ノートの時間。。。
10月、ノートギャラリーでは「Note Cafe Style ノートの時間 ウエダマユミ展」を開催しています。
ノートギャラリーには絵画、音楽、彫刻、文学などなど公的に認められている「芸術」の形式の前の段階、その作者(この段階ではまだ作者ですらないかも)の住む土地の風土や気候、歴史や習慣、などなどの要因のなかからそこでしか生まれえないもの、生まれてきた表現、ただの表現、まだ公的な「芸術」の形式に到達していない表現物。これを「私芸術」と呼び、そこから「芸術」「美術」のありかたを考察しようというスタンスがあります。
かなり長くなって訳が分からなくなりましたか。。。簡単に言うと、ノートギャラリーは「私芸術」の地平から「美術」の根本を考察しようとしています。です。
その視線でときおり開催される展覧会が「Note Cafe Style・シリーズ」です。
今回のテーマは「絵画」です。なんで絵を描くのかなと。
ノートギャラリーに併設されたノートカフェの店主ではあるけれども一介の主婦でありフェルト作家のウエダマユミが描くメモ的絵画。
正式な作品として描かれて仕上げられた「絵画」ではなく、ある主婦が子育ての記録や旅の思い出、日々の暮らしの感想をつなぎとめるためにメモした絵的なものです。
決して「絵画」にまでは到達していない絵的なもの。
なんかぴっちり仕上げてないというか仕上げるつもりもない。一主婦の生の感情が飾らずにポッカリとそこにいるというか。。。日々のあれこれを優しく見つめる、ただそれだけがキャンバスに痕跡としてあるというか。
「主婦」という風土から生まれてきた今はただの表現物。「絵画」ってこういうところからも生まれてくるんだと。そこを感じていただければ幸いです。
会期は2014年10月23日(木)まで。20日(月)は定休日。
お時間ございましたらぜひお立ち寄りくださいますよう、ご案内申し上げます。
富士山論 2
祭り論
富士論
桜論
ネーミング論
話は少し前後しますが、ギャラリーの名前を付けるのにもかなり苦労しました。
経営会議論?
コレクション論
2月に個展を開催いたしました「林 秀行展」無事終了いたしました。
会期に合わせてノートガーデンにはノートコレクションから林先生の「月影神殿」(奥)を設置させていただきました。
この作品は遡ることかれこれ20年近く前に手に入れたものです。仕事でいつもおじゃましていた百貨店で開催されていた前衛陶芸の大作グループ展で林先生の作品に出会い「カッコいいなー、カッコいいなー」って言ってたら、その直後にその百貨店の画廊で林先生の個展が開催されました。また、それを見て「いいなー、いいなー」って言っていると、スタッフのみなさんに「買ったら、買ったら」って囃し立てられて、引っ込みがつかなくなり勢いで手に入れたものです。
たぶん立体というか陶芸でははじめてのコレクションだったかもしれません。
しかし、その存在感と重量ゆえ、小さな我が家には飾るところが無くて箱の中で眠り続けていました。
しかし、何のご縁か、めぐりめぐって「ホワイトキューブの茶室」を手に入れ、林先生にお世話になることになり、これを機に「月影神殿」をノートギャラリーに設置しようとなり、ついに飾られることになったのです。
しかもせっかく展示するなら半永久野外展示だろうと。立体作品はやはり「野外」が最高の舞台というか。。。惜しげもなく「外」というのが贅沢だろうと。
箱の中で長いあいだ狭い思いしてきたのだから、この際「外」で思う存分のびのびして下さいと。万感の思いで「野外」でしょうと。
家の中では飾る場所がないほど大きかったのに、庭に置くと「神殿」だけに祠のような雰囲気でいい感じかと一人納得しています。
ギャラリーに来られて「月影神殿」を見つけた方に、ギャラリーの管理人である家内は「主人のコレクションで、そのようなものがまだまだあります」的な説明をしていると、ノートさん(私です)がどんなものを集めたのか見てみたいとおっしゃって下さる方もあったようです。
たまに「作品いろいろ集めてます」的な方にお会いすると「ぜひ見せてください!」ってなります。どんなコレクションなのかのぞいてみたいというのと同時に、コレクションからその方の人柄の一面が伺えるというか、それをコレクションから読み取るのもなかなか楽しいものです。
私のコレクションの特徴は、かなり行き当たりばったり、サラリーマンの給料で買える範囲(家内にはかなり迷惑をかけました)、飾る場所無い(家が小さいから)ので箱に入ったまま部屋の片隅に積まれてる、です。
しかし、今回のことで「N氏(ノート氏)コレクション」やってみようかなと。自分自身のコレクションを全体で自分でも見てみたいというか。自分の人柄みたいなものが客観視できるのかなと。
控えめに誰もいらっしゃらない夏期&冬期休廊中とかにシークレット展みたいな感じで。ノーピープルエキシビジョン?昔プロレスでノーピープルデスマッチ(無観客試合)ってありましたよね。
展示コンセプトの辻褄合わせるのがかなりむつかしいかもしれませんが。。。
やはりテーマは「家族にかけた迷惑の歴史」展になるかなと。。。
看板論3
社会の片隅の中で私たちのようなささやかなものであっても経済活動を営んで行くには、その決意表明として看板が必要であることは先の論で述べさせていただきました。
ノートギャラリーの看板も新調して心機一転のある日に出会った看板が「スナック おだまり」でした。
なんだろうこれは。。。
茶室の思考論2
ギャラリーも何とかかんとか三巡目の年を迎えることができて、紆余曲折の塊みたいにして歩いてきた足取りも少し冷静になってきて思うのは、Note Galleryのこの空間はやはりギャラリーでもなくカフェでもなく「茶室」なんだと。
一介のサラリーマンとして美術に従事してきた人間にもギャラリーではなく「茶室」を作ることができるはずだと取り組んだのだから、ギャラリーではなくて「茶室」なのだと、これは。
さらに言えば、ギャラリーという現場に従事してきたサラリーマンであったればこそ自ら作るものはギャラリーではなく「茶室」でなければならんのだと。
ギャラリーは。。。あっ、もういいですか。
とにかく出来上がった作品たちを、ただただこちらの経済活動界の仕組みに準じて展示して販売させていただく繰り返しや思考ではなく、なぜその作品がその人から、この場所から、この時代から生まれてきたのか、どのようにその作品がこの地域で、ここのみなさんに、そして脈絡のなかで育まれてゆくのか、などなど過程と本質について考えないことには「美術」に従事させていただくギャラリストでありながら「美術」には届かないのではないかなと。
最先端のトレンドを紹介するのもいいことだとは思いますが、そのトレンドだって人気作家だって、生まれる瞬間とか原点とか原因とか土壌とかいろいろあるだろうにと。
できあがった作品の展示にも増して、その過程そのものを考察せねばというか、その過程そのものが「茶室」というシステムというか。。。
そう、公的に認定されている形式の「芸術」ではなく、その前の段階の私的な「私芸術」そのもの。
ギャラリー空間に加えて、その奥にひっそりと併設されている小さな庭とそれに面したカフェ。私たちがここに作った「茶室」ですが、ここもただただお食事や飲み物などをお出ししているだけの空間ではその役目が果たせていないのではないかと。
小さな庭の中に取り込まれた小さな四季にも宇宙があって。お出しさせていただいている食事もほぼ野菜の素材の地続きというか、最小限であり最大限の手と丹精を加えた自然の持つ味覚の広がりを追い続けているというか。。。
そのようなこともこの「ホワイトキューブの茶室」で出会うみなさんと理解し合う環境を志向しなければ「美術」ということを思うとき本質に届くことができないのではないかなと思ったりしています。。。
ただ、それは難しいことではなく自然にしていれば自然にそうなるというか。。。本来のあるがままというか。。。美とはそのようなもの(私芸術)の側にひっそりとあるようなものかと。。。
私もまだまだ修行中なので断言はしませんが、そのようなかたちに近づいてゆければなあと思ったりしています。