野良犬社労士漂泊記

20世紀に開業した社会保険労務士の独り言

開業当時の助成金バブル その1平成13年(2001年)  中小企業人材確保助成金

2020年から2022年までのコロナ禍で助成金バブルが再び起こりました。
私が開業した1999年から数えて3回目です。

1回目は1997年の金融不安を受けての中小企業救済目的

2回目は2011年の東日本大震災

3回目は2020年のコロナ禍

 

今回は1回目の助成金バブルの話です。

2001年から2、3年間に小渕総理大臣の時代に中小企業対策ということで盛大にバラマキました。

大いに注目されたのは「信用保証協会の保証枠の5000万円融資追加」。
簡単にいうと、信用保証枠(政府保証)を5000万円追加したことで、制限上限の融資残高でも更に、会社が金融機関から5000万円の融資を受けられたのです。

 

その裏側で、今考えると常軌を逸した助成金が創設されました。
その助成金名は「中小企業雇用創出人材確保助成金」。

この助成金の申請が多忙すぎて、平成13年(2001年)は、年間350日くらい労働してました。
平日に会社に訪問して助成金の打ち合わせや助成金申請。
申請先は、当時、東京都内では飯田橋あった雇用促進事業団(後に雇用・能力開発機構)。
夜や土日に支給申請準備。
正月とお盆の数日を除いて何らかの仕事をし続けていました。

 

仕事の獲得ルートは、当時はホームページを開設している事務所がレアだったので、(1)自力の手紙DM(A4用紙3~5に文章を満載したセールスレター)と(2)ご紹介(当時お世話になっていた経営コンサルタントの先生の顧問先)。


助成金の要件は、記憶ですが、次の全てを満たす会社
・新規創業(法人設立して登記か個人事業は税務署の事業開始届)または既存会社が異業種進出(新たな営業内容を登記簿に追加して登記)
・それに伴い、年間300万円以上の設備投資(生産設備購入や新たな事業所の賃料1年分等)
・新たに社員を採用して雇用保険に加入
だったかな?

助成金の金額は、新たに採用した社員の月給1年間の半額(その後3分の1になり、さらに定額で140万円?に変更)を1年間。上限7人分(?)。採用から半年ごとに支給申請。

 

どれだけ大盤振る舞いだったのかはご想像通りで、考えてみればバカみたいな助成金ですね。

ちなみに報酬体系は、

(1)着手金5~10万円+成功報酬20%?の場合と

(2)着手金なしで成功報酬20%

の2パターンでした。

自力で営業した会社は(1)、経営コンサルのご紹介では(2)だったかな?

おかげさまで、開業当初の苦しい時代には大変助かりました。

 

 

その後の話ですが、不正受給が次々と発覚してこの助成金が廃止されたという噂を聞きました。

 

それと、私の知人が自力で営業して契約した会社が反社の会社だったといってました。

最初の契約は開業2か月目の平成11年8月

最初の契約は開業2か月目の平成11年8月でした。

私が受験生時代に学んだ 資格 学校が合格者を対象に 独立開業 セミナー という 講座を開設していました。 その セミナーの講師の一人がこう言いました。


「 一生懸命 営業して3ヶ月以内にどんな仕事でもいいから 契約書をもらいなさい。 もらえれば向いている。 もらえなければ 向いてないので別の道を選択しなさい。3か月以内に契約をもらえれば 3年間我慢しなさい。3年間我慢できればもうやっていける」


という アドバイスを頂いたのでその通り 私も営業しました。

 

そして平成11年7月に営業を始めて約1か月以内の8月のお盆期間中に 隣の市の製造業の会社から顧問契約の内定を一件いただきました。なぜ内定かと言うと、その当時の顧問社労士との契約書で契約解除するものには2か月前に申し出をするということが書いてあったからです。

なので、内定とはいっても契約はいただけたので、向いてるのかな と思ってさらに営業を続けました。


そして次の契約は開業から3ヶ月目の9月。2番目の会社は飲食業でこれから開業するという会社。飲食店といっても ラーメン屋さん。

 

依頼者は、約半年あるお店で修行を済ませてもらい独立の許可をもらって開業した20代の若者です。 その飲食店は開業してから半年ぐらいで閉店してしまいました。なぜかというと、あまりに繁盛しすぎて、店長とアルバイトスタッフだけでは人手が足りず店長のお母さんまでもが手伝いに来ていました。繁盛するのは良いのですが、店主の体がもたなくなったのです。

ラーメン屋さんなので長靴を履いて仕事をしているのですが、その長靴が長時間の立ち仕事には向いてなくて、膝を悪くしてしまったと後から聞きました。

 

確かにそのお店は開店と同時にかなりの評判で前を通ってもお客さんがいっぱい居て忙しそうだなと思ってました。 ですがあまりに繁盛しすぎたため閉店となってしまい。


結局、そのお店からは 労働保険の新規適用のお仕事で数万円をいただいただけで契約が終了。もしもお店が続いていたらその当時あった中小企業雇用創出人材確保助成金という助成金の対象となって、雇用保険加入者の賃金の約3分の1を1年間にわたり 受給できる可能性がありました。

 

私はその助成金を申請し、支給された助成金の一定額をいただく成功報酬の契約をしてましたので、助成金に関しては無報酬でした。

 

その後も助成金を切り口に営業活動を展開しました。

この時の教訓として、成功報酬だけでなく、着手金をもらうことにしたのです。

 

開業1年以内にされた、「新人いじめ」(2000年?)

開業前に噂で聞いていたことですが、実際に私が犠牲になった「新人いじめ」

 

開業直後、お客さんがないので積極的に営業してました。

営業といっても、基本的には何かのリストを見つけてひたすら電話で訪問アポ取りかDM送付後に電話して訪問のアポ取り。

 

電話でアポをとって、とある会社に訪問したところ、社長が急用で外出してしまい不在。対応した社員は、社長から私の訪問のことは聞いている、とのことだったので、名刺を渡して失礼しました。

 

急用では仕方ないな、また明日にでも電話してアポの取り直しだな、と思って帰宅。

 

 

翌日の午後、電話が鳴ったので出てみると、大きな怒鳴り声で

「〇〇(私の名前)か? 

 俺は□□(電話主の名前)だ! 

 お前は何やったか知っているのか!

 お前なあ、××(先日訪問した会社)さんは、俺の顧問だ!

 どういうつもりなんだ!

 俺のお客に手を出すんじゃない!

 今後、一切接触するんじゃないぞ!! 

   わかったな!!! 」

と一方的にわめき散らし、罵詈雑言を浴びせ、凄んで電話を切ったのでした。

 

その間、私が発した言葉は、最初に自分の名前を名乗っただけで、あとの5分程度は聞き流していたのでした。ヤレヤレこれが噂に聞いていた新人いじめか。

 

 

その電話主は、その地方でも悪い方で有名な社労士。

昔から開業しているので顧問数は非常に多いとのことです。

(後のお仕事をいただいた社長さんが言ってました)

信じられないことに、私が開業した支部会の役員で、指導員という役職でした。

 

 

指導員からこんな営業妨害をされたので、以後、私は支部会には一切出席してませんし、支部活動にも不参加です。労働保険料申告や社会保険算定基礎届の行政協力なんかも一切無視。というか支部会に出席してないので話すらありません。(まあ、あっても断りますが)

 

まあそんなことがありまして、開業間もなくバカバカしい営業妨害にあったことで、私が進む方向が決まりました。

 

実はこの手の営業妨害は何年か先にもありました。

これも後程投稿します。

 

 

 

 

 

開業直後のこと(1999年7月~)

開業登録直後にしたこと

 

 

1.名刺印刷

 最初の名刺は、表に事務所名、社会保険労務士〇〇(名前)、所在地、電話番号、FAX番号、メールアドレス。

裏面に、就業規則作成・変更、助成金申請、給料計算、年金相談等々思い浮かんだことをいくつも列記。

ごちゃごちゃして、とにかく見づらかった。

 

 

2.封筒印刷

最初の封筒も表面の下の方に事務所名、住所等の一般的なことの他に、何でも出来ますのようにズラ~ッと業務内容を詰め込んだのでなんだかわからなかったことでしょう。

 

 

3.パソコン買い直し

仕事用に買った最初のパソコンはCOMPAQのデスクトップでした。

COMPAQは現在では存在せず、買収の連続で、現在のHP。

もちろんFD。

ディスプレイは昭和のテレビのように後ろが突き出ていたのでした。

そのディスプレイですが、あまりに使い過ぎて、ある日突然、画面が黒くなり、光が画面の中央に吸い込まれるようになって、使えなくなってしまいました。

 

 

4.インターネット加入当時はISDN

普通回線(ダイヤル回線)では、写真のあるホームページを見るのに何分も待たされました。ISDNではそれほど待たされなかったものの、現在の光に比べると止まっているのと同じ程度でした。

 

それと最初にプロバイダーに接続する作業が極めて複雑でした。

電気店頭で接続用のを入手して、パソコンに入れていろいろと設定するのですが、回線スピードが遅いし、専門用語が難しいし、とにかく苦労しました。

 

 

5.マーケティング本の乱読

定番中の定番である神田昌典さんの本

竹田陽一さんの本

米国の競争戦略の本

車移動中では竹田陽一さんのテープがヘビーローテーション

 

 

6.無料セミナーに参加

業種に関係なく、民間会社や行政機関が開催していた無料セミナーにはとにかく参加してました。

社労士業に関係ない飲食店向けやフリーライター向けのセミナーにも参加しました。

 

 

7.交流会へ参加

異業種交流会にも参加しました。

名刺交換すると社労士をはじめ税理士や行政書士司法書士等の直後の士業だったり、生命保険の営業マンだったり。

今から考えれば当然ですが、新規のお客さんを求めて交流会に参加しているのは自分だけではなく、みんなも同じことを考えているのですから、新しいお客さんはいないはずです。

 

ですが、何人かの士業と仲良くなったことはありますので、交流会が全くの無駄というわけでもありません。

 

8.事務所について

開業当初は自宅を事務所にしていたので事務所探しも賃料も無し。

しかし、なるべく早く自宅と事務所を離した方が良い。

開業社会保険労務士として登録(1999年 平成11年 7月)

6月に東京都中野区の中野サンプラザで事務指定講習という集合研修を受講。

この講習は、実務経験がない人が社会保険労務士の登録をするにはこの研修が必須になります。


この講習を受講した社会保険労務士は、最速で7月に社会保険労務士と名乗ることができるのですが、各都道府県に社会保険労務士会という組織があり、それに登録しなければなりません。

 

私の場合、○○県社会保険労務士会に登録に行ったときに各地域ごとの支部という組織がありそれに強制加入とのこと。


当時の支部長に電話で開業のあいさつをしたところ、たしか毎月第何何曜日(平日の午後)に支部会があるので参加するようにとのこと。

 

そしてその支部会参加したのですが、一部の噂通り、老人会(?)のように圧倒的多数が見た感じでは65歳以上の人たち。当時29歳だった私は、場違いだったかのようでした。

ちなみに、同期というか同じタイミングで開業社会保険労務士の登録をしたのは私を入れて4名で、私の他の3名ともに、見た目だけですが60歳代。

 

 

独立開業セミナーを受講(平成11年、1999年)

資格試験でお世話になった学校が合格者向けの開業準備セミナーを開講したので受講しました。

この独立開業セミナーでは、
労働保険料申告書の書き方、
社会保険の算定業務、
給与計算、

等の一般的な社労士業務はもちろんのこと

助成金の受注方法、
簡単な人事制度のコンサルティング
年金相談業務、
簡単な税金の話や確定申告の仕方
等実践的な講義を合計10回にわたり受講。

会社の人事部にも総務部にも配属されてなかった自分にありがたかったのです。


その後、講師の一人と数年間お仕事をご一緒させていただいたことで良くも悪くも影響を受けました。


その独立開業セミナー最後の講義では、開業20年以上のベテラン社労士の心構えのお話を聞いたのですが、その時の言葉で今でもはっきりと記憶している言葉があります。

「君たちは野良犬だよ。自らの意思で飼い犬ではなく、野良犬になることを決めたんだよ。野良犬は自分の食べ物を自力で探して、食べられるか食べられないかを判断するんだよ。美味しいものを食べられることもあるが、毒を食べても自己責任だよ」

この言葉は今でも、使わせていただいています。

 

また、同じ先生が営業に関してもいい言葉を言ってくれました。
「開業後3か月間はどんな業務でもいいので契約を締結するように。3か月以内に契約が取れた人は3年間は粘りなさい。3か月間に必死に営業しても契約が取れなければ、向いてないので独立をやめて会社勤めに戻りなさい。君たちに残された時間は限りがある」

私はというと、独立開業セミナーの講師の言葉通り7月から必死に営業して、8月に最初の顧問契約をいただけました。(その会社とは会社の社内事情により約5年後に顧問契約終了)

 

まあ向いてないこともないのかとの認識で社会保険労務士業が始まりました。

 

試験合格から開業登録まで(1998年 平成10年10月から1999年 平成11年5月) 事務指定講習

試験合格から開業登録まで

 

平成10年11月に合格した後は、人材派遣会社に登録しておいて翌年7月に開業するまで派遣社員をしてました。
その派遣期間に働いた会社と業務提携は、

・専門学校の営業(入学生の出身校に行って進学のお願い)、

・通信回線販売会社の営業事務(営業伝票の回収、入力)、

・米国の会員制ネットワークビジネスの日本法人設立に関する業務全般、等々。

 

その間、事務指定講習という社会保険労務士会から出される課題の回答をしました。
この課題が終わらなければ社会保険労務士として登録できないので最優先で課題を提出。

 

平成11年6月の第1週目(?)の平日3日間か4日間(?)東京都中野区の中野サンプラザの大会議室で東京労働局の職員等が講師となって労働保険や社会保険関係の書類の書き方の講習会があり、それに出席しなければ社会保険労務士の登録が出来ないので、遅刻早退なく出席しました。

 

その後、自宅に郵送されて終了証を県社会保険労務士会に持参して社会保険労務士登録。

 

これでやっと、社会保険労務士としての活動が始まります。