どうして?なぜ?で鍛えられる親
4人も子供がいると、
「あれはどうして?」
「これはなんで?」
としょっちゅう聞かれる。
サンタはなんで欲しいものわかるんだとか、シャックリはなんで止まらないんだとか。
定番やたわいもないものはうまく答えてきたけど、小学生になるとだんだん質問が鋭くなってきて答えに窮する。
昨日聞かれたのは、
娘「なんで一週間は7日なの?」
大人は当たり前と気にもしてないところをピンポイントで突いてくる。 ネットで調べりゃすぐわかるんだろうけど、だいたいそう言う会話は運転中なので色々考えて答える。
僕「日曜は休みってキリストが決めたから、キリスト教が関係ありそう。 月が満ちるのに15日、欠けるのに15日だから、その半分くらいの7日を一週間にしたのかな。うーん、それ以外は思いつかないから後で調べてみて」
今思えば、日月火水木金土って、間違いなく惑星に関係があるわな。決めた頃は天動説で、その時の惑星の並びが曜日になったのかも。
まだ調べてないし、次女が調べてくるのを待ってるんだけど、こういうのあれこれ考えるの楽しいんだよね。
で、まだ続きがある。
娘「月の満ち欠けって、太陽が当たって影になるからできるんだよね、知ってる!」
そう、以前懐中電灯とボールで実演したし。
娘「月って昼にも見える時あるよね。じゃあさ、昼に見える月って、なんで影が黒く見えないの?」
僕「えっ?明るいとこが白く見えるのが普通じゃない?」
娘「だってさ、新月🌑って太陽に後ろから照らされてるわけでしょ?そしたらさ、明るい空に黒い丸が見えるはずじゃない?」
僕「たしかに!でも実際はそうなってない。そうなるのは日食の時だけ。なぜだ…?」
結局運転中は集中して考えることが出来ず、保留に。その後マジメに考えて、先程納得のいく仮説に思い至った。 懐中電灯とボールのモデルでは、昼間の空の様子は説明できないのだ。
明日は娘に逆に質問してみよう。
「夜空で見えるように、宇宙は真っ暗(真っ黒)だよね。でも、なんで昼間は明るくなるんだろうね。夕方はなんで赤くなるんだろうね。」
この答えがわかったら、宇宙から地球を見てみたくなるだろうね。 ISSのライブ映像でも見せてやろうか。
パパの秘密の場所でじっくり娘の話を聞くということ
昨日、出勤してすぐ家から電話があった。
小1の三女が学校に来ていないと担任から連絡が来て、四女を幼稚園に送って帰る途中だった嫁が急いで家に戻ったら、家に帰って来ていたという。
泣きじゃくっていて、どうして帰って来てしまったのか話そうとしないらしく、ようやく義母のうちに行きたい、義母には話すと漏らしたので、連れていくから会社の帰りに連れて帰ってほしいとのこと。
電話を聞きながらいろんなことが頭に浮かんだ。
太ってて縄跳びとかも苦手だし、忘れ物も多いしいじめられたのかな。
僕も嫁も家事その他で手一杯で、子ども一人一人と向き合う時間がなかなか取れないし、口うるさい姉二人に宿題やれだの次の日の支度しろだの言われるし、言い出しにくいことがあったのかもしれない。
明日はお客さんと打ち合わせがあるから休めないけど、背に腹は変えられないから代打立てて休むか。
登校拒否ってちょっと想定外だったけどどうしたらいいんだろう…。
会社が終わってから、車で嫁の実家に迎えに行った。
義母に聞くと、忘れ物をしたことに気づき、そのまま学校に行っても先生に叱られると思って帰ったらしい。
そういうことか、本心だろうな、とは思ったが、やはり本人の口から聞いてみたい。
しかし義母のいるところで改めて聞いても、それ以上のことは話さないと思った。
8時を過ぎ、そろそろ眠くなってくるころ。このまま寝てしまっては、明日も同じことが繰り返される可能性が高い。
明日気持ちよく学校へ行くには、今日中に本人を安心させるしかない。義母に礼を言ってひとまず家へ帰ることにした。
三女は泣きながら抵抗したが、無理やり車に乗せ出発した。
道すがら、帰りたくないの?学校行くの嫌だ?と声をかけるが、ただ嫌だ嫌だと泣きじゃくるだけで会話にならない。
「『嫌だ』だけじゃ、何が嫌なのかわからないから何が嫌なのか教えてよ、家に帰るのが嫌ならしばらく帰らないからさ。」
そう言いながら、これは長期戦になりそうだな、と思った。まず三女が安心して話せるようにしなくては。
3人の娘と嫁の待つ家に帰っても、質問責めにあうか、泣き寝入りするか、すくなくとも居心地が悪いのは目に見えてるから、このまま帰るわけにはいかない。
落ち着いて本心を語れるところ…焚き火を見ながら…それができる場所は遠すぎる。
Fire time!
打ち返す波を見ながら…それも遠い。
A girl in sunrise
…潮騒はないが、夜景はイケるかも。あそこだ。
嫁に、三女の話をじっくり聞いてから帰ることにするから遅くなる、とLINEして、三女に言った。
「嫌だと思ってることをきちんと聞きたいから、家に帰るのはやめて、パパのとっておきの場所に連れて行ってあげる。そこでゆっくり聞いてあげるから。だからもう泣かなくてもいいよ。」
車を都心の方へ向けると、泣くトーンが、拒絶モードから対話モードへ切り替わった気がした。
Night drive with my crying daughter..#imlistening #everythingalright #tosecretplace #tears
よし、これならいける、と思ったのもつかの間。
静かになった車内に別の不安がよぎる。
安心して寝てしまったら、「とっておきの場所」に着いた時には話が聞けないではないか。三女は顔を伏せていて今にも寝そうだ。
「とっておきの場所」までは約30分。このままでは絶対もたない。そこで話を聞こうという場所へ行こうとしているのに、そこまで会話でつなぐのもシンドイ。
泣いた後の気分転換をしよう。冷たいもので喉を潤したい。冷たさが眠気を覚まし、頭を冴えさせてくれるもの…。アイスだ。
ミニストップの手作りソフトが真っ先に思い浮かんだが、フロントウィンドウ越しに見つけたのはローソンだった。
濃厚ショコラ&ミルクワッフルコーン*1と自分用のコーヒーを買って車に戻る。
「アイス買ってきたよ、これすごい美味しいんだよ(買うの初めてだけど…)。はい、持ってて♪」
よし、手が伸びてくれた!
しばらくは持ったまま固まっていたが、皇居の脇を通過するころにはかぶりつきながら、周りを見る余裕も出てきた。
「あそこに日本の王様が住んでるんだよ。」
「へえ、じゃああそこにお城があるの?」
「そうそう、あのお堀の中の森みたいなところが全部お城だよ。」
「今渡ってるのが勝鬨橋。この橋はね、下に船が通る時に車を止めて、真ん中がパカって開くんだよ。今はもう開かなくなっちゃったけど。」
「知ってる!テレビで見たことある。開かなくなったのはなんでなの?」
「背の高い船がなくなっちゃったからじゃないかな。」
「じゃ、今はボルトで固定しちゃってるんだ。」
二人でソフトをかじりながら、たわいない話をしてるうちにレインボーブリッジの見える埠頭に到着した。
そう、ここがとっておきの場所。
「ここはね、パパが嫌なことあったり一人で考えたい時に来る秘密の場所なんだ。この景色見てると、嫌なこと忘れられる気がするでしょ。今日どうして学校行かなかったのか話してくれない?」
「ランドセルに入れたはずのプリントが入ってなかったことがあって、ランドセルの中でなくならないよう、先生がファイルバッグを用意してくれたの。宿題のプリントはランドセルへ入れたのだけど、ちゃんと入れたか心配で何度か開けて確かめてるうちに、そのバッグに入れるのを忘れちゃった。登校途中で思い出した。
先生と忘れ物しないって約束して、入れることに決めたバッグを忘れて学校に行ったら叱られちゃうし、先生に悪い、そう思って家に取りに帰ったの。
家の中でバッグを探してる途中、ママが帰ってきて、今度は学校に行ってないことを怒られるんじゃないかと思って言えなかった。」
「そうか、約束を守ろうとしてたんだね、偉いね。でもいつまでも学校に来ないから、先生はすごい心配してたんだよ。そんなことがあったとはわからないからね。
明日の準備ができたってパパかママも確認すればよかったんだね。
人間だから忘れちゃうことはあるんだけど、毎日同じことを続けていれば、忘れないようにって毎回思わなくても、自然にできるようになるんだよ。
パパかママと一緒に持ち物を確認したら、カレンダーにシールを貼ろう。そうすれば、いちいちランドセル開けなくてもカレンダー見れば安心して学校に行けるからね。」
「うん、そうする。今日はね、図工の日だったんだ。楽しみだったんだけどな。」
「今日ここに来たのは二人だけの秘密だよ。もしまた何かゆっくり話したいことができたら、いつでも連れて来てあげるから。さ、帰ろう。」
1時間くらいレインボーブリッジ見ながら話して、お互い胸のつかえが取れ清々しい気分で家へ帰った。
今日は元気に登校し、家へ戻って来てから明日の準備をして、一緒にシールを貼った。このシールが一月分隙間なく貼られれば、また一つお姉さんになっているだろう。
秘密の場所へ行かず、あのまま家に連れて帰っていたとしたら、どうなっていただろう。ほとんど思いつきの行動だったけど、少しは三女の心に残っただろうか。
20年後に本人に聞いてみたい。
*1:231円!値段など見もしなかったので今知った。こんなに高いもんだったのか、どうりで美味かったわけだ
暗闇というスパイスをふりかけたコミュニケーションは異次元の世界だった
会社の同期に誘われ、ダイアログ・イン・ザ・ダーク(以降DID)に参加してきた。こういうイベントがあるということは耳にしたことがあった気がするが、行こうと決断することもなく数年が経っていた。
外苑にあるダイアログ・イン・ザ・ダークの常設会場は、賃貸契約の関係で今月いっぱいで閉鎖し、その後のオープンは未定だそうである。
落ち着いた空間で、初めて出会う8名が顔を合わせ、スタッフによるブリーフィングを受ける。時計、携帯など光ったり音が鳴ったりするものはすべて外し、中で使う小銭以外は手ぶらで入場しなければならない。
ガイド役の全盲のスタッフ(村ちゃん)が登場し、互いに自己紹介。呼び合うためのニックネームを付ける。
小部屋に入場して白杖(はくじょう)を渡されてから、徐々にライトが落とされ、完全な真っ暗闇に。光の漏れは一切なし。
村ちゃんに先導されて庭のような場所へ着き、促されて辺りを散策。
白杖と手さぐりの感覚を頼りに、頭の中で地図を描き、自位置をプロットする。壁(藪?)沿いに一周したつもりが、元の場所に戻ってきたのかすらあやしい。空間はまだしも、動き回る人の位置関係の把握はさらに困難。皆に気付いてもらえるよう(特に女性に不用意に触れてしまわないよう)、ラジオジョッキーのように、自分が何をしているかを声に出して動く。
徐々に暗闇に慣れながら、皆で小川を越え、東屋に着いて靴を脱ぎ、部屋へあがる。
いつの間に、声色だけで誰が話しているのかわかるようになっていることに気付く。さらに足音、衣擦れや息遣いで互いの動きを察知できるようになる。
単なる「壁」という認識ではなく、表面の質感、壁の高さ方向の連続性、地面の質感と組み合わせて記憶するなど、普段意識しない情報に敏感になっていく。
感知できる範囲が非常に狭いので、さっきまで見知らぬ人同士だったというのに、踏み込まれたくないプライベートの壁が取り払われていく。
手を差し伸べ、肩を寄せ合い、声を掛け合ってお互いを気遣うのが心地よく、またそうされることがとても心強い。
たくましい肩、温かい声、華奢だけど頼りになる柔らかな手、遠くで自分を呼ぶ明るい声。一つ一つに、一人の人間としての個性と意思が感じられ、愛おしくなる。それらの個性は、見た目、肩書、年齢といった普段半自動的に使っている軸とは別次元で、はるかに人間的な感じがする。
ついさっきまで赤の他人だったのに、家族や旧知の友のような親近感が芽生えている。初めてデートで手をつないだとき触れた彼女の指先に、全神経を集中した甘酸っぱい思い出が突如よみがえってきた。
ふたたび靴を履いて先へ進み、原っぱへ寝っ転がった。もちろん星も薄明りもないが、潮騒のような葉擦れのような音がかすかに聞こえ、建物の中にいることは全く忘れていた。
村ちゃんに「出発」というお題を出され、2,3人のグループに分かれて話をした。
ベッドに潜りこみ電話で友達と話している感覚に近いが、生の音の情報量は圧倒的で、場所と時間を共有していることを強く感じる。
普段は口にしないようなプライベートなことを抵抗なく話し、それを噛みしめながら聞く。
言葉ではなく、心で会話しているようだ。
あっという間に時間が過ぎ、暗闇の喫茶店へ移動した。柑橘系のさわやかな香りの中、元気のいい店員さんの「いらっしゃいませ!」に迎えられる。
ガイドの村ちゃんと同様、店員さんも全盲の方。手際よく長テーブルへ案内され、おしぼりが渡され、メニューが紹介される。8名が、思い思いにワインやジュースなどを注文。
店員さんは、メモをとれるはずもないが、どうやって覚えているのだろう。
やがて各自に間違いなく飲み物が運ばれてきて、お菓子とともにいただく。
頼んだのはマンゴージュースだが、ネクターと言われればそんな気もする。白ワインを一口飲ませてもらったが、赤白の区別もつかない。皿にどのように盛られているのか、どのくらい残っているのか。
香りに対する感度が上がっている一方で、「食べる、飲む」を楽しむ情報量がうんと減っている。おいしいという感情には、食べものの見た目も大きな役割を果たしているのだ。
そして元の世界へ戻る時間に。
小部屋へ移り、徐々に光が戻ってくる。めまいのような、VR酔いのような、ちょっとした平衡感覚の動揺を感じた。
気分が悪いというより、ビックリハウス、ホーンテッドマンションの錯覚エレベーターのような、脳内のセンサーネットワークのキャリブレーションが行われている間の居心地の悪さに近い。日常の外界と自己の認識においていかに視覚が大きなウェイトを占めているかがよくわかる。
体験後のアンケートを記入しながら、改めて90分を共にした参加者とガイドの村ちゃんに対峙すると、闇の中での彼・彼女らのイメージとまったくリンクせず不思議な感覚である。面白い小説を一気に読んだ後、目の前にその主人公を名乗る人が現れたら、こう感じるのかもしれない。
視覚無しで感じた彼、彼女らの人柄は、とても儚く、視覚からくる情報量とその現実感に圧倒されてどんどん上書きされそうになる。百聞は一見にしかずというが、逆に「見る」ということが、見えたこと以外の重要な情報を捨ててしまう、「わかったつもり」の危うさもあるのだということを思い知らされた。
そんな感情の波に揉まれながら、連れてきてくれた友達に合わせ帰り支度などをして、気付いたら会場を後にしていた。
本当は、あの8名ともっと話をしたかった。でも、明るくなったあの場では、声をかけられなかった。
暗闇の世界で成立していた一体感、親近感が、この明るすぎる日常でも継続できるのか、少し怖かったからかもしれない。ついさっき書いたアンケートで、「人を信頼してますか?」という問いにMAXで「はい」と答えたのに…。
こうして初めてのDID体験は、たった90分で最高の仲間とスタンドバイミーを実体験してきたかのような濃密な記憶として刻まれながらも、
その最高の仲間が実際の友人になったわけではない不思議な終わり方をした。
DID公式サイトの説明にある、「暗闇のソーシャルエンターテイメント」という一言は、まさにその通りだと思う。
twitterや2chのような、日常のIDからある程度解放されたアバターを使ってネット上でコミュニケーションを楽しむこととの共通性もありながら、時と場所を共有する生身の個人どうしの対話という圧倒的な臨場感、それゆえのなりすましや偽装のないありのままの個性の表出、それでいて自分ですら認識していない新しい自分を発見、他では決して体験できないエンターテイメントだ。
残念ながら、現在の東京会場のイベントは閉鎖までの8月はほとんど満席となっていてその後の予定は公開されていないが、新しい会場で継続するそうである。
また1年後くらいに、新たな場所で始まるDIDに参加してみたい。
今回の経験が、1年を経て自分の友人や同僚、家族との対話の仕方に、どのような変化を及ぼしているだろうか。
2回目のDIDでは、終わった後に友達になろうと言えるのだろうか。