生徒がところ構わず渡してくる書類の管理について
とにかく学校現場は紙類が多い
かごを用意しましょう
凡例
新元号発表
今日、新しい元号が発表された。
その瞬間に参加したかった私は、職場でこっそりラジオを聴いていた。
11:30をだいぶ過ぎた頃だった。
「新しい元号は、」「レイワです」
ラジオだから音しか分からないのだが、漢字が中々出てこなかった。レイワ?零話??
しばらくして、「年令の令に平和の和です」という解説が入り、ようやく「令和」という文字が頭に浮かんだ。
正直、最初はピンとこなかった。特に「令」の字に込められた意味が。
午後12時過ぎ、安倍総理の説明の中で、この元号が万葉集から引用されていることが分かった。令和は、ひと言で言えば、春だった。
長い冬が終わり、何をするにも良い、美しい季節。
「reiwa」という音に込められた清涼さと流麗さも含めて、とてもいい言葉だと思った。今までの元号の概念と少し異なるのも、新しい時代を反映しているようで良い。
初めに感じた違和感は、時間を経るにつれてだんだんと好感に変わっていった。
これからの時代が少し楽しみになるような、そんな気持ちにさせてくれた元号発表であった。
結婚について その1
突然だが、結婚について悩んでいる。
現在、結婚を前提にお付き合いしている男性がいる。
19歳の時から26歳の現在まで、7年半交際していることになる。
年齢的にも結婚してもいい時期なのだが、問題がいくつかある。
① 彼がまだ博士課程に在籍しており、就職の目処が立っていない
② 私と親(特に母親)との関係が良くなく、彼とのことで過去にもめており、今まで彼と両親を会わせていない。結婚の話ももちろん賛成されていない
③ 私は地方公務員であり、彼の今後の就職先によっては仕事を辞め、地元を離れなければならない
特に①と②が問題である。今日も母親と結婚のことで話をしたが、母が怒って話は中断してしまった。
結婚の意思はあるが、自分自身も迷いがあるのは確か。
まずは、彼と今後のことをよく話し合って、結婚後の生活についての情報を集め、母親に彼のことを知ってもらう努力をすべきなのかな。
或る生徒の父親の死に寄せて
教員という仕事をしていると、生徒の数だけ色々な経験をする。嬉しいことも楽しいことも、時には胸がつぶれるようなことも。
昨年、教師2年目にして、担任をしているクラスの生徒の父親が亡くなるという経験をすることになった。死因は突然死。ある朝、起きてこない父親の様子を見にいくと、布団の中ですでに亡くなっていたそうだ。
まだ若く、皆から頼りにされる立派なお父さんだったらしい。地元の消防団に所属していて、人望も厚かった。通夜には会場から溢れるほどの人が参列していた。
生徒の親が亡くなった場合、担任と学年主任、管理職が通夜(あるいは葬儀)に参列するのが通例である。まだ身内の葬儀にもあまり参加したことのなかった私は、その異様な空気に呑み込まれそうになっていた。
(父親と同い年の学年主任はもう流石に慣れていて、「お前、何緊張しとんねん」と、わざとツッコミを入れてくれたりしたので、それで少し気が紛れた。)
通夜が始まり、徐々に参列者の列が進み始めると、人だかりの奥に担任する生徒の姿が見えた。黒い喪服に身を包む母親や兄弟といった遺族の中で、彼は唇をぎゅっと噛み締め、しかし決して俯くことも涙を見せることもなく、立派に務めを果たしていた。その姿を見て、私はその日初めて泣きそうになった。
私は元来、人との関わりが薄い。友人と呼べる人も数えるほどしかいない。そんな私が、教師になってからは何十、何百人という生徒たちと日々関わるようになった。仕事としては勿論、日々真剣に彼らと向き合ってはいるのだが、所詮は卒業するまでの付き合いであり、他人だと思っていた。
しかし、生徒の父親の葬儀に来てみて、変な話だが「あぁ、他人事じゃないな」と感じた。関わった以上は、もう他人ではないのだ。
翌日のホームルームで、クラスの人たちに伝えようとしたことのメモである。結局、きちんとは伝えることはできなかった。でもそれらしいことは言えた。
そして、何日か学校を休んだ後、彼は何事もなかったかのように笑顔でクラスの中へ戻っていった。それは彼自身の強さ故だったのかもしれないが、うちのクラスのある意味でのアホさとか能天気さは、彼の救いになったと、密かに感じている。いつも叱られてばかりのクラスだが、人の気持ちがわからない奴らではないのだ。そしてそんな自分のクラスに、私が一番救われているのかもしれない。
先生と湯豆腐とウィルキンソン
【書評】前野ウルド浩太郎『バッタを倒しにアフリカへ』
素晴らしい最期だった 〜直虎第33回「嫌われ政次の一生」レビュー
先日、大河ドラマ「女城主 直虎」が一つの山場を迎えた。以下、盛大なネタバレとなるので、未視聴の方はブラウザバックをお願いします。もし内容が気になるようであれば、ぜひ1話から観ることをお勧めします。今までの話は、この33話のためにあったのだと思う。
第33話「嫌われ政次の一生」
まず、副題からして秀逸である。始まったばかりの頃は「ふざけてるのか」とさえ感じたこの副題パロシリーズだったが、はたしてこの回の為のものだったのか。
最初から最後まで引き込まれたが、特に後半15分は、只々泣き続けるしかなかった。ドラマや映画でこんなに声をあげて泣いたのはおそらく初めてだ。大泉洋主演の映画『青天の霹靂』で、柴咲コウ(偶然にも)演じる母親と大泉洋演じる息子の対話のシーンでもかなり泣いたが、それ以上だ。
存在を大切に想うが故に、その死を最大限利用するという結論の、潔さ。まさかの、自らの手でとどめを刺す直虎。そんな直虎の決断に、満足気に逝く政次。展開としてはかなり特異であるにも関わらず、それまでに丁寧に描かれていた二人のそれぞれの思いや関係性ゆえに、全く破綻がない。完璧だ。完璧な、そして深く、美しい最期だった。
政次を演じる高橋一生がとにかく素晴らしい。牢で、龍雲丸に向かって「本懐だ」と告げた時の、迷いのない表情。そして最期のあの笑み。おとわへの愛情や、信頼、敬意、一言ではとても言い表せない感情が溢れていた。
直虎と政次が最期の瞬間まで浴びせあった罵声は、すべて裏返しだ。本心を言葉の裏に隠し、本人達にしか分からない最期の言葉を交わし合う。ある意味、ものすごくロマンチックで、そしてやはり切ない。
本当に、映画を一本見たような内容の重さだった。大河ドラマ史上に残る名場面を視聴できた幸せをかみしめながら、しばらくは政次ロスに陥りそうである。