『公演後記②~岩手取材旅行~』

今回の『銀河鉄道の夜』公演に向けて、ありがたいことにタイミングが合って、何回か岩手に取材旅行に行くことができました!
その中で、印象的だった場所やエピソードを、これから記していこうと思います。
まずはイントロとして、出発前の部分を。

そもそも、クリエの今回の作品が、宮沢賢治さんの『銀河鉄道の夜』と決まったとき、僕の中での賢治さん像は、「雨ニモマケズ」から連想されるような、朴訥とした晴耕雨読の作家さんというイメージくらいしかありませんでした。

でも、そんなこんなで賢治さんを調べ始めると、
なんなんだ、この人は!?
と、想像を超える捉えどころのない人物像と、その独創的な人生に衝撃を受けてました。
こんな人物が、国内に、車で行ける距離で、現地に取材に行けるのなら、これはもう行くしかないんじゃないのか、という思いが生まれました。

でも、それと同時に、正直なところ、
「いやどうせ、行ったところで…。」
という思いも抱えていました。
というのも、その前に、別件で、とある記念館を訪れてみたのですが、
「え、これだけ…??」
っていう残念感がとても強くあったのです。
展示されてる資料は、たしかに原典資料ではあるけれど、記載情報はほとんど、文献や資料に載っているものばかりで、
「こんなに時間とお金と労力を使って、ここまで来たのにー!」(涙)
と、本当に心の中で泣いてました。

でも、今回のクリエの公演参加者の子と話していたのがきっかけで、とりあえず1回は行ってみることにしました。
久々のクリエの公演、遠方にも関わらず、出演することを決めたその子に、
「〇〇県に住んでるのに、よく出演するの決めたね~。」
と言うと、
「自分は、何かで、やるかやらないか迷ったら、やる方を選ぶようにしてるんです。」
と、なんか、すごい肝の据わったポリシーを、ポンっと言うのです。
でも、よくよく聞いてみると、本当に納得です。
アラフォーのおじさんが、二十歳そこそこの子に、本当に学ばせてもらいました。
そもそも、何かの物事をやるかやらないかって考えたときに、もう絶対に無理だってときは、人は迷ったりはしないもの。
でも、迷ってる時ってのは、何か一歩、足を踏み出すのを、何か理由を付けて、自分で踏み留めているときなんだと、その子は教えてくれました。
僕の場合は、特に、お金と世間体でした。
同年代と比べて、たいした稼ぎがあるわけでもない、ましては、衣食住になんの関係もない、ミュージカル公演のためにわざわざ、大仰に取材旅行に行く??
主催者や演出家ならいざしらず、一参加者のオレが取材なんて、世間的にどうなの??
今よりさらに輪をかけて、変人奇人扱いされるんじゃない???
でも、その子の言葉に触発され、そして更に、前回公演で実際に現地を訪れたことのあるメンバーの勧めもあって、行ってくることにしました。

目指すは、岩手県
賢治先生が生まれ育ち、イーハトーブという理想を夢見て、その人生を燃やし尽くした地へ。

先に結果を言っておきますと、結局、岩手に行く度に、
「これは、また来なきゃだめだ!!!!」
という謎の熱い使命感に駆られ、半年の間に、合計4回の取材旅行、総費用は約(Wow!)万という、自分の予想を遥かに上回る、とんでもない結果になりました(笑)。
でも正直、まだ、行き足りないのです。

公演を終えて感じること、それは、これは始まりなんだという思いです。
今回の公演を通じて、オレは、賢治先生が大好きになりました。
もし可能なら、
当時の羅須地人協会に賢治先生を訪ねてみたかったし、
花巻農学校で賢治先生の授業を教わってみたかったし、
賢治先生の指導と演出のもとに、『飢餓陣営』に出演してみたかったです。

この半年、様々な導きによって、賢治先生の作品世界に、本当にたくさん触れることができました。
岩手山では十一月の冷たい風に吹かれ、
花巻では、輝く四月の気層の底を、ニヤニヤしながら歩いたり、
3月末、季節外れの“あめゆじゅ”が空から振りそそぎ、銀世界と化した東北の冬景色も見れ、
偶然出会った在野の賢治研究者の人と、賢治先生が耕したとされている畑の近くで話しているときには、頭上の空に、鶴や鷺や、雁の群れが飛び交い、
そして、詩碑が立つ下根子桜の協会跡地で触れた、光り輝く花巻の山河と、優しい春の風。

教師の職を辞して、理想の農業を、理想の農民を、理想の農村社会を築こうと生きていた賢治先生は、きっと生きる喜びと活力に満ち満ちて、羅須地人協会の日々を送っていたのだろうと思いました。

今の目標は、ずばり、登山!!!
夏の岩手山に登って、天の川を見ることです。
無二の親友と歩んだであろう山登りの道と、二人が見たであろう星々を、身体が元気なうちに、追体験したいと、切に願います。

『公演後記①~「銀河鉄道の夜」全日程を終えて~』

改めまして、劇団クリエ30+1周年記念「銀河鉄道の夜」を、無事に終えることができまして、本当にありがとうございました。
ご来場、ご観劇いただいた方々はもちろんのこと、いろいろな事情で劇場に足を運ぶことが難しかった方々にも、心からの御礼を申し上げたいと思います。
僕が案内を送らせてもらった方でも、やはり、遠方ということもあり、GWということもあり、観に行けなくて申し訳ない、というお返事をいただいたのですが、「ずっとずっと応援してます」という言葉に、胸から込み上げるものを感じました。
初めてミュージカルというジャンルで舞台に立った日から、ずっとご縁を紡がせて頂いて、共演してた小学生の娘さんは年頃の高校生になり、それでも遠方から時間と手間暇をかけて、昨年に出演させてもらった「桜の記憶」というストレートプレイのお芝居にも、観に来てくださってる方なんです。
きっと、今回の舞台には、出演者一人一人に、そういうアツイ、濃い、つながりの人たちがいて、そうした方々から、直接的に間接的に、いろいろな応援の力をもらって舞台が作られていたんだとしみじみ思います。
昨日、今回のカンパニーでの反省会と打ち上げが行われました。
その中で、カンパニーの一人一人が、公演に参加した感想や想いを発表する時間があります。
その中で繰り返し出てきたのが、「あたたかい」「家族のような」という言葉でした。
裏を返せば、この公演が動き出すまで、コロナ禍の中、泣く泣く解散したあの日から、ずっと、この、「あたたかい」「家族のような」場所を失ったまま、みんな過ごしていたんだということをしみじみ感じました。
4~5年という月日、小学校の低学年だった児童は高学年になり、中学生たちは大学生になり、高校生や大学生は社会人になり、長年クリエに関わって、クリエで育ってきた人たちも、戸惑いながらの復帰だったんだなぁというのを初めて知りました。
そういった意味では、この劇団クリエバージョンの『銀河鉄道の夜』という作品は、本当にうってつけでした。
アンサンブルミュージカルといっていいくらい、出演者がフルで舞台上に出てくるショーアップとも言えるようなシーンが連続して出てきます。
初めての人も、久しぶりの人も、長年やってる人も、みんなが助け合って、分からない振りを教え合って、支え合いながら作ったシーンが、いくつもいくつもあります。
きっと、初めて出演した子たちは、
あそこの振りは〇〇が教えてくれた!
あそこは、〇〇ちゃんが何回も練習を見てくれた!
ってシーンがいっぱいあったんだと思います。
僕自身は、このクリエには、まだまだ参加したばかりの新参者で、つくばカンパニーの第10回公演で『森は生きている』に初めて出さしてもらい、ひたちなかカンパニーで再演だ!と意気込んでいたときのコロナショックでした。
せっかく運命的な出会いを果たした劇団なのに、まさかここでこういう事態がきたか、という思いでした。というのも、クリエの前にも、舞台は少しかじっていて、公演が中止になったいろいろなトンデモ話を聞いていたので、いつかは自分にも…という漠然とした不安と心構えというのは常に持って、舞台に臨んでいました。
でも本当にその時が来るとは思っておらず、気持ちを切り替えるのに半年くらいはかかりました。
時間が少し経って、逆にこんな冬眠期間みたいな時間の使い方をできることは中々無いんだから、とことん自分の課題と向き合おう、そして、いつかこのトンネルの終わりがきたら、後悔の無いよう、あのレッスンも通おう、これも挑戦しよう、と思いながら過ごしたコロナ禍でした。
そうして始まったこの銀鉄の稽古は、本当に特別でした。
もう稽古場で過ごす一瞬一瞬が、とにかく愛おしくてたまらない(笑)。
稽古場で出す皆の一声一声、歌声の一つ一つ、振りの一つ一つ、それが本当に喜びと感謝と幸せに満ちていて、とても祝祭的な雰囲気の中で始まり、そして、昨日の打ち上げまで夢のような時間が過ぎていきました。
あまりに幸福感に満ちながら、順調に稽古が進んでいきすぎて、
「また直前で何かとんでもないアクシデントが起こるじゃないか…」
「もしかしたら今日、オレが交通事故でも起こすんじゃないか…」
そうした根拠のない不安が、本番が近づくにつれて高まっていくのを感じました。
事実、無事に幕が開いて、お客様がいて、本番をしているのが、
まるで夢でも見ているかのような、
今でもあれは、一夜の夢だったんじゃないかと思うような、
そんな気がしています。

あのコロナショックの中、劇団と名の付く団体は、みな、公演を打ち続けるのか、公演を打たないのか、選択を迫られました。
そして、クリエは、打たないことをみんなで決めました。
何が正解か分からない中、打たないと選択した未来を実際に4~5年過ごした想いが、あの公演には詰まっていて、劇場からもあふれ出て、賢治さんにも、もしかしたらちょっとでもいいから、届いてくれてたんじゃないかと思います。
賢治さんも、人生を掛けた農業運動の試みである羅須地人協会の活動が、病苦で頓挫してしまって、数年間、実家で寝起きするだけの日々が続きました。
想いだけが独り歩きして空回りしてばかりで、何もできない日々。
そうした共通点を慮って、このクリエの公演にもきっと、目に見えない力を貸してくれていたと信じています。

オレは、クリエに出会えて良かったと、心から思います。
神奈川や東京で夢に破れて、茨城に帰ってきて、
こんなオレ好みなテイストで、日本語のオリジナルミュージカルをやってる団体が、まさか茨城にあるなんて!
という感動から始まり、
上原先生を始め、演出家の順さんや振り付けの美穂さんが、
本当におおらかに、あたたかく、優しく、楽しく、でも真剣に指導してくれることへの感動が次に来て。
怒鳴る、叱る、否定する、責める、突き放す、などなどなどなど
こういう手法や、
「一度言ったことは二度言わせんな!」
「役者はチケット売りさばいてなんぼだから」
こういう言葉が無くても、
良い公演は作れるんだ、と目が覚める思いで、この人たちの舞台作り、子どもたちとの接し方を身に付けたいと心に決めた日でした。
そしてまた、クリエで出会ったプロフェッショナルたち。
発声のスペシャリストなオペラ歌手の塩塚先生。
身体のメンテナンスのスペシャリストな寺田先生とクリニックの先生方。
そして、クリエのご縁でお世話になれた、リリーベール小学校での日々。
私立の小学校ならではの独自の取り組みも多かったですが、でも、様々な幼児教育期の背景を持った子どもたちが、少しずつ少しずつ小学生になっていく様を見させてもらえたこと、ひいては、小さい大人である高学年になって、卒業していく様まで見させてもらえたお陰で、
卒園までにはこうじゃなきゃダメなのかな…??
という固定観念がはずせて、それまでに無い時間的な視野と価値観で子どもの育ちを想像したり、そこから遡って現状の課題を見定めたりと、本当に貴重な日々を過ごさせてもらいました。

舞台人の端くれとして、教育者の端くれとして、これまでの活動をまとめ上げて、大きく飛躍させてくれた、この大恩あるクリエ。
こんなに大恩があるのに、この不届き者はいくつになっても成長できずにやらかし過ぎて、恩返しなんてとんでもない、本当に反省の日々です…。
いつかちょっとでも恩返し、あるいは、恩渡しができるように心掛けて生きていきます。
一つ、思いつく恩渡しは、クリエで共に過ごした子どもたちが大きくなって、
もしも何か劇団でも作ったり、主催者として公演を打つときに、
おりとんに出てほしい!
なんてことがあったら、
オレで良ければ出ますよ!!!
本番とかゲネが重なってるとか、やむを得ない事情が重ならない限り、協力させてもらいます。
そんな恩渡しくらいしかできませんが、それでよければ、声かけてください。
公式な発言として、ここに記しておこうと思います。

僕にもいつか必ず、賢治さんや岡山先生が行った世界に旅立つときは来るし、舞台って本当に、立てるときしか立てない。
だからこそ、稽古は常に全力投球です。
ひたちなかが解散した、あの日のように、もしかしたら、この稽古で出すこの一声が、自分がこの世に想いを込めて放つ、最後の一声になるかもしれない。
ひたちなかカンパニーが解散してから、ずっとさ迷っていたあの公演への役者魂。
今回の公演が始まっても、やっぱり、もやもや、空中をさ迷っているのを感じました。
「あのときのオレを置いて、おまえはどこに行こうとしてるんだ」みたいな。
実は本番後も、もやもやしてたんですが、昨日の反省会でのみんなの感想を受け止めて、やっと”あいつ”は成仏できた気がしました。
やっぱり、想いを分かち合うって大事ですね。
お酒の無い打ち上げで、あんなに笑って盛り上がって心が満たされるってのも初めてで(笑)
出演者全員にメッセージカードを渡すなんてのも初めてで(笑)
ほんとに不思議な魅力のカンパニーです。

今回の公演には、本当に本当に生活の全てを捧げてきました、マジでいろんな意味で。
良い歳して何をしてるんだという思いに駆られる度に、
いやいや、かつて花巻に、もっとすごい次元でこども部屋おじさんをしてた人がいるじゃないか、と勝手に引き合いに出して励ましてました。
すみません、賢治先生(笑)
こんな話を上原先生にしたら、
「だったらあんたも、賢治さんくらい、世の中に価値あるものを残しなさいよ」と大笑いしながら叱られました。
ほんっと、そうですよね、すみません、上原先生(笑)

まずは、生活の立て直しを図りつつ、次年度公演へのオーディションに向けて準備しようと思います。
実は、「森は生きている」、本当に後悔していることがあります。
まだクリエに参加して間もなくだったし、初めてのひたちなかカンパニーということもあって、遠慮して言えなかったこと(作品世界の解釈について)があります。
それを言えなかったことをずっと後悔して、
なぜこの解釈を共有しないまま、離れてしまったのか、
思い返せば、このやり残した感の大きさがやはり、さ迷う役者魂となって残っていた部分も、なきにしもあらずかと思います。
もしまた機会が得られたら、どう受け止められるかは分からないけど、でもこれだけは伝えてみたい、ということがあったんです。
まずは、クリエのワークショップに行けるときに行って、各種レッスンにも行って、生活を立て直して軍資金も貯めて、オーディションに挑戦しようと思います!


改めまして、
劇団クリエのカンパニーの皆さん、
ご観劇いただいた皆さん、
応援して頂いた皆さん、
稽古の日々を支えてくれた家族と、
励まし続けてくれた友人、
そして、きっと見守ってくれていた賢治先生、
本当に本当に、ありがとうございました!!!!!!!!!

 

kurie1992.or.jp

劇団クリエ「銀河鉄道の夜」に寄せて

どれほど、この日を待ったことでしょうか。

歴史的なウィルスの蔓延によって、泣く泣く解散となったあの日。

正直、今回の舞台で、あの日、行き場を失くしてしまった芝居魂が成仏できるかどうかは分かりません。

生の舞台というのは、一期一会。観に来てくれるお客様との出会いもそうだし、何より、共演する人たちとも、まさに、一期一会です。

再会を期待したり、約束しても、思い通りになることの方が少ないと思います。

あの日、別れた皆の思いも背負ってなんて、おこがましいことは言えません。

僕自身も、子どもたちにいっちょ前にカッコつけたことをほざいわわりに、自分自身がその後、こんなに何にもできない日々を送ることになるのか、と現実を受け止め切れない毎日でした。

それでも、この日々を何か、将来の糧にしたいと思い、感染状況が良くなるにつれて、いろいろなことに挑戦させてもらいました。

他団体さんに客演させてもらったときの驚きと誇らしさは、舞台人として一回り大人にしてもらった気がします。傲慢な気持ちを持つなんてもっての他ですが、でも、自分という俳優を、決して安売りしてはいけない、人になんと言われようが、自分は自分だ、という一つの腹を括った舞台人としての立ち方を教わりました。

また、ダンスにも注力しました。ミュージカルに出演する際に、歌って、踊って、演じる、この三つが主な三本柱です。ただでさえ、ひ弱な三本柱の中で、特に、踊ってがヤバいのです(笑)。劇団クリエの講師の先生に加えて、さらに、別のご縁でつながったダンスの先生にも習うなど、自己投資を拡大しました。

そして、僕の中でも一番太い柱にしたい、歌うこと。クリエを通じてご縁のあった、テノールの先生に、ようやく習いに行けるようになりました。毎回のレッスン費、都内への交通費、ダンスに加えて、自己投資を拡大しましたが、今、得るべき技術と身体への知識を、確実に得ているのだと実感しています。

これらの自己投資が、将来の華々しい活躍を約束するものではありませんし、帝劇の主演を張るような大スターになりたい訳ではありません。

僕はただただ、舞台を観ること、舞台をやることが、ただただ好きなのです。

今回のカンパニーにも、参加させてもらえたことが本当に嬉しいです。

宮澤賢治さんという、宇宙のような存在感を持つ相手に、自分の人生経験の全てをかけて、思考を巡らせる楽しさ。

そして、とにかく、作品に対して、共演者に対して、真摯に、切実に、そして楽しそうに向き合う子どもたち(と大人たち)。

稽古場で過ごす一瞬一瞬、みんなの出す歌声や踊り、台詞の一言一言に触れているのが、本当に幸せに感じます。

泣いても笑っても、あと2か月で終わってしまうのが切ないです。

でもだからこそ、共に分かち合える時間を大切にして、本番まで過ごそうと思います。

kurie1992.or.jp

シスター・アクトが再来日!!!!!

7月、オーブにシスター・アクトが再来日!!!!
朝から鼻血が出そうな幸せです。
図書館で何気なく手にしたCDに一目惚れして、初めて生で観れたときは、もう、お気に入りのナンバーで涙が止まりませんでした。
メンケンの心地よい音楽、
キャッチ―でノリノリなディスコサウンド
 華やかなショーアップのシーン、
そして、開放的に生き生きと音楽を楽しむようになるシスターたち、
内気で引っ込み思案だったメアリー・クラレンスの成長、
そして、スターになることだけが全てだった、デロリスの変化。
まさに、笑って泣ける路線の王道ミュージカルです。
思い出して書いてるだけでウルウルしてきてしまいます(笑)
お仕事と節約、さらに頑張らなきゃ!!!!!!!
 
 

H3ロケット成功!!!!

全然、関係無いけど、感動しました!
去年、エンジン開発の一部始終をNHKのドキュメンタリーで見ていただけに、燃焼実験の事故やロケット発射の失敗のニュースは、見ていて辛かったし、その後の会見も見てられませんでした…。
でも、諦めずにここまで実現したのが本当にすごいと思いましたし、岡田プロジェクトマネージャーの会見での言葉が印象的でした。
今後は、これを、当たり前にしないといけない、と。
発射できて、お祭り騒ぎのように喜ぶのではなく、発射できることを当たり前の日常にしなくてはいけない、と。
 まだまだ将来の夢物語かもしれませんが、宇宙という巨大な規模のインフラを基幹産業にできれば、資源で稼げないこの島の経済も活発になっていくんじゃないかと期待します。
まさに、テクノロジーが一つの資源!!!
 

宣材写真の撮影

先日、劇団クリエで宣材写真の撮影がありました。
講師の先生のご縁で、少なくとも僕なんか個人的にとても会えないであろう、プロのベテランカメラマンの方に撮影して頂けるという幸運に恵まれました。
そしてさらに、稽古場でみんなで丸くなってお昼を食べていると、なんと気が付けばそのカメラマンの方が、僕の隣にいるじゃありませんか!
恐る恐るさっきの撮影の話をすると、とても気さくに応じて下さり、本当に優しい祖父のような感じで、いろいろなことを教えてくださいました。
良い写真を撮るには、師曰く、
・一つ目、毎日、朝昼晩、自分の表情を見ること。
毎日はなんとなく分かります、さらに朝昼晩ですよ!?
さらにいえば、最近はスマホなんかで簡単に撮れるから、観るだけじゃなく、記録すること。時間帯でも顔は変わるし、さらに、そのときそのときのメンタルの保ち具合でも、変わって来ると。それを、自分で知ること、そして、表現に活かすことが大事なんだそうです。
いかに自分を知り、カメラの前での芝居に活かせるか、と。
・二つ目、普段から、腰を入れるのを意識すること。
同じ笑顔でも、猫背がクセになっていると、それだけで見た人の印象がまるで違うので、特に座っている時に、腰を入れるクセを付けること。それだけで、同じ笑顔でも印象が全く違って見えると。
さらに、腰を入れることで上半身に入った余計な力が抜け、自然体な芝居ができるベースが作れるとのこと。

最後に、僕がもらった指摘をご参考までに。撮影中に、
「レンズを見つめすぎ!」
との指摘。
??
撮影って眼力込めて、レンズを見るものでは…??
この点もご飯食べながら尋ねてみると、カメラはあくまで被写体を撮ってるだけで、そこにカメラではなくて、舞台で使う写真なら、役で演じるときの相手がいると思って欲しい、と。
例えば、父親役なら、家族に微笑むような笑顔が欲しいし、
誰かの仇役なら、大切な人を奪い去った相手がいると思って憎しみの籠った顔が欲しいと。
例えば政治家の写真を撮るなら、目の前に有権者がいると思って、カメラに向かうべきなのだと。

思い返せば、映像作品の現場でも、俳優さんがアップで相手役に面と向かって言うようなシーンがありますが、あれも実際にはビデオカメラに向かってお芝居してますもんね!

「写真撮影」という言葉から、まったく別の作業をしてるのかと勝手に勘違いしてました。
カメラマンの前で、一人芝居をしてると思えば、もう少し楽しんで撮影に臨めたかも…
と思うんですけど、やっぱりいざとなると緊張するんですよね~…ビビリなだけに。
でも、ほんっと、良い勉強させて頂きました。

自分自身の後学と、僕と同じように写真撮影の経験が少ない方がいたらということで、とりあえずここに記しておこうと思います!

・毎日、朝昼晩、表情のチェックと記録
・座ったときに腰を入れるクセ
・写真撮影とは、カメラの前での一人芝居

映画「日本のいちばん長い日」(2015年版)

これを書かずには、2023年は終われません!
映画「日本のいちばん長い日」。
今年の4月に出さしてもらった舞台のために、いろいろな資料にあたっていましたが、この邦画を見返すことがとても多かったです。
テーマはまさに、宮城事件(きゅうじょうじけん)です!
 半藤一利さんの同名著作を映画化したものが1967年版と2015年版で二つありますが、僕がハマったのは2015年版です。
まず、編集が面白いと思いました。一流の演技や音楽を、あえて、シーンによって、容赦なく切っていく。そこで、鑑賞者が一つの感情に浸ることを許さず、時間の経過と共に起こる事象を次々と見せられていく。このスピード感と、浸れないことで生まれる独特の現実感と緊張感が、映画で扱っている主題とも相まって、まるで、8月15日までの一連の経緯を、実際にその場で見ているかのような臨場感を感じさせてくれました。
また、個人的に刺さる俳優さんが多かったのも、書かずにおれない理由の一つです。
阿南陸相を演じた役所広司さん、畑中少佐を演じた松阪桃李さん、
そして、鈴木首相を演じた、山崎努さん!!!!
時にすっとぼけたような言動を見せるかと思えば、
全てを見通したような達観した発言もする、
それらが全て、一つの人間の言動として説得力のある役として響いてくる。
強いてこの映画の気になる点を挙げるとすれば、本木さん演じる昭和天皇が、あまりにも知的で理性的で聡明で、カッコ良すぎるということ。あんな賢明な君主なら、太平洋戦争には突っ込まなかったんじゃないかと思ってしまいますが、それでも突っ込んでしまうような時代だったと映画としては訴えたいんじゃないかと思います。
そして、忘れず触れたいのが、メインテーマとなる音楽です。
富貴晴美さんの音楽がとても好きです。劇中で使用されるときは、4拍子で重々しく奏でています。一方、エンドクレジットでは、まるで昔話を語るような、3拍子のワルツのリズムで淡々と物語を締めくくる、あの感じがとても好きです。
悲劇はワルツと共にやってくる、という言葉を、この映画のエンドクレジットを見る度に思い出します。
つまり、どんなに悲惨な、あるいはドラマチックなことを描いても、しょせんこれは映画であり、フィクションなのだ、という感じがします。
人類の歴史は戦争の歴史と言われるように、
今年は特に戦争について考えさせられました。
僕にとって、今年の感じは、「戦」です。
ロシアとウクライナの戦争も、
結局、第二次大戦後の世界が決して、平和が訪れた世界では無かったということを物語っていると思います。
不安定な情勢が続く世界で、新自由主義に頼って、結果さえ出せば何をしても許容されるという風潮が一層強まっていると思います。
金銭にも宗教にも頼らない、
自分は何のために生きているのか、
こうした哲学や美学が、真に求められるんじゃないか、そう思います。
映画「日本のいちばん長い日」には、極限の状況下で、最後の最後に何を大事にするか、そのせめぎ合いが、とても強く僕に響いてくる作品です。
この作品をもって、この2023年を締めたいと思います。