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非正規ブログ|幸せになりたかっ太

健常な社会に馴染めなかった人間のブログ

3月が一番嫌いな月である理由

 私は一年の中で3月が一番嫌いです。暑い季節が嫌い、寒い季節が嫌いという人もおられるかもしれませんが、私はとにかく春が大嫌いです。3月も4月も5月も嫌いなのですが、やはり3月が一番不愉快です。その理由を書いていきます。

風が強い

 春は春夏秋冬の中でもっとも強風が吹く季節と言われています。風速10メートル以上の強風が吹く日が一番多いのが4月、次に3月、5月と続いていきます。気象学的に言うと「温帯低気圧が発達する」らしいのですが、ただ生活をしているだけの私たちにとっては「それがどうした。原因がわかっているのになぜ強風を止められない(怒り)」という感想しかありません。人間の力ではどうにもならない絶望を感じます。

 屋外で仕事をするようになってから、今まであまり気にしていなかった風を気にするようになり、毎日天気予報アプリで風の強さをチェックしています。風速5メートル以上の風が吹く日は朝からため息が出て、仕事に行くのが嫌になります。休日でも風が強いと外に出るのが嫌で、風の弱い時間を見つけては最低限の外出しかしなくなりました。

 自転車に乗ることが多いので、風切り音が不快で不快でたまりません。ネックウォーマーで風が耳が当たらないようにしたり、暑い日は風切り音を軽減する耳せんをつけています。いまでは風が体に当たるだけでも不快な気分になり、風切り音は黒板を掻くように神経に障ります。外で働く仕事のせいで風を受け付けない体質になってしまいました。やはり労働は人体に悪影響しか与えないと再確認しました。

雨が多い

 雨といえば梅雨の6月、台風の10月が代表的ですが、その次に雨の多い月が3月なのです。これも気象学的に言うと「高気圧と低気圧が交互にやってくる」とのことですが、そんな傾向だけ伝えられたところで不愉快な気分がやわらぐわけではありません。天気の良い日と天気の悪い日が交互にくるというだけです。

 風が強い月ランキングで2位に入り、雨の降る日が多い月ランキングで3位に入る3月。本当にたちが悪いひと月と言えるでしょう。

 強風かと思えば雨、晴天かと思えば雨、一日じゅう降り続く雨。「春に3日の晴れなし」という言葉もあるほど、昔から人は春の不安定な天気に悩まされていたのです。

寒暖差が大きい

 春は暑い日と寒い日が何度も繰り返されるだけでなく、気温の差も非常に大きいです。私の住んでいる大阪の週間天気予報では、今週の最高気温は18度、最低気温は4度でした。実に14度もの気温差があります。とても同じ格好で過ごすことはできないし、体にも相当な負担がかかります。気圧や気温の変化で自律神経が乱れ、うつ病などの気分障害が起きやすいと言われます。春になると変質者が増えるのも春が全部悪いのです。

花粉、黄砂

 花粉と黄砂も春がピーク。多くは書きませんがとにかく春は最悪です。

おわりに

 春は最悪の季節。3月は最悪の月。暑いだけ、寒いだけなら服装や空調設備で対策ができますが、強風や雨はそれができず、人の不快感を増幅させるだけです。そういう意味で春は悪質です。毎年春になると激しいうつ状態になります。一日一秒でも早く春がどこかへ消えてくれますように。

2021年を振り返って~鬱~

今年最後の非正規ブログ。

2021年良かったこと・・・特になし

2021年悪かったこと・・・幸せになれなかった

この一年を振り返ると、いい思い出は何も無かった。ただ静かに死に近づくだけの一年だった。

仕事はつらい。屋外労働で強風を浴び続けているうちに感覚は過敏になり、紫外線の影響で目は見えなくなってきた。肉体が破滅に向かっている。

さらに悪質なことに自分の中で頑張っている感覚がない。今の仕事も3年目になって悪い意味で慣れてきた。どうで死ぬ身の低賃金労働者。

やる気がない。給料が低い。成長がない。敗北者そのものである。何の価値もない人生を送っていると感じている。

鬱になったりイライラしたりする回数が激増した。楽しいことが無いのだからそういう精神状態になるのは当然かもしれない。不安な気持ちを抑えられず心療内科に通い始めた。

メンタルクリニックはいつも激混み。生きづらさを抱えている人がどんどん増えているのだろう。

人生逆転を狙って資格の勉強をしようにもお金が無い。貧乏なので資格スクールに通うこともできない。効率よく難関資格を取得する勝ち組との差は広がっていくばかり。負け組がはい上がれない原因がこれなのだ。

現状、自力で何とかできる状態ではない。心療内科に通いながら少しずつ変えていくしかない。何なんだろうこの人生は。

【団地】ドコモ home 5G を買いました

今の団地に引っ越して1年半、ようやく自宅にインターネット環境ができました。

団地にはインターネット回線が無いことが多く、工事をするにも団地の管理者や他の住民の許可を取ったりしなければならないとかで、非常に面倒です。

コミュニケーション能力に難がある幸せになりたかっ太がそんな交渉をできるはずもなく、ただ空を見上げるしかできませんでした。

ポケットWi-Fiも検討しましたが、それだったらスマホでテザリングでいいかという結論になり、インターネット環境を諦めて1年以上過ごしていました。

そんなとき、NTTドコモのホームルーター『home 5g』を見て「ほ、欲しい…」と思い、ちょっとだけ悩んで購入を決意。

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home 5G

使い方はルーターをコンセントにさすだけ。場所も取らないです。

インターネットを使用する機会が多くなったコロナ禍の状況を鑑みて開発されたもので、まさに現代人が求める一品です。

工事は不要、引っ越してもドコモに住所変更届けを出して持ち運ぶだけ。インターネット環境が無い団地住まいの自分にもピッタリはまります。

さっそくスマホとパソコンでWi-Fiの設定をして感動。家はまだ5G利用可能地域ではないものの、それでも十分な速度を感じることができます。

ドコモ home 5G、素晴らしいです。

健常者になりたかった

今週は言い知れぬほど鬱になっていた。Twitterにログインしても書き込む気力がなかった。心療内科でもらった発達障害検査のアンケートを見ながら「早く発達障害と診断されて楽になりたい」という気持ちと「もう健常者として生きられないのか」という気持ちに挟まれ、頭を抱えながら過ごしていた。

障害者よりも低い手取りで働く人生をやめたい。解決策は障害者雇用しか無いのだろうか。障害者雇用もメリットばかりではない。これまでいろいろな職場で障害者雇用の人たちを見てきたが、彼らの顔は総じて暗かった。

健常者が気を遣うので責任ある仕事は任せてもらえない。つまり仕事がない。仕事がなければ話題もない。話題がなければ孤立する。誰からも相手にされず、自尊心はボロボロに削られ、定時になると逃げるように退勤。ネットを見ても障害者雇用に関してはネガティブな意見ばかりが目についた。

とはいえ健常者として再就職するのは不可能に近い。まともな職歴も経験もないし、健常者と対等に仕事をするのがもう無理だと思う。

だけど今の地獄は抜け出したい。健常者に生まれていればこんな悩むこともなかった。何なんだこの人生は。健常者になりたかった。

心身が限界に近づいている。感覚過敏がひどい。数ヶ月前から風切り音に耐えられなくなり耳栓を買った。さすがに仕事中には付けられないが、耳栓がないと通勤できないほど厳しい状態になっている。

さらに最近は風が体に当たるだけでも不快感を感じる。つまり風が吹いている外に出るだけでつらい。エアコンや扇風機などの人工的な風はまだ大丈夫だが、自然の風がきつい。風を受けるたびに全身に力が入ってしまうので、体力と精神の消耗がとても激しい。

感覚過敏は精神が異常状態になっているしるしだと思う。これは自閉症スペクトラムの症状の一つでもあるらしい。

休むこともできない。毎日が地獄。明日からまた地獄。どんどん状態が悪くなっていく。健常者になりたかった。この人生もう無理かもしれない。

発達障害検査を受けます

健常者と感性が違いすぎて子供のときから損ばかりしてきた。周りと同じように行動できない。誰とも仲良くなれない。社会のルールに馴染めない。常に孤立しながら生きていた。

自分は普通のはずなんだ。努力が足りないだけなんだ。そう言い聞かせてここまで来たけど、もう限界です。

健常者の思考・行動・生き方を納得して受け入れることができなくて、いつも取り残されていた。健常者が自然とやっていることがどうしてもできない。あまのじゃくを気取っているわけではない。感性が違うのだ。

最近の話だと、新型コロナウイルスのワクチン接種。大多数の人が当たり前にワクチン接種していることが理解できない。なぜみんな「自分はワクチンで死なない側の人間だ」と思うのだろうか。ポジティブに考えられるのだろうか。

臆病者だと言えばそれまでかもしれない。なら、臆病になっている原因が知りたい。ここまで健常者と感性が違う自分は障害者ではないのかと苦しみながら生きることに疲れてしまった。

発達障害の検査は、MSPA(Multi-dimensional Scale for PDD and ADHD:エムスパ)を受けようと思っている。

MSPAとは、京都大学の船曳康子先生が考案した、発達障害特性の程度と要支援度の評価尺度であり、発達障害の特性について

「コミュニケーション」
「集団適応力」
「共感性」
「こだわり」
「感覚」
「反復運動」
「粗大運動」
「微細協調運動」
「不注意」
「多動性」
「衝動性」
「睡眠リズム」
「学習」
「言語発達歴」

の14項目から多面的に評価する。その結果を下図の特性チャートにまとめ、発達障害の特性や支援が必要なポイントを視覚的にとらえられるようになっている。

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MSPAの特性チャート(京都大学のページより引用)

レーダーチャートの赤線内(2.5以下)に収まっていれば支援の必要はなし。赤線を飛び越えていれば、支援が必要な特性だと判断される。

飛び越えている部分が

右上の場合、自閉症スペクトラム(ASD)
右下の場合、発達性協調運動障害(DCD)
左下の場合、注意欠陥多動性障害(ADHD)
左上の場合、限局性学習障害(LD)

である傾向が強い。

子供だけでなく成人にも対応しているらしい。まだ詳しくは聞いてない。

自分はこだわりが相当にきついので、医者と問答して「あなたは○○障害です」と言われても納得はできない。しかし実際に数値で結果が出れば納得せざるを得ない。そういう理由でMSPAを選んだ。

来週、病院に行って検査の事前面談をする。そこから予約を取ることになるので、検査するのは8月、結果が出るのは9月頃になるだろう。

前日や当日に休みを取れるホワイト企業に勤めていたならこんな手間を取ることもなかった。それ以前に検査を受ける必要もなかった。この人生、何から何まで上手くいかないな。

診断の結果、発達障害であってほしい。

これだけ苦しい人生を送ってきたのにただの健常者だと言われたらどうしようもない。障害者でなかったら本当に詰みだ。

誤解されないように付け加えると、障害者になりたいと言っているわけではない。自分の特性を知り、自分が何者で、どんな支援が必要なのかをはっきり理解するために発達障害の検査を受けることにした。

正直つらい。こんな人生になるなんて。

40代独身男性の生きがい

生きがいのない毎日

38歳、手取り11万円。何のために生きているのかわからない。毎日楽しくない。ただその日を生きるために働くだけ。友だちはいない。家族もいない。社会的地位も貯金もない。そして何より生きがいが無い。

若さと勢いで駆け抜けた20代。ここまで人生を悲観することはなかった。苦しいながらも熱中できるものがあって、なんとなくそれでよかった。しかし今は違う。何をやっても空虚で悲しい。

低賃金、独身、孤独

人生に希望がない最大の理由が低賃金である。社会で上手く立ち回ることができず、仕事に就いてもすぐ退職してしまう。手取りは11万。年収は200万にも届かない。39歳から転職して人生を逆転できる可能性は限りなく0に近い。それどころか年収200万を超えることも困難。それほど人生が詰んでいる。

結婚の予定もない。幼少期から対人コミュニケーションに困難を抱えていて、友だちも恋人もいないまま39歳になろうとしている。独身のまま死を待つだけの毎日を送っている。一度でいいから家庭を持ってみたかった。

社会から取り残されていく孤独感も増してきた。30代、40代になると、みんな結婚したり子供ができたりして、家や車を買っている。自分より明らかに年下の人が大きい車に乗っているのを見ると泣きそうになる。彼らはどれだけ稼いでいるのだろう。自分には想像できない世界だ。

また、ツイッターで同年代の人たちが出世をして管理職になっていたりすると、やっぱり自分とは違うのか、みんなちゃんとした道を歩いているなと、寂しい気持ちになってしまう。孤独で悲しい。

止められない体の衰え

30歳を過ぎたあたりから体の衰えを顕著に感じている。食欲は低下し、下腹部には脂肪が溜まり、顔はたるみ、髪の毛はどんどん薄くなっていく。これからさらに老化が進んでいくと考えるだけで恐ろしい。ボロボロになってまで生きる意味はあるのだろうか。もう老いたくない。頭が動かなくなるのが怖い。体が動かなくなるのが怖い。

好奇心や興味を失う

体の衰えよりも怖いのが心の衰えだ。流行りの音楽や有名人をほとんど知らない。興味が湧いてこないのだ。昔は音楽を聴いたり有名人のテレビを見たりしていたはずなのに、もう新しいものに飛びつこうという気持ちになれない。

心の変化を特に感じるのがテレビ番組。バラエティ番組やお笑い番組では、出演者が笑っている声を聞くだけでイライラするようになった。母親が居間でテレビを見ていると、どうしても音が耳に入ってくる。自分はもう何年も笑っていない。楽しいと思えることがない。他人が楽しそうにしていると腹が立つ。感情が失われている。

新しいことを始める気力がない

40代といえば世間では「働き盛り」と呼ばれる年代だが、職を転々として何のスキルも積み上げてこなかった自分には無縁の言葉だ。盛(さか)るどころか完全に転落しきった感がある。

若いころは「新しい資格で人生を変えてやる」と何度もチャレンジしてきた。そのすべてに失敗して今に至っている。自分の頑張りが足りなかったのか、不向きな分野で無意味な努力を積んだだけだったのか分からない。信用できる人間がおらず、正しいのか間違っているのかもわからないまま歩いてきた。その結果、人生は終了した。

35歳を過ぎてからは「もう何をやっても無理だ」と感じている。新しい資格を取得して転職ができたとしても、周りとは15年以上の経験の差がある。ただでさえ物覚えや要領が悪いのに、時間が遅れた世界でどうやって生きていけるだろう。そして人生をやり直したいと思ってもやり直せないので、そのうち考えるのをやめた。

どうやって人生を楽しめばいいかわからない

「40代になっても人生は楽しいぞ。君がつまらない人間だからじゃないの?」のように言ってくる人がいるが、自分も若い頃は楽しめることはあったのだ。

音楽を聴いたり、ゲームをしたり、テレビを見たり、スポーツを観戦したり、コンサートに行ったり、一人で遠くへ出かけたり、何かを楽しみに日々を生きていたはずだった。曲がりなりにも打ち込める何かを持っていた。その熱意が霧のように散っていく。

原因がわからなくて苦しい。おれの心はどうなってしまったのだ。39年生きてきて、自分が何も持たなかった人間だったことに気付く。

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健常者のように生きられない

38歳、手取り11万。独身、貯金なし、子供なし、家なし、車なし、肉体労働者。真面目に生きてきたはずなのに、なぜこんな人生になってしまったのだろう。毎日苦しんでいる。

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何をやっても人生が上手くいかない。健常者と同じように働けない。いつも自分は脱落する側の人間だった。原因が何なのか考えていくと、結局「能力が低い」という救いのない答えにたどり着いてしまう。

小学生のときは、勉強も運動もできず、友だちはおらず、いじめを受けた。楽しくない学校に行くのが嫌だったが、不登校の選択肢はなかった。学級会が開かれ、いじめの被害者として晒し上げられた。あの屈辱は一生忘れられない。

中学校では加害者と同じクラスになることはなかった。しかし、特に充実した思い出もなく、5年後に参加した成人式では全員に無視された。誰も自分のことを友だちとは思っていなかった。

高校に入り、クラス上位の成績になると「自分は有能な人間だ」と思い始めるようになる。だがよく考えると、クラス全員が対等な条件で勉強していたわけではない。他府県から通学していた者、部活動をしていた者、自転車で家と学校を往復するだけの自分が有利なのは当然だった。誰よりも学習に使える時間が多い環境にいて、ようやく平均以上になれただけの話だったのだ。

大学では通学時間の長さに耐えられずに不登校になり、留年した。他の学生よりも1年長く大学に行ったのに勉強についていけず成績は最下位。就職活動も上手くいかなかった。無内定で大学を卒業した。

理解力、問題解決能力、自己分析力、体力、コミュニケーション能力、社会で生きていくために必要な全ての能力が低い人間だった。そんな自分が健常者と同じフィールドで幸せになれるはずがなかった。

自分は健常者だと思ってここまで生きてきたけど、もう心が折れかけている。健常者と同じように働いて、健常者と同じように生きていくのが難しい。心療内科に行くことを決意した。

月間30万PV。スマートニュースに掲載されてアクセス数が600倍になった話。

非正規ブログの記事がスマートニュースに掲載され、アクセス数が大爆発した。文字通りケタ違いの数で1日のアクセス記録を大幅に更新した。スマートニュースに掲載されるまでの経緯を振り返っていく。

2月16日 Twitterでツイートがバズる

バズったツイート。7000以上のいいねがついている。

「バズったら宣伝」手法を使い、更新したブログをぶら下げる。非正規ブログの宣伝とツイートの補足。期待通り、Twitterから来た人にブログを読んでもらえた。

2月17日 はてなブックマークに掲載される

はてなブログでブックマークをつけてもらうと、今度は「はてなブックマーク」のページに掲載された。ここに掲載されるとアクセス数は大きく増える。Twitter効果にはてなブックマーク効果。さらにアクセス数は伸びていく。しかし今回はこれで終わらなかった。

2月18日 スマートニュースのトップに載る

ブログへのアクセスは止まる気配がない。Twitterとnoteで「ブログがスマートニュースに載っている」ことを聞く。スマートニュースのアプリで確認すると、なにやら見覚えのある給与明細が見える。

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スマートニュース

間違いなくスマートニュースに載っている。この非正規ブログが。驚異的なアクセスはこれが理由だった。最もアクセスが多かった12時台は10,000PVを超えている。自分の書いた記事が1万人以上に読まれていると思うと身震いした。多くの人が家でゆっくりしている20時~21時台もかなり読まれている。

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1時間で13,000PV

最終的にこの日のPVは14万まで伸びた。信じられない数字に目を疑った。ブログを更新した前日のPVが220だったので、約600倍という恐ろしい増え方だ。

スマニュー砲

スマートニュースに掲載されてアクセス数が激増することを「スマニュー砲」と呼ぶらしい。とんでもない威力だ。毎日でも当たりたい。

どんなブログも読まれないと意味がない。いくら熱を入れて記事を書き上げても、読まれないと徒労に終わってしまう。ブログを書いてる人も、みんなそれでブログをやめてしまう。

ブログのアクセスを増やすために

今回の流れをまとめるとこんな感じになる。

①Twitterでバズる
  ↓
②はてなブックマークに掲載される
  ↓
③スマートニュースに掲載される


これまで、SEO(検索エンジンの上位に表示されるための対策)、タイトル、見出しなど、参考サイトを読みかじりながら試行錯誤してきたが、成果はまったく出ていない。

しかし、今回の件でSNSに光を見た。以前にも東京オリンピックのツイートにぶら下げてアクセス数が増えたことがあったので、もう一回いけるかもと思っていた。二度あることは三度ある。三度あることは何度でもある。

「バズったので宣伝」の応用だ。ブログをバズらせるのではなく、バズったツイートに合わせて記事を書く。逆転の発想。これでいこう。このやり方に賭けていく。

親に「大学に行け」「公務員になれ」と言われ続けて38歳で手取りが10万9000円になった話。

昨日バズったツイートについて。

自分でもよく書けていると思う。まず、大学に行ったのかどうか、公務員になったのかどうか、はっきりわからない。リプライを見ていても読んだ人の反応が割と違っている。読み手によって解釈が変わる文章は面白い。

では、このツイートの真相だが、結果として「大学に行って、公務員にもなった」。しかし紆余曲折あって、今は大学でも公務員でもない、手取り10万9000円の仕事に就いている。

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手取り10万9000円

父の願い「大学に行け」

「大学に行け」は父の願いだった。父は地方の私立大学を卒業して就職したが、学歴のことで苦労したようだ。どんな苦労があったのかは聞いてない。だが父は事あるごとに「学歴は一生ついてまわる」と繰り返していた。

社会を知らない私は、父の言葉を信じて一生懸命に勉強に取り組んだ。その結果、関西の国立大学に現役で合格。私は父の願いを叶えたのだ。親戚の中でも自慢の息子になった。私も「自分は選ばれた人間だ」「受験競争に勝った」と自尊心が激しく高まっていた。

だが、幸福な時間はすぐに終わった。あれだけ努力したのに、大学の水に合わなかった。大学生のノリが嫌だったのか、友人ができなかったからなのか、勉強が難しかったからなのか、他にも理由があったのか、大学に行きたくないと思うまでにそう時間はかからなかった。

途中の駅であてもなく降り、フラフラしながら家に帰ることもよくあった。学校をサボるなんて今までしたことなかったのに。自分の中で何かが切れてしまい、輝く大学生活とはかけ離れた毎日を過ごしていた。

私は要領の良いタイプではなかったので、欠席した講義はしっかり単位を落としていた。周りが順調に単位を揃えていく中で、私は順調に単位を落とし続けた。手遅れになったのは3年生の時だった。卒業するのに必要な単位を4年間で揃えることができなくなり、留年が確定した。

研究室が忙しい、公務員試験に集中したい、あらゆる言い訳を並べて留年を許してもらった。親の前でボロボロと泣きながら懇願した。学部でただ一人留年した私は一番出来の悪い学生だと証明されたのだ。

大学生活の5年目はさらなる地獄が待っていた。就職活動をしながら卒業研究、とてもじゃないが両立できない。それを普通にこなしている他の学生が超人に思えた。私は完全にキャパオーバーになっていた。いつになっても内定が取れない就職活動に疲れ切って精神を病んだので、卒業研究に集中することにした。親にあれだけ言って今年も卒業できなかったらもう終わりだ。

このころには、自分は他の人間よりも能力が劣っていることを自覚するようになっていた。高校時代の快進撃は何だったのだろう。暗記に時間を使って勝ち取っただけの虚構のプライド。社会の前では何の役にも立たない。大学に合格したときの全能感はバラバラに砕け散っていた。

就職活動は全滅、公務員試験も全滅、卒業論文もまったく書けない。課題が出るたびに教官から怒られ、次第に見放されるようになっていた。

私が所属した研究室は厳しいところで、学生からの人気は低かった。人気のある研究室は希望者が多く、配属は成績順で決定された。単位不足で留年した学年トップの劣等生が成績勝負で勝てるはずもなく、希望の研究室には配属されなかった。

能力の低い人間が厳しい研究室に入るという悪循環。冬には気が狂いそうになって校舎から飛ぶことも考えた。教官の温情でなんとか卒業は認められたものの、無内定で大学を卒業。親からは人格を批判され、猛烈に罵倒された。言い返すことはできなかった。

この5年間はいったい何だったんだ。不登校になり、就職もできず、友達も恋人もできなくて、何のために勉強したんだろう。今でも思い出して泣いてしまう。本当にこの選択が正しかったのか、と。

いつかこの学歴が自分にとって掛け替えのないものになる。そう思うことはできなかった。ただ、どういう道に進んでいれば良かったのかわからない。

視野が狭く、社会経験の無い自分は親の言う通り大学に行くことしか考えていなかった。さらに不幸なことに、自分の人生に影響を与えてくれる人がまわりに誰もいなかった。人生にチャンス無し、コネも無し。私が掴むことができたのは親が垂らした一本の糸だけだった。

なぜもっと世界を見ようとしなかったのだろう。なぜ学歴があれば人生が楽勝なんて言葉を信じ切ってしまったのだろう。すべて自分の責任だが、息子の特性を見誤った親も悪い。今となっては何を言っても意味がない。

母の願い「公務員になれ」

「公務員になれ」は母の願いだった。社交的でもない、大胆なことをするでもない、そんな息子に向いているのが公務員だと思っていたのかな。堅実に生きてほしいと思っていたのかな。

私は中途採用された派遣社員を辞め、アルバイトをしながら通信教育で教員免許を取得した。ここでも無能を発揮して、最短2年で取れるところ、2年半かかった。大学で留年したことを思えば半年遅れでゴールできたのは頑張ったほうだと思う。

教員免許の取得と並行して教員採用試験も受けた。採用はされなかった。もともと一発で合格できるとは考えてなかったので、非正規の教員「講師」で働くことにした。

講師は正規採用された教員が産休や育休、病気休暇で抜けた際に補充される教員のことである。仕事内容は正規の教員とほぼ変わらず、待遇も公務員扱いになる。子どもから見れば同じ「先生」だが、学校の中では明確に格下扱いされる。自治体によっては「講師 ○○」と学校だよりに書かれることもある。

働きながら採用試験の合格を目指していたが、合格できそうな気配はまったく感じられなかった。筆記試験は通過できても面接試験で落とされる。何年も続けて面接で不合格にされると気力が失われていく。

何が足りないのか、自分でもわかっていた。ある一線を越えなければ合格できないということは感じていた。だけど、自分の中に強いこだわりがあって、その線をどうしても越えられない。

教員としての人生を考え直そうと思っていた矢先、それを決定づける事件が起こった。まだ強烈な太陽が照り付ける9月の頃、運動会の「組体操」を練習していたときのこと。巨大ピラミッドを組み上げている途中で、授業終了のチャイムが鳴った。

教師が集合し、運動会担当の先生が口を開いた。「最後、もう一回やりますか?」と。本番まで時間がない。チャイムは鳴っている。子どもは疲れている。難しい判断だ。

そこで私は大きな声で「今日はここで終わりにしましょう。子どもは相当疲れています」と言った。しかし、練習の続行に反対したのは私だけだった。

幸運にも事故は起こらずピラミッドは完成したが、私は激しく苛立っていた。本当にこれでいいのか。普段は時間厳守を子どもに強いている大人たちが時間を守らない。教師の権力で子どもをねじ伏せた。これは違う。私のやりたい教育じゃない。この一件で、もう教師は続けられないと思った。

翌年、全国で組体操の事故が多発していることが明るみになり、組体操は廃止もしくは危険のない組体操が行われるようになった。あのとき中止を訴えた自分の判断は間違っていなかった。

しかし、教員採用試験に合格しているのはピラミッドを作らせた先生たちのほうなのだ。教師として私に欠けていた資質は「厳しさ」。鬼となって指導する気持ち。時には狂気と思える指導。どこか狂っていないと教師は務まらない。

私はその境地にたどり着くことができなかった。もし何かあったとき責任を取れるだろうか。覚悟が無かった。採用試験の面接でもそういう部分を出していたのだろう。全部見抜かれていた。そして私は教師をやめた。公務員の肩書きも失った。

私の願い「親は子どもをよく見て」

「大学に行け」「公務員になれ」と言われ続けて親の願いを叶えた結果、私は何者にもなれなかった。親からすれば「この出来損ない」という気持ちだろうし、私にすれば「他の道を示してほしかった」という恨みがある。

この人生、すべて自己責任。目標もまともに決められなかった自分が全部悪い。いくら悔やんでも取り返しがつかない。

私はもう人の親になることはできない。38年間きちんとした人間関係を築いてこなかったから。そんな私の思いをこのブログで綴りたい。

子供を幸せにできない親は親失格だと思う。親には子供を幸せにする義務がある。それができなければ産む資格がないとさえ思っている。

もし、子供を育てている人がこのブログを見ていたら、少しでもいいので私の思いを聞いてほしい。親は子供の特性を見誤ってはいけない。親が願っているだけの未来を押し付けてはいけない。

人間関係で困っていないか。友だちはいるか。悩みはないか。子どもの変化に気づいて適切な道を示してほしい。最終的に自分で進路を決められる人間を育ててほしい。

もうこれ以上、私のような人間が増えないことを願っている。

令和2年 12月3週

寒い冬がやってきたが、予想以上に体調が良い。もともと冬は苦手ではないので、それもあるかもしれないし、12月に入ってから続けている筋トレの効果が3週目になって出てきたのかもしれない。何が理由か自分でもわかってないけど、とりあえず調子はいい。

今週は睡眠時間は以下の通り。時計で測ったような安定感。

12月12日(土) 4:49
12月13日(日) 7:46
12月14日(月) 5:28
12月15日(火) 5:42
12月16日(水) 5:41
12月17日(木) 5:44
12月18日(金) 5:55

寝る前に布団でツイッターやってるとすぐに時間が過ぎて、23時を超えたあたりで「そろそろ寝ないと」となって、寝る。この睡眠がおどろくほどに、寝るぞと思った瞬間に朝になっている。「電気が消した瞬間に寝息が聞こえてきたからビックリした」と母が言っていた。

寝ようと思ってすぐに寝られるのは精神的に疲れがたまっていないのだろう。いいことだと思う。寝て、起きて、食うだけの人生になってしまったが、これ以上何も手に入らないのであきらめるしかなかった。転職するとまた眠れない夜が来るのか、なんて考えると足がすくむ。

体のほうはいい感じで疲れている。冬空の下で過ごすだけで体力を消耗する。家に帰ると筋トレをする。その筋トレの内容はというと、腹筋30回、背筋30回、腕立て30回、1セットのみ。もし30回できなければ途中で終了。最後までしない。所要時間は3分。これを毎日継続する。

ジムに行ったり走ったりするのが続かない一番の理由として、外に出なければならないというのがある。出かけて、着替えて、面倒くさい。一度自分の部屋に入ってしまったらそう簡単に出られない。着替えてジムまで行くなんて無理だ。

そういう理由で、こういう筋トレのプログラムを組んだ。所要時間が3分なら続けられる。腹筋はスマホを見ながらでも出来るし、背筋は30秒で終わる。腕立てはちょっとしんどいが…。

今週はここまで。