フランスの昼飯

フランスの食生活は当然古い歴史に培われてきたものですが、もうひとつ昼飯の制度も貢献しているはずです。会社はもし社内食堂(カンティーン)が無い場合は、従業員に「ticket de repas」という金券を供与することが法律で義務付けられています。金額は都市によって異なりますが、その都市の昼食メニューの約70-80%をカバーしているようです。ミシェランの星がついているレストランには通用しませんが、入り口に「ticket de repas」と表示のあるレストランに通用します。個人タクシー(オーナータクシー)はダメですが、会社に雇われているタクシー運転手もこの恩恵をこうむっています。
 このメニューは大体、前菜から始まり、主食、サラダ、チーズ、デザートまでのコースが標準です。コーヒーは大体この金券の別枠ですが、中にはワイン(もちろん高級品でなく、水代わりのもの)とかミネラルウォーターあるいはビールが含まれているところも多いようです。このようなメニューで料金が600円から800円位。このうち会社からの金券が1日あたり500円ー700円支給されます。パートタイムにも支給されます。この金券を使わないでためておいて、総菜屋で食料品を買うのに流用することも可能です。社内食堂(カンティーン)がある会社の社員はちょうどレストランのメニューと金券の差額を食事のたびに支払う制度ゆえ、食に関しては大企業、小企業従業員の負担に殆ど差がありません。
 こんな制度に支えられて、例えばご主人、子供を持つ共稼ぎの主婦も、昼食はたっぷりレストラン又はカンティーンでたっぷり、ゆっくり取り、週日の夕食は冷たい食事のみという方針を貫いている人が多いようです。
付け加えますと、幼稚園、小中高校の昼食も基本的にはチーズ・デザートつきのフルコースなので、お母さんも心置きなく昼食を楽しみ、夕食は手抜きが可能なのです。

朝食に国籍必要か?

米国には、食の文化がないのに、格好だけつけて、サラダのドレッシングの種類(サウザンドアイランド、フレンチ等々)や、目玉焼きの方法(サニーサイドアップ、オーバーレイ等々)がやけに多く、そのくせ内容はたいして変わりません。開拓精神を維持して?それともひどい食文化をもつイギリスの子孫だからか、量はともかく食生活の内容が貧しいことに変わりありません。

 初めて米国に出張した頃は、そもそも日本でもビジネスホテルが普及し始めた頃で、それまで旅館の経験しかないのに、いきなり米国のホテルに放り込まれ、朝食は、ウエートレスが、それこそ格好だけつけて、注文を取りにきます。注文取るまでに、近くの席では、「イングリシュ・・・・!」、「デーニシュ・・・!」とのやりとりが聞こえてきます。
朝食を注文する前に、まず国籍を名乗らなければならないのか?と緊張します。
結局分かった事は、国籍ではなく、「イングリシュマフィン」「デーニシュペーストリィ」などを注文しているのだということが判明しましたが、「サラダのドレッシングや、卵の調理方法、ポテトの調理方法は、それこそウエイトレスがこちらの英語のヒアリングをチェックしているのではと疑うくらい、各種を並べ立て、選択を迫るという機会が、来る日も来る日も続きます。
どうせ内容が無いんだから何でもいい、といっていたのでは、食いっぱぐれてしまいます。これはひとつの儀式なのでしょうね!

バリカン:フランス語 

バリカンは子供の頃どこの家にもあって、親が坊主頭に刈上げてくれました。素人ゆえに、虎刈りにされたり、バリカンの歯に髪の毛を挟まれたり、という記憶があります。
 時代とともに甲子園出場の高校野球部にも長髪が増え、そのうち坊主頭が見られなくなると、バリカンも家庭から消えて行きました。当然家にあったのは手動ですが、最近は電動バリカンが床屋に見られます。
 最近はスキンヘッドにする人も多く、結構家庭にも普及しつつあるようです。バリカンて、どんなスペルだろうか?variable cutterではバリカンにならないし?と考えたことがあります。
初めてフランスの床屋に行った時には、座ると、「tondeuseを使うか?」と聞かれました。tondeuseとは芝刈り機しか知らなかったので、びっくりしました。見せられたtondeuseはPanasonic製の電動バリカンでした。
広辞苑で調べたら、tondeuseのメーカーのBariquand et Marre社の名前がそのままバリカンの語源になったようです。この会社を調べたところLyon に在ったようです。
後で、このフランスの床屋にBariquand et Marre社のことを聞いても知りませんでした。
Hotchkiss社のstaplerが日本でホッチキスになったのと同じ経緯ですね。
こんなホームページもあります。
http://www.bea.hi-ho.ne.jp/irino/sanpatu_barikan.htm

英語とフランス語

1973年にコンコルドを開発中のフランスとイギリスに、炭素繊維を売り込みに行きました。米国がSSTソ連がTu-144を開発して競争していましたが、すでに米国は政府決断で脱落。Tu-144の方は、コンコルドを真似したのじゃないかとコンコルドスキーと呼ばれていました。ところが、この年6月のパリエアショウでデモ飛行中に墜落し、出遅れました。
会社を訪問したのは、Tu-144墜落のすぐ後でした。フランス側のAerospacialeはSud-AviationとNord-Aviationが合併しツールスとパリに事務所がありました。出てくるフランス人はフランス語なまりの下手くそとしか言い様の無い英語を話してくれます。コンコルドとは、協調を意味する、とも教えられましたが、ひとつは、こんな英語でイギリス人とコミュニケーション出来るのか?もうひとつは、英仏の強い対抗意識でした。これで本当にコンコルドが飛ぶのか、という疑問でした。
 心配していたコンコルドは1975年12月26日就航フライトを行い、紆余曲折あったものの結局20機足らず生産され、今年完全リタイヤしました。
その最終フライトの写真入手しました。http://www.catsprn.com/concordes_last_flight.htm

昔のフランス人と国際化(英語)

昔は(20-30年位前)、フランス人は英語を知っていても話してくれない、という定説がはびこっていました。たしかにレストランもホテルも英語は殆ど通じません。テレビもフランス語オンリーゆえ、一旦フランスに入ると、フランス語を話せない人にとっては、見ず、聞かず、話さずの状況下では、フランス嫌い(francophobie)になるのもやむを得ません。勤務先の海外部長が、「一度出かけたフランスでは言葉が通じないので、2度とフランスに行くのはやめた」と公言していました。
 一方で、国際化の波が押し寄せ、フランス語に英語がはびこるのを防ぐために、お国が「パーキング」とか「ストップ」、「ビデオ」、「コンピューター」などの使用を禁止していた時期です。
日本とフランスの関係はというと、日本はフランスにせっせと輸出するくせに、フランスの製品は買ってくれないという関係が、長く続いていました。当時の日本の首相が仏大統領に「トランジスタ商人」と呼ばれたりしました。
日本製品があまりにもフランスに入ってくるために、輸出する製品のカタログや輸出入の書類もフランス語でなければならない、という規制ができたこともありました。
ただし、フランス人が英語を話さなかった理由は、自尊心とかプライドでなく、単に彼らも本当の英語に触れたり、会話のチャンスが無いために、英語をそのままフランス語で発音するため、それこそとんでもなく下手くそな英語に聞こえてしまうために、話すのを控えていたというのが、実情だったのではないでしょうか?

フランス好き、嫌い

今から20-30年前は、フランス語といえば、ファッション、香水、フランス映画などを連想させるハイカラな雰囲気がありました。francophile(フランコフィル)というフランス好き、親仏という単語もあります。当然反対語もありfrancophobie、フランス嫌いといいます。昔はフランコフィルがたくさんいたと思います。
小中学生の頃は、若い男女のカップルのことをアベックと呼んで、「ちょっとけしからん、いやらしい、悪いやつ」といったニュアンスの表現があったようです。このアベックの、フランス語の意味は、単なる英語の「with」と同じ意味であり、一体誰が、いつ頃からこんな使い方をしたかは、はてなのテーマになりそうです。

たまたま会社の仕事でフランス人及びフランス語と付き合うことになり、それまでのfrancophobieから、言葉を覚えるにつれて、少しづつfrancophileになっていく自分、一方その中でフランス人って、なんて不可思議なんだろうと思ったことなどを考えていきます。