Phan Thiet (Binh Thuan) からPhan Rang (Ninh Thuan) へ行くミニバス
バックパッカー的発想だと、典型的な観光ルートではなくても地理的に隣接したスポットを連続して旅行したくなる。
ファンティエット・ムイネーを擁するビントゥアン省から、塩の産地でカナなどの塩田の景色がインスタ映えすると密かに有名なニントゥアン省までの移動もそういうたぐいのものだ
旧正月3日にあたる2月3日に、Binh Thuan省Phan ThietからNinh Thuan省Ca Naまで移動したかった。
宿の人に聞いても、バスターミナルで聞いても、運休とのこと。
バスターミナルにPhan Rang行きのXe Khach(都市間高速バス)の表示はあるのだが、旧正月は運休しているらしい。
こういうときは、南北バスルートは必ずCa Naを通るので、Nha Trang行きのバスに同乗させてもらうのがセオリーだが、Nha Trang行きのバス会社の窓口で途中下車をリクエストしても断られてしまった。
仕方ないので、国道上で高速バスを捕まえる方法をトライするため、ハノイではあまり使う機会のない流しのセオムに、国道沿い行ってもらうことにした。
そうしたら、どうやらこのセオムの運転手の方が、Phan Rang行きの出発地を知っているらしい。
それたしか、だいたいこのへん。
着いてみると、確かにPhan Rangの看板を掲げたミニバスが停まっているんである。
時刻は確か13時少し前だったかと思うが、ほどなく出発。
料金は1人250k、明らかにテト価格だけれども野暮なことは言わない。
ルートはムイネーを通らないQL1A経由であった。カナまで1時間40分ほどで到着。
このルートの頻度はわからないが、30分ヘッドなど割と高頻度で行っているような雰囲気であった。おそらく時刻表がないタイプの路線だ。
ちなみにカナからファンザンへの脱出も、宿の人から路線バス利用をアドバイスされたため、
10時半ごろに道端に立ってミニバスっぽい車両に手を振り続けていると10分程度で当たりが引けた。こちらは50kであった。
このルートは同じNinh Thuan省内のため、路線バスも朝7時から定期的にあるようだったが、使わなかった。
Binh Thuan - Ninh Thuan間の省間移動に比べ、Ninh Thuan省内の移動は色々な手段がある。
Ninh Thuanの方が田舎度が高いため、Phan Thiet側の住民でNinh Thuan方面の行き方を知っている人がほとんどいないというのが、やや難易度の高いポイントであった。
料金表が無いため旅行者からは敬遠されやすいセオムだが、よく考えればセオムの大きな生業として「バス停まで連れて行く」というのはどこの地方でも確立しているため、この局面では頼ることを思いつくべき相手であった。
運の良さも味方し、ほとんどタイムロスなく省間移動をすることができた。
仕事で使えるベトナム語を学びたい人にどう伝えるか
語学に王道なし、万人に通じる方法は無い。
特に音から入る人と、文字から入る人の隔たりはかなりある。
目標:ベトナム語で仕事ができるようになる
前提:文字から入る人
ベトナム語のかんたんなところ
- 漢語の知識を活用できる
- 活用・曲用がないため文法の暗記事項が少ない
- ベトナム語母語話者はおしなべて日本語母語話者に興味があり、また練習相手を見つけることが比較的容易
- 寛容度が高く、少数の基本的なルールを守って語をつなげれば、よほどのことが無い限り理解可能な文になる
- 上記少数の基本的なルールは強固で普遍的なものであり、方言や若者言葉などにも敷衍可能である。
その有り難い効果として「化石化した文法」というのが極めて少ない。方言、俗語、文章の硬さの調整、単純な同義表現などは、あくまで文構造を変えない範囲で現れ、単語の入れ替えの範囲にとどまることが多い。結果として文脈スイッチングが「互換な語」を覚えることで対応可能である。
- 互換によって同義語を入れ替えることが頻繁に行われるということは、複合名詞の構成要素を、常に共時態の中で新しい方へと入れ替える実践が行われてきたと考えられる。その結果であろうが、化石化した名詞も非常に少ない。つまり実用的な複合名詞を構成する個々の名詞は、ほとんど単独でも理解可能なのである。
ベトナム語の難しいところ
- 一般的には発音が難しいと解されている。難しいと感じる学習者が多いのは以下の理由によるものであろう
1. 母語話者も含め、声調を正しく教えられる知識を持つ者が居ない。ピッチだけでなく長さと声門閉鎖もコントロールする必要があることぐらいは知られるようになったが、sắcとnặngが2種類あること、個人のクセによって変わる部分と変わらない部分はどこかなどはかなり専門的な本にも掲載されていない。学習者の耳の良さに頼るのが現状であろう。
2. 有気音と無気音、単音節性、非破裂子音など、世界規模で見ればありふれた現象ではあるものの(例えば韓国語はこの多くを備えている)、日本語と英語しか知らない者には見慣れない特徴を持っている
- 人口構成における20代の厚みが大きいなどの理由で、略語、口語、方言や俗語との境目が曖昧な語、世代を選ぶ流行語、発音がベトナム語化した外来語など、紙上学習でカバーしづらい知識が仕事上などの準公的な場にも登場しうる。
- 寛容度の高い文法の裏返しで、よりどころとすべき厳密なルールが無く、自然な文産生を机上学習で学ぶことが難しい(正しい文で意味も伝わるのだが不自然、という範囲が広い)。
- 文脈依存性が高く、含まれる意味の密度が高い。互いの了解がある知識や文脈にはあえて言及せず、「みなまで言わない」の原則に従い、ごく短い文に多くの情報が詰まっているため、単語個々の意味は分かっても、何度読んでも伝えたいことがわからない、という状況も多発し、初学者の決意を挫きがちである。
一例としては、冗談が日常生活において重要な娯楽でありながら、冗談の面白さの感覚は日本語圏とは大きく異なるため、初学者のうちは、本気で言っているのか判断しづらい発話に惑わされがちである。
仕事でベトナム語が必要な日本語母語話者に、覚えてもらうことは可能なのか
自分は自分なりの語学学習の方法が完全に確立してしまったので、時間を投入すれば見合った結果が得られるという「作業」になってしまったが、
ほとんどの人は自分なりの確立した語学学習の方法を持っていないので、方法をコロコロ変えたりして、実際に学習している時間がすごく少なかったりする。
正解なんかないんだから、とりあえず手元にある方法でやればいい、というのは通り抜けた側の理屈に過ぎなくて、
やはり膨大な労力を投入するのだから、結果として使い物になるか(もとが取れるのか)が心配になって本腰を入れられないのは人間らしい感情というべきであろう。
そのせいで結果が出ないので、元も子もないわけだが、それを言うならそもそも、ベトナム語がどうしても必要という状況にある日本語母語話者自体がほとんど存在しないので、趣味で勉強する人にそんな発破をかけるわけにもいかない。
とりあえずおだてながら(ベトナム人の得意技)、勉強することをやめないでいてもらうのが消極的対策となるだろう。
難しいところは全部回避する。例えばチャットで主に使ってもらえば、発音のダメ出しを食らってモチベーションを下げずに済む。500単語覚えるぐらいのところまで、これで引っ張ろう。
500単語覚えるのはそれなりに積極的な努力を要求するので、そこまで引っ張ればサンクコスト効果でしばらくやめないでもらえるだろう。
それでも、ある期間(最低半年)、ベトナム語を第一優先順位において集中する期間を作ることは避けられないだろうな。周りで集中できる環境を作ってやる必要がある。仕事を減らすとかしてでも。
自分の考えを表明しなければ仕事ではない。
その意味で、仕事で使えるベトナム語は5000語からだろう(いかなる言語でもこのくらいだと思う。厳密に言えば、日本語学習は英語学習に比べて多くの語数を要求するらしいが)。
できれば例文ごと暗記してほしい。チャンクで頭に入っていると、文産生の瞬発力が段違いなので。
でもそんな例文ごと運用可能な単語帳は存在しないので、自分で作るしか無いのである。多くの人はこれをやらない。無駄な労力を使うのが不安だから。
最適化された教材がない分野って、そうなのである。人々は明らかにやるべきことをやらない。無駄な労力を使うのが不安だから。
なんとも再現性のない感じだ。しかしまあ、周囲の視点からも、試して見る価値はある。再現性がないからこそ、異能といえる。
7時、閑散のThe Coffee House
この時間にちゃんとカフェの席について、サテ何しようかと考えられているのいつぶりだろう。
ちゃんとこうやって午後7時のThe Coffee Houseの席に再び戻ってくるまでに、いろんなことに振り回されて、だいたいが無駄だったかもしれないがたぶん次は同じ失敗はしない。
そして多少はこころが和らぐこともあった。
謎が解けて謎がわかる
太古の昔らき☆すたのキャラソンで日下部みさおっていう人がいて「さてさて謎は解けたみさおは日下部だ」と言ってたのがずーっと耳についてる。
謎がとけるというのは自分が解きたい謎がなんなのかわかるということ、つまり自分が何なのかわかるということなのかもしれん。
いろんなインプットがはずみで突然結実して目標設定や優先順位がゴソッと変わり、しかし変わった後の方が変わる前の価値をもより強固に支持している、という体験があった。
語学への時間投資は減ってしまったが、相変わらず語学好きだわ。韓国語やりて。
一見状況に流されたように見えて、つよいプロマネなるのが実は自分にとっても最適解な感じはしてる。
つよいエンジニアはなりたいけど、ビジネス語れるプロマネになる手段としてが一つと、好奇心を満たすためが一つで、
基礎からやるなら時間かけてやりゃいいや。
写真撮ろう。
でかい会社一度入っとく?みたいな気持ちと、進めてることの全体が見えないの面白くなくなっちゃうかも?みたいな気持ちがある。
でかい仕事の全体が見える場所に潜り込みたい。
テコと味方
今週めちゃくちゃ調子出ない(調子出てない期間を言明上で今週に限定することによって頑張って自信を取り戻そうとしています)
先週あんなにノリノリだったのなんだったかなあ…。
やっぱ成果が広げられる形に固まらないのがよくないんだ。
+1をやろう。意味わからないけど。
大事な時期には、自信は割と単調に上がっていく見せ方しないとな
まだ下げは見せられる段階じゃない
ここは一貫して期待水準以上を維持していく
期待値のコントロールは営業のテコ。中身ではないが大事なこと。
予防線は相手に張らせてあげる余裕を持つんや。自分が張ってどうする。
一緒に飛んであげるのがサービス業。
しかし昔はベトナム、自己主張だけでなんとかなると思ってたけど、それは組織の層をくぐり抜ける時間を要しない場合だけで、結局生活に必要なことに時間と手間がかかりすぎるな。
ほんとに真剣になればなるほど、人間関係なんか頼りにならなくて、金で解決するしか方法がないわ。
組織の層をくぐり抜けるのに語学なんかなんの役にも立たん。
毎日ブンを食べるのが大好きで、ベトナム人家族の中に部屋を借りて暮らして、朝から晩までベトナム語ばかり喋って、同じ空気を吸って生きてるつもりでも、
一度日常のルーチンから外れたことをしようとすると、何倍もの時間とコストがかかって、
望むと望まざるとそのようなことはやってくるんだ。
あー混ざれると思うなんて、同様に処遇してもらえば満足なんて、バカバカしい。
仲間にはなれるけど、友達にもなれるけど、味方につけられない。
味方につけられるのは、運と状況と偶然と気まぐれな日本人。
ケチるな! 勝ちに投資してやり抜け。それがやりたかったことのはずだろ!
オフィスでの仕事とカフェでの仕事
頭が腐ってるからオフィスでの仕事は定型的なものしかできなくなってる、ちゃんと頭の腐ったところを捨てないと。
カフェでの仕事はわりと自由にできるが、時間配分も自由になってしまう…
端的に言うとサボってしまうし、今日なんか店員命令で無理無理な席に移動させられて時間ロスしたり
ほんとはオフィスでも言い訳せずに枠組みづくりな仕事ができると良いんだけど。
土日までやらんですむし。
朝のうちが対外コミュニケーションに取られてしまうのが、PM時代とは異なる難しいとこやな。
朝って枠組みがまだ決まってないことをやるのに最高な時間なのに。
午後六時、まだ明るい。時間感覚が狂う。
でも、曇り続きが欠点とされるハノイで青空続きはとてもいいことだね。
めまぐるしく独善的
やばいね、不安を自信で覆い隠すんじゃなくて、不安を持ったときに突然開けた世界で食べ放題!
もう何が起こっても最初はショックだけど数日のうちに全部味方につけられる気がしてきた。
なんにも持ち物ないからやる気しかない。
最初の不安の段階ではこんなふうな精神状態になるなんて思ってもみないけど、
突然変な気分が湧いてくる。いや躁鬱とかじゃないよ。そういうやつじゃない。
ちゃんと正しく外的要因ドリブンな不安。
でも勉強する系の本とかちゃんと頭に刷り込むのはタスクリスト無限に長くしてるだけじゃだめだな~
日常的に処理できるためには定型化が必要なのはわかりきってるんで、語学で。
近視眼は美徳!!!!