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ライブやフェスのレポートと、主にAppleのガジェット情報を発信するブログ。

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だんだん減る未来 だんだん知る未来

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2019年10月に、10年勤めていた会社を一念発起して辞めることを決意したとき、頭の中で鳴っていたのがタイトルの一節だった。

 

10年もやっていれば会社における出世コースと、その道程に対して自分が良い感じなのか、そうでないのかくらいはわかるようになった。

そして、「運がいい」か「実力がある」どちらかが満たせていれば選ばれる昇進から自分が漏れたときから、自分の将来がこの会社にないことに気付いた。

それでも、ある程度楽しくて難易度が高くて意義がある仕事が出来ている間は自分を納得させることが出来ていたが、それすらも出来なくなることがわかったとき、本気で転職しようと思った。

 

「だんだん知る未来」から未知に飛び出して1年半が経った。

本当に外に出てよかった。自分が培ったスキルは有り難いことに新天地でとても重宝された。何年か前の自分に言ってあげたくなるくらい、新しい職場では期待してもらえて、評価もしてもらえた。

自分がどんなことが得意で、逆にどんなことが苦手なのか、とても解像度が高くわかるようになった。

日々新しく、今の自分が出来ないことにチャレンジさせてもらえている。良いところには率直なフィードバックを、駄目なところにはもっと率直なフィードバックをくれる上司や同僚に恵まれた。

 

自分が転職を決めたときに欲しかったものが、手に入ったと胸を張って言えると思う。

 

だけど、また遠くから「だんだん減る未来 だんだん知る未来」のフレーズが聞こえてきた。あと半年/1年経った先にある未来と、その未来を辿った先にどんな未来が待っているのか、朧げに輪郭が見えてきた。

未知の環境に、必死な環境に自分を置くことがいかに大切なのか、この1年半で身を持って理解したと思っている。

 

知ったかぶりしたことが恥ずかしかったと将来振り返ることができるくらい、新しいことに、未知に取り組んでいかなくちゃいけない。

 

1年半の振返りに代えて。

会社員10年めに初転職して3ヶ月間の間にやったことの振返り

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2019年の10月に人生初の転職をして、早いもので丸3ヶ月が経過した。

 

本当にどう見られているかは知る由もないけれど、自分の感覚ではまずまずちゃんと立ち上がることはできたんじゃないかと感じている。

10年間弱勤めた会社を辞めてまったく違う文化の会社に入社して、「とりあえず半年間なんとか生き延びよう」くらいに切羽詰まって考えていたけれど、また将来仕事を変える時のためにもどんなことを考えてどんなことに手をつけたのかを記録しておこうと思う。

同じように初めての転職でどうしていいか不安な人にも少しでもヒントになってもらえれば。スキルに関するところは人によっても違うので、再現性のありそうな行動に落とし込んで挙げてみる。

 

組織の中の暗黙知をドキュメント化した。

みんなが「暗黙知として知っている」けれど、「今更資料に起こしたりしない」ようなことをドキュメント化した。

現職の会社は最近になって大きく業績を伸ばして事業が成長したので、設計資料やアーキテクチャをまとめた資料などが完璧に揃っていなかったので、それを起こしていくことを最初にやった。

ツイートを遡っても検索できなかったのでリンクが貼れないのだけれど、これはtwitterで@shinyorkeさんがツイートされていたのを真似させてもらったもの。

組織に既にいる人たちにとっては自分たちでやる時間が取れないような可視化作業を新しく組織に入った人がやるのは、明確にWin-Winだった。

 

興味が持てそうな話には、直接の業務の関わりがなくても首を突っ込んだ。

自席の周りでメンバーが話している話にどんどん首を突っ込むようにした。

意図的にちょっと遅めに会社に残っていると、トラブルや急ぎ仕事でいろんな人がそこかしこに集まって小さいMTGを開催したり、ホワイトボードに状況をまとめたりしていた。自分のミッションに直接の関係がなくても、興味が持てそうな領域に関しては自分からその場に近寄って行って、色々質問したり(しょーもないことでも)出来る範囲で作業を手伝ったりしていた。

この営みは今になって効果を実感している。というのも中途入社で入ってくる人に対して、SlackやGithubなどの各種社内インフラの権限をどこまで与えるのかはマニュアル化されていないことが多いので、色んな話に首を突っ込むことでその業務にアクセスする権限を早めにもらえることになる。これはキャッチアップに大いに役立った。

 

周りの人たちの得意分野を見渡して、「空いているポジション」を探した。

これはちょっと抽象的な話になるけれど、社内で求めらているけれど「空いているポジション」を探して、ここは自分がやります!という意思を周りにも宣言するようにした。

ビジネスサイドのメンバーには、SQLを書いて簡単な分析をするような人が少なかったため、そこのポジションが空いていそうなことを早めに察知して、積極的に仕事を拾うようにした。何か1点だけでも、周りの人よりよく知っている状態になることで周囲からの見られる目も変わる。次のステップはまず社内で一番詳しくなること。

 

マインドフルネスを毎日カフェや電車の中でやるようにした。

どうしても転職して最初の時期はストレスフルなので、頑張ろうとすることで知らず知らずのうちに自分に負荷がかかっているだろうことは常に意識していた。

(それでも扁桃炎で39度の発熱をやらかしたんだけれども・・・)

なので、家族に協力してもらって朝少し早めに会社の近くのカフェに行き、Apple Watchのマインドフルネスアプリを使って瞑想をやった。人間は気持ちが焦ったり余裕がないとどうしても呼吸が浅くなるので、毎日マインドフルネスの時間をとって、深く呼吸する時間を作ることはとても効果があった。

マインドフルネスに限らず、自分の日常のストレスをきちんと察知して、それをケアするための自分なりの方法を持っておくことはマストだと思う。 

 

簡単な出来事の日記をつけた

このブログ記事の元にしたのは毎日数行でいいから付けるようにしていた「気付きの日記」を元にした。

転職してすぐの頃の瑞々しい気持ちや、不安や追い込まれたときに自分がどういう風に考えて行動する人間なのかを記録しておくためにも数行日記をつけるのはとても役立った。数行日記はこの記事を参考にしながら、空→雨→傘のフレームワークをなるべく使うようにしていた。

https://dev.classmethod.jp/etc/turn-to-mindmap/

 

【まとめ】

 

やったことをつらつら並べてみたけれど、抽象化して一言で言い切ると「give出来ることを探してそれをやる」ことに尽きる。

何かしらの方法で組織に貢献しようとして取り組んだことは周りの人はしっかり見てくれているので、変な風に慣れを出してしまわず引き続きしっかりできることをやっていこう。

山下達郎 Performance2019@2019.11.29 宇都宮文化会館 ライブレポート

1.セットリスト

01. SPARKLE

02. 甘く危険な香り

03. ドーナツソング〜メドレー

04. 土曜日の恋人

05. Paper Doll

06. FUTARI

07. サウスバウンド No.9

08. 君は天然色(大滝詠一)

09. REBORN

10. セールスマンズ・ロンリネス

11. La Vie En Rose(アカペラ)

12. Bella Notte(アカペラ)

13. Have Yourself A Merry Little Christmas(アカペラ)

14. クリスマス・イブ

15. 蒼氓 ~ People get leady ~ Blowin' the wind ~ 希望という名の光

16. GET BACK IN LOVE

17. BOMBER

18. Let's Dance Baby〜竹内まりやメドレー

19. ハイティーン・ブギ

20. アトムの子 ~ アンパンマンマーチ

アンコール

21. プラスティック・ラブ

22. 硝子の少年

23. Ride On Time

24. Down Town

25. Last Step

26. YOUR EYES

 

2.ライブレポート

本当は2公演め、6.10に開催される予定だったこのステージはメンバーの難波弘之さんの病気の影響で延期になり、この日、11.29に変更された。

割と仕事の都合が付けやすい仕事だったので年休とって宇都宮に行ってみよう、くらいに考えていたぼくは、まさかの転職によって当日の午後に横浜で打ち合わせを済ませて急いで宇都宮へ移動→意外にホールまで遠くてタクシーを拾って会場へ。→終演後もタクシーで大急ぎで宇都宮へ戻り、新幹線で神奈川まで帰宅する、というドタバタの1日だった。

 

開演時間は18:30ほぼ定刻。そうなのだ。山下達郎のライブは優に3時間を超える長尺のライブになるため、会場の時間的な期限もあり、開演を押すような余裕はないのだ。

1曲目はやはりこの曲、SPARKLE。おなじみのギターカッティングのイントロに始まり、ベース、ドラム、キーボードが一気に「ドドーン」と入ってくる。この演奏を聞いただけでも宇都宮まで訪れた意味があるってものだ。会場入りしたのが18:20と本当にギリギリだったので、間に合ってよかった。

甘く危険な香り〜ドーナツソングとライブ序盤での定番ナンバーの演奏後、4曲目に演奏されたのは「土曜日の恋人」。ここ5年くらい山下達郎のライブに通っているが、この曲が演奏された記憶がなかったので、少し驚いた。フジテレビの「俺たちひょうきん族」のエンディングテーマとしてリリースされた曲で、今年のセットリストを組む際に「明るい曲を選ぶ」というテーマで選曲したそうなので、それで選ばれたと思われる。

 

Paper Dollは初期の名曲。直前のMCでもこの曲を作った当時は音楽的にも、(恋愛含めた)プライベート的にも試練が続いている時期だったので、こんなひねくれた曲になっている、と自嘲していた。続いて演奏された「FUTARI」は名盤FOR YOUからのバラードナンバー。非常に人気のある曲なのでライブでも定番のナンバーとして演奏されている。この日もイントロのピアノから素晴らしいクオリティの演奏。

サウスバウンドNo.9はアルバムCOZYからチョイスされた1曲で、山下達郎ツアーにここ5-6年ほど参加しているけれど、初めて生演奏を聴くことができた。10年ほど同じメンバーでツアーを回ることでこれまでは演奏不可能だった楽曲を演奏できるようになってきている、とのこと。この楽曲のライブバージョンはシングル「RECIPI」のカップリングとして収録されているためコンサートに行けなかった方はぜひ。 

 

ライブ前半での大きなヤマ場は大滝詠一さんのカバー曲で「君は天然色」。

大滝詠一さんが亡くなった当時はあまりに関係が近すぎたため、むやみにコメントを出したくなかったため黙して語らなかったが、7回忌を迎えるので大滝詠一さんの歌を語り継いでいきたい、というMCを挟んでの演奏。アレンジはほとんど原曲のままだったので、それだけに山下達郎の歌の魅力が発揮されており、さすがご本人から「この曲君にあげるよ」と言われていた素晴らしい歌唱だった。

近年はフェス出演時も「硝子の少年」や「ハイティーンブギ」などカバーを披露する機会が増えてきているので、この曲もいずれ多くの人に聴かれることになるかもしれない。

 

 

キーボードの弾き語りで披露されたのは2014のManiac Tour以来二度目の演奏になる「セールスマンズロンリネス」。

この曲の制作の秘話も明かされていて、子供とモスバーガーに食事をしに行ったところ、スーツ姿の営業職らしきサラリーマンがカウンターに座って、コーヒーを飲みながら頬杖をついて外を眺めていたそう。その姿が「泣いている」と感じ、これは曲になると感じて書き上げたのがこの「セールスマンズロンリネス」だとのこと。

以前大貫妙子とのラジオの対談でも日頃会社で働く人達を勇気づける明るい曲を演奏する、と話していたようにこの曲も単純に明るい曲ではないものの、市井の人々への応援の曲として選曲されたのだろう。

 

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定番のアカペラコーナーを経て「クリスマスイブ」へ。近年はプロジェクションマッピングなどを使って視覚効果でも楽しませてくれるこの曲。本当は6月に季節外れのクリスマスイブとして聴くはずだったのが、シーズン真っ盛りに、自分を取り巻く背景も全く変わった状態で聴くことになろうとは、人生一寸先は闇、ということは本当だなあと感傷に浸りつつ聴き入る。

最近はJoy to the worldアカペラ〜クリスマスイブのイントロへつなぐ流れが定番化していたが、このツアーではDeck the hall with boughs of hollyがチョイスされていた。

クリスマスイブに続いて演奏されたのは「蒼氓」

この曲と「希望という名の光」は年ごとのツアーで順繰りに演奏されていて、今年は蒼氓メインでメドレー内に「希望と言う名の光」をカットインしていた。

山下達郎自身もとても思い入れがあると公言しており、個人的にもツアーで一番聴きたかった曲。横の席にいたおそらく自分と同じように一人で参加されていただろうお姉さんもハンカチで目頭を抑えていた。

 

 

コンサートも終盤に突入。 

特に2019年は日本のシティポップ(80年代ポップス)が世界的にブームになっていて、レコードショップで外国人の山下達郎ファンに出会い、その際にリクエストされた曲を、と演奏されたのが「BOMBER」。

この曲で会場前方のお姉さんが一人立ち上がり、ノリノリで踊っていたのだがこれが後で思わぬ事件を巻き起こすことに。

Let's Dance Baby〜ハイティーン・ブギ〜アトムの子、と定番の盛り上がり曲を連打し、本編は終了。終了間際、「BOMBER」で一人踊っていたお姉さんを見て嬉しかったのか、「タンバリンあげよう」と山下達郎からタンバリンを貰えることに。ところが会場のもうちょっと後ろの方で、一人立ち上がり踊っていたお姉さんはもうひとりいたので、そのお姉さんがなぜ自分は貰えないのだ、と憤慨し、ステージに上がらんばかりの勢いで直訴する事態に。

自分はその怒ってたお姉さんの割とすぐ後ろくらいの席で見ていたので、すげえ度胸だなと感心するばかり・・・

 

アンコールでは再度シティポップの世界的なブームに触れ「プラスティック・ラブ」を演奏。

この曲を演奏するのは2014年のマニアックツアーとその年のフェス出演以来。

もはや定番化した「硝子の少年」、ついに生声を披露するためのお立ち台まで用意された「Ride On Time」、Sugar Babeの代表ナンバー「Down Town」でアンコールも終了。

タンバリン事件で怒っていたお姉さんも無事にタンバリンを受け取れて握手もしてもらって一見落着。万雷の拍手の中、退場していくバンドメンバー

 

・・・とその時、客席から「おまけ」を催促する声。山下達郎のコンサートでは、基準はわからないものの、アンコールの最後の曲と決まっているYour eyesの前にギター一本での弾き語りで「Last Step」を演奏したりしなかったりする慣習があるのだ。

 

それを聞いて「どうせファンクラブだろ。図々しいんだあいつらは・・・」と悪態をつきながらも他のお客さんもいるし、待たせたからな、と「Last Step」を演奏。

 

世間を賑わすパワハラ、セクハラの問題を毒舌でぶった切ったり、某オリンピックに関係の深い政治家をを2000人の前で「あいつはバカですからね」とこき下ろすなど、MCでも山下達郎節は全開だった。

演奏面はどの曲も素晴らしかったけれど、Last Stepの時の野次やタンバリンお姉さんなど、これまで参加してきたライブとはちょっと違う空気感も感じる公演だった。

山下達郎のライブツアーは2020年は諸事情でお休みとのこと。

また2021年に参加できることを楽しみにしたい。

 

約10年間勤めたSIerを退職しました。

f:id:okamoto8280:20190930194027j:plain 2019年9月30日をもって、約10年勤めたSIerを退職します。
前職を退職して、新しい場所で勤務を始める前に今考えていることを記録として残しておきたいと思ってエントリを書きます。

■これまでのあゆみ

ぼくがどんな人間で、だいたいどんなキャリアを歩んできたのかをまず書いておきます。 お前の個人的事情なんて興味ねーんだよ、という方はスキップしてください。

リーマンショックによって苦しい就活、文系(どころか文学部)からSIerへ新卒で就職。良く取ってくれたよなあ。
・公共系のSEとして、官公庁の案件とか、大手企業向けの典型的ウォーターフォール開発を経験。
・エクセルで画面のスクショを取って試験のエビデンスにするような、ネット文脈的にはSIer(笑)な仕事も経験。
・経験していた業務分野がGIS関連のものが多かったため、いつの間にかGIS系のPoCなんかを少人数で実施するように。
・社内のR&Dの人と協同しながら海外の関連企業の技術を日本で売るためのパッケージの開発に関わったり、
スマートフォン向けのアプリ開発ディレクションしたりするような仕事をしてきました。
・と思いきや、また大きめなお客様向けのウォーターフォール開発案件のPLとしてアサイン。

なぜ退職するのか

端的に言うと、
自分がやりたいことをやるならSIerじゃないと思ったからです。
小規模のスマホアプリの開発や最新技術を使った商品企画など、いわゆるSIerらしくない仕事を経験させてもらう中で、次第に「旧来のSIerって将来いらなくなるんじゃね?」という思いを強くしました。

インフラはAWSGCP、Azureといったパブリッククラウドを使えば短期間で、簡単に高い性能のものを使うことができます。
アプリ部分も旧来のSIerが得意としていたウォータフォールでの開発ではなく、アジャイルやプロトタイピングを駆使して開発することが増えてきました。
(大量の設計書を作って、コーディングできない人がレビューをして、をやっている時間があれば、チャチャッと作ってしまった方が価値が高いよなあというのが現場にいての実感)
簡単な機能であればサーバすら不要でスクリプト1つで実装できる時代にもなっています。
かつて、顧客の抱える課題をIT(システム)に転換することが、一般のビジネスパーソンにとって困難だった時代に、課題と技術の翻訳屋として価値を発揮していたSIのビジネスモデルは、今日のように誰でも簡単にシステムを作ることが出来る時代になったことで、役目を終えたのではないかと感じたのです。

すぐにはSIerが無くなるとは思っていません。中央省庁や金融機関向け基幹システム開発など、ミッションクリティカルな性質を持った開発は、SIerでなければできない仕事として残り続けるでしょう。
ですが、いろんな案件を経験する中で「SIerが生存できる大規模開発の領域」で仕事をするよりも、小規模でも新しくてチャレンジングな案件に取り組んでいる方が楽しいことに気付きました。

社内で公募制度を使って異動することも検討しましたが、10年という長い期間同じ会社で仕事を続けてきたので、このあたりで市場に出て自分の価値を確かめてみたいという思いもあり、転職を前提として考えるようになりました。 新天地を外に求めることを決めてからは積極的に転職活動を始め、幸いにも何社か内定を頂くことが出来ました。

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■前職について

良かったところ

退職するとはいえ、前職の会社に対しては心から感謝しています。
文系で全くスキルもなく、 新人のくせにサービス開始当日に寝坊してしまうような(恥ずかしながら実話です) クソ新人だった自分をここまで育てて頂いたことには恩義しか感じていないです。
前職の会社を就職先として考えている学生さんや転職先として検討している方に特にオススメできるポイントは以下の点です。(とか言って会社の実名は出していないのですが・・・)

①非常に緻密で合理的な思考をする人が社員の多くを占めている文化

一番はこの点だと思います。とても合理的に、緻密に考える人が多い会社でした。 合理的な人が合理的に意思決定するため、プロジェクトにおける意思決定や進め方についてストレスを感じることは少なかったです(意思決定の基準が"現行通り"に寄り過ぎと思うケースはありましたが)。
加えて言うならば、論理的なだけでなく倫理的にも優れた、いわゆる「良い人」がとても多い会社でした。
10年も働いていましたが、理不尽な理由で叱責されたり、声を荒らげられたりしたことはほとんどありません。優秀な人といい人間関係で働ける、というのはひとえにこの企業文化の為せる技だと思います。

②プロジェクトを遂行するための人/モノ/金のリソースの潤沢さは国内随一

独立系SIerでは最大規模のリソースを有しているといっていいでしょう。 セキュリティ、ネットワーク、データベースなどITプロジェクトを遂行していく上で必要となる要素に対して、 国内でも随一の技術力と知識をもったプロフェッショナルがいる会社です。 使える予算の大きい案件であれば、そういったプロフェッショナルの知見と能力を活用しながらプロジェクトを遂行できます。

③事業領域が広いので、やりたいことはどこかの部署がきっとやっている

入社したときの理由にも繋がりますが、本当に幅広い事業領域を持っています。旧くは公共/金融/法人で区別していましたが、現在では流行のAIもIOTもコンサルティングも、データビジネスも、ありとあらゆる事業に手を出しています。社内の公募制度などを活用することで、自分のやりたいことがきっとどこかで出来るはずです。

思うところ

・職場ガチャ(配属ガチャ)の当たり外れがすごく大きい

いわゆる大企業の全般に言えることですが、配属ガチャ/職場ガチャ/上司ガチャの当たり外れの落差がとても激しい会社でした。(ぼくの場合は周りの人にとても恵まれていましたが、そうでない事例も少なからず見聞きしました。)
中途入社であればかなり運の要素は排除されて、やりたい仕事に就けることかとおもいますが、新卒に関しては市場価値の高いスキルが付く職場に入れるか、そうならないかは運の要素が大きいです。
今後の労働市場で人を獲得できるかどうかは、「いくらお金が貰えるのか」と同じくらい、「どんな経験が積めるのか」について訴求できるかどうかにかかっていると感じます。この点については大いに改善の余地があるのではないかと思っています。より突っ込んで言えば、総合職採用やめて事業部、少なくとも本部ごとに職種採用したほうがいいと思ってます。

・まだエンジニアに選ばれる会社ではない

プロジェクト説明の会議で上司にインフラはAWSを使うと説明した際に「AWSなんて上の人間はみんな知らないんだから説明のための補足資料をつけろ」と言われたことは衝撃的で忘れられません。
クラウドサービスが使えなかったり、Slackすら全社では導入されていなかったり、webサービス使うためには逐一決裁が必要だったり、エンジニアが働く会社として"普通にできて当たり前なこと"、"知っていて当然な知識"がまだまだ浸透していないということをは常々感じていました。セキュリティや情報漏えいへの配慮が行き過ぎた結果、生産性を上げることの出来るツールや仕組みの導入もなかなか進みません。
顧客以外にも多数のパートナーを抱える会社なので、仕組みを緩めることは難しいことは承知のうえですが、特にエンジニアにとっとは魅力的な環境とは言えないのだろうなあと思っています。(ぼくはエンジニアとは言えませんが)

これからどうするのか

Rの系列の位置情報ベンチャーで勤務します。
もう1度位置情報、GISと向き合う仕事に就きます。
SDKの開発のディレクションをしたり、位置情報データを使ったビジネスの企画に携わります。
受託開発から事業会社への転職なので、マインド含め苦労することは多々あることは覚悟して臨みたい思います。

このブログでも学んだこととかを記録するブログの側面を濃くしていきたいと思っています。(今まで通りフェスのこととか山下達郎のことも書いていきます。)

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引き続きよろしくお願いいたします。

SIer人材流出について現場からの報告

SIer大嫌いクラスタの木村岳史さんの書いてたこのツイートが軽くバズってるので、

SIer現職の立場として実際起こっていることを書いてみようかなあと思う。

ポジショントークとはいえちょっと偏った言い分じゃないかなと思うところもあるので。

 

 

1. 前提としてSIer内で仕事の二分化が起きてる

まず前提として、木村さんのいうSIerはこのPPMの図で言うところの「金のなる木」の仕事をSIerの仕事のすべてだと一般化して語っているが、会社、というか業界としてこの「金のなる木」の長方形がどんどん小さくなっていて、 今後も小さくなっていくことは理解している。だからこそ体力がまだあるうちに「問題児」の領域のビジネスをたくさん作って、花形に持っていこうとして手を打っている。

 

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PPM分析【今すぐ使える戦略策定のフレームワーク

https://next.rikunabi.com/journal/20161101_s5/ より引用

 

 

自分の身の回りでも、シリコンバレーの技術を持ってきてパブリッククラウドを使った短期開発を顧客との共同のPoCや自社の商品企画としてやろうとしている事例はいくつも出てきている。

そして、こういった領域のビジネスに関してはSIerのこれまでの慣例が通用しない。もっと直接的に言うと役職と年齢の高いオジサンたちが何もわかっていない領域なので、ある意味動き方の自由が効く。SIerのプロパー社員でも直接海外企業の論文や技術文書を読んでモックやテスアプリを作ったり、内容を理解した上で顧客へ提案へ行ったりしている。なので、

>「御用聞きではなく、高い技術と提案力を持った技術者を育てる」

 

という環境がSIerでは一切ない、というのは極論だというのが現場の実感だ。

こういう「問題児」プロジェクトは各々の事業部で育てていっているものの、まだ収益の柱になるような花形になっていない。

なので事業部の中でも技術的なバックグラウンドを持っている、とか英語がネイティブ並にできる、といった属性を持っていないとなかなか巡り会えないプロジェクトであることも事実だと思う。

 

 

2. 人材流出は事実。けど社外より社内流動してる側面が大きい

SIerの中で働いている社員は、今までの収益の柱としていた重厚長大でプリミティブないわゆるSIerらしい受託開発はオワコン化していて、そこで働いていても市場価値が上がりづらいことに気付いている。これはもうガッツリ気付いてる。

 

そこで急増しているのが社内の公募制度を使った異動だ。

 

自分が務めているSIerでは社内で事業部がポジションを公募しており、一定年数務めている社員なら自由に手を挙げて応募することができる公募制度を採用している。

先ほど、先進的なSIerらしくないプロジェクトに関わるには尖った属性が必要と書いたが、もう一つ手段がある。公募制度を使ってそういったビジネスを組織で取り組んでいる事業部に異動してしまうことだ。転職ほどのリスクを負うことなくやりたいことに取り組める、社員にとっては優しい制度だ。

 

この会社内での公募制度を使った異動は実は今現場でめちゃくちゃ発生していて、人材がどんどん流出していいってる組織の幹部は危機感を覚えている。

嘘かマコトか社内公募の異動制度を廃止してくれって人事に働きかけたって話まであるくらい。

 

 

3. SIerっていうよりSIerらしい仕事から人が流れ出る傾向は今後も止まらないと思う。

SIerで今まで横行してきた仕事は労働集約型で、枯れた開発手法とツールを使って非生産的にアウトプットを膨大に積み重ねる、技術的難易度は低いけれど”絶対に失敗できない"プレッシャーは大きい仕事だった。

2019年の現在、こういう仕事を積極的にやりたい人なんて限りなく少数派なので、今後もこういった仕事から人が離れてしまう傾向自体は止めようがないと感じている。

 

こうなってくるのが気の毒なのが新入社員たち。SIerらしい仕事から人が抜けていってしまった結果、そういった仕事の多くが人手不足の問題を抱えている。これは現時点でも顕著に起きている。

現場のマネージャーとしても仕事を回さなくちゃいけないため、現職場を選ぶことができない新卒の新入社員たちがそういった仕事に回されてしまう。流行りの言葉でいうと、大企業の配属ガチャでハズレを引かされる。

 

会社説明会で聞かされた楽しそうで先進的な仕事をイメージして入ってきたら、中では閉ざされたオンプレ環境でWindwos Server2003を無理やり動かしてる、なんてあまりに笑えない状況だと思う。

 

終身雇用が崩壊して、会社が働き手を守ってなんかくれない世の中なので、これまでやってきた「就職活動」という名前の「就社活動」が、本当の意味で職業を選択する就職活動にシフトしていくんだろうなあと思いを馳せながら、今日もエクセルを開くのである。

 

 

山下達郎 シアター・ライヴ PERFORMANCE 1984-2012

山下達郎のシアターライブのライブレポです。

以降の記事はセットリストを含むネタバレが書かれています。

未視聴の方はご注意ください。

 

 

 

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これは、という#RSR先輩エゾロッカーの勧め をまとめてみた

今年のライジングサン開催までいよいよあと100日を切った。

今年はナンバガ&エルレ効果か、例年にも増して「チケットが取れない」の声が聞こえてくるが、そんな声を知ってか知らずか公式からこんなキャンペーンの案内が。

 

 

 

内容を見るとライジングサンに行ったことある人なら「あるある!」となる内容が多いので、自分のメモ帳代わりにいくつかまとめてみるよ。

 

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cero Oneman Live 別天 ライブレポート

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1.セットリスト

01. Modern Steps

02. 魚の骨 鳥の羽根

03. ベッテン・フォールズ

04. ticktack

05. 遡行

06. Summer Soul

07. 夜去

08. Double Exposure

09. 薄闇の花

10. よきせぬ

11. DRIFTIN’

12. Orphans

13. 夜になると鮭は

14. Waters

15. Elephant Ghost

16. Buzzle Bee Ride

17. ロープウェー

18. POLY LIFE MULTI SOUL

Encore

EN1. 街の報せ

 

2. ライブレポート

Fishmansとのツーマンだった「闘魂」で発表されたNHKホールでのワンマン公演。

ceroを着席式の座席で観るのは初めて。

高城くんのtwitterなどからも、この日しかできないことをやる意気込みが感じられ、楽しみにしていた公演。

開演から開演からポエトリーリーディングと映像を駆使した演出で、ホール公演ならではの演出を楽しませてくれる。

ホーン隊が入ることは事前に知らされていたので、My Lost Cityからも選曲されるかと予想していたけれど、予想はがっつりはずれて、選曲は最新のPLMSからの楽曲が中心。

フェスなど時間が短く限られた中では披露されることが今後もあまり無いだろう「夜になると鮭は」でポエトリーリーディングに聴きいることができたのもすごく贅沢な時間だった。

この日披露されたポエムは今後発表される予定も(今のところ)無いそうで、内容はメモを取っていてくれた人のツイートを引用します。

 

 

「好きな時に立ったり座ったりしてください!」とMCで言ってもらった通り、お客さんもずっとたって聴いている人もいればずっと座って聴いてるような人もいて、それぞれが思い思いにこの時間を楽しんでいた。

「表参道は今日33℃あったそうです。ということで「Summer Soul」行かせてもらってもいいですか」と始まったのはお待ちかねの夏の定番ナンバー。思えばこの曲を聴くのは去年のライジングサンでの公演以来。

ライジングが終わると夏が終わる感じを個人的に持っているんだけれど、今日のこのライブで聴けたSumme Soulで今年の夏が始まった気がするよ。

同じく久しぶりに聴けたお気に入りナンバーの「ORPHANS」では河川の映像演出と、ホーン隊の演奏が最高にいい味を出していて、この日のベストアクトの1曲。

 

アンコールの「街の報せ」では急遽小節数を伸ばしたらしく、イントロでやり直しも出ていたけれど、これはご愛嬌。ライブという非日常の時間が終わると日常に戻っていくけど、その日常の時間の一瞬一瞬が愛おしく感じさせてくれるこの曲でライブは幕を閉じた。

 

屋久島で数十年に1回と言われるくらいの大雨をもたらした雨雲が去って、日本中に季節外れの暑さが来たこの日に、2019年の東京の夏が始まった。

 

フィッシュマンズ presents "闘魂2019" 2019.2.19 @Zepp Tokyo

1.セットリスト

[cero]

01. わたしのすがた

02. 魚の骨、鳥の羽根

03. Yellow Magus

04. TWNKL

05. レテの子

06. Buzzle Bee Ride

07. Waters

08. Narcolepsy Driver

09. POLY LIFE MULTI SOUL

 
[Fishmans]

01. あの娘が眠ってる (G,Vo 小嶋謙介)

02. Oh Slime

03. ナイトクルージング

04. なんてったの

05. 土曜日の夜

06. 頼りない天使

07. ひこうき

08. Smilin' Days Summer Holiday

09. MELODY

10. ゆらめき IN THE AIR

11. いかれたBaby

En-

12. Just Thing(Vo 高城晶平  Per,Cho 角銅真実)

13. Weather Report(Vo 高城晶平  Per,Cho 角銅真実)

 

2.ライブレポ

フィッシュマンズceroが対バンする、この一大行事の前哨戦みたいなイベントが実は2018年のライジングサンで一度実現していた。クラムボンceroフィッシュマンズと一続きでライブするという俺得な流れで、当然この会場に張り付いて全部見た。

ceroは個別にレポート書いたくらいの圧倒的なステージングだったし、

cero Rising Sun Rock Fes 2018 ライブレポート - しげるlog

フィッシュマンズのLONG SEASONやWALKING IN THE RYTHMは外の豪雨も相まって、本当に水槽の中にいるような感覚を味わった。

どちらもワンマンならもちろん、どこかの対バンとのライブでも絶対に観に行こうと思っていた矢先、この2バンドが対バンでライブするという情報が。ナタリーによる詳しい対バンに至る経緯がこちら。お互いのリスペクトがありありと伝わってくる。

natalie.mu

そしてフィッシュマンズの公式には欽ちゃんの意気込みが。

2019年2月19日(火)フィッシュマンズ presents「闘魂」開催決定。そして今回出演してくれるのはceroです!!彼らの存在はアルバム『Obscure Ride』でとても気になっていたのですが、今年リリースの最新作『POLY LIFE MULTI SOUL』で提示された新しい世界に、強く心を揺さぶられました。彼らと対バンできたらどんなに刺激的だろう・・オファーを受けてもらえたこと、本当に心から感謝しています。

来年は佐藤伸治が亡くなり20年。2005年以降、僕らはさまざまな形でフィッシュマンズの音楽を演奏してきました。サトちゃんが作った楽曲たちは、いつ演奏しても生きる力をくれるし、本気にさせる。彼が愛した”猪木イズム”的な気分を胸に、絶対にこの日にしか出来ないことをやりたいと考えています。ぜひ目撃しに来てください、どうぞヨロシク!! 

 

開演予定時間から5分くらい。先攻はCERO

1曲目から「わたしのすがた」を披露。CDの時の原曲の要素は残っているものの、2019年のCEROが演奏するバージョンへしっかりとアレンジされていた。

2曲目は最新のPLMSから「魚の骨、鳥の羽根」。女性2人のコーラスワークと現サポートメンバーの演奏が今やCEROを構成する要素として欠かすことが出来ないものになっていることを実感。

その後のセットリストも「YELLOW MAGUS」「Narcolepsy Driver」を除いてすべて最新のPLMSから披露。ライブで良く披露されていた「ORPHANS」や「SUMMER SOUL」がセットリストから除外されていた。

MCではFISHMANSへのリスペクトと、闘魂2019に自分たちが出演できることへの感謝を述べていた高城くん。

またMCではNHKホールでのワンマンライブを開催することを告知。スタンディングのライブと着席式のホールのライブはまた違うだろうといいながら、意気込みを示していた。

CEROのライブの締めは定番となった「POLY LIFE MULTI SOUL」で終了。

 

インターバルを経て後攻はFISHMANS

この日のZEPP TOKYOは本当に満員で、フロントエリアまで行けなかったのでPA付近から観ていたが、FISHMANSの陰のメンバーとして名高いエンジニアの ZAKさんのサウンドメイキングがすぐ近くで見られる位置だった。

本編の開始前に、真っ白な衣装に身を包んだFISHMANSのオリジナルメンバー(茂木欣一、HAKASE、柏原譲)が登場し、「フィッシュマンズのステージを始める前に、初期フィッシュマンズをやります!」と宣言し呼び込んだのはFISHMANSの結成当時のメンバーである小嶋謙介。そのまま4人でフィッシュマンズの初期の代表曲である「あの娘が眠ってる」を披露。楽曲の後半になると他のメンバーも合流していた。フィッシュマンズのステージを始める前に、というようにエクストラのイベントとして披露されたため、客電は付けっ放しで、結成当初のフィッシュマンズはこんな風にお客さんとの距離が近かったのかと感じさせた。

 

そのままメンバーはステージに残り、客電が落ちてライブ本編がスタート。SUNNY BLUEなどの楽曲をリアレンジしたSEから、1曲目は「OH SLIME」。この日のライブは全体的に「98.12.28 男達の別れ」のライブを下敷きにした演出が多くて、「OH SLIME」ではしっかりHONZI佐藤伸治も紹介されていて、この場にいないメンバーも全員含めてフィッシュマンズなんだ、という意志が示されていた。OH SLIMEでは「ボーカル、佐藤!」のコールからLONG SEASONのフレーズをサンプリング。

続いて代表曲「ナイトクルージング」へ。ステージ上の照明もほとんど落ちていて、唯一会場の上部に設置されたミラーボールにだけに照明が当たって会場を照らしていた。「なんてったの」に続いて演奏されたのは2015年のLONG SEASONの東名阪ツアーでも披露されていた「土曜日の夜」この曲はギターの木暮晋也を中心に、バンドメンバーの演奏がとても際立っており、FISHMANSの2019年のアンサンブルが一番感じられた曲だった。

 

「頼りない天使」ではこれまでのライブと同様に原田郁子がメインボーカルを務めていた。2011年にライジングサンでライブを見て以来、どのライブでも欠かさず演奏されているナンバーだが、定番になることも頷けるくらい原田郁子の声と、歌唱とマッチしていた。

ライブ終盤は「Smilin’ Days, Summer Holiday」-「MELODY」-「ゆらめき in The Air」-「いかれたBaby」と98年の男達の別れのセットリストをほぼトレースした内容で、「ゆらめき In The Air」では佐藤伸治のボーカルをそのままサンプリングして使用していた。

LONG SEASONツアーでは「いかれたBaby」の冒頭のアコギ弾き語りとボーカルを同じようにサンプリングしていたが、今回は「ゆらめき in The Air」が使われていた。

個人的に嬉しかったのはアルバムORANGEからのナンバーである「MELODY」。空中キャンプ以降のフィッシュマンズとは少し毛色の違う、まだ空中ではなく地に足がついたバンドサウンドであるORANGEがとても好きで、その中でも一番のお気に入りのナンバーが「MELODY」だ。「あと2時間だけ夢を見させて ホコリと光のすごいごちそう」のフレーズは全フィッシュマンズの詞の中でも白眉の素晴らしさだと思う。

 

本編終了後、アンコールではceroの高城晶平、角銅真実を加えて演奏。

欽ちゃんが歌ってほしいと思っていた曲と、高城くんの歌いたいと思った曲が、打ち合わせなしで偶然一致した、とMCされていた

「Just Thing」を披露。ラストナンバーは「Weather Report」を演奏して全編が終了。

 

この日のMCやいろんな媒体のインタビューなどで、欽ちゃんは「サトちゃんの作った楽曲は今聴いても古さを感じさせない。フィッシュマンズの音を鳴らし続けるのが自分のミッションだと思っている」という意味のことを言いつづけてきた。

2005年の復活以降、最初は夏フェスの1アクトとして、そしてライジングサンの大トリを経て2015年には東名阪のワンマンツアーを開催し、そして今年20年ぶりに対バンイベントの「闘魂」を復活させた。

この日のライブからも、フィッシュマンズはますます現役のバンドとして活躍を広げていくだろうことを実感した。ボーカルが急逝した悲劇のバンド、ではなくカッコいい音楽を鳴らし続ける現役のバンドとして、今後も追いかけていきたい。