星のお姫さま

好きなことだけ。

ONE OK ROCK Luxury Disease Japan dome tour 2023

 

 

attention!

このブログは10年以上ONE OK ROCKを聴き続けライブに通い続けた挙句、彼らに対して好きを拗らせまくった故の偏見と妄言に塗れた感想文になりますので、悪しからず。

 

 

 

 


思うところがありすぎて、筆が全く進まないけれど、それでも自分の気持ちを吐き出して整理することが今回は絶対に必要だと思ったので、なんとかして書き出してみる。

 

 

 

 

 

 

 

 


今回のワンマンツアーは2019年のeyes of the storm tour以来4年ぶりで、ワンオクを見るのは去年のサマソニ以来でした。
サマソニで盛大に炎上した彼らは一部同業者からも冷ややかな目で見られていたし、Twitterでも否定的な意見が多かった。これに関してはルールがある以上破っていいわけはないが、サマソニの管理の実情を現場で見ていた側としてはしょうがないのかなという気もした。入場時にマスクをしていなくても注意もされてなかったし。ただ、コロナ禍になってからかなりその影響を受けて、色んな現状を目の当たりにしていた私は、手放しで彼らを肯定することもできなかった。
でも今思うと、Takaはこのままでは衰退するであろう日本の音楽シーンを憂いていたのだろう。彼は誰かに何かを言われることを毛ほども気にしないし、常に自分がやりたいように、自分の思ったことをそのまま口にする、絵に描いたようなフロントマンだった。だからこそONE OK ROCKは常に新しかったし、日本のバンド界では一線を画していたように思う。

いくら昔の曲が良かったとしても、止まることを是とせず、常に進化することだけが正しいと信じて。ただでかい口を叩くだけじゃなく、有言実行の名手でもあったTakaは、最初から日本に留まることは考えず、常にアメリカで通用するバンドになると言っていて、そのための行動は惜しんでいなかったように思う。アリーナクラスをsoldさせられるようになっても、アメリカのバンドと対バンを組んで小さな箱でライブをして、昔の曲がいいとわかっていてもアメリカで通用するような曲を作り、アメリカのレーベルと契約をして。リズム隊なんて最初英語なんて全く喋れなかったわけだし、その苦労は計り知れない。


海外に飛び出した当初、日本ではモンスターバンドと認定されていた彼らを待ち受けていたのは、小さな箱と顔目当ての女性のファン。環境の変化と、思っていたような手応えもなく、キュートだと言われ写真を撮られる毎日。そりゃ日本のファンに八つ当たりもしたくなるだろう。(海外ツアーのライブの最前をいつも同じ日本のファンが埋め尽くしていることに対して、うんざりしているとインスタに投稿したのだ。当時はかなり物議を醸していたし、いくら勘弁してほしいと思っていたとしても同じお金払ってるわけであって、思ったような客層を入れることができていないことへの八つ当たりでしかなかったと思う。この件に関してはコロナ禍のインスタライブでTaka本人が言及していて、「刺々しい言い方になっていたと思う」と懐古している。)

でもそれが当時のONE OK ROCKのレベルだったのも、また事実であった。


そこから幾度となく挑戦を続けて、プロデューサーを変えては新譜を出して。この頃のワンオクは、かなり迷走していたし、アルバムの中でいい曲が1、2曲あればいいと思える程度だったし、今までのように一度聞いたら覚えるような強烈な曲は無かった。もちろんライブは楽しいし、Takaの歌は上手いし、とーるさんはカッコいいし。でも、初めて完全感覚Dreamerを聴いた時の衝撃と、浜スタの時の感動を超えることは無くて。

彼らは過去の栄光にとらわれず、前を向いて進み続けているというのに、私はその遠ざかる背中をただ眺めるだけで、追いかけることができずにいた。多分きっと、私は彼らに何かを期待していたんだと思う。いつかきっと、‘人生×僕=’のような、素晴らしいアルバムをまた生み出してくれるんじゃないかと。
ライブに行くたびに楽しかったという気持ちと一緒に、この人たちはどこまで行こうとしているのだろうかと考えていた。TakaのMCを聴くたびに、彼らにとって日本のファンは必要なのだろうかと自問自答していた。あの頃私が好きだと思った曲は、彼らがプロデューサーを入れて注力したものではなかったし、彼らが羽ばたくための翼として生み出した曲たちを好きになれない自分が心底嫌だった。手放しでかっこいいと称賛できるほど考えなしのファンでいるには、彼らを好きでいすぎたのだ。


初めてのドームツアーだったambitious japan tour。忘れもしない2018年4月4日。
当時、「ドームに立つようなバンドになりたく無い」とまで言ってた彼ら(というか主にTaka)は結局ドームに立って、その馬鹿でかい会場を客で埋め尽くしていた。
今ではシリーズ化しつつある、NHKの18祭の最初のアーティストとして、まさかの国営放送に進出。Mステにも出ず、ライブでのパフォーマンスを至上としていた彼らが、自分たちよりも若い世代のことを考えるようになっていたのはこの辺りからだったように思う。
海外に進出してから2枚目の新譜であるAmbitious。ここで彼らはその後のLIVEでの定番曲となるWe Areを作り出したわけだが、その勢いは弱まっていたと思う。なんせTakaはすでに30歳。海外でこれぞ!という爪痕も残せていないまま、メンバーのほとんどが三十路を迎えたという現実。Takaはこれまでにも、30歳という年齢を一つの区切りとして、30までに何かをやり遂げようとしていた。35XXXVのMCでは「俺たちが世界で1番かっこいい」みたいなことを恥ずかしげもなく豪語できるくらいには勢いもあって、若くて、それゆえの自信もあった。でもそれから数年が経ち、時間の流れと自分達の現状の立ち位置が比例しないことへの焦りも出ていただろう。そんな時のドームツアー。いつかのライブで「俺らを生きる糧なんかにしないでほしい」とまで言っていたTakaのMCでは、ファンへの感謝の言葉があった。「みんながいるから生きてられます」確かこんなようなことを言っていたと思う。今までそんなこと言ったこと無かった彼からのその言葉は、ただの感謝だけでは無かったように思えて、少し胸が痛んだのをよく覚えている。
このツアーのアコースティックコーナーでは内秘心書を演奏。デビューアルバムのゼイタクビョウの話から、努努のイントロを即興で演奏してくれたはいいものの、音程も歌詞も思い出せなかったToruさん。

そこでTakaが言った

「いつかバッチと決めてやるから!」

この口約束を信じて待ち続けていたら5年も経っていただなんて。きっと、丁度5年前のこの日が初めてのドームライブだったことすら記憶が曖昧になっていた彼は、そんなことを言っていたなんて覚えていないだろう。


こんなにも拗らせてしまった私であるが、それでも4人には楽しく音楽を続けてほしいと思っていた。ここ日本でのライブが、何度でも懲りずに海外で挑戦をして、いろんな思いを抱えて帰ってくることを繰り返す彼らの行く道の途中の、安らぎの場所であってほしいと思っていたのだ。
でも、当時の彼らは、なんだかこのまま走り続けていたらいつかどこかで消えて無くなってしまいそうな気がしていた。伸びすぎたゴムが、縮む力を失ったように。遠くへ飛んで行って、そのまま戻って来ないのではないかと、そんな風に思うことがあった。


そんな彼らの歩みを止めた新型コロナウイルスの流行。コロナ禍でもめげずに活動を続けていてくれた彼らだが、見れば見るほどにライブに行きたいという思いが強くなっていた。
そんな中の新譜「Luxury  Disease」。このアルバムのリード曲であるSave Yourselfを初めて聴いた時は、鳥肌が立つほど衝撃を受け、そしてちょっとだけ泣きそうになった。アルバムを通して聴いてみると、もっと驚いた。初めて聞くはずなのに、なぜか懐かしかったのだ。やっとだった。私の好きなONE OK ROCKはこれだ、と思った。

 


そして始まったLuxury Disease tour。

今回のライブは、今までのどのツアーとも違っていた。今まで彼らはツアーのセットリストを会場ごとに変えるなんてことはしてこなかった。少なくともここ数年はしていない。それに、アルバム曲を全てやらないなんてことも、今まで無かった。だって今までの彼らは「これが今の俺らだ!見ろ!どうだ!!」ってスタンスだったし。でも今回はアルバムの曲は全てやらず、それどころか今までお蔵入りにしていた往年の定番曲まで引っ張り出してきていた。
そして極め付けは東京ドームで演った努努。正直初日のことはあまり覚えていない。セットリストに驚かされるばかりで、気がついたら終わってしまっていたのだ。
そもそもRapはToruさん恥ずかしいって言ってたし、もう今後彼のRapを聞ける日は訪れないと思っていた。(あるのか知らんが)解散ライブの時にでも演ってくれたらいいな、あ、でもその時にはもう本当に歌えなくなっているかも、くらいに思っていた。

だから努努を演ってくれたのは、5年前の約束を果たしてくれたわけでもなく、単にファンを驚かせたかった彼らなりの私たちへのサプライズなのだろうと思っていた。
けれど、その後TakaがBeam of lightの話を出していて。Beam of lightも、絶対に聴きたいと思っていたし、いつか演ってくれたらいいなとずっと、ずっと思っていた。そしてまた彼は気まぐれに言ったのだ。
「でも、いつか何かのタイミングでやるかも。

だから、それまで俺らの事を好きでいてね。」


東京ドームというのは、Takaも言うように魔物が潜んでいるのかもしれない。この会場に来るたび、また彼らの気まぐれを待つようになってしまう。でも、そんな風に言ったということは、もしかしたら5年前のこと、本当は覚えていたのかも。だって、彼らは今まで一度だって嘘をつくようなことは無かったから。
一時はファンにうんざりしていた時期もあったが、日本のファンの大切さに気がついて、日本のライブは贔屓してくれていた彼ら。それでも、Takaの口からそんなファンに縋るような、何か約束をするような発言が出ると思っていなかったから、驚いたし、コロナ禍でいろんなことを考えたんだろうなと思った。


以前Takaがインスタライブで「みんなが好きなセトリはいつなの?」と質問をしていた。コメント欄は「渚園」で埋め尽くされていて、驚き、そして落胆してしまった。そうか、あの頃のワンオクが好きだった人はもういないのか、と。

私の中で、浜スタも、渚園も、オーケストラも、全部お祭りの特別編という括りではあったし、本人たちもそう言っていた。でもやっぱり、私はどうしたって今の洗練されてかっこいい彼らよりも、それよりもちょっと昔の青臭くて小っ恥ずかしくて、ちょっぴりダサい彼らの曲が忘れられなくて。いつまでもこんなことを言っているのも諦めが悪いと思うが、私の中での浜スタは、それほどまでに感動的で、情熱的で、ONE OK ROCKの魅力の全てが詰まっていたように思うのだ。
でも、今回のツアーは、浜スタとはまた違う魅力がたくさん詰まったライブになっていた。最初から最後まで、ずっと楽しくて、何も考えることなく、文句のつけようのないセットリスト。

こんな風にファンに忖度できるようになったということが、このライブでとても感じられて、感慨深かった。

 


Luxury  Diseaseはどの曲も素晴らしかった。というか、Fall out boyや、panic  at the  discoとか、ちょっとだけリンキンっぽい感じもあったし。フーバスっぽさもある。そもそも私が彼らを好きになったのは、聴いてきた音楽が多分一緒だったし、それに影響された彼らが作る音楽なのだから、好きなのは当たり前だろう、という。今回は、プロデユーサーの影響もあり、今までで1番ロックに振り切れていたし、Takaの言うようにここからロックシーンがまた復活するのではないかと思わせてくれる一枚になっていた。


Save Yourselfは冒頭のギターとドラムから引き込まれる。でもやっぱり難しいんだろうなこの音域、冒頭に入れないと多分歌うのきついんだろう。でもサマソニで初披露した時と比較するとめちゃめちゃ声出るようになってたし、北米ツアーで歌い続けて、自分のものになった、という感じがした。他の曲もいくつか音程下げてたみたいだが、でもまあ本人が1番歌いやすいように歌うのが1番だよね。


やっぱり良いと思ったのはLet Me Let  You Go。この一見キャッチーに思える曲調の中で、何か大切なものを失ったことを悔やむ歌詞が綴られている。Takaはこういうメロウで女々しい歌詞()の曲を歌わせると天下一品だなとつくづく思う。これ聞いた時真っ先にあれ思い出したもんね。against the currentのdreaming alone。これ好きだったなあ。


https://youtu.be/l0qWjHP1GQc

 


あと印象に残ったのはNeon。音源で聴いていた時から「パニックっぽい、、、」と思っていたら、本当にパニックとの共同制作で笑ってしまった。このサビの転調するとことが、最高にかっこいい。確かにパニックっぽいのだが、ちゃんとワンオクらしいエモさもあって。しかもこれ、映像がオシャレで可愛いんだよな〜。ネオンライトっぽい映像から、渋谷の街並みに切り替わって、ヘリからTakaが降りてきたような演出。よかった。


Mad Worldのモノクロの演出もよかったな〜。全編日本語の歌詞で、歌詞がスクリーンに映るもんだからみんな歌いまくってて、かなり盛り上がっていた印象。サビのliving  in   a mad  worldのとことか、ツーステしたくなる。


So far goneのTakaは、口から音源以上だった。ていうか改めて思うけど、日本のツアーって本当に贅沢だよな。今回はコロナのこともあったからこの時期になってるけれど、普段から海外ツアー回って、一通り自分のものにしてから、最後日本でやるっていう。そんなことにも、私は今回ようやく気づいて。年を重ねたのは彼らだけじゃ無かったね。


GRAVITY、藤原さん呼ぶと思ったのに来なかったな。なんか色々圧力とかあったのかなあ。あっちは優等生っぽいからなあ。
でも、これ紙吹雪の演出が本当に綺麗だった。東京ドームではただの紙だったのが、埼玉では銀色の紙に変わってたな。ライトが反射してキラキラしていて、スノードームの内側ってこんな感じなんだろうなとか、柄にもないこと考えてしまった。なんであれ東京ドームでやらなかったんだろう、謎。絶対キラキラしてた方が映えるのに。


Renegadesは、Ed Sheeranとアメリカで作っただけあって聞いているだけで大きな草原というか、荒野で、これから何かすごいことを企ててやるぞという意志が伝わってくる曲だった。るろ剣の主題歌だけど、それにしては壮大すぎるなと思って歌詞を見たら、まあ、このコロナ禍でのフラストレーションを爆発させたような感じだったし、私のインスピレーションはあながち間違っていなかったのだと納得。YouTubeでの動画でも言っていたし。この曲のメイキングを見た時、Takaって普段こんなにも苦労しながら曲を作っているのかと驚いた。今までは何かで言及することはあっても、実際に映像として海外での制作場面を見てこなった私は、とても驚いたし、Takaも普通の人間なのだなと思ったものだった。

 

 


ここからはアルバム曲以外の曲に関して。


まず、最近お蔵入りになっていたClock Strikes。冒頭の秒針の音が流れた瞬間の会場の沸き方がエグすぎたので、きっとまたこれはこの位置に入れ込まざるを得ないでしょう。
好きなんだよね、この曲。ワンオクの曲で1番好きな曲は?と聞かれたら絶対にこれだし、この曲だけは何度ライブで聴いてもしっくりくるし、飽きないし、Toruさんのコーラスしてる姿好きだし、みんなで声出せるのも楽しいし。あとTakaの名物ロングトーンがね。あれ聞くと安心する。偉そうなこというけど、あーちゃんと努力してるんだなぁ、って。笑 だって、歳は重ねてるのに、どんどん伸びていっているし。Eyes of  the stormeのブックレットでも言及されていたと思うけど。
一時期、Cry outにとって変わられそうになってたけど、この綺麗系ゾーン。でもやっぱりCry outじゃなくて、Clock  Strikesだとおもうよ、私は。本当に飽きるほど聴いてるし、ライブで何回聞いたかわかんないけど、なんであんなに毎回泣きそうになるんだろう。あの壮大な感じとメッセージが好きなんだろうな。


カゲロウもね、もうやらないって言ってたくせに入れてたね。まあこの曲歌いやすいんだろうな〜みんなも盛り上がるし。でもそろそろお蔵入りになるのかな。あんまりやりすぎると有り難みが消え失せてしまうから、またしばらくお休みしそうだなと思いました(小並感)


あとね、Deeper Deeper。これはさあ、反則すぎるよ、、、。この曲、確か初めてシングル曲でリズム隊が作った曲で。冒頭のベースのかっこいいのなんのって、、、。しかも暴れられるし。ヘドバンという文化を知らない人でも頭振りたくなるような強烈なメロディー。久しぶりに聞いたけど、体が覚えてましたね。ヘドバンもそうだけど、最初の手拍子も、サビのところでジャンプして声出すところとか、ほんとに最高に楽しいんですよ。なんで最近入っていなかったのか不思議。
この曲の会場の沸き方もそうだけど、全然知らない隣の人と肩組んでヘドバンしたり、盛り上がりすぎて周りの人たちとハイタッチして喜び分かち合ったり。そういえばそうだったなって思い出した。ライブってこうだったよなって。まだ席があるうちは難しいけど、いつかまた彼らのライブでモッシュピッドが見れる日が来たらいいな。多分もうその輪の中には入れないけれど。


キミシダイ列車は、いつ聞いてもこのメッセージ性の強さに眩暈がする。が、今回このタイミングで聞いたことでより、この曲の凄さを見せつけられたように思う。大事なこと忘れてないか?コロナのせいにして逃げてはいないか?そう言われているようだった。
このツアーで彼らは、自分達はもちろん、私たちのフラストレーションを晴らそうとしてくれていたと思う。それと同時に、この変わってしまった世の中に対して、疑問を呈するような、語りかけるような曲を選んでいるように思えてならない。


特に、冒頭のアンサイズニアは、この現状への彼らなりの答えだったのだと思う。
「今を生きるコトは簡単じゃなくて ただ楽しけりゃいいってもんでもなくて 明日、明後日の自分に何が起ころうと責任を持てるかどうかさ」
「僕の思う当たり前は君にとって当たり前かな?君の思う当たり前は僕にとって当たり前かな?」
「きっと この世に正解もハズレも間違いなく無い」
何が正解かはわからない、それでも「死ぬ間際に悔いは無いと言えるように生きてたい」彼らは、声を上げ続けていた。東京ドーム初日に彼は声高々に「俺は間違っていなかった」と叫んでいた。聞く人によってはまた反感を買いそうだったが、でも、これをセットリストに入れた本当の意味が、ライブで彼の言葉を聞いてようやくわかった気がした。
 
キミシダイ列車やアンサイズニアは、もう10年以上も前の曲たちだ。それが今の世の中へ対するTakaの思いとリンクしているのはさすがとしか言いようがない。だからこその、間違っていなかった、という言葉だと思うし、それを否定することは誰にもできないんだろう。
 
今回TakaはMCで、人生は一本の紐のようなものだと話していた。何か大きなことをやり遂げて、紐に結び目をたくさん作っていくことが大切であるとするような風潮があると。でも、そうではなくて、たまには結び目を解いていくことも必要だと気づいたんだと。
今まで振り返ることをせず、ただ突き進んで進化し続けることだけが夢を掴むための近道だと信じていた彼らの歩みを止めたコロナ。色んなことが停滞し、常識が常識でなくなり、自分達のアイデンティティが失われかけることもあっただろう。悲しいこともたくさんあったと話していた。
バンドはナマモノだ。他人同士が顔突き合わせて一つのグルーヴを作り続けることはそう簡単なことではない。それぞれに、バンドマンではない顔がある。家族もいるし、それぞれの生活もある。コロナ禍で真っ先に失われかけたのはエンターテイメントだったと思う。部外者の私がそう感じたのだから、彼らのお先真っ暗感は想像に余りある。
それでも信じることを諦めず、自分達にできることを模索し続けていたのだろう。そしてその中で何が大切なのかにきっと気がついたのだ。おそらく彼らは、バンドとして大きな功績を残せなくても、4人でいることを選んでくれたのだ。
だからやっぱり、コロナがなければこのバンドはどこかで消えていたのかもしれない。だってあのまま、結び目を作るためにバンドを続けていたら、いつか必ず上手くいかなくなる。全員が同じ方向を向き続けることはとても難しいことだし、コロナで強制的に立ち止まらされたことで、今までとこれからについて考えた結果が、きっと今回のツアーで、あのMCなのだと思った。

 


不動の名盤である人生×僕=をリリースしてから10年。この10年という月日全てがあって、このツアーが完成したのだ。
小さな島国に留まることを是としなかった彼らはアメリカを目指して飛び出して、打ちのめされて、八つ当たりしてきて、その度になんでだよ、と、帰ってくればいいじゃん、と思ったりもした。けど、今までの時間全部でこのアルバムになって、そして、こんなセットリストを作れるようにしてくれたんだろうな。


音楽で世界を救えるとは思えないけれど、音楽で心は動かせるから。信じるものがあれば強くあれると、それを教えてくれたのはONE OK ROCKだった。
Takaは「自分はヒーローでもなんでもない」と話していたけれど、私にとってONE OK ROCKは、間違いなくヒーローだよ。‘バンドは仮面ライダーウルトラマンみたいにたくさんの数と歴史があって、そしていつの時代も必ず誰かの心に残ってる’んでしょ。
仮面ライダーウルトラマンも、中身はただの人間。彼らもきっとそうだ、才能が少しばかりあるけれど、きっと私たちと何も変わらず、夢を追いかけ日々を生きる人間なのだ。ただ、そのための努力を惜しむことなく続けられるだけで。


前回の東京ドームでのライブが心残りだったようで、その話を初日はしきりに話していて。途中音響トラブルもあって、急にサウンドチェックし始めるし。笑 席によっては残念な結果になってしまっていたようだけど、2日目は本当に、解き放たれたように全てを出し切っている様子で、見ていて本当に気持ちがよかったな。
それに、ライブ終わりのこの写真を見て、やりたいことやりきったんだろうなあと安心しました。よかったね。魔物倒せてたよ、圧勝だったよ、カッコよかったよ。
30過ぎた男たちの完全感覚Dreamerは、痺れるほどカッコよくて、ちょっとだけ泣きそうになった。全てを出し切るように歌い上げたTakaも、相変わらず煽りで何言ってるかわからないTomoyaも、堪んねえ!って顔しながらギターかき鳴らすToruさんも、たのし〜〜〜!!!って全身で表現してるRyotaも。みんなの好きなところ、何一つ変わってなかったな。4人が楽しそうに4人の音楽を奏でていれば怖いものなんて何ひとつないって、そう思えた。


今回のツアーで、私のONE OK ROCKへの想いが、何か一つ結末を迎えたような気がした。それは、Takaが約束を果たしてくれたからかもしれないし、浜スタとはまた違う、でもそれと並ぶくらい、忘れられないツアーだったからかもしれない。
サマソニに行った時、beginningの乗り方が周りとずれていることに気がついた。ドームで突然沸き起こった手拍子に困惑した。いつかTakaがドラムの音に合わせて乗って欲しいと言っていたことや、手拍子が嫌いだと話していたことを覚えている人は、きっともういないのだろう。それでも。
こんなに長いこと何かを好きでいれるなんて思ってもなかったし、好きになったこともなくて。10年という月日は彼らも、私自身も、変えるには十分すぎた。変わったことがありすぎるのに、私は変わらずこんなにも彼らの音楽で満たされている。小さい箱でもみくちゃにされて汗に塗れて、目が合ったと喜んでいた時と変わらない。誰になんと言われようと、好きなものは好きでいていいんだと思わされたし、ひたすら健気に追いかけ続けていた時間が全て報われた気がして、ちょっとだけ寂しくて、嬉しくてしあわせだな。


これから先もきっと好きだし、死ぬ迄通い続けると思うので、どうか身体だけは大事にしてください。


これからも4人で、ずっと。

 

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舞台「文豪ストレイドッグス STORM BRINGER」

 

文ステ、満を辞して観てきましたので感想を垂れ流します。

ストーリーに関しては、文豪ストレイドッグス STORM BRINGER - 星のお姫さまこちらをご覧ください。

 

例の如く著しく信憑性に欠ける、独断と偏見に基づくレポートに仕上がっておりますので、悪しからず。ネタバレも大いに含みます。

 


舞台はヴェルレエヌがポートマフィアに侵入し、ランボオの遺品で中也に渡された「帽子」を奪取するところから始まる。
今までの作品を観たことの無い人にも多少わかる様に、根本さん(森鴎外役)が解説を付けていく。
小説でも何度も読み直さないとよくわからない部分(特に異能特異点の話とかランボオとヴェルレエヌの過去のとことか最後の中也の鉛筆の傷の下りとか)、どうするんだろ〜と思っていたら根本さんがめちゃくちゃ喋ってくれてた。まあそうなりますよね。
端折れるところは端折って、加筆が必要なところはプロジェクションマッピング?映像も駆使していく。脚本を舞台仕様に上手く昇華させていて、さすが中屋敷さんだなぁと脱帽。
入れられなかった小話はカテコで補完。抜かり無い。きっと円盤の特典はこの小話を全て収録してくれるんだろうなあと思ったら、買うしか無くなってしまった。
全体的に上手く纏まっていたし、舞台演出が凝っていて「実態の無い『異能』を魅せる」という点に関しては、今までで1番分かりやすい演出になっていたと思う。

 


以下はただの感想。語彙は消滅してます。


まずやっぱり改めて、中原中也植田圭輔しか出来ないなと痛感。あの体躯と声色は植田圭輔だから成り立っているし、長台詞を物ともしないでトチりもせずに完走している姿は圧巻でしたね。
今回長台詞が全体的に多かったけど、植ちゃんはじめ、根本さんもそうだし、佐々木さんもそう。そして何より、磯野さんの滑舌の良さにビビり倒しましたね。
ていうか、アダム、チョ〜〜〜〜〜〜〜可愛かったな。小説の中でもまあそれなりに可愛かったけど、やはり喋って動くと、あの暗い話の中でのコミカルさが際立って、それも相まって可愛さ炸裂していて非常に良かった。あんなにでかい(187cm)のに、あんなに可愛いだなんて、、、。


今回舞台を観て、改めてストブリのストーリーの奥深さに考えが纏まらない。
同じ様な異能を持つ中也とヴェルレエヌ。同じように仲間を持った2人が、最愛の仲間と違えてしまう。その時の選択が、2人のその後を分けてしまったんだよね。自分を救うために、仲間を裏切り傷付けてしまったヴェルレエヌ、仲間に裏切られても尚、仲間を助けるために敵であるポートマフィアにくだった中也。


2人とも、「人間では無い」という疑念に囚われ、翻弄されていく。
でも最後には、2人ともそれぞれ、今まで気づかなかったことに気付く。
ヴェルレエヌは、ランボオがかけがいの無い仲間であったことを、中也は、中身は如何だろうと、自分だっていつか死にゆくただの人なのだということを。


今回観て気付いたことがあった。
舞台では割愛されていたんだけど、中盤の中也が拷問を受けた後、白瀬と合流するところ。
あそこで白瀬は、中也を助けることを躊躇するんだよね。そして原作では拷問で傷付き、弱りきった中也を初めて目にして、ようやく「中也もただの人間なのか」と気付き、自分達と同じように、傷付いたら死んでしまう存在であると認識する→そして助ける。という流れになるんですよね。そこって本当は結構重要なところなんじゃ無いかなって思ってて。
人間離れした中也を王として奉っていたのは他でも無い白瀬たち。その白瀬が、初めて中也も自分たちと同じ存在なのだと、危機が迫れば助けなければならないのだと、そう白瀬が気付いた時、きっと中也は本当の意味で人間になれていたらいいな。そうやって助け合って、支え合って生きていくのが、人なのだから。


太宰が見事なヴェルレエヌの殺害計画を立案できたのは、「寝ても覚めても重力使いである中也にどう嫌がらせできるかを考えている」から。
そう太宰が話すシーンが本当に本当に好きで、中也に逆さ吊りにされながら作戦を説明する太宰を見れるのを楽しみにしていたけれど、尺の都合でカットされてしまった。
けれど、大阪前楽のカテコで、太宰が中也の事ばかり考えてる、のくだりをやってくれて、本当に悔いはない!!!大阪まで行った甲斐しかない!!!!


幹部に昇格した中也は、同僚にも自分の出自に関しての話は一切していない。
それはきっと旗会の皆んながああなってしまったのを自分のせいであると思っているからなんだろう。
けれども、そんなことを全て知っている太宰。中也にとって太宰って、本当にどれほどの存在なんだろう。自分が自分でなくなってしまうとき、いつでも駆けつけて「おつかれさま」と声をかけてくれる人なんて、、、そんなの、、、(咽び泣きながら教会に駆け込む人の絵文字)


やはり双黒は宇宙。太中は神の作りし宝。


そういえば、マチネは物凄い速さで台詞を言い続け聞き取れないレベルだった累生くん。カミカミだし、ソワレこんなんで大丈夫なのか?と本気で心配しましたが、誰かになんか言われたんか自分で反省したんか知らんけど、別人かと思うくらい流暢に喋って、一度も噛まずに終幕してて拍手喝采だったな。(推しに甘いオタク)
そのくせ、カテコの挨拶で自分の名前を噛んでて本当に可愛くて可愛くてどうにかなってしまいそうでした。


原作は今の話で完結してしまうんだろうなという流れですが、未だストーリーが完結しないのでアニメ化の詳細も発表されておらず。ストブリ舞台化は尺持たせだったんだろうなと思うけど、この流れでアニメ化もしてくれないかな〜〜〜!!!(2回目)ねぇ〜いいでしょ〜〜〜!!ちょっとくらいさぁ!!!やれば絶対儲かるよ!!!ね!!!


ストブリ読んだ時も思ったけど、絶対アニメ化してほしい。でないと私は死んでも死に切れない。
これはオタク全員の願望だと思ってるので、別に私1人が言ってることじゃないので。ええ。(確信)


言霊を信じている人間なので、今回も書いておきます。


は〜〜〜本当に!楽しかったな!!
改めて文豪ストレイドッグスという作品が好きだし、中原中也というキャラクターが、太宰治というキャラクターが、双黒という概念が好きなのだと、再確認できました。ありがとう。


10公演、完走できて本当に良かったです。

お疲れ様でした。

舞台「ようこそ、ミナト先生。」

 

新国立劇場 中劇場にて。


甲信越地方の山あいにある町、日永町。
一年前、この地を観光で訪れ、非常勤の音楽教師として働くことになった湊孝成。
人当たりがよく誰にも親身な彼は“ミナト先生”と慕われ、地元組からも移住組からも頼りにされるように。住民の間ではミナトがずっと町にいてくれるよう、診療所の医師・高梨由佳子とくっつける計画が持ち上がるほど。
だが一人暮らしの偏屈者、植村久志だけは心を開こうとしない。
そしてミナトはある秘密を抱えていた。
そんなある日、ひょんなことから日永町の動画がネットで拡散。町が世間から注目を集めると事態は大きく動き出す――。
 
 

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相葉くんは「君と見る千の夢」以来、12年ぶりとなる舞台。たまたまFCに入り直していた矢先に発表され、なんとかチケットをもぎ取ることに成功した。
脚本、演出は同作品と同じ、宮田慶子と金子ありさ
君と見る千の夢って、ラブストーリーだったこと以外特に記憶しているものがなくて、相葉くんってつくづく恋愛モノが苦手なんだなあという印象だった気がするが、、、定かではない(コラ)
「相葉くんの舞台に行くんだ!」と話すと、大抵の人には「えぇ?相葉くんって演技上手だったっけ?」と聞き返された。(本当の話)
 ファンの中でも彼の演技力の話になるとお通夜のようになってしまう人も居るが、私個人としては彼の魅力はそこではないので、さして考えたこともなかったのだが。
世間一般でいう彼のイメージはその通りなんだろう。彼の魅力もそこではない。けれども、演技力は無いにしても、表現力はあるわけで、、、ようは役次第ではハマると私は思っていて。マイガールとか、シッポとか。あと賛否両論あるだろうが、ラストホープは私は大好きだったな、、、。そして今回はnot恋愛もの、且つ相葉くんにハマりそうな役どころだったので大変ワクワクしておりました。
 
 
 
 
舞台はとある田舎町。人当たりもよく、面倒見もいい湊孝成は、「移住者組」であるのにも関わらず町民たちから「ミナト先生」と呼ばれ親しまれていた。
序盤はミナト先生の人柄の良さ、移住組と先住組との間にあるわだかまりをどうにか無くそうと奔走しつつ、町唯一の医師である高梨里佳子との苦笑、微笑ましいやり取りなどなど、、、恐らく世間一般の相葉雅紀のイメージそのままと言っていいような、屈託のない笑顔とリアクションで会場のおば様方の感嘆の声が漏れてしまうほど、相葉ワールド全開で始まった。
皆に慕われているミナト先生。そんな彼には「加害者家族」というもう一つの顔があったのだ。街の人から煙たがられ、1人孤独に離れに住む老人、松平健演じる植村久志。湊の父親が飲酒運転で起こした事故に巻き込まれて死亡した若き警官、その父親こそが植村だったのだ。
湊は自分の過去を隠し、塞ぎ込み他人との接触を断った植村の家に足繁く通い、交流を図ろうとしていた。
そんな中、町おこし事業の一環の動画配信に、着ぐるみに扮した湊が出演。途中町民たちとのいざこざの最中に着ぐるみを脱ぎ、湊の素顔がネットに配信されると、20年前の事故の加害者家族であることが町民に知れ渡ってしまう。植村をはじめ町民たちや、亡くなった植村の息子と幼馴染だったと話す者から、容赦のない追求を受ける湊。そして今までの温厚で穏やかな雰囲気は一変し、嫌味たっぷりになぜここに来たのかを語り始める。(ただここ、優しく穏やかなみんなのミナト先生が豹変するところが見どころなのだろうが、イマイチ物足りなかったかな、、、そこが相葉雅紀相葉雅紀たる所以なのだが、、、)
1年前、湊がこの町にやってきたのには理由があった。湊の母親がガンでこの世を去る時、夫のしたことは自分の責任でもあるのではないか、と未練を残し亡くなった。母親の葬式の時に10数年ぶりに父親から連絡があり、その時に約束をしたのだ。「一緒に謝りに行こう」と。その後、刑期を終えた父親から連絡があり、植村に謝罪をしに行くことになったのが、1年前。待てど暮らせど、父親は来なかった。湊は、仕方なしにこの町で過ごしながら待つことにしたのだった。
全てを話した湊はひとり、町を出て行く支度を始めるのだった。ミナト先生と持て囃していた町民たちも、誰もその名を出すことはなくなった。
心配して様子を見にきた及川、植村や高梨に自分の気持ちを打ち明ける湊。加害者の家族というだけで受けてきた偏見や執拗な迷惑行為、生きて行くことに必死になりすぎて、被害者たちのことを考えてもみていなかったこと。それを理由にして、色んなことから逃げていた過去。そんな自分でも、居てもいいと思わせてくれたこの町にずっと居たいと思っていたこと。そんな姿を見た植村は湊に「自分のために、胸を張って生きろ」と優しく声をかける。
この辺りから相葉くんは鼻水も涙も垂れ流しで泣きっぱなしだったなあ。鼻水がびっくりするほど垂れていたので思わずティッシュを投げ入れそうになりましたよ。
クライマックス、町を出て行く直前の湊に(引っ掻き回し役だった)濱田龍臣演じる野村伊吹が声をかける。野村は、家族が皆この町を出て行く中、ひとり町に残り続けている青年である。町おこしや湊に関心がさほどなく、斜に構えたよくいるひねくれ者だ。湊が加害者家族であることを植村に告げ口したのも彼である。そんな野村が、皆があんなことがあってもミナト先生を待っていると伝える。そこに湊からの置き手紙を見た高梨が走ってくる。自分はここで湊のことを待っていると。そしてまた湊と出会えたら、初めましてのフリをして、こう言うと。
「ようこそ、ミナト先生」


いや〜とにかく濱田龍臣くんがでっかくなってて私はそれにびっくりしっぱなしでしたね!!!(そこ?)怪物くんに出てきたときから時が止まってましたので、まさかあんなにデカくなって声変わりもしているとは、、、(当たり前)
所々噛んじゃっていたのはご愛嬌、長台詞も鬼気迫る演技も立派にやり遂げていましたよ。途中、連絡が途絶えていた父親と電話が通じた場面。電話を切った後、物に当たるシーンがあるんですね。バンッて襖開けて、ガンって何かを蹴るんですけれども、そこが割と私は好きでしたね、、、好きだった人いるかな、、、いるよね、、、
物語としては、コロナ禍での田舎移住、ネット社会の晒し上げ、加害者家族の問題、田舎ならではの閉鎖的環境、などなど昨今の問題を取り上げたような印象。時代に沿ったテーマで面白くもあったけど、後半あいばくんが泣きっぱなしだったのがなあ、、、いやいいんだけど。彼はとてもよく頑張っていたし、、、。周りの役者さん、特に松平さんはさすがとしか言いようがない。彼の迫真の演技に相葉くんも吊られてるんだろうなあ。
カテコで、松平さんに何か耳打ちをされて屈託のない笑顔を見せていた相葉くんを見て、変わってないんだなあとしみじみ。3回も出てきてくれて、その度にニコニコしながらありがとうございますと言いながら深々と頭を下げているその姿は3年前と何も変わっていなくて、元気な姿を見れて良かったなと思いました。
新国立劇場は初めてだったけれど、やはり舞台のために作り直された真新しいステージはとても広く、プロジェクションマッピングやさまざまな舞台装置を駆使した演出がなされていて、圧巻だった。普段小さな劇場で舞台装置も一つしかないようなものしか見ていなかった私にとっては、映画を見ているような感覚だった。
悔しいのは、これを何度も見れないこと。舞台はナマモノであり、その日その日でどんどん違うものになってゆく。その過程が面白いので、私は基本的に数回は足を運んでいるのだが、今回はそれができない。
なんにせよ、12年振りの舞台出演を見届けられてよかった。あの頃よりも遥かに成長した役者としての相葉くんは、文字通り汗水垂らして必死に足掻いていました。千秋楽まで、どうか駆け抜けられますように。

 

 

P.S.無事に千秋楽を迎えられたということで記事をアップしてみます。本当に、お疲れ様でした。
 

「彼女が好きなものは」

人生初めての抜歯がものの数十分で終わってしまい、時間を持て余した私は、未だ唇が痺れているというのに映画館に来ていた。
なんと言っても今日は月曜日。auマンディ課金勢である私にとって、映画鑑賞にはうってつけの日であった。


元々劇場版マクロスを見たかったのだが(そのために1ヶ月かけてマクロスΔを一気見した)、あれよあれよという間に上映数が減ってしまい、時間が丁度よかったし、先行上映されていた「彼女が好きなものは」を見ることにした。


原作は浅原ナオトの「彼女が好きなものはホモであって僕ではない」。2019年にはNHKの夜ドラで「腐女子、うっかりゲイに告る」という題名でドラマ化しているよう。この題名には私も聞き覚えがあった。調べると、丁度明日までの期間でネトフリにあったので見てみることに。ていうかこれ、映画公開に合わせて配信期間延ばすべきなんじゃないだろうか。

 

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同性愛者であることを隠して日々を過ごす男子高校生・安藤純と同級生の女子・三浦紗枝が主人公だ。三浦は小学生の頃、好きな漫画の主人公が表紙の本を買うが、それが同人誌だったことから腐女子への道を歩むことになる。よくあるよね。私は母親の隠し本棚から商業BLを見つけてから片足突っ込むようになったなあ。
安藤にはネットで知り合った既婚の中年男性のパートナー・誠さんがいて、蜜日を重ねていた。自分が同性愛者であることに悩む中、Twitterで知り合った同性愛者のファーレンハイトとのDMが、心の拠り所になっていた。


私これ特に前情報無く観に行ったら、メチャクチャタチ顔の翼くん出てきて最後まで動揺していた。いつの間に芸能界復帰してたんだ、、、?知らなかったけど、相変わらずカッコイイしイイお声されてるよね〜〜〜タッキーに弄ばれたあと翼くんに拾われる妄想ならもう何回もしてます。


ある日三浦が本屋でBL本を買おうとしているところに、安藤が遭遇する。中学時代、腐女子だということがバレて虐められていた三浦は、自分が腐女子だということを誰にも言わないで欲しい、と安藤に頼み込む。趣味がバレた三浦は、安藤が約束を絶対に守るよう、オタク友達の姐さんからの入れ知恵でオタク活動に安藤を巻き混んでいく。
その中で次第に安藤に惹かれていく三浦。安藤もまた、三浦に惹かれている自分と、男にしか反応しない身体とで揺れていた。「彼女が好きなのはホモであって、僕ではない」そう言い聞かせ、浮かれそうになる心を必死で抑えつけていた。
三浦と安藤と、安藤の幼馴染の高岡亮平の三角関係とか、ザ高校生な小野雄介の横槍とか色々あるんだが、遊園地の観覧車で三浦は告白し、晴れて2人は恋人同士になる。

 

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安藤は、恋愛対象は男であったが、同時に家庭を持ちたい、子供が欲しいという願望の間で揺れ動いていた。女手ひとつで自分を育ててくれた母親・安藤みづき(山口紗弥加)に孫を見せたいと思い悩む 安藤は、三浦となら自分も「普通」になれるかもしれない、と淡い期待を持ち始める。
しかし、三浦と身体を重ねようとした時に無反応だった自身に、やはり自分はゲイなのだと思い知る。
そして、ダブルデートの最中にファーレンハイトの死を知り動揺する。デート現場に居合わせた彼氏の誠さんに事情を話し、キスしているところを三浦に見られてしまう。ショックから激怒する三浦に対し、「好きなんでしょ、ホモ」と冷たく言い放つ安藤。しかし、わかっていたのだ。彼女が好きなのは自分であって、ホモでは無い、と。

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遂に、三浦にカミングアウトし、謝罪する安藤。それを裏で聞いていた小野は、三浦で自分の気持ちを試したことに激怒し、その勢いで亮平含め、バスケ部の皆がいるところで「安藤がホモって知ってたのかよ?!」と叫んでしまい、あっという間に噂が広まってしまった。
何も知らない安藤は、登校すると心無い言葉が投げかけられ、自分がゲイであることが知れ渡っていることに落胆し絶望する。それを知った亮平は、学校を飛び出した安藤の元へ駆けつけ、ゲイであることは関係なく、安藤自身が好きなのだと伝える。亮平と共に学校へ戻った安藤だったが、体育の着替えで一悶着起こってしまう。なんとしてでも庇おうとする幼馴染の亮平を他所に、小野は「気持ち悪い」「出て行け」と追い討ちをかける。こちら側に生まれてきてしまったことを悔やみ悩んでいた安藤は、自分を責め続けていた。小野の言葉に、その通りだ、と肯定をしてから、教室の窓から飛び降りて自殺を図ってしまう。


一命を取り留めた安藤の元には、亮平と三浦が見舞いに来ていた。安藤の自殺未遂の一件で、学校内では性的指向に対するディスカッションが行われたことを報告した。偏見は無い、と話すクラスメイトが多くいる中、小野は「理解した気でいるだけだろ」と冷たく言い放つ。それを聞いた三浦は、自分もそうだったのかもしれないと恥じた。三浦は、安藤のことを心から知りたいと思っていることを改めて伝える。安藤も、三浦の好きなものを知りたいと伝え、2人は無事に恋人同士に戻った。
退院も近い日、安藤は大阪へ転校することを三浦に伝える。それを聞いた三浦は、最後に一度だけ学校に来て、自分の作品を見てほしいとお願いする。美術部員である彼女の作品が、コンクールで表彰されたのだ。
表彰式ももうすぐ終わるという頃、安藤は体育館に現れた。賞状をもらった三浦は校長からマイクを奪い取り、全校生徒相手に自分の身の上話をし始める。三浦は、安藤が周りと距離を取っていたのは、傷つかないよう自分を守る為ではなく、それを知った周りの人たちが動揺しないようにする為であると、皆に伝えた。泣き崩れる三浦を、壇上に登って慰める安藤。小野も嫌々ながら謝罪し、和解する。(実は安藤の入院中に小野も病院の近くまで来ており、泣きながら謝っていたのだった。)


ファーレンハイトの遺言であった、「墓参りに来てほしい」という願いを叶えるため、静岡に出向いた安藤と三浦。21歳の大学生であると言われていた彼は、実は中学生であった。Twitterプロフィール画像は、ファーレンハイトが心を寄せていた従兄弟のものであると分かり、彼の母親はこれまでのことを話し始めた。
告白された従兄弟が相談したことで、家族は息子が同性愛者であることを知り、病院に連れて行ったのをきっかけに引き篭もってしまったのだった。


全てが終わった帰り道、私たちの関係も終わりにしようと話す三浦。安藤が初恋では無いと、念を押した三浦の表彰作品は安藤がモチーフになっていた。題名は「初恋」だった。

 

 


見終わった直後の感想は、「私が中学教師であったなら、これを全校生徒に見せていただろう」というものだった。
摩擦をゼロに、抵抗は無しとする。これは安藤純が、周りとうまく共存するために心掛けていたことだった。人は皆、簡単な方に答えを持っていくものだ。難しいことは考えず、いつだって世界の普通に当てはめて考えようとする。自分の身近な人が、もしカムアウトできずに思い悩んでいたら、どう声をかけるのが正解なのか。正解なんて多分、無い。関係性やタイミングで変わってくる。それでも考えざるを得なかった。理解した気でいた自分を恥じた三浦の気持ちが痛いほどわかる。でも、本当はシンプルなことのように思える。自分の好きなことを、好きだと言えることそのものが、きっと絶対尊いのだ。

 

ドラマではQueenの曲をBGMとして多用しており、所々でフレディが引き合いに出されていた。夜ドラやっていた当初はボヘミアン・ラプソディーで沸いていた時だったみたいだし、これはこれでアリだった。逆に、映画はそれを全く出さず、映画ならではの世界観を作り出していたのではないかと思う。

その他にもサラッと見ただけだが、ドラマ版と映画では同じようで要所要所違うところがある。

まず、安藤の恋人である誠さん。ドラマでは所謂「不倫している既婚者子持ち」という感じだが、映画での誠さんは優しさが滲み出ていて、心から安藤に惹かれているという印象であった。安藤と別れる時も、引き留めることはできなくても特別であったことを真摯に伝えていた姿がとてもよかった。翼くんの人柄が出ていたなあ。
あと、安藤の幼馴染の高岡亮平。ドラマでは安藤の彼女の三浦に好意を寄せており、その色が濃く出ているが、映画では安藤の理解者であり、2人を誰よりも応援していた。いい子だ、、、。
ドラマだと割と安藤は自嘲的な表現が多く、小野を煽るような言葉遣いが目立つ。ファーレンハイトの恋人が、エイズを患って余命宣告を受けた際の家族の反応とか、ありきたりだけどリアルで心を抉られる。
ドラマの方が原作に忠実なようだし、まあ、本当はそれくらいドロドロしてるよねぇ。


長々と書いたけど、結局、「自分の普通ってなんなんだ?みんなの普通ってなに?」っていうことを問いかけてくる作品だったのではないかと思う。誰が好きとか好きじゃ無いとか、そういうことでカテゴライズすることもできるんだろうけど、カテゴライズすることに何か意味があるのだろうかと考え直すことができた。
ドラマ版で三浦が言った「好きなものを好きだって言える時間が、1番好きだな」という言葉が印象に残った。
私は、ブルーピリオドのユカちゃんが言っていた、「自分の好きだけが、自分を守ってくれるんじゃないのかな」という言葉が好きだ。その通りなのだと思う。でも、その好きが世間の普通じゃなかったら?理解されない好きは自分を守ってくれないのではないか?そう、考えたことがないわけではなかった。だから私は、自分の趣味をひた隠しにしていたし、わかってくれる人だけがわかってくれればいいと思っている。わかってくれても、共感を求めないように気をつけている。
それでも25年生きていると、たまーに、共感し合える友人に巡り会えたり、文字書きの趣味を尊敬し応援してくれる人に出会えたり、する。そんな人を、わたしは大事にしたいし、誰かを不意に傷つけないように、常にフラットな価値観で生きていたいと強く思う。


安藤が母親にカミングアウトした時に、「孤独死するイメージが抜けない」と吐露していた時は、思わず胸が痛んだ。私も同じことを考えることがあったからだ。そんなことを考えてしまうようなこの世の中がおかしいのかもしれない。夫婦別姓同性婚性教育の遅れなど、問題を上げたらキリがない。自分が人生の分岐点に立たされた時、何かが変わっていたらいいと思う。


ただ、最近この手の内容を題材にした作品が多く出ていて、その度に「特別扱いされている」ことに違和感を感じてしまう。例えば、月9でストレート以外が題材にされても特に取り立たされることのない世の中が、いつの日かくるのだろうか。監督も言っていたけど、この作品を特別なものにするとかではなく、いろんな人が見て、何かを考えてくれたらいいんだと思う。それが特別なことで無くてもいいんだ、きっと。


この作品がいろんな人の元に届いて、見た人が何か思うところが有れば、世界は今より素敵になるはずなのだ。分かり合えたとき、人はずっともっと優しくなれると、わたしは信じている。

 


さーーてと!大好きなCPの同人誌が届いていたので、ゆっくり読んで、大好きな世界に浸ってこよーっと!

文豪ストレイドッグス STORM BRINGER

 

アニメ15歳の双黒の話には続編があって、先日読了したけど衝撃が強すぎてなかなか昇華できずにいたんですけど最近ようやく受け入れられたので。
 
『荒覇吐事件』から1年、ポートマフィアに加入した中原中也の前に現れたのは暗殺王ポ ール・ヴェルレエヌ。「一緒に来い、中也」中也を弟と呼び、その出生の秘密を知る男によって、横浜に再び嵐が巻き起こる――!(公式サイトより抜粋)
 
 
 
 
 
大いにネタバレあり。というか全編の概要載せてます。この考察は独断と偏見であり、信憑性に著しく欠けますので悪しからず。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【CODE:01 研究者共が思いつきで打ち込んだ、たかが2383行のプログラム】
荒覇吐事件から1年後、中也はスピード出世を果たし、高層マンションの一室を与えられ単調な日々を過ごしているところから話は始まる。
そんな中也にもしっかり友達はいるようだ。ワイヤー使いのピアノマン、乗り物を自由自在に操る阿呆鳥:アルバトロス、闇医者の外科医:ドク、広報役の現役人気俳優の広報官:リップマン、異能を持たない殺し屋の冷血:アイスマン。彼ら若手会のメンバーは中也の過去に関する資料を探し出し、ポートマフィア加入1周年のお祝い品としてプレゼントする。その資料の中には幼少期と思われる中也とその父親と思われる男性が並んでいる写真もあり、中也は自分が人間であるのではという期待をにじませていた。
この時の挿絵の5人に祝われて唖然とした表情の中也が非常に可愛い。まだマフィアに加入して1年、それも敵対組織の元長だった彼が実力でのし上がり、皆に愛されている様がよく伝わる。
しかし、楽しい宴の席は長くは続かず、謎の欧州からの人工知能捜査官アダム・フランケンシュタインが乱入してくる。アダムは荒覇吐事件の首謀者であるランボオの同僚、ポール・ヴェルエレヌが中也暗殺を目論んでいること、彼が中也の兄だと告げる。ヴェルエレヌはランボオとの戦いで敗れ死んでいるはずだと反論する中也にヴェルエレヌが起こした他国の要人暗殺事件の概要を説明し彼が生きていること、そして次の狙いは中也だと話す。
このアダムがまたいい味を出している。AIで稼働しているアダムと中也は最初かなり衝突する。義理人情に厚い中也と、合理性を求めるアダム。ふたりの掛け合いのちぐはぐ具合がアダムが機械であることを際立たせている。
アダムの交渉を一刀両断した中也は単独行動に出るが、その後ヴェルエレヌと対峙し、その実力差に打ちのめされてしまう。そして自分を兄と名乗り、中也は異能を取り出すためだけに造られた「2383行の文字列で構成された人格式」であると話す。幼少期の資料は偽装情報だった、ここにいるべきではない、一緒に来いと言うヴェルエレヌに困惑する中也だったが、友人5人が彼の手によって殺されたと知り激昂する。しかし圧倒的な力を前に為す術もなく、ヴェルエレヌに無理やり「門を開かれて」しまう。この時点で知ったのだが、これまで中也は汚辱形態を使役してきていなかったらしい。(というか封印されていた?)それであんだけ強かったのか・・・ 門が開かれた時間は僅か0.3秒であったが、一瞬引き出された荒覇吐の力によって、あたり一帯は重力に飲み込まれさら地になってしまう。荒覇吐を引き出されたことで苦しむ中也の前に太宰が現れ、異能を無効化し事態は一旦は収束。そして、自身の出生の真実を知るために中也はアダムと手を組むことにしたのだった。
 
【CODE:02 死んだ人間は、どのような感情も抱かない】
ヴェルエレヌが中也と縁のある人物を殺そうとしていることが判明し、標的と思われた羊の元構成員の白瀬に会うことに。暗殺されるかもしれないと告げられた白瀬は逃走し警察に捕まってしまう。放っておけない中也は白瀬を奪還するが、その最中、昔馴染みの村瀬刑事が殺されてしまう。
彼がヴェルエレヌの本当の標的であり、白瀬は囮。ただの刑事が殺されたのは、彼の兄「N」と呼ばれる人物が『荒覇吐計画』の真相を知る人物だったからであった。(ヴェルエレヌは中也が真相を知れば自分の元へ来なくなると危惧したらしい)
その間にヴェルエレヌと密会し、なんらかの情報を渡している太宰の姿があった。相変わらず何を考えているのかわからない、が、まあ最終的には中也のところに戻るんでしょう。
 
 
【CODE:03 僕は人間として中也が苦しむのを見たい】
Nの研究施設に中也、アダム、白瀬の3人で乗り込む。このあたりから話がややこしくなってくるが、Nによると、
・人間以外の生命体が異能力を持つことは不可能であり、いち生命体に宿る異能力は一つである
・異能力の出力には限界があるが、異能力の「特異点」を発生させることによりそのエネルギーは無限大となる=この無限のエネルギーが中也というか荒覇吐の重力の正体
特異点を生み出す方法はいろいろあるようだが、「矛盾する異能をぶつける」ことで「矛盾型特異点」というものが発生することがある(DEAD APPELの澁澤龍彦がよくわからん怪物になったのはこれか?)
・矛盾型特異点を発生させるためには二つ以上の異能が必要となるが、例外として自分自身の異能を自己に使うことで特異点を発生させられる異能力者が存在する=その異能のことを「自己矛盾型異能」と呼ぶ
・自己矛盾型異能が発動されると、高密度の空間歪曲が起こり、当事者は死んでしまう
・この自己矛盾型異能の膨大なエネルギーを制御し、兵器にしようと目論んだのが異能先進国の仏国
・仏国は人間だけが異能を使役できることから、人間の「精神」で膨大な異能を制御しようと考えた
・人格式と複製培養された肉体を異能側に人間だと思い込ませることで膨大なエネルギーを使役できるようにした
・その結果生み出されたのが異能諜報員ポール・ヴェルエレヌであり、彼は特異点が発生させる重力を操る
・以上の情報を得た日本で行われていた実験が「荒覇吐計画」
 
Nは荒覇吐計画の実態は「中也だけが知るべきだ」と、アダム、白瀬から中也を引き離す。実際の研究施設は中也の異能発動により消滅しているが、それと対になるように造られているというその場所を目の当たりにした中也は研究所にいた頃の記憶を思い出す。
研究所には自己矛盾型異能を持つという中也にそっくりな子供が実験体として保管されていた。装置のおかげで特異点の重力に潰されず、なんとか生命を維持しているその子供はNの手によって試験管から出され、中也の目の前で死んでしまう。そしてNは、自分が中也の躰を「荒覇吐の重力に耐えられるようにデザインした」と話す。
ここから考察するに、この子供は身体が重力に耐え切れず死んでしまったわけで、身体が重力に耐えられさえすれば荒覇吐の器(という言い方が合っているかは不明だが)になり得るのでは?ちなみにここまで来るのに200頁かかっており、まだ半分しか話は進んでいないのである。
 
Nの真の目的は、中也を殺しヴェルエレヌという脅威を遠ざけるため、中也から荒覇吐を「取り出す」ことだった。実際は、取り出すというよりも中也と荒覇吐のつながりを断ち、中原中也の人格式を削除しようとしていたのだが。荒覇吐の封印を解くには制御呪言を唱える必要があり、同時にこれは「封印指示式を初期化するコード」でもあった。このあたりから話がさらに難しくなってくるのですが、この「制御呪言」が「封印指示式を初期化するコード」であるってところが割と肝なので、覚えておくと便利かもしれない。まあ初期化のためのパスワードみたいなもんか?
Nは中也が制御呪言を唱えるよう、ありとあらゆる方法で拷問を続けるが(ひどい)中也の強靭な肉体と精神のために苦戦する。そうこうしているうちにヴェルエレヌが乱入し、愛しの弟を殺させまいと中也を救出し脱走を謀る。
 
中也を探そうと奔走するアダムと白瀬の前に、ランボオの手記なるものを持った太宰が現れ、これまでの出来事はすべて「ヴェルエレヌによる『森鴎外暗殺』を阻止し、脅威である暗殺王を逆暗殺するため」に自分が仕組んだことであると話す。(暗殺王ポール・ヴェルエレヌは各国の要人を暗殺しており、次の狙いが森鴎外だと太宰は感づいていたよう。)そしてこのままでは「中也がNを殺し、人間では無くなってしまう。」とも話す。人間として苦しむ中也が見たいという太宰は、アダムたちとともに中也を助けに行くことに。その道すがら太宰はアダムにNが嘘をついている可能性を示唆する。中也が人間であるという証拠がないのと同じに、人間ではないという証拠もない、と。
太宰たちが中也を探している間、中也はヴェルエレヌの指導のもと暴走しかけていた荒覇吐を制御し、自己の精神を取り戻していた。Nを殺そうと躍起になっている中也に加勢するヴェルエレヌ。自分を殺すのは間違いだと反論するN。中也は「明日なんて知ったことじゃないぜ」「いつもやりたいようにやってきた。守りたい奴を守り、気に入らない奴をぶっ飛ばしてきた。今日もそうするだけだ」と言い、Nではなくヴェルエレヌに渾身の一発をぶち込む。友人5人の命を奪ったヴェルエレヌを中也が許すはずもなく、攻撃を繰り返す。生まれたことを憎み、破壊の道を進むべきだと話すヴェルエレヌに中也は「俺は−−−そんな風には思わねえよ」と言い切る。なぜなら、中也は独りではなかった。中也にはポートマフィアの仲間や羊の構成員たちがいた。死んだ仲間が中也を鼓舞していたのだ。
ここでも中也の人間性がうかがえる。ヴェルエレヌの話を聞いた上で、「あんたはそうかもしれねえ」と一度肯定している。その生い立ちから暗殺の王となったヴェルエレヌの孤独を理解した上で、自分は違う道を進んでいることをわかってるんだよな。真っ向から否定しないのは、その孤独が中也にも少なからずあるから。わかるからこそ否定できないのが悲しい。中也の優しさが際立ち、切なさがこみ上げる。(すでにここで半泣き)
 
膠着状態となり、ヴェルエレヌは先にNを殺そうとする。が、Nは自分を殺したら「優しき森の秘密」も失われるぞと脅す。その言葉に強く反応するヴェルエレヌ。
ここからの話がまたややこしい。心が折れそうだが続ける。
生死を彷徨うほどの重症を負った中也の前に、死んだはずのもうひとりの中也の白骨が異能で再起し中也を殺そうとする。丁度中也を追っていたアダムたちがこの場に追いつく。白瀬は中也を助けることに抵抗しひとりで離脱しようと試みるが、ひどく傷つき弱った中也を放っておけず、中也を助けることにする。
そうしてアダム、太宰、白瀬と合流した中也。しかし、ヴェルエレヌはNを確保したまま外に逃走してしまう。
 
【CODE:04 汝、陰鬱なる汚辱の許容よ
ランボオの手記に記載されていることを抜粋、要約するとこうだ。
某日、諜報員ランボオ反政府運動の首謀者の異能力者、通称「牧神」を殺す仕事を任されていた。牧神はたったひとりで作りあげた、重力を使役する人工異能生命体「黒の12号」を指示式を用いて操りランボオと対峙した。しかし、指示式の入力方法を把握していたランボオはその入力装置を破壊、自我を取り戻した黒の12号が施設ごと牧神を殺害し、自体が収束したのだった。
その後意識を失った黒の12号を自国に持ち帰ったランボオは上層部から、黒の12号を「諜報員にするために指導、監督」するよう命じられる。諜報員となり、自身の名を捨て家族、友人、恋人を捨てたランボオは人との繋がりができたことに心踊らせ、彼を自身の本当の名である「ポール・ヴェルエレヌ」と名付けた
その後手記は、「『優しき森の秘密』の解読に成功した、そこにはヴェルエレヌのーーー」というところで終了している。
 
場面は変わり、Nは超高層にあるタワークレーンに連れさられていた。「優しき森の秘密」とは、牧神が書いた人工異能の生成手順書の最終章の題名であった。ヴェルエレヌが得た情報では最終章6頁が抜き取られており、その抜き取られた部分について知っていることを全て話せとNを脅す。Nは抜き取られた頁は自分が情報を得たときには既に無かった、手順書を回収したランボオが意図的に抜き取ったと話す。それを聞いたヴェルエレヌは動揺を見せる。ランボオというコード名はヴェルエレヌのオリジナル名であった。名前を交換しようと提案してきたのはランボオであり、ふたりは組織内で相棒であり、親友であった。ヴェルエレヌにとっても唯一無二の存在だったのだ。しかし、ヴェルエレヌはランボオのことが「好きではなかった」と悲しげに呟く。
 
ヴェルエレヌはNを置き去りにすると、森鴎外暗殺に動く。その動きを察知していた太宰は、森を暗殺しそびれたヴェルエレヌと対峙する。感情で動きすぎて動きが丸分かりだと諭す太宰に、弟に執着して何が悪いと反論するヴェルエレヌ。そこで太宰は問う、「中也が貴方の弟だと、本気で信じているんですか?」と。太宰は、Nの研究施設の職員に中也の文字式を読み取る方法を聞き出せばすぐにわかることだ、と付け足す。「人工文字列で、あんなに僕が嫌悪するほどの人間性を造れるはずがないと、中也が人間であると確信しているようだった。
そして、森鴎外の居場所を吐くよう太宰を攻撃しようとした刹那、ヴェルエレヌに攻撃が降りかかる。太宰の作戦が成功したのだ。あらかじめ配置していたポートマフィアの軍勢が一斉にヴェルエレヌめがけて膨大な攻撃を繰り出す。最強の暗殺王と恐れられたヴェルエレヌが嵐のように降り注ぐ砲弾にひるむ。それもそのはず、寝ても覚めても、どうすれば中也に厭がらせできるか」ばかり考えてた太宰の考案した作戦なのだから。対重力異能への対策は完璧なのだ。ここでも太宰の中也へのお熱っぷりが伺えて、非常に良い。
ポートマフィアの猛攻撃に為す術なく傷つくヴェルエレヌは苦肉の策で、「門」を開き人格指示式を解除し身体の主導権を人工異能に明け渡し、周りのもの全てをただ飲み込む重力源となった。
マフィアの戦力が次々に削がれる中、太宰はこの事態も予測しており、次の一手を打とうとしていた。
 
ーーーその2時間前、合流した太宰、中也、アダム、白瀬は太宰からことの計画を聞かされていた。中也に逆さ釣りにされながらも平然な顔をして作戦内容を説明する太宰。
森鴎外の乗る列車にヴェルエレヌを誘い出し、そこにマフィアの軍勢を配置、奇襲をかける。もちろん膨大な被害が出ても市民に被害が出ない郊外でだ。追い詰められたヴェルエレヌは門を開くだろう、そこで中也が航空機で接近、中也の重力でヴェルエレヌの重力を中和する作戦だ。自我を放棄したヴェルエレヌは自身に敵意を向けるものだけに自動的に攻撃をし続ける。そして「慈しみを込めて毒を呑ませる」と太宰は締めくくる。ヴェルエレヌから意識を奪い、自分たちの動きを悟られないようにした上で弱点である毒で殺す。それが太宰の作戦だった。
 
ここ、絶対にアニメでやってほしい、、、中也は絶対つまんなそうな顔して逆さ釣りにしているし太宰もなんてことない顔して吊るされているんだろうな。なんで挿絵ないのここ。いつも頭脳戦では太宰に何歩も先を行かれている中也が当然のように太宰に報復している光景は少し珍しい。が、きっと本編に入っていないだけで普段からふたりはこんな風にやりあっていたのかと思うと愛おしさがこみ上げてくる。
太宰への復讐の訳を、「時間稼ぎのために、中也が拷問を受けることをわかっていた上でNの情報を明け渡し、結果として死なずに済んだはずの村瀬刑事まで巻き込んだこと」としていた。自分のことだけじゃなく、ちゃんと犠牲になった人のために報復を与えるのが中也らしい。ちなみに、復讐の方法は190通りほどあるが、下から2番目に優しい方法とのこと。そんなにお互い常にお互いのことばかり考えてるのか、、、尊、、、、
 
アダムが対ヴェルエレヌ用の毒を作成し、それを持った中也がアダムとともに空中を滑空する。太宰は中也に再三に渡り、「敵意を出すな」と警告した。意識のないヴェルエレヌは敵意に対してのみ反応し巨大な重力子弾攻撃を繰り出してくるからだ。そして中也に攻撃が加わりそうになると地上のマフィア部隊がわざと無謀な攻撃を繰り出し、そちらに意識を逸らし、中也が接近できるようにサポートしていた。アダムの協力の元、ヴェルエレヌに接近することに成功した中也。毒を与えようとした刹那、ヴェルエレヌの門が閉じた。中也の門を強制的に開いたあの時、次に中也が自分に触れた時に「門が閉じる」よう文字式を組み込んでいたのだ、と自我を取り戻したヴェルエレヌは中也に説明する。
ランボオは門を開き自我を失った状態のことを「獣性形態」と呼んでおり、それを解除するための方法まで考えつき、ヴェルエレヌに教えていた。ランボオは常にヴェルエレヌのために何ができるか考えていて、それにヴェルエレヌも気づいていた。それでもなお世界を恨んだヴェルエレヌは、孤独を埋めるため中也を誘拐、相棒であったランボオを裏切ってしまった。それを聞き、いつか自分もヴェルエレヌのように世界を恨む時が来るかもしれない、と話す中也。自身の出生の謎に関してここまで残酷な事実を突きつけられてもなお、未だ世界を恨んでなどいない弟に驚くヴェルエレヌに、中也は続ける。憎い奴はいるが全員ではない、一人で生きてるんじゃねえことを知っている。昔はあんたもそうだったんじゃねえのか?。そして一瞬の動揺を見せたヴェルエレヌにボロボロになったアダムが奇襲をかけ、麻酔でヴェルエレヌを眠らせることに成功するのだった。
 
ランボオの手記には続きがあった。擂鉢街の悪夢、ランボオとヴェルエレヌが中也回収作戦を決行する前夜の記録だ。その日はちょうどランボオとヴェルエレヌが出会った日から丸四年が経過していた。その日をヴェルエレヌの誕生日と決めたランボオは誕生日プレゼントを用意し、ヴェルエレヌの誕生を祝った。不審がるヴェルエレヌにランボオは誕生日を祝うということは「君が生誕したことは、『祝われる価値のあること』だと示唆することだ」と説明する。そして、被ることで”外部からの指示式による意識干渉を跳ね返す”金属を内側に施した黒帽子をプレゼントした。ランボオが牧神の研究施設から奪取したものを改造し作られたものだった。ヴェルエレヌが少しでも「自分の意識で行動する人間」に近づけるように…。
 
ヴェルエレヌを無事確保した中也とアダムのもとに、太宰から連絡が入る。Nを救助していた班からの連絡が途絶えた、と。いつの間にNを確保していた太宰。ここで中也は、”中也が人間か否かを確認するための方法を知るNの確保”が太宰の本当の目的だったことに気づく。ボスの暗殺阻止はその計画の一部に過ぎなかったのだ。
消息を絶っていたNは自身をた助け、移送していたポートマフィアを薬液で溶かし車両から脱出。謎の金属片を上空へ向かって信号弾を発射、粉々になった金属片が飛び出しそれぞれが音楽信号を奏でていた。突如ヴェルエレヌは苦しみ出し、中也に「逃げろ」と言い残し、中也に重力を使い、自分から遠ざけるように吹き飛ばした。
ヴェルエレヌは黒い巨獣の姿となり、周りのすべてを飲み込んでしまっている。その姿を遠くから眺めながらNは、「これが『優しき森の秘密』の真実だ」と高らかに言った。ランボオが抜き取った手順書の頁は、ヴェルエレヌの真の姿”魔獣 ギーヴル”への戻し方であり、それをNは知っていたのだ。魔獣ギーヴルの姿は、まさしく「竜」であると記載されている。
やはり異能において竜、というのは一つのキーワードらしい。デップルで特異点となった魔物も竜の姿をしていたし。
 
突き飛ばされた中也はもうろうとする意識の中でヴェルエレヌの記憶を見ていた。ーーー9年前、中也を研究施設から奪取した時のものだ。中也を抱えたヴェルエレヌがランボオへ、「もう一度自分を救う」ために中也は渡さない、と話し、二人が決裂する場面だ。そしてランボオはヴェルエレヌにこう言い残す。「ポール、必ず君を連れて帰る、たとえ手足をちぎり取ってでも」と。ーーー
そこで中也は意識を取り戻す。アダムと中也はギーヴルを倒すための策を考えるが、アダムは自分が犠牲になることを中也に隠したまま作戦を決行する。
アダムの本当の作戦に気づいた中也だったが時すでに遅く、なぜこんなことをしたのかと怒る中也。もともと、有事の際には知り得た国家機密を自身もろとも「ヴェルエレヌごと」焼却し消滅させることができるように、人工知能捜査官のアダムが投入されていたのだと、アダムは悲し気に中也に白状する。アダムの作戦により中也は太宰と合流することに成功するが、アダムはヴェルエレヌと共に巨大な熱球に飲み込まれてしまう。
 
しかし、それだけではギーヴルの動きを止めることはできなかった。横浜の市街地めがけて攻撃を始めたのだ。このままでは帰る家がなくなるばかりか、横浜の壊滅は免れない。
苦肉の策で、中也は先刻見たヴェルエレヌの記憶を頼りに作戦を閃く。制御呪言を唱え、中也の指示式を初期化し門を開き、荒覇吐を解放することでギーヴルに荒覇吐をぶつけるというものだった。ただ門を開くだけでは獣性形態となり意識がなくなってしまうが、ランボオがヴェルエレヌにプレゼントした帽子を太宰は持っていた。それを使えば中也は自分の意思で荒覇吐を使役することができるのだ。
しかし、問題が一つあった。門を開くために唱える制御呪言はこれまでの指示式を初期化してしまうため、中也に過去に「記憶抹消の指示式が使われていたか否か」がわからなくなってしまうことだった。つまり、制御呪言を唱えてしまえば、中也の過去を辿れなくなり、中也が「人間なのか、人工的に造られたものなのか」を知る術がなくなってしまうのだ。
太宰は、ヴェルエレヌがこうなったのは「自分が人間ではない」という呪いに苛まれてしまったからだ、とした上で中也に作戦を決行するかどうかを選ばせる。しかし中也は考える暇もなく、動き出していた。彼は空中を滑空しながら、自分のために消滅した友人、アダムの言葉を思い出していた。「貴方を守れるのです、当機はそれで満足ですよ。」人工知能であるアダムには魂がないはずだが、魂がない機械から紡ぎ出されたこの言葉の重み。中也は気づいたのだ、魂の有無は関係がないと。機械であるはずのアダムとのやりとりを思い出しながら、中也は唱えた。
 
「汝、陰鬱なる汚辱の許容よ、更めて我を目覚ますことなかれ
 
その後中也はボロボロになりながらも巨獣ギーヴルを制圧することに成功する。もちろん最後は太宰が中也の異能を無効化し、門を閉鎖。全てが終わったのだった。
 
【epilogue】
この事件はのちに《暗殺王事件》と名付けられた。仏国や英国の情報操作によりポートマフィアは実害こそ多かったが、軍警や政府からの追求を免れていた。
事件から2ヶ月後、中也は倫敦に留学する白瀬を見送りに来ていた。アルバトロスの形見のバイクに乗り、ヴェルエレヌの帽子を被って。白瀬と中也は和解し、それぞれの道を見つけたのだった。
白瀬を見送った中也の背後には正装した太宰があった。事件の事後捜査のためにやってきた英国高官たちのお相手をしなければならなかった。思惑渦巻く豪華客船に現れたのは、アダムを作ったという少女、ウォルストンクラフト博士だった。中也は少女の博士に謝罪した、最高傑作を壊してしまって悪かった、と。そんな中也に少女は、アダムが最高傑作であったのは「自ら考え、行動することができる」知能を搭載させていたからだったと話す。だから、アダムが中也を守るために自分を犠牲にしたのも、中也に守る価値があったからだろう、気にするな、と優しく声をかける。そして、戦闘中に使用し、戦闘が終結したあとにいくら捜索しても見つからなかったアダムの片腕を取り出した。驚く中也をよそに、少女が持ってきていた巨大な旅行バッグからアダムが出現し、腕を受け取りながらこう言った。「アンドロイドジョークを聞きたいですか、中也様?」
 
英国の事後調査は滞りなく終了し、皆自国へ帰国していった。ーーーヴェルエレヌが生きていると知らずに。戦闘終結後、死の淵を彷徨っていたヴェルエレヌのもとに姿を現したのは死んだはずのアルチュール・ランボオだったランボオとの再会に驚くヴェルエレヌ。自分を助け、慈しんでくれた相手を裏切り、殺そうとしたがために記憶を失い、異国の地で死に絶えたランボオ。自分を呪い殺しにきたのだろう、と話すが、ランボオはそれを否定した。ランボオは死してもなお、ヴェルエレヌのことを想い、謝りたかったと話す。ヴェルエレヌが人間であれるよう、人間に近づけるようにとしていたことは、ただの同情であったと。そうして、死の淵で本当にできることが何かを思いついたと話す。突如、ランボオの異能がヴェルエレヌめがけて発動した。
ランボオの異能力の正体は「死んだ人間を異能生命体に変換し、自己の亜空間内でのみ使役できる」というものだった。ランボオはその異能を自分自身に使い、自分自身を自己矛盾型特異点に変換したのだった。ヴェルエレヌを助けるために。ランボオから発生した特異点は、魔獣リーヴルの特異点の代わりとしてヴェルエレヌに取り込まれ、一命を取り留めたのだった。無くしてからようやく大切なことに気付いたヴェルエレヌは、ただ謝り続けるしかできなかった。
その後ポートマフィアのシェルターに幽閉されたヴェルエレヌは最初こそ読書と詩作をし過ごしていたが、そのうちにランボオと同じことを始めた。後進の育成だ。泉鏡花、銀などを始めとするマフィアの精鋭たちはみな彼に暗殺の極意を叩き込まれている。そうして彼は現在、ポートマフィアの5大幹部の一人にまで上り詰めたのだった。
 
中也はボスからの指令で、ある開業医夫婦の元にきていた。極秘任務だと言われたその場所は緑豊かなのどかな場所で、夫婦が庭でお茶をしていたところだった。それを遠くから眺めながら、中也はボスに説明されたことを思い出していた。
人工異能生命体は、オリジナルの異能者の細胞を培養して作られているために解剖学的には個体を判別することは不可能である。全く同じものであるからだ。中也の指示式が初期化されてしまった以上、中也がオリジナルの異能者なのか、そこから作り出された人工異能生命体なのかを判別する術は失われてしまっていた。が、中也は気にしていなかった。あの時の判断が最善であり、やり直したとしても自分の選択を変えることはないとわかっているから。しかし、そんな中也に森は言った。オリジナルと人工異能生命体にも違いがある、オリジナルであれば異能を特異点化されるより前に受けた傷跡が残るはずだ、と。中也には右手の手首に黒い点のようになっている傷がある。いつ受けた傷なのか中也は把握していなかったが、重力使いである中也がこのような細かい傷を負うことは稀である。中也は、その傷がなんだか自分のエンブレムのように感じていたのだった。
ところでこの夫婦には以前子供がいた。腕白で両親想いのその子は、自分より年上の少年を打ち倒すほどであった。相手が武器として鉛筆を突き刺さしてきても、全く怯むことがなかったという。ここまで話したあとに森鴎外はこう続けた。鉛筆の芯などの炭素は人体との反応性が低いから、刺されて身体の中に残ってもそのままの状態になっていることが多い、と。そして最後にこう告げた。「その少年が鉛筆を刺された場所は、右手首の付け根だそうだ。」
とうとう中也はその夫婦に会うことなくその場を後にした。それでいいのかい、と声をかけるボスに「俺の家族は、ポートマフィアですから」と淡々と告げる。最後に森への感謝の言葉を添えて。
 
 

NEWS ARENA TOUR 2018 EPCOTIA in NAGOYA Day.2-1

 
 
まず席が最高すぎて言うことなし!って感じだったのと、総合的に満足度が高かったので記念に記録しておく。めちゃくちゃネタバレ有り
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
まずオープニングの映像。
エプコティアライナーの乗務員設定の4人がそれぞれ制服に身を包み操作盤やらなんやら弄ってるんだけど、もうめちゃめちゃガンダムっぽくて性癖ど真ん中でした(萌)
最高か〜〜〜?今回もコンセプトのクセが強くてそういうところほんと好きだなあって感じだし、去年に引き続きそれはにゅすくんたちの強みなのかなあって勝手に納得してた。
 
EPCOTIA流れ始めて周りがキャーキャー言いはじめる中、メンバーを見つけられない我、、、、どこ、、、、?シゲアキはどこにいるの、、、、?みんな何をみて沸いてるの、、、?と思ったらセンステの上に4人が吊るされていました(空間認識能力の低さ)
めちゃめちゃびびったし頭に血が上ったりしないのかな、、、?あ、無重力空間を比喩してるのか、、、と思ってたら早々に引き上げられててちょっと安心した。
ちなみに引き上げられたとき、まっすうが逆さまになってるところから、片腕で自分の身体持ち上げてたのがめちゃめちゃ男でかなり興奮してしまった。あれはあの席だったからこそ見えたものだな。
 
 
そんな感じで幕開けして、KINGDOMへ。
いやーーーカッコいいカッコいい。赤衣装っていいよね。アイドルって感じで。ガシガシ踊ってる4人をみてようやく あーーあたしNEWSのコンサート来てるんだなあ。と漠然と思いました。
 
そしてめちゃめちゃ楽しみにしていたTWINKLE STAR。
もーーーーーずっと手越。ここでようやく、ここは手越サイドなのだと気づき若干萎える。左側に見える小山とその横に後ろ姿だけ小さく見えるシゲアキ。
くっそ〜〜〜〜とか思ってたら手越めっちゃ可愛いやん。え、前髪あるやん。とぅぃんくるすたーの振りの手越ばり可愛いやん。か、かわいい〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜とか思ってたら曲が終わってしまった。でもほんとに手越可愛かった。かっこいいというよりほんとに可愛かった。以上。
あとやっぱり歌振りが最高すぎて、大サビ前の「君と2人じゃなきゃ叶わない」のまっすぅがだいすき、、、、、、、、かなわ⤴︎ない⤴︎のとこね、、、、、、最高、、、、、、、、、
 
 
次が紅く燃ゆる太陽だったんだけど、確かここで1回シゲアキが来た気がするんだけど、あれ?キングダムだったかな?もう忘れました。とりあえずその時のシゲアキを見た私「脚ホッッッソ!!!!!」だったので察してください。ちなみに岡田准一は近くで見てもムチムチだった、、、()()
 
そんでもってLIVE〜〜
これめっちゃ可愛かった。みんななんか吊るされてぴょんぴょんしてて(語彙力)赤ちゃんだった👶👶どちゃくそかんわい〜〜〜〜とか思ってたらまっすぅの振りでシゲアキぐるぐる回っててクソカッコよくてはぁ〜〜〜〜〜〜😫😫😫💕💕ってなってました。
 
次のLPS〜NYAROはスタトロからの外周だった気がするので記憶なし。ただ私はNYARO自体がめちゃめちゃ大好きなので(曲が)、近くでずっと踊ってたジュニアを見てました❤︎(。☌︎ᴗ☌︎。)
 
恋する惑星、曲が大好きなんだけど冒頭の小山が言われてた通りめちゃめちゃ媚びてて笑うしかなかった。可愛い可愛い。(棒読み)
振りがめっちゃ可愛かったなあ。4人で横並びでニコニコしながら踊ってんのほんとNEWSって感じするしオタクの大好物だよね、、、、最高。
 
銀ラプ。
原曲詳しく知ってるわけじゃないけど日本人女性とのセッ( 前の動画が流されてなんかもう笑ってしまった。ごめん小山。あとなんか別にそんなセクシーセクシーしなくたってかっこいいよ小山くん。でもなんか思ったよりちゃんと歌えてたし高音も出てたしCDとの差があまりなくて驚きました。頑張ってるんだなあってど素人の私でもわかったのですごい。
 
その後のsweet martiniも途中まで乳首出したまま歌い始めた小山に思わず お着替えは?!?!って言ってしまった。そのあとちゃんと着替えてたけどマイク持ち忘れるし、それ見てテゴマス笑っちゃうしで艶やかな雰囲気が一気に普段のNEWSになっててこちらも半笑いになってしまった。コップを持った時のシゲアキの小指がめちゃめちゃ好きでした。(細かい)
 
madoromi はなんか近くで歌ってたけどしんみりしすぎててしかもシゲアキ微動だにしないから目乾かないのかな?!と思って凝視してたら「シゲアキ生きてる?」って言われたわ。生きてたねよかった!!
にしても照明が当たってシルエットが綺麗に見えてたんだけど、シルエットレベルから加藤シゲアキが好きだと痛感した。綺麗すぎかよ。
 
チャンカパーナはステージの真ん中で4人がセルカ棒みたいのを円卓みたいにクルクルまわしてカメラ切り替えしてたんだけど3人の悪知恵で後半シゲアキ全然映らないしみんなふざけすぎてネタだった。
可愛かったけどね!!!「シゲの!シゲのパート!シゲのパート歌わせてぇぇええ!!」「ここ俺!俺だから!」ってなってたのめちゃめちゃ可愛かった。ていうかシゲだけじゃなくてにゅすくんたちめちゃめちゃ可愛かったみんな小学生かよ仲良くな(?)
 
JUNP AROUDはなんか踊ってた気がするんだけどここもあんまり覚えてないんだよねなぜか(爆笑)
ただ間奏のところめっちゃかっこよかったのは覚えてる。シゲアキの "JUNP JUNP AROUD"のところがかなり好きで聞くたびにウッヒョ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ってなってた。
 
BLACKHOLEも踊ってたよねぇ。まっすぅの独壇場すぎてラップのところに男を感じざるを得なくて増田の女になってた。まじ無敵すぎたし手越は歌上手いな!!!この野郎!!!って感じ(語彙力)
 
Thunderのまっすぅの衣装だいすき!!!!!!!
増田貴久の世界観に圧倒されすぎてガイシが 、、、、、ってなってた(褒めてる) なんかこう、いつものニコニコ天然イオン製造機のまっすぅからは想像できない姿ですばるくんと重なるところがあって、いつまでアイドルしてくれるのかなあ、やりたいことあったら思う存分やってほしいなあとか突然の母性発揮してた。
 
からの氷温〜〜〜〜 
相変わらず綺麗だな?!?!?!!!
この人の世界観めちゃめちゃ好きだなーと薄っぺらい感想しか出てこないけど、ほんと演出も凝ってるしまたみんなシゲアキのこと好きになっちゃうじゃん〜〜って感じでした。
 
ただ振りとかの真意が汲み取れなくてモヤモヤしてしまった、、らら女の人が元々履いていたハイヒールを最後シゲアキが履いて終わるのもわからん、、、彼女が残していったものなのか、、、、?なんにせよ、ハイヒールを履く加藤シゲアキが性癖どストライクすぎてめちゃくちゃ好きだった。興奮した。(節操のなさ)
できればベージュのルブタンみたいな品のあるやつだとなお良かったけど多分サイズの問題、、、、()()()
 
 
 
次!あばろん!
AVALONで前半戦のテンション最高潮になりました!!!なんで!あんなに!綺麗なの!!ってくらい綺麗でした、小山慶一郎(倒置法)(なぜ小山なのかはこの後説明します)
 
まずなんせ4人の衣装が大好き。みんなそれぞれ白いジャケットを着てて、もうほんとみんな大好きかっこよすぎ。あの衣装にしようって決めた人だれ 金ならいくらでも出す。出て来た瞬間私のタイプど真ん中すぎて悶えたもん。
そんでもって内容ですが、まじであの数分間日本ガイシホールは文字通りAvalonになってたし、あのまま私もアーサー王と一緒に最期を迎えてもよかった。
シゲアキの「未来と過去 行ったり来たりしよう」が糖度が高すぎて高血糖起こしかけたしインスリンが必要だった。危ない。
 
そんでもってサビ、ここが1番やばい。ライトアップされてる中、桜吹雪が舞って、
そこに立つ小山慶一郎、、、、、、え、女神、、、、??? 綺麗すぎんだろ、、、、、、、。
途中紙吹雪の塊を持ってフワァって舞わせてて、はぁ〜〜〜〜〜ってなった(ボキャブラリーの失踪) なにあれほんとに綺麗だった。爆イケどころの騒ぎじゃない。
クソ盲目オタクなので、今まで正直加藤シゲアキがダントツだったから他のメンバーちゃんと見てなかったんだけど、あばろんで小山の株が急上昇しました。
あんなにかっこいいだなんて聞いてない。知らなかった〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!
小山担なのか?ってくらいアバロン最初から最後まで小山しか見てなくてモニター越しのシゲアキを見れず仕舞いになってしまって、終わってからめちゃめちゃ後悔した。クッソーーー!!小山であんな最高だったんなら(褒めてる)シゲアキとかもう人智を超えた存在じゃんね、あーあ早く円盤出ないかな(気が早い)(まだツアー終わってない)
 
 
 
そこからのIt's youで私のメーターは振り切れてました。ええ。
正直アバロンの衝撃が強すぎてあんまり覚えてないんだけどまっすぅの「俺でありますように」が最高すぎて、増田貴久の女になった(n回目) 
ショートバージョンにされてたのが悲しかったけど、これも円盤出たらゆっくりじっくり見たい曲の1つ。
 
 
星に願いを、 記憶にない。なにしてたっけ?
なんか4人がくるくる回るステージでくちゅくちゅしてたよね、、、?
可愛かったけど。可愛かったです、以上。
 
 
MCは割愛。特記事項ないどころか外れ回でした残念すぎ。
 
 
 
そんでもって手越ソロ。
アリーナ通って来てたし割と近く通ってたけど「「えっ、ちっさ」」って耐えきれず言ってしまったし、耐えきれず爆笑してしまってほんとごめんな。歌はほんとに上手いよなぁ、相変わらず。
ただ、手越祐也のソロ曲にプラトニックって命名したのはどこの誰なんだろう プラトニックから極限まで離れてる人だと思ってるんだけどどう??
最後の大サビで音程変えて歌ってた聞いて、担当の子は泣いちゃう子とかいるんだろうなあと思いました。アレはずるいよねぇ、あんな風に歌えたらどんなに気持ちいいんだろう。羨まし。
 
 
かーらーのー UFO。
もーーーーー超超超振りが可愛くって最高なのに、シゲアキ出て来た瞬間、
 
「えっ オカダがいるんだけど!!!」
 
それまで最高に可愛い髪型だったのに、まさかの突然オールバックで登場されて動揺を隠しきれなかった。
髪の毛かけるなら片耳だけにして?!?!!なんで全部出しちゃったの、、、、ただのオカダになってしまってショックを受けてしまった。いやかっこいいけどね(盲目)
 
まあそれを加味してもUFOは最高だった。振りが最高だし衣装も可愛いし総合的にはかなりよかった。ただ髪の毛がなあ、、、、(引きずる)
 
 
そしてEMMA。
私は割とEMMAが好きだ。衝動的な女に〜のところのシゲアキは相変わらず爆イケだし冷静に 抱いてくれ、って感じ。(ゲンドウのポーズ)
あと、テゴマスの歌ってるところが好き。ていうかまっすぅめちゃめちゃ男前だな?!抱いてくれ!!!(2回目)ってなってしまう。みんなもそうだろ???
 
んでここからのEROTICA〜〜〜〜
入りのシゲアキで私はもう気絶寸前って感じ卍卍 
もう振り付け最高に艶やかで私は大満足でした。
はぁもうやばいなこれをこんな間近で見れてるとか最高かよもういつ死んでもいいや〜とか思ってたら終わってしまってめちゃめちゃ物足りなかった。あれほんと延々と見続けたい。
 
次がメガロマニアなんだけどこれめっちゃ踊っててあんなガシガシ踊ってるNEWS初めて見たから見惚れてしまった。
…カッコよすぎだな、、、、、?????えっかっこいい。めちゃめちゃかっこいい。こんなに魅せられるとは思ってなかった凄い。
この後時空の歪みとかなんとかでremix的な感じで踊り通しだったんだけど、ここでNEWSってすごいなって贔屓目なしにめちゃめちゃ驚いてた。
えろてぃか辺りから踊る系になってて、メンバーが必死で やり切ってやる!!みたいな気迫がすごくて圧倒されてしまったし、ギリギリのところで歌って踊ってるのが苦しそうで、見てるこっちが呼吸浅くなってしまった。
気合入れるために「行くぞっ」って叫んでたんだけど、それ聞いて思わず鳥肌立った。
カルテットは動画で見たことあったけど、生で見てみたいなあって密かに思ってたからそれが叶って嬉しかったのに、4人の鬼気迫るダンスがしんどくてちゃんと覚えてない()
でもカルテットクソほどかっこよかったです。ありゃすごいな。
 
メンバーの休憩時間が終わり、4+FANへ。
去年この曲で初めてシゲアキに構ってもらったなあと思い出して少しおセンチになる私。確かこれ普通に外周だった気がする。違うっけ?
なんかこの辺でスタンドの8連うちわを見つけでずっと見てたんだけど、メンバーが来るたびにくるくるうちわが変わってて、すごいなあと純粋に関心していたのに、最終的に手越が来た時「越越越越越越越越」って越8連になってたのめちゃくちゃ笑ったな。なんだよ越8連って。
 
そしてD.T.F.。
シゲアキのような頭の良さそうな人に「バカ」っていう低俗な単語を使われるとちょっと興奮するからやめてほしい。めちゃくちゃ見下されてる気分になっちゃう(節操のなさ)
相変わらずここのテゴシゲ可愛すぎて はぁん ってなってた。振り付け可愛いよねぇ。相変わらずメンバーは外周でしたので私はおとなしく近くのジュニアと踊ってたよ☺️
最後のコヤシゲの絡みめっちゃ可愛かったし、こやまけいいちろうくん(5歳児)って感じだった。よちよち(口癖)
 
ようやくセンステ戻って来るかなと思ったところでweeek。
シゲアキがブロックすぐ横アリトロで通ったのにケツ向けられて嘘でしょ、、、、、って絶望してたら最後の最後にふんわり目線くれて ドギュンッッッ となってしまった💘💘
いやほんとこの時痛感したけど顔が好きってやばいな。めちゃくちゃ顔が好みだった。
 
 
そして締めのU R。これはなんかみんな高いところで歌ってた、と思う。この曲の時ずっとシゲアキ見てたんだけど、言葉にすると薄っぺらいんだけど、必死に全力で歌ってて、込み上げるものがあった。
いやなんか、こんな去年一回入っただけの私がここまで魅了されて、こんなにも好きになってしまった彼らって、一体何者なんだろう、と思った時に、色々プライベートでやらかしてたとしてもこの瞬間だけは少なくとも私たちのために頑張ってくれてるんだよなあ、と感じられて。そう思わせることができるってとても凄いことだ。
そんでもって、この時のアリーナのオタクたちの多くは近くのメンバーとかモニターを見ていたし、後ろを振り返って遥か頭上にいるシゲアキを見てた人はB3ブロックでは少数派だったと思うんだけど、一瞬バチコンと目が合ってしばらくシゲアキが無表情でこっちを見てた時間が0.3秒くらいあったんだけど、あの距離だしあまり信じられないしなによりあの位置から大好きな顔面に無表情で見下ろされてるという状況が非常に興奮してしまってすぐに顔を逸らしてしまった、、、、、、(性癖がばれる)
 
そしてイノセンス
イノセンスはね、もうね、連れの子と小山のやりとりが最高すぎてちょっと泣いた。
最後の最後、小山が突然のファンサタイムかまし始めてワンチャンあるじゃんこっち見ろよ!!!!みたいに構えてたのにうちらの前後には構ってんのにここはは無視かよ??とか思って嘘でしょ〜〜〜〜〜😩😩と思ってたんだけど。
センターステージが回転してて、そこにメンバーが座ってたんだけど、柱被る直前にうちわ見つけてくれて、柱からヒョコって頭出して投げチューしてくれて大歓喜の二人。あの小山は公演イチ可愛かった。ほんとにめちゃめちゃ可愛かったし出来る子すぎてありがとう小山〜〜〜〜〜〜最高に可愛いし爆イケだよ〜〜〜〜〜って感情だった。ちなみにシゲアキは見てません。
 
ここで一度終わって、残り1曲になったんだけど、目線くれたし、なにより席が近かったからかなり満足してて、がっつり構ってもらえなくてもまあいっか(楽天家)ってなってました。ほんとに。
 
 
なので、HAPPY ENDINGはとても暖かい気持ちで見てました。
シゲアキの挨拶が「エプコティアライナーにご搭乗頂きありがとうございます」から始まって、ちゃんとコンセプトを忘れずにいるところとか、そういうとこめっちゃ好きだよ〜〜〜だいすき〜〜〜
あと、手越が人としても男としても成長していきますって言ってたんだけど、それは本当に有言実行しような、応援してるからな。
 
 
そのあとみんなに挨拶しよ!って言ってこっち側来てくれたんだけど。
ただのファンサのタイムセールだったからアリーナの民がみんな血眼になって推しからレスをもらおうと必死に手を振ったりうちわをアピールしてる中、
1人でシゲアキに向かってピースする我、、、、
ファンに向かって手を振り続ける推し、、、
近づいて来るシゲアキ、、、、
ふと目が合って、お手振りしてた手がピースに変わって✌️ってしてくれて、
思わず えっ 私??ってしてたら、
そうそう、ピースピース✌️ってしてくれて死んだ。
 
ありがとう。一生忘れたくない、、、、めちゃくちゃかっこよかったな、、、、、ていうかシゲってピースのイメージなかったから普通にかっこよくて好きだった、、、、、ドチャクソアイドルスマイル!って感じじゃなくて ん✌️って感じだったのも好き、、、、、
 
 
 
 
 
 
という感じで終了。めちゃめちゃ長くて引いてるんだけどなにより満足度が過去イチ(まだ二回しか入ったことない)だったのでどうしても纏めたかった。
 
デジチケで当日までアリーナなのかスタンドなのかすらわからないし、アリーナだとしてもハズレが多すぎてめちゃくちゃ不安だったけど、これからは別の意味で不安になってしまう。
にしても今回の公演でNEWSをさらに好きになってしまったし、加藤シゲアキの魅力にさらに引き込まれてしまったのでおとなしくオタクを続けようと思う。
帰宅してすぐにiPhoneの待ち受けをシゲアキにした自分の流されやすさよ.......
でもまあ、オタクなんてちょろくてなんぼみたいなとこあるよね。
オッケーみんな元気に働いて積極的に貢いでいこうな!!!
 
NEWSありがとう!!こんなに満足のいくコンサート初めてだったよだいすき!!!