銀河系憲法

銀河系憲法

 銀河系憲法ほど、胡乱なものはない。
 だいたい、同一の銀河系に属するというだけの理由で、なんの義理があってこのようなものに従わなければいけないのか? 満足のいく説明が誰にもできないにも関わらず、太陽を含む銀河系では、広く、なんとなく、これは普遍の法と見なされている。
 この憲法の成立については、銀河系誕生後、10の18乗秒後頃まで遡るという説が有力視されているが、学者によって成立年度や制作者は諸説あるし、そもそも有力とされる一番の論拠は、その説を唱えた憲法学者の犯罪歴が、他の説を唱えた学者よりも比較的穏当であるからにすぎない(わずか八件の殺人事件や二十ダースあまりの暴力犯罪を引き起こしていたものの、詐欺事件で立件されたことは三桁未満だったため、憲法学者にしては信頼するに値する人物だとみられている)。
 一般に銀河系に存在する知的生命体社会において、法律家と詐欺師を区別しているケースはまれだ。
 詐欺師とは、世の中に存在するありとあらゆる事物から、自分にとってなにか有利なものを見つけ出し、利益をあげて、その代償を自分以外の誰かに払わせる商売だ。
 憲法学者の場合、銀河系憲法を論拠に、自分にとって都合の良い結論を導きだし、それを法制化することで利益をあげる、ということが常套手段であり、法律家の場合は、そうして産まれた法律を精査することで、何かしら自分にとって都合の良い結論を見つけて、憲法学者のおこぼれを得ている。
 客観的にみると憲法や法律は、数ある詐欺行為の中の限定された一手段に過ぎないが、法曹関係者が好んで用いる真面目そうな雰囲気と、整然とした話し方を聞いていると、なんとなくそれが論理的で正当な行為にさえ思えるほどなので、この手段を好んで用いる詐欺師は少なくない。
 同業者団体を結成して、厚顔にも「自分達の定める法以外は違法」だとさえ言い張り、時には暴力をも用いて他者に憲法や法律を押し付ける。
 そのようにして法に支配された文明下では、憲法と法律に基づかない詐欺を行っていると、シマを荒らされた憲法学者や法律家に目をつけられ、裁判にかけられて、大抵は死より何億倍も辛いとされる懲役刑(朝八時から夕方五時までの労働に加え、時には残業と称する精神的な拷問をも強いられる)を、五十年以上にわたって課せられる破目になる。
 逆説的であるが、憲法や法、制などという、知的生命体の自由な活動を制限する枠組みがあるからこそ、それを逆手にとった徹底的に悪辣な行為が可能なのだ。
 知的でない生命体や、一応は知的だけどそこまで頭のよくない生命体が犯しがちな暴力犯罪の場合、被害者はお金を奪われたり、怪我をしたり、場合によっては殺されてしまったりする程度で済むが、詐欺の被害となるとその程度じゃすまない。
 銀河系憲法と、その下に定められた諸法による正当な手続きに従って、ほとんど言いがかりにすぎないような理屈で惑星の保有する富が一切合財奪われ、惑星の住民たちが着の身着のまま宇宙空間に放り出される、というケースはまだ生易しいものだ。
 理不尽な理屈で到底払いきれないほどの借金を押し付けられ、自らに掛けられた高額の生命保険の掛け金を払うために過酷な労働を課せられたあげく、惑星ごとコンクリート詰めにされて、ブラックホールに沈められる。さらにはその様子を生中継で配信して、視聴者からも抜け目なく金を回収する、という手法が法曹界で一時期流行したために、数多くの知的生命体が銀河系から消え去り、いまや文明崩壊の原因として「コンクリ詰め」が八位にランクインするほどになっている。

 銀河系憲法の条文は、実のところ驚くほど短くシンプルだ。たった四語で形成されているため、最低限知的な生命体でも、どうにか暗記できるほど。仮に日本語に翻訳するなれば、
 「自由、平等、平和、そして幸福」という感じになる。 
 どうにも反論しにくい崇高な言葉が用いられているために、これに正面切って反対するのはなかなか難しい。
 ただし、1つの知的生命体の自由が完全に保証されているという状況は、必然的にそれ以外の知的生命体の自由を、完全には保証できないということになるから、自由と平等は並立し得ない。
 そして、個々が自由を追求すれば、どこかで必ず他者の自由と衝突する訳だから、自由と平和も背反する概念である。
 自由であることを放棄すれば、平等と平和は並立可能であるが、そのような状態がはたして幸福であるかは議論が別れる。
 かつて、ある恒星系の文明では、平等と平和のために自由を制限し、不幸になることを法律で禁じる(違反すると死刑)という施策で、この矛盾の解決を図ったが、どこからか噂を嗅ぎ付けた憲法学者に「自由を制限することは銀河系憲法に違反する」と訴えられ、最終的にはコンクリ詰めで滅びた。
 自由、平等、平和、幸福という本来並立不可能な概念を平然と並べ立てる銀河系憲法は、論理的にも倫理的にも破綻しており、で、あるからこそ、銀河系憲法を根拠に論理的にも倫理的にも破綻した結論を導くことは可能なのだ。

 銀河系憲法に関する唯一のタブーは、憲法の条文を変革する改憲行為である。
 改憲が行われると、憲法学者達がこれまで積み上げてきたロジックが根底から覆されるため、莫大な費用損失が見込まれる。
 そのため、ほとんど全ての憲法学者は「改憲は、自由、平等、平和、そして幸福という、銀河系憲法の原則に反する」と解釈している。
 解釈次第でどんな法律でも作れてしまうのだから、そもそも改憲など行う必要もないのだが。
 ただ銀河系の長い歴史のなかで、改憲行為に及ぼうとした者がいなかったわけではない。
 さそり座M6星団を発祥とするkenmikaw星人は、進化の過程で素直な心と過度な暴力性を身につけた、非常に攻撃的な知的生命体である。視界に入る物はすべて破壊するか、殺戮しなければ気の済まない性質であり、毎年、惑星のGDPの120%以上を破壊活動のために振り分けてしまうような、いわば借金をしてでも戦争を行いたいタイプの種族であった。
 といっても単純に、破壊と殺戮が好きなだけであったから、他の知的生命体に対して、憲法学者達が行っているほど悪辣な被害を与えるわけではなく、ただ皆殺しや惑星ごと破壊するくらいのものだ。
 損得勘定抜きに暴を振るうために、破壊と殺戮を生業とする同業他者からは、話の通じない野蛮生命体扱いされていたが。
 彼らは心の底から破壊と殺戮を愛していた。だから、この宇宙に銀河系憲法というものが存在すると知った瞬間に、それを破壊したいという衝動に駆られたのも当然のことだった。
 kenmikaw星人たちは銀河系憲法の破壊を誓い、秘密兵器ブラックホール爆弾を使って、銀河系憲法を奉じる法治主義文明を片っ端から攻撃しはじめた。
 銀河系憲法は、銀河系に属する文明に広くあまねくなんとなく承認されているものであるし、kenmikaw星人が片っ端から他の文明を攻撃することは毎度の事であったから、傍から観るかぎり何か変わったことをしているようには見えなかったけれど、それでも銀河系憲法を破壊するという意図は、憲法学者たちには深刻な問題と捉えられた。
 正々堂々と銀河系憲法を攻撃するkenmikaw星人に対し、憲法学者達がとった対抗策は、一見回りくどいものだった。
 それは、「kenmikaw星人が行う破壊活動、殺戮行為、さらには食事、睡眠、生殖から、日常生活から精神活動に至るまで、ありとあらゆる行為を銀河系憲法に照らし合わせて合憲合法とみなす」という法だ。これによって事実上、kenmikaw星人は銀河系において何を行ったとしても法的に罪に問われない、アンタッチャブルな存在になったわけだが、その事が逆に彼らを苦しめた。
 元来、物を壊し、生命を殺し、法を破る事を無上の生き甲斐にしていた知的生命体である。何をしても銀河系憲法を破壊することは不可能であり、自分達の行動の全てが法にからめとられてしまう、という感覚はkenmikaw星人にとって耐え難いものだった。
 手の付けられない暴れん坊だったkenmikaw星人たちの活動は、次第に不活発になり、内向的になって、やがて重度の鬱に沈下した。
 持ち前の攻撃性が安全圏まで低下したのを見計らって、憲法学者たちは大挙してさそり座M6星団に乗り込み、「幸福でないことは銀河系憲法に違反する」として、コンクリ詰めの準備にとりかかった。
 kenmikaw星人にとってのせめてもの慰めは、自分達の不幸によって最後の最期に銀河系憲法を破ることができ、わずかに湧いてきた気力を振り絞って、嬉々としてコンクリ詰めを行っていた憲法学者たちを殺戮できた事だろう。
 文明は滅びたが、満足は残った。コンクリ詰め生中継が始まって以来となる、空前絶後の視聴率記録と共に。