私の幸福論
私は一般的な家に生まれたり。普通の「伝統」のある家だ。あなたが今そこにいるなら、この現状がとても危うい薄氷の上に立っていることはご存知だろう。だとするならば、両親と兄、祖母がいる生活は単純に「幸福」だ。私が今この「幸福」の一切を奈落に投げ捨て自由を手にすれば、それは半強制的に新たな自分にさせられ、世間というしがらみから逃れた、「幸福」を求める一人の人間として、真の自我を探しに行くことは容易になるはずだ。しかしそれはさらに「幸福」を得るための行動に繋がるのだろうか。繋がったとして、果たしてどうして後悔をしないと言えようか。
最後に、ここまでを一言でまとめるとするならば、『心の剣を鍛えよ』、これに尽きる。その剣は諸刃の剣。常に自省して使ってほしい。
価値主義
資本主義に社会的な罰則、値切りとチップを追加したもの。
自分が発信する情報の正確性
自分が発信する情報は 正確な根拠があればあるほど 信用が高まっていく
自分の信用を高めるためには ひとつの情報に対して調べる時間を多く持つべきだと思う
運とは
自分が予測できないもの全てが自分にどのような影響を与えるかということ
予測できないものが良い方向に向かったら運がいい、 予測できないものが悪い方向に向かったら運が悪いということである
これを逆に言えば、感覚的には、予測できることなら運には関係しないということである。つまり、自分の行動や自分に関係するもの、こと、ヒトに対して、無意識的に自分の善と思う方向に力を加える力が強い人が運がいいのである。
新しい電力会社
人間の仕事エネルギーを電気エネルギーに変えて売りたい!
広告するということ
広告塔になった以上、その製品のことをよく知ったうえで広告をしないと選択することも必要だ
なぜなら、広告したもののイメージが下がれば自分のイメージも下がってしまうからだ
広告する商品にも責任があると思ったほうがいい