今宵風来坊になりたい時は”シオン”
1人ウィスキーをロックで飲んでいる夜、ふと考える。
この平凡な組み込まれた世界から抜け出したいと。
どこまでもデジタル化する世界から逃げ出したいと。
背負った荷物は背負いきれないほどになってしまったのに少し酔った今夜の僕はそんなことを考えてしまう。
1人の僕が言う「現実逃避?」 もう一人の僕が言う「現実逃避だっていいじゃないか。」
そうだ、今夜はもう少し酔って風来坊になろう!
そんな夜”には”シオン”が必要だ。
なぜかYUIの”TOKYO”
ここのところ僕は頻繁に東京へ行っている、アパートを探しに1人ではなく彼女と2人で行っている。4度目の東京でようやく彼女が納得するアパートを探し当てることができた。前から決まっていたとはいえ不動産仲介業者と契約を交わし終えると彼女が東京で生活をするということが悲しいかな今はすごく身近に感じる。現実にもうすぐ彼女の笑顔も怒った顔も歌声も僕が暮らしている部屋には響かなくなる。
契約を終え乗客の少ない帰りのバスの中、たくさんの東京の歌がある中で僕はYUIの”TOKYO”を誰にも聞こえないくらいの小さな声で歌った。
ようやく到着、あいみょん「瞬間的シックスセンス」!
ようやく家に到着!発売当日お店に行ったのだが売り切れで「ゲッ!」と心の中で叫んで帰ってきた。無事本日購入。
なぜ歳の差が離れてるのにあいみょんがいいんだ?
好みの歌声だな。
”マリーゴールド”のメロディーラインなどは聴けば聴くほどノスタルジックを感じてしまう。
ん、1つ危惧することが、シールに書いてある。かなりの曲がタイアップ曲ではないか!!
需要があるから仕方ないか。
どちらが先かは知らないが曲後だったらCM・ドラマのイメージを膨らませて曲作る作業もこれからの曲作りに繋がるか。
何を言いたいのかと言うと、タイアップで売れてるのか、自身の曲で売れてるのか迷わないでほしい。
作品がいいんだぞ! クールに生きろ!、迷惑かもしれないがなにやら親心?らしきものが出てきてしまった。
まー明日からじっくり聞き込もう。
斉藤和義「月影」によせて
同級生と会うとよくあるお題だが、「どこの時代に戻りたい?」という話になる。
ちょとシワが出てきたエミコは言う「今が幸せだから何処にも戻りたくない。」
太ってしまったケンちゃんは言う「一番モテた中学時代がいいかな。」
離婚したばかりのちょつと酔ったノリコは言う「今じゃなければ何処でもいいのよ。」
親から引き継いだ小さな町工場のサトシは言う「景気が良かったバブル時代かな。」
サトシと学生時代付き合っていたケイコは言う「サトシと別れる前の日かな。」
みんな戻りたい所は様々だ、人間は今の人生が変わる所まで戻りたいのかもしれない。
さて、僕は今宵”夢のバス”に乗って何処へ行こうか考える。
家入レオ”チョコレート”と僕と彼女
なんてこった!今日はバレンタインデーだというのに昨日は彼女とケンカしてしまった。「あたしをどのくらい好きなの?」という恋愛の初歩的な問いに僕はうまく答えられず彼女とケンカしてしまったのだ。3日前は「手作りのチョコレート作るね。」「形は悪いかもしれないけど我慢してね。」とそんな愛らしい話をしていたのに。
僕は今ソファーに腰を沈め昨日の”どのくらい”が彼女の正解なのかをずっと考えている。どう好きだよと伝えれば良かったんだろう?沢山そんなことを考えていた。そうだ!考えててもだめだ、彼女に会いに行かなくちゃと思いソファーから立ち上がった瞬間、ふいに玄関のドアが開いた、そしてそこには彼女の姿があった。
「昨日は誰が悪いの?」
僕は白旗を上げた顔で「僕だよ。」と答えた。
彼女はソファーに座ってる僕の所まで飛び込んできた。僕の髪を撫でながら「形が悪いチョコレート食べる?」と可愛い声で聞いてきた。今僕は彼女の少し重い感情さえ愛しく思える。テレビではCMも終わりリビングの中には家入レオが”チョコレート”を歌っている音楽が聞こえてる。
素敵なジャケットChar
誰もが認める・知ってるギタリストChar! ギターテクニックについて語り尽くされているのでここでは省略。一言この人ほどギターを持った姿が似合う人はいない。
本物のロックというものが何であるかは分からないが・そんなものがあるかどうかも分からないが、テレビで初対面した時は直感的にこれが本物のロックだ! と感じてしまった。歌える所も好きな要因で1コーラスが終っての間奏のギターなどはワビサビの世界だ。このジャケもいい。もしも日本レコード大賞にジャケット部門があったとしたなら間違いなくこのジャケットを推薦する。タバコを吸っているジャケットだからコンプライアンスに引っかっる?そんなことはたいした問題じゃない。
太田裕美”木綿のハンカチーフ”の歌詞は革新的だ。
この曲は沢山のアーティストにカヴァーされているので老若男女口ずさめる曲の1つだろう。歌詞についてスポットを当てると持論ではあるが革新的なのである。
何が革新的かと言うと歌の歌詞というのは大体1人称なのであるのだが、その固定観念を捨てた革新的な歌詞なのである。この曲では”わたしと僕 ”の主人公が 2人出てくる。これはコロブンスの卵ではないか!やられたの一言でしかない。「ムード歌謡にもありがちだよ」と反論されそうだが、それは基本デュエット曲なのでそれは2人称とはならない。
歌声・曲・詩の正三角形が上手く保っていないとここまでの名曲にはならなかったとは思うのだが、この歌詞を書き終えた時の松本隆はニヤッと笑ったはずだ。