検索商売

探すのも簡単じゃないよ、でも探すだけじゃ商売にならないよ

下請け殺人者ども

 馬鹿野郎どもの所業には呆れてモノが言えないが、殺される羽目になったのも、積み重なった振る舞いの成れの果て、ということで、どっちもどっち、なのだろう。

 大きな繁華街で飲食店を拡大させていくのはキレイごとじゃないが、やり過ぎて鬱陶しく思われたのだろうね。 俺ちゃンはそういう業界の人でなくてよかった。

 

 さて馬鹿者どもの相関図を見て、以前に中国で起きた事件のフリップとまンま同じなので吹き出してしまった。 ここまで堕ちたのか、と呆れるほかない。

 まずは今回の馬鹿者ども。 佐々木は100万のみ中抜き(?)しているので、まだ良心的なほうかw

 平山は最初に捕まってゲロったわけだが、こいつが一番抜いてるw 一番抜いたやつが最初に喋っちゃアカンやろw

 そしてこれが昔中国であった事件。 フリップに「おマヌケ」とあるが、上記の馬鹿者どもがまさにそうだな。

 

 …以前から言っている通り、若い人への教育が大切だ。 それは学問だけでなく、メンタルを鍛えることも意味している。

 そして教育を受けた若者を受けいれる労働市場が必要だ。

 そういう国づくりをしなければならない。 働かないから、こういうことが起きる。

 

 ところで、今回、出回った画像で一番笑ったのはコレだな。 言葉遊びだが、本当に「命をいただいた」ってことで…(不謹慎でごめンなさい)

 

 

 

 

 

DNA解析にもとづく寿命の想定

www.newsweekjapan.jp

 

 少し古い記事だが、こういうのがある。

 最近はどうなっているのか少し調べたが、具体的な数値を示しているものはなかった。

 日本の学者(医者)でも、放っておけば50歳くらいで寿命、ということを述べていて、まぁ大外れではないのだろう。

 江戸時代の後半における都市部の平均寿命も、たしか53歳くらいだったと思うから、まぁそういうことなのだろう。

(将軍家の後継でも、成人に達するまで生きたのは約半数で、それは一般市民と変わらない比率だった。 つまり当時の医療、特に内科的治療は、あまり機能していなかったことが窺われる)

 

 名前は忘れたが、アメリカで不老不死の研究をしている学者がいたが、その後どうなったか、は寡聞にして存じない。

 また、別の研究で、寿命の限界は125歳くらい、というのを目にしたこともある。

 

 いずれにせよ、長く生きたいと願うのは本能だが、現実の肉体の機能限界はどうしようもない、ということだ。

 生命とは何か、という研究も進むが、一方で、意識の消失こそ死であるという考えもあり、意識をコンピュータに移し替える研究も盛んだ。

 仮にそれができたとして、ネットワーク上に置かれた意識は、どのような思索活動をして、どのように現実社会と関わっていくのだろう?

 興味は尽きない。

トバシ情報?

johosokuhou.com

 

 検索していてこういうサイトに行き当たった。

 ひとむかし前のサイバッチみたいなものか? こういうサイトで紹介される情報は、時々ヒットがあるから油断できない。

(続)お金があることを知られてはいけない

 数日前に投稿した以下記事の続きです。

orechan.hatenablog.com

 

 いやはや、トンでもないブレイキングニュースだ。

 大谷選手のおめでたいニュースに水を差すどころか、選手生命もあやうくなる一件ではないか。

 上記投稿で、俺ちゃンは以下のように書いた。

自分のものでなくても、目の前にあったら手が出る、それがお金だ。

 全くその通りのことが起きたといえよう。

 そして「知られてもいけない」と書いたが、有名人の場合はそうもいかない。

 

 おっそろしいことだ。

 少し古い話だが、東北震災について論評したアーティクルの中で、「(財産なりなンなり、)『持っていないこと』の重要性が明らかになった」というのがあったように記憶している。

 当時は、「そうは言っても、何も持っていないと、社会生活を営むのが難しいよな」と思った。

 しかし今、年を経て理解できたのは「備えがあること」は、必ずしも「裕福であること」と一致しない、ということだ。

 お金があっても備えていないことは往々にしてあるし、裕福でなくても、災害などに備えている人もいる。

 今回の一件とは乖離がある話だが、まぁそういうことだ。

 

キチガイはどこにでもいる/非抱き三原則ww

kijyomita.com

 

 職場に伴侶(候補含む)を紹介するのも考えもンだわなぁ。

 この話は、多少盛ったところがあるかもしれないが、創作ではなさそうだ。 キチガイババァ社員だかパートだかのキチガイ言動があったのだろう。 初対面の人に体の相性がどうたらとか、フツー話題にしねぇよなぁ。

 たしなめられた挙げ句の果てに、アタシと寝たじゃないとか、それこそネタじゃないかw

 これから、こういう気狂い言動をする奴が増えるのだろうなぁ。 あ〜、気持ち悪い。

 それにしても以下のフレーズには笑った。

 抱かない・抱いてない・抱きたくない

 非抱き三原則ww

DUNE 2 砂の惑星

 見てきた。 昼寝(?)のために遅い時間帯になり、吹き替えではなく字幕版を観劇した。 そこそこ聞き取れた気がしたw

 現代のCG技術がなければ、この作品の映像化は無理だと改めて感じた。 ものすごい迫力の映像に痺れた。

 まぁ、スゴい作品だよな。 前作ほどの凝った演出はなかったが、それでも大叙事詩をうまいことまとめてオチをつけたと思う。 いくらでも批判はできるだろうが、それは作品の凄さに対する甘えであると思う。 みっともない評論は避けるべきだ。

 

 もともと、中東やイスラム文化の影響を強く受けた原作を、さらにそのイメージに忠実に映像化したことは賞賛されて然るべきだと思うが、一方であらぬ誤解や、都合の良い解釈を生みはしないか、という懸念を感じた。

 端的にいえば、イスラム世界や教義を礼賛していると思われはしないか、ということだ。

 主人公が、虐げられた部族に加入し、やがて力を認められ、これを率いて仇敵を滅ぼし、そして世界を制覇するという筋書きは、貴種流離譚の典型例ではあるが、イスラムを感じさせる世界観で描かれれば、大イスラムが世界を制覇する、と都合よく解釈する者が多く現れるのではないか。

 折しも、中東ではハマスイスラエルとが(限定的とはいえ)戦争をしているわけで、思わぬ波及効果を与えはしないか、余計な心配をしてしまった。

 

 なお、本ブログで前作の観劇メモを残していなかった。 日記によると2021/11/22月であった。 時が経つのは速いなぁ、2年4ヶ月か…