NHKのラジオ 聴き逃し放送 おすすめします

今月からEnjoy Simple Englishを毎日聞いていて、昨日聴き逃したのがあったので、久々にラジオのサイトを見たら、すごく便利になってました。

一週間分くらいネットで聞けるんです。ラジオを録音もしているんだけど、置いている場所によっては雑音で聞けないこともあり、これは本当に助かります。

他の番組も一部聞けるのでのぞいてみたら、カルチャーラジオもありました。

時々興味深い放送をしているのだけど、心理学があったので、一つ聞いてみました。

心理学は自分を見つめるのに、はっとする事が多くて好きです。

子供が小さい頃、アドラー心理学の子育てを勉強する機会があって、他所と比べてなんと自己主張の多い子供に育ったものだと大変でしたが、今回の放送を聞いて、まあよかったのかな?と思いました。

 

何故か第4回を先に聞いてしまったのだけど、テーマは「自己蔑視

お話の中で

「自分の中で問題を意識化しないと、あらゆる幸福論は実行できない」

とおっしゃっていましたが、本当にそうですよね。

雑だけど、要点を記録用にメモしました。凄く勉強になりました。

1、2、3回放送も聞いてみよう。

 

 

www.nhk.or.jp

 

加藤諦三の幸福論~何が人を幸せにするのか~」

の第四回放送よりメモ 

※聴きながらメモしたものなので、特に「人名」は間違いあると思います。

 

◆他人を比較する 

根本には「自己不在」と「敵意」があると他人と比較する

子供のころから比較されてきた

※テストの点数を他人と比較する親

→人から褒められると自分の価値が上がる気がする

けなされると価値が下がった気がする

自我の確認を他人に頼る

 

劣等感を持つと、幸福についての画一主義になる。

典型的な幸福の価値観を持つ

 

『自己不在で否定的な人には、自分の価値を判断させないこと』

その人は、絶対に人を認めないから

 

自己蔑視:支配されて育った人 心の手錠をかけられている

優越したい→自分のしたい事がわからなくなる

    

青年期の課題:対象への興味と関心を持っていれば、次の中年期を生きていける

       →そのまま高年期になる

 

普通は外界に対する興味と関心を追求するが、自己蔑視の人は、全て他人と比較することに意識がいく

 

自己受容 = 心の天国 

自分が固有の存在として体験する

 

自己蔑視の人:他人の言葉を自分が比較されているとして受け取る

言葉の問題ではない

 

だが、比較しまいとしても、変えられない。

→比較は「結果」であり「原因」ではない

 

ではどうするか?

自分の過去の中に屈辱の歴史がある

なぜそうなのか考える必要がある

 

いじめられた過去がある→いじめに抵抗していない

 

自分の中で意識化しないと、あらゆる幸福論は実行できない

ひそかな敵意が潜んでいる 

 

★恥ずかしがりや ジンバルド(スタンフォード

 自分の中の敵意に気が付いた時に直る

 周囲に対する無意識の敵意がある ←気が付く

 

★現実の世界が味方と思っている 幸せな人

自己受容の人は「比較」すると世界が広がる

「もっとやってみよう」

 

★傷つく原因

依存心・自己蔑視・他いろいろある

 

幸せにとって如何にパーソナリティが大切か 1~3回の放送

 

◆まず自分自身でない人は傷つきやすい

 カメが兎で生きようと思っていると、相手の言葉に傷つく

 

自己蔑視:小さい頃から、従順を強いられてきた。生きていけない

→自分を断念する。自分の感情と意思を無視する

→対立を避けるから意思が生まれない。

→迎合して生きる事を学習しているから、それ以外の生き方がわからない。

→周りが怖い。不当な事に対抗できない。

 

いじめられるのは、不当な事に応じてしまうから

 

★ストレスに弱い:現実にコミットしていない。猫をトラだと思う。

脅しと脅しでないのが分からない。虚勢をはっているのがわからない。

小さいころと周りにいる人は変わっているのに、大人になったら違う環境にいるのに、自分を軽く扱われたと思って、落ち込んだり怒ったり被責妄想 (責められていないのに責められていると感じる)と非蔑視妄想が多い

 

自我価値を守る事が大事になる

 

★様々な心理学者が指摘する問題は共通している

アドラー:異常敏感性

マズロー:重心が他人に行く

カレンホルナー:他人が生命的に重要になる

シーベリー:私はそういう人間ではない

 

全部、自分が自分であり得ないという心理が問題

自分が自分の弱点を受け入れられることが大事

 

子供 完璧な子供はいない。従順を強いられていなければ、欠点があっても、受け入れられる

 

過労死するタイプ:自己蔑視する人のタイプ

安売りして皆が寄って来る。自分が周りに質の悪い人を集める。

自分の仕事ではないと言えない。侮辱されているとわからない。

自分が犠牲になる事で処理するようになる。

悪いのは自分と解釈しなければ生きてこられなかった。

 

自分の中に憎しみがたまる→一気に回復するには、名誉で人を見返すしかない

 

無意識はわからないけど、結果、トラブルとしてわかる。

自分の心に問題があるのではないか?

 

★悲観主義と言う巧妙な攻撃性

嫌いと言えないから悲観する事により表現する

 

フロイト

うつ病「対象への憎悪」それを意識するのが怖い

無意識を意識化する。つまり、自分の自我に統合する

「俺の運命はこういう運命だったのか」としっかり受け入れる事 → 自我の統合

 

この時に本当のエネルギー 自己実現のエネルギーがわく

これが無いと現実にコミット出来ない

 

無意識:肉体における呼吸の様なもの

 

 

 

 

 

 

どこで生きているか

最近やる事(仕事とか雑事とか習い事とか)ばかりに意識が行って

とにかく終わらそうと、少し意識が先回りしている気がします。

座る事もついつい後回しになってしまい・・・。

久々に、立ち止まってブッダの教えを読ませてもらったりすると、

エネルギータンクの栓が外された様に

「ああ、この感じだった」と体が思いだします。

意識も腹から上にあがってしまいがちで、頭の中で生きているのは、結構疲れます。

色んな事から解放されて、シンプルに生きたいと思うけど、

雑事の中でシンプルに生きることが大事なんだろうなあ。

 

 

アマゾン fireにもPali Dictionary

格安のアマゾンタブレットを買ってから、仏教書関連のPDF文章を沢山ダウンロードしてあるので、空き時間に読めるし凄く便利です。

kindle fireは使えるアプリがすくないのだけれど、パーリ語辞書あればいいなぁと思っていたら、ありました。

Amazon CAPTCHA

英語だけかと思ったら、日本語でも説明がありました。←よく見たら中国語のようですが、漢字で書いてあるので意味は分かります。

出先でも使えて凄く便利です!

ま、出先での出番は少ないと思うけど・・。

 

運動

久々のブログ更新。誰にも教えてないのでほぼひとりごとですが・・・。
この辺は一部の枝垂桜は満開だけど、ソメイヨシノは見ごろを終えて葉桜に変わりつつあります。
世間は春だと言うのに、今年は役の当たり年で、家にこもって書類づくりばかりしていたので、昨日は久々に子供を連れて森の公園に行きました。急にバドミントンなんかして汗かいたので、今日は筋肉痛です。
学生時代6年間はバドミントンしていたので、何か懐かしい感じがしました。スポーツといえば、子供と「弱虫ペダル」という高校の自転車部のアニメを見ているのですが、青春って良いですね。限界まで挑戦するって、もう年齢的に出来ませんし。出来るうちにもっと頑張ればよかったなぁと、今さらながらに思ったりします。
何か自分ももっとやりたいなって、思うんですね。やりつくしてない感ですかね。
じゃあちゃんと毎日瞑想でもしなさいよって話なんですけど、今は何だかもっと体を動かしたい感じです。

首のコリに本当にきいた!

最近、首がこっていて、動きも悪いし、何とかならんかな?と適当にネットで調べたのをやってみました。

30秒ではなくて8分だけど、その効果にビックリ!

随分首が回るようになって、楽になりました。

他にも幾つかやってみたけど、身体にすぅっとエネルギーが流れ始めたような清浄感。

結構滞りがあったみたいです。

無料で公開してくださって有難うございます。

 

youtu.be

美への執着

先日、久々にコンサートに行ってきました。

春にラ・フォル・ジュルネで聴いた演奏が殊の外感動したので、秋に来日されることを知り、発売当初に予約しました。

そのおかげでファンクラブに入会しているかのごとく、最前列で聞かせてもらいました。演奏中はほぼ目を閉じているため、あまり前でなくても良かったのですが、前に誰も居ないというのは見やすくて良かったです。手元もよく見えて、ピアニストの超人さがよく分かる感じです。本当にどれだけの努力をされているのだろうと、思わずにいられません。

ピアノやホール(座る位置)によって、音の響きが全然違うと思うので、あるいは演奏者の得意とする曲目もあるのかな?と素人ながらに思いますが、前回のように号泣することはありませんでした。でも、圧倒的な技術力と繊細な音が素敵で、素晴らしい演奏会でありました。

前回のコンサートでは、ピュアな音の一粒一粒が輝きを放っていると言いますか、目を閉じ半瞑想状態で聴いていたので、テーマである「水と光」そのものを感じさせるような、圧倒的な美の中でただただ号泣してました。

クラシックコンサートで泣くというのは殆どないので、貴重な体験でした。

 

ただ、ショパンの曲の中で一番馴染みのある「子守唄」がアンコールで演奏された時には、泣けてきました。「あー、ここで来ましたか」的な。(苦笑)

前に、お不動様の所で瞑想をしてちょっとした体験をした後、身内が亡くなった時に感じるような深い静かな悲しみがしばらく続きました。「これ、いつまで続くのだろう?」と、その時は厄介に思いましたが一日ほどで終わりました。

その時に聴いていたのがこの曲で、それ以来これを聴くと深い「悲」の感情と結びついてしまいます。

 

そして、会場の物販コーナー。

聞きたいCDがあって、前も買わずにサイン会を横目に帰って何となく後悔していたため、しばし物欲と葛藤していましたが、「CD買うと、サイン会と握手会」が決め手となり、最終的には負けてしまいました。

しかし、帰宅後久々に手にした嗜好品にいきなり傷をつけるという失態により、「こんなものだよね」と物の儚さを感じました。

あー、まだまだ修行が足りません。

でも、彼オリジナル編曲のピアノだけのモルダウは本当に聴き応えがあります。

www.hmv.co.jp

 

お不動様のところで坐る

月一回お不動様のところに行って座らせてもらっています。

そう決めたものの、しばらくは3ヶ月置きになってましたので、

少し心を入れ替えました。

車で行けばお堂はすぐの場所にありますが、周辺にハイキングルートもあるのでなるべく、小一時間山歩きをしてから、座りに行きます。

その間も真言を唱えながら、なるべく無心で。

少し紅葉も色づき始めていました。

 

紅葉シーズンに近づき、観光地であるお不動様のお堂は観光客も多くなってきましたので、耳栓持参で正解でした。

家ではしませんが、ここに来た時は真言を唱える瞑想をしています。

 

耳栓をしていても、お客さんの声は聞こえてきて、途中どこかのお坊様でしょうか。朗々とお経を唱えていらっしゃって、最後の回向文は知っていたので、余計真言が唱えることが出来なくなりました。

せっかくなので、心のなかで一緒に回向文を唱えさせて頂きました。

あっという間に1時間。

やっぱり歩いた後のほうが、集中しやすかったです。

ここで座るのと、家で座るのとは瞑想自体も違うのですが、

少し違う感覚があります。

 

月一回、護摩炊きもされているので、来月はその時にお邪魔しようと思っています。

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(ネットより拝借:写真撮影は禁止です)