「組換え作物反対派の主張する危険性に対する間違った批判に対する反論に対する反論

組換え作物反対派の主張する危険性に対する批判に対する間違った反論を見かけたので反論しておきます。

重要なのは遺伝子はその情報次第で性質が様々に変化するという点である。食べても(経口摂取しても)平気な遺伝子とそうでない遺伝子がある。そもそも遺伝子が全て同じ性質であれば、遺伝子の意味がないではないか。

ブクマコメントにも書きましたが、「遺伝子はその情報次第で性質が様々に変化する」のはあくまでも遺伝子が核内に存在し、そこに載せられている情報を元にしてタンパク質が合成された場合です。アミノ酸配列の違いでそれぞれが全く違う酵素活性をもつタンパク質とは異なり、「遺伝子」を担う物質であるDNAは例外的に存在するDNAzymeを除き、あくまでもタンパク質へと情報が翻訳される事によって機能を発揮するものであり、それ自体そのままで何かするという類のものではありません。


また、消化管内には当然、消化のための酵素が存在し、DNAはこれによって遺伝情報を持たないバラバラの状態にされてしまいます。仮に消化管内での酵素による分解を逃れ、遺伝情報を保ったままのDNAがあったとしても、DNAは水溶性で細胞膜を通りにくい事(細胞膜は脂質二重膜でできているため)もあり、遺伝情報を保っているようなサイズの大きいDNAはまず細胞内に入りません。(尚、水溶性でもグルコース等の細胞の生存に必要な物質はそれ専用の取り込み口がついていて、そこから取り込まれます)


・・・というか、(私自身の研究テーマでもある)遺伝子治療が中々進まないのは、色々と工夫を凝らしてもあまり遺伝子が細胞内に入ってくれないからです。何もしていないのにほいほいと入ってくれるようなら苦労はありません。また、細胞内に入ったとしても、遺伝子が機能するためには更に、細胞の中にある核の中に入る必要があります。核もまた、核膜という脂質の膜で細胞の他の部分と隔てられているため、細胞膜を通り抜ける時と同様に水溶性でサイズの大きいDNAが入ることは困難です。


万が一、これだけの障壁をくぐり抜けて核まで行ったとしても、制御配列の問題があります。目的の遺伝子を発現させるためには、遺伝子の上流に「プロモーター」と呼ばれる遺伝子発現をさせるのに必要な配列がある必要があります。遺伝子組換え作物で目的の遺伝子を発現させたい場合、植物用のプロモーターをつけておきます。ヒト細胞でもこの遺伝子が発現するとしたら、使用している植物用のプロモーターが「たまたまヒト細胞でも機能するプロモーターだった」必要があります。


そしてこれらの問題を全てクリアして、遺伝子組換え作物由来の遺伝子が機能を発揮したとしても、それはせいぜいが消化管内壁の一番外側に位置する細胞です。(そしてこの部分の細胞は、高頻度で死んでは新しい細胞に置き換わります)もし、食べ物に含まれている遺伝子が消化管内壁以外の細胞に辿り着こうとすると、いったん消化管の細胞に入った後、もう一度細胞膜を通り抜けて血中へ移行する必要があります。しかし前述の通り、細胞膜は遺伝子にとって非常に通り抜け難いものです。というか、そうでないと各細胞からどんどん遺伝子が抜け出て細胞としての機能を果たさなくなってしまいます。


仮にそうやって幾多の障壁をくぐり抜け、血中へ移行したとしても、血中にもヌクレアーゼという酵素があり、DNAを分解してしまいます。それを回避したとしても、他の細胞で機能するためには、再び細胞膜と核膜を通り抜ける必要があります。

特にウィルスや細菌では周囲に存在するDNA/RNAとの交換が生じることが知られています。ウィルスがベクターとなって体内にDNAが入り込むというシナリオです。

また、腸内に無数に存在する細菌に未知のDNAが入り込むことによって、細菌が毒性のあるものに変性するという可能性も考えられます。そのような細菌が増殖すれば健康を損ねることになります

このコメント欄で述べているのがどういう現象を指しているのか、私には今一つかめません。確かに細胞内への遺伝子導入にウイルスベクターを用いるのはよくある事ですが、その場合は予めウイルスの殻(ヌクレオカプシド)の中に目的の遺伝子を入った状態のウイルスを作製するのであって、既にできたウイルス粒子が周囲に存在するDNAとウイルス粒子内部のDNAを交換するという話は寡聞にして知りません。


細菌の場合は、人為的に電圧をかけ、細胞膜に一時的に穴をあけることで周囲にあるDNAを取り込ませる方法等は遺伝子工学では一般的ですが、ヒトの消化管内でそのような現象が起こるだろうかという疑問はあります。(そもそも電気穿孔法を使えばヒトの細胞にもDNAは入りますし)仮に入ったところで、外来遺伝子が搭載されたDNAを取り込んだ細菌が、その遺伝子を保持したまま増殖するためには、そのDNAに当該細菌で機能する複製起点が存在するか、もしくは細菌側のゲノムに組込まれなければなりません。前者は意図的にそういった配列を入れておく必要がありますし、後者は確率の低い事象です。そのどちらもなかった場合、1つの細菌が2つに分裂しても、取り込まれたDNAは複製される事無く1コピーのみが存在するままなので、分裂した後の細菌はどちらか一方しかその遺伝子を持たないことになります。2つの細菌が更に4つ、8つと増えていっても遺伝子が1コピーしかない以上、その遺伝子をもつ細菌は1つだけであり、その1つ細菌が死ねばその遺伝子をもつ細菌はなくなります。

危険性がないということを完全に調べ上げるのは不可能である。コンピュータに例えると、「このプログラムにはバグがない」と言っているに等しい。いや、むしろ生物のほうが複雑であるので、危険性がないことを証明するのは不可能だ。何をもって安全であるかということの定義も難しい。例えばほとんどの人には無害であっても、0.01パーセントの人にアレルギーが生じるかも知れない。世界中の人々を対象に調査をしたのか?人間だけでなく動植物は?微生物は?

そもそも、よく知られた遺伝子といえども、現在の科学ではその働きを完全に解明したわけではない。普段は何もしない遺伝子が、環境などの変化によって突如としてスイッチが入って動き出すということが多々ある。よく知られた遺伝子でもコンテキストによって働きが変わる危険性を孕んでいる。

従って、「よく調べられたから安全」という主張は受け入れがたい。

この文章は「論理的に間違っている」わけではありませんが、「アンフェア」ではあります。何故なら、「みんな大好き有機無農薬野菜」など「自然な」ものについて全くリスク検証が為されていない一方で、遺伝子組換え作物についてのみそのようなゼロリスクを求め、それができないのだから、という理由で否定しているからです。


「普段は何もしない遺伝子が、環境などの変化によって突如としてスイッチが入って動き出す」のですから、「無農薬である故に昆虫にかじられる」→「植物側が自己防衛のために有害物質の産生アップ」→「そしてその有害物質は昆虫だけでなく、人間にも有害」などという可能性も考えられるわけです。植物にしてみれば、自分を食べる相手は昆虫だろうと哺乳類だろうと敵である事に変わりはないわけで、両方に有害な物質を産生する方が進化的に有利というのは十分にあり得る話です。


よくこういう話では「自然界のものは人間は昔から食べているので体の方が適応している」といった主張が為されますが、例えばトマトが日本で一般に食べられるようになったのはせいぜいが明治時代以降です。また、「トマトが本当に安全かどうか」を調べようとすると、遺伝的に大きな違いが無く、トマトを食べるか食べないか以外は食生活・運動習慣等が同じグループの間で比較する研究を行う必要がありますが、(少なくとも私の知る限り)そのような研究はされていません。イタリア人は日本人と比較してトマトを多く食べるかもしれませんが、日本人とイタリア人では遺伝的にもトマト以外の食べ物でも違いがあるので、発がん率や寿命等に違いがあったところで、その違いの原因をトマトに帰する事はできません。従って、現在我々は「本当にトマトが安全なのかどうか」が不明なままトマトを食べているわけです。



前述の「遺伝的に大きな違いが無く、トマトを食べるか食べないか以外は食生活・運動習慣等が同じグループの間で比較する研究」をもししてみたら、実はトマトを食べる群では発がん率が20%上昇していた、という可能性も100%絶対に無いとは言い切れない(遺伝子組換えは危険だと主張する人々がよく使う表現)わけです。(例としてトマトを挙げただけで、別にトマトに限った話ではありませんが)



更に可能性を挙げるならば、トマトを単独で食べた場合には害が無くとも、トマトとレタスを同時に食べると、トマトに含まれる酵素がレタスに含まれる有機化合物を発がん性のある化合物に変化させてしまう可能性も絶対に無いとは言い切れません。トマトとレタスを同時に食べるだけなら問題無くとも、トマトとレタスとキュウリを同時に食べるとレタスに含まれる有機化合物をトマトに含まれる酵素が変化させ、それによってできた化合物をキュウリに含まれる酵素が更に変化させて・・・(以下略)



遺伝子組換えの話で私がいつも気にかかるのが、この「アンフェアさ」です。アレルギーの危険性を気にするならば、新しい南国産のフルーツだとかこれまで日本には輸入されていなかった種類の魚だとかが市場に出回る度にそれらに対するアレルギーを気にしなければならないはずですが、何故か遺伝子組換えの時にだけ「アレルギーが起きるかも!」と騒がれます。例えるならば、「黒人が飛行機に乗ろうとすると所持品検査はもちろんのこと自白剤の服用を要求され、更に自宅のハードディスクも調べられた挙句、それらから犯罪を疑わせるものが何も出なくても『顔がテロリストっぽいし今回の捜査で見つからなかっただけでどこかに犯罪の証拠があるかもしれない』と搭乗を拒否されるのに対し、白人だと何の検査も無しで飛行機に乗れる」といったところでしょうか。


別に、私は「遺伝子組換え作物はみんな安全」などと主張したいわけではありません。そんな主張は「黒人はみんな善人」みたいなもので、そうでない事はすぐ分かります。遺伝子組換え作物といっても千差万別、どんな目的で作られ、どのような遺伝子がどのような方法で入れられているのか、安全性を審査はどのようにして行われたのか、などによって全く話は違ってきます。特定の企業を利するだけで他に何の利点も無い遺伝子組換え作物や、安全性をろくに検証していない遺伝子組換え作物があった場合、「その遺伝子組換え作物」を批判するのは良いでしょう。しかし、「遺伝子組換えは危険、有機無農薬は安全」というのは「黒人は悪人、白人は善人」的な安易な二元論ではないでしょうか。

交配育種はあくまでも自然の中でも行われる交配に基づいた手法であり、その遺伝子はもともとその植物の中に存在していたものである。交配育種はむしろ変化した遺伝子の数が絞り込まれると考えられる。


上記の主張は、「変化していない元の遺伝子」であれば安全だという考えに基づいていますが、実際には前述の通り「変化していない元の遺伝子」が安全かどうかは調べられていないため分かりません。



4)についてだけは、私が反論している記事が反論している元の記事(ややこしい)の方が問題ですね。以下の引用は「私が反論している記事が反論している元の記事」のものなのでご注意を。

4)作物というのは、人間が手間暇かけないと育たない、弱い植物です。自然界に種子が逃げたとして、雑草にまず負けてしまいます。また、花粉が雑草と交配して、例えば雑草が除草剤に強くなったとしましょう。しかし、特定の除草剤に強いだけであり、あらゆる除草剤に強いわけではありません。また、雑草にコストと時間をかけて除草剤を撒くという行為がそれほど頻繁にあるわけではありません。ですので、もともとの数が少ないわけですので、自然界の競争に負け、駆逐されるでしょう。

家畜化された動物や栽培品種化された植物が元の動植物と比較して自然界での生存能力が低いというのはよくある事ですが、それはあくまでも「元の動植物と比較して」です。そして、家畜化された動物や栽培品種化された植物が自然界へと拡散してしまった場合、競合相手となるのは「その地域に生息する動物」であって「品種改良される前の元の動植物」ではありません。イエネコはリビアヤマネコと比較して野生での狩猟能力は低いかもしれませんが、スティーブン島へ持ち込まれたイエネコはたった一匹でスティーブンイワサザイを絶滅に追いやりました。また、ブタは猪と比較して野生での生存能力は低いかもしれませんが、モーリシャス島に持ち込まれたブタはドードー絶滅の一因となったと言われています。以上の例は何れも動物についてのものですが、植物でも同様の事が起こる可能性はあり、従って

これは完全に誤った情報である。

という点には同意します。しかしながら、前述のネコやブタが別に遺伝子組換え動物ではなかったように、この問題は「本来その地域に生息していない動植物を持ち込むこと」によって生じる問題であり、「遺伝子組換えか否か」とは別の問題です。本来コメが生えていない地域に持ち込むのであれば、コシヒカリだろうとゴールデンライス(遺伝子組換え米)であろうと同様にこの問題は生じます。




最後に

実は、筆者が遺伝子組み換え作物に批判的なのは、福岡伸一氏の著書「動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか」に感化されたという理由が大きい。


ここまで読んだ時、「またこの人か・・・」と非常に暗澹たる思いにさせられました。福岡伸一は自らのロハス思想を広めるべく臓器移植、iPS細胞抗生物質など近代科学が生み出したものにことごとくケチをつけてまわっている人で、特に抗生物質否定に関しては酷かったので私も以前にこれに言及する記事を書いた事があります。


彼の著作から読み取れる主張は「自然界は非常に複雑で、人間如きに理解することはできない。何かした時に、最終的にどうなるのかは人間如きには予測できない→だから何か新しい物を作ったり新しい事をしたりはしないのがベスト」というものです。


前半については、完全に間違いではありません。確かに現代科学では自然界の全てを解明するにはほど遠いですし、何かを行った時の結果を100%完璧にに予測する事など不可能でしょう。しかし、果たしてそれは「何か新しい物を作ったり新しい事をしたりはしないのがベスト」を意味するのでしょうか?全てを理解し、完璧に予測する事ができないのであれば、何もしないのがベストなのでしょうか?


昔は今よりも分かっている事は少なかったのです。しかしそんな中でも、先人達がその分かっている範囲内で予測を立て、少しでも今より良い状況を得るべく新しい薬や機械を作ってきたからこそ、平均寿命は延び、新生児死亡率は下がってきたのではないでしょうか?


何も新しいものを作った事による犠牲と比べ、何も作らなかった事による犠牲は目につきません。新薬の副作用で人が死ねばマスコミで大きく取り上げられ、それを開発した製薬企業は激しいバッシングを受けます。一方、新薬の開発を中止した事で、その薬ができていれば助かったであろう命が数多く失われたとしても、それは全く目立たず、誰が責められる事もありません。遺伝子組換え作物についても、途上国でのビタミンA欠乏による犠牲の責をゴールデンライスが遺伝子組換えだからという理由で反対してきた人達が負わされたりはしません。福岡伸一のように、「何か新しい物を作ったり新しい事をしたりはしない」事を推奨する人達にとっては、今の日本は非常に都合の良い社会なのです。しかし、本当にそれで良いのでしょうか。現代日本が(最近やたらともてはやされる)江戸のようなロハス社会であれば、おそらく成人する事無く死んでいたと思われる人間の一人としては、今一度再考して欲しいと切に願います。

レシチンで心血管障害の危険性が上がる!?

レシチンで心血管障害のリスクが上がっちゃうかもしれないよ、という論文が出ているようです。
Gut flora metabolism of phosphatidylcholine promotes cardiovascular disease
nature news & viewsでの要約


心血管障害と言えば、癌、脳血管障害と並んで日本人の三大死因の一つ。一方のレシチンは、大豆レシチンなんかがサプリメントとして売られていますね。体に良いものじゃなかったんかい!?*1


そうは言っても、レシチンそれ自体が心血管障害を引き起こすわけではないようです。


ここでキーパーソンとなるのが腸内細菌(パーソンじゃねえ)。


レシチン(フォスファチジルコリン)は腸内でコリンに代謝されますが、このコリンを腸内細菌が更にTMA*2という物質に変換してしまうのだそうです。

このTMAは吸収された後、更に肝臓でTMAO*3という物質に変換されます。

レシチン

コリン

TMA

TMAO


と、変換を繰り返した挙句、遂に登場したこのTMAOこそが心血管障害のリスクを上げる下手人です。


さあ、もう明日から大豆製品は食べられませんね!でもレシチンは卵にも入っていますよ!っていうか、フォスファチジルコリン(レシチン)はそもそも細胞膜の構成成分なので、何食べても入っているような・・・。


・・・これはもう断食しかありません。そうすれば、日本人の三大死因のどれかで死ぬことはありません。*4


冗談はさておき、このコリン→TMAの変換をやらかす細菌はまだ特定はされていないようです。論文の著者らは抗生物質を併用する事で腸内細菌を壊滅させる事で、レシチンによる心血管障害のリスク増加を防止できる事を示しましたが、腸内細菌は人間にとって有用なものも多いので全滅させるのは健康的とは言い難いです。


この下手人をピンポイントで仕留められるよう、早いとこ特定して欲しいところですね。

*1:巷ではレシチンには心疾患のリスクを下げる効果があるとか言われているらしいですが、実際のところそれを示すデータは無いようです。っていうか、今回紹介した論文ではむしろ逆のこと言ってるし。

*2:Trimethylamine

*3:Trimethylamine N-oxide

*4:当然、栄養失調で死ぬからですな。

抗生物質の濫用について

 もう一つ福岡伸一批判記事の補足をしておくと、抗生物質”濫用”については私も否定的です。


 抗生物質というのは、言ってみればここぞという時に切るべき切り札のようなもので、使わなくても良い時に無闇矢鱈と使うと、その抗生物質に対する耐性菌のみが生き残り、本来であれば他の菌が得るはずだった養分まで獲得して増殖することで、耐性菌が蔓延するスピードを上がってしまいます。


 前々回の記事で、「抗生物質の開発はイタチごっこかもしれないが、決して(福岡伸一の言うように)無益なイタチごっこなどではなく、大きな意義のあるイタチごっこだ」と書きました。このイタチごっこにおいて少しでも人間の側が細菌を上回っている期間を延そうと考えた場合、やり方は二つあります。一つは「開発スピードを早める」そしてもう一つが「耐性菌の蔓延を遅らせる」です。


 開発スピードは容易には上げられませんが、耐性菌の蔓延は抗生物質の濫用を止めれば遅らせる事ができます。それにも関わらず、風邪の患者に対してPLとフロモックス*1機械的に出す町医者は未だにいるのだから、全くイラッときますね!


 しかし私の意見はあくまでも、「使うべき時(細菌感染によって生命やQOLに重大な悪影響が出る場合)に効果的に使えるように、不要な時にまでは使うべきではない」というものであって、福岡伸一の「抗生物質なんて無駄無駄無駄無駄ァ!」という意見*2とは全く異なるものです。

*1:PLは解熱・抗炎症薬で、フロモックスが抗生物質。風邪はライノウイルスやアデノウイルスなどのウイルスによって生じるので、細菌を殺す抗生物質は効果が無い。

*2:詳しくは前々回の記事参照

福岡伸一批判の補足:薬剤耐性菌について

前回の福岡伸一批判について少し補足をしておきます。


福岡伸一抗生物質について、以下の点に関しても勘違いをしています。

耐性菌が現われる、そうするともっと強力な抗生物質が必要になります
地球のいのち「“食べ物に禁欲な昆虫たち”――食物連鎖の掟を破った人類への警告――」


ある抗生物質に対して耐性をもつ細菌が現れたとしても、代わりに用いる抗生物質「もっと強力」である必要は無いのです。


耐性はどのようにして生じるか

薬剤耐性菌は主に次の二つの方法何れか(もしくは両方)によって耐性を獲得します。

  1. 抗生物質の標的になっている自分の器官を変える
  2. 抗生物質を分解したり細胞の外に捨てたりする


例を挙げてみましょう。

有名なペニシリン細胞壁合成に関わる酵素を阻害する事で、細菌が細胞壁を作れないようにしてしまい、これによって細菌は死んでしまいます。このペニシリンに対する耐性を持つ細菌は、「ペニシリナーゼ」というペニシリンを分解する酵素を持っていたり、細胞壁の合成酵素に変異があって、ペニシリンがこの酵素を阻害できないようになっています。

しかし、ペニシリンに対して耐性を持っている菌でも、マクロライド系の抗生物質にはやられてしまいます。何故なら、マクロライド系の抗生物質ペニシリンとは構造が全く違うためペニシリナーゼでは分解できませんし、マクロライド系の抗生物質細胞壁合成酵素ではなく、リボソーム*1を阻害するので、細胞壁合成酵素に変異があっても関係無いからです。


では、マクロライド系の方がペニシリンよりも強力なのかというと、そんな事はありません。細菌の種類にもよりますが、どちらかというとペニシリンの方が強力なくらいです。*2


ボクシングで例えるなら、相手が顔面のガードを固めていたら鳩尾を狙う、といったような話で、別にパンチ力を二倍にしなくてはならないわけではないのです。

*1:タンパク質を合成するための細胞内器官

*2:ペニシリンなどβ―ラクタム系の抗生物質は殺菌的だが、マクロライド系は静菌的

福岡伸一の抗生物質否定が本気で許せない件について

 前回の宣言通り、福岡伸一批判をしたいと思います。といっても、福岡伸一批判でよく取り上げられる進化生物学に関しては、私の専門範囲ではないので、医歯薬系の研究者として絶対に許せない、絶対にだ!!と思った抗生物質否定について取り上げたいと思います。*1


 私が読んだのは朝日新聞土曜版のbeで福岡伸一が取り上げられた際のインタビュー記事でなのですが、既に手元になく、引用ができないため、同じような発言がネット上に出てないかググってみたらありました。

地球のいのち「“食べ物に禁欲な昆虫たち”――食物連鎖の掟を破った人類への警告――」


 何かタイトルからして既にアレげな雰囲気が漂っていると感じるのは私の偏見でしょうか?(笑)


 以下、引用です。

彼は初めて抗生物質を見つけた、研究者のひとりだったのですが、彼はそうそうに抗生物質の研究から足を洗ってしまいました。

ある抗生物質をつくって微生物を叩くと微生物の仕組みは動的平衡なので、必ずそれに対し耐性菌が現われる、そうするともっと強力な抗生物質が必要になります。限りないイタチごっこであり、ずっとやっていると、今みたいにありとあらゆる抗生物質がきかなくなり、もう開発の速度が微生物の変容の速度に追い越されたような状態になり、多剤耐性菌みたいなのが出現します。
このような状態はルネ・デュボスにとっては余りにも明らかな未来だったのでしょう。だから彼は無益なイタチごっこから足を洗って、もっと地球全体のこと考えながら、出来るだけ身の回りの事をやりましょう。つまり二酸化炭素を出来るだけ出さないことや緑化をしましょうという環境活動に尽くす人生に切り替えました。

 細かい点はさておき、私が最も許せなかったのはこの表現です。

彼は無益なイタチごっこから足を洗って

 福岡伸一抗生物質の開発を「無益なイタチごっこ呼ばわりしているのです。しかも「足を洗って」とは!広辞苑によると、「足を洗う」には「賤しい勤めをやめて堅気になる」「悪い所行をやめてまじめになる」の他に、一応は「単にある職業をやめる」という意味もあるようですが、「悪行をやめる」という印象の強いこの言葉をあえて選択するあたりに福岡伸一の悪意を感じます。


 確かに、抗生物質の開発はイタチごっこの側面を持ちます。いかなる抗生物質を開発しても、いずれはそれに耐性を持った細菌が現れるでしょう。


 しかし少なくとも、その抗生物質が効く細菌を相手にしている限りにおいては、それによって救われる人がいるのです。それを「無益なイタチごっこ」呼ばわりする事は、例えて言うならば、円陣を組んで子供をオオカミから守ろうとしているジャコウウシに向かって、「そんな事してもそのうちオオカミが円陣を破る戦法を考えるだけなんだから、さっさと子供を食わせちゃいなよ」と言うようなものです。


 福岡伸一がやたらと「動的平衡」という表現を使いたがるので、あえて「平衡」という表現を使わせてもらうならば、「平衡」は状況に応じて移動するものです。化学平衡は温度や圧力によって移動します。例えば、窒素と水素からアンモニアが作られる化学反応では、窒素+水素とアンモニア間で平衡状態になっている時に圧力を上げると、窒素+水素がより少なく、アンモニアがより多い、新たな平衡状態に移動します。


 生物同士の生存競争も、ある意味では一つの「平衡」と表現する事も可能でしょう。肉食動物は獲物を捕食しようとし、獲物の方は食われまいと逃げたり戦ったりする。そしてある時は肉食動物が勝って餌にありつき、ある時は獲物の方が逃げ延びる。それによって捕食者とその獲物のバランスは(常に一定ではないにしろ)ある程度が「平衡」を保たれるわけです。


 しかし、どちらか一方が、新たな能力や戦法を身につければ、その「平衡」は移動します。捕食者/被食者の関係ではありませんが、かつてはホオジロに托卵する事が多かったカッコウが、ホオジロカッコウの卵を見破るようになってしまったためにホオジロへの托卵を避けるようになったという話もあります。


 ホオジロカッコウに限らず、生物はそれぞれ、「平衡」を少しでも自分達に有利な方へと移動させようとあがくものです。*2


 人間と病原菌の戦いもまた同じです。抗生物質の開発を含めた医学の進歩は、少しでも多くの人間が生き延びられる方に平衡を移動させ、そしてその平衡を押し戻そうとする病原体に抗うための、人間のあがきです。それは、終わりの無いイタチごっこかもしれませんが、決して無益なイタチごっこなどではありません。多くの人命を救う、大きな価値のあるイタチごっこなのです。

*1:抗生物質だって私の専門ではないんですけどね。

*2:「あがく」って言っても、多くの場合意思をもってそうしているわけではありませんが。

Natureダイジェストの「フランシス・クリックの手紙」が面白い件について

前々回からnatureダイジェストでは「フランシス・クリックの手紙」と題した連載を組んでいます。ワトソンとクリックといえば、福岡伸一著「生物と無生物のあいだ」で取り上げられたりしたためか、DNA二重らせん構造発見にまつわるロザリンド・フランクリンとのどろどろエピソードが一般人にも知られつつあります。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

これを読んだ時は、福岡伸一がトンデモな人だとは少しも気付きませんでした。*1ちなみに福岡伸一は進化に関する発現で批判される事が多い*2ですが、医歯薬系の研究者たる私にとって最も許せなかったのは朝日のbeで語っていた抗生物質否定論ですね。


話が逸れました。福岡伸一批判はまたいずれやるとして、知らない方にDNA二重らせん構造発見の大ざっぱな流れを説明すると、

元々DNAの研究をしていたのはロンドン大学キングス・カレッジのモーリス・ウィルキンズ。

そこにロザリンド・フランクリンがやってくる。
ウィルキンズ『DNAは私の研究テーマで、ロザリンドは私のグループの一員のはず』
ロザリンド『ウィルキンズの部下じゃなくて独立した研究者。DNAは私の研究テーマ』
この認識の違いからキングス・カレッジの二人の仲は険悪に。

一方その頃、ケンブリッジ大学キャヴェンディッシュ研究所にいたのがワトソンとクリック。二人はウィルキンズやフランクリンの研究発表などを元にDNAの構造を推測して分子模型を作る。

しかしワトソンとクリックが最初に考えたDNAの構造はダメダメだった。分子模型をロザリンドに見せたらダメだしの嵐。ロンドン大学の研究にケンブリッジ大学の二人が手を出したせいで、大学間の雰囲気も微妙に。でも諦めない二人。

そんなある時、ロザリンドと仲の悪いウィルキンズは、ロザリンドが撮影したDNAのX線結晶構造解析写真(未発表)をこっそり(?)ワトソンに見せる。

ワトソンとクリックはその写真をもとにDNAの二重らせん構造を思いつき、発表する。(1953年)

ワトソン、クリック、ウィルキンズの三人がDNA二重らせん構造の発見によりノーベル賞を受賞。しかしロザリンドのこの四年前に37歳の若さで死亡していたため、受賞できなかった。(1962年)

ワトソンがDNA二重らせん構造発見のエピソードを綴った本『二重らせん』を発表する。作中においてロザリンドは「気難しくてヒステリックなダークレディ」などと酷評される。*3この本はベストセラーに(1968年)

これに怒ったロザリンドの友人アン・セイヤーが『ロザリンド・フランクリンとDNA―ぬすまれた栄光』という本を発表。ロザリンドの研究成果を勝手に利用して栄光を得たワトソンやウィルキンズを批判。

・・・とまあ、ざっとこんな具合です(引用ブロックを使用していますが、上記の部分は自分で適当に書いた文章です)。

二重らせん (講談社文庫)

二重らせん (講談社文庫)

ロザリンド・フランクリンとDNA―ぬすまれた栄光

ロザリンド・フランクリンとDNA―ぬすまれた栄光

私が思うにワトソンによる『二重らせん』出版から始まったごたごたで一番嫌な思いをしたのはウィルキンズでしょう。ノーベル賞こそ受賞できたものの、ワトソンやクリックほど有名にはならず、その一方で『ウィルキンズがロザリンドの写真をこっそり見せてくれた』と書いたワトソンの『二重らせん』はヒットしたわけですから、ウィルキンズの名に対する反応は

「ワトソンとクリック?知ってるよ、二重らせん構造を発見した偉い人だよね。ウィルキンズ?誰それ?」

「ワトソンとクリック?もちろん知ってるよ。ウィルキンズ?知ってるよ。他人の研究成果こっそり見せてノーベル賞取った人でしょ?」
といった感じになった事は想像に難くありません。


ワトソンとクリックの名を知ってる人でも二重らせん構造発見の裏話を知っているとは限らず、そういう人達は単純に二人は偉い人だと思っているけど、ウィルキンズの名まで知っている人は裏話の方も知っている・・・と、これではむしろ悪名の方が高くなってしまうではありませんか。


実際、ウィルキンズはこの評判に死ぬまで苦しんだそうです。


『盗まれた栄光』って言っても、ロザリンドがノーベル賞を受賞できなかったのは別にワトソンやウィルキンズが悪いわけではなく、受賞時にロザリンドが既に故人だったからですし、ウィルキンズとしてはワトソンがダークレディだとか何だとかいらんこと書いてロザリンドの友人を怒らせたせいでとんだとばっちりです。


後にウィルキンズも本を書き、その中で「違うんだ!勝手にこっそり見せたわけじゃないんだ!」と主張するのですが、その本には『二重らせん 第三の男』という不本意なタイトルをつけられてしまう始末。

二重らせん第三の男

二重らせん第三の男

『第三の男』というのは事件現場に怪しい第三の男がいて、誰だか分からないけど何か怪しいその男はいったい誰なんだ、みたいな内容の映画らしいですね。私は見た事無いですが。


さて、こんな風にノーベル賞受賞者であるにも関わらず不幸オーラ出まくりの男、ウィルキンズですがフランシス・クリックとの間でやりとりされた手紙を見ると、ワトソン対アン・セイヤー 世紀の決戦のずっと以前、二重らせん構造発見に至る研究の最中から既に不幸オーラが滲み出ています。


以下、ウィルキンズがクリックに送った手紙

・・・我々の研究室のメンバー全員が、過去においてそうであったように、未来においても、自分たちの研究についてあなたがたと安心して議論しアイデアを交換できるように、折り合いをつけることが非常に大切だと、私は考えます。・・・(中略)・・・個人的には、自分の研究についてあなたと議論することは非常に有益だと感じています。ただ、土曜日のあなたの態度を拝見すると、一抹の不安を感じます。

親愛なるフランシス
あなたにこの手紙を書くのは、私が今回の騒ぎにどんなにうんざりしているか、どれほど不快に感じているか、それでもあなたに対してどんなに深い友情を抱いているかをわかってほしいからです(そのようには見えないかもしれませんが)。・・・(中略)・・・他人の厚意を踏み台にした一流のアイデアで手柄を立てようとせずに、黙々と着実に仕事をしてアイデアを積み重ね、「騒動」を起こさないほうが、はるかに重要だと思いますね。


ロンドン大学の研究にケンブリッジ大学の二人が手を出したせいで、大学間の雰囲気が微妙になっている時期に書かれた手紙のようです。


ちなみに、前述の通りウィルキンズはこの手紙を書いたずっと後、ジェームス・ワトソンがいらん事を本に書いたせいで散々な目に合うわけですが、そんな未来を知るはずもないこの時期の手紙に、ウィルキンズはこんな事を書いています。

それから、ジム(ジェームスの意)、残念な人ですね。私は涙が出そうですよ。


しかしすごいのはそんなウィルキンズに対してワトソンとクリックが宛てた手紙です。

・・・だから、元気を出して、我々を信じてください。そして、たとえ我々があなたにひどい仕打ちをしたとしても、友情に免じて許してくださいね。今回の我々の泥棒行為がきっかけとなって、あなたがたの研究グループに統一戦線が形成されることを願っています!
敬具
フランシス
ジム


えええええええええええ?!


「たとえ我々があなたにひどい仕打ちをしたとしても、友情に免じて許してくださいね」って、何、その「俺たち友達だよな?」とか言っていじめられっ子から金をまきあげる不良みたいな言い草?!natureダイジェストの人物紹介にはウィルキンズがクリックの親友って書いてあるんですが、本当に親友だったのか?!


ウィルキンズから漂うあまりの哀愁に、私も涙が出そうですよ!


こんな関係のウィルキンズとクリックですが、二重らせん構造発表後の1959年には、ウィルキンズは米国に行ったきり戻ってこないかもしれないクリックを英国に引き留める手紙を送っています。

あなたは英国に戻って来ないのではないかと皆が噂をしています。・・・(中略)・・・あなたを英国に引き留めるために我々にできることがあるあら、知らせてください。ここが、いろいろな意味で腐っていることはわかっています。けれども、まだ絶望的と言うほどではありません。我々には誇るべきものがたくさんあります。

フランシス、どうか私や、ほかの人々に教えてほしい。私にも、できることがあるかもしれない。

・・・あなたが本当に行ってしまうのなら、大いに騒ぎ、物議を醸してほしい。人々の目が覚めるように!

「まだ絶望的と言うほどではありません。我々には誇るべきものがたくさんあります」
・・・いい言葉ですね!私達日本の研究者もこう言えたら良いですね。(←いやその前に腐ってなきゃ良い話だろう)


クリックは結局、この時は英国に戻ってきました。しかしその後、1977年に米国へと移り、そしてそのまま英国には戻らなかったそうです。


余談ですが、ウィルキンズはDNAの研究に携わる以前、原爆開発計画であるマンハッタン計画に参加しています。*4しかし戦後、広島と長崎への原爆投下について怒りを表明し、「私がやろうとしていた事はいったい何だったのか」と語ったそうです。

*1:分かる人にはこの本で分かったみたいなんですが、私にはその力量はありませんでした。

*2:参考:福岡伸一氏の書く文章が到底見過ごせないレベルで酷い件(幻影随想)福岡伸一批判強化週間(Liber Studiorum)福岡伸一の幻想を破壊してみた(ならなしとり)

*3:私が持っている『二重らせん』にはそんな記述はなく(どちらかというと、「クリックうるさい」的な記述の方が多い)、エピローグでロザリンドについて書いている文章は涙を誘うほどなんですが、批判を受けて重版する時に修正したんでしょうか?

*4:『二重らせん』にも「彼が爆弾開発計画で」という記述があります。ちなみに、ウィルキンズはこの原爆開発計画についても機密漏洩の疑いをかけられ、監視をつけられていたそうです。色んなところで情報リークの疑いをかけられる人です。

鍼治療を科学的に検証

鍼治療の効果を科学的に検証


マウスに対して鍼治療を行ったところ、痛みを緩和する物質であるアデノシンが増量していたとの事。

正直、私は鍼治療なんてうさんくさいと思っていたのですが。


元記事を読む限り、まだ鍼治療の効果が証明されたというわけではなさそうですが、代替医療もこういう風にしてちゃんと検証していけば、効果のあるものとイカサマを分けていけるのではないかと思いました。