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雑記

カメラの台数

前回更新から4ヶ月…。

それは置いておくとして、最近思っていることを書く。


自分には今、2台のカメラがあるように思う。1カメは、顔についてる目。文字通り、目の前にある景色を映している。主観。

2カメは、自分を俯瞰するカメラ。主観でありつつやや客観。自分が今どういう場所にいて何を感じているか実況するような視点。メタ視点とも言うかも。


たとえば1カメが衝撃的な何かを捉えて、動揺したり焦ったりしても、2カメが「いま自分は動揺している。〜〜な事態なんだから当たり前だ。一旦落ち着こう。解決すべき課題は何か。」とかいって機能できれば、まだ大丈夫だ。1カメも次第に落ち着きを取り戻す。

この2カメは、大学生活の中で次第に発達してきた。高校生までの自分には全然なかった感覚だ。


今後、2カメが機能しなくなったとき、自分はどうなるのか。適切に行動できるのか。新たな視点をもたらしてくれる3カメ4カメは現れるのか。

ということを、『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』を観て思った。1カメが狂わされてもまだ大丈夫だ。事態を楽しめる。まだ狂ったとは言えないだろう。しかし、2カメまで狂わされてしまうことになったら…そんな人に出会ったら、そんな災害が起きたら、そんな事実が発覚したら。

「狂う」は結果でなく過程であると捉えれば、その先にある結果が自分の幸せに繋がるのなら、それはそれで良いだろう。幸か不幸か、自分の選択によって分かれうる場合…適切に判断・選択できるのだろうか。不安だ。


その自体に備えてできることは2つ思い浮かぶ

1つは、2カメの強化。日常の中で、意識的に自分自身の実況・解説をする。2カメは使うほどに、使って言語化するほどに、より体の一部となり、自省心を強める。ただ、強まりすぎると、感受性が損なわれていく気がするので、使いすぎも問題だ。

もう1つは、3カメを作る準備。これは出来るのかは不明だ。具体的には、今は持っていない思考法や知識の獲得。それによって、平常心を保つコツや、新たなものの見方を身につける。言い方によっては、これも2カメの強化とも言える。






難しいことを易しく 易しいことを深く 深いことを面白く

「難しいことを易しく 易しいことを深く 深いことを面白く」

という言葉がある。どこかで見かけて、シンプルだけど大切なことだなぁと思って頭の片隅に残っていた。調べてみると、井上ひさしさん(もしくは永六輔さん?)という方の言葉だそう。

この3つの考えは、前に進んだりレベルアップしたりする際の一つの指針となりそうだ。

 

 

①難しいことを易しく

難しいことは大抵「複雑な構造である」「専門的な知識を要する」「長年の経験値を要する」のどれかに当たる気がする。2つめは専門的な勉強をすること、3つめは一定の経験を積むことでクリアされる。1つめは、その2つと少し毛色が違う気がする。意識を変えると多少クリアされると言うか。複雑な構造を単純なユニットに分解する、各ユニットの関係性を明らかにする、あまり難しく考えすぎない、などだ。いわゆる「頭の良い」とされる人はまずこれが出来ているように思う。人間が作り出したものは複雑化しているものがけっこうあるので、ここをクリアすることは、一人前の人間として必要なことだと思う。

 

 

②易しいことを深く

易しいことは、一見するとシンプルだが、それを支える背景などを深堀するとけっこうなものが存在していそうだ。数学や理科の公式なんかそうだ。また、何か(スポーツや音楽など)の上級者がやっていることはいとも簡単にやっているように見えるが、自分でやってみるととても難しいということがある。シンプルなパフォーマンスの裏に、様々な技や工夫が隠れている。(ちょっと①寄りな話になった気がする)

難しいことを易しく解いて自分のものにできたら、さらにそこから深いところへ行くことで、また新しいものを発見できそうだ。深堀りする際の視点は、自分の他の知識や経験とつながっているはずので、独自のものを発見できそう。

 

 

③深いことを面白く

難しかろうが易しかろうが、結局は面白くなければ意味がないとまで言う人もいそうだ。もしくは、役に立たなければ意味がない。役に立つ、ってことは多かれ少なかれ面白いってことに繋がっている気もする。でも、役に立つけど面白くないことと、役に立たないけど面白いってことなら、後者の方が価値ある気もする。役に立つ→面白い ではなく、面白い→役に立つ って順なのかも。仕事について考えるか趣味について考えるかでも変わりそう。

考えがごちゃっとしたが、結局、「面白い」ってことが価値あることなのは間違いない。人間は知的好奇心をもつ生き物だから。なので、②で深く掘り下げてみたことの中から、面白い!と思えるポイントを探すこと、また、それを人に面白く伝えることは大事そうだ。

 

何に関しても、この3つのステップをクリアできれば、1人の人間としてちょっとだけレベルアップできるような気がする。

 

「難しいことを易く 易しいことを深く 深いことを面白く」

 

何かに行き詰まったり、思考や言動の指針が分からなくなったときは、この3つを思い出してみようと思う。

美女と野獣

前回の投稿から1ヵ月空いてしまいまいした。もっと気軽にちょちょっと書いて、頻度高く投稿したいと思ってるのですがいやはや…

 

 

今回は、ディズニー映画『美女と野獣』を観ました。

予想していたよりも圧倒的クオリティで、鑑賞中に3~4回は涙が出ました。色彩も音楽も素晴らしく、心がハジケました。家から2番目に近い映画館で見たのですが、帰りに自転車をこぎながら音楽が頭の中でリフレインしまくり。Beauty and the Beast~♪です。

 

トーリーはいたって単純。

自分勝手で人を外見で判断する王子は、その罰として、魔法で野獣に変えられてしまいます。城の家来たちは家具に変えられます。魔女の残していった薔薇、その花びらがすべて落ちるまでに真実の愛を見つければ姿は元に戻るが、見つけられなければ一生元に戻らない。王子は絶望し荒れるが、ある日、ある村一番の美女のベルが城にやって来る。そこから徐々に二人は惹かれあっていくが、ずっとベルに求婚している村一番の男前ガストンによって事件が引き起こされる…。

みたいな感じ。

 

キャラがちゃんとしてて、一瞬のシーンの中にも個性や背景を示唆するようなところがいくつもあって、好きになりました。会って2時間ちょっとの登場人物たちに共感や感動を覚えるかどうかは、キャラの立ち具合(もちろん自分との相性もあるけど)によると思うので、重要です。

 

ベル。いわゆるディズニープリンセス感はあまりなかったです良い意味で。野獣に出会ってもさほどビビらなかったのは、本をたくさん読んでいたのと、「広い世界がどこかにあるはず」と信じていたのが原因でしょうか。村一番の美女なのに変人と言われてました。ガストン以外に言い寄る男がいなかったのは、昔の王子と違って、外見では判断しない人が多いってこと…?とも思います。

野獣。本名はアダムだそうです。かなりのギャップ系男子ですね。家来たちに助言されながらベルを晩餐に誘うシーンあたりから可愛げが見られました。昔はかなり傲慢な感じでしたが、呪いをかけられ10年、絶望とともに深く反省し、ベルの登場によって希望を少し持てるようになったのでしょう。また、彼を慕ってくれる家来たちを見ると、それなりの人望はあったようです。独りではただただ絶望するだけだったのでしょうが、家来たちとベルのおかげで変わることができましたね。

モーリス。初登場時から何だか死相が見えた気がしましたが、無事生存しました。狼に襲われ、野獣に監禁され、ガストンに縛られ森に放置され、精神病院送りにされそうになり…と幾度も窮地を生き延びてきたタフガイです。娘を想うパパは強い。ベルに道具を要求するとベルは既に用意してる、ていう序盤のやりとりが終盤でも出て来たのは良い演出でした。父娘2人で暮らしてきたからこそ、絆もより一層強いのでしょう。

フィリップ。健気で良かったです。一体何往復すりゃいいんだよ!!て言ってそうでした。村と城を行き来するたびに時間が短縮されていくのも納得です。

ガストン。心の弱さを攻撃に変えてしまう、という点で人間らしいキャラでした。最初は割と快活な感じだったのに、だんだん闇に落ちていく感じが悪役って感じでした。彼を救うことが出来る人がいたとしたら、ル・フウだけだったのでしょうか。ラストでは橋から谷へ落ちていきました。魔女の力で城が再生したとき、壊れた橋も修復していたので、そのへんの城壁にひっかかって上がって来てるのでは?とか思いました。

ル・フウ。正しいと思うこととガストンを助けることの狭間で思い悩むキャラでした。ストーリーに関係ないのにゲイと思われる描写(なぜ女が出来ないんだ?と聞かれる・三流銃士のオカマと見つめ合う)もあり、現代っぽいなぁと思いました。色んな人がいるんだよ、って。

家来たち。ルミエール、コグスワース、ポットとチップ、マダムとマエストロ、プリュメット、フルフル…みんな良い味を出してました。彼らのことを好きになれたからこそ、最後の花びらが落ちて完全にモノになっていくシーンが本当に悲しかったし、呪いが解けて人間に戻るシーンは本当に嬉しかった。どちらも涙しちゃいました。

 

名作である条件の一つは、「制作に関わったすべてのひとに"ありがとう"と言いたくなる」だと改めて思いました。

 

他にも何か感想があった気がしたけど、今回はこの辺で。

今回は字幕版で見たので、次は吹き替え版でも見てみたいです。

3月のライオン(前編)

映画『3月のライオン 前編』を観ました。原作を読んでいてかなり好きな作品だったので、ワクワクする気持ちと同時に、漫画の実写だから期待しすぎないでおこう…という気持ちで観に行きました。

 

※以下、ネタバレあり

 

www.3lion-movie.com

 

 

キャラの再現度

実写化の大きなポイントのひとつですが、予想以上のクオリティでした。

神木くんの役は割と何でも神木くんに見えてしまうマンの僕ですが、予想以上に桐山零でした。陰のある部分や眼鏡クイッの仕草など、とても良かったです。泥酔して倒れて泣く演技はホントに酒飲んで撮ってるんじゃないかってくらいリアリティありました。

晴信は最初違和感しかありませんでしたが、2時間半の上映を通してどんどん受け入れられるようになりました。序盤「晴信wwww」中盤「ダメだ晴信が出るだけで笑うw」終盤「晴信…お前…(涙)」といった感じ。新人戦準決勝で負ける~病院で決勝を応援するあたりの迫真の演技。晴信の執念が伝わってきました。晴信のモチーフになっている村山聖さんを描いた『聖の青春』に染谷翔太さんが出演していたことも何か影響していたのかもしれません。

川本三姉妹も良かったです。倉科カナさんはもっと細いイメージでしたが役作りしたのでしょうか。ふくふくしてました。

島田八段は原作そのままの感じだったし、後藤九段も凄みがすごかった(凄みがすごいって何だ。でもすごかった)。宗谷名人はオーラ控えめな感じだったけど、もともと存在感がないけどあるっていう独特の雰囲気の人なのでそれで良かったのかもしれません。

香子は有村架純さんであの凄みが出るのかって思ってたけど、出てました。顔や表情の鋭さは少し丸いものの、感情をぶつける様は雷って感じでした。子供時代の子役の子もめちゃ良い演技。

林田先生はカルテットの家森さんに見えた。

一人一人語ってたらキリがないですが、全体的に、どのキャラも再現度が予想より高かったです。

 

 

構成

原作では川本家のキラキラパートと対局や葛藤などの闘いパートの大きく2つの場面があると思ってるんですが、映画では2:8くらいで闘いパートが多かったと感じました。対局の緊張感や理不尽な現実への苦しみなどかなり伝わってきましたが、見てて嫌な疲れは感じませんでした。シーンの組み方やテンポの取り方が上手だったんだなぁ、と見終わって気づきました。後編では家族の問題や学校でのいじめ問題が出てくるのでより過激になりそうですが、キラキラパートとのバランスのとり方に要注目です。

 

 

音楽

劇中、あれ?なんか音楽すごい仕事してない?と感じました。零くんが街中を走るシーンでのジャズっぽいドラム?の演奏。感情が弾けて火花が散ってどんどん燃えていく感じがとても伝わってくる音楽でした。他にも対局中の緊張感や場面の盛り上がりを表現するのに、かなり音楽の力が発揮されてると感じました。エンドロールで菅野祐悟さんの名前が流れてきたとき、すっと納得してしまいました。と同意に、この人どれだけ引き出しの種類あるの!と思っちゃいました。特に、上に書いたジャズドラムの音楽は、これまでドラマや映画やアニメで聴いたことのない感じのもので、それがまたうまく場面とマッチしてて、感動しました。

 

 

あと書くとすれば

唯一、残念とまではいかないものの違和感があったのは島田八段の「生きてるって気がするぜぇ」。直前の「みぞおちの中で黒い沼が脈打ってるようだ」がいい感じだったのに対し、けっこう静かにあっさり放たれたセリフでした。個人的にかなり好きなセリフで、もっと激しく熱い感じのセリフだと思ってたので、えっ?そういう感じなの?と思っちゃいました。でも対局中で消耗してるし、割とそういう感じのセリフだったのかもしれません。

 

前編が良かっただけに自然と高まっちゃいますが、過度な期待はせずに、後編を楽しみに待ちたいと思います。

新年度

「毎日何かしら書く」と意気込んでいたものの、3週間も空いてしまいました。反省。目標が妥当でないのか、ただの根性なしなのか、きちんと考え直さないといけないと思います。

 

さて、新年度になりました。これまでと変わった部分、変わらない部分、変えたい部分、変えたくない部分、色々とあります。ばばっと書き出してみましょう。

 

■変わった部分

・早朝バイトを始めた…早起き習慣をつけるため。始めたばかりなので仕事自体も新鮮で面白い。周りもいい人たちばかり。

・午後は割と時間のある生活になった…有効に使いたい。読書、勉強、バイト、などが候補。

・少し運動し始めた…ランニングと腕立て。走れない日はスクワット。少しずつ。

 

■変わらない部分

・用事がないとずっと寝ている…自分の中に棲む怠惰という化け物との闘い。寝すぎると生活リズム狂うスパイラルに陥るので、毎日適度に疲れて気持ちよく眠りたい。

・テレビっ子体質…家にいるととりあえずテレビをつけてしまう。ドラマは刺激、バラエティは快、ニュースは情報。でも思考を停止させるノイズになってることも多々あるので無暗につけないようにしたい。

 

■変えたい部分

・とにかく毎日どこかに行って何かしらの刺激を得るようになる…図書館でも商店街でも映画館でも。外のリアルな空気に触れること。

・めんどくさいことにすぐ手を付けるようになる…めんどくさいと思ったときに手を付けちゃうのが結果的に一番めんどくさくない方法。

・もう少し体を動かす…毎日はやれていないので。走る距離やかける負荷を少しずつ大きくしていきたい。いざというときに体一つで動けると良いな、というのが動機。

 

■変えたくない部分

・作品に触れる(映画、ドラマ、小説、etc.)…心がフィクションを求めてる。フィクションといえど作っているのはノンフィクションな人間。いろんな世界を見たい知りたい。ストーリーもの以外にも、絵や書や写真も見てみると想像が広がるかも。

 

そんなところ。4月も残り2週間、月並みですが1日1日を大切にしていきたいです。

沈黙-サイレンス-

一昨日、『沈黙-サイレンス-』を観てきました。メンズデー最高。

 

chinmoku.jp

 

PG12なだけあり、難解かつエグイシーンがいくつかありました。江戸時代初期、キリシタン狩りが行われていた頃のお話です。

「死や苦しみがあるとしても自分の信念を貫き通すか、生きるために曲げるか。」それが、監督のメッセージのひとつだと自分は感じました。

 

音楽なし

タイトルがタイトルだからか、作中BGMがひとつも流れませんでした。聞こえてくる音は虫の鳴き声や海の波音など自然的なもののみ。音楽は、場の雰囲気やキャラの感情を表現する大きな力になるものですが、この作品においては、それナシでも3時間近い上映時間、場を持たせることに成功していました。「長い」とは感じつつも、飽きることなく、最後まで見ることが出来ました。これは監督や演出の高度なテクニックによるものだと思います。

 

笑いもなし

音楽と並び、「笑い」もなかったです。多くの映画では、種類こそあれど、思わず笑ってしまうシーンがあるものです。もしくは、「あ、ここ笑わせようとしてるな」というシーン。しかしこの作品においてはそれは一つもありませんでした。これまた凄いのですが、それでもやはり3時間近い時間、"もたせる"ことに成功していました。あっぱれ。

 

では何があったのか

音楽も笑いもなしに、何で3時間が構成されていたのか。思うに、緊張、悲痛、安堵、そして問いかけ、だと思いました。

役人がキリシタンを拷問するシーンがいくつもあり、キリシタン側の視点で見ている観客は何度も心を痛められます。それと対になって話のテンポを生むものは、ところどころに入る安堵できるシーン。村の移動に成功したり、仲間が増えたりするシーンです。そしてやはり問いかけ。「あなたならどうする?」「この人はどうするべきか?」「正しいのはどちらか?」など、考えさせらえるシーンが多かったように感じました。即座に答えの出ない問いばかりですが、凄惨なシーンとともに現れることによって、日常生活では問われることのないものだと思いました。

 

作中では敵-味方の構図的に、いかにも役人が悪でキリシタンが善、的な雰囲気があるのですが、一概にそうとは言えません。井上筑後守という悪そうな偉い役人が出てくるのですが、彼の言う「キリシタン狩りをする理由」は納得できるものでした。さらにのちに出てくるフェレイラ神父も言う「日本でキリスト教が根付かない理由」も納得できるものでした。立場や国が違えば考え方も違い、それゆえ信仰の対象も変わってくるのです。

 

また、友人曰く「人間の行動指針は宗教である」というメッセージを感じたそうです。これはけっこう腑に落ちました。キリシタンたちは日ごろから祈ったり告悔したり、宗教的儀式が日常に溶け込んでいましたし、棄教or死を迫られるシーンでさえ、死を選ぶ者もいました。現代の日本人にはピンと来づらいですが、宗教は人間の相当強力な行動指針となっていたようです。

 

終盤、主人公のロドリゴは苦渋の末に棄教を決断し、拷問にかけられている人々を救います。それ以降は日本人として生き、日本で仕事をして生涯を遂げ、日本式の火葬で葬られます。しかし最後のシーン、棺桶の中で彼の手の中には、持っているはずのない十字架が。その意味深な描写をもって幕を閉じます。

これは、彼はうわべでは棄教したふりをして心の奥底では信仰を捨てていなかった、ということなのでしょうか。それとも、本人は棄てたと思っていても、棄てきれないほど根深いのが宗教であるということなのでしょうか。それは、僕には分かりません。し、誰にも分からないのではないでしょうか。まさに「神のみぞ知る」です。

湯を沸かすほどの熱い愛

映画『湯を沸かすほどの熱い愛』を観ました。

日本アカデミー賞宮沢りえさん杉咲花さんがそれぞれ最優秀主演女優賞と最優秀助演女優賞をW受賞されており、「本当の親子みたい」との評判を聞いていたので自然と期待が高まっていました。

 

(※以下、ネタバレあり)

 

atsui-ai.com

 

 

 

 

結論から言うと、とってもとっても素晴らしい作品でした。誰もが1回は観るべき作品だ!と強くオススメできます。

 

あらすじとしては、お母ちゃん(双葉)とその娘(安澄)を中心に描かれています。強くて優しいお母ちゃんはある日突然末期がんであることを宣告され、余命2~3ヵ月だと知ります。すぐに娘に打ち明けはしないものの、残りの時間を使って、やるべきことをやり切ると決意。失踪した夫を見つけ出し銭湯業を再開したり、娘に本当のことを打ち明け前に進ませたり、ずっと会えていなかった母に会いに行ったり。

お母ちゃんの存在感はかなりのもので、言い過ぎかもしれませんが「シン・ゴジラを人間のスケールにしたらこういう感じかな」と思ってしまうほど凄みがありました。鋭さと優しさを兼ね備えた表情。「真に優しさを持つなら、まず強くあらねばならない」という説を強める存在となりました。

 

 

何人かのサブキャラクターたちの登場を交えつつ物語は展開していきます。銭湯を再開したり、いじめを克服したりして話は前進していくのですが、「すぐ次のカットでお母ちゃんがまた倒れてしまうのかもしれない」という不安感があり、終盤まで飽きないテンポで続いていきます。一つ一つのシーンやキャラも、単発で終わらず、必ずどこかに繋がっているという巧みさもありました。(手話、富士山、赤色、などなど。)

 

登場人物も、それぞれがつらい過去を持っており、だからこそお互いが共有しあえる感情や、強く生きていかなければならない、と言った雰囲気が流れていたと思います。

自分が一番感情移入してしまったのはオダギリジョーさん演じるお父ちゃん。基本的に不器用でダメ男って感じなのですが、いつも家族のことを心配していて、日々銭湯を守り、不完全ながらも想いを形にして伝えようと努力している様がうかがえました。お母ちゃんの「エジプトに連れて行って」との願いに対して、それは無理だ…と思いつつも何とか代替案を…と必死に考え抜いた様はカッコよかったです。「双葉ー!おれが、こうやって、支えるから…!」と叫ぶシーンは一番泣きました。ボロッと涙が出て自分でも驚きました。

 

最後の葬儀からのシーンは見事でした。「あの人のためなら、何でもしてあげたいと思える。それって、その何倍もあの人からもらったからだと思う」このセリフは、お母ちゃんの圧倒的存在感の正体を言語化してくれたセリフでした。

 

けっこう衝撃が強くて何と感想をまとめればよいか分からないですが家族をもっと大切にしよう、と思いました。具体的には、もっと気持ちや考えを言葉にして伝えよう、と。人はいつ何が起こるか分からない。そうなったときでも、前向きに生きられる強さと優しさを持っていたい。弱気になってしまったときに「逃げちゃダメ。あんたなら出来る。」と叱咤激励してくれるお母ちゃんを心の片隅に覚えていよう、と思いました。