介護、育児、仕事。

20代後半の妊娠8ヶ月の時に父が脳出血で倒れ右半身麻痺となりました。仕事、家事、子育て、介護いろんなことが一気に降り注いで来ました。備忘録です。

0211

母と母友と焼肉ランチをし、お見舞いへ。

 

病室に行くなり

父「母友ちゃん」と名を呼びながら手を振る。

 

そこらへんの記憶は飛んでないようで安心。

 

あいも変わらず元気です。

でも、たまに訳のわからないことを発します。

 

父「飼猫がそこにいる」

とか

テーブルを指差し「そこに誰か寝てる」

とか。

認知症なのか、脳の腫れによるものなのか…いまだにわかりません。

 

しまいには、

テーブルに置いてあった孫0歳の写真を見て

「そこにお坊さんがいる!」と。

 

毛の薄いあなたの愛する孫だよ!

と母と母友と3人で爆笑。

 

日々笑いの腕を上げる父。

 

ちなみに孫の名前はちゃんと覚えてます!

 

麻痺してる右足首に、母がシックスパットをやるとなんとか感覚はあるそうです。

 

「ピクピクする」と訴えてきます。

 

今日は右肩が痛いと言っていました。

痛みの感覚等は鈍いけどあると看護師さんも言っていたので、鈍いけどあるみたいです。

 

その後病室を後にし、私は旦那さんと会社の保養所にお泊まりに行きました。

 

今年の両親の結婚記念日に、家族孫総勢10人で行こうと倒れる前から計画してました。

結婚記念日に皆んなで行けることを信じてリハビリに励んでほしいものです。

 

 

 

0210

今日から三連休です!!

 

昨晩から実家に帰りました。

(…といっても2キロ先の距離)

 

久しぶりに愛猫とお昼まで寝て、

14時過ぎに父のところへ。

 

向かってる途中母から連絡が来て

“ドクターから着信アリ

と。

“今ちょうど病院着いた”

と返信して病室へ。

 

行ったら看護師さんに歯磨きをしてもらっていて、

そな看護師さんにドクターからの着信の件を伝えたら、

内容はわからないとのこと。

 

ですよねー。

と思いつつ母の到着を待つ。

 

血圧を下げる薬の流量は…、

外れてる!!!!!!

 

ついに、薬で調整しなくても血圧が落ち着いてきた!!!

 

恐らくドクターの電話の内容は、

血圧の薬がなくても血圧が落ち着いてきたから、

リハビリ病院への転院の案内だろうと

思いました。

 

そんなこんなで、次は

“オムツ変えまーす!”

と看護師さんがきてくださり、

カーテンの外で待機。

 

その時看護師さんと父の楽しそうな会話が。

 

看護師さんA「ポパイの好きな食べ物なんですかー?」

父「ほうれん草」

看護師さんA「ポパイの彼女の名前は?」

父「オリーブ」

看護師さんA「そうですー!●●さん、すごいですねー!」

看護師さんB「私ポパイの彼女の名前初めて知りました笑」

(心の中で、私もですー!と同感してました)

※左手が点滴の影響でパンパンに腫れてて、まるでポパイみたいだっていうのでポパイが出てきたらしいですw

 

看護師さんA「じゃー、好きなアニメなんですかー?」

父「ドラえもん

看護師さんA「途中から作者変わっちゃいましたよねー」

 

という、やり取りをしてて、

娘、ドラえもんが好きなんて初めて知りました←

毎週まる子ちゃんを楽しそうに見てはいましたが、

ドラえもんを見たのは私が小学生の頃が最後じゃないでしょーか?笑

 

いろんな看護師さんがいるけど、ここの病院の看護師さんは本当によくしてくれる優しい方々ばかりです。

 

そんなこんなをしていると、母が来て

ドクターに折り返しの電話をしたら

やはり、

血圧が落ち着いて来たので転院の手筈を整えてください!

という内容でした。

 

一時は、本当に2ヶ月以内にリハビリ病院に行けるのか不安な日々でしたが、

血圧も落ち着いて来て、

父とコミュニケーションも取れるようになり

不安要素が日々なくなって来てます。

 

下手したら、今月中には転院できるかな。

我々家族もリハビリ病院の見学やら

ソーシャルワーカーさんとの面談とやらを

急ピッチで進めていかなければなりません。

しかし、平日は母は仕事があるので

今週いっぱいで早めに産休に入る私も

何かとお手伝いをしていきたいと思ってます。

 

そして、そろそろお先に帰ろうかなと思ってた矢先に

リハビリ師(理学療法士?って言うんですかね?)の方々が来て、

“これから、リハビリ室に行ってリハビリするので良かったら同行しませんか?”

と誘っていただいたので、

初めてリハビリを見学させていただくことに!

 

まずは、ベッドから車椅子に移動し、

車椅子でリハビリ室に。

リハビリ室に入ったら、ベッドに座り、

そこから固まって来てしまってる

首と背中の筋肉をほぐし、

机上で輪投げ(右にある輪っかを、左においてある棒?に入れる)をし、

初めて机を支えに立つ

という流れでした。

 

右半身が麻痺なので、

まっすぐ向いてるつもりでも、

首がどうしても左に向いちゃうんですよね。

 

本人は正面向いてるつもりでも、

正面向けてなかったり…。

 

そんなこんなで、1時間弱リハビリしました。

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はじめてリハビリの様子見ましたが、

頑張ってくれていたと思います。

 

それ以上に、リハビリ師の方々には

驚きました。

 

私と変わらぬ年齢だろうに、

すごいなーと感心するばかりです!

 

 

 

 

0209

29(ニク)の日ですね!

 

金曜日はノー残業デーの旦那さんと一緒にお見舞いに行きました。

 

病室で母と合流!

 

血圧を下げる薬の流量は、

1.0ml/hに!!!

 

たまによくわからないこと言うけど、

口調もはっきりしてきました!

 

流石に、1/17〜寝たきりの生活してるせいか、

腰とお尻が痛いと主張していました。

「地球上の全圧力が俺の腰とお尻にかかってる」

と笑

 

随分口達者になったものです。

数日前は、なにを言ってるのか聞き取れなくて、

今後どうやってコミュニケーションをとっていいのか不安に陥ってたのが嘘のようです。

ただ、たまによくわからないことを宇宙と交信を始めるので

その時は否定せず

「うん、そうだねー」

と肯定して聞き流してます笑

 

主人も1週間ぶりに父を見て、

「めちゃくちゃ回復してる…!」

とびっくりしていました。

 

いつからか、ペースト状のご飯も始まったようで、看護師さんから

「食べるのめちゃくちゃ早いんですよ!6時からご飯なのでお時間合えば来てください!」と言われたので6時ごろを狙って行ってみました。

(看護師さんも手が足らず、家族がご飯あげれるなら頼みたい気持ちすごくわかります。)

欠食児童のように、ペロリと完食!

しまいには

「昨日の方がおいしかったなぁ」

なんていっちょまえに文句まで!笑

 

食べ終わったらちゃんとご馳走様してね

と伝えたら

麻痺していない左手をきちんと胸の前で立て、ご馳走様でした。と

 なんだか、感動ー!

 

入院してから2ヶ月以内にリハビリ病院に転院しなくてはならないと聞いた時は

“本当に2ヶ月以内に血圧が落ち着いてリハビリ病院にに行けるの?”

とすごく不安でしたが、

なんとかリハビリ病院にも転院できそうです。

 

まだまだ入院生活は長いけど、一緒に頑張ろうね!

 

0208

入院関係の書類を提出したく、

病院の受付が17時までだというので、15時過ぎに仕事を切り上げ病院へ。

 

書類提出の前に、病室へ。

病室に一足先に来ていた母が着くなり、

母「今日めちゃくちゃしゃべる」

と着くなり鼻の穴を広げながら言って来ました。

 

確かに、なんか喋っとる。

 

薬の流量も、2.0ml/hまで下がってる!

 

だんだん、意識もはっきりしてきました。

 

書類の関係で、事故当日のことを聞いたら、あまり覚えていないけど、所々口々に話していました。

その日お昼頃から頭が痛かったそうです。(確信ではない)

すぐに脳梗塞だと自覚したようです。

(結果脳梗塞ではなく脳出血

まだ聞き取れないことも多々あるのでもう少し話せるようになったら詳しく聞いて見たいです。

 

ペースト状のご飯も口から食べるのが始まったようです。

夜担当の看護師さんが挨拶に来た際に

「いつも食べるの早いんですよ!ぺろっと平らげちゃいます!」

なんて報告してくれました。

 

食べることに関して、欲があるようで良かった。

水も催促され、今日は結構飲んだかな!

 

手足の感想が気になるから、濡れタオルで拭いてからクリーム塗ってたら

「ありがとう」

って言われ、胸が熱くなりました。

 

この努力、ちゃんと父にも伝わってるんだ。

 

と安堵しました。

 

 

その後病室を後にし、

病院の受付に書類を出し一度自宅に帰宅しました。

 

夜ご飯を食べてから再び行きました。

 

本当は、6時から夕ご飯のようでその時間に行きたかった(ご飯の様子を見たかった)のですが、

ドラッグストアでオムツ買ったりしてたら時間が来てしまい間に合いませんでした…。

土曜日は、18時ごろ行けるとイイな!

 

夜行ったら、またまた一足先に母が来ていました。

 

私が来る前に

労災のこと

介護認定で役所の人が見に来ること

後々リハビリ病院に行って頑張ること

を伝えたようです。

 

そしたら、

「行こう、今から行こう!(リハビリ病院に)」

と張り切っていました。笑

 

今すぐには無理だよー、もう少ししたらね。と優しく伝えました。

 

そして、

「リハビリにいい病院に行くんだ!」

と意気込んでいました。

 

リハビリ病院に行ってリハビリを頑張る意欲があって安心しました。

 

 

 

母が警察署に行き事故当日のことが少しずつわかって来ました。

 

事故発生時刻は16:10

(家族は17時ごろと聞かされていたのでこの差にビックリ)

事故現場の目の前の交番に担ぎ込まれ、父がお財布を出し職場に連絡してくれと頼み、職場の人が来る

(どれくらい時間かかったのかな)

職場の人が救急隊の人?と自分の病院に運ぶか、今入院している病院に運ぶか議論する

(↑一刻も争う事態なのに何してんの?!)

 

要は、父は倒れてから病院に搬送されるまでにすごく時間がかかりました。

これは、被害者の方も言っていました。

家族なのに、まだまだ不明確なことだらけ。

今度父の職場の立ち会った人にどんな風になっていたのか、じっくり聞こうと思ってます。

もちろん、その場を担当した警察官にも。

(今日は伺うもお休みでいませんでした)

0207

仕事終わりお見舞いへ。

流量5.0!

どんどん下がって来てるー!

お水を飲んだり、よくお話しするようになって来ました!

 

でもやっぱり、19時過ぎに行くと眠いのかウトウト…。

 

 

今日は、労災と健保で色々と疲れました。

あっちへ振られ〜

こっちへ振られ〜

 

あっちこっちに電話。

 

労災についてはまた詳しく今度改めて描きます。

 

 

0206

夕方お見舞いへ。With 母

 

今日の父は、喋る喋る!!!

血圧も110前後と落ち着いてきました。

点滴の流量も、8.0まで落ちました。

 

喋るんだけど、聞き取れない…。

特に単語ならまだしも、センテンスになると無理…。

嬉しさ反面、不安反面。

言語障害っていうのかな?あの状態での介護は、する側もされる側も意思疎通が取れなくてストレス溜まるだろうなぁ…。

 

リハビリで言語も回復してくれることを祈るばかり。

 

 

0205

仕事終わり後、病院へ。

母と病室で合流。

 

母は懸命に、麻痺した右半身のマッサージに励みます。

 

“絶対また動くようになるからね〜”

と呪文をかけながら…。

 

本当に女性は強いなぁと思います。

(私も母のように強い女性になれるのかしら?)

 

今日の父は、いつもより意識がありました!

目もいつもよりちゃんと開けている!

 

聞き取れないことも多いけど、

いつもよりお喋りもしていました。

 

血圧も、点滴の機械の数字が10.0。

昨日までは12.0。

徐々に良くなってきています。

血圧も110ぐらいまで下がってきました!

 

そして、今日は新たな進歩も。

口腔スプレーを渡したら自分でプッシュできました!

何でもかんでもやってあげるのはダメ。

“自分でやらせる”のも優しさの1つだと思ってます。

子育てに関しても同じですよね。

 

“ご飯食べたい”とも主張していて、

元気になったら焼肉食べようねー

とか、

カキフライ食べようねー

とかいろんな言葉を言って、連想させてます。

 

また、脳卒中になる前我が家では父はいつもコーヒーを淹れていたのですが、

“お母さん、お父さんが淹れてくれたコーヒー飲みたいって。早く元気になって淹れてあげてねー”

と日常生活を思い出すように、話しかけます。

後今日から、ノートを持参し、

“今日は2月5日です”と書き

父に、教え込みました。

 

字が読めてあるのかはわかりません。

“2月5日”って時に、指も一緒に

2月5日って表すと、真似してました。

 

少しでも脳の刺激になってくれてたらいいのですが…。

 

発声をして欲しいんだけど、

どうやったらいいのか頭を抱えてます。