にゃんこにっき

青春の象徴 恋のすべて

今年も #yapcjapan のコアスタッフをやりました

ブログを書くまでがヤプシーな結果、まともなブログを書くのがYAPCに行った時だけになっている…!

ちなみに株式会社はてなに入社してるのはフェイクで、株式会社スマートバンクに入社してます。

ということで、今年もコアスタッフでした。前回の感想はこちら。

nyanco15.hatenablog.com

 

家族行事(?)みたいなもんなので、やるやる〜って呑気に発言したけど、実は正直最初の方はモチベーションが全然上がっておらずで(京都でだいぶ頑張ったからかもしれない)今年は何をしようかな…とか考えながら日々を過ごしていたとき、会社のSlackで「YAPC一度は参加してみたい」という発言を見た。

…えっ!?興味持ってくれてるジャン!!!と思っていたら、プロポーザルまで出すぞと言ってくれてるジャン!となって、そしてなんかとんでもない倍率の中2人も登壇することが決定して、おいおいマジかよと思いながらだったらスポンサーするぞ!となり…で趣味だったカンファレンス運営で、仲間が増えた気持ちになり、自分も急にモチベーションが上がりました。安心。

行ってみたいと言ってくれたohbaryeさん、広島だし!と興味持ってくれてそしてベストトークまでとったmitaniさん、参加してくれたメンバー、準備を一緒にやったメンバー、みんなありがとう。

↑この写真好き。

 

ちなみに2人の資料はこちらです。

speakerdeck.com

speakerdeck.com

 

会社としては初めてのYAPCスポンサー。社内のエンジニアから「どういう雰囲気なのかよくわからない」「初参加だしぼっちになりそう」という声を聞いており、そう感じてるならと「初心者もYAPCがめちゃくちゃ楽しみになるイベントにしようよ」と「YAPCで育って今は運営の2人(= karupanerura, papix)」に話してもらうような事前イベントの内容を提案させてもらったところみんながノリに乗ってくれてそこそこ盛り上がった気がします。詳しくはこちら。

blog.smartbank.co.jp

他も色々やったんだけれど、ほとんどみんなが頑張ってくれたので、またその辺は会社のブログで書こう。

 

YAPCスタッフとしての私ですが、だんだん恒例になってきた「受付をよしなにやる」担当としてよしなにやりました。F2キーは結局持ち主見つかっていない。

今回はかなりバタバタしていたので、全然トークも見れず、スポンサーブースも見れず…(たまたまスポンサーブースに行ったときに話しかけてくれた人ありがとう)だったのが悲しかったポイントだろうか…。

でも、自分のカンファレンス運営に対するモチベーションは「みんなが楽しめること」なので、すでに書かれているブログで「本当に参加してよかった!!!」というのを読みまくって元気になっています。どんどん書いて!!!

 

ということで終わってからもかなり疲れていたのか広島を満喫することはできなかったけれど、たまたまやってたエディオンピースウイング広島の無料開放DAYに行き、牡蠣は食べられた。最高。スタジアムもよかった。

来年はどうするか決めてませんが、みんなが楽しめる場所作りに関われるようなことはどんどんやっていきたいな〜。

 

非エンジニアの私が、それでもカンファレンススタッフをやる理由 #yapcjapan

(ブログを書くのが久しぶり!)

 

YAPC::Kyoto 2023にコアスタッフとしてほんとうに長い時間かかわり、そして無事開催までできました。

yapcjapan.org

 

本イベントはYAPC::Kyoto 2020として開催予定だったものが延期になり、ついに開催できたイベントです。

2020の準備をしている時、私は京都に住んでいて、京都が本社の会社*1に所属していました。近所で開催するならチャレンジしたい!というのもあってコアスタッフをやることになったのですが、時が経ち私はその間に関東に引っ越し、結婚、転職など人生のイベントが詰まりに詰まった3年を過ごしておりました。

 

ここでわかる通り私はもう京都にも住んでないし、京都の会社にもいない。なんなら会社のサービスには(前職も含め)今も一行もPerlのコードはない(と思う)。そして何より私は普段Perlどころかコードを全く書かない仕事をしている。というなんか全く関係ない人*2がなんでコアスタッフ?となってる人もいるのではないかと思います。

 

自分の周りにはYAPCが好き、YAPCがなかったら今の自分はない、という人が多く、自分の中では「人を圧倒的に成長させる場所」と認識しています。そんな場所を守りたいし、これからも発展させたい気持ちとやる気さえあれば、まあ住んでるところが変わろうがなんだろうがいけるっしょ!!!ということで続けてやっていくぞ!というのでこのままやることにしました。

 

結果、本当にやってよかったと思っています。もちろんよかったことだけじゃなかったです。だって準備段階でも色々ミスしたり休日を犠牲にすることだってあります。当日朝早いし。普段パソコンしかしてないのに一日中たちっぱなしだし。やらないよりやって反省したり「あー大変だったな」と思う方がずっといいし、私も成長できるのです。

自分はこれからも成長したいし、みんなの成長の場を作っていきたいので、これからも何かしらで貢献できるように頑張りたいと思っています。

 

「スタッフとかやってみたいけど、私なんかができるかしら…?」と思っているあなた。安心してください。私も今回初めてカンファレンスのコアスタッフをやりました。数年前に初めて(YAPCではありませんが)カンファレンスのボランティアスタッフ*3もやりました。その時なんてカンファレンスに参加したこともなかったです。だって普通のOLでしたし。

来年も開催される予定!?なのでこれを読んで勇気を出してまずはボランティアからでも来年応募してください!

 

最後に。

スポンサーの皆さま、ご協力ありがとうございました。

素敵なデザインやグッズ、最高すぎました。個人的には在職中にリアルに会えなかった前職の同僚にやっと会えて嬉しかったです。

ゲスト&スピーカーの皆さま、本当に素敵なトークありがとうございました。nekokakさんとonishiさんの話で感動してたんですが、ベストトークをとられたあらたまさんのコメントでさらに泣きそうになりました。。(後日アーカイブみたい…)

そして参加者の皆さん、本当にきていただいてありがとうございました!楽しそうな様子をみてるだけで自分が楽しかったです。

また会おうね!

 

*1:今回スポンサーもしてくれた Helpfeel社

*2:まあ関係ないと言ってますが、夫が完関係者なので、関係ないとも言い切れないと言われたらそれはそう。でも別にそうじゃなくてもやってたと思う

*3:

普通のOLが #rubykaigi でHelperをやった話 - にゃんこにっき

昔ながらの喫茶店と冷コー

今年のはじめに祖父が亡くなった。

祖父はつい2年くらい前まで働いていて、祖母曰く年相応に物忘れもするし、いい歳だし、ということでやめることになり、その後すぐに痴呆が激しくなったのと、体を悪くしたことが重なり入院し、そのままかえらぬ人となった。

 

身内が亡くなったのはこれが初めてではないが、とにかく悲しかった。亡くなったと知らせをもらってから毎日泣いていた。

家庭の事情で高校生のころ私はしばらく祖父母の家で暮らしていた。そのときの祖父の思い出も、ずっと仕事をしている姿だった。私が学校にいくときは仕事をしていて、とにかく仕事をしている印象が強かった。それでも、わたしたち孫のことはとてもかわいがってくれ、とくに私は初孫ということもあって、記憶がなくなっていた晩年も私のことは覚えていたようだ。

 

そんな祖父の、仕事している姿をみるのが私は好きだった。小さい頃は遊びに行っては眺めていてずっと見ていると怒られたりしたものだ。なぜ眺めていたかというと、機械が動いてるのを見るのも好きだったというのもあるが、仕事が終わった後に喫茶店に連れて行ってくれたことがあったから。

そんなにその回数は多くないのに、祖父がそのときアイスコーヒーのことを「冷コーちょうだい」と注文していたこと、かき氷を頼んでくれたこと、当時の喫茶店はたばこくさくて、今でも昔ながらの喫茶店にいくとその時のことを思い出す。

 

残された祖母は近所に住んでる私の叔母家族の家で一緒に暮らすこととなり、私の、私たちのたくさんの思い出があった家は売ることとなった。気になってインターネットで検索してみたら、本当に更地になっていて、小さい頃に大黒柱にいとこたちと一緒に書いた自分達の身長のこととか、祖父の仕事で使ってたチョークで落書きしたこととか、たくさん思い出してしまった。もうあの光景は、本当に自分の思い出だけなんだな。

 

最近やっと自分の中では落ち着いてきたのでブログに書いた。

神社に行ったりパーティーをしたりした

結婚式をした。

なぜ京都で、貴船神社なのかと家族や友人にも尋ねらてなんとなく照れくさくて若干濁したけれど2人で初めて訪れた神社が貴船神社であったからでした。こんなご時世なので大規模なことはできないなと思い、家族だけで式は行うか…と思ったものの、友人も見学できますよ、とのことでふらっと声をかけたら何人かやってきてれくれてよかった。自分たちはインターネットしてないと出会ってなかったので、インターネットで知り合った友だちがやってきてくれたのはめでたかった。前日と翌日は雨だったけれど、当日だけはずっと晴れてて助かった。

そのあと、そんなに人数は呼べなかったけれど、川の近くの中華料理屋で友人たちを呼んでパーティーをした。どこかでこの光景見たことあるな、と思ったけれど鴨川が目の前にあったしどう見ても鴨川ビールだった。最近は昔からの友人たちが一挙大集合する機会もあまりないので、自分たちも楽しかったし、きてくれた友人同士も楽しそうでよかった。翌日は京都観光をしてから自宅に帰り、泥のように眠った。

YAPC::Japan::Online 2022にスタッフとして参加しました #yapcjapan

 

YAPC::Japan::Online 2022にスタッフとして参加しました。

 
なぜやったか
  • カンファレンスのスタッフ業に飢えていた
    • 以前は社内でもカンファレンス担当もやっていたが最近はできず
    • じゃあ中の人を…と思っていたけどなかなかチャンスがなく
  • 身近で困っていた
    • 具体的には同居人が困っていた
    • 関係ないが今回のスタッフキックオフから本番までの間にその同居人と結婚した

 

YAPCというなまえ

昨年はJapan.pmというカンファレンス名で行われていたものを「なんでYAPCって名前に入れないのかな」とただ素直に思ってたのでそうミーティングで聞いたあと、同居人は非常に悩んでいて「どうしてそんなに悩むのか」と深く考えずに聞いてしまった記憶があります。

あのときはほんとにわからなかったけど、終わったいま、参加者されていた方々のブログを読んでその答えはわかった気がします。本当に愛されて、作り上げてきたみんなの場所なんだなあ。

 

まあとはいえ、今回声をあげたのはいいものの、仕事がアホみたいに忙しくて正直満足いくほど何もできなかったのが実情。どうしてこんなことに…

 

さいごに

自分は「頑張る人・頑張りたい人を助けたい」ので、これからも自分のできる範囲でおもしろいことを考えたり驚くようなことをやっていきたいですね。お疲れさまでした!