たい焼き食べたい

ジンペン初心者です。色々自身が感じたことを書きます。

傘を閉じたら空が青かった

ぐちゃぐちゃな感情から1日。というか、午前中まではぐちゃぐちゃだったし、今もまだ完全に戻ったといえるかはわからない。でもようやく立ち上がれた、と、思う。誰かと住んでいたら気遣えなかっただろうから、一人暮らしでよかったな…としみじみ。

 

びっくりするくらい、感情の一部分が動かなくなってしまっていたけれど、そこがほぐれた気がしたので、前回の記事を見直しあまりにひどいなぁというところを削った。それでもひどいものだが、こんな自分もいたのだということで残しておく。

 

SNSで、結局いろんな人たちがわいわいしているところから全て離れるのはさみしくて、でも今もともとのすべてを目に入れるのはまだこわくて。書いてほしくないなんて思わない。みんなが待ち望んでいた日なんだから、たくさんの人に全力に楽しんでほしいし、幸せな気持ちでジンくんを出迎えてほしい。ただ自分が明るさ100のところに戻れるかは当日になってみないとわからなくて。

戻りたいし、たくさんのポストを見ながら私もよかったよかったといいたいけれど、本当にぐっちゃぐちゃな数日だったので、まだ少しこわいのだ。調子をみながらゆっくりと、おそるおそるでもみたい気持ちはある。まぁ私は誰にリポストするでもない、ただただみてるだけのアカウントなんだけれども…。

 

X上でみかけたとあるポストをみて、皆どれだけ悔しいとか悲しいとかポストの文面では計り知れないもんな、悲しそうに見えない人が悲しんでないなんて思ったらだめだなと、わかっていたはずだったけど、改めて痛感した。そして私も、この痛みをしっかり受け止めた上で超えていきたいと思った。

今回のことはすごくすごく悲しい。当たった人はめちゃくちゃうらやましい!けれど大きなプラスの感情には大きなマイナスの感情が表裏一体に存在することは当然で、それだけ私も好きだし当たることを期待していた。今後もわくわくするなら、その裏側の感情が存在することは頭においておかなければならない。それを覚悟のうえでやっぱりジンくんを好きでいたいと思った。

ならば立ち向かわなければ!そう思えた瞬間目の前が開けたような感覚になった。同じ言葉でもタイミングによって響く響かないが全く変わるので、今日あのポストをみれたのもなにかのご縁なのかもしれない。

 

たかがそんな、と大げさに思う人もいるだろう。それでいい。でも私にとって大切な決意で、そのおかげで「好きだー!!」という気持ちが戻ってきた。先述の通り、まだ不完全ではあろうから、一気に戻るのは少し怖い。でも、このままの感情で過ごせたらきっと明日は笑顔でジンくんを想うことができる。一時はこのままこんな短期間で降りてしまうのだろうか、なんて自分は弱いんだろうかとまで思ったので、安心して少し涙ぐんだ。

きっとこれからジンくんのソロ関連、来年以降の全員でのコンサート等、沢山の当落を体験するだろう。まためちゃくちゃに落ち込むかもしれない。なんなら外せない用事と重なり申し込みすらできないことだってあり得る。

でもどれだけ落ち込んでもひょんなことで自分は立ち上がったことがあるのだということには自信をもって。羨む時間がまたあっても、いける人達の幸せを祝えるように。

そして自分に幸福が舞い込んだときは、大いに全力で喜んで。でもその陰には今回自分が味わった感情を持つ人がいることを忘れずに。

 

このまま好きでいられる。前日に、この気持ちに戻ってくることができて本当に幸せだ。彼の目に私が入ることは今回はないけれど、私の幸せが少しでも届きますように。

また上下するかもしれない。でも恐れない。向かっていく。

嬉しすぎて、いつも以上にポエミーであるけれど、それもまた自分の一部。

 

あーー絵描けるようになろう。がんばろう。

今回は渡韓しなかったけど、いつかしたいな。お金貯めよう。目標たくさん。 

 

追記:シンプルなコメントだけ入れてくるの男らしくてかっこよすぎませんか?!???!!???好き!!!!!!

天気は曇り空、時々雨、雷も。そのうち晴れるといい。

※1日たって本当にどす黒かったし見苦しいので、ある程度は残しつつもあまりに目も当てられない部分はごっそりと消した。それでも見苦しい部分は多々あるので、いやな気持ちになりたくない方はバック推奨。

 

 

見る人が見たらわかるだろうから結果だけ書くと、無理だった。

 

この1週間突然大きな夢がふってきて、膨らむだけ膨らんだけど、綺麗な形になることはなく、粉々になってしまった。

どうやら物凄く期待していたようで、結果をみるまでは予想をしていなかったほど落ち込んだ。配信は観る気になれず、あれだけ待ち望んでいたはずの数日後は、その時の自分はどうなってしまうんだろうか、と怖い気持ちもある。晴れやかにお祝いしたいのに。

 

SNSをみると、あぁそうなんだ…という結果で、しばらくSNSからは離れるべきだと思ったし、今後のことを考えるといい機会なのかもしれない、ということでアカウントを作り変えた。

結果をみる前は「どうしよう~ここにレポなんて書けないよ~」なんて浮かれたり。準備を全力でしたり。どうせだめでも楽しめるだろうくらいに考えていたけれど、甘かった。ある意味良い勉強になったとも思う。

 

ただ、ずっと悲しみに浸っていても仕方がないので、この感情はどこからきているのかをしっかり見つめようと思い、あえてここにぐちゃぐちゃをそのまま書きにきた。汚い私もそのままに。私は何がそんなに悲しいのだろう。

 

会えないこと。至近距離に近づくチャンスがあったのに手に入れられなかったこと。それを他に入手している人も多くみてしまったこと。自分は何が足りなかったのだろうか。次なんてなかったらどうしよう。ずっとこのまま辛い感情ばかりになるなら期待なんてもうしたくない。こんな風に考えてしまう自分がいやだ。うらやましい。どうせあなたはいい結果だったくせに。良い言葉を出せるあなたはすごいですね。それに比べて私は。信じていたのに。確信めいたものもあった気がしたのに。できると思ったのに。

 

うわー黒々しい!会えなかったら自分の人生はだめになるのか?そういうわけではない。こうして書き出してみると、「結果」だけでなく、そこから派生する自責の念や不確定なはずの未来を勝手に真っ黒だと仮定して嘆いているものが多い。わかっているのだ。私にだってもしかしたら幸運が巡ってくる可能性がゼロじゃないってことは。でも期待して、そうじゃなかった時に傷つくのが怖くて、それならすべてを手放してしまいたい、という感情が大きいのかもしれない。嫉妬の反対の感情は喜びだそうだ。わかる気がする。本当はよかったねっていいたいのに。うらやましいもあるから。

 

でもそれでいいのだろうか。彼を好きな感情は嘘ではないのに。わからない。

心健やかに前を向こうと思う瞬間もあるけれど、無理やり蓋をすると、それはそれでよくないとも思う。しっかり感情を味わって、次に自分を大切にする方法はどれか。ゆっくり考えていきたい。波はあるので、わりと平気な時間もあれば、もうなにもみたくない考えたくない!ってときもある。だめな時は無理せず離れて自分磨き()したり、他で楽しんだりすればいい。

 

悲しい気持ちをみんなで慰め合うのもいいけれど、結局のところ自分の穴を埋められるには自分自身でしかできない。いいこともいやなことも忘れる!って、そんな早くには無理だってば。でも「これ以上はどうしようもできない」と自覚して、あとは自分の感情に寄り添いつつも、その感情ごとゆっくりとでも良い方向に舵をきっていくしかないんだな。

みんな幸せになってほしい。私も。もちろん彼も。

 

実況者の過去の配信アーカイブを追っているけれど、まったく違う界隈のゲラゲラ笑えるコンテンツ、めちゃくちゃ救われている。ありがたい。

箱庭の世界

以下、ほぼほぼ自分語りになっている。注意書き。

 

コンセプトでとても楽しみにしていたナムジュンさんのアルバム。発売おめでとうございます。

まずタイトル曲のMVをみてきた。タイトル曲がこの曲ですよという発表をみたときからはやくききたくて仕方がなかった。ナムジュンさんの芸術など多方面にわたる豊かな知識から作り出される曲を考察なんて烏滸がましくてできやしないけれども。それでもやっぱり感じたことは書きたい。前回の記事に同じ。SNSを先にみるとほかの人の感想が流れ込むので、まずは何も見ずにここに書きたい。的外れでもいいんだ。自分がそれをみて何を思ったのかを大切にしたい。

 

「地面に捨ててしまえ」「拾い上げてトランクに投げ込め」「何度も転んで血を流してる」「どん底で道に迷った けど君に縋ったりはしない」「毎晩いつだって死んだように生きている」「愛を感じる朝には 歓喜に満ちてその愛を抱きしめる」「毎晩病気みたいに苦しむんだ」「どうしようもない寂しさを感じるとき ずっと死んだような気分さ」「どん底にいるときは決して誰かを愛さない そこは闇そのものだろうから」分かりやすい言葉で伝わってくる歌詞の部分がそのまま突き刺さる。突き刺さって抜けない。うっすら笑みを浮かべて血を流して立ち尽くしているような。

 

「わかる~~」なんて世界的大スターにいっていいのかわからない。けれどナムジュンさんは先述の「烏滸がましい」とか「大スター」とかで心の距離を勝手に取られるのをきっと寂しく思う方なのではないか、と会食をみて改めて思ったので、書く。わかる~~~~。

でも、この曲を聴いて思うのは、これは書いてあった「共感してもらえるだろう」の共感を「求める」というよりは「独白」に近い気がしている。聴いた後に共感をするしないは聴き手の自由(してくれたらうれしいけど)で、あくまでナムさんがナムさんのために書いた歌なのだなと感じる。僕はこうだ。ただただそれだけ。自分のありのままを書く。自己の表現。ただそれだけ。良いも悪いもない。救うわけでもない。寄り添うわけでもない。ただそんな自分がいることを形にする。

好きだ~~~~(突然のクソデカボイス)

同じように日によっては死にそうになり、日によっては最高だ!!!と全世界に感謝したくなる日がある。それは理由がある日もあれば、そうでなく突然波のようにやってくる。理由がある日のほうがむしろ解決ができるから簡単で、波でやってくる日はただただその波にうまく乗れるか乗れずに飲み込まれるか。大抵は後者。波だと気付こうと飲まれる日は抗えない。ただただ過ぎていくのを待つだけ。歓喜は思ったよりも早く過ぎていくし、どん底の時はまさに闇なのでいつか出口がくるはずだとわかっていても、抜けるのをじっと待つしかない。それなりに過ごすだけ。癒そうとする日もあったけど、どうしたって無茶苦茶になるしかない日も結構ある。頭がおかしくなりそうな自分を押さえつけていつの間にか眠りにつくことを泣きながら待つ。そうしてある日突然踊り足したくなるくらい意味もなくすべてが楽しい日がやってくる。繰り返し。ナムジュンさんもすべてではなくとも、通ずる部分があるのかもしれない。

 

どん底で道に迷った けど君に縋ったりはしない」「どん底にいるときは決して誰かを愛さない そこは闇そのものだろうから」優しく線を引く。好きだ~

 

自分も似たようなことを思うときは、「それでもいいよ」と言ってくれるのを求めているというより、自分がそれを許さないんだと思う。本当はそれを超えて抱きしめてもらえたらどれだけ嬉しいか。でも自分の闇は自分でしか祓えない。闇は限りがないから、それなりに付き合っていく他なく、どん底の時は一人でいるのが一番いい。それが「自分は愛されないんだ」という認識には繋がらないし。昔はそう思っていた時期もあったけれど、そこはイコールで繋がる訳ではないのだ、と気付いて少し楽になった。まぁ近年は「愛されなくても自分がいるからいいや」というポジティブな諦めのような心境だけれども。「愛されるはずだ」よりも、私にはこれが楽。あったらうれしいけどなくてもそれはそれで。ジンくんのいつかの言葉のように。

 

この内容をこの曲調で仕上げるのがめちゃくちゃ好きだ。機嫌がいいのだかわからない波でわけもわからずすべてを投げ出して踊り狂いたくなる日に聴きたい。普通にご機嫌な日ももちろん聴きたい。ほかの曲も和訳をみながら聴くのが楽しみである。

 

追記。ミニモニの動画をみた。めちゃくちゃよかった。泣いた〜 またこの動画についてもかきたい。

乾杯はカニを刺して

今更ながら会食2022を通しでみた。

SNSや切り抜き等でこの会食が大きな意味を持つことはなんとなく知っていて。とはいえデータ派でもないので今もよくわかっていないかもしれない、とかくことで逃げ道を作ってしまう悪い癖。

人の目に触れる場所であるし、観始めた最初は内容には触れずにおこうと思ったけど、後半の核心部分に進むにつれメンバーのひしひしとした気持ちが伝わってきて、少しでも書きたいと思ったので書く。タグ付けはしない。

2024年5月の今、「軍白期とは??」ときいてまわりたい程、彼らからの想いがたくさんたくさん伝わってくる日々。けれど当時はまだジンくんの入隊のことも公式での発表はなく、今後の自分たちのスケジュールも大きく決まっていても不透明な部分も多い等々。普段以上にとにかく話せないことだらけ。それでもなんとか「自分たちはグループを、ファンを大切に思っている」ということを伝えたくて、言葉を慎重に選びながら、互いの信頼関係を信じながら話してくれていた。「もどかしい」という感情が一番自分には多く伝わってきた気がする。ナムジュンさんがお酒の力を借り壁を越えてこようとしてくれるのとかこっちも泣いちゃうよ。制限はあれど自分の言葉を使える場があったこと、ありがたい。

ソロ活動をします。というのはどのグループだってよくあることで。けれどこうした場を設けて自身たちの言葉や態度で伝えようとしてくれる真摯さ。しないグループが真摯ではないわけじゃないよ。

単に「ソロがやりたい」ということではなく、「グループとして続けるために」「個人が個人でいるために(いち人間として)」離れることで、今までしたくてもできなかった自分と向き合う時間を各々が取れるようにする。実際メンバー達の作品もプロモーション方法も入隊中のアクションも個性に溢れ、私にとっては彼らを益々好きになる時間になっている。

2025年に全員がまた集まる際に「この決断をしてよかった」と話しても話さずとも彼らがそう思ってくれているといいなと思ったし、そう思えるように彼らをこちらも彼らからの信頼に応えたい。応えるといっても、私は特別にアクションをするでもなく、ただ彼らを好きでいて彼らのように私自身が私を一緒に過ごしていくパートナーとして自分の中の自分をもっと知り、ただただ幸せであろうとするだけなのだけれども。

会食中のジンくんがとても大好きだった。本当にこの人のこと好きだなぁと思った。ジンくんはこの場ではもうある程度自分の整理はついていたのか、それとも表には出さないけれど渦巻いているものもなにかあるのか。

ジンくんをみてはよく、「ここに至るまでに彼は何を思い何を感じ、何を置いていくのだろう」と思いを巡らせる。ジンくんがよく「忘れる」という行為を「捨てる」といいかえると、さみしく彼に合わない気がして「置いていく」という表現にした。「今の」彼には必要のないもの。置いていくものに対して気持ちがなかったわけじゃない。むしろたくさんあったかもしれない。けれど今、この瞬間を積み重ねていくためには置いていくべきもの。溢れ出る弟たちの感情を少し後ろから受け止めてくれている安心感があった。そのジンくんがたまらぬ時は、また海の底の彼と向き合う時間があったのかな。

前に出ず、でもその場、その瞬間の大切なことはきちんと、そっと言葉をかける人。皆のことをよくみていて、黙っていても愛情深さがしっかり伝わってくる。静かに、でも芯は沸々と燃えたぎっているイメージがある。優れたバランス感覚。好きだー。

 

とまぁ、自分の中でわー!!となったことを書いてみたらそこそこ多くなった。あくまで「今の」私が書いたことだ。いつも書いているけれど、どこかのどなたかがみたときに的外れなことを書いていたらすみません。でも今の私はそう思ったんだ。

 

でさでさ。41分ちょい前くらいのジンくん、死ぬかと思いました。リアルに「怖!!!!!」って声出た。数秒前から「なんかジンくんめっちゃこっちみてくるな?目が合うな?」一人カメラ目線のジンくん。急にウインクしてきた。少し口角をあげて。死ぬかと思った。素敵すぎて怖い。射貫かれた。好きすぎる。カメラ越しの自分が恋人のような錯覚を起こしそうになった。むしろもう起こしたかった。ズームされていないのがまた良い。普通にほかのメンバーに目がいってたら見過ごすもんな。最高でした。またその場面をみようと思います。

あと20日きったって。会食中にジンくんが「何曲か準備している」のに新たなものが加えられてお披露目される日もあっという間にくるのだろう。どきどきする。

冷やし中華、始めたい

最近自分の時間がうまく取れず頭がパンパン、息が詰まる感覚がするようになってきたので逃げ込むように、ここに脳の中の荷物を下ろしにきた。

「自分の時間」というのは文字通り自分一人な時間でもあるけれど、自分自身と向き合ったり自分が落ち着く時間のこと。

悩みがあるわけではないし、自分の時間がうまく取れなかったのもただ自分が他のことにかまけていただけなので自業自得である。

つい外の世界に気になることがあればそちらに没頭するし、頼られると最初は嬉しくて自ら進んでやってしまう自己犠牲も若干入りつつ他人への時間を割き自爆してしまうタイプなので、意識して自分の時間を取らないよすぐに息ができないような、自律神経が乱れている自覚がでてくる。

自分の世界に閉じこもっている時間に回復を感じる。今日はだれとも喋らずに、SNSもみずに過ごしたい。無音の中、黙って目を閉じていたい。水の音が好き。自然音の動画も好みがあって、同じ自然音のはずなのにうるさく感じたり、ずっと聴いていられるくらい合うものもある。焚火の音でも、海と焚火と虫の音の動画は平気なのに、川の流れと焚火と鳥のさえずりになるとうるさく感じて動画のページを閉じる。実際に自然の中にいって聴くにはむしろ気持ちが良いくらいでも、動画として聴くと違う。なんでなんだろう。ちなみにこれを入力する間も別タブで焚火と海の音を流している。気持ちがよい。

頭の中に何かを留めておくことが好きではない。考え事があるのが嫌というよりは、脳内でのマルチタスクが苦手なので考え事をするときは考え事、そうではないときはそれはどこか別のところに一旦おいていたい。ということで考えるべきこと…というほど大層なことは少ないが、それらはノートなどを活用して置き場所を作る。

 

最近読み始めた本「ヨルノヒカリ」がなんとなくそわそわどきどきして、寝る前の読書で続きを読むのか楽しみである。ここ最近ずっと週末になにかしら予定があるので、何もない週末がきたころにまた本屋か図書館をじっくりとみて回りたい。自分の住む地区ではない図書館も貸し出し以外であれば利用できるはずなので、大きいところに行って半日くらいじっくり入り浸るのも良いかもしれない。自分の好きな文章を書く作家さんをもっと探したい。家の中でもそもそと小活動をして過ごすことが大好きになり、市外へ行くことがめっぽう減った。良い目的になるかもしれない。要検討だ。そろそろ暑くなってきたので実現するかはわからないが。

 

ジンくんへは、タブレットのホーム画面のジンくんを変えてうわーーーっ!と相変わらず一人はしゃいだりしている。6月のリバイバル上映は行くか悩み中。悩み中とかいいつつ、ほぼ行くつもりだ。ジンくんは自分のことをポーカーフェイスだと言っている。たしかにジンくんは「自分は今こういう感情だよ」というのをわかりやすく表情や身振り手振りで“自ら“大きく表してくれるし、そうではないときは元々のクールな造りの美しさでスンとしているイメージがある。でもアミ達がサプライズでYoung Foreverを合唱するのをみたときのメンバーの表情。このときのジンくんは瞳がとても輝いていて、純粋に感動していることが漏れ出て伝わりいつもこちらも涙してしまう。だからなんだって話なんだけど、ポーカーフェイスとか落ち着いているとか言われる人が感情が自分の意図せぬところで収まらずにみえるときってどきどきしますよねっていう…。このシーンをスクリーンでみられるっぽいので行くしかないのではないだろうか。

 

ただただ言いたかったことを並べて少しすっきりしてきた。あたたかい飲み物を飲んで少し休もう。止まろう。そしてまたゆっくり進む。

時々気ままに開く扉

ジンくんを自分のイラストで描きたいっ!と発起しじわじわ…本当にマイペースにじわじわと練習している。そうすると他の時間が削られるわけで。ということで高ぶりもイラストに当てていることが多く、ここに書きにくる回数が減った。そして堂々と放置するにあたり諸々思うところがありごっそりと記事を非公開にした。

イラストは、クリスタを使用するにあたり左手用デバイスを追加し、スタジオモードで自分が使用しやすいように配置を変えてみたりクイックアクセスを登録したりした。

旅先でホテルに到着しても、まずは自分が居心地よく動けるように配置するのが好きな人間なもので、この作業は大変楽しかった。

バイスはiCleverを選択。使用頻度の最も高そうなものを選び、クイックアクセスとの兼ね合いを考えるのに中々な時間を要した。その甲斐あってか、今のところ使い心地は良い。というほどまだ描いてない。

 

イラストに関しては昔米粒程度かじっていたというくらいで本当に初心者なので、基礎からである。どの順番から慣れたらいいのか…と迷う時間のほうが長かったりする。こういうところが時間がもったいないので、とりあえず手を動かすべきだ、とも思うけれど、ある程度自分の道筋(変更可)はできていたほうが安心だったりもするような。

どこに披露するためのものでもないので、急がずこつこつやっていこう。

 

あと1月もしないうちにジンくんが帰ってくるということが毎度言うけれど信じられない。何も準備できていない。不思議だ。でも「今」が更新されていくことはとてもうれしく、楽しみである。信じられないまま、夢のようにジンくんに配信を初めてリアルタイムで迎えることになる気がする。

 

スマホタイムはというと、SNSはみる対象を減らした。そうすることでだいぶ見る頻度が落ちたと思う。ただ自分の調べものとかで開いている時間はそこそこあるので、体感としてきちんと減らせた!!というのはまだあまりない。ほかのことをしようにも最近眠い日が続いていたり、自身の用事ですぐに眠る時間がやってきたりする。

ただ、寝る前の読書は徐々に習慣づいている。わりとすぐにうとうとと眠気がやってくるので、ちょうどよい。やはり紙媒体が好きだ。

 

今日は短めだがここで終わり。眠たい。

じゃがいもは皮つきがうまい

連休前半が終了した。思った以上に趣味方面は進まない連休だった。

気になっていた家事をこなし、実家へ行き両親と出かけたり。これはこれでよかったのではないだろうか。もう少しやるべきことが残っているので、後半ではそれを優先してこなし、趣味は通常の週末で進めていこう、くらいの気持ちがよさそうである。私はいつも思ったほど進まず後悔しがちなので、少なめに見積もってみよう。

 

同級生の話を聞くと、自分がいかにぼんやりと生きているかを思い知らされる。

でも不思議と今まで抱えていたはずの大きな願望?道筋?を手放すと、それでもいいかぁ…とぬるりと生きていく自分を静かに肯定できるようになった気がする。誰に迷惑をかけるわけでもない。誰に認められなくても困らない。自分と自分で仲良くやっていくのだ。「ぬるりと」というおかしな表現だが、一番しっくりとくる。誰も知らない街へ引っ越したい。

連休中、本屋へ行った。何を買うわけでもなく、気になる本はあるかなとじっくり回ってみたが、夜に行ったため時間が足りなかった。またそのうち行きたい。もっと大きな本屋に行こうかな。どこかで今日は1日本屋デー!という日をとるのも楽しそうである。実際半日くらいで疲れそうだけども。「選ぶ」とか「自分の好みを知る」というのが楽しいのだろう。いつの間にか坂木司さんの新刊が出ていたので、いつか読みたい。積読積みゲー、積み趣味…。世の中に「積む」ことなく生活をできる人はどのくらいいるのだろうか。私はこの先何年「崩す」に費やせば積みは減るのだろうか。諦めるべきなのだろうか。だろうかだろうか…。これも誰にも迷惑をかけているわけでもないし、しばし新しいコンテンツにお金をかけることは辞める、と決めればそれでいいのかもしれない。世の中には気になるものが多すぎるなぁ…。

 

最近急にInstagramをみているのがなんだかしんどくなったので、急遽フォロー件数をぐっと減らした別アカウントを作った。特に誰かとつながるとかでもないので、元のアカウントでそのまま減らしてもよかったが、またフォローしなおすのも面倒なので、並行して残しておくことにした。ここ最近自分の「淡々と」さが増している。けど、悪くない。淡々とジンくんの画像をみて1時間にやけていたりする。嘘。これは淡々とではない。

記事をかなり整理した。ほぼほぼを下書きに保管。今後ここを自分用の整理の場として下書きにただただ記事を書く用に使うか、公開を続けるかを迷っている。気の向くままに。