One Of A Kind

ツイッターには長すぎるつぶやき、感想とか。エンタメ系はなるべくネタバレはしないことを信条にしてます。

I have a thing for doctors

お久しぶりです。気づいたら1年このブログ開いてませんでした。。。もうブログの書き方も忘れちゃったよ。。。

 

さて、最近皆さん何してますか?

自粛してますか?去年のこの時期にはまさか今年もマスクして生活してるとは思ってなかったよね。引きこもり要素強めな私は自粛はたいしてしんどくないんですけど、同時に外食を死ぬほど愛しているので日々しんどいです。結論しんどいです。さらにはなんかワクチンもコロナの重症化は抑えれど予防にはならないっぽいしテレビをつければ医療崩壊!自粛のお願い!外食しないで!外に出ないで!なんならもう息しないで!でもオリパラはやるからそこんとこよろしく!っていうもうなにこの支離滅裂俺様理論?!という感じで最近は某百合子がテレビに出てくると頭の中で「オーレーはジャイア~ン」と百合子が歌いだす始末です。もう脳内が崩壊してる。普通が思い出せない。

 

というわけで相変わらず続く自粛の日々に飽き飽きとしているのは間違いないのですが、家で過ごす時間に関しては地上波及び配信のドラマが掃いて捨てるほどあるし本読んだり断捨離したり、いつか来るこの自粛の終わりという希望をめげずに持ちつつ暇つぶしはできているのでまあ何とかお心を維持できている。(てゆうかコロナ長引きすぎてみんな忘れかけてるけど家から出ないだけでみんなえらい)

 

で、私の「おうち時間(いやこの言葉嫌いなんだけど敢えて使ってみたけどやっぱり嫌いだな)」を支える数多くのドラマのうちの一つは、ツイッターで私を知っている人はもうご存じと思いますがTOKYO MER

TBSが毎期看板ドラマとして制作する日曜9時枠ですね。とりあえずTBS、コロナ禍大変だろうに予算使ったね…よくやったよ!と言いたくなるこのドラマ、内容に関してはだいぶ粗削り(=突っ込みどころがありすぎる)ですが、みんな!見て見て!みんなが好きなやつとりあえず全部ぶっこんだよ!感が見てて頭を使わないのでとてもよい。

  • 配役が善と悪のわかりやすく表現されてて(まあこれももっと深堀りすれば当然善と悪だけじゃ割り切れないいろいろがあるのはいい歳した大人なので当然わかるんだけどそこを馬鹿でもわかるようにバスッ!と単純化したから見てて疲れない)、TOKYOMER組=いい人、TOKYOMER組潰したい人=悪い人という構図なので頭を使わず楽
  • ドラマチックさを優先するから現実的な部分は無視(いくらなんでも爆発予告時間の数秒前まで中にいるとかありえないし崖が崩れるって言ってんのにチーム全員でお外に出るとかありえない)するけどとりあえず爆発したり埋まりかかったりとドキドキさせてくれる
  • 圧倒的ヒーロー主人公喜多見Dr(確実に死ぬでしょこれっていうシーンでも絶対死なないはずというヒーローに必要な安定感マシマシの鈴木亮平)とテンプレ的クールな悪役っぽく見せて実は誰より熱い裏ヒーローの音羽Dr(私がそうであったように大多数の人は鈴木亮平の筋肉が見たくてこのドラマを見たはずなのに気づくとみんな音羽先生AKA賀来賢人に夢中になってる)の、テンプレを煮詰めたような対比とその真逆な二人がチームを組んだからこそ生まれるケミストリーっていうヒーローものには欠かせない、ッカーーーー!ソレダヨ!!!的高揚感

と、なんというかもういろいろ足りてないしお涙頂戴に無理やり持ってくしで、みんな!冷静に見たらダメよ!ひたすら世界にはまるのよ!的なドラマなのだけど1時間見終わった後のすっきり感のためだけでも見る価値があると思っている。水戸黄門的な?暴れん坊将軍的な?

 

正直、この時期に医療ドラマを持ってくるの、あざといな、というかほんのりいやらしいな、とドラマが始まる前はうっすら思ってたんだけど、それはたぶんほんとなんだけど、敢えてこんな時期だからこそ、いつもはフィクションとしてみていた医療ドラマの緊迫したドラマチックなシーンは現実にありうる世界なんだなと感じさせる。少なくとも私には。だってサチュレーション、なんて単語今までドラマの中か病院に行かない限り聞くことはなかった。それがテレビのニュースやSNSで聞いて普通に使う言葉になってしまった。残念ながら。

 

私はブラックジャックにバッチリと自分の好みを植え付けられた幼子のころからずっとお医者さんに対して常に尊敬が絶えないんですけど、あの人たち普通に考えてすごすぎる。神様どういう風にデザインしてこうなったの?って感じで存在そのものが奇跡な人間の身体に不具合があったときにそれを治せるんですよ?恐れ多すぎて自分が医者になりたいともお医者さんと結婚したいとも一度も思わなかった。だからお医者さんの活躍するいわゆる医療ドラマは(私的には)外すことはない。なぜならお医者さんは普通にお仕事しているだけですげぇことやってるのでその日常を普通に切るだけですでにドラマだから。

 

だけど人生でこんなに医療ドラマを見ていて自分の身に置き換えてみてしまうのは初めてかもしれない。

 

みんなが、それぞれに鬱屈とした思いを胸に日々を生きていて、いつの間にか非日常だったはずの世界が日常になってしまって、その日常になってしまった非日常は現実感ないままどんどん地滑りを起こして落ちて行っているかのような、ここからどうなっていくのかわからない中、指針をもって国をまとめるべき政治はもう口に出せない文字にしてはいけないような罵詈雑言を浴びせたくなるようなひどさで、まじめに生きているのに理不尽な目に遭う、なんでこうなっちゃったんだっていうもやもやを抱えながら生きている中、それでも毎日現場で踏ん張って戦ってくれている医療関係者の方々のことを少しでも多くの人が想って行動できるようになればいいな、と思ってる。

 

私がこんな1年も放置していたブログで自分の想いを書いたからと言って何かが変わるわけじゃないんですけど。

 

医療関係者の皆様、もしももしかして誰か一人でも奇跡的に読んでいる方がいたら、本当に大変な中踏ん張ってくれてありがとうございます。

 

 

米津玄師を拝む

ねえねえ今日みんな米津玄師(敬称略)聞いてるでしょ?

どうですか?みなさんどうですか?

私は昨晩サブスク解禁を知って大興奮してその場でダウンロードをしましたけど聴かずに寝かせました。なぜって聴きだしたら興奮して寝られなくなるのわかってたので。大人なので。ええ、大人なので。

 

今朝出勤しながら聞いていたんですけど、最高ですね。ものすごい偏見たっぷりのことを言いますが個人的に「目が見えないぐらい前髪が長くて顔が判別できない細身高身長アーティスト系」があまり好みと一致しないのですが、米津玄師に関しては完全降伏。好きとか嫌いとかそういう概念通り越しちゃってる。あまりにも自分のお心にフィットしすぎて米津玄師がいない世界想像できない。名前もありがたい感じだし拝みたくなる。拝んでる。

 

米津玄師の魅力ってどの曲もするりと心に入ってくるところだと思ってるのですが。

これってすごいことだと思うんですよね。

全部の歌のテーマがまるで違うのにどの曲も自分のことのように感じられる。誰でもその時の心情にあった曲って心の中にするっと入ってくると思うんですよ。失恋していれば失恋している曲、恋をしているなら恋をしている曲、仕事に燃えているときは応援ソング、とかあると思うんですけど。

でも米津玄師に関してはその時の自分の気持ちに関係なく聞いた曲がするっと入ってくるんですよね。私だけかもしれないですけど。自分の心が米津玄師の曲に合わせて変形するのか、米津玄師の曲が私の心のフィットする部分を探し出してそこから入ってくるのかわからないのですが。もしかして両方なのかもしれないし。

 

なんていうか、米津玄師の曲を聴くと自分がバーチャルリアリティ米津ワールドにどぼーんと突き落とされて物語の主人公として彼が監督している映画に入った感じというか。。。

「自分」のままなのに「米津玄師」の世界が自分と完全にシンクロするんですよね。

そしてそのシンクロした世界につかると、どんな曲だったとしてもめちゃくちゃ癒されるんですよ。なにこれ…瞑想?なのかな?やっぱありがたい名前だから米津玄師ってなんかそっち系の人なのかな?って思うぐらいに。

 

これ、自分の好きな他の歌手の歌はどうなんだろうって考えてみたんですけど、私的には米津玄師と同じ感じの人っていなかったんですよね。

 

たとえば

 

宇多田ヒカルの歌も限りなく心に寄り添って入ってくるんですけど、あくまで宇多田ヒカルさんのストーリーに共感している、って感じなんですよ。宇多田ヒカルの一番の魅力である、彼女が持ってる確固たる世界をそれを少し分けてもらっている、というか。

 

椎名林檎の歌は圧倒的伝道師である林檎様の世界から与えられるものに感謝いっぱいでひれ伏しながら「ああ…、林檎様…!!林檎様でもそんな切ないお気持ちをお持ちになるのですね!高貴なあなた様のそんな生々しいお気持ちを我ら下民にも教えてくださるのですね…!生きていてくださってありがとうございますううううううう!!!!」って感じなんですよね(※個人比があります)。

 

サザンオールスターズはもう小さいころからの国民的グループでかつサザン=湘南、ってなってるからサザンはサザンとして桑田佳祐の脳みそが歌になってると思って聞いているし(ちなみに私は桑田佳祐は日本で一番エロくてかっこいいおじさんだと思います)、Bruno Marsはなんていうかただひたすら「Heeeeeeeeeey what's uuuuuuuuuuup」っていう図々しい友達ノリで聞いちゃうし。

 

他にも好きな歌手はたくさんいるけどどれも米津玄師とは違う。

本当に不思議な人だと思う。

そういう才能をサブスクでありがたくいただいてしまって、現代社会ってすごいね。生きてるって素晴らしいねと思いました。

 

と、米津玄師のサブスク解禁にあまりにも興奮して放置しまくってネグレクト状態だったブログに書きなぐってしまったけどオチはないんだ今回。

でも私にブログをまた書かせたなんて、やりよるな、米津玄師。ということに個人的にはすごいなって気持ちが一番表れてます。

 

 

あと、皆さんコロナ禍大丈夫ですか?生き残りましょうね。しんどいけど頑張りましょうね。頑張れない時はタイムアウトして社会生活お休みしてもいいと思うのでとにかく生き残りましょうね!

 

では。

 

 

 

女の道は修羅の道なのか?

お久しぶりです。

 

皆様いかがお過ごしですか。

 

私は毎日忙しくしてるのですが、忙しいというか体力がなさすぎて行動許容量が圧倒的絶対的に少ないから忙しい気がしてるだけで実は大したことしていない気がしなくもないですが、間違いなく最近わたしの心を忙しくしていることがあります。

 

あれです。

男女平等ってやつです。

 

最近だと聖マリアンナ医科大学の女性受験者80点減点騒ぎだったりとこのトピックは常に話題に事欠かないな、って感じですが、なんですかね…女のわたしがいうのもなんですが根が深すぎてどこから手をつけていいのかわかんないですよねこの問題。

 

「女だから」というだけで不利な条件を与えられる聖マリアンナ医科大学の件のような報道を見るたびに口にするのもおぞましいような罵詈雑言が頭にいっぱい浮かんでしまうのですが、反対に「女だから」という理由で下駄を履かされても笑顔で対応しながら心の中では『なめとんのかオイ?』ってなります。

聖マリアンナの件は見えないところで差別されてるという1番反撃ができないパターンなのでほんとにさすがの私も脱力そして怒ることしか反応ができなかったんですよね…あれは史上最低だよ。世界中に恥晒してるよ。正々堂々と正面から「女だから」的な価値観を押し付けてくる人間がいると『え、それ女がやる必要ある?ねえねえ?なんでなんで?』ってやれるんですけどね…。

あと「女だからこの下駄履きなさいよ」パターンのことでいうと『女性で30代で○○という専門知識を持ってる人が欲しいんですけどご興味有ります?』っていう転職のお誘いがあって「?????」ってなりましたよね。なんで女性限定なの?と思って聞いたところダイバーシティ(多様性)の推進をしているので、というもっともらしい返答が来たんですが本当にダイバーシティを推進するなら男女関係ないじゃん…候補者全員の中で1番だった人を採用すればいいじゃん…と思いました。こういう「平等を目指してる私って偉いでしょ?」的な不平等が1番厄介だと個人的には思う。

 

私は基本的には男と女の間にあるのは生まれ持った身体的性別の違いだけだしそれは個性であって能力の差ではないと思っているので、子供の頃から『女の子なんだから○○しなさい(例えばご飯の準備とか)』と母に言われても「なんで女だからしないといけないの?なんで男はしなくていいの?」と返す可愛くない子供だったのですが今でも変わってないんですよねそれは。

 

だって男も女も人間じゃん。

 

ただ、ここで難しいなと思うのは「人間じゃん?」って言ったからってそうできるほど今までの社会で長らく作られてきた「普通」は簡単には変わらないよね。ずるいよねー、悔しいよねー。だから、おかしいと思ったことは声を上げて変えていくしかないんだろうな。

 

男女平等の世の中になって欲しいなって思うけど妊娠出産のことだけは加味してもらえないと男女平等の社会なんてできないよ、とも思う。だってこれだけは女しかできないことなんだから。仕事も勉強も家事も育児も男性も女性もできることだけど、妊娠出産は女性しかできないんだから。そこだけは平等を作るために加味しておくれよ、と思う。

 

その上で、本当の男女平等にするために女性が今できることはただただ切磋琢磨することで、それでもって「女だから」「男だから」関係なしに素敵な人間になることなんだと思う。それって実はすごく楽しいことだ。

 

ので私は今年もより良い自分を目指して修羅の道を進もうと思います。男と女も関係なく人間としてみんなが仕事も勉強も思う存分できる世の中になるまでは。

 

 

 

椎名林檎というレメディ

先日深夜番組を見るでもなくただつけていたところ、椎名林檎と言う単語が聞こえて来た。

 

テレビ画面にはカラオケで椎名林檎を歌う女はエロいと言う事についてかなり熱弁している男性がいた。ぼんやりとしか覚えていないのだけど、みんなで一緒に縦ノリできるような曲ではなく聴かせるための技術力が必要な歌、ましてや歌詞もライトではない彼女の曲をカラオケで狙って歌うような女性はエロい、と。

 

一緒に出てた女性ゲストも「…たしかに」みたいになってる。私もテレビに向かって「…たしかに」みたいになる。

 

言われてみれば、(意識しあう)男女が混合でカラオケをしているときに椎名林檎の曲を歌う人は、女性だけもしくはもう気心知っててすっぴんでも平気ですみたいな男女混合グループでカラオケに行く時よりも少ないような気がする。

それってエロいからなのか?そうなの?椎名林檎の曲はむやみやたらに歌ったらいけないルールが私が知らない間に日本国に制定されてたの?よくわからないけどそうなの?

 

てゆうかそもそもエロいってなに?

エロいって、エロスから派生した日本語(といっていいのかわからないけど)ですよね?

性的なことに使われることが多いけどそもそもエロスって確か愛とかそういう意味じゃなかったっけ?

 

人はカラオケに行ったら歌いたい歌を勝手に歌えばいいのでむやみやたらに椎名林檎を歌っていいのかいけないのかは置いておくとして(私は勝手に歌わせていただきますので関係ない)、なんで椎名林檎という人の歌が(万人とは言わないが)刺さる人にあり得ないぐらい刺さるのか、ということをぼんやりと考えてたんです。

 

椎名林檎って、とても特徴のある声を持っていて、歌はもちろん上手くて、独自の世界を築き上げ、めちゃくちゃ綺麗で色っぽくて、かなり稀有な存在だと思うのですが、生き馬の目を抜く芸能の世界、他にもそういう歌手の方っていると思うんですよね。人によって好みって違いますし。

 

そんな感じで自分の中の何がそんなに椎名林檎に惹かれているのかの答えが出ないままでいた時、Apple Musicから流れてきた「長く短い祭」を聞いて、ああああああ!!!!!って。

 

www.youtube.com

 

この曲、「私が思う」椎名林檎を非常に表してる曲なんです。

 

抑えられない狂気が溢れて止まらなくなりそれが踊りとして湧き出る、その様は目が離せないほど美しい。人が生きているというその事実、それだけで芸術なんだ、とクラクラするぐらいの強烈さで主張する。(法律違反はダメですけど)

 

 

人って誰しも狂気を持ってるはずなんだと思うんですよ。狂気という言葉で表す、熱狂だったり、狂乱だったり、熱意だったり、深すぎる愛だったり。なんにせよ止められないほどのほとばしる思いが。その狂気の方向性は、恋愛だったり仕事だったり趣味だったりと、人によって違うから自分と走る方向性が違う他人を見ると「狂気」としか表現しようがないけど。でもたぶんみんな持ってる。

 

そして人はその、みんな平等に、でも違ったベクトルに内包している「狂気」をあやしながら社会生活を送るわけで。「狂気」は24時間いつでも全力でエンジンかかってあるものではないじゃなくて、何かのスイッチが入ると止められなくなるもの、普段は認識しながらも自分の中に飼いならしている存在で。

 

でも、たまにあるじゃないですか。

どうしても自分の中の狂気を自分の身体から解放したくなる時。

 

で、椎名林檎の曲は彼女本人が持っている彼女の狂気を彼女独自の上質な気品でこれ以上ないぐらいに美しく包みながら慈しんでいて、だからその曲を聴くと、私は自分の中に生まれる様々なベクトルに向かって激しく抑えられなくなりそうな気持ちを落ち着かせられる、ことがある。

なんというか私だけかもしれないけど、椎名林檎の曲を聴くとその「狂気」を私の身体から、ほんの少しだけ、彼女の歌の持つ愛と上品さで包みながら解放できてる気がする。

 

ご本人は完全無欠のエンターテイナーって感じなのでもしかしたら私が「彼女の狂気」と思っているものすら彼女の計算によるものなのかもしれないけど。だけどそうだとしても私はそのアートに対するこだわりはある種の狂気ではないかと思う。

 

ていうか一応言っておくと私が狂気を体の内側に抑えることが全くできずに生きてたらそんなのサイコパスの名作『アメリカン・サイコ』の世界ですよ。そこまで頭おかしくはないです。

 

世の中には音楽がないと生きていけない人と、音楽はあんまり聞かないし特にこだわりもないし別になくても平気っていう人がいると思います。

私は音楽がないと生きていけないタイプに所属している人間なのですが、なんで音楽がないと生きていけないのか、ということについてはそんなに考えたことがなかったんです。

でも、昨日の夜から、椎名林檎と自分の距離感を考えていたら、私にとっての椎名林檎は、「毒をもって毒を制す」薬なのかなと。そして椎名林檎だけに限らず音楽は自分にとっては薬として必要な存在なんだな、ということがわかりました。

 

 

 

ちなみに私は椎名林檎をカラオケで歌います。

いざ、キューバ!準備編

初めて存在を知った時からいつか行きたかったんです、キューバ

 

カリブ海に浮かぶ、社会主義国

 

キューバ、なんかよくわかんないけど、みんなおしゃれなパナマ帽をかぶってて葉巻をくゆらせながら生演奏の軽快でセクシーなリズムに体を揺らして今を生きているイメージ、ありません?

私はあった。

キューバ、子供たちがぼろぼろのボールを目をキラキラさせながら蹴りあって走る路地裏の壁には峰不二子みたいなお姉ちゃんの絵が描いてあってその峰不二子の伏し目がちな瞳に心を奪われちゃうイメージ、ありません?

私はあった。

キューバ、蒸し暑い夕方、にぎわうバーに入ると褐色の肌をしたイケメンバーテンダーが音楽に合わせて歌いながらグラスの中のミントをつぶし、そこにたっぷりのラムを入れたモヒートを作ってウインクしながら渡してくれるイメージ、ありません?

私はあった。

 

キューバ、なんかよくわかんないけど行きたいな、って思いません?

 

学生時代からいつも旅行先候補には上がってたんです。でも、一緒に行こうとしてた人の都合が悪くなったり、今度は行こうとしてたタイミングに自分に外せない用事が入ったり、あといい歳してるとはいえ女の私がキューバとかエジプトとかそういういわゆるちょっと危なそうなイメージの国に行くっていうと母親が母親らしく心配され、なんとなく他にも行きたい国は世界中にあったのでキューバに行かないままなんとなくあっという間に時は経っていたんですよ。

 

が、2015年にアメリカとキューバが国交回復したあたりから、「これはそろそろ本気で急いで行かないと、キューバの豊かで独特な文化はどんどんアメリカ化するぞ…危険だ…」と思うも、思うだけでなんとなく行かずに過ぎる日々。

人間が(というか私が)いかに普段流されて生きているかがわかりました。

 

なんとなくいけそうでいけない国、キューバ

 

なんとなくなんとなくって、田中康夫かよ!って突っ込みたくなるかもしれませんが、私も途中まで書いてて突っ込みましたが、旅というのは結構『なんとなく』で決めるものですよね?私は旅が大好きなのですが大体なんとなくで行き場所を決めることが多いのでいつも田中康夫です。

田中康夫を知らないあなた、Google先生に聞いてください。そんな私も元ネタの本は読んだことがありません。)

 

そんな感じでなんとなくいつも心にはあるのだけど行かずに時ばかりが経ってしまっていた2018年秋、なかなか人生のいろんなことに息苦しさというかどん詰まり感を感じていたというかなんというか未来への希望というか平凡な日々への起爆剤というかなんかよくわかんないけどそういうのが欲しかった私は、ある朝目を覚ましたベッドの中で、どうしても、私は、キューバに、行かなくてはいけない!と目をカッと見開いたんです。

 

思ってしまったら最後、決めてしまわないと気が済まない。

 

キューバ行こう!って言ったら乗ってくるだろうなーっていう人に声をかけるとイエスの返答。

そこからは

 

キューバ 日本 行き方

キューバ ビザ

キューバ 宿泊

キューバ 何泊

キューバ 観光 おすすめ

 

と、まあ次から次へと検索の嵐を起こし、日々カラフルなキューバの写真を見ながらテンションを高めつつフライトを抑えて現地に行くことが可能な状態を作りました。

 

ちなみに抑えたフライトはカナダのトロント経由。なぜなら同行者が中国系カナダ人だから。

東京-トロント-ハバナキューバの首都)のフライトは飛行機が遅れるとなかなか乗り継ぎが危ないという話を聞いたので往復共にトロントでの宿泊を挟む余裕のスケジュール。大人ですね。私。

 

宿泊に関しては、色々調べた結果社会主義国キューバはたとえ5つ星ホテルでもあまり期待はできない、それよりもカーサ・パルティクラルといういわゆる民泊だとキューバの人とも触れ合えるし現地の生活も垣間見ることができるからオススメ!っていう記事がとても多かったんです。確かにこれからキューバでは(アメリカとの国交断絶により)止まっていた時は進み出し近代化がどんどん進む。だったら今のリアルを知れるであろう民泊はいいかもしれない。そうだ、そうしよう!と民泊サービスAirbnbにて評価が高いところをいくつか選んで同行者に送る。パティオから見たカラフルな街並みとか、豪奢ではないものの泊まるには過不足ない部屋、さらには朝ごはんを作ってくれるところも(これは追加料金あり)。

と、みていたのですが正直同じようなところが多いので2人とも途中からどこでもよくない?状態になり結構簡単に決まる。

 

ここまで年明け早々に決まり、あとは行くだけの状態!

 

と、思いきや日本人は事前にツーリストカードというビザみたいなものを在日キューバ大使館にて取得する必要があったり、さらには海外旅行保険証書が英語で必要だったり(これはカード会社の海外旅行保険を使ったのですがカード会社の方が「最速で何とか処理します!」と処理をしてくださりぎりぎりだったにもかかわらず間に合った)、カナダに行く私はカナダのETAというこれまた短期滞在する人が取る必要のある手続きをしなければならなかったり(これはネットですぐできる)で、直前に気づいた私はバタバタしてました。かなり、バタバタしてました。

 

ツーリストカードを取ったのは日本を旅立つ2日前。

もしこれから行かれる方は精神衛生上もう少し早く取得することを強くお勧めします。

 

と、いろいろ本人の不手際により直前までバタバタドキドキしましたが、あとは!行くだけ!失われた50年を感じるロマンの旅!

 

 

続く。

船出はいつだって嵐ぐらいがいい

日曜日、嵐が活動休止するというニュースを知ったのは千秋楽の大相撲の中継を見ていた時だったんです。

 

そう、ニュース速報。

 

流れるテロップが伝える嵐の活動休止そのものには驚きすぎて一周まわってどこか冷静だったのですが、嵐という”いち”グループの活動休止は天下のNHKがニュース速報で流すほどのものなのかということへの驚きの方が大きかったんですよね。ああ、嵐って本当に「国民的」アイドルグループなんだなぁ、と。また、時代が一つ終わるんだなぁと。

 

日曜夜も月曜朝もテレビで放映される記者会見の様子を見ていたので、大体の会見の内容は知っているしそれは読んでいただいている方々も同じかと思うので特に敢えて記事を貼る必要もないとは思うのですが、この青木アナウンサーの一連の記事は嵐のファンのみんなの心情も伝えているんだろうな、と。

www.sponichi.co.jp

 

自分自身に当てはめた時に、自分が好きな芸能人が活動を休止する・引退するなどが理由で「一睡もできなかった」という経験が人生で今までないので(というかそこまで人生に影響を及ぼすほどたぶん芸能人を好きになったことがない)、そのインパクトは私にはわからないんですよ。でも、ネットだったりテレビだったりを見てると本当にそういう人はいるわけで。わからないけど、でも「一睡もできなかった」の方を基準に自分の経験と比べたら、それってたぶん彼氏と別れた時ぐらいだ、と行き着いたんですね。

……え、ちょっと待って…?!そう思うと嵐の存在に支えられていた人代表としての青木アナウンサーの一睡もできなかったが超わかる。そらしんどいわ!となる。青木アナウンサー、よく会社来たね。有給も使いづらいお仕事だもんね、がんばれ。と勝手に青木アナウンサーを応援したくなる。そして日本中に、いや世界中にいる多くの嵐ファンの人もさ、出社した人、よく頑張ったね。学校行った子、偉いよ。変わらず家事をするお母さん、お疲れ様です。そして何より受験生、頑張れ!となりますよね。

私の周りでいうと、海外に住んでいるけど嵐の大ファンで大好きすぎて日本語を習得し、さらには日本に仕事を見つけ海を渡って日本で「嵐活動」をしていた子がいるんですね。彼女はすでに母国に帰っているのですが、今回のニュースで一番に浮かんだのは彼女が無事かどうかでした。まあ結論から言うと瀕死の状態で、今すぐ日本に帰りたい、これから2年弱、何も逃したくない。つらい。と言って泣いているんですね。とりあえず来てしまえ、と無責任なことを言っておきましたが。ほんとに来そうだな、来るんだろうなあの子。

 

…と、そんな熱狂的なファンがたくさんいることは日本国民ならだれも知っているであろう嵐というグループ。なにより嵐の5人はファンの情熱を誰よりも一番知っている。でも、知っているけれどそれでも今回の活動休止を決断したこと、そしてそのきっかけとなった大野くんから他のメンバーへの告白。私はずっとニュースで会見を見ていて、お互いとファンと関係者とマスコミに敬意を持ちつつ冷静に経緯と気持ちを伝えていたこの5人にもんのすごい漢気を感じました。無責任の真逆にいると思った。

 

今いる場所のほうが楽なんですよ、たぶん確実に。成功はわかりきっていてみんなに必要とされていて愛されていて。人間だれしも変化って大変なわけですし。

 

それを全て捨てても、ファンが一度は悲しむとわかっていても自由を経験したいという自分の抗えない思いを行動に移した大野くん。そして、なんとか説き伏せることもできたに違いない、けれど違う方向へ進みたいと思うメンバーを止めることはできない、止めてはいけない、とそれを受け入れた4人。そして前に進んでいくためのベストな結論を出した5人。

 

情報番組を見ていた時、コメントで「30代の男は、いろんなことを考えていて、ここが動ける最後かもしれないといつも悩んでいる。だから大野くんの気持ちがとてもわかる」みたいなことを言ってる方がいたのですが、それは女も一緒だ。そして30代だけが悩むんじゃない。40代だって50代だって60代だって、10代だって20代だって悩んでる。

それでも多くの人は悩みながらももがきながらも日々の仕事とか暮らしとかに流されて、気づくと時間はどんどん過ぎていて、なんとなく乗ってしまった船で進んでしまった道を行く人が大半だ。もちろん進みたかった道に乗って高速で爆走してる人もいる。うまくいっていたらいい。でも、一度乗ってしまった船から降り自分の意志と力で進む方向を変更するのは本当に大変だ。進む方向を変えた時に、今持っているものが変わらず自分の手にあるかは全くわからない。成功、充実、のどかな日々、安定…。今持っているもの全部を失うかもしれない。

 

それはまるで嵐の中の船出じゃないか。積荷は全て波にさらわれてしまうかもしれない。船ごと沈むかもしれない。前は見えない。後ろにも戻れない。かろうじてどこかにたどり着いてもそこは荒れた無人島かもしれない。もう出来上がって自分の入る余地のない都市かもしれない。自分が求めている手に入れたいものが手に入る確率なんて低いもんだろう。それでもたぶん、人はどうしてもその船出をしたい、せざるを得ない時があるんだ、と大野くんを見て思った。わたしは大野くんの決断に自分はただ漫然と生きているのかも、と肩を揺さぶられた。

 

その一方で、ツイッターでは #大野くんの夏休み という非常に優しさで満ち溢れたタグができていて、ああ、もしかして大野くんは本当に夏休みを取りに行くだけなのかもな、と思ったりもする。

 

大野くんが夏休みをとるのかそれとも自分の進みたい道を見つけに嵐の中航海に出るのか、それは大野くんしかわからないし、大野くんもたぶんまだわかってないんだろうな、と思う。

 

けど、大野くんの進む道が、時に厳しいものであったとしても、笑顔に溢れている素晴らしいものであってほしいな、と嵐世代の私は願うばかりです。彼が船で新たな大地を目指して旅に出るとしても、釣りに出るとしても。

『ちょうどいいブス』はいらない、いつも心にデビ夫人を。

昨日から日本人女性(少なくとも私の周りの)の脳内にこびりついて離れない

『ちょうどいいブス』

というワード。昨日、止まらない思いをエントリー↓にしたためたわけなんですが

 

oneofakind.hatenablog.com

 

昨日一連のツイートをした時と上の記事を書いていた時にずっと頭にあった話がありまして。

 

それはアメリカ人歌手のアリアナ・グランデが朝の情報番組(『ちょうどいいブスのススメ』を放映する日テレの『スッキリ』)でお笑い芸人の春菜と共演した時のことなんです。春菜の鉄板ネタの

マイケル・ムーア監督じゃねーよ!シュレックじゃねーよ!」

っていうネタを司会の加藤浩次と一緒にアリアナにやったんですね。日本だったらみんなが知っているこのネタ。そして大体みんなが笑うやつ。これを、アリアナ・グランデは何が面白いのかまったく理解できてない様子で全然ほんとに笑わなかったんですよ。途中でたぶんほんとにわからなさすぎてアメリカ人がわからない時によくやる両手を上にあげながら肩をすくめるポーズ(ちびまるこちゃんの花輪君がやるやつね)までして、

「あなたは『カワイイ』わ!」

って言っていて、本当に本当に何が面白いのかわかっていなかったんですよ。

私、これ、リアルタイムで見ていたのでゲストで来てくれた大物歌手が笑ってくれなくて現場がちょっと焦ってるのが伝わってきてたんですよね。春菜は困った顔をしていた。で、後から分かったのはアリアナ・グランデはCM中に春菜に対して

「あなたは本当にマイケル・ムーアに似てない。私が約束する」

って声をかけたらしいということ。詳しくはこちらの記事を読んでください↓

 

www.excite.co.jp

 

この話を最初に知った時、

 

日本の常識、世界の非常識。

 

っていう言葉が浮かんだんですよね。こういうこというと海外かぶれとか言われるんでしょうけど、島国日本の価値観や常識は世界で通じないことがたくさんある。それはいい。別にいい。だってどの国だって独特の文化があって中には日本人の私たちには理解できないこともたくさんあるから。だけど、時代というのは常に前に進んで変わっていくものであって、時代は変わっていくのに自分は変わらない、っていうことは退化でしかないと思う。そして今の日本はそれが平然と行われていると思う。

 

常識・非常識、でいうと、私は女子高育ちなのですが、同じように

 

うちの高校の常識は世間の非常識

 

って言われてたんですよ。女しかいない世界でのびのびと育ったから、男性を意識することがなかったんですね。大学に入って家族以外の男性と日々接するようになって初めて、共学育ちの女子たちと違って色恋沙汰の際に「男に媚びる」方法を知らない自分に愕然としたんですよ。今思えばそんな媚び売る必要なんてそもそもないんだけどさ。18歳とかだしさ、当時。それでも、その時の論点はあくまでも一人対一人の話だったんですよ。

 

その後社会人になると、

上司というものは概して男性で、社会人だから上司の言うことには従わなくてはいけなくて、でも上にいる人が男性だらけだから女性の価値観は全く無視されて、女性の価値観は理解できない人たちだから女性は上に上がることもとても難しい、

というのを目の当たりにしたんです。

 

勉強ができる、歌が上手い、走るのが早い、絵がうまい、とか、純粋にその人そのものが持つ資質のみで人は「この人はこういう人」というキャラクターづけされるのが当然だと小さな時から疑いもせず思っていた私には、男と女、という性別があるだけでその定義づけや世界がまるで変わる、そもそもの出だしの待遇が違うっていうことがある、という事実に動けなくなるぐらいにショックだったんです。

 

今の世の中には、たくさんの『違い』がある。性別だけじゃない。国籍・宗教・文化…。本当にたくさんの『違い』がある。『違い』は全くもって悪いことではない。私は『差別』というのは相手の立場や状況を考えないで自分の考えを押し付けることだと思っていて、『違い』がもとで『差別』することは悪いことだしあっちゃいけないと思ってます。

これ絶対。

 

で、今回は自分が女だから、『ちょうどいいブス』の押し付けに対してキーキー言ってますけど、逆もあるからね。男性に女性が押し付けてることたくさんあると思う。たとえば男の人は男らしくたくましく頼りがいがあるのがいい!っていう概念を無意識に押し付けてしまっているかもしれない。それに苦しんでいるけど声を上げられない男性がいるかもしれない。

 

ただ、女性に押し付けられる男性世界の価値観が話題に上ることが多いのはやっぱり今の社会が(未だ世界中で程度の差はあれ)男性主導社会だからなんですよ。女性やその他のマイノリティが権利を主張するのは本来持つべき権利を持ってないからなんだよね。そして平等な権利を主張する女性の活動や言動に対してネガティブな批評がされたりするのは、今いい立場にいる男性(の大部分)が、自分の立場が今と変わってしまうことに恐怖を感じているからなのでは?『ちょうどいいブス』なら男性に恐怖は与えないから彼らは女性に『ちょうどいいブス』をもとめるのでは?

 

さらに怖いのは価値観を押し付けられている女性そのものがその押し付けられた価値観を正しいと思い込んでしまっていること。

 

要するに洗脳されてるんじゃなかろうか。

 

男も女も一緒の人間なのに「女は一歩引いて男を立てるべき」とか自分で思い込んじゃってないでしょうか?「男性を立てる」価値観が正しいんではなくて「相手を立てる」価値観が美しいんだと思うんです。だけどたぶん私たち日本人女性は武士の国日本の女性だから、男性を立てる=相手を立てる=正しいっていつの間にかずれてしまった価値観を正しいと思い込んでないだろうか?

 

だから、男性は女性に何かを押し付けるべきではないし、女性は男性に何かを押し付けるべきではない。男性は女性に押し付けられた何かを甘んじて受ける必要もないし、女性は男性に押し付けられた何かを甘んじて受ける必要はない、そもそも人に何かを押し付けないほうがいいよ、と、私は思う。

男性とか女性じゃなくて、一人の人間として相手と向かい合うべきなのでは。

そしてその集合体が、社会なのかなって。

男も女もおんなじ人間ってことを心から理解することが大切なんだと思うんですよね。

 

 

だから、私たち日本人女性が自分でできることって、まずは自分は尊敬をもって扱われるべき人間であり、『ちょうどいいブス』ってちょうどいいんじゃない?なんて言われたらそんなやつとはスパッと縁を切ることだと思います。自分をきちんと扱ってくれない人や集団と付き合う必要ないでしょ。どうしても縁が切れないのであれば

「え?ちょうどいいブス?この私を捕まえてちょうどいいブス?オホホホホ!面白い冗談ですこと~~!」

って、心にデビ夫人(叶姉妹でも夏木マリ様でもお好みでお好きな方を)を降臨させませんか?