
橋一面に過積載のトラックが埋め尽くされたとしても全く問題ないようにしないといけません。
橋と屋根とでは想定する荷重の条件が全く異なります。屋根のほうが圧倒的に条件が緩いので、実際にある橋ほどの部材は必要ありません。
なので元記事の
新国立競技場はあの長さで柱がないから橋だ!→スパンからいくと港大橋だ!→ありえない!できない!
という流れは荒っぽいと思います。
橋梁の構造形式
というのがですね、
橋梁というのは構造方式においていくつかの種類があるんですが、
下記の資料解説において上から下に向かって技術進化しています。
これは違います。
斜張橋が一番技術的に進化してるみたいな書き方ですが
そもそも材料効率がもっとも高いのは吊橋ですし、今世界一長い橋を作ろうとすると必ず吊橋となります。
斜張橋では主桁(車が通るところ)にケーブルが接続され、主桁に「圧縮力」が発生します。このため長い橋では主桁に不利な力の発生しない吊橋が有利です。
また、吊橋のほうがトラス橋より歴史が古く技術進化の結果 吊橋が生まれたわけでもありません。
というかですね、橋の形式をこうやって分類すること自体もうすでに考え方が古いといってもいいかもしれません。
これら形式同士の「中間的な形式」が多数存在するからです。
たとえば桁橋とアーチ橋ならこんな感じ
形式同士には、このような見た目も構造的にも中間的な橋が存在しているため
形式をバラバラに分けて、これはこれより技術的に優れているとかいう議論をすることができないんですね。
架設の話
次に最大の問題点が、竜骨の設置時に起こります。
通常、巨大な橋桁というのはどんなところにあるでしょうか、、、
鉄道や道路では深い峡谷を渡る、そういったところですよね。
まず川ですよね、しかも巾のある大きな川、一級河川とかです。
あとは、港湾とか運河のあたりでしょう。
いずれにしても橋梁の設置は大変なんですが、
海や川では水運が利用できます。
そのあと大阪の夢舞大橋の画像が貼られています。
巨大な鋼材や長い梁材なども海や川であれば
船で運ぶことが可能。
これは勘違いしてしまう方も多いかもしれません…
あのですね。画像の夢舞大橋は可動橋です。
この画像は部材を運んでる様子ではなく、船を通すために橋が動いている写真です。
(正確には可動テストをしている)
それとですね、この規模のアーチ橋・・・どこかで骨組作って丸ごと持ってくるなんて方法はとりません。
フーバーダムの渓谷に北米最長のコンクリートアーチ橋が完成|プレスリリース|株式会社大林組
たとえばこちらの北米最大アーチ橋 コロラドリバー橋では
こんな風に施工していました。
ケーブルでアーチの部材を支えながら伸ばしていき
くっつけるといった感じです。
しかし、ザハ案にもどって考えたときに、
この2本の巨大な橋桁はどこからどのように運んでくるつもりなのか
2本の橋桁はまるごと運びません。
以上です。ちょっと誤解されるところが多い記事かなと思ったので
自分が考えたところを書いてみました。
JR東海のリニア中間駅の機能美
JRのリニア中間駅が話題ですね。
「将来の旅客輸送のあり方を踏まえて、従来の形にとらわれず、営業専任要員は配置しない等、運用面も含めて、大胆に効率性と機能性を徹底して追求したコンパクトな駅」を目指し、「建設費ばかりでなく、開業後の運営費についても圧縮する」こととしていました。
とかなんとか。
見ようによっては、これが徹底的に意匠的な側面を
はぎ取った機能的な形なのかもしれません。
個人的には
ベルギーリエージュ駅
と
このJR東海の中間駅
の中間くらいがかっこいいんじゃないかとか。
どうして向かい側のバス停のほうが先にバスが来ることが多いのか.
どこかで読んだことがあるような気がするのだが
自分で少しまとめてみたくなったので書いてみます.
算数って面白いんですよ(数学じゃなくて)
バス停でバスを待っている時,いつも同じ時間にバス停にいるわけでもないのに,向かいのバス停に先にバスが来て俺はなんて運が悪いんだろう…と思ったことはないだろうか.
ここで「落としたトーストがバターの面が下」というマーフィーの法則を思い浮かべる人も多いだろう.
簡単に言うと,バターの面が下になったほうが印象をひきずるのが原因であるというものだ.
しかし,
自分の場合そんな印象をひきずるとかいう話以前に,
向かいのバス停に,目当てのバスが先に来ることが多かった.
なぜだろうか.
これは,結構簡単に答えが出るんです.
向かいのバス停をB
今自分が待っているバス停をAとしよう.
バスは等間隔に来ると仮定する.例えば15分おき.
バス停Bにバスが来る時間を
12:00 12:15 12:30 12:45 13:00
としよう.
このときバス停Aにバスが来る時間が
12:01 12:16 12:31 12:46 13:01
だったらどうだろうか.
自分が12:01~12:15分にバス停にたどり着くと
「必ず」向かい側のバス停にバスが着くのを見ることにならないだろうか?
逆に考えて,向かいのバス停にバスが来るのを「見ないで」
自分のバスに乗れるのはそれこそ
12:00~12:01 12:15~12:16 ・・・
とそれぞれ1分の猶予しかない.
極端な例だが,私がバス停に着く時間をランダムだとすると
実に14倍の確率で向かいのバス停にバスが来ることになる.
さらにここからもっと面白いことが分かる.
バスが一台だったら?と仮定したらわかりやすいが
バス停Aとバス停Bの位置関係はどのようになるだろうか.
こんな感じだ.
向かいのバス停からこちらのバス停までの距離が「圧倒的に短い」のだ.
自分がバス停Aについたときバスが長い方の区間にいるか短い方の区間にいるか
どちらの確率が高いだろうか.
一目瞭然だろう.
こういうの学校で教えれば算数が楽しくなるのにねぇ.
ではでは.