how come you can't see me

寝ても覚めてもキムジェジュン

輝くジェジュンに宛てた話

 

 

最近世間が6000でいっぱいなのとたまたま脱力タイムズでキムジェジュンを見かけて、ふとスマホに入れていた소년의편지を聴いた。

やっぱり素敵だった。敢えてソロではなくJYJの曲を聴いた。なんでだったのかはわからないが、なんとなく聴いた。(このブログは6000さんについての見解を述べるブログでも擁護するブログでもなんでもないことだけわかってください)

キムジェジュンのオタクを退いてから、長らく使うことのなかった韓国語だったのにこの歌詞はあまりにも文学的で儚くて綺麗で、ずっと覚えていた。

 

なんとなく昔にブログをしていたなあと思い出して、見つけてログインして書いている。

もうTwitterもしていないし、多分誰も読むことの無いままインターネットの海を漂うのだろう。それくらいでいい。なんでもない話なのだから。

 

 

もうあれから2年が経ったらしい。

2年が経ったということは、キムジェジュンが除隊してもっかい入隊してまた除隊したくらいの年数が経ったという事だ。

 

あんなに待ちわびたキムジェジュンの除隊だったのに、こうして過ごすとあまりにもあっという間。東方神起ジェジュンだった頃に好きになってからもう12年も経った。私も歳をとった。

 

詳細は省くが私はある日決意して、意図的にキムジェジュンのオタクをやめた。好きのタンクが空っぽになってしまったから。たしか2018年の頭くらいに。

 

その後特に誰のオタクになるでもなく、なんとなく顔の好きな人を見に行っては癒されるとかその程度の人間になった。

 

一方あれからキムジェジュンをテレビでたくさん見るようになった。彼の愛されるキャラクターと歌声とビジュアルに、新しいファンがついたのもわかった。日本で活動することにこだわって懸命に足掻いてきたキムジェジュンが、1人で日本の番組に出て喋っていることに、あまりにも心を揺さぶられすぎてその日は泣いた。

 

音楽番組やバラエティによく出ては私の目に止まる。本当にこの1年、たくさんの番組に出ていたように記憶している。CDの売上もいいらしく、アルバムではオリコン一位を獲得したと風の噂に聞いた。

明日のMステではいつだかカバーしていた中島みゆきの化粧を歌うらしい。不思議な気持ちになった。

 

私はキムジェジュンほどファンを大切にしている人を知らない。綺麗な歌声と茶目っ気のあるキャラクターと腰の低い物礼儀正しい人で、今でも好きには変わりない。

最近のコンサートの写真を見かけたが、綺麗な赤一色に染まった客席を見て、胸が熱くなった。今さらファンをやめた奴が何を言っているのか、と思うかもしれないがその写真は紛れもなく彼が一人で取り戻したレッドオーシャンそのものだった。(あの頃は本当に色々あったし思い出すだけで気分が死にそうになる。色んな人の色んな意見があるけど真実は結局本人達しか知らない。今でこそ割り切っているもののタラレバは尽きることがない。苦しい。)

 

 

私の知らないところで笑顔で輝いて生きるキムジェジュンを私はずっとこうしてお茶の間で見続けるだけの一般人になるのだろうと思う。きっと愛されれば愛されるほど輝く人だから、新しく好きになった人も離れられない人だと思う。ずっとそのまま遠くで星みたいに輝いていて欲しい。流れて消えるまでずっと見続けるから。

 

考えがまとまらなくなってきた。眠い。

 

 

最後に

 

ジェジュン、たくさんの人に愛されて笑顔でいてください。あなたの歩く道が綺麗な花で溢れていますように。

 

 

 

 

 

おたくってギャンブラーな話

 

 

お久しぶりなブログすぎて何書いていいかわからない。
とりあえず今回のギャンブルの説明をば。

 

推しはキムジェジュン。職業はアイドル。あと社長。
自らのブランドを立ち上げさらには渋谷のド真ん中にビルをおったてた。
名前はKAVEMALL。

私はみいこ。職業は高校生。あとアルバイター
受験を控えピリピリムードさらには除隊後のアジアツアーにほぼ全財産を費やしたバカ。
特技はHENGAO。

 

 

前振りはさておき先日遂に魔のKAVEMALLが渋谷にオープンされた。
それに伴って開催されたオープニングセレモニー。


それがまた私の脳内社会で大きな波乱を呼んだ。


前にあったMOLDIRのイベントもなかなか鬼畜だったが今回ほど酷くはなかった。色々。


まず私はチケットを確保していない状態で眠らない街トーキョーに乗り込んだ。この時点で割とギャンブルみが強いけれどそれは一旦置いておこう。


朝9時からポップアップストアが始まって抽選で当たりますよ〜紙袋の底にチケット入ってますよ〜みたいなイベントらしい。
きっかり朝9時に始まると思って待っていた。
雨も降っていたので音楽を聴きながら待った。BGMはあみんの待つわである。
だが9時になっても始まらない、あみんの待つわもn回は聴いた。


結局9時40分くらいになってようやく入場が始まり、ようやく戦いが始まった(すでに始まっていたという説もある)。


正直ぱぱっと当ててさあやぴょんと東京観光でもするつもりだった。
なんせポップアップストアだけで500人も当選者を出すんだから、とタカをくくっていた。


だが現実はそんなに甘くなかった。

 

まあ当たらない当たらない。


4周くらいした辺りで愛しのさあやぴょんと合流した(と思う)。
もう死にたいとか言いながら戦場で仲良くなった方達と一緒に並び続けて、高い方が当たるのではとか言いながらイチキュッパのグラサン割り勘で買ったりしていたがまあ当たらない。しんだ。

 

 

こんなキレツイートまでする始末だった。

 


一旦離れて夕方くらいにまた来よう!という話の流れになり、一旦お昼ご飯を食べることに。
ロイヤルホストへ行ったのだがこの時点で5周して2万円強を使っていた私には先が見えなかった。このペースで午後も行ったら我が家に帰れない。
戦場の外でメニューとの戦いが終わり、コスモドリアを食べた。しかも仲良くなった方が払ってくださった。涙が出るかと思った。


午前中4時間滞在した中で見かけた当選者は20人いるかいないかくらいだった。
もう半泣きでカフェにもいたレジの店員さんに半泣きになりながら当たらねえと帰れねえって訴えた。今思うとひたすらに迷惑な客である。
かわいい男の店員さんを困らせてボクノココロガイタイデス(スタッフは全員韓国人)とまで言わせた手前当てないわけには行かない。


満を持して午後の部(気持ち的な意味で)に挑んだ。
午前で散々ディスっていたKAVEのハンドミラーを購入。当たらない。


すると突然MOLDIRが5時になったら全品半額セールをするとかなんとか言い出した。何を言っているんだこの韓国人。今まで出した金返しやがれ。


仕方ないので入場時に渡されたカタログを見つめ、1番MOLDIRで安かったクソ地味なキーリングを手に握り5時を待った。
キーリングは2160円が定価で半額ということは1080円。
正直こんなに安いもので当たる気がしない(この時点で金銭感覚は狂いに狂っていた)。

レジに並び、これまたカフェにもいた店員のお姉さんにそこそこ素っ気なく紙袋を渡されたので、ああこれは終わったと思いながら紙袋の底を探るとチケットがあった。


あった!!!!!と声にならない叫びをあげ、レジを出たところで膝から崩れ落ちた。
当たったぁぁ!!と泣きながらレジに並ぶさあやぴょんを見ると、何故か彼女は既にチケットを確保していたにも関わらず泣いていた。


7周目でやっとこさ当たったわけだが並んでる間にお話したお姉さま方にめちゃくちゃにおめでとうと声をかけられさらに涙が止まらなかった。多分チケット当たってこんなに泣いていたのは私だけだったのではないか。

先ほど半泣きになって迫り困らせてしまったレジのお兄さんにも遠くから報告、笑顔で丸を作ってくれた。嬉しかったのだが私の頭の中には白鶴、丸!と漁師のおじさん達と丸を作る笑顔の氷川きよしがいた。


とにかくその場で一緒にいた人はみんな当選したので一日目をようやく終えた。
とにかく長い1日だった。
台湾で過ごしたあの日の次に長い1日だった。

まじもんのギャンブルでしかなかった。3万円賭けて当たらない時もあれば1000円で当たることもあるのだ。


このあとも色々あったが割愛。

 

2日目の朝、会場近くのホテルから様子を伺っていたさあやぴょんから連絡を受け整理番号の書かれた紙をもらいにまた会場へダッシュで向かった。
9時に列形成で10時から配布予定だったにも関わらず結局9時すぎから整理番号の書かれた紙は配布され始めた。なんて日だ。


10時配布だと間に合わない!!と思っていた推しの来日にこれは間に合ってしまうではないか、と前日によくしていただいた方にまたお世話になり、車でそのまま羽田空港へ。
みんな同じ考えで羽田空港はえげつない数の人がいた。


いつも日本の空港にいるマッキーさん(SPの方)が来ず、おしくらまんじゅうで地獄でしかなかったが青チェックシャツに白Tシャツに黒のパンツという絶好調なビジュアルの推しを見るためならなんでもよかった。とにかくかわいかった。


渋谷のショップに視察に行くんだろうなと思いつつもいいとも事変を思い出し、私たちが渋谷に行くことは無かった。
結論から言うと推しがきた。


それはそれはもう渋谷は大パニックだったようで、後々渋谷でのパニックを映した写真を見た私の弟に「ゾンビ」と言わしめるほどにはやばかった。
正直心底行かなくてよかったと思った。元来私は人混みが嫌いな人種である。


無事イベント会場に戻り整列の声がかかったが100人単位で立てられた看板の前に並ぶのだが何故かそこの番号は関係ない、中で整列し直す。とかいいだすから驚いた。どんな二度手間やねん。

ようやくイベントが始まったわけだがキムジェジュンなんと関係者席でずっと着席してくれていたのでイベントの2時間ほぼずっとキムジェジュンが視界の中に収まっていた。奇跡だ。撮影もし放題だった。奇跡だ。

謎のLINEライブ中継は置いておいて。

だがイベントはスタンディング、空調もさして効いておらず結構な地獄だった。途中で後ろの方から体調不良の人が出たと叫んでいる人がいたが、全員韓国人スタッフの弊害がここで発揮された。

呼んでも呼んでも気づかない。
日本語が通じないから救急車ー!とか叫んでも歓声にしか聞こえないらしい。
なんてこった。

大慌てで韓国語で叫ぶとようやくゆっくりスタッフがこっちを向いた。
いや遅いわ。推しの現場で勇気振り絞って多分LINEライブにちょっと音声乗るくらい大声で叫んだのに振り返るの遅いわ。

その後どうにかスタッフが通されどうにかなったらしい。
お陰で私の喉はガラガラだ。


ステージにいる唇プルプルの推し31歳男性を見て自分のガサガサな唇が悲しくなった。


その後予定では一曲歌うはずだった推しが歌わずに退場してイベントが終わってしまったので若干不完全燃焼ではあったがドラマ撮影が押しているみたいなので仕方ない。とその場を去った。

一緒に動いてくださった方と羽田空港で田舎に泊まろうさながらのお別れをし、さあやぴょんと2人で宿無し芸人ホームレス女子高生をキメた。

 


次の日、さあやぴょんと2人でKAVE CAFEに向かった。めっちゃ人いた。
直前になってまさか件の男の店員さんがいたら気まずいからやだとかなんとか言ってようやく通されたと思ったらいた。お兄さんいた。
私たちの方を見てはっとなりイベントどうでしたか?楽しかったですか?なんて聞いてくれた。危うく惚れかけた。

 

入って注文しようと店員さんを呼ぶと一昨日のお姉さんが来た。2度目の奇跡の再会。(奇跡ではない)


お姉さんが伝票を開き、注文を聞こうと顔を上げ、私の顔を見て、あ。と一言声を上げた。そんなに印象的な客だったのか。


とにもかくにも注文を終え、めっちゃくちゃにオシャレなベリースムージーと脳みそ(2人で命名)を食べ終わるとお兄さんがやってきて

「えっと九州?ちがう...京都から来たんですよね?いつ帰りますか?」

なんて聞いてきた。なんだこの人アイドルか。アイドルなのか。
ポップアップストアでウン百人と相手してきて昨日なんて1度も会ってないのになぜ私事細かな情報を覚えている。エスパーか。(たかがチケット1枚に大騒ぎしたからでファイナルアンサー)


今日帰ります〜と言うと次いつ来ますか〜?って言うからさあやぴょんと2人で「ジェジュンが東京に来たら来ます」と即答した。おたくだぁ!逃げろ!

 

そんなこんなでドタバタ☆金欠遠征☆が幕を閉じたが私が行ったキムジェジュンの現場で一二を争う過酷さだった。メンタル的な意味で。

 

 

危うく例のカフェのお兄さんに推し変しかけたのはここだけの話。

 

 

 

 

 

 

 

 

小休止 - なぜ頑張るのか。

 

 

 


私は基本的にめんどくさがりだ。


だが1つだけ本当に頑張っていることがある。


キムジェジュンのファンだ。

 


ファンを頑張っていると言うと些か含みを持って聞こえるので言い直すと、一生懸命キムジェジュンを見るために頑張っている。


自分で言うのもなんだが、同年代のジェジュペンと比べるとちょっと頑張って海外なんて行っちゃったりしてる。

ガッツというほどでもないが、海外公演が終わると空港で待つというしこたまめんどくさいことも私利私欲の為頑張っている。


所詮オタクなんて自己満足でしかないのだから、別に日本に来た時だけ見に行けばいいという考えはとてもわかる。


きっとそれが一番楽しいし、私は元々そういう人だった。

 


その考えが変わったのは5年くらい前のことだ。

 

いつの時代も人の命というのは儚いもので、祖母が亡くなった。


細かいことは伏せておくが、第一発見者は当時中学生の私だった。

 

あまりに生々しいので発見当時のことは言わないでおくけれど、しばらく経ってからすっごい泣いた。


学校にも多分1週間ぐらい行くことが出来なかった。

日がな一日ぼーっとしているか、ライブのDVDを見てぽろぽろ泣いているかのどちらかだった。

心の支えは昔の彼らだった。

 

つい昨日まであんなに元気だった祖母が突然いなくなるなんてこれっぽっちも考えていなかったし考えようとすることもなかった。

 


人の命の呆気なさを知った。


それからDVDを見ながら私は考えていた。ぐるぐる。ぐるぐる。


ジェジュンもユチョンもジュンスも、私だっていつ死ぬかわからない。


誰にもわからない。神のみぞ知る、とはこの事で。

 

そう思うと、もし今日ジェジュンが死んだら私は後悔しないだろうか。ぐるぐる考えた。


絶対に、いついつのライブに行っておけばよかった。後悔すると思った。


反省はしても後悔はしたくないタイプ。


これじゃダメだと思うも、中学生の身ではどうもしようがない。中学生の自分を深く恨んだ。


そして高校生になってすぐ、キムジェジュンが入隊してすぐ、私は貯金を始めた。

働いて得たお金の半分を毎月貯金することにしていた。


こうして貯まったお金を今バカみたいにスパークさせているわけだから成功っちゃ成功である。

 

不謹慎だがいつも考えている。


いつジェジュンも私も死ぬかわからない。

後悔だけはしたくない。

 

そうして私は飛行機に乗り、キムジェジュンを見に行く。

それが出来ている間が私の何よりの幸せで、生き甲斐だから。

今回のライブ行けないんだ〜なんて言ってるうちが花だ。

 

 

 

 


ここまで読んでくれた人は少しだけ考えてみてほしい。

 

もしも今日、推しが死んでしまったら。


もしも今日、自分が死んでしまったら。

 

後悔しないと言いきれるだろうか。

 

 

 

埼玉公演にダッシュした話

 


ソウルが1番波乱だったからその他の場所について書くつもりはなかったのだが埼玉がよくよく考えれば1番色々酷かったし楽しかったので書こうと思う。文章はつまらないので許して欲しい。

 

追加公演の決定はいつだったか突然発表された。今回は何もかもが急すぎる。いつものことだが。

おったまげて連番していた先輩の肩をバンバン叩いてしまった申し訳ない。


まあ何はともかくチケットよりも先にホテルをとった。

これまた関東の土地には(特に埼玉という土地には)縁もゆかりもなくどこのホテルを取ればいいのかわからず、とりあえず大宮というなんとなく聞いたことないこともないような駅のホテルを取った。

あとはチケットだけだ(最重要事項)。


色々あって手元に大量に来たチケットをなんとか捌き、来る日は来た。

 

私は25日公演に参加した。

前後に学校があり〜と言いたい所だが私の通う底辺私立高校は土曜日に半ドンという口からクソが出そうな(時事ネタ)システムである。


私の両親はどちらもオタクではない一般ピーポーなので、ライブのために学校休むとか早退とか1ミリも許してもらえる家庭ではない。

 

つまり。

学校から直接行く他なかったのだ。


その日は大変だった。

学校に泊まり込みでもするのかというようなMサイズスーツケースをガラガラと引きずりながら登校。
クラスメイトには馬鹿みたいに笑われたし教室の中で私の空色のスーツケースは異様に目立った。

 

授業を終わらせた私はハーゲンダッツ様で釣った友達に掃除当番を代わってもらい、学校前にタクを呼びつけるというスーパー目立つスタイルで学校を後にした。


そこから猛ダッシュで新幹線に乗り2時間半を屍のように過ごした。

問題はここからである。なんということだろう、カード類をすべて家に置いてきていた。持っていたのはICOCAのみ。ICOCAでなにができるっちゅーねん。


財布の中身を見ると2万ないくらいの札たちと遠征の時のウォンが約1万円分あっただけだった。死んだと思った。


とりあえず東京駅をおろおろとさ迷い、なんとか電車に乗った。私は顔面蒼白であったに違いない。

とりあえずホテルを現地払いにしたあの日の私をぶん殴りたかった。


ホテルに着き、お金を払って客室に入って座り込んだ。
時刻は16時50分。

目ん玉にカラコンをぶち込み、化粧をして制服のまま飛び出た。
とりあえずライブに間に合わなくては何をしに来たかわからない。


ダッシュで会場に向かい、ペンライトだけを購入し、席についた。
席はまあアリーナ前方だったからそんなに悪くはなかった。


席に着いて隣の人に飴を配った。

※私はライブの時隣の人に飴を渡す習慣がある。翌日喉に支障をきたしていただかないようにという余計なお世話。

 

ライブは順調に進み、ぐんもーにんないとという私のスイッチ曲が始まった。そこからしばらくの記憶は正直に申すとない。トランス状態だったたぶん。


馬鹿みたいに必死にキムジェジュンを見ることなく銀テを拾う周りのおばさんを冷たい目で見ながら頭上に降ってきた銀テを何本かだけ取って楽しく叫んだ。そんなに銀テとって何をするのか気になる。

 

終演後隣の人のお連れさんのような方が来た(通路を挟んで連番という鬼畜のような状態だったらしい)。銀テを持っていなかったみたいなので1本あげた。心が穏やかになった。


そこからいそいそと帰っていったわけだが手元にはまだ5本銀テがあった。
私はしょーーじき銀テ1本あれば思い出になるからいいやという多分淡白なタイプで、駅に着くまでに渡しまくった。少しお話出来て楽しかった。


そのままコンビニでおにぎりを買っていそいそとホテルに帰ってシャワーを浴びて泥のように眠った。


朝が来た。


本当にお金がなかったのでとりあえず朝イチで会場に向かった。

後ろに座った方とめちゃくちゃに話し込んで仲良くなった。座れるようにとレジ袋を2枚進呈した。私はボランティアに向いているのかもしれない。


そこからはだいたい企画会社がいかにクソかという話とジュンスがかわいいという話で盛り上がった。こういう時にあまり本命の話をしないのはあるあるだと思ってほしい。幸いオソリ様ではなくJYJオルペンの方々だったので話し込んだ。楽しかった。


店長さんとのコールアンドレスポンスから物販が始まった。

バスタオルをギリギリのところで購入でき、目的をすべて果たした。

 

その後、先程話し込んでいた方々とサイゼリヤでご飯を食べた。
ミユキさんとカヨコさんとカオリさんという名前らしかった(多分)。

もうめちゃくちゃに楽しかった。私は頭の中がおばさん(60年代)なので、年上の人と話しているのが一番楽しい。


仲良くなったのはいいがTwitterやら連絡先を交換するのをすっかり忘れていた。Twitterはやってらっしゃるらしかったので「この人では?」という方がいたら教えて欲しい。

 

開場時間まで話し込んだ私たちはそのまま解散した。
私は翌日学校がある上に学年末テストが控えていることもありそのままいそいそと帰った。


新幹線の中で財布の中を見たら58円と数100ウォンしか入っていなかった。恐ろしい話である。58円ではガリガリ君すら買うことが出来ない。

 

こうしてドタバタの埼玉公演を終えた私はカード類の大切さを学んだ。強く。

 

今回は書くことがなかったので短く済んだ。よかった。


ほんとにカード類を忘れないように気をつけたい。家訓にする。

 

 

夜眠る時に聴く音楽の話

 

 


昨日(今日)ふと考えたので書いてみる。
すっげーーしょうもないから読んでくれた人には記念品贈呈。

 

寝る時に音楽を聞く人は結構多いと私は勝手に思い込んでいる。

かくいう私もそのうちの1人で、iPhoneのタイマーをかけて睡眠用という名前のバラードばかりが並ぶプレイリストをかけて眠る。

ここで私的に問題なのが私は眠りにつくのがとても早いのかもしれない。ということ。

Kissしたまま、さよなら という名曲をご存知だろうか。まあ知ってるでしょう。知ってるよね?知ってるんだぁ(キムジェジュン4段活用)

 

私はあの曲がそれはそれは大好きで、睡眠用プレイリストをかける際にはいつも一番最初に流している。

 

だが

 

先述したとおり、私は寝よう!と思い立ってから眠りにつくまでの時間が異様に短い。
どれくらい短いかと言うと1サビの頃には既にうとうとし始め、一番大好きなラスサビ後のジェジュンたまパート「Kissしたままーーーーーさーーよーーなーーらーーーーーー」というパートの頃にはもうとっくに夢の彼方なのである。
一番聴きたいのはそこなのに。

 


医学的に音楽(歌詞あり)を聴きながら眠ることは推奨されていないらしい。憤怒。
なぜかと言うと無意識下で歌詞を追ってしまうから脳が休まらない眠れない、というのだ。
開始1分でうとうとしている私の身体はどうかしているみたいだ。もしかしたら日本語能力が著しく乏しいのかもしれない。
今ならキムジェジュンと対等に会話ができそうだ。

 


こんなことを言っているが私は元々夜に眠れないタイプで。
多分ずっと深夜に活動してきたからこんな口からクソでそう(時事ネタ)な文章しか書けないのではないかと思う。
だからキムジェジュンの夜眠れない論理にはスタンディングオベーションをかました。それな!私も眠れないんだ!ってね。

 


ずっと明日が来るのが怖かったのだ。
かの明日は来るからという曲は私にとって恐怖の材料でしかなかった。
眠れば明日が来てしまうけど眠らずに起きていても明日が来てしまうということがずっと怖かったのだ。馬鹿だ。

 


キムジェジュン氏の眠れないっていう話を聞いてああ別に眠らなくてもいいんだと思うと不思議と眠れるようになった。

 

多分キムジェジュンって宗教だ。

 

ほんとにキムジェジュンは宗教だと思っている。
ななにゃん氏ともキムジェジュン教ミサを開くべきでは??と討論が繰り広げられている。

やんちゃだったのに気づいたら悟り開いてて心から驚いた。聖母マリアが見えた。

 


めっちゃ話がそれたが、これだけ素晴らしい歌詞の曲聴いて寝てたら寝言も凄いのでは?と思い(?)寝言録音アプリを使って寝言の採取にでた。
結果から言うと3日間ほど計測したのだが一向に私の口から出ない寝言。
延々と続く寝息。

 

驚くほどおもしろみがなかった。
私の人生ってなんておもしろみがないんだろうと今自己嫌悪に浸っている。

 

 

まあ、先程のような医学的ななんちゃらがあっても私は音楽聴きながら眠ることをやめないだろう。
キムジェジュンの声を聴いて眠るのが脳はともかく己にとっては一番リラックスできるから。

 

 

ところでたまたま雑誌で見かけたのだがNCTのユウタくんとやらは毎日寝る時にBeginを聴いているらしい。たしかにいい曲。

 

 

おやすみ世界。

 

 

 

キム ジェジュン を見るために海外へ行った話

 

 

2016年12月某日。

 

全横浜が泣いたファンミーティングから約2年。
かのキムジェジュンが地球に帰ってくるという。(大袈裟)

 

2007年のHEY!HEY!HEY!から私の心を掴んで離さないアジアのスーパースターキムジェジュン様。

 

なにかイベントがあるならどこでも行くぞ!と固く心に誓いつつも私は どーせC-JeSなんだから2月ぐらいからイベントとかライブとかめっちゃ入れるんだろうな〜ゲラゲラ鼻ほじ くらいにしか考えていなかった。甘かった。パルスイート2kgを溶かした水飴よりも甘かった。

 

いつだったかサイン会決定の知らせが入ったのだがまあ日程が鬼畜。除隊したてのゴリラを殺すのか!?というようなスケジュールで心から怯えた。
更に当初は日付またいでファンミーティングしちゃうぞ☆などとほざいていたのだから授業中椅子から落ちた。
結果から言うとそのファンミーティングはなくなったしキムジェジュン単独ファンクラブも1日で砂上の城よろしくなくなったし我が愛しきゴリラの命が守られたと思うと世界を救った気になったから結果オーライなのだが。

 


問題のサイン会、12月30日から1月のほにゃ日まで私は旅行で台湾に行く予定だったから除隊のお迎えもサイン会も行けないのは分かっていた。行きたかったが。

 

なので諦めて私はジェジュンが帰ってきた!とうきうきを胸に台湾を満喫して帰国するはずだった。甘かった。パルスイート(以下略)よりも甘かった。

 

忘れもしない12月31日。
確か台北西門へ向かって歩いている最中だった。
Twitterをチラ見したらまあびっくり日本ツアー決定とソウルコン決定の文字。
大きく深呼吸をしてその場での発狂を免れたものの、これはホテルに帰ったらお祭り騒ぎだなと思いつつその時は静かにスマホを閉じた。

 

夜になりホテルに戻った私は年末特番的な番組をつけ、夜店で買ったチキンをつまみ、ファミマで買った抹茶ラテを飲みながらTwitterで情報を漁っていた。
そこでその日2度目のびっくりが起こった。
ソウルコン1月21-22日。チケッティングは1月2日。
私は17年間信じてきた己の目を強く疑った。
まだ短い人生、告知の2日後にチケ発3週間後にはライブという鬼畜なスケジュールなど見たことも聞いたこともなかった。
しかもメロンチケット(私はメロンチケットというチケッティング会社が世界で一番嫌いである)

 

とりあえず何よりも先に私の手は航空券とホテルの手配に動いていた。
いかんせんソウルの土地については詳しくないのでとりあえず大きい街のゲストハウスを取った。(そこはゲストハウスなのである)

 

画面の向こうのお祭り騒ぎにハッとなり気づけば年が明けていた。
こんなにあっけない年明けなどはじめてである。

 

年明けの挨拶もそこそこに韓国にいる数少ない友達2人に連絡を取り、チケッティングの協力を要請したところ、自分に興味の無いアーティストにも関わらず快諾してくれた。心優しい友である。
そして自分でもチケッティングを行うため、環境を整えだした。カードの残高を確認したりネット環境の確認をしたりetc...

 

とにかく1月2日はキムジェジュンのチケットと美味しい台湾料理のことしか頭になかった。
すると美味しい美味しい焼きそばを貪りながらはたと気づいた。韓国と台湾では時差があるがチケ発は韓国の時間に合わせるのだろうか。と。
まあどうにでもなるわとそのまま焼きそばを食べた。
間違いだった。地動説ばりに大間違いだった。

 

さすがに私のチケ発のためだけにホテルに早い時間帰らせるのは忍びない、と晩御飯を食べながらチケ発を行うことにした。
そして韓国の時間に合わせてメロチケのページを開くと、まだチケッティングか開始されていませんの文字。
なんとなーーーく嫌な予感がした。
その時はそのままホテルに戻り、こっちの時間に合わせてその時を待った。ページを開いた。

 

チケットは売り切れました。

 

そりゃそうだろうな!とブチ切れながらスマホをベッドに投げつけた。スマホに罪はない。
友達に連絡した所、奇跡的にチケットを取れたという。
自殺は免れた。

そうして波乱の台湾旅行は幕を閉じた。

 

 

時は流れて1月某日。
日本ツアーのチケット支払いに追われる私がいた。
まあその部分は後々このブログに認めるので今は割愛。

 

その数日後、私は韓国ソウル金浦空港目指して飛んだ。

飛んだとまあ軽く言ってはいるが大変だった。

グッズがまさかの当日発表。空港の椅子から転げ落ちた。

友達が大慌てで連絡してきて発覚。

グッズ欲があまりない私はとりあえずペンライトとタオルと盛れ盛れジェジュンちゃんのブランケットをお願いしておいた。

一息ついて飛行機に乗り込んだ。取った最安チケットがまさかのピーナッツリターン航空大韓航空だったので機内食がついてきた。それだけでハッピーになれる貧乏人である。

 

着いて早々友達1が到着ゲートでウェルカムボードを持って待っていてくれた。愛してる。
そこからぎこちない韓国語とぎこちない日本語での会話が続き、明洞のゲストハウスまで連れていってくれた。
チケットを取ってくれた友人とは会場で待ち合わせだったので最寄りである安岩まで私を送り届けて去っていった。優しい友である。

 

そこから徒歩で行ってもよかったのだが足が既に棒のようだったのでタクシーを拾ってぼられないように必死に運ちゃんに話しかけていた。
すると運ちゃん目的地を聞いて「ヨンウン?」とひとこと。
正直驚いた。JYJになってからというもの地上波はおろかテレビに映ることがパタリとなくなったのは身に染みてわかっていたと思っていたがまだヨンウンと呼ばれているなんて思ってもみなかった。
そっかヨンウンか…などと感傷に浸りながら予報とは裏腹に雪の降るソウルを眺めて約10分(しらん)、高麗大学の体育館に到着。3000ウォンを支払って外に出た。

 

カカオトークを確認すると、友達がブランケットとタオルとペンライトを買っていてくれた。至れり尽くせりすぎる。
お金を払ってブランケットをその子に預け、ライブが終わる頃に迎えに来る。とその子も去っていった。優しい友である。

 

会場に入ると山吹色のライトが明るい体育館内を照らしていた。
私の席はアリーナスタンディングだったのでそのままできるかぎり前に詰めてスタンバった。
ここまで来るのにとんでもない疲労感とお金を費やしたわけだがオープニング映像が流れ出した瞬間、全て報われたような気すらした。
今回のツアーに参加した人ならわかるであろう、あの登場でもうそろそろキムジェジュン神なんじゃね?なんてぼーっと考えていた。

 

途中途中のMCは韓国語を理解するのに多少のタイムラグはあったものの相変わらず面白かったし、ゴリラで帰ってくると思っていた身体はすらっと引き締まっていた。変態か。
数曲入りが遅れたりしてはいたが、つい先日まで2年ほど民間人をしていたのだからしかたない。ただ明らかに声量は上がっているように感じた。

 

私は隣にいたシアペンと思しき韓国人と打ち解けてVCRや守ってあげるの合唱では2人手を取り号泣していた。
なお連絡先は交換していない。

 

今まで日本のコンサートイベントにしか行ったことがなかったからか、ソウルコンは思っていたよりあっさりと終わった。約2時間半だった。

 

ゾロゾロ人波に流されながら外に出るとまあこれが寒い寒い多分氷点下はかたかった。
そして待っているはずの友人を探すがどこにもいない。
おかしいと思い連絡すると10時ぐらいに終わるって言ってなかったっけ!?とのこと。
ここでまさかの言語の壁が立ちふさがった。

 

これはしかたないことなので大丈夫と断り、1人で帰路についたのだがこれがまた危険だった。
先述したとおり、予報では晴れだったにも関わらずなかなかの雪が降っていた(多分キムジェジュンのせい)
その雪が冷やされて固まり、路面がものの見事に凍結していた。
しかも会場は少し坂道を登った先にある。つまるところなかなかの傾斜が続く。
行きは良い良い帰りは怖いとはまさにこの事で、ツルッツルになった坂を恐る恐るかなりの時間をかけて下っていった。

 


まあこの後は無事にゲストハウスに着き1晩を過ごして韓国を後にしたわけだがこれまたなにも面白くないので割愛(本文が面白かったなど誰も言っていない)

ただただソウルコン発表から行くまでのメモにすぎないわけだがこれを参考に初めて海外遠征するという各方面のみなさまのお役に立てればと思って書いた(嘘)

このソウルコンを機に私は「あれ?海外行くのって思ってたよりちょろいじゃん!」と海外遠征を幾度となく繰り返すことになるのはまた別の話。