死を乗り越えて

 小さな頃は、いや、

 

わりとちょっと最近までは、その日は特別だった

 

 

 

 

だか今年 わたしは死んだ

 

わたしの中の「女の子」は死んだ

 

 

最近言われた嫌な事、キツイ事、この先の不安が次々と押し寄せて胸が苦しくなった

 

 

わたしの原動力は「恨み」だ

とか言うとちょっとヤバイ奴みたいだけれど

 

 

「絶対に許せない」というなんともドロドロした気持ちがわたしを這いつくばってでも前に進ませる大事な燃料なのだ

 

ただいつしかその目的はすり替えられ、成功するために必要なドロドロが、ドロドロの中で生きる事がわたしの人生になりつつあることに気づいた

 

底に居れば、それ以上は傷つかないのだ

悲劇のヒロインを演じていればドロドロは何の努力もなしに正当化されるからだ

 

そうして黙認された居心地の良いドロドロの中で傷つく事もなく、ここが安息の地だと思い込んでいるのだ

 

 

成功するためにこの道を選んだ

2度と消えない傷を負っても諦めたりしないように

 

 

なのに怠慢もいいところだ

 

「これ以上堕ちないように」じゃない

 

這いつくばっても上に登って行くために、わたしはここにいるんだ

 

 

立ち止まってももう一度目的を確認しないといけない

 

 

 

 

 

 

欲しいものは苦労して手に入れなければならないといつしか頭に刷り込まれているけど

 

わたしの目的は「苦労すること」ではないのだ

 

苦労をしようとしなかろうと

欲しいものを得ることが何よりも大事なのだ

 

たまたま目の前にあって、手を伸ばせば掴めるのなら、しれっとした顔で掴んで持って帰ればいい

 

いいんだ、それで

 

 

今さら清純ぶっても仕方ない

 

 

 

 

 

わたしは大人になってしまった

 

 

最早、過剰な演出は要らない

 

生い立ちも、過去も、過ちも

涙ながらに話し気を引ける少女じゃない

 

生きてきた背景が語らずとも

仕事や外見、言動、振る舞い、食事中、ベットの中でも顕著に出てしまう大人なのだ

 

 

 

 

何も変わらないようで

 

確かに変わってしまうんだ

 

 

それをこれから何度も感じていく事だろう

 

 

 

 

大抵のことは、映画と酒とツマミで乗り越えるだろう

 

 

 

 

 

 

それでもダメな時は、一人旅にでも出ればいい

 

せいぜい日帰り温泉くらいしか出来ないかもしれないが

 

 

傷つかないように生きる女より

 

致命傷を負ってもなんとか自力で立ち上がる大人の女になろう

 

 

 

 

「吹っ切れた」なんて簡単に言えるほど、年齢への執着は捨てられないけど

 

だからこそ、いつも今を大事にしようと思う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さようなら 女の子のわたし

 

今まで無条件に生きやすくしてくれてありがとう

 

無知で若さを利用されてしまった苦い思いと共に成仏してね

 

 

 

 

 

はじめまして 大人のわたし

 

誰よりも面白く

そしてこれからは周りをよく見つつ、より振り切って生きようね

 

 

 

 

 

 

目を背けたいほどの年齢という現実と対峙する準備は出来た

 

受け入れよう

 

 

 

 

 

26歳。

 

 

 

最高でしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

清楚界のクズ

アラサーへの入り口を目前にして、

もう「女の子」としての商品価値はなくなる。

「可愛くて若い女の子」の経済効果は計り知れない。

ほんの一瞬で儚い価値のある期間をどう過ごすかによってその後の人生が大きく変わる。

 

 

では、26歳過ぎたら女はどうするか?

あと数ヶ月で迎えるその時。
もうわたしのピークはここまでなのではないか。と哀しくなる。
それなりにちやほやされ、求められ、その価値で稼いでるので、尚更重大。
これからの良きビジョンが上手く想像できずにいる。

 


ただ一つ持ち合わせたい物が「品」だ。


若い頃にはさほど重要視されないが、その後を生きる女には必要不可欠である。


八方美人である上に、あまり活発的ではなく、地味で、割と真面目なので
「甲斐甲斐しいね」「上品だね」って言われる事も少なくない。

こ、これか。
これなのか。

もう「無垢」では居られないが
「清楚」は強い鎧だ。

「清楚で上品」と言うのがアラサーの強みになるのではないか。


若くてエロいギャルが思った通りエロいのもいいが。

清楚で上品な女性が想像を超えて乱れるなんて方がとってもいいのではないか。

(そこは個人の趣味の域かな)

 

こんな邪まな事を考えている時点で、清楚でも上品でもないのかもしれないが、価値を知る、身に付けるという事は非常に大事だ。

 

 

 

 

 

よってわたしは決意した。
恐るべくアラサーへの門が目前まで差し迫っている今

 

 

 

 

目指すべきは

「清楚界のクズ」だと。

 

 

メンヘラvsメンタルコーチの頂上決戦

先日、元プロサッカー選手で現メンタルコーチをしている方とお会いする機会があったので、最近のベビー級の悩みをぶちまけてみた。

 

終始真剣に話をきいてくれ、「どうしてそう思うの?」などといちいち深掘りしてくれて、改めてなんで私はそう思ったのかな?と感情を紐解いてみる事が出来た。

 

 

自分では「メンヘラ」とは思わないが。。

どちらかと言わなくても、わたしは感情の起伏が激しく、最近では1時間毎に気持ちが上がったり下がったりするくらい情緒不安定だったりする。

 が、ネガティヴかと言えば、100%ネガティヴだと言う訳ではなく、楽観的なところもあれば、スーパーポジティブなところもあり、

とりあえず上がり下がりは激しいオンナだ。

 

他人からどう見られるか。

人はそれを気にするが故に悩むそうだ。

すべてはそこにある。とかなんとか。

確かにわたしは「良く見られたい」という思いが人一倍大きいように思う。その裏側にはコンプレックスが見え隠れしている。

何故だか生きているだけで人より劣ってるように思えてしまって、何かをして「すごいね」という反応を得て初めて自分を肯定してやれるのだ。

他人からの良い評価が美味しくて堪らないのだ。「もっとちょうだい、もっとちょうだい」という思いがわたしの原動力となってる。

だからこそ、その評価が少なかったり思ったものが得られないとすぐ栄養不足になり飢餓状態に陥り、それが俗に言う「病む」であって。

その調子に乗ってるところから落ちるところまでを一括して「メンヘラ」と言うのかな。知らんけど。

 

 

物事をシンプルに客観的に見る

メンタルコーチからのアドバイスは、起きてしまった「病む」出来事をシンプルに受け止めると言うものであった。

例えば、ここ一番って時に体調を崩してやらなければいけない事が出来なくなってしまった。→なんて自分はダメなやつなんだ。いつもいつもそうではないか。こんなんじゃヘナチョコだと思われてしまうじゃないか。最悪だ…うんたらかんたら。と落ち込むところを、

起きた事は「体調を崩してしまった」という事、それだけだ。→では、どうする。病院に行こう。体調を万全にしよう。というシンプルな受け止め方をするだけ。

そこに悪い意味付けをしたり、余計な事を足さない。

 

要は物事を悪くしているのはいつも自分自身だという事。

 

腑に落ちる部分もあれば、そう簡単にいくもんかという思いもある。

ただこの捉え方を身に付けられたら、もう少し楽になるんじゃないかと思う。

 

 

メンタルコーチとは、テクニックだ。

何かが治るわけでもなければ、何かが出来るようになるわけではないが、このテクニックを知っておくと幾分、生きやすくなる裏ワザみたいなもの。

 メンヘラ寄りの人間は、いちいち人からの評価を気にし過ぎるからこじらすのであって、潜在的に好んでやってる節もあるんじゃないかと思う。メンヘラはメンヘラでそうする事により何かを発散したり保ったりしてるんじゃないかな。ただそれは見苦しいのが問題となるだけで。落ち込んだり悲しんだりすることも生きるという事。

人生みを味わいつつ、他人には迷惑を掛けないというスタンスでこれからも喜怒哀楽を存分に発揮していこうとわたしは思ってる。

 

 

 

もうそれより何より、彼がわたしの為に時間やお金を割いてさらにまた会いたいと言ってくれた事に随分とわたしの承認欲求が満たされて心が安定したのだった。