ひかりあれと はいわれた

<交叉時点(crosswhen)/時空検閲官の部屋>

淡い光に包まれて陰影のない空間。老人と若者が対峙している。
「ここに、こんなところに貴方はいたのですね」
老人は答えない。
「何人もの人生を、いや幾億もの世界を犠牲にて、貴方はただここで追憶に耽っているだけなのですか?それが貴方の本当にしたかったことなのですか?」
若者は被害者であり告発者であり、便宜上裁判官でも処刑人でもあった。
「……幾億の世界など元からなかったのだ」
老人の声はかすれて小さかった。だが青年はそれを明確に聞き取っている。
「ある意味で幾億の世界はなかったとはいえる。世界は唯一無二で多世界解釈など量子力学的な方便に過ぎない、いや過ぎなかった。ある企業が国の後ろ盾を得てあの忌まわしいプロジェクトに手をつけるまでは。貴方があのTime Fragmentation Projectを遂行するまでは!」
青年は老人の周りをゆっくりと歩く。武道家が相手の隙を探すように。
「貴方は自分の会社、それに塵理論TFPを用いて、たった一つの世界を無数の平行した可能性の集積に変えた。そこまでしたうえでそれを、全ての世界線を一つ一つひねり潰していくような暴挙を何故行った!」
「ああ……私個人の目的を問われるのならば、それはただひとつだ」
「……そうなのですか?本当にそれだけだったのですが?……たまたま権力の座に着いただけの、貴方の労多くして実り少なかった人生、80年をドラマチックな出来事で埋め尽くすためだけに同じ時間を繰り返し、並行する世界線を次々と乗り換えては潰していったのですか?」
「そうだ。私の行為の理由に限れば」
「ふざけるな!貴様以外に元凶がいてたまるか。こいつが平行世界の同じ人間だと考えるだけで反吐が出る」
「なるほど、お前はわしであったか」
「俺はあんたじゃない!家畜から肉を採るように、人生の最良の部分を吟味され簒奪されたものの痛みが、分裂し断片化された世界に生かされる苦痛があんたにわかるか?!」
若者は正面に立って弾劾する。
「聞いているのかディクタトール、独裁者・島耕作!」
しかしその声はもう老人の耳には入らない。彼はつぶやく。
「……双太陽青九三より黄十七の夏。アスタータ50における惑星開発委員会は≪シ≫の命により……」

(2007-04-09 ファ文)

 

フーダニット・ハウダニット

「来ました、六人目です」
目の前の灰皿にはもみ消されたタバコが山を形成している。そこに一本追加された。
「……拘束はできないのか」
「できないのはわかってるじゃないですか。うちによる認定を受けてないのも含めると倍は行くでしょう」
「被害想定は?」
「可能性のあるのが53名。想定被害者は7名といったところでしょうか」
「全てに監視を……無理だな、被害者が範囲の外に広がるだけだ。会社と関係ある人間だけ保護をつけとけ」

犯罪は阻止できないが、加害者は突き止められ罪を問われる。しかし加害者より上の次元で犯行を意図した者がいるとしたら?ターゲットの殺害に至る雰囲気を醸成できるものがいたとしたら?そいつにとって加害者が誰は問題ではない。場合によっては被害者が誰かすら。誰かによる誰かの殺害さえ起こればいいのだ。それは新たなテロのスタイルだった。そいつはランダムに見える人の動きに、石を投げ、餌でつり、任意の場所に特定の人物を集めることに成功していた。
マップの上には光点が6つ。それらは特定の人物を示していた。

「後期クイーン効果か……」

世の中には因果律に影響を与える人間がいる。運が良い、悪いといわれる人々のことだ。そのバリエーションで周囲に一定の事象を引き起こす人間もいる。雨男、晴れ女などのことだ。殺人事件を引き起こす体質を持ったものを名探偵と呼ぶ。名探偵が遠因となる殺人事件に最初に着目したのは、自身も名探偵であったエラリークイーンだった。彼がカンパニーに近い位置にいたのは幸いだった。彼の参加によりこの部署が作られたのだ。
地図上の光点は名探偵たちである。重ねあわされた等高線は彼等による因果律の歪みを示している。そしてそこに強烈な歪みが加わった。
「『リトルボーイ』まで来ました!時間係数1w!連鎖係数5!大物です」
「その大人子供だけは超法規的措置で隔離しろ!今すぐだ!」

(2007-02-01ファ文)

 

鳥人伝説~武士を継ぐ者~

騙り 森本レオ


薄暗い室内で男が椅子に腰掛けている。男の名は長尾修平。東京ドームの地下にある部屋で長尾は静かに時を待っていた。


インドが天竺と呼ばれていたころ。一人の僧侶がありがたいお経と三つの秘術を故国に持ちかえった。地を駆ける術、水中を自在に泳ぐ術、そして空を自由に飛ぶ術。それらは猪八戒沙悟浄孫悟空と擬人化され西遊記というお話になるのだけれど、それはまた別のお話。


中国に伝わった空を飛ぶ術は、最初、インドでそうであったように徳をつんだ偉いお坊さんのみがなしうる奇跡だった。ここ中国では当然のように体術と組み合わされた。そんなわけで凄腕の武侠は今日も空を飛ぶ。凄腕でない武侠は飛べないのだけれど、飛べない武侠は己の身体を縄で縛って力自慢の弟子に振り回させた。これがワイヤーアクションの始まり。


時代をちょっと戻す。中国は唐の時代、えらいお坊さんが自由に空を飛んでいるのを見て、大空に憧れた男がいる。男は大変な修行をして術を修め国に帰った。行きは海路、帰りは空を飛んで帰ったので、空海と名乗るようになった。空海が持ち帰った空を飛ぶ術は禅を経由して侍に伝わった。サムライ・ミーツ・スカイ。


長尾は稽古が嫌いではなかった。稽古が見せられないのだった。親方に初めて技を伝授されたときには体が震えた。以来稽古を欠かしたことは無い。しかし見せることはできないのでよく怪我で休んだということにした。親方はあいつは稽古が嫌いで、と庇ってくれた。長尾は現役時代を思い返し、ふとある兄弟の事を考えた。飛べる兄と飛べない弟のこと。今は不仲だけれどそうなった遠因である親方の扱いの差は飛べる兄だけが知っていた。


国松は今日も空を飛んでいた。今では飛ばなくてもいいのだけれど、空を飛ぶのが好きなのだった。兄の竹千代は飛べなかった。江戸時代も初期のころの彼等には飛ぶことに意義があった。だから家督は国松が継ぐのが筋と思う人は多かった。祖父は飛ぶ必要の無い時代にすべきだと考えていたので竹千代が継ぐことになった。国松にとって家督などどうでも良かった。彼には空があったから。彼は何でも一通りこなせたけれど、飛ぶことに換えられるものは無かった。彼は気が向くと、とても高く飛んでそこから落下した。腕を広げ大気にぶちあたる感触を楽しんだ。断熱圧縮でプラズマ化したオレンジ色の大気も、武士である彼なら心頭を滅却すれば肉眼で見ることができた。飛ぶことが全てで、飛べれば何も要らなかったが、飛びたかった兄の嫉妬により若くして命を絶たれた。彼の死は嘘の悪評で塗りこめられた。


殿中でのスタイルが、戦国時代の空挺部隊の兵装であったことは大奥だけが知っている。


対戦相手の事を長尾は考えた。同じ空を飛ぶ術を持つ男の事を。


チベットにいまだ残っていた空を生身で飛ぶ方法はアーネンエルベによって蒐集された。しかし実戦に投入されるには遅かった。空では機械で殺しあったのだった。メンゲレはブラジルの空を飛んだはずだが、アマゾンにシュバルツバルトを見出しただろうか。南米の子供達に空を飛ぶことを教えたのが誰だったのかはわかっていない。


ミルマスカラスはもちろん空を飛べた。ルチャドールはみんな空を飛んだ。空を飛ぶルチャドールをビリーバーはUFOと呼んだ。


長尾修平-今は舞の海修平-は立ち上がる。リングで佐山聡が待っている。東京ドーム地下での無観客試合。そこでは禁じられていた全ての技をだし尽くす約束になっている。長尾はふと思いついて鏡の前で顔に隈取を施してみた。思ったより似合うのでにやりと笑う。今日はまず頭突きをぶちかまそう。

 

2006-06-19ファ文)