すぐ犬になるなりたがる

だいたい呑気に時に鬼気迫るあれやこれ全て何てことは無い

存在などしない犠牲〜オリンピックと天丼編〜

オリンピックで誰かがめでたくどれかのメダルを獲得したらしく
アナウンサーの興奮した声で
「勝利の為に全てを犠牲にした〜年間でしたっ」
と聞こえて来たが
それは犠牲じゃないよなあ、なあ?と
静かに思った。
その人の努力が報われた結果に関してはああ〜よかったなあと喜ばしいただそれだけだが
時々ある、この手の犠牲という言葉の使われ方には違和感と、ほんのり不快感。

お前の為に全てを犠牲にしてきた甲斐があったよ!
と満面の笑みで言われた時にも起こるであろうザワツキ。

目的の為に費やした時間や流した血や汗は確かに存在する。
それらが実を結び結果となる。
しかし、目的の為に費やさなかった時間や流さなかった血や汗は存在するか?
しない。
存在しないので実にも成らず結果もクソもない、用は無関係どころではなく完璧に存在しない。

存在しないそれにわざわざ犠牲と名前を付けて
存在するものと一緒くたにして差し出してこないでくれないか、というわけだ。

すごく美味しい天丼があって。
この天丼ね、店のオヤジがうん十年、海老にも米にも衣にもタレにもこだわって70歳になってやっと完成した極上の天丼なんです、ええ、オヤジは天丼作る為に嫁さんは作らず天涯孤独です!

て言うのはどうなの。おかしいでしょ。
おかしいんだよ。言わなくていいよ。
それによって天丼が美味しくなるとでもいうのか。

自分で言う場合はまだいい、自己責任だ、ウケ狙いであって欲しいが。
他人が人の汗水垂らした天丼を勝手に空気ごと不味くしちゃあいけない。

天丼の味にオヤジのこだわりは感じるだろう。けれど天丼からどうやって存在しない嫁を感じるっていうんだよ。
ほんとに要らない情報だよ。
そもそも私は丼ものが好きではないし揚げ物も苦手だし天丼は片手で数えられる程しか食べた事がないしもう余程の事が無い限り
命の宿った天丼が私に惚れ込んで口に突っ込んで来ない限り
食べない気がする。これは要らない文章だ。

けれど、こういうの、気づいてからも何十年と見聞きし続けているので無くならないんだろうな。
なんか変、気持ち悪いと思わないのかなーと。
それだけだ。

オリンピックは
野球の中継、結果だけ見たらいいのになんでわざわざ見るのお父さん?ぐらいなのだけど
フィギュアの3人くらいの人達は見かけて応援した 真央ちゃんには泣いた
あとプルシェンコが好き プルシェンコ今までありがとう ありがとう