MUSIC BOX「もしも明日が…」の赤い風船
かつて「MUSIC BOX」というNHKのフィラー番組があった。60年代~90年代の邦楽と用いられる映像のノスタルジックさが相まって、フィラーでありながら地味に人気を博していた。その中でも特に印象的だったのは、80年代ラストに流れるわらべの「もしも明日が…」。
https://www.youtube.com/watch?v=zwScLHb2zJo
手から離れた赤い風船が高層ビルのほうへ飲み込まれていくそのはかなさは、仕事も早いのに深夜までテレビを見ている自分と無駄にオーバーラップして何とも言えない憂うつさがこみ上げてくるのだった。そうなることがわかっているのにラジオ・テレビ欄に「MUSIC BOX」があると楽しくも憂うつについつい見てしまっていたのはきっと私だけではないだろう。
こんなどうにもいい思い出話を書いたのは理由がある。今テレビを見てびっくりしたからなのだ。
今朝BSプレミアムで放送されていた、よみがえる新日本紀行「新都心万華鏡〜西新宿〜」(昭和55年)。冒頭に見覚えのある赤い風船が出てきてリアルに「うわっ」と声が出た。そのシーンに冨田勲の重厚なテーマソングはまるで似合わないなあとも思った。こっちが本家なのに(笑)ほかの空撮も「MUSIC BOX」でそのまま使われた映像だ。これが元ネタだったとは…!
録画を改めて見返す。もちろん昭和58年リリースのわらべ「もしも明日が…」は流れはしないのだが、私の頭の中では「もしも明日が…」が鳴り響いていた。
本格的にわが家のMDシステムがヤバくなった……
リモコン死亡。編集機能やタイマー予約がリモコンにしかない欠陥構造、XR-W88MD。この機械にラジオの録音を任せてきた。。分かってはいたことだけどさ、だましだまし使ってきたのだけどさ、でも、本体はタフでもリモコンが完全にダメになっちゃあどうすることもできないぞAIWA!!!!!!
生のミニディスクを手に入れるのも限界は近い。夜中起きて録音ボタンを押す生活もさすがにこの年齢では厳しい。どうすんだよ夏どうすんだ。いやそれどころかラジオとの付き合い方まで変わってしまうことになる。。。。
“大男の庭”片山杜秀の解説部分書き起こし
久々の更新が書き起こしというのもどうかと思うけれど、5月30日放送の「クラシックの迷宮」がとっても面白かったのでぜひ紹介したいのですよ。
オンド・マルトノを用いた興味深い音楽、モノラル放送のラジオしかない時代にステレオ放送として聴く驚きの方法もさることながら、岩田宏のすさまじき翻案ぶりは一聴の価値があります。
私はこの音楽物語“大男の庭”を聴いているうちに、なんだかアニメ「進撃の巨人」の巨人側の哀しみが浮かび上がってくるようにも思えてきたのでした。無論、50年以上前のレアな作品と現在の作品に何の関係もないのですが。
先に書いておきますが、再放送は2015年6月1日(月)午前10時〜午前11時、NHK-FMです。
以下書き起こし。
クラシックの迷宮、片山杜秀です。今回は毎月一度のNHKのアーカイブスに残された録音から聴く回ですけれども、今日はNHKがラジオ向けに制作した音楽物語を一つご紹介したいと思います。
別宮貞雄(べっく・さだお)作曲の立体音楽物語“大男の庭”。1962年11月25日の日曜日、同年の芸術祭参加作品として放送で初演されました。別宮貞雄は1922年に生まれて2012年に亡くなった戦後日本の代表的な作曲家の一人ですね。長くパリに留学してミヨーとメシアンに師事しました。ドラマへの興味も強くて、福田恆存の戯曲“有馬皇子”や源氏物語に基づく“葵上”などオペラもいくつも残しました。“大男の庭”は別宮のそちらのほう、オペラ・ドラマの顔を考える時、とても大切な作品になります。けれど、まあ忘れられている状態にあるといってよいと思うので、今日みなさんに聴いていただけたらと思った次第です。
さて、立体音楽物語“大男の庭”はNHKが委嘱して制作したラジオ向けの音楽作品というか、音楽に比重のかかった一種のラジオドラマともいえるものですけれども、ただの音楽物語ではなくて立体音楽物語と称しているのはステレオ放送だったからで、といってもまだFMは正式放送を始めていない時代ですから、この立体音楽物語というのは、AMの第1放送と第2放送を同時に使って左右片チャンネルずつを放送して、2台のラジオをステレオのスピーカーのように配置して同時に受信するとステレオ放送が楽しめるという、そういう形で放送されたんです。つまり、ラジオが2台無いと完全に聴けないという、リスナーの側もかなりの努力を求められる番組だったというわけなんですね。
さて、“大男の庭”はオスカー・ワイルドの原作です。あの“サロメ”なんかもワイルドの童話ですけれども、ワイルドの童話というと“幸福な王子”が特に有名かもしれませんが、その“幸福な王子”は“大男の庭”の3年前の1959年にすでにNHKで同じく音楽物語になっておりまして、それは谷川俊太郎の台本、三善晃の作曲でした。この番組で以前(2014年1月25日)再放送させていただいたことがございます。その三善晃の“幸福な王子”は比較的原作に忠実でしたけれども、1962年の別宮貞雄の“大男の庭”のほうはかなり大胆に脚色されています。台本を書いたのは岩田宏。2014年に亡くなりましたけれども、詩人であり、林光の作品に詩を提供し、小笠原豊樹という本名のほうではマヤコフスキーやエレンブルクやトロワイヤなどの翻訳をたくさんしております。この岩田宏さんがワイルドの童話を岩田宏流にかなり直しているんです。
まず、ワイルドの原作はといいますと、こういうものです。
- 大男がいる。大きな館と大きな庭を持っている。その大きな庭が、自分が長いこと留守だったうちに、よその子供たちの遊び場になっていた。子供が勝手に入っているのはけしからんと大男は戻ってきて庭を見て怒って、庭の周りに壁を作って子供たちを閉め出してしまう。すると、壁の内側は永遠の冬になってしまう。壁の外の世界には四季の巡りがあって春も夏も秋も来るというのに、大男の世界、大男の庭はずっと冬のままで大男はもう寒くてたまらない。そこに、壁に穴が開いていて、そこから子供たちが入り込んでくる。そうしたら春が来る。大男は自分が偏屈だったせいで、壁を作ったせいで、自らを冬の孤独に陥れていたんだと気づいてそこで改心して、子供たちにとっても良くしてあげて、そうしたらついにキリストに認められて、神の庭、つまり天国に招き入れられる。
そういう話がワイルドの原作だと思います。ところが岩田宏版はちょっとというか大分というか違うんですね。
- 大男の庭はワイルドの原作のように最初から大きいんではなくて、現在進行形で膨張しております。そのことに周囲の世界がとても恐がって大男を嫌います。大男もどうしていいかわからなくなって、壁を作って、自らの庭、自らの領地をこれ以上大きくならないように閉鎖してしまう。そうしたら壁の内側は永遠の冬になってしまう。大男は寒くてつらくて耐えられなくなって雪解けを願ったら、大男の分身としての少年が出てくるんですね。偏屈な大男の心にも、あたたかい世界を求めてみんなと仲良くしたいという気持ちは住んでいて、その心が分身になって、少年のかたちをとって現れてくるんです。大男は現れた少年を自分の分身とは気づかず、とても好きになって、少年は大男に壁を壊すように説得して、大男の庭に春を呼び込んで雪解けをもたらします。けれど大男はその大好きな少年を囲い込んで独占したくなって、また改めて壁を作りたくなってしまうんですね。その時大男は、彼が好きで好きでたまらなくて壁の中に閉じ込めたくなるほど大好きな少年が、自分の中にある、自分の心の中にある壁を壊してみんなと仲良くなりたい気持ちがかたちになったものだと気づいてしまうんです。自分の中にある、壁を壊したい気持ちがかたちになった少年を好きで好きで独占したくて、そのために壁を作りたくなってしまう。壁を壊したい自由な心の持ち主だから、きっと美しく見える少年を好きで独占したくて壁を作りたくなってしまうという、この壁を作ることと壁を壊すことの果てしない矛盾と葛藤ですね。それにさいなまれてということだと思いますが、少年が自分自身の分身と気づいたとき、大男は死んでしまうんです。
ワイルドの原作よりもかなりややこしいんですけれども、これが何を意味しているのか。岩田宏がロシア文学者でありソビエトに特別関心が深い人で、この作品が1962年11月に初演されているということをここで考えていただくと、見当のおつきになる方も多いのではと思います。その辺の話はまた後でさせていただくとして、作品を聴いていただきましょう。
立体音楽物語“大男の庭”
原作:オスカー・ワイルド
作:岩田宏
作曲:別宮貞雄
大男:水島弘
語り手:立岡光
少年:広村芳子
声:東京放送児童劇団
オンド・マルトノ独奏:高橋悠治
管弦楽:NHK交響楽団
合唱:東京混声合唱団
指揮:森正
(略)
いかがでしたでしょうか。壁を作り壁を壊す。塀っていう言い方をしていましたけれども、そういう物語。大男の冬と子供たちの春の対立と融和の物語。そういう音楽物語にされた“大男の庭”の初演は1962年の11月で、その前の月の1962年10月といえばキューバ危機でした。第三次世界大戦が勃発しかけた月、人類滅亡寸前といわれた月ですね。その時はもうこの音楽物語はかなり出来ていたと思いますけれども、とにかく世は東西冷戦時代です。鉄のカーテンによって資本主義と共産主義陣営が仕切られている。そして“大男の庭”の初演の前の年、1961年にはベルリンの壁が作られております。鉄のカーテン、ベルリンの壁、壁の向こうは冬の世界、際限なく広がりたい庭と大男がいて大男の心の中には雪解けを願う気持ちも住んでいる。大男はスターリンかもしれないし、雪解けを推進したり再び凍てつきの時代をもたらし冷戦の緊張を高めたりするソ連の指導者フルシチョフなのかもしれません。しかもその大男とか冬に対立する春とか子供の手も血まみれだというところに、また深い含意があると思います。“大男の庭”はワイルドの原作をロシア通ソ連通の岩田宏が換骨奪胎して、ベルリンの壁が建設された東西冷戦時代のさまざまな警告を含んだ音楽物語にした、というのが私の解釈なんですけれども、それはもちろん一つの解釈にすぎません。皆さんはいかがお聴きになられたでしょうか。
書き起こしは以上。
この後に放送された2本、作曲:武満徹、詩:秋山邦晴、朗読:水島弘の“黒い絵画”(1958)も、作曲:武満徹、朗読:水島弘、岸田今日子“ヴォーカリズムA・I”(1956)も、非常に濃厚な作品でした。2人の人間の声を録音し加工して作られたミュージック・コンクレートというのを聴いたのは初めてでした。
繰り返しになりますが、再放送は2015年6月1日(月)午前10時〜午前11時、NHK-FMです。もし時間が間に合うなら、ぜひどうぞ。通常のクラシックの迷宮は毎週土曜日午後10時〜午後11時。直前のFMシアター含め、ラジオは楽しいですよっ!
相馬裕子に乾杯!
相馬さん、ご結婚、ご出産おめでとうございます!
「相馬裕子のCheers!」は今夜の放送をもって最終回を迎え、ポッドキャストでの聴取も今宵限りとなります。歌手デビュー前より続いてきたラジオパーソナリティーとしての長いキャリアもひとまず22年で終止符を打つことに。Cheers!だけで16年半。ふりむけばいつもラジオがあった(Cheers!はラジオチューナーで聴いたことがないけれど・・・)。とても長い時間番組に関わったすべての方々、相馬さん、そしてK-MIXに感謝をこめて、Cheers!
ラジオを長い間聴き続けていると、どうしようもなく最終回に何度も何度もめぐりあう。その中には忘れられない特別な最終回がある。
はいぱぁナイト水曜日の最終回が私にとってそうだった。番組で流れた曲は田原音彦「OVER THERE」、岡村孝子「山あり谷あり」、相馬裕子「東京の空」だった。そして相馬さんが曲紹介で東京の空に込めた思いを話してくれたことを覚えている。
「いつ死んでもいいと思って生きてるから」「どんなことがあっても頑張っていこう」。
高校生活が辛くてはい水にやすらぎを求めていた私にはその力強さがまぶしかった。その言葉に私は勇気をもらった。街中で、川べりの道で、学校帰りの夕焼け空の下で、その曲を聴くたびに明日を思った。少しずつ強くなっていった。頑張るってカンタンじゃない。そこを音楽が言葉が支えてくれるように思った。
最終回のあの瞬間に私は彼女のファンになったのだ。それはきっと私だけではないはず。それをCHEERS!の中に見つけた人もきっといるだろう。番組が終わってもその思いは続いていく。
相馬裕子としての活動はもしかしたらこれが最後になるのかもしれない。けれど、歌とラジオをここまで続けてくれたことに感謝したい。本当にありがとうございました。
そして願わくば、ふたたびステージに立つ相馬さんの歌を聴きたいと思う。それとニューアルバムとラj(ry
名曲のたのしみ
吉田秀和死去の報。5月22日逝去、享年98。合掌。
私にとっては吉田翁=名曲のたのしみであった。昨日の放送(私の視聴室)ではシューベルトの交響曲第1番と2番(第3楽章のメヌエット抜き)を楽しそうに再評価されていた。98歳にしてなお新しい発見があり、そのよろこびを伝え、皆と共有しようとする声がラジオから流れていた。それを聴いて、ああ、まだまだお元気だな、もしかしたらラフマニノフの次もあるかも?なんて思っていた。いや、間違いなくこの番組は続くと思っていたのだ。
素晴らしい人やもの、音楽、風景は気付けていないだけでたくさんあるし、それを発見するよろこびは何歳になってもある。何気なく通り過ぎていくものの中にも、自分はもう知っていると思い込んでいることの中にも、もちろん知らないことの中にも、新しい発見はある。吉田翁は最後までその姿勢を、人生のたのしみ方を私に示してくれた一人だ。
時には鳥の声も聴こえたこのラジオ番組はあとわずかしか放送されない。土曜日の午後9時と木曜日の午前10時の再放送(つまり昨日の再放送は5月31日の午前10時)。聴き続けることで味わいが深まってくる番組なので手放しでおすすめはできないけれど、吉田翁の音楽に対する姿勢や非常にシンプルなラジオ番組があったことはどうか少しでも覚えておいてほしい。
木皿泉脚本のラジオドラマ
が今週2/4(土)夜10時からFMシアター(NHKーFM)で放送される。タイトルは「LET IT PON!〜それでええんよ〜」とのこと。いつもは名曲のたのしみのついでに聴いているFMシアターだけれど、次回は録音しておこうと思う。
内容の良し悪しは聴くまで分からないので強く薦めたりはしませんが、ラジオドラマもいいもんですよ。
以下はどうでもいい話。
去年BSプレミアムで放送された「ハイビジョン特集 しあわせのカタチ〜脚本家・木皿泉創作の世界〜」。その番組の中で22年前のFMシアター(妻鹿年季子(木皿泉)作、ぼくのスカート)が一部流れたのだが、その時刻は10時半過ぎ。つまりFMシアターの真裏にテレビでFMシアターが流れるという妙な偶然(?)であった。
ラジオで放送されていたのはわかぎゑふ作、おしゃべりな夏(の再放送)。この両方のラジオドラマにおいて宮川一朗太が出演していた。テレビとラジオで同時刻にFMシアターが流れることだけでも起こり難いことなのに、同じ俳優の声が流れたというのはちょっと、いや、かなり珍しかったんじゃないかな。
ちなみに宮川の演じた役は22年前のスカートをはく少年役からよくしゃべる関西人の妻を持つ夫役へと移り変わり、年月や成長を感じさせた(笑)
なお、「LET IT PON!〜それでええんよ〜」には宮川出演の記載はなかった(笑)