べーたばん

32歳、春。

フォローアップな人生

W杯が盛況。
ビデオに撮り溜めしてた遠藤の情熱大陸を見た。淡々としてる中に、すごくプライドや自負を感じた。

本田は本田でビッグマウスと求められ、香川や長友もエースやなんやと言われて大変やろうけど、自分は淡々と飄々と自らの仕事を全うしようとする遠藤や内田、山口なんかが好きやなー。俺は不言実行型の人間が好きなんです。

基本的にサッカーはルールを知ってるくらいで、戦術的なものはよくわからん。
4-4-2とか4-3-2-1とか。ボランチて何?みたいな。

ただ、何試合か見てて、勝つチームと負けるチームの絶対的な違いは「フォロー」があるか無いかな気がしている。

相手ボールに1人詰めた後、2人目、3人目が詰めれるか。相手に囲まれた時に後ろから、逆サイドからフォローの声出せるか。
はたまたシュート後のこぼれ球にいかに詰め切るか。

まあ、この辺は野球も同じで、ラグビー、アメフト、バスケ、ハンドなどチーム球技ならほとんど同じな気がする。野球はちょっとちゃうか。

ブラジルとか、何で予測できひんこぼれ球にその位置おるねんー!みたいなんあるけど、よくよく見るとあの人ら無茶苦茶動いてるね。そら強いわ。

日本も決勝にはいって欲しいなー。

話変わって。

先日、ひょんなことから少し上の年齢の方と結構マジメに仕事とか政治について語ることがあった。

たまたま、自分も色々考えなあかん時期やったこともあり。

その方曰く、リーダーというものは「ハコ」は作れる。ハコは作るが、そこからスケールさせるには何事もフォローが必要やと。

女性の雇用促進、ホワイトカラーエグゼンプション、起業促進、介護・年金制度、人口減少。

パッと挙げただけで日本にはこれだけ色々課題があって、もう30代にもなるとこういうことが結構直撃する世代になってきた。

例えば起業促進。
うん、俺の周りも社長や役員や営業部長やなんかいう奴も増えてきた。色々楽しそうやけど、大変な部分もありそう。

例えば女性雇用。
今はほとんど大卒。総合職の採用も殆ど同数。結構できてるやん。ハコは出来て来たやん。

個人的な考えとして、女性大卒が全員総合職として働くと色々問題も解決するんちゃうと思うけど、こういうの書くとまた嫁がキレるのでやめときます。
少なくとも男性よりは職業選択の余地は広いと思うし、恵まれてると思う。最近の男への圧力ハンパ無い。

ただ、両方とも肝心のフォローがない。

起業した後、金も無い。人もいない。じゃあ採用しようかとなると、人が来ない。大手企業には断られる。それがメディアに出ると色々寄ってくる。

女性が働きに出る。結婚する、子供欲しい。子供生まれる、預け先無い。預けるのに競争。預けてもめちゃ高い。

そういうことを考えた時に、自分の性質ではどうもリーダーになって解決するんはちょっとちゃうなーと思い出した。(組織内のリーダーはまた別として)

自分はリーダーとして世の中を変えるようなことはできひんし、おそらく考えない。ドリブルで持っていくタイプちゃうし、ホームラン打つタイプでもない。

じゃあこの先どーしょっかなーてのを考えると「いかに前進者や困ってるところをフォローアップできるか」そういうポジションで生きていくのがストレス無いんやろなーと思う。

身の丈、大事。たまに勘違いしてる人いるけど。リーダーやったらあかんやつがリーダーしたらあかんて。

フォローして、「アップ」する。いいですね。

そういやオヤジは50歳で副社長止まりで、副社長が一番ラクやと言うていた。

書いてたら、野球やってた時、1番バッターになりたかったんやと思い出した。チャンスの数は多いし、最初やから色々違った世界が見えると思ってた。4番のフォローアップに一番貢献出来る気もしたし。

結果は1番どころかベンチにも入れませんでした笑。うん、あの頃はやっぱり楽しかったね。こんなん考える暇もなかったよな。


格差の理由

銀行にお金を多く預ければ預けるほど信用は増えて、金利も優遇されるし、融資も多く受けられる。

 

街中をランニングしている人を見るとガリガリのアスリート体型の人のほうが目立つ。

本来走らないといけないデブの姿というのはほとんどない。

アスリートは筋肉量が多いから、脂肪燃焼も促進され、本来走らなくてもいいカラダなのに、さらに燃焼が促進される。

 

おそらく、「金持ち」や「アスリート」であればあるほど物事が好循環し、メンタルも健全で、さらにはその好循環を加速させてくのであろう。

 

金持ちはより金持ちに、痩せる人はより健康的に。

 

こういう原理がわからずに、格差はダメだ!とか現状維持だ!と叫ぶのはもはや罪深い。

 

別に全員が全員No.1を目指さなくていいと思うけど、「上位」「下位」の分かれ目があるのであれば、絶対に「上位」にいるべき。好循環を起こすべき。見れる世界が違う。

 

もはや最近は金持ちはアスリートやし、貧乏はデブ。やや偏向的な部分もあるけど、欧米でよく言われる「肥満は自己管理ができない」という論は非常に当てはまると感じる。

 

現状維持とは怠惰の結果。最近出てきた腹を見て、非常に恥ずかしく思う。

地力

業務の引継を行っているにあたって、なかなかに苦心している。

人に何かを教えるということは基本的に「自分の経験したことのある内容」に沿ってしか行われないと思うけれども、当然自分が経験してきた道を他人が経験しているかというとそうではない。

 

そういう時に顕著にでるのが「地力」の差であって、ここが整っていないとまず応用やコミュニケーションが取れない。

 

スポーツで言うならば、走る・投げる・取る・・・みたいな能力。

 

「今言われていることはよくわからないけど、走り回って聞いてみます。」

「よくわからないですが、明日までに文献読んでおきます。」

「よくわからないから、明日までに概要図をまとめるので見てください」

 

とか。

 

わからないことは恥ずべきことではないし、当然だと思う。

けれども、それを「わからないわからない」と不安に感じて思考停止に陥るだけでなく、その不安を払しょくするための能力。これができないとなかなかに厳しい。

 

それは年齢も性別も関係なく、不変のものであるし、大げさに言ってしまえばそういうところで

今までの人生が見えてくるように思う。

 

野球でも「当たれば飛ぶ」能力さえ持っていれば「当てる能力」を伸ばせばいい。

シュートが下手でも「90分バテずに走り回れれば」とても貴重な戦力になる。

 

どこに行っても大丈夫、というような根拠ない自信もそうかもしれない。

 地力というのは日々のランニングや筋トレと同じだ。一朝一夕で身につくものではない。

 

自分自身、過去でも今でも不安になれば思考停止、行動停止に陥りがち。

何かを不満に思ったり、不安に感じるのであれば、いつどんな状況になっていいように、まずは日々の「筋トレ」をしっかりする。

 

体育会系について

今時、多少時代錯誤な感もあるんですが、やっぱり体育会系の人間て優秀やと思うんです。


改めてスポーツと仕事て似てるなーと。


仕事やる中で、どうしても1人でやらなあかん状況は生まれるし、とはいえ周りに助けを求めないとどうしようもない状況も生まれるし。


なんで1人でボール持ってるねんと。


野球はチームスポーツとか言われるけど、投手対打者はタイマンで、打てなければ自己責任で。そこは助けもないんで、チームスポーツじゃないと思う。


ただ、サードゴロをボール持ってタッチしに行くやつはいなくて、それはファーストに渡さなあかん。キャッチャーはピッチャーの顔色を常に読まなあかん。


サッカーとかラグビーとか、1人で突っ込む場面もあるけど、そんな場面の方が珍しくて、普通はフォローがはいる。周りもフォロー来てることを教えてあげる。

ただ、人に頼りすぎてパスをぐるぐる回すだけやとそれも違う。


体育会系なそういう、自分でも責任感を持ちながら、周囲に助けを求めないといけない場面、メンタルの切り替えが早いというか。行くわ!と頼むわ!がわかりやすいというか。


そこはレギュラーとかベンチとかはあんまり関係は無くて、ただ、レギュラーの人間は当事者意識とかキャプテンシーというのが圧倒的に違うくて、その違いが大きいと思うけど。


あと全国レベルのチームか一回戦負けのチームかでも違う。前者で補欠と後者でレギュラーなら、個人的には全国レベルで補欠のほうがいい気がする。環境で鍛えられるから。


水泳とかゴルフとかの個人競技は多少違うんかも知れんけど、孤独な戦いの中でモチベーション高める能力とかはすごいねやろなというのは想像つく。セルフコントロールがすごい。

スノボのハーフパイプとかもそうかも。


あと、非体育会系がしょっちゅう勘違いしてるのが、体育会系は「うるさい」とか「ロジカルでない」とか「飲み会は騒ぐ」とか「全員泥酔する」とかそういうのよく聞くんですが、全然わかってないす。


うるさいのも知ってるし、ゲーム中にロジカルとかありえないし、飲み会も当然騒ぐんですが、逆にそれを自覚してるからこそ非体育会系と会う時は襟整えます。


それこそ店出禁とかなると出場停止やし。タテ社会なんで、泥酔とかできない。泥酔してるおっさんとか見ると何してんねんと思う。


一部そんなこと気にせず、そのままもいるけど笑

逆もあるしね。賢ぶって全然賢くないやつとか。


なんというかなー、自分は体験としてある程度持ってる思いを未体験な人に伝えるのは非常に難しい。


コーチングとかいうの習ってみたいな。

コミュニケーション能力

Facebook上であるやりとりを見たので、忘れないうちに書いておこう。

コミュニケーション能力の有無というのは、とかく「よく話すやつ」「よく弁が立つやつ」が高いという勘違いのもと、語られることが多い気がする。

政治家、弁護士、サークル代表、会議での発言量が多い人…

一般的によく話すポジションが偉い、すごいと思われがちだが、それは違う。(当然、例外もあり、上記のなかでも立派な人は多い)

コミュ力高いというのは、「受け手のことを思い、立場を考えて、いかにその場その場で適切な言葉を紡ぎ出せるか。」ということに尽きると思う。視点は発信者でなく受信者。

例えば、人が悲しんでいる時に黙って話を聞くこと。あえて言葉を出さない。コミュ力高い。

ツッコミが欲しくて、年上の先輩がボケた時、「お前ちょっと黙れや!笑」という年下からのツッコミ。コミュ力高い。ここ、敬語になると少し弱い。

この間、面白かったのは、ある会社でマーケティングを担当していて、自分がいかにマーケティングに長けているかを延々と語るアラフォーがいたこと。

相手が欲することを追求するマーケティングの本質が全く出来ていなかった。

俺は「早く帰りたい」というポテンシャルニーズをいち早くキャッチして欲しかったのに。(とにかく横文字が多かった)


有吉が売れて、品川が嫌われる。

有吉は受け手(視聴者)のことを考えて最適解を導き出す。時に自分の立場が危うくなろうが先輩の悪口を言う。なぜなら、受け手が一番面白いと感じると思うから。

対して、品川にはその観点はなく、自分がオイシイかオイシクないかで発言する。すごい周り見てる。

これがわかりやすい、最近の最も顕著な例かと思います。

ペコペコ敬語ばかり使うのも違うし、勘違いして横柄にベラベラ話すのも違う。

信頼関係があってこそのコミュニケーション。コミュニケーションあってこその信頼関係。ニワトリタマゴ。故に繊細な感情が必要なんだと思う。

なので、基本的には女性の方が長けていて、それも「私なんてあがり症でみんなの前でうまく話せないんですー」なんて言っている人間にはかなわないと思う。何故なら、受け手のことを一生懸命に考えるから。
(そして完全なる偏見ですが、そういう能力高い女性の方が結婚してそのまま家庭に入るようなケースが多いように思う。残るのはグイグイ系。もったいない。)

自分で書いてて、なんと奥が深いのだと思ったので、これからも有吉目指して精進します。笑

まずはしっかり嫁とコミュニケーションしないと。。

諦念とか妥協とか大事

夢を諦めるな!とか妥協するな!とかあまり簡単に言うことじゃないと思う。あなたは夢を諦めたことがないのかと思う。

 

少し前のアメトークで「文句言いたがる芸人」の中で小藪さんが「子供らに言うとくけど、夢なんか絶対叶わへんからな!!」と言い切ってしまっていたのを見て痛快な思いがした。

 

起業家もすごい、投資家もすごい。部長、役員、社長もすごいと思うけど、おそらく子供の時に明確に今の立場を描いていた人は1%もいないのではないかと思う。全ては結果論。日経の「私の履歴書」読むとよくわかる。

だからこそ小学生の夢をそのまま叶えたイチローとか松坂、ダルビッシュ、マー君、本田の凄さが際立つのでしょうけど。

 

宇多田ヒカルは小学生の時にNY?に移住して、中学生でデビュー。

同世代だった僕は当時、驚きとともに親友のIと「俺ら、中学の時にNYに行くとかいう選択肢を考えたこともなかった」ということを言い合っていたのを思い出します。

 

全ての結果は「才能×環境」と思っていますが、環境80%の部分があるのではと思っている。

その環境を作るのも自分の才能で、なかなか難しい部分があるけれど。

環境のせいにしてはいけないけど、環境のせいもあるよねというジレンマ。親の影響で海外で生まれたらそりゃ100万円かけて留学せずに英語も話せるよねとか。そこは自分の努力ではどうしようもないとか。

日本に生まれたからこそできることもあるし、偉そうに言えることってたくさんあると思いますねん。

 

願わくばいつの年齢でもある程度の柔軟性を持って、生きていきたいな、と。

 

冒頭のようなセリフを拒否する新世代がニートとかフリーターになったりもしてて、「しっかり生きる」というのが難しい時代でもあり、なんらかの軸が無いと厳しいよねとは思うけど。

 

自分を変える法則として有名なものを。

人間が変わる方法は三つしかない。一つは時間配分を変える、二番目は住む場所を変える、三番目は付き合う人を変える、この三つの要素でしか人間は変わらない。

もっとも無意味なのは、「決意を新たにする」ことだ。かつて決意して何か変わっただろうか。行動を具体的に変えない限り、決意だけでは何も変わらない。

そして時間、場所、友人の中でどれか一つだけ選ぶとしたら、時間配分を変えることがもっとも効果的なのだ。

 流れ流される人生を送ったとしても、この思いを持っていれば、ある程度どんな状況でも生きられるのではと感じている今日このごろです。

 

 

 

 

 

「違和感」の研究

好きだと色々調べますよね、色々知りたいし、知ることが苦でない。俗にいう「ハマる」状態。

他人に説明するにも「○○は~だから好き」という説明ができます。

 

ただ、意外と「嫌い」という感情、「嫌いな」なヒト、モノ、コトについてはいまいち深堀りしない状況が多いかと思います。「なんとなく嫌い」「なんとなく合わない」

 

実際、社内の飲み会で初見で会う人は「誰が一番嫌いなん?」ていうのを聞くのが恒例になっています。ノリのいい子は「○○さんです!」と答えてくれるんですが、「なんで?」と聞くと、「いや、なんとなく・・」しか返ってきません。(ちなみに、最悪の回答は「嫌いな人なんていない」です。)

 

その「なんとなく」っていう感情がイマイチピンと来なくて、「なぜ嫌いなのか」を他人に説明しないまでも、なるべく自分で咀嚼できるようにしています。

 

なので、自分が嫌いと思っている大体の人を「なぜ嫌いか」言えます 笑

嫌いと言うと語弊があるけど、「合わない」という感情。しっくり来ない感。つまらない感じ。妬み、僻み、嫉み。そういう感情が混じります。

 

なので、EXILEの事を知っているのは好きだからではなく、僻んでるからです。本当はああいう肉体になりたい。でも無理だからです。

なので、サイバーエージェントのことをチェックしているのは好きだからではなく、僻んでるからです。本当は入社したいからです。でも無理だからです。

なので、CLASSYを読むことは好きだからではなく、僻んでるからです。こういう人と付き合うと金かかるし性格も細かそうで面倒くさそうと思って嫌なものの、本当はこういう人と友達になりたいからです。でも無理だからです。

 

なぜこの人はこうなったんだろう。なぜ俺とは違うのだろう。どこからこうなったのだろう。今からこうなるにはそうしたらいいんだろう。親?環境?彼女?嫁?旦那?こういう思考が、あらゆるヒトやモノに張り巡らされます。

 

孫子の兵法に「彼を知り己れを知れば、百戦して殆うからず」という言葉がありますが、つまりはそういうことです。

 

一時期、ある人に「お前は右寄りやなー」と言われたことがあって意外だったのですが、おそらくそういう思想の問題ではなく、違和感があった出来事をなんで違和感があるのかと突き詰めるにあたって、相対的に好きの感情が寄ってしまって愛国者みたいな捉え方になってしまったのだと思います。

 

好きと嫌いは裏返しということで。ちゃんちゃん。