『ペンギンの島』 タイトルから想像できない痛烈な歴史パロディ!(ネタバレあり)

 今日は小説についての感想です。『ペンギン・ハイウェイ』を見たからというわけではないですが、先日『ペンギンの島』を読み返し、自分なりに整理したいと思い感想を書いてみることにしました。

あらすじ

 

悪魔に騙された聖者マエールは間違って極地のペンギンに洗礼を施してしまう。天上では神が会議を開いて対応を協議、ペンギンたちを人間に返信させて神学上の問題を切り抜けることにし、ここからペンギン国の歴史が始まった。古代から現代、未来に至るフランスの歴史をパロディ化、戯画化に語り直した、ノーベル賞作家A・フランスの知られざる名作。(引用:アナトール・フランス『ペンギンの島』白水社、2018年)

 

 

 アナトール・フランスという作家の、1908年に書かれた作品です。彼はキリスト教への懐疑や悲観主義を抱いていた人間で、その性格が本作の中にも表れています。またこの作品は創作ですが、あらすじの通り実際のフランスの歴史のパロディでもあります。そのためか、本作は歴史家がペンギン人の歴史編纂を目的に作ったということになっています。この記事では、一章ごとに内容を取り上げ、現実の歴史との照合をしていきたいと思います。

第1の書:起源

 キリスト教の聖人マエールが、悪魔に騙され、布教の途中で遭難したことで、ペンギンのいる地へ漂着します。ここで彼は遠くにいたペンギンを人間と勘違いし、誤って布教を施してしまうのです。ここから物語が始まります。この章の見所は神々の会議です。人間でないものへの布教は有効なのか。議論の末、動物には魂が宿っておらず、布教は不完全なため人間へと変身させるということで決定します。そしてマエールは人に変えた彼らを島ごとヨーロッパに連れていく。本章には、キリスト教の人間本位な観念への批判が見られ、アナトール・フランスの皮肉の効いたものとなっています。この章はフランスの歴史というより、キリスト教への問いとなっており、ペンギンという可愛らしさでごまかしつつも、人間主体の傲慢さを指摘しているとことが面白いです。

第2の書:古代

 人間に変えられたペンギンですが、彼らの生活は動物とは変わりませんでした。マエールはそれを見て、貞淑を彼らに求めるため服を着せます。すると彼らの間に美意識や人間的な性欲が芽生え始めます。エロスを排除するための衣服という意図だったものが、裏目に出たわけですね。現代でもそうですよね、「着た方が逆にエロい」「全裸じゃエロくない」といった声はよく聞きます(笑)。さらにマエールは弟子の協力もあり、ペンギンの間に戸籍、身分制を作ります。これにより彼らは良い意味でも悪い意味でも人間的な生活を手に入れるのでした。こうしてペンギン人は姿だけでなく、生活に於いても人間となります。ここがターニングポイントとなり、彼らは様々な意味で「人間らしさ」のある生き方をするようになります。

 本章の魅力はその後、「アルカの竜」の伝説の場面です(アルカとはペンギン国の別称)。クラケンという男が、夜な夜な竜に変装し、ペンギンの島で盗みや人さらいを行っていました。彼はさらった一人の女オルブローズを嫁に迎えます。しかしオルブローズはしたたかな女性で、逆にクラケンに、「竜」の変装を用いて名誉を手に入れる方法を教えます。今までさらった子供たちを竜に変装させ、それをオルブローズとクラケンが打ち倒すという自作自演を仕組んだのです。竜を倒し「食べられていた」子供を救ったクラケンは英雄となり、ペンギン国が彼を頂点とした王政へと移り変わり、本章は終わります。ここでは神話の真相がいかにチープであるかということを示しています。またオルブローズも一度竜に襲われながらも生きながらえたということで聖女として祭り上げられますが、上記の自作自演を仕組んだことに加え、クラケンの外出中には他の男と寝ていたという、とても聖女とは言えない奔放な性格をしています。オルブローズは以降も聖女として語り継がれるのですが、真実を知っている我々からすると随分滑稽に映ってしまいます。宗教上、そしてナショナリズムとしての神話なんてこんなもんだよと言った、アナトール・フランスの皮肉が痛烈に現れた章だと言えますね。個人的にはこの章が一番皮肉が効いていて、かつのちの物語を考える上で重要になっていると思います。

第3の書:中世およびルネサンス

 ここではその後のペンギン国の王朝について、数人の人物をあげながら記述しています。ヨーロッパ中世らしい血なまぐさい戦争や、貴族による理不尽な言動がオムニバス的に楽しめる章となっています。実際にヨーロッパ中世に関する歴史書を読んだことある人なら、「このノリあるわ〜」って思いながら読めますよ!それとルネサンスでは、ダンテの『神曲』のパロディの物語を書いていますが、それよりも、中世の教会によりペンギン人の芸術が破壊されたことへの言及が印象的です。実際、中世では古代ローマギリシアの芸術は失われ、復活したのはイスラームで保存されたものが流入してくるのを待たねばなりませんでした。アナトール・フランスの思想を考えると3章で最も注目すべきところはこのパロディだと言えるでしょう。

第4の書:近代 トランコ

 フランスの歴史といえばナポレオンを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。しかし、『ペンギンの島』では彼のパロディはほとんど存在しません。一応トランコという人物がそうなのでしょうが、「世界の半分を征服したが、最終的にはペンギン国の領土を減少させた。後に残ったのは栄光のみ」ということを、伝聞形式で記述しているにとどまっています。解説では、後にナポレオンモチーフの小説を発表する予定だったためではということでしたが、フランスの歴史を皮肉るのなら、あえてフランスの栄光であるナポレオンをすっ飛ばすというのはわかる気もします。ちなみにフランス革命にもほとんど触れず、いつの間にかペンギン国が共和制へと移行しており驚かされます(笑)。

第5の書:近代 シャティヨン

 この章では、シャティヨンと呼ばれる貴族の青年の物語を、ブーランジェ事件のパロディとして描いています(ブーランジェ事件は軍部や王党派のクーデターのことです。詳しくはhttps://www.y-history.net/appendix/wh1401-075.html)。愛人に惑わされたところなどそっくりなのですが、本章で彼より印象的に記述されているのは、シャティヨンを扇動し、クーデターを計画したアガリック神父です。この人物は一言で言うとクズ。崇高な目的を持っている(と勘違いしている)ために、他人の迷惑を考えられなくなっています。自らの思想のためには、他の犠牲をいとわない人なのです。彼に関わったものは皆不幸になっており、シャティヨンは亡命、資金提供をした友人の神父は財産や事業を停止されてしまいます。にもかかわらず彼は計画の失敗を自分の責任と考えず、懲りずに次章でも登場します。権威にかまけ、他を顧みない、しかもそれに後ろめたさを感じていないアガリック神父は、まさにアナトール・フランスの批判したいキリスト教の象徴なのではないでしょうか。

第6の書:近代 8万束の秣事件

 ここでは「ドレフュス事件」(https://www.y-history.net/appendix/wh1401-076.html)のパロディとして、ピロと呼ばれるユダヤ人が秣(馬の餌の干し草のこと)を隣国へ売り飛ばしたと冤罪をかけられる事件が記述されています。本章は最も長く、アナトール・フランスが実際にドレフュス事件に関心を持っていたことからも、ここに力を入れていることがわかります。更に、ピロへの差別にはパロディを用いずユダヤ人差別だということを直接的に表現しており、読者へのメッセージ性の強い章であることもわかります。本章で印象的なのはペンギン人の将軍で、冤罪をかけた人物であるグレートークの言葉。以下は、ピロを有罪とする証拠を、彼の部下が集めている(冤罪なのでそもそもないのですが)場面です。

 

 「証拠なんかないほうが、もっといいかもしれないんだ。前にも君に言ったはずだよ、パンテル君、否定しがたい証拠はただ一つしかない。それは犯人の(あるいは無実の者の、どっちだって構わないさ)自白だってね。」

「証拠としては、概して偽物は本物よりまさっとるもんだ。第一、事件の必要に応じて、注文に合わせて、あつらえどおりに、特別に作ったものだし、まただからこそ正確でもあるし、正当でもあるからな。」(アナトール・フランス『ペンギンの島』白水社、2018年、246〜247ページ)

 

 

 ……読んでいて頭が痛くなりますよね。アナトール・フランスがいかに反ユダヤ主義者、ドレフュス事件を引き起こした人を軽蔑していたのかということが、グレートークの言葉から読み取れると思います。ちなみに前章で登場したアガリック神父も、ピロ事件に対し軍部を支持する形で参加します。本当こいつは……。

 ピロは、コロンバン(ドレフュスを擁護した人物のゾラがモチーフ)や家族、そして証拠の不備を暴いてくれたショースピエ判事の助けもあり、無事に無罪となります。8万束の秣事件は、反ユダヤを痛烈に批判するパロディです。他の章に比べ、アナトール・フランスの主張が強く表れている部分だと思います。更にはビドー・コキーユという、彼をモチーフとしたキャラクターの語りから、他の章では現れなかった彼の主観が大きく入り込んでいるのも特徴です。彼の、現実でも積極的にドレフュス事件に関わっていたという経験が染み込んだ、最も主観的で、最も力のこもった章がここだと言えます。

第7の書:近代 セレス夫人

 この章は、セレス夫人という女性が、成り上りを目指して、内閣の大臣の妻となり、さらには首相とも関係を持つ物語です。傾国の美女的な感じですかね。そうして嫉妬に狂った大臣が国を混乱させ、隣国はこのスキャンダルを厳しく非難、ペンギン国内情勢は大きく動揺します。内閣を立て直すため海外軍事遠征を行うも、それへの隣国の批判、経済危機から、ついには世界を巻き込む戦争へと発展していきます。一人の女性をめぐる問題が、何人もの人の命を奪う大惨事へと発展していくこの章は、帝国主義、資本主義の暴走を危惧するアナトール・フランスの思いがわかります。そして、この章にはかなり驚きの要素があります。世界を巻き込む大戦へと発展するという内容、これは現代の我々から見れば二つの世界大戦を思い浮かべるものですよね。しかし『ペンギンの島』が書かれたのは1908年、第一次世界大戦が始まるのが1914年ですから、これは予言とも言えるのものなのです!彼の危惧は見事に的中したというわけですね。『ペンギンの島』では実際の世界大戦の時のような複雑な国際関係が存在していたのか書かれておらず、全く同じ出来事ではありませんが、ペンギン国一国の中で、膨張する資本主義の行く末を予言したアナトール・フランスが当時の状況をどう捉えていたのか、本章を読めばわかるようになっています。

第8の書:未来

 歴史書で未来なんて書いていいのかとも思いますが、そもそも歴史パロディ物なのでそういうことは言いっこなしで。戦争が終わろうとも人々はその原因を顧みることなく、より一層の工業化へと突き進んでいきます。冒頭にはそれを象徴する一文が。

 

 人々はいかに建物を高くしても、十分と思わなかった。ますます高くしていっった。(アナトール・フランス『ペンギンの島』白水社、2018年、346ページ)

 

 

 

 資本主義、工業化の暴走が止まることなかったことを示した文章です。そして人々の間に経済格差が生まれ、治安の悪化、再びの大戦へと突き進みます。1908年時点で世界大戦の予言とも言える文章を書いたアナトール・フランスですが、ここではそれが繰り返されることも予言しており、人間の愚かさに対する彼の悲観的な見方が反映されています。本作の最後では行き過ぎた文明により世界が滅びてしまうのですが、やがて生き延びた人類が再び文明を築き上げる中で、上の引用はもう一度使用され、文明が滅びようとも歴史が繰り返されることを示唆してこの物語は終わります。歴史は循環する、そして人間の愚かさも。『ペンギンの島』は、フランス史のパロディ、キリスト教のパロディであると同時に、人間そのものを「ペンギン人」という架空の存在でパロディ化し、皮肉るものでもあったのです。

 

まとめ

 いかがだったでしょうか。全部を簡単に見ていくと、1、2の書ではキリスト教批判、3から6の書ではフランスの史実になぞらえたヨーロッパのパロディ、そして7、8の書では文明の暴走への批判と悲惨な戦争が繰り返される未来を危惧していたということがわかりますね。ペンギンという可愛らしく、和む存在に人間の愚かさを背負わせることで、見事に人間社会のパロディとなっているところが本作の特徴ですが、そのパロディで行われる批判がかなり深く、未来への言及も見られるところが最大の魅力であると言えるでしょう。その他にも、物語で登場する聖職者の引用する聖書の一句が絶妙におかしいなど、歴史に精通していればしているほど笑えるネタも満載なこの『ペンギンの島』。決して有名な作品ではないですが、私たち現代人にも刺さるアナトール・フランスの思想を、ペンギンを介して学ぶことのできる傑作です。ぜひ読んでみてください!

 

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このマンガがすごい!『地獄楽』の魅力を個人的に紹介(ネタバレあり)

・地獄楽

集英社の漫画アプリ『少年ジャンプ+』で常に上位にある超期待作、それが『地獄楽』です。ジャンルとしてはバトル、人間ドラマといったところでしょうか。作者は賀来ゆうじさんで、以前には『FANTASMA』という作品をジャンプSQで連載していました。

あらすじ

時は徳川将軍11代目となる頃――。かつて最強の忍として、畏れられた“画眉丸”は抜け忍として囚われていた。そんな中、打ち首執行人を務める“山田浅ェ門佐切”から無罪放免になる為の条件を突きつけられる。その条件とは極楽浄土と噂の地で「不老不死の仙薬」を手に入れること…!!美麗師・賀来ゆうじが描く忍法浪漫活劇いざ開幕!!

引用https://shonenjumpplus.com/episode/13932016480029295972

 

 あらすじの通り、抜け忍の画眉丸が、執行人とともに謎の島を探索、その中で敵と戦う物語です。僕の考えるこの作品の魅力はズバリエグさ!その中でも①登場人物のエグさ、②エグイが幻想的な世界観という二つに特に注目しました。

それをこれから紹介していきます。

①登場人物のエグさ

 島を探索することになる登場人物は、死刑囚と死刑執行人のペアです。彼らは大罪人や生まれた時から死刑に関わってきた人間なため、どのキャラも人を殺すことにためらいがない(正確にはそうでない場面もありますが…)。これは主人公も例外ではありません。

f:id:npapapa:20180907230357j:plain(出典:『地獄楽1』賀来ゆうじ、集英社、2018年)

 生まれた時から人殺しの忍として育てられてきた画眉丸は、殺すことへの抵抗感はほとんどなくなっています。ただ、彼の場合、「愛する人の元に帰る」という大義名分があり、彼はそのためならためたいなく人を殺すことができるという背景があるのです。他のキャラクターも殺人への抵抗は少ないですが、それぞれそこに至るまでの過程が異なります。本作を読み進める際は、死刑囚たちの無罪になりたい理由、そして彼らの命の扱いかたに注目してみるのも面白いんじゃないでしょうか。きっとキャラクターの理解が深まり、一層物語に没入しやすくなると思います。

②エグイが幻想的な世界観

画眉丸たちが向かう島は、作中で極楽浄土のようとされていますが、向かったものは無事に帰ってこれないという地獄のような場所です。そこに向かった人間は「花化」し、命を落としてしまいます。

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 (出典:『地獄楽1』賀来ゆうじ、集英社、2018年)

 島で画眉丸たちは不思議な敵と出会います。道教、仏教の偶像のような敵や人面の虫など、グロテスクなものが多いです。

f:id:npapapa:20180907230800j:plain(出典:『地獄楽1』賀来ゆうじ、集英社、2018年)

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(出典:『地獄楽1』賀来ゆうじ、集英社、2018年)

 この敵の謎を考察することも、作品を楽しむ醍醐味だと思います。仏教、道教が不自然に混ざった「人工的な」怪物である彼らはどのようにして生まれたのかという点は本作の最も重要な謎の一つでしょう。このほかにも、死刑囚同士の戦闘もあります。無罪となれる囚人は一人のみであるため、その座をかけた戦いも起こるのです。この点ではバトルロイヤル的でもあります。魅力的な敵キャラクターとそれらが存在するグロテスクながらも幻想的、すなわち「地獄」のような「極楽」=「地獄楽」な世界観、これが地獄楽のもう一つのエグさです。

 

 いかがでしょうか?自分は「エグさ」溢れる作品、それが『地獄楽』だと考え、それがどこに表れているかということで上の二つの魅力を紹介しました。しかし、本作にはそれ以外にもたくさんの魅力があります。死と隣り合わせの環境とは思えないほどリラックスしたコメディ的掛け合い、電子版ならではのエログロ(そんなきついものはないですけど)など、全部面白いです。単行本のおまけもファン必見の内容ですので是非買ってみてください!

 それに『地獄楽』は次にくるマンガ大賞https://tsugimanga.jp)のウェブマンガ部門で11位を獲得しています!これは過去には同じ集英社作品なら『約束のネバーランド』や『かぐや様は告らせたい』などアニメ化も決まっている作品がランクインしており、『地獄楽』のアニメ化もかなり期待できますね!

 「ん?でも11位ってそんな高くなくない?」と思った人!多いと思いますがこれはかなりすごいことなんです!なぜかというと『地獄楽』のエントリーしていた部門は上の二つと異なり「ウェブマンガ部門」であるからです。電子書籍、アプリで読むという特性上、ランクインしている作品は一話完結、日常モノなど。手軽に、短い時間を使って読める作品が大半です。ストーリーモノ、重厚な人間ドラマである時点でこの部門では不利なのに、『地獄楽』は11位まで食い込んだ。すごくないですか!?実際『地獄楽』より上のストーリーモノはマンガワンの『血と灰の女王』1作のみ!もし「ウェブマンガ部門」に「ストーリーモノ編」というカテゴリ分けがあったら2位なんです!不利な場所でもこれほど輝く「エグイ」作品、それが『地獄楽』なんですよ!読んだことない人は是非手にとってみてください!

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ここからネタバレあり!

妄想

「タオ」について

 地獄楽の29話にて、いよいよ「タオ」なる特殊な力が登場しましたね。ドラゴンボールの「戦闘力」、ワンピースの「覇気」、ナルトの「チャクラ」、ブリーチの「霊圧」等々バトル漫画には欠かせないこの特殊な力ですが、タオは万物の力の流れだそうです。効果としては「知覚」「死ぬような攻撃を受けても死ななくなる」など。習得に時間がかかることから「覇気」が一番近いイメージなのかな?効果も見聞色や武装色っぽいし。話的に修行パートはなさそうだけど、全員使いこなすことにはなるのでしょうか。

てんせん様と戦うのは?

 てんせん様とどう戦っていくのか、死刑囚たちの因縁と絡めて考えました。まず現存するキャラを書き出してみましょう。

画眉丸・佐切ペア(主人公)

杠・仙汰ペア(くノ一とオタ)

弔兵衛・桐馬ペア(兄弟)

巖鉄斎・付知(剣豪と解剖ショタ)

ヌルガイ・士遠(先生)

の5組。

ここからメタ的に戦う組み合わせを考えます。てんせん様は7人ですが、トップっぽい普賢上帝は画眉丸ペア。因縁のあるペアとして、ヌルガイペアは典坐の仇を、兄弟ペアは「まぐわっていた」二人との再戦を。これで四人ですね。あとの三人は杠ペア、巖鉄斎ペアが受け持ち、残りは画眉丸の「タオ」修行の成果あたりでしょうか。……いけそうっちゃいけそう(投げやり)。兄弟が二人同時に相手するのは無理あるかな?あとは杠ペアも強さは所々でアピールするものの戦闘シーンが少なく、どれほど戦えるかわからない。剣豪はまだあまりキャラの背景が語られていないが、こういうおっさんキャラはかっこいい相討ちをしそう(根拠はないんですけど)。ストーリー的にはヌルガイペア、そして主人公ということで画眉丸ペアなど、現実味のある、勝ちそうな組み合わせもありますが、あくまで妄想なので……。

 いかんせん戦力が足りないので、もしかするとめいがてんせん様の一人と戦う、なんてこともあるかもしれないですね。それに、一巻で言っていたように追加の死刑囚の存在もあります。てんせん様側にも、現段階で島の創造主が示唆されており、これがどう絡んでくるかによっても戦況は大きく左右されるでしょう。『鬼滅の刃』の無惨様が部下を切り捨てるように、てんせん様の何人かを間引くことも考えられます。もちろん死刑囚・執行人ペアで戦うとも限りませんし、てんせん様の方も味方を使うこともあるでしょう。考え出すときりがないのでそろそろ終わりにしますが、ここでダラダラ書いて何が言いたいかっていうとやっぱり『地獄楽』っててんせん様という一つの要素に注目してもこれだけ謎が深まっていく、続きの待ちきれない作品だってことです。それと、てんせん様絡みの伏線を整理して、これを是非とも回収してほしいという僕の個人的願望。ここまで読んで、てんせん様との戦いについて何かありましたら是非コメントお願いします!以上、長文に付き合っていただきありがとうございました!

 

参考文献・画像引用

『地獄楽』1〜3巻、賀来ゆうじ、集英社、2018年

『ロジカとラッカセイ』ー心がざわつく「ほのぼのダーク」ー(途中ネタバレあり)

◯『ロジカとラッカセイ

 先日新宿のアニメイトで新刊コーナーをぶらぶらしていると、自分の琴線にゴリゴリ触れる漫画を発見しました。思わずジャケ買いしてしまったのですが、中身を見てもとても自分好み!いてもたってもいられず感想を書くことにしました。

 

 

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(表紙です。柔らかなタッチの可愛らし作画ですね!ちなみに人間が左がラッカセイ、右のなんj民みたいなのがロジカです。)

あらすじ

 

—人類が滅んだとしても、ひとりぼっちじゃないよ。—

 人類が滅亡した未来の地球でただ一人の人間ラッカセイと、彼女(彼?)と暮らす変な生き物ロジカ。住む生き物も環境も変わってしまった星で、二人は平穏で何気ない日常を過ごしているのだが…

 

 簡単に言えば異世界となった地球で暮らす人間と不思議な生き物たちの日常を描いた、SF(少し不思議)モノです。基本的には前時代の遺物(レコードなど)で遊んだり、誕生日を祝うために森を探索したりなど、何の変哲も無い日常モノです。柔らかな絵柄で描かれる不思議な世界での日常はそれだけでも面白いのですが、この作品はそれだけで無いのです。

 

ここからネタバレあり!

 

 

「ほのぼのダーク」な世界観

 コミックスの帯にも書かれているのですが、この作品の真の魅力は「ほのぼのダーク」。字面からわかる通り、ほのぼのした日常モノの中に、どこか薄暗いエンディングが存在しているのです。この代表的なものはコミックス第5話「牛」。シチューを作るため、牛乳を求めて牧場へ向かうロジカとラッカセイですが、いつもの牧場は閉まっており、別の場所へ。そこで牛乳をもらい満足して帰る二人なのですが、一匹の牛がついてきていたことに気づきます。追い返しても無視しても一向に帰らない牛に辟易して満足にシチューを食べられないまま寝た二人ですが、起きると牛が家にまで入ってきたことに驚く。困った二人の前に牧場主が牛を迎えに来たことでこの牛は帰り、問題は解決します。

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(画像は牛がついてきた様子。どことなく人みたいな不思議な生き物になっています。)

 ……とここまでは普通にほのぼのしたストーリーですが、エンディングでは恐ろしい結末を迎えます。後日お詫びとして牧場主から送られてきたのは「びぃふ」という、かつて人類が食べていたもの。まんま牛肉です。ラストでは「ちょっと牛乳の味もするな!」と言いながら美味しそうに「びぃふ」を食べるラッカセイが映って終了。

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(明らかに牛肉ですね。この未来から逃げるために牛はついてきたのでしょうか…。) 

どうでしょうか。明示されてはいないものの「その牛食べられちゃったんだ……」と陰鬱な気持ちになる一方、「いや家畜が食べられただけだし現代と変わらなくない?」と思った方もいるでしょう。しかし、恐ろしいのはここからなんです……。

 上の画像を見てもらえると分かると思うのですが、牛は私たちの過ごす世界のそれとは形が異なり、二足歩行で移動もします。なんとも変な生き物ですね。なぜこれが問題なのか。『ロジカとラッカセイ』の生き物は皆、人間ではない変な生き物だからなのです!彼らと牛の違いは、言葉を話すか否かという差があるにせよ、人間ではないという点では同じ。なら、ロジカたちだってもしかしたら食われる側になっていたのではないでしょうか。さらに、書きそびれていましたがこの世界では肉食の文化が失われています。それにもかかわらず、なぜ牧場主は肉食加工をできたのか?この「牛」という話は、単に牛が殺され肉にされただけではない。いつもと違う場所にロジカとラッカセイが出向いたために、失われた肉食文化の継承者の存在、そしてこの世界での生き物の間で、いかなる線引きで支配し支配される関係が決まっているのかという問題に読者は気づかされるのです。

 いかがでしょうか。この1話の中に、作品の世界観の謎がこんなにも隠されているのです。作中世界の謎に関わる重要な話であり、それに触れることでこの世界の闇にも触れることができる。第5話「牛」は、「ほのぼのダーク」を象徴するお話だということがわかりますね。こう考えると、『ロジカとラッカセイ』の、SF日常モノにとどまらない魅力が現れていることがわかってもらえたと思います。

補足

 ここまで『ロジカとラッカセイ』について書いてきましたが、僕がこの作品について書こうと思ったのはこれと類似した雰囲気を持つある漫画家を思い出したからです。「阿部共実」という漫画家をご存知でしょうか。『ちーちゃんはちょっと足りない』でこの漫画がすごい!の2015オンナ編1位を獲得し、それ以外にも『空が灰色だから』、『月曜日の友達』などの作品を書いている、知る人ぞ知る異才です。彼の漫画も「心がざわつく」と評され、一見可愛い絵柄の中に隠されたダークな雰囲気が読む人を魅了しました。この表現が、『ロジカとラッカセイ』の中にも見て取れるのです。もちろん、違いはあります。阿部共実作品は現代日本を舞台の田舎を舞台とした少年少女の物語で、世界設定はまるで異なります。しかし、登場人物が見せるちょっとした闇、どこか現実世界と異なるおかしな雰囲気を持った世界観など、両者に共通するものは少なくないと考えます。もしこのブログを読んで『ロジカとラッカセイ』を読んだという方がいらっしゃいましたら、阿部共実作品もぜひ手に取り、両方とも楽しんでもらえたら、と思います。どっちも読んでるという方はぜひコメントしてください!この二つはメジャーと言えるような作品ではないので周りに語れる人がいないんです(泣)。

 

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画像引用:紀ノ目『ロジカとラッカセイ』新潮社、2018年

『ペンギン・ハイウェイ』お姉さんと少年の甘酸っぱい関係性とSFノスタルジー(ネタバレなし)

ペンギン・ハイウェイ感想

 今更ながら今日は『ペンギン・ハイウェイ』を見に行ってきました!原作は2012年に刊行された小説なのでもしかしたら語り尽くされた作品かもしれませんが、感動が冷めやらぬうちに映画の魅力的だった点や感想を書いていこうと思います。

 あらすじ

 

 勉強熱心な小学四年生の主人公アオヤマ君はミステリアスで優しく、胸が大きい(重要)お姉さんに興味津々。お姉さんについての研究を続けていたある日、街の中でペンギンを発見する。彼はこの謎についても研究を始めるのだが、研究を進めていくうちにお姉さんがペンギンを生み出していること、クラスメイトのハマモトさんの研究する謎の球体「海」の存在など、次々と不可解な現象が起こっていることに気づく。果たしてアオヤマくんは、街で起こるこれらの謎を解明することができるのか。

 

 あらすじの通り、小学生が、ペンギンが発生することやそれに連なる謎に挑む物語です。作中の時期が夏ということもあり、壮大な「自由研究」と言っていいでしょう。それに適度に大人たちが介入するバランスは、自分の小学生時代を思い出すようなノスタルジーを感じさせてくれます。そんな『ペンギン・ハイウェイ』ですが、次の2点が特に印象に残ったので語りたいと思います。

①リアルなおねショタである!
②小学生を超えない!

 こんだけだとわかりにくいと思うんで以下で説明していきます。

①リアルなおねショタである!

 そもそもおねショタってご存知ですか?簡単に言うとお姉さん×少年って事です。夏アニメの『すのはら荘の管理人さん』などがわかりやすいですかね。『ペンギン・ハイウェイ』も、アオヤマ君とお姉さんがこの関係にあるのですが、彼らの関係は非常にリアルなものなのです。アオヤマ君はお姉さんに好意を抱いています。しかし、彼は小学生で、まだ恋愛感情についてよくわかっていない。お姉さんを見ると嬉しい気持ちになったり、いつもお姉さんのおっぱいばっかり見ちゃってたりしてますけど、それが恋愛感情だとは気づいていないのです。

 一方のお姉さんも、アオヤマ君の好意には気づいているような素振りを見せながらも、彼の気持ちの正体を教えたり、それを受け入れたりといったことはしません。あくまではぐらかし、クラスメイトのハマモトさんとくっつけようとするなど、子供の世界を壊さないよう一歩引いた立ち位置に留まっています。

 この関係性が実にリアル!創作だと年の差にかかわらず恋愛関係になることも多いですが、大人と子供の恋愛は現実では難しいもの。アオヤマ君は自覚がなく、逆にお姉さんはそんな彼の気持ちに気づいているからこそ恋愛には踏み込まない。それゆえ生まれた不思議な甘酸っぱい関係性=リアルなおねショタが、『ペンギン・ハイウェイ』ではたっぷりと楽しむことができます。

②小学生を超えない!

 ①で述べたように、大人ぶりながらもその恋愛観は小学生らしいアオヤマ君。彼の研究方法についても、小学生の範疇を超えることはありません。ペンギンのスケッチや聞き込み、気象の考察など、あくまでできそうなことを地道にやっているだけなのです。超常現象は起こるものの、それを解決してくれる、「デウス・エクス・マキナ」(思いがけないどんでん返し)を起こすアイテムは存在しないのです。そのため、物語は破綻なく、丁寧にエンディングへと向かっていくことができています。あくまで「自由研究」の範囲で行われるアオヤマ君たちの研究。だからこそ私たちは彼らに共感し、ノスタルジーを感じることができるんだと思います。

 

 以上が僕の思う『ペンギン・ハイウェイ』の魅力です。はじめはペンギンがかわいいな〜と思って見に行ったのですが、懐かしい気持ちになるわSF好きとしてはたまらん世界観だわで超骨太なストーリーでした。そこに生きる登場人物たちも描写がリアルで、異常な出来事が起こっているのに自分が経験した出来事と重ね合わせることもできる、不思議な作品でした。東京ではもうすぐ公開が終わってしまうそうなので、まだ見てない方は是非!

公式サイト

penguin-highway.com

 

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