自分の器を理解しろ

日々を過ごしていると、たまに言われたりしますよね。(僕だけ?)

 

「お前はああはなれないよ。自分の器を知れ」

とか

「分をわきまえろ」

とかですね。

 

これの意味するところは、「お前はその程度の人間なんだから、さっさと諦めてそれなりに小さくまとまって生きてろ」

みたいな意味じゃないでしょうか。大分悪く言ってますね(笑)

 

とにかく、普通に受け取ったらネガティブにならざるを得ない言葉です。

言われて嬉しい人はいませんし、自分で自分の器を知るって、何かを諦めてしまうような気がして嫌に感じますよね。

僕もそう思ってました。

 

ただ、この考え方をぶち壊して、新たな価値観を与えてくれた本があります。

それがコチラ↓

 

悩みどころと逃げどころ (小学館新書 ち 3-1)

悩みどころと逃げどころ (小学館新書 ち 3-1)

 

 プロゲーマーの梅原大吾さんと、有名社会派ブロガーのちきりんさんの対談本です。

テーマは「学校教育」に関してですが、様々な視点から語られているので、誰が見ても話しのどこかしらに魅かれると思います。

 

で、まだ1回しか読んでいませんが、僕が印象に残ったのがタイトルの件なんですね。

自分の器を知るという事に関して、梅原さんが言っていたことが強烈に残っています。

 P128~自分の器をあがいて知る

「とことんまで頑張って、あがいてあがいてあがき尽くすと、自分の器というか、“分”みたいなもの、役割とか居場所みたいなものがわかってくるから」

この、梅原さんのセリフから始まる一連の会話は、多くの人を救うと思います。

分がわかるのは絶望じゃない。

あがき尽くしてわかった分には、納得感が得られる。腹落ちする。ここが自分の居場所だと確信出来る。

多くの人が悩んだり、惑わされたり、不安を抱えて生きてるのは、自分の分をわかっていないから。本当の意味で受け入れられていないから。

そして、本当の意味で納得し、受け入れるには、頭の中で考えてるだけじゃなくて、実際に動き回らないといけない。


そして、次の梅原さんのセリフを僕は決して忘れないと思います。

「器って成長の限界ってことじゃないんですよ。この器が自分にとっての人生のフィールドで、つまりここが自分の領分で、その中で頑張ればいいんだなと確信できたら、すごく「いい人生」だと思うんです」

あがき尽くして今の結果を得ている方の言葉だからこそ、余計に響きます。


実は最近、周りの環境(人からの評価、誉め言葉、悪口など)に自分でも驚くほど惑わされなくなりました。

多分、今の部署に配属されてからの短期間で、とことん自分と向き合ったからだと思います。(サポートしてくれた上司の存在も大きいです)

2年くらい前までは、今考えると本当に不安定でした。自分はまだまだできるはず、これくらいはやれるはず、と頭の中で考え続けて、でも結局何も成せなくて、現実と剥離してる自分の状態を人からいじられると、異常な程心が揺らぎました。

今では、自分の事をどう言われても受け流せる確信があります。(自分の大切にしている人達のことを言われたら誰が相手でも本気で怒りますが)


まだまだ全く梅原さんほどの納得感は持てていないと思いますが、驚くほど安定してきた自分の状態を言語化してくれたことが凄く嬉しかったです。


この本、発売されてからあちこちで取り上げられてるので、その影響力の凄さがわかります。今何か買いたい本がある方、それはとりあえず次にして、まずはこれを読みましょう。きっと人生に大きな影響があると思いますよ。


では。

謝るという行為に人の本質が出る

最近は謝るという機会が増えてきました。

自分自身のミスに対して謝るということは比較的減ってきましたが、

その代わり、誰かのミスを代わりに謝る事が増えたんです。

 

1つの仕事をグループでやったとき、その責任者という事で、

ミスが発生した場合は社内外へ頭を下げるようになりました。

 

「謝る」という事は、出来るなら誰もしたくない行為です。

それが自分以外のミスで代わりに謝らなければならないとしたら尚更です。

 

でも、それが上に行く、という事だと学んでいる最中です。

 

言葉は悪いですが、立場が下になればなるほど、謝らなくても

良いポジションだと思っています。いや、実際にそうだと実感しています。

謝らなくてもいいどころから、「自分は悪くない!」と言ってもある意味

許されます。(正確には、許されてるのではなく、呆れられてる)

 

上に行けば行くほど、頭を下げる機会が増え、誰かのせいに出来なくなります。

下に行けば行くほど、頭を下げなくてもよく、誰かのせいにしていてもよくなります。

 

最近思うのは、人の上に立つというのは、人の前に立つというのは、謝る覚悟を

背負う事なんだな、という事です。

 

謝る事について考えるようになってから、面白い事に気が付きました。

それは、仕事が出来る人ほど、謝り方がかっこいい、という事です。

謝罪の言葉をはっきりと述べ、しっかりと頭を下げ、言い訳をしません。

 

逆に、仕事が出来ない人の謝り方はダサいです。

おどおどして、中途半端に頭を下げ、一言二言、言い訳のような言葉を

ごにょごにょと口にします。

 

酷いと、「でもそっちだって・・・」と自分を守る事を優先する人もいます。

こういう人からはどんどん人が離れていきます。

本質的に、人の事を考えられない、いざとなれば自分を守る為に人を貶めると

わかるからです。

 

上司の謝る場面を何度も見てきました。

他の人がどう思っているか知りませんが、その謝っている姿を見て、かっこ悪いと

思った事は一度もありません。

こんな頭の下げ方が出来る男になりたいと思いました。

 

自分でも、お客さんに謝る事があります。それを見て冷やかす人もいます。

でも、冷やかされても落ち込んだり、ムカッときたりすることは全くありません。

むしろ、可哀そうだなと思います。

 

謝る姿を冷やかす人は、謝るという事の美学を知らない。

そして、冷やかす人は、必ずといって良いほど、自分が悪くても謝らない人、

そして謝り方がダサい人だと知っています。

 

謝れる人は、謝る姿を決して冷やかしません。

謝るという事の重さを理解しているからです。

 

この世の中の真理を1つ学びました。

 

謝れる人は、上に行ける人。

謝れない人は、下に追いやられる人。

 

あなたはかっこいい謝り方が出来ていますか?

〇〇に振り回されると何も進まない。

実際にあった出来事で、「あ~これはよくあるな」と思った事があったので。

 

最近、買い物で失敗してしまいました。

買う前によく考えなかった僕が悪かったんですが、どうしても使いずらかったので

交換してもらおうと考えました。

 

で、いざ交換してもらおうと考えた時、「これって交換出来るものなのかな?」と

疑問が湧いてきたので、ネットで検索してみたんですね。「〇〇 交換」みたいな

感じで。僕と同じような状況になった人は、実際どうだったのかな?と思いました。

 

すると、なんとまあ、「交換できない」っていう意見がすごく多かったんですね。

で、そうした意見があまりにも多かったので、「あちゃ~ダメかな」と考えて、

交換を諦めそうになりました。

 

でも、毎日使うものだし、使いづらさを感じながら壊れるまで使用する事を

想像すると、どうしても諦められませんでした。

 

で、ダメ元で購入したお店に電話してみたんですね。

「無理だと思うんですが・・ダメもとで聞きます」みたいな超弱気な姿勢で(笑)

 

するとどうだったか?

 

「傷さえなければ、買われてから時間も経ってないので、基本交換OKです」

("゚д゚)ポカーン

というわけで、無事交換してもらえました(笑)

 

まあもちろん、時と場合、購入したお店の都合なんかもあるので、今回がたまたま

ラッキーだったかもしれません。

でも、ネットで調べた情報だけを鵜呑みにして諦めていたら、僕は今日も明日も、

これからずっと、使いづらさに苦痛を感じながら我慢していたと思います。

 

「そんなもん、はじめからお店に電話しろよ!」

 

そう思われる方が多いかもしれませんが、他の場合でも「まずは調べてみて・・」

みたいな感じで動く方、意外と多いと思います。

で、言い方が適切でないかも知れませんが、

「その他大勢の、殆ど勘に近いような意見」に惑わされる方が多いかもしれません。

 

で、何が言いたいかというと、「事実ではない意見に振り回されると何も進まない」

可能性があるってことです。

 

結局、実際に自分で動いてみないと、本当の事はわからないって事です。

答えを求めれば(探せば)いくらでも出てきます。

ただ、それは事実ではない、ただの予想でしかない場合が殆どだと思います。

しかも、その予想を、あたかも世の中の常識、当たり前の事、みたいな口調で

話す人だっています。

 

悩んでいる時っていうのは、そういう意見に敏感に反応してしまうのが

人間だと思います。

 

ただ、繰り返しになりますが、本当の事を知りたければ自分で動くしかない。

これは、真実だと思います。

 

意見は、あくまでも意見。最後の判断は、自分の心に聞いて決める。

これが大事だと思います。身をもって経験できました。

何かの参考になれば。

 

では!

成長の分岐点

よっぽどやる気がないか、覚えるつもりがない場合を除いて、慣れることである程度のレベルには行けるものです。

適度な力の抜き方を覚えて、どの程度の仕事をすればお客さんの最低限の要望を叶えられるかも見えてくるし、実際にそれで日々の仕事を回せます。

ここまで来れば、毎日をかなり楽に過ごせる事になんとなく気づきます。
そりゃあ疲れたり、嫌なこともあるでしょうが、それでもどこかに余裕があります。

余裕があることが悪いと言いたいわけじゃありません。
ただ、余裕がありすぎる日常は、人を堕落させます。停滞ではなく、堕落します。

何故か?

慣れると、その環境の居心地が良くなります。するとそこから抜け出したくなくなります。寒い日の布団の中と一緒ですね、とっても気持ち良くて幸せです。

でも、布団から抜け出さず、一日中いたらどうなるでしょう?
体はなまって、なんとなくダルい。何かをやる気もわかない。辛くはないけど、楽しくもない。端から見て、自分がなんとなくダメな状態だとはわかる。

健全じゃないですよね?

で、さらに怖いのは、同じ環境に居続けると、いつの間にか、その状態が自分の全力になってしまうこと。

今まで8割の力で出来てたのに、全力でやってそれくらいしか出来なくなってる。
で、ダメになってる自分を認めたくないから、なんとかごまかして現状維持に力を注ぐ。絶対に外の世界(しんどくなる環境、不安な状態)には出ない。
出ないから、ますます力が衰えてく。

これが、ある程度までいき、そこそこ仕事が出来るのに、その後なんの成長もない人です。いませんか?貴方の回りに?

で、みんな気づいてるんですよ、今時分が成長してるのか、停滞してるのかってことに。

気付いたら、すぐに手を打つことが大切です。危機感という感情の賞味期限は短いです。
ほっておけば、あっという間に現状維持に安住しようとします。

自分いま、止まってない!?

そう思ったら、動きましょう。
朝とんでもなく早く出勤するだけでもいいと思います。何かをする、負荷をかける、程よいしんどさに自分から入っていく。
これを繰り返せる事が、絶え間ない成長の最低条件だと思っています。

ということで、明日も一時間早く出勤します。

では!

仕事(会社)否定派は絶対に幸せになれない

仕事に関しては、あっちこっちでいろんな事が言われていますよね。

それこそ、24時間365日、どこかで誰かが仕事に関する思いや意見を飛ばしているんじゃないかと思えるほどです。

 

で、その思いや意見を見ていると、否定的な事を言っている人たちは大体おんなじことを繰り返しているんですね。

いくつかあげてみると、

 

・上司クソ!

・自分は搾取されてる!

ブラック企業で使い捨てされてる!

・給料上がらない(上の連中だけ良い思いしてる)

・私の周りはダメな人ばかり(だから自分が苦労する)

・一生懸命やっても報われない   などなど・・

 

言葉は違っても、だいたいこんなこと言ってます。

で、こういう意見を見ていて思うんですが、

たしかに本当にどうしようもない状況の人も中にはいるかと思いますが、

否定的な意見を言ってる人の8割は、

 

「本当は言ってる本人に原因がある」

 

だけだと思ってます。

 

「私の辛さ、大変さがお前にわかるか!」

そんな事を言われそうですが、うーーーん・・・甘えすぎでしょ?と言いたい。

 

上司クソ!←自分が未熟、あるいな怠けているから指導されているのに、その事実から目を背けているだけじゃない?

 

自分は搾取されてる!←手取り20万円を毎月もらえる事がどれだけ恵まれている、すごいことかわかってますか?

 

ブラック企業で使い捨てされてる!←辞めましょう。今の日本で、辞めたから飢え死にするなんてことはまずありえません。辞める勇気を出すのが怖い、それなら耐えた方がまし、そう思っているだけでは?

 

給料が上がらない←給料は基本的に上がらないものです。勤続年数に応じて上がる方がおかしい。一年前に比べて、目に見える成果や成長がないのに、何故給料を上げないといけないのか?上の人がいい思いをしているのは当然です。それだけ貢献してきたから。本当に不当にお金を得ている人がいるなら然るべき所に言えばいいのでは?

 

私の周りはダメな人ばかり←本当に周りがダメなんでしょうか?もしかしたら、そう思っているのはあなただけかもしれません。

 

一生懸命やっても報われない←皆、程度の差こそあれ自分なりに一生懸命やっています。それが当たり前です。一生懸命やって、成果を出すのが大人です。一生懸命やった事だけで評価してくれるのは小学生までです。大人になりましょう。

 

↑こんな事を書いていますが、そういう僕もほんの1年前までは否定的な考え方を持っていました。今、尊敬できる上司の下で働くようになり、「当たり前の事」がやっと理解出来ました。

 

「あの人が悪い」「かわいそうな私」こうした方向にだけ考えている人は、絶対に今の状況が改善される事はありません。

あるとき急に何かがおきて、現状が好転するなんてことは幼い妄想です。

 

世の中を責めても、世の中を変えることは出来ません。

変えられるのは自分だけ。

そのことに早く気づけた、気づかせてもらえた事は本当に幸運でした。

 

何かの参考になれば嬉しいですね。

 

では!

 

 

あのニュースに考えさせられたこと

年明けからの一ヶ月というもの、一年分詰め込んだんちゃうかくらいのニュースラッシュでしたね。

あちらこちらで色々な意見が飛び交ってますが、個人的に印象に残ったのは清原さんの麻薬使用での逮捕。

これは色々考えさせられました。

一連の報道を見て思ったのは、自分にとって大切な人を大切に出来ないと、人は何処までも堕ちていくし、とても悲しく見えるということ。

清原さんは、自分を叱ってくれる人、愛してくれる人、そうした人生で最も大切にしないといけない人を自ら遠ざけた事が、こうなってしまった一番の原因だと思った。

突き抜けた才能故に成功したかもしれませんが、その反面、普通の人が人生の過程で学ぶことを学べなかった、学ばなくても困らなかった。だから、当たり前の事が理解出来ず、普通の感覚でなら感じ取れる事が感じられなかった。

周りの人に恵まれなかった、それもあるかもしれない。でも、自分の人生、最後に責任を取るのは自分しかいない。何処かで考えなくちゃいけなかった。いつまでも今が続くと思ってはいけなかった。特別な自分は、何をしても許されると思ってはいけなかった。

かわいそうだとも思う。40歳を過ぎても、普通の20歳でもわかることを学ぶ機会がなかったんだから。

生きるって難しいと思いました。
なにが幸せなのか?一瞬でも輝くこと?山も谷もなく生きられること?
苦しいだけの半生の後、素晴らしい半生が迎えられること?

麻薬は悪い!情けない!そう非難するだけじゃなくて、生き方を考えるきっかけになった。

本気でやってんの?

今年ももう一ヶ月経ったんですね。

いやあ早い。本当に早い。あっという間に春が来て、半年過ぎて、秋が来たら

「今年も後半か~」とか言ってそうです。

時間の流れが年々加速している気がします。

なので、のほほんと生きてたら、年末にその年を振り返って「今年、何も成し遂げてない・・」なんてなるのは目に見えてますね。

というか、そうした事の繰り返しだった気がします。

 

というわけで、今年が一ヶ月経った今頃感がありますが、今年の行動方針みたいなものを決めました。

 

「今、ここ、に本気で取り組む」

 

これです。

 

私たちって過去や未来、今ここじゃない出来事に意識を引っ張られてしまうことが多いですよね。

 

「ああ、明日の会議憂鬱だなぁ」

とか

「このまま今の仕事続けていいのかなぁ」

とか

「一昨日彼氏としちゃった喧嘩、まだ仲直りしてないなぁ」

などなど・・

 

いろんな事を考えちゃいますよね。

するとどうなるか。

今取り組んでいる事に、100%の力を発揮出来なくなるわけです。

 

体は今に取り組んでるけど、頭の中はあっちに行ってたり、こっちの事を考えてたり、悩んでたり。

あとは、今やっている事があんまり好きじゃなくて、イヤイヤやってたり、とかね。

 

でもそうするとどうなるか?

 

今取り組んでいる事が、中途半端になるんですよね。

 

力を出し切ったものにならない。

 

だから、当然見る人が見れば、全力でやってないと思われる。

この程度だと思われる。で、それに見合った評価しかされない。

こうなるわけです。

 

こうなってしまうと、誰にとっても得は無いですよね?

 

そして一番損をするのは、当の本人です。

 

こうしたことって、僕はとっても多い人間です。

別のことに意識を取られてしまって、今の事に集中できない。

それによって起こった悪い事はいくらでもありました。

未来のことを考えすぎて、今が疎かになる。

先のことなんて考えても、その通りになるって決まってるわけじゃないのにね。

 

だから、今年はそれを止めよう、今、ここに全力で当たろう。

他の事は、今考えてもしょうがない。

そう決めました。

 

そうして行動すること、今年も一ヶ月経ちました。

 

結果は、上々です。

 

今に全力を投じるから、それに対するフィードバックもとても有益なものが返ってきます。だから、改善した時の成長度が大きい。

それに、後悔もしない。

「今、全力を尽くした。そこに後ろめたさはない。だから後悔もない」

そう思えるようになりました。

 

まあ、どうしたって他のことを考えてしまうこともあります。

そうした時は、「今に集中できてなかった!気を引き締めよう!」

と思うようにしています。

 

というわけで、今年はこの行動方針を持って行動していきます。

 

年末に振り返ったとき、今年がどんな一年になっているのか、とても楽しみです。

 

 

というわけで、今、ここ、を本気で生きる。

そんな生き方、貴方も如何でしょう?

一つのご提案です。

 

 

では!